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神保町の深淵と、銀色の羽毛

【前回の答え】C

シリウスの視等級は約-1.46等級です。数字が小さくなるほど明るくなり、マイナスの値になります。ちなみにDは満月の明るさに相当します。

1. 知識の墓場、あるいは武器庫

神田神保町。そこは数百万冊の死者が眠る巨大な書庫であり、同時に、この「クイズ社会」を生き抜くための弾薬庫でもある。

休日の天智慧は、異世界へと消えた友人・鈴木太郎の安否を気にかけつつも、埃と古いインクの匂いが漂う古書店の迷宮を彷徨っていた。目的は十九世紀イギリスの風狂な植物学者が遺した手記だ。

「……三冊目の棚、上から二段目。あなたが探しているのは、それじゃないかしら」

低く、静かな声が書架の陰から響いた。

心臓が不自然な拍動を刻む。目を伏せたまま振り向くと、そこには佐伯玲が立っていた。彼女は一冊の分厚い革装本を手にしたまま、氷のような視線をこちらに向けている。

「佐伯さん……。奇遇だね、君も『武器』を探しに?」

「いいえ。私はただ、静寂を求めていただけよ。あなたという『騒音』が来るまでは」

その瞬間、玲の網膜に警告色が走った。僕が明確な意志を持って視線が合わせたのだ。この社会において、それは宣戦布告と同義である。

『バトル開始。天智慧(Rate: 2877) vs 佐伯玲(Rate: 2811)』

現在のレート差は66。

しばらくお互いの手の内は見せあってきた。これ以上の隠し球が無いのだとすれば、勝つ自信はある。もちろんこの戦いは、僕にとってもハイリスクな博打だ。勝てばレートは2919へと跳ね上がるが、万が一敗北すれば58ポイントを失い、学校一の座から転落する。

僕は眼鏡のブリッジを押し上げ、思考のギアを最高速へと入れた。


2. 0.1秒の攻防

『第一問:歴史。15世紀、グーテンベルクが活版印刷技術を確立した際、最初期に印刷された聖書の装丁には、一部の特権階級向けに、ある動物の胎児の皮を用いた最上級の羊皮紙が使われました。その呼称は何?』

大衆向けの知識ではない。AIは、僕たちの蔵書レベルを読み取っている。

「ヴェラム(Vellum)」

玲が、僕が口を開くよりコンマ数秒早く答えた。

『正解。佐伯玲、1ポイント。次、第二問』

『第二問:音楽および文学。19世紀の作曲家ベルリオーズが、ゲーテの『ファウスト』を題材に作曲した劇的物語『ファウストの劫罰』。その劇中で、悪魔メフィストフェレスが歌う有名なアリアにおいて、ある昆虫を擬人化して風刺していますが、その昆虫は何?』

玲の眉がピクリと動く。今度は僕の番だ。

「蚤。『蚤の歌』として知られている。ハインリヒ・ハイネの訳詩でも有名だね」

『正解。天智慧、1ポイント。1対1。』

その後も一進一退の攻防があり、互角の状況が続く。

冷気が漂う古書店の店内で、僕たちの脳細胞だけが沸騰していた。

玲は、僕の知識の深淵を計ろうとしている。僕もまた、彼女の「空白」を探していた。


3. 完璧な少女の「アキレス腱」

4対4、同点だ。玲は学校では実力を隠していたらしい。知識の質では僕よりも深いところまで潜っているようだ。まずいな…焦りが思考力を低下させる。

『最終問題:ライフスタイル・現代文化。近年、SNSやファンの間で、「推し」のキャラクターやアイドルを象徴する配色を用い、日常的に身につけるために自作されるヘアアクセサリーを総称して何と呼ぶ?』

玲の表情が、初めて困惑に染まった。

「……推し? 配色……? アクセサリー……?」

彼女の脳内ライブラリには、おそらくプラトンの『饗宴』からシュレーディンガーの方程式まで網羅されているだろう。しかし、現代の「推し活」という俗で熱い、非論理的な情熱が生み出すスラングは、彼女にとって教養とは捉えられない「ノイズ」に過ぎなかったのだ。

「……概念を、身に纏う……? いいえ、色の……配置……?」

玲が、絞り出すように答える。しかし、その声は自信に欠けていた。

『不正解。タイムアップ。天智慧、解答を』

「正解は――『推し概念バレッタ』だ。佐伯さん、君は論理的すぎて、時折『非合理な流行』というデータを見落とす癖があるね」

『正解。勝者、天智慧』

『レート変動:天智(2877 → 2919)、佐伯(2811 → 2769)』

玲という同格を下すことで、ついに、僕のレートは2900の壁を突破した。


4. 招待状と、銀色の悪魔

『リワードを確定します。勝者・天智慧。政府直轄「能力開発施設・特区101」への特別招待券を授与』

僕のスマホに届いた、禍々しいほどに漆黒なQRコード。

その瞬間、玲が「ハッ」と息を呑んだ。

「……特区101……。 あなた、そこへ行くつもりなの?」

「え? ああ、政府の最高機密施設? 古書店巡りよりもっと珍しい資料に出会えるかな……」

「…………」

玲は何かを言いかけ、しかし唇を強く噛んで黙り込んだ。その瞳には、恐怖とも、言いようのない警告ともつかない色が混じっている。彼女はこの施設について、僕の知らない「何か」を知っている。しかし、敗者に語る権利はないと言わんばかりに、彼女は視線を逸らした。

けれど、システムの非情な執行は止まらない。

『敗者・佐伯玲へのペナルティを執行します。種目:【くすぐりの刑・レベル3】』

「……え? ちょ、ちょっと待って! 私は、そんな……っ!」

書架の陰から、多脚型の小型ロボット「ティックル・マークII」が、機械的な関節音を響かせて這い出してきた。その先端には、科学的に「もっともくすぐったい振動」を発生させる、銀色の超極細羽毛ブラシが装備されている。

「いや、来ないで……あ、あはははっ! やだ、やめてって言ってるでしょ!」

玲の細い足首がロボットのアームに固定される。

「あはははっ! ははっ、助けて……っ! 苦しい、あはははは!」

あの、近寄りがたいほど凛としていた佐伯玲が、古書店の床で身悶えし、顔を真っ赤にして涙目で笑い転げている。

「あははっ! もう無理、死んじゃう……っ! 天智くん、お願いだから……っ!」

いつも「ゴミを見るような目」で僕を見ていた彼女の、無防備で、幼い少女のような爆笑。

そのあまり愛らしさと、普段とのギャップに、僕の心臓が不意に、今までどの難問を解いた時よりも激しく鼓動した。これは、何だか、いい…。

僕は慌てて顔を背けたが、耳に残る彼女の楽しそうな笑い声と、床で跳ねる彼女の残像は、2919の知力を持ってしても脳内メモリから消去することは不可能だった。

もちろん玲は不機嫌になった。完全にとばっちりだと思う。


【問題】

クイズの最後に出た「バレッタ」について。バレッタとは髪留めの一種ですが、通常、裏側にある金具で髪を挟んで固定する仕組みになっています。では、バレッタはフランス語でなんという意味でしょうか?

A 小さな棒

B 焼き菓子

C 細長い魚

D 稲妻


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