122章 巨人に立向う勇者
「上が随分騒がしいみたいだが……構わないのかね?」
霊峰ザオウの奥底。
鍾乳石が神秘的な陣を為す洞窟。
その一角に設けられた祭壇に優雅に腰掛けながら男は言った。
幾重にも丁寧に染められた布で織られた衣は、その男の身分が高貴なものであることを表している。
そんな衣を作法など無粋とばかりに粋に着崩し纏っている男。
歳の頃は30前後だろうか。
整ってはいるものの、どこか皮肉げに歪む口元が印象的だ。
何事にも冷めた様な視線も余計に拍車を掛けている。
何より言葉の端々には滲み出る知性と……計り兼ねる凶暴性が秘められていた。
「ええ、構いません」
男に応じたのは20半ばと思わしき黒髪の女性であった。
注連縄で囲われた祭壇にいる男の前。
鍾乳洞の地面に蝋燭で陣を構築し、その中央に正座している。
巫女服を纏い艶やかな黒髪を持つ女性は美しい容貌をしていた。
どこか侵し難い神秘的な雰囲気すら漂わせている。
だが女性の顔には不似合なものが幾つも浮かんでいた。
それは汗。
今も男の雑談に応じながらその手は複雑に印を刻み続けている。
一瞬たりとも気を抜く事は許されない。
そうでなければ自分の扱う術式など簡単に破壊されてしまう。
「やれやれ。君もいい加減諦めたらどうかね、岐神」
「貴方を自由にはさせません、天逆神。
いいえ、今では天邪鬼でしたか?」
「好きに呼びたまえ。
名称で我の強さや偉大さが損なわれる訳ではあるまい」
「では天邪鬼、と。
突如復活を遂げた貴方。
ここに霊峰に陣を張り貴方を捕えたのはわたくしです。
世界に災いを為す貴方達を見つけた以上、命を賭してでもそれを封ずるのが塞の神たるわたくしの務めなのですから」
「その自己満足に民が苦しむのを知っててもかね?」
「……ええ。民草には申し訳ないと思います。
未熟なわたくしではどう頑張っても必要最低限な結界しか維持出来ませんので……
それより貴方です。
わたくしの全てを以っても封じ切れない貴方の力。
亜神たるこの身では及ばない事は重々承知しております」
ですが天邪鬼たる貴方はこの世界に黄泉返り何をしようとするのです?」
「ふむ……強いて言うなら破壊、かね。
破壊の末に生まれる創造。
我は因果地平の彼方を見てみたいのだよ」
「夜迷い事を(ぎりっ)。
その為にどれほどの人が犠牲になるというのです!?」
「さあな。塵芥のごとき者共のことなど我は気にかけぬ」
「貴方という方は!」
「しかしまあ、我が封じられ二週間か。
君も飽きずによくもまあ続くもんだ。
だがいい加減飽きたな。
そろそろ我も余興に興じるとしよう」
「え……?」
祭壇から伸びた天邪鬼の手が、岐神が構築している陣へ触れる。
稲光のような閃光と衝撃を放つ結界。
やがて指一本分だけ結界外に飛び出た人指し指。
如何なる痛みと犠牲を払ったのか。
指は黒く焼き焦げ腐汁すらしたり落ちている。
「そんな……こうも易々と突破されるなんて」
「残酷な事を言うとな、岐神。
出る気になればいつでも出れたのだよ」
「なっ!?」
「絶望に歪み、無力に泣き叫ぶ君の顔が見たかったからこの茶番に付き合った。
何やら面白い奴等も盤面に揃った事だし、我も動く事にしよう」
言い様、天邪鬼の人差し指が中空に文字を描く。
それは因果を歪め、理を外れる証。
即ち過那。
「何をする気です!?
おやめなさい、天邪鬼!!」
「フフ……我が配下に命じ集めさせた鉱物資源がこのザオウにはある。
それと我が指を媒介とし、面白いものを具現させてやろう。
君は我をここに堰き止めるだけで精いっぱいのようだからね。
我が身を縛りながら無惨に殺されゆく民を見たまえ。
そして恐れ、悔いるがいい。
憂いるがいい。
嘆くがいい。
絶望するがいい
我が化身にして山の神たる特性の権現。
ダイダラボッチの力にな!!」
過那が完成し、天邪鬼の指に宿る。
それは禍々しい輝きを上げると指ごと地面に落ち、周囲の物質、特に鉱物を喰らいながら急激に成長していく。
「あ、ああ!!
なんて、なんてことを……!!」
天邪鬼を封ずる陣を維持するだけで岐神は精一杯だった。
それなのに自分に比肩しうる……いや、明らかに自分を上回る力を持つ眷属の降臨に絶望がよぎる。
「ククク……よいな、その顔。
充分時間を掛けて醸成した絶望。
まさに最高の味わいだ。
さあやれ、我が化身よ!
地に蔓延りし愚者共を殺し己が意を証明せよ!!」
祭壇に腰掛けたまま嘲笑う天邪鬼。
指令に応じるかのように鉱物を食み急成長する化身であり眷属であるダイダラボッチ。
霊峰を突き抜けるまでに巨大化すると、その威容を頂上にいた人々に見せつける。
闇夜に咆哮するもの、ダイダラボッチ。
川で手を洗うと民話に伝えられるその大きさは果てしない。
山が胎動するかと見紛うその質量。
反抗に盛り上がった人々の間から絶望の悲鳴と怒号が響き渡る。
「駄目だ……あんなのに勝てるわけがない!」
「逃げるしかねえ!」
「何処へ逃げるんだよ!?」
「逃げ場なんてねえぞ!」
喧々囂々。
突発的な事態に意見が合わず右往左往してしまう。
そんな人々に無慈悲に振り上げられるダイダラボッチの拳。
もはや巨大な岩としか形容できないそれが落ちてきたら死は免れない。
やがて振り下ろされる鉄槌。
巨大質量の移動に強風が巻き起こる。
人々は襲い来る死を前に身体を硬直させ、目を瞑った。
だが衝撃はいつまでもこない。
恐る恐る目を開けた人々は見た。
自分達を焚き付けてくれたアルティアと名乗る勇者が、たった剣一本で巨人の拳を受け止めた事を。
いかなる衝撃だったのか、その足元は膝まで埋まり周囲には蜘蛛の巣状にクレーターが広がっている。
「諦めるな!!」
アルティアから叱咤の声が掛けられる。
「諦めが人を殺す!
戦うと決めたなら前を見据え、絶望に抗い続けろ!!
不条理を砕き、自らの自由を取り戻せ!!
いつか倒れるその日まで!!」
その声に、その佇まいに、消沈した戦意が再び燃え上がる。
「こいつは俺が相手する。
皆は妖魔共を斃し、人々を一刻も早く解放してくれ!!」
アルの要望に人々は素直に応じ、熱い決意を秘め戦場を行く。
勿論足手纏いになるのが分かった為、残る者はいなかったが、口々に「御武運を!」「ありがとよ」「助かったぜ」など感謝の言葉を掛けるのを忘れなかった。
アルは苦笑すると力を振り絞り巨人の拳を振り払う。
脚力を活躍させ、一気に膝を地面から抜き聖剣を構える。
「さあこいよ、デカブツ。
俺が相手だ!!」
アルの言葉に容易ならざる相手と見たのか、構えを取るダイダラボッチ。
勇者対巨人。
魔戦の火蓋が切って落とされた。
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