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クチナシの花に復讐を  作者: 松井駒子
ある伯爵令嬢の毒白
7/8

7(了)

 誕生会当日は、嵐の一日となった。案の定。父から二人の婚姻を告げられたオーレリアは、取り乱してアレンを詰問した。自分に気があるとばかり思っていた男が、突然見下していた姉と婚姻したと知り、平静ではいられなかったようだ。あの男が一年かけて、オーレリアの心の淵へ歩み寄った、その成果。何でも目撃したメイドによれば、夜半彼を父の書斎にアレンを引きずり込んでいったという。ああ、かわいいオーレリア。頭に血が上りすぎて、未婚の女性が男と二人きりになる、その意味を忘れてしまったのかしら。クラリッサは喜々として、アレンが戻ってくるのを待った。今宵、彼は自らの正体をオーレリアに告げると言っていた。自らの心を少なからず分けた相手が、かつての使用人だったと知ったときの、オーレリアの失望。そして、彼に人生を掌握された、その絶望。それは、どれほど甘美なものか。舌なめずりを繰り返す。

 しかし、長らくして戻ってきたのは脂汗をうかべたアレンだった。

「あら、あらあらあら。どうされたの、わたしの愛しい旦那様は」

 目に涙をうかべた男。彼を見つめて、クラリッサは事態が予想外の方向へ進んだことを知り、胸躍らせた。

「オーレリアは、何て? 自分の正体は、口にしたの?」

 そんな彼女を前にして、苦悶の表情を浮かべたアレンは重い口を開こうとして、激痛に顔をしかめた。足をひきずるように歩く男。その表情さえ、憂いを帯びて、艶にみちているように見えるのが、実に彼らしい。

「…………っ。足を……」

「足? 足がどうしたの、わたしの旦那様」

 彼の頬を、脂汗がながれつたって、おちていく。その間の苦悶を挟んだ後、彼は唇から声を絞り出した。

「……小指の骨を折られました」

 追い詰めて、追い詰めて、最後の最後で、猫に爪を立てられたらしい。オーレリアは絶望を通り越して憤慨し、その足を振りかざして、アレンの足を踏みにじった。犠牲になったのは、あんなに偉そうにしていた、男の足の、その小指の骨。

「ふ」


「ふふふふふふ、あははははははは」

 あまりのことに、クラリッサは腹をかかえて笑いだした。


 令嬢として教育されたクラリッサが、声をあげて笑い倒すなど、生まれて初めてのことだ。止まらない笑いに、目に涙が浮かぶ。

「あはははは、おなか、いたい……いたい……あはっ、ふ、ひい」

 さすが自慢の妹。かわいい、オーレリア。ただで倒れるわけがない。元使用人の復讐など、その足で容易く踏みぬいてくれよう。ああ、オーレリア。母とも違う、力技。あなたはいつも、私の想像の上をいく。笑い続けるクラリッサの目から、演技ではなく、涙は頬を伝って零れ落ちた。

「ああ、オーレリア! やっぱり、あなたは素敵だわ!」

 涙を流すクラリッサは、両の手を胸の前で握り合わせて、神に感謝した。

 歓喜の日々が始まった。

 それからの日々は、笑いを堪えるので精一杯だった。姉の婚約者に横恋慕したことは、オーレリアにとっては記憶の底に埋めたいものとなったようで、時折クラリッサがそれを暗に指摘すると、苦虫を噛み潰したような顔をする。その顔がまた可愛らしくて、クラリッサは嬉しくてたまらない。時折我慢できず、膨らんだ頬をつつけば、いとしさが胸に溢れた。

 アレンとクラリッサが婚姻を結んだ後、父は亡くなった。あっけない終わりは、衰弱の果てに言葉もなく、父が遺すものはほんの僅かな爪痕のみ。墓前に立てば、笑みがこぼれて隠すのが大変だった。兄が父から伯爵位を受け継いだが、なお借金で首が回らない彼からアレンが屋敷を買い取った。かといって、兄を追い出すわけでもなく、広い屋敷に、兄姉三人と、アレンが暮らすことになれば、オーレリアと、アレン。そして、クラリッサの、楽しい日々が満ち満ちた。アレンとオーレリアは表面上、いい、義理の姉弟になった。毎日のティータイムには、かならずお茶をともにして、朗らかに笑い合う。その裏に隠れた、毒々しい言葉の応酬に、メイドたちは気付かないまま。テーブルの下で繰り広げられる、オーレリアの足技の多岐に気付かぬまま。家族の仲のよさが噂され、領地で話題に上るまでになる。オーレリアの憎まれ口に磨きがかかり、時にその足がしなって、アレンに恐れをもたらす。それを眺めてクラリッサは、笑う。わらいつづける。そして、二年。あっという間の二年だった。楽しい、二年だった。


 二年後。愛おしい妹は、息を引き取った。

 その日は、人々の心を写し取ったように、しとしとと長く冷たい雨が降っていた。寄りあう傘がいくつも開いて、黒い花が墓地に咲く。雨降る中集うのは、黒い服の男女の群れ。手が滑らぬように注意して、男たちは重い棺を深く掘った穴の中へ――濡れた土のにおいが鼻につく。強まる雨脚は、スコップを手にした男たちを辟易させていた。


 それを眺めて、クラリッサは目元にハンカチーフを押し当てる。泣かないことを決めたのに、気を緩めれば溢れる涙にまなこが濡れる。唇を引き結び、涙に耐える。零れそうになる雫を、白いレースで拭い取った。


――これはきっと、罰なのだ。


 クラリッサとアレンの結婚式から二年。ブランソン伯爵家の次女。オーレリアが、死んだ。花の盛り――二十一歳の誕生日を迎えたばかりだった。

 それは思いがけず、受け入れがたい死だった。彼女死因は自殺でも、他殺でもなく――あまりに唐突な病。発覚から一月もせずに、彼女はその短い生涯に幕を下ろした。死の間際。痩せ細った妹はどこまでも穏やかに微笑んだ。記憶に残るのは、苦悶に歪む顔ではなく、慈悲の笑み。愛する妹は、クラリッサとアレンを見つめ、最後に――二人の手を握り、心からその幸福を願い、美しく散っていった。


 愛おしい、オーレリア。かわいいオーレリア。彼女はいつも完璧で、そして残酷な、オーレリア。


 弔問客にまじり、墓の前に動かぬ一人の男の姿がある。いつもは輝く金の髪が、連日の心労からくすみ痛んでいた。墓の前に立ちすくむ男。見るにみかねて、クラリッサは彼に近づき傘を差し出す。呆然と立ち尽くす男を支えて、クラリッサは囁いた。

「戻りましょう、あなた」

 しかし、声は届かない。オーレリアが死んだとき、彼の全てもまた崩れおちた。雨に濡れる男は、ただ茫然とオーレリアの棺を見つめる。


 二番目の夫の肩を抱き、クラリッサは静かに彼を支える。

――これはきっと、罰なのだ。


 彼女の幸せよりも、オーレリア自身を選んだ、傲慢な私たち。自由に大空を飛び回り、万人に愛されるはずだった小鳥を、鳥かごに閉じ込めた。つついて遊べば、鳥は痛みにさえずり泣く。その声が、聴きたくて、ただそれだけで、彼女の愛よりも、痛みを選んだ――


 これからの生に、オーレリアはいない。あの、うつくしく、傲慢な少女は、もう二度と、微笑んではくれないのだ。


 ただ、愛していただけなのに。


 壊れた男の傍らに立ち、クラリッサは自らの腹部に手をあてる。

 やがて雨脚はさらに強まり、悲嘆の結末は打ち付ける雨に塗りつぶされた。


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