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翌日も、夜会は絶えず開かれる。暗い気分が晴れないままに、クラリッサは壁に溶け込んで、ただ陰鬱とオーレリアを監視する。その日も彼女は多くの人間に賛辞される。その姿を眺めるほどに、己の惨めさが浮き彫りになって、乾いた笑みが落ちる。妹に声をかけた男の一人に、目をとめたのは、そんなときだった。
(あれは……)
彼は、オーレリアに、一輪の花を差し出す。白い花弁をもった、楚々とした花。匂やかに濃くただようのは、たっぷりとあまい蜜のかおり。
遠目に眺めたあと、気になって男から離れた妹に問いかけると、彼はランスター男爵といい、兄の友人を名乗ったという。それにしては兄と年が離れすぎていた。妹もそれに気づいて、疑惑の滲んだ目で彼を見ていた。しかし、そのときばかりは、聡いはずの妹が、それ以上の真実には気付いていない様子だった。使用人も、兄も、妹も誰も気づかない。真実に気付いたのは、クラリッサ一人。その事実に戦慄したあと、クラリッサは逸る思いを押さえて、その男に近づいた。
「こんばんは」
近寄って見ればよくわかる、うつくしい男だった。蜜のようにあまい金の髪と、透き通るような空の瞳。白い輪郭はほっそりとした中に確かに男をのこし、そのまなざしには、濃くかおる色香があった。オーレリアに渡した花のうつり香か。彼からは、あまい、かおりが漂った。いつか嗅いだ匂いをまとわせた男と目を合わせれば、事実は容易にクラリッサの中で符合した。
「――あなた、アレン・ホワイトね」
確信とともに言葉をかけると、男は当惑した様子でクラリッサに答えた。
「……失礼。どなたかと、お間違えではないでしょうか……私の名前はアルヴィン・ランスターです……誠に残念ながら、貴女とお会いするのは初めてです、もっと早くお会いできたらよかったのですが」
気遣うように、人の間違いを訂正する。その様子には、演技としてのわざとらしさも淀みもない。彼の目には、困惑がある。知らぬ相手に別の名で呼ばれた、その混迷があまりに自然に顔の上に乗せられていた。常人ならば、それに騙され、人違いだったと謝罪の言葉を述べただろう。しかし、クラリッサは騙されなかった。
「あら、本当はそんな名前だったのね、だけど。他人の振りをしても無駄よ。だって、私」
目の前の男に対して、満面の笑みを浮かべたのは、そのときが初めてだった。
「人の顔色を伺うことが、趣味なの」
だから、当然あなたの顔も本性もよぉく、覚えているわ。両の手を合わせ、首を傾けて、彼の顔を覗き込むように笑む。更に一言、オーレリアよりも、ね。と、付け加えれば、青年の顔から、完全に笑みが消えた。
「それは……とても素敵な、趣味ですね」
彼の仮面が剥がれ落ちた。仮面の下から現れたのは、最後に見た、あの、朝の暗闇よりも、昏い瞳。
「ふふふ。ねえ、アレン……髪の色も染めないで、ほとんど同じ姿で現れたのに、誰よりも気付いて欲しい人は、気付かない。オーレリアには見つけられなかったのに、私なんかにばれて、どんな気分?」
「さて」
目を逸らし、彼は身をひく。踵をかえそうとしているのが分かり、クラリッサは彼の心を引き留めるように、言葉を連ねた。
「あの何も持たない子供が、男爵位なんてどうやって手にいれたのかしら。まさか、盗み取ったの?」
とっておきの冗談だったが、男はクラリッサを一瞥するだけで顔をそらした。そうして立ち去ろうとする男の背に、クラリッサは慌てて問いかけた。
「ねえ、男爵」
こんなにも、心を躍らせたのは、何年ぶりだろう。少女のように頬を染め、愉悦に顔をとかして、クラリッサは、すこしでも彼を引き留めようと必死に声をかけた。
「オーレリアはますます綺麗になったでしょう」
「ええ」
間髪入れず、男が頷いた。
「そして、傲慢だ」
そして、男はクラリッサの前から立ち去った。最後に見たのは、男の目に宿る、ほの暗いもの。アレン・ホワイト。六年の歳月を経て、オーレリアの前に、再び姿を現した元使用人。クラリッサは震える体を、自らの手で抱きしめる。興奮に顔が熱くなるのが、分かった。そして彼女は、その後に続く激動の予感に打ち震えた。