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ばればれアイラブユー

たたかえ、女子高生!

作者: くまこぶた

 私、櫻千佳16歳は怒っている。

 公立高校の薄っぺらい夏服セーラーを着て、疾走している。

 今日も灼熱といっていいほどの暑さをもたらした太陽は陰り、ヒグラシは物悲しく鳴いている。

 もうすぐ、夕方の鐘がなるだろう。

 街灯が何度か瞬きを繰り返したあと、鈍い光で道を照らす。

 夕餉の香りに、お母さんの顔を思い出す。

 目から自然とあふれる涙を乱暴にぬぐって、私はマンションに向かって、彼に怒りをぶつけるために、走っている。

 私が目指す先にいるのはセリヌンティウスではない。ユダだ。


 彼と初めて会った日?

 それは、思い出すのが難しい。物心つくころには、私は彼を自分の庇護者として認識し、疑問に思うことなく懐いていた。

 しかし、私が小学校に上がる前に彼は海外留学へ行ってしまい、その後、疎遠となったのだ。

 私が中学生になったある日、彼と姉との婚約が正式に発表されるまでは。


 私の家『櫻』はいわゆる旧家。父は、財政界で幅を利かせている総合商社の代表取締役だ。彼の一族『北原』は戦前からの政治家を生業にしている。彼の父も国会議員である。絵に描いたような政略結婚は、もう彼らが生まれた瞬間から決まったも同然のことだった。

 知らなかったのは、私と、まだ幼い妹くらいだ。

 

 『千佳ちゃん、万由ちゃん、もうすぐお義兄さんになる優治まさつぐさんですよ』


 その日、姉の百合ちゃんは、とてもうれしそうに彼の隣に立っていた。

 彼は、少し気恥ずかしそうにしていたが、百合ちゃんと笑みを交わす姿は、どう見てもお似合いの二人だった。

 

 だから、思わなかった。

 だから、気づかなかった。

 百合ちゃんの思いなんて、百合ちゃんの願いなんて、百合ちゃんのことなんて、知らなかった。


 私と百合ちゃんは母親が違う。

 百合ちゃんは先妻の子で、私と万由ちゃんは後妻の子だ。

 先妻の十和とわさんは、百合ちゃんがまだ幼いころに病気で亡くなったそうだ。

 父は政略結婚で寄り添うことになった十和さんをそれはそれは愛していて、その死を悼み、長く長く塞ぎこんでいた。父は妻の忘れ形見の百合ちゃんをよすがに生きていくのだろうと、誰もが思っていた。

 しかし、父は責任感の強い人で、櫻家には跡取り息子が必要だと、後妻を迎えることにしたのだ。それが、私の母である。

 そして、笑ってしまうことに、出来た子どもは女児だった。

 だからといって、父が母を責めることはなかった。むしろ五月蠅い親戚たちをたしなめ、少しずつ、十和さんや百合ちゃんに向けていた愛情を、母や私にもくれるようになった。

 妹の万由ちゃんが生まれた時には、跡取り問題など関係なくなっていたと聞く。


 私たち姉妹は、仲のよい姉妹だったと思う。

 互いを「ちゃん」づけで呼び合い、一緒に買い物に行ったり、一緒に料理を作ったり。

 百合ちゃんが彼のように海外留学をしていた時期を除けば、休みの大半を一緒に過ごしていたようにも思う。

 百合ちゃんは、とにかく妹に優しい姉だった。

 妹の我がままに、いつでも付き合うような姉だった。

 いま思えば、一人だけ母親の違う引け目があったのかもしれない。

 母は私たち姉妹を平等に扱っていた。むしろ実子への躾のほうが厳しかったと言える。私はひそかに百合ちゃんをズルイと思っていた。

 一度、そうこぼしたら、百合ちゃんには珍しい悲しげな顔で

 『私は、千佳ちゃんのほうがうらやましいな』

 と、言ったのだ。

 あの時、私は幼すぎてその意味がわからなかった。


 わかったのは、大学卒業をした百合ちゃんと彼の結婚式当日だった。


 自分の家族がこの日を境に違う家の人間になる、というもやもやを抱えて、その日私は妹と式場のロビーをウロウロしていた。学校の制服を着ればいいだけの私と妹は、大人たちのようにドレスアップする必要もないため、完全に手持無沙汰だった。

 暇のつぶし方も尽きて、小学生の妹としりとりを始めた段になって、血相を変えた母に私は花嫁控室に連れて行かれた。

 そこで、告げられたのだ。


 花嫁の失踪を。


 携帯は通じない。式場の周辺に姿は見えない。彼女の友人たちも心あたりはないという。

 青ざめた彼と両親たちは、ここでとんでもない計画を立てた。


 私を、百合ちゃんの替え玉にしたのだ……。


 絶対にばれる! と暴れる私に、背格好が似ているから大丈夫。化粧濃いめにするから大丈夫。と、大人たちは気休め程度のことばを口にする。

 今回の式の列席者はそうそうたる顔ぶれである。無理を通して出席してくれた財政界の重鎮がたくさんいる。いまさら中止や、延期が無理だと、土下座でもしそうな勢いだった。というか、されたのだ、彼に。

 『ごめんね、千佳ちゃん』

 力なくそう言う姿に、私は同情したのだと思う。

 そして、結局、押し切られた私は中学卒業を間近にしているとは言え、女子中学生の身の上で結婚式と披露宴を花嫁として体験したのである。


 櫻家と北原家の情報網をすれば、すぐに見つかるだろうと思っていた百合ちゃんの足取りは一週間たってもつかめず、警察の力を借りようと思い始めた頃に国際電話がかかってきた。

 百合ちゃんは聞いたこともないようなすがすがしい声で、いま、異国の地にいること、仕事を探していること、心配する必要はないことを告げてきた。


 『私、今までずっと息苦しかったの。これからは自由に生きようと思う。ごめんね、千佳ちゃん』


 そうなのか、そうだったのか、百合ちゃんに捨てられたのだ、私たち家族は。そして、彼は。

 どうしてこうなる前に言ってくれなかったのか、どうしてなんで、と繰り返し、泣きじゃくる私にこたえてくれる声はなかった。


 この電話の後、北原優治は仕事の傍ら、世界中を飛び回ることになる。

 百合ちゃんに会って、直接話すために。できることなら、私たちのもとへ連れ戻すために。


 しかし、ここで問題が生じた。

 表向き新婚の家に嫁の姿が見えないと、勘繰られる危険性。

 そう、櫻家と北原家の醜聞はゴシップのネタになる。そして、もうすぐ選挙戦が近い。

 そこで、二度目の土下座である。


 かくして、私と彼との同居生活が始まった。


 私はこのとき一つの条件を出した。かねてより願っていた公立共学校への転学である。幼稚園からエスカレーターのお嬢様学校にいた私は、漫画やドラマにあるような普通の青春にあこがれていたのだ。彼氏ができるかもしれないと浮かれていると

 

 『けっこう簡単な子だよね、千佳ちゃんって』


 呆れたようにつぶやかれ、私は彼に護身術で習っている合気道の腕前を披露した。


 新生活は思ったより楽しかった。父の後継者として育てられている彼は、忙殺されていて家にいないことが多くて、気が楽だったし、新しい学校ではお嬢様学校では見られないタイプの友人を得ることもできた。放課後に寄り道をして、恋バナをするなんていう、これぞ女子高生という体験もでき、自分に好意を寄せてくれる男子生徒の存在も知った。そして、この手の話を聞くと、私は彼のことをいつも考えてしまう自分に気付いた。


 すれ違いの多い生活の中でも、彼に関することを知る機会は多い。


 好きな食べ物は、焼き魚。嫌いな食べ物は、なす。

 けっこう大雑把で、料理は目分量。掃除は適当。

 強い香りは苦手で、香りつきの柔軟剤を洗濯物に使うと機嫌が悪くなる。

 タバコが嫌いで喫煙者を憎んでいる。

 深夜のバラエティ番組が好きで、録画している。

 独り言が英語になるときがある。

 仕事がたてこんでくると、口が悪くなる。

 髪を下ろすと幼い。

 五つ年上の兄がいるが、あまり仲がよくない。

 おせっかいで涙もろい。

 お土産を選ぶセンスがない。


 そして、一番、強く感じることは百合ちゃんのことが好きだということ。


 海外出張の合間に百合ちゃんを捜し、手掛かりがつかめなければ、私に頭を下げ、そのあとでリビングで一人、お酒を飲んでいる。手掛かりをつかめば、私の手をとって喜びを伝えてくる。

 国際電話で留学時代の仲間と連絡を取らない日はなく、眉間にしわを寄せて苦悩する姿を見たのは一度や二度ではなかった。

 私はそのたびなぜか胸がギュッとしめつけられる気がするのだ。

 この結婚は百合ちゃんにとっては政略結婚かもしれないけれど、彼にとっては違かった。

 私だったら、こんな思いはさせないのに。

 私だったら、絶対に幸せにするのに。


 そう、私は北原優治を好きになっていた。


 姉の婚約者とか、十以上も歳が離れているとか、いろいろな問題はあるけれども、このまま百合ちゃんが捕まらないなら、私と結婚する可能性もあるのではないか、と妄想するくらいには、彼のことを好きになっていた。



 だから、私は怒っているのだ。

 怒りに任せて走った私が辿りついた場所には、涼しい顔で文庫本を読む彼がいた。

 「おかえりなさい」

 私の怒気などお構いなしだ。

 「暑かったでしょ? シャワーでも……」

 いつもの調子すぎる彼にいら立って、私は壁に向かって腕を振りぬいた。

 鈍い音が彼の言葉を遮った。

 「知っているんでしょ? 」

 私の問いは、震えて自分でも情けないほどよわよわしかった。

 「何を? 」

 質問を質問で返した彼の目は、鋭かった。

 「君が僕のビジネスパートナーに何を聞いたかってことかな、千佳ちゃん」

 答えない私に、彼はあくまで優しく聞く。

 それだけで、私の目からは涙がこぼれた。

 「……百合ちゃんと、グルだったんだね」

 「そうだよ」

 胸元のポケットから出したタバコに火をつけて、彼は紫煙をくゆらせた。

 戦いのゴングが鳴ったのだと、私は息を吸い込んだ。

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