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クチナシの花に復讐を  作者: 松井駒子
ある伯爵令嬢の毒白
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1

 オーレリア。いつも誰かに愛される、あなたはとても美しく――残酷だった。

 その日は、人々の心を写し取ったように、しとしとと長く冷たい雨が降っていた。寄りあう傘がいくつも開いて、黒い花が墓地に咲く。地雨したたる中集うのは、黒い服の男女の群れ。掘り返された大きな穴に、濡れた土のにおいが鼻につく。手が滑らぬように注意して、男たちは重い棺を深い地の中へ――強まる雨脚は、男たちを辟易させていた。


 それを眺めて、クラリッサは目元にハンカチーフを押し当てる。泣かないことを決めたのに、気を緩めれば溢れる涙にまなこが濡れる。唇を引き結び涙に耐え、零れそうになる雫を白いレースで拭い取った。


――これはきっと、罰なのだ。


『ある伯爵令嬢の毒白』


 ブランソン伯爵家の長女、クラリッサは平凡だ。

 それを、十八歳になった彼女は的確に理解していた。鏡の前に立つことは、いつもストレスを伴う。鏡に映りこむのは、何度見ても平凡で価値のない女の顔。いくらドレスを新調し着飾っても、それは滑稽でしかなく、いくら化粧で塗り固めても、ごまかしのきかない事実。

「…………」

 鏡面に触れて目を閉じれば、自然と脳裏に母の姿が浮かぶ。

 母は違った。彼女は、美しかった。父をはじめ、数多に愛し愛された美しい女。

 クラリッサはそんな母に全く似なかった。性格も地味で人の顔色ばかり窺うばかり。いつも誰かの言いなりで、その命令に逆らえない。

「美しいよ、クラリッサ」

 そんなクラリッサの心情を逆なでするように、心のこもらぬ浮ついた世辞が、彼女をなぶった。声の主を求めれば、鏡越しに男と目が合う。髪に白いものが混じる男は、父に命じられるまま嫁いだ二十も年上の夫。彼はさも当然のように、クラリッサの両肩に手を置いて、微笑んでいた。両肩に置かれた手は、彼女の肌を撫でる。その手が、僅かに彼女の乳房を掠めたことに気付いて、クラリッサは内心眉を顰めた。彼は美しくもないクラリッサの、白い身体に夢中なのだ。

「ありがとう、あなた」

 控えめに微笑むと、満足げに夫は笑う。男は丁寧に隠したつもりだが、下卑た笑みは隠せない。見え透いた下劣に嫌悪がこみ上げたが、それを顔に出すことはできない。

「では、下で待っているよ」

「ええ、わかったわ」

 何も気づかず立ち去る夫を見送ると、彼女は一人鏡と向き合う。そこにいたのは、平凡で――疲れた女の顔。

 母は、美しかった。父をはじめ、数多に愛し愛された美しい女。彼女は一種のカリスマで、父は彼女の心捧者でありしもべだった。あの閉じられた空間は、思い出すだけで息が詰まる。クラリッサはいつも、母のことが恐ろしかった。あの完璧な女に見下ろされるだけで、心臓を握られたようだった。だから、九歳になった春、母が妹を生んで死んだとき、クラリッサは心の底から安堵し――妹の存在に歓喜した。

「オーレリア……」

 咄嗟に助けを求めるように、妹の名前を呼んでいた。鏡に縋り、涙に耐える。

 こんなものが、欲しかったわけではない。カーテンの閉じられた室内。ここは日の光が遠い。頭の中では、ずっと同じ光景が繰り返される。陽だまりの中、無邪気に笑う妹。その笑みはあまりに眩しく、きっと今のクラリッサには正視することはできない。それでも――光を求めることをやめられない。


 嫁いで一年。クラリッサは猛烈に妹が恋しくなった。美しく、可愛らしい妹の姿を夢想し、夫に掴まれた肩を、クラリッサは手袋でぬぐい取った。そして性急に、化粧台に並べられた瓶のうち、もっとも小さな小瓶に手をとった。あとはもう、ただただ必死だった。


 その夜。クラリッサの一人目の夫が死んだ。


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