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裸のエスメリア

たしかに、「一般的」とは戯言で、人は誰もが変人なのかもしれない――――――――。



ユラ・ミヤンは溜め息をついた。グツグツと鍋の噴きこぼれそうな音が聞こえ、閉じていた目を慌てて開ける。目の前には今夜の食事。町で仕入れたばかりの新鮮な野菜と肉をじっくり煮込んだシチュー。隠し味はガーリック。自分の好物であり得意料理だ。いつも多めに作って2日は持たせるのだが、今回は一晩でなくなってしまいそうだ。火を止め、2人分のお皿に盛りつける。そう、「2人」分の――――――――。



「いただきます」


意外にも礼儀正しく手を合わせて、彼はシチューをすくい始めた。長い銀髪が肩からこぼれ、シチューに浸かる。……っておいおい。


「あの、髪!!浸かってますよ!」

「問題ない。私はこんなことで穢れる存在ではないのだから!」

「いや、意味わかんないんですけど!」

「この真理が理解できないのか!?何故だ!いや、いい、言わなくともわかる。女神とは到底理解されぬ次元の存在なのだ。それゆえに美しい!それゆえに気高い!!それゆえに!!!焦がれる!!!!ああん!!!!!」


まずい、また妙なスイッチが入ってしまったようだ。悶えるように身をくねらせるエスメリアの動きに合わせてシチューの付いた銀髪が揺れる。飛び散ったシチューが彼の服やテーブルクロスを汚した。ああ、どうしてこんなことになってしまったのか。ユラは2度目の溜め息をついた。


夕暮れの出逢い。それはそのまま別れになるはずだった。しかしどうしてか、空腹を訴え急に崩れ落ちたエスメリアをそのままにもしておけず、そうはいってもどうしてか、こんな変人を、わざわざ、どうしてか、ユラは自宅に招いてしまったのだ。こんな危険人物、一体全体どうして拾ってしまったのか。


「美味であったよ、シチューさん」

ぺろっ

「はあ……、女神様のお口に合うものでよかったです……。」


まずい、自分も何を言ってるのかわからなくなってきた。


「あの、よかったらお風呂もどうぞ。髪洗った方が……じゃなくて、その、服、洗濯しておきますから。着替えもご用意しますし。」


そのシチューまみれの姿でこれ以上部屋を汚さないでください。と、心の中でだけ付け加える。


「女神の水浴びか……良い画だ。」


何やら予想外の方向で説得に成功したらしい。タオルを渡し、ひととおりの説明を終えて彼を脱衣所に押し込んだ。シャワーの音が聞こえてくるのを確認してから、その場を離れる。着替えを取りにいかなければならない。


「でも…」

ユラは2階へと続く階段を上りながら考える。何だかんだここまでとんとん拍子で進んできたように思える。不思議な森で出会って、仲を深め合って、立ち話も何だから家に招いて、どうせだから一緒にご飯食べて、どうせだからお風呂入ってもらって、どうせだから着替えも貸して~とか、よくあるパターンかもしれない。



いや、ないか。冷静に考えてそれ何のパターンだよ。とんとん拍子ってなんだよ。私は何を企んでいるんだよ。ないない。

一人ツッコミをかましつつ、本当に私はどうしてしまったのかとここに来て真剣に考え始める。知らない人を家にあげるとか。何これ。仲のいい友達なら分かる。けど彼は見ず知らずの男だ。それも「我女神なり」という自己暗示で身を強化している不審者なわけで。もし女神様がおられるならその思想が一番冒涜につながってるんだよっと。そのことに早く気付けよっと。


まあ要するに世間一般から見れば彼は危険人物なわけだ。彼からすればその「一般」というものこそが誤った概念であり、駆逐したい邪悪であり、個々が生きてそれぞれの歴史を紡ぐ以上、そこに普遍的価値観など存在しえないということらしいのだが。


うぅむ。別に言っていることが理解できないわけではない。何を「変」とするかは個人の自由で、仮に大衆や世間といった集団が存在せず全てが「個」でしかないなら一般という概念はなくなるのだろう。確かにそうだ、その通りだ。その通り、か?いやもうその通りでいいからさ。


とりあえず何平気な顔して他人の家に転がり込んできてるんだっていう話。これ。今問題なのはこれ。これこれ。確かに連れてきてしまった自分に落ち度があるのかもしれないけど、それはあれだ。冷静な判断が出来ない状況だったからで、できることならこの非現実エスメリアをクーリングオフしてしまったほうがいいに違いない。


というかこれまでの流れで仲を深め合った覚えが一度もない。一方的に危ない思想は聞いたけど、いまだに会話が成り立っているのか怪しい。彼の思想をヒートアップさせることはできたけど、ご飯を美味だと言ってくれたアレ、ご飯に話しかけてたよね。お風呂すすめた時は自己の陶酔にふけっていたし。


そもそも出会いからして尋常ではなかった。慟哭だか歓喜だか知らないが、いきなり極大の魂の叫びをぶつけられたのだ。並の大人でも一歩間違えれば昇天してしまうほどの大霊圧。その叫びで今までどれだけの人の魂を食らってきたのかと思わず妄想してしまう。そんな危険行為を平然と行う時点で既に異常者なのだが、驚くべきはその瞬間まで自分以外は誰もその場にいなかったということ。音も、気配もなく、いきなり存在が発生したのだ。それはまるで時間でも止められたかのように、気づいた時には彼がいた。背筋が凍るような、まさしく神業。そしてそれを打ち砕くほどの「声でかッ!」というインパクトと、それをさらに上回る耳がキーンとしたことへの不快感。まるで冷静でいられない。そのような状況下であればわけも分からず家に招くことになってしまっても仕方ない。そう、仕方なかったのだ。


まあ、悪い人ではなさそうだし。言ってることは狂気そのものではあるけど、そんな彼を餓死させるほど非情になりきれなかったというのが理由なのだろう。何にせよ家に呼んだ以上もてなすのがマナーだと思うし、ご飯もお風呂も自分にとっては当たり前の気遣いに含まれる。ならばこそ今は。


「着替えの用意、だね」

二階の部屋に辿り着くと一応鍵をかけ、クローゼットやチェストの中から、彼に合いそうな服を探す。

探す。とりあえず一通り探す。


「………はあ。」

手を止め少しうなだれる。考えてみればすぐにわかることだった。彼と自分は体格が違うのだから服を貸すのは難しいじゃないか。


エスメリアは美形で長髪であるが、見た目は女性とは言い難い。背は男性として比べても高い方で、肩幅も決して狭くなく、腰は細い。おそらく筋肉も適度についているのだろう。鼻筋の通った顔には薄い唇と切れ長の目。宝石のような金色の瞳は冷ややかさを感じさせつつも、確かな意志を宿している。男の中の男というほど、そう男くさいわけでもないので、そりゃ中性的といえば中性的なのだけど、女みたいな雰囲気とも言えるかもしれないけど、でも違うのだ。パッと見で間違えることは有り得ても、しっかり見れば女性には見えないのだ。それで女神目指すってどうなのよ。ああでも美しさとしては合格なんだろうか。いやでも性別の壁って彼にとっては大きいんじゃないんだろうか。神になれたとしても彼が女性でないと「女神」と呼ばれることは決してないよね?いや待て待てその前に神様になるってどうやるんだ。


「って、そうじゃなくて」


今は服だ。服。彼の女神道について思案している場合じゃない。目下の問題は彼に合う服が無いということだ。ユラは自分好みの服しか置いておらず、そのほとんどにレースやらフリルやらリボンやらがついているし、サイズに余裕のあるゆったりした服もない。部屋着にしても、細身のワンピースを愛用しているので彼には無理だ。しかし用意をすると言った以上、どうにかしなければならない。あれだ、こうなったら布なら何でもいいか。申し訳ないけど。あっちの衣装ケースに使っていないシーツがあったはずだ。


「あった、これこれ」


これをなんとか体に巻きつけてもらおう。適当な紐で腰のあたりをくくればそれらしくなるだろう。なんの飾り気もない白のシーツだけど、カーテンに比べたら肌触りは良いし。今夜は泊まってもらって、明日の朝お店が開く時間になったら服を買いに行こう。洗濯中の彼の服は布が多かったから、明日のお昼まで干していなければきっと乾かない。よし、そうだ。そうしよう。


そうしてとりあえずの目的を果たすと、やめたはずの思考が再び始まる。もう家で接待することになったのはいいとして、とりあえず色々聞いてみたい。女神への志望動機とか、女神への自己アピールとか、何で女神なのかとか。ていうか本気なのか。お前はいったい何なのだ。


「──────知りたいか?」

「ぎゃッッ!!!!」


振り向くとエスメリア。

裸の、エスメリア。

全裸待機だよ、エスメリア。


またもや音も気配もなく、施錠さえも超えて、急に出現したエスメリア。この家の階段は面倒な螺旋階段であるのに、いつの間に上ってきたんだエスメリア。だって今の今までシャワーの音が聞こえていたのにエスメリア。いや待て、シャワーの音がここまで聞こえてくるってそれもおかしいんじゃないか。もはや物理法則を無視しているとしか思えない異常事態のエスメリア。頭の中で警鐘が響き渡る。やばい、やばいぞ、こいつはぁ、ほんまもんの変態だぞエスメリアッ!!


「あ、あの!ですね!」

「エスメリアだ。」

「そうではなく、お風呂に入られていたのでは」

「もう三十分以上経過している。」

「それは確かに、そうですけど!」


見ると確かに全身が乾いて…ないのかい。タオル渡しましたよね?ご自慢の長髪もそのまま濡れっぱなしのビタビタ。階段もこの部屋も当然ビッタビタ。三十分以上経過しているとかいいつつ、お前もそれと同じ時間お風呂に入ってたはずだろと言いたくなるが。ああもう、この際物理的におかしいとか床が水溜りになってるとか別にいいから。


「とりあえず服!着てください!」

「ない。」

「!!!!」


あれっそうだっけ?そうか、そうだった。この状況、まずいぞぉ。勝手にお風呂に押し込んで、勝手に服を洗濯機に入れてしまい、服を持ってくると言って三十分以上戻ってこない。おまけにその着替えがない。あるのはこの手にあるシーツだけ……。あ、そうだった。


「こっ、これです、これ!早く!これ!この布をなんとかして!早く着てください!!」

「なんとかとはどうすれば?」

「この!紐で!なんとかしてください!」

「なんとかとはどうすれば?」

「なんとかしてくださぁぁぁぁぁぁぃ!」

手早く投げ渡すとユラは足早に水溜りと化した部屋を出る。


ああもう!戻るのが遅い自分も悪いとは思ったけど!まだ二十を過ぎたばかりの女子の前に!裸で現れるってどういうことなのエスメリア!どこまで変人レベルを上げれば気が済むんだエスメリア!


「…………」


ああでも。


でもやっぱり。


最初から思ってたけど。


「顔は綺麗だよなぁ」


先刻とは少し違う色の溜め息をつく。


ユラは、重度の、それはもう、重度の――――――――――――――――――――――――――







面食いだった。






実はそれだけの理由で、エスメリアという怪しい男を家に招いてしまったユラもまた、誰かからすれば、変人と呼ぶにふさわしいのかもしれない。

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