第1話 誕生日は、誰にでも平等に訪れる
「ハッピバースディ、トゥ、ミィー」
「ハッピバースディ、トゥ、ミィー……」
虚空に、外れた音の羅列が吸い込まれていく。
まさに、「虚空」だ。
すすけた天井と、俺との間に横たわる、ぼんやりとした闇。
「はあ……。ひふへほ。……ふふっ。――ぶほっ!!」
きっ……気管に唾がっ……ごほげほげほっ!!
俺は飛び起き、ベッドの上で四つんばいとなり、己の肉体に、ありったけの主張を始める。そこは唾の入るところじゃない! 空気だ! 生きるために、空気を取り込むところなんだ……。
「生きる……。なんのためにだよ。……ふっ」
今度はシーツの上に、よだれが落ちた。……いい加減、このシーツも洗おうと思ってたんだ。いいよもう。
汚した事実を、なかったことにするよう袖口でぬぐってから、再度、ため息をついて身を起こし、ベッドの上をヒザ移動。
壁にもたれかかって足を投げ出す。
そうしてそばにある、古びた机の上へ目をやった。
23時40分。
暗がりの中、丸い置時計はそう示している。
ちなみに、デジタルではない。針時計だ。
23時というのは、言い換えているわけじゃなく、ほんとうに針が、23の数字を指している。
0から11の数字が並ぶ円の外側に、12から23が並んでおり、午後は短針が伸びてそれらに届き、一日が折り返したことを教えてくれる。じいちゃん自慢の、手作りの一品である。
机も、イスも、このベッドも……。俺の部屋にある、だいたいのものは、じいちゃんによって作られたものだ。
唯一の身寄りである、彼の手によって。
◇
緑川晴。県立「偏差値普通」高校二年。
身長172センチ。体重65キロ。
勉強は中の中。運動も中の中。
身内はひとり。友達はふたり。
彼女はなし。
ありふれた人間っていうのがどういうものかは分からないけど、そんな非凡平凡談義はさておいて、人生にとって重要なのは、自分の望んでいるものが手に入っているかどうかだと、俺は思う。
欲しいものが揃っていれば、平凡であっても幸せだろう。
それがなければ、人がうらやむ非凡性を備えていても、退屈な、あるいは辛い日々だろう。
23時50分。
あと10分で、17歳になる。
誕生日プレゼントなんて、もうもらう歳じゃないが、じいちゃんは決まって、手作りの品を贈ってくれる。ダチふたりは、あしたの昼休みに菓子のひとつでもくれるはず。
悪くない誕生日だ。いつも通りの。
「はあ……」
三度目のため息。たぶん、思いと、態度が一致していないのは、きょう見たカップルのせいだろう。
学校からの帰り道。運の悪いことに自転車がパンクした俺は、やむなく手で押し押し歩いていた。そんな折、信号待ちをしていると、あとからカップルがやってきた。
「たかくぅ~ん。たかくんはぁー、あしたのプレゼント、なにが欲しい? 誕生日!」
「なにもいらないよ。ゆっこがいればそれで。ふふっ」
「やぁーだぁー、もーばかぁ」
しねよ、と俺は思った。口には出していない。
顔をしかめて横目で見ると、俺と同じように、自転車を押す学ランの男と、その腕にしがみつくセーラー服の女。同じ高校ではない。っていうか中学生だった。……歩けよ! どこか知らんが、この辺の公立中学なら歩いて行ける距離にあるだろうが。
「でもでも~。やっぱりぃー、なにかあげたいの。ね、言って? 言って言って言って~」
「うーん。そうだなあ……。……じゃあ、うち、来る? 晩」
「えっ? ……ええ~っ!? なにそれぇ~!!?」
「言わせんなよ。……分かるだろ?」
「――分からねーよ、ぼけ!!」
思わず口に出た。しかし超小声だったので、気づかれなかった。よかった小心者で。
ほどなくして信号が変わり、女は、「え~、えぇ~……」と頬を赤らめつつ、いっそう男にしがみつく。男は、「歩きにくいだろ……。ほらあ」と言いながら、嬉しさあふれる声で、よたよたと横断歩道を渡っていく。俺は、ぱーぱーぱーぱーぱぱぱー♪ というお馴染みのメロディを聞きながら、再び赤に変わるまで、呆然と立ち尽くしていた……。
23時55分。誕生日まであと5分。
別に、カップルがのろける現場なんて、珍しくもない。
クラスでも校内でも、街の中でも家の近所でも、目にすることはある。しかし、誕生日の前日にパンクをして自転車を押しているときに、パンクもしていないのに自転車を押し、いちゃいちゃしながら不純異性交遊の計画を立てている、同じ誕生日の中学生を目の当たりにしたら、どうだろう。さすがに仏の晴と(自分の中で)うたわれるこの俺でも、怒りと悲しみを禁じえない。
いつも通りの誕生日。いつもと違う気持ちの誕生日。
もしかしたら、あした、学校へ行けば……。なんて妄想は数秒で潰えた。いつもと変わらぬ日常が待っているのは規定事項だ。……ま、いい。あしたが終われば、こんな気持ちも消えてなくなるさ。
また俺は、ごろんとベッドに転がった。
そうして時計の針は、0でひとつに重なった。
はじめまして。
ちょっとずつ書けていけたらと思います。
よろしくお願いいたします~。