慟哭のエスメリア
リレーの仕方:特に区切りがあるわけでもなく、書きたいだけ書いて次の人へ。前の人が書いたのを改変するのもアリ。そんなかんじで2人でやっていきます。
「うおぉぉぉぉぉおおおおおオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」
「うきゃぁぁぁぁぁあああああアアアアアアアアアアア!?!?!?!?!?!?」
空が紅に染まりし黄昏時。
2つの叫びが静かな空に轟いた。
そうして2人は、出逢った―――――――。
「もう!びっくりしたじゃないですか!何なんですかあなた!」
「……。」
「心臓止まるかと思ったんですけど!何なんですかあなた!」
「エスメリアだ。」
「人の背後で急に叫び声上げるなんて!何なんですかあなた!」
「女神になろうとしている。」
「めが……」
エスメリアと名乗った人物。その髪は夕日で赤く染まっているが、豊かな銀髪であるのが見て取れるだろう。緩やかに波打ち、腰まで届くその銀色に包まれているのは整った顔とバランスのよい身体。すらりとした手足にふさわしい長身。
どこを見ても隙のない美しさはまさに女神といっていいはずだ。が、いつ誰に主張しても、返ってくるのは同じ問いかけである。
「えっと、失礼ですが、男性です、よね?」
この台詞を、エスメリアは何度聞いたかわからない。
「今は。」
「いや、この先も男性ですよね?」
「いつかは女神になるのだ。」
「えっと、どういうことでしょう?」
「女神になりたいのだ。」
「あっ、危ない人でしたか。失礼、私そろそろ帰りますね。こちらこそ叫んだりしてすみませんでした。ではさような…」
「待つんだ。我思うゆえに我あり…知ってるか?」
「…え゛?」
逃がすまいと肩を掴めば、相手は意味が分からないといった表情をして怯えている。引かれているといったほうが正しいかもしれない。だがエスメリアはこれしきで動じる男ではない。彼の世界にとって目の前の女性の表情などどうでもいい事象だ。
「そう。我思うゆえに我思う。ゆえに我思うゆえに我思うゆえに…」
いつの時代、どこの世界にでも変人というものはいる。露出狂であったり、幼女好きであったり、厨二病であったり。その性癖というものは実に多種多様で興味深い。それこそこの世界には星の数ほどの変人がいるのだろう。というのも自分にとっての当たり前とは、他人にとっての当たり前ではないから。自分らしく生きるということは、他人と違うことを肯定しているから。つまり私たちは個性を持つことで、周囲との隔絶を内包しているのだ。
「私とあなたは違う。」
「あなたは私と違う。」
「私は普通で、私が正義。」
「だからあなたは私にとって普通ではない、変人。」
本来万人が万人にとっての変人なのだ。しかし現実はそうではない。お互いの個性を認め合い、受け入れ合うことで、個々が持つ自分だけの「普通」を拡大。妥協的で平均的なその「一般常識」は、その枠内にいるものを束ね強大な集合体へと変える。例えば一人のポリスメンと百万人の変態集団がぶつかれば、言うまでもなく数の少ないポリスメンが一方的に変人へと成り下がることになるのだ。
これが差別や迫害や偏見につながるわけだが、実のところそこには正しさなど存在しない。なぜなら絶対的な正義など存在しないのだから。モラルや法という「一般常識」は、あくまで大体の人がとりあえず納得するであろうなんとも曖昧な枠なのだ。人を殺してはいけない、という常識に対して、はたしてそれが宇宙人や神に通用するだろうか。もし宇宙全土がそれを否定するなら、それを信じる私たちは変人以外の何者でもない。結局のところ、私たちは皆が変人。形こそ違えど各々が自分の信じる狂気(せいぎ)に従い生きている。
なればこそ彼、エスメリアは何もおかしくはない。まっとうな神経で、まっとうな思考回路で、ただ自分の信じる狂気を貫いて生きているだけなのだから。それを否定することなど誰にもできない。はたから見てそれがショート寸前の壊れかけ思考回路であったとしても、本人にはそれがいい具合のチューンナップなのである。今回もまた一人ドン引きさせてしまったが、何も問題ない。他人と同じ常識下にいる限り、常識的にしか生きれない。女神になるどころか、一般女性になれるかも分からない。だから最後まで信じようよ自分。周りの顔色伺っていないでさ、さらけ出しちゃおうぜ、自分。
「ゆえにッ!!我思うゆえに我あッッ!ンあああああアアアアアーーーッ!!!!!!!!」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
──────これはエスメリアが周りからの迫害や通報に負けず、自らの狂気(せいぎ)を証明する物語。ただただ女神になりたい、澄み切った蒼穹のごとき心からは優しい夢があふれ続けている。