時空を切り裂く一撃
【前回の答え】
D. エンジェルフォール
断崖絶壁のカナイマ国立公園にあり、落差があまりに大きいため、水が地上に届く前に霧になってしまうことで知られています。
1. 聖域の保健室
消毒液の匂いと、夕暮れのオレンジ色が混ざり合う保健室。
そこには、いつもの威厳をどこかに置き忘れた山田教子先生が、教え子の寝顔を不安そうに覗き込んでいた。
「……やりすぎたわ。まさか、一撃で昏倒するなんて」
「もし倒れなかったら、追撃するつもりだったんですか?」
僕は眼鏡を拭きながら、パイプ椅子に深く腰掛けた。
ほどなくして、ベッドの上の鈴木太郎がうめき声を上げる。
「いてて……。なんだ、随分とふかふかな寝所だな」
「ここは保健室だ。先生の鉄拳を食らって気絶したのを忘れたのか?」
「保健室? 鉄拳……?」
太郎は怪訝そうに辺りを見回す。
保健室のベッドは、お世辞にもふかふかとは言えない硬いパイプベッドだ。
(……こいつ、普段は石畳の上か何かで寝てるのか?)
僕の脳裏に、太郎の過酷すぎる私生活の想像がよぎる。
「おい『けい』、なんだその妙な格好は。……それに保健室ってのは一体何のことだ?」
「妙な格好って、これは学校の制服だろう。……先生、やっぱり脳へのダメージが深刻かもしれません」
「あ、あら……。ごめんなさいね鈴木くん。今日はもう帰りなさい。天智君、あとは任せたわよ!」
山田先生は逃げるように職員室へ消えていった。
2. 神保町の異邦人
「さっさと寮に帰るぞ。もう真っ暗だ」
歩き出しながら、太郎はずっとブツブツと独り言を漏らしていた。
「何だここは……? 夜なのに明るすぎる。あの光る箱の中に、人間が閉じ込められているのか?」
「あれはテレビだ。……太郎、君のボケは時々時代設定が数世紀ズレるから反応に困るよ」
先生に申し訳なさそうに渡された「桃山」を齧りながら、夜の神保町を進む。
この街は、昼間よりも「視線の交差」が危険な場所になる。案の定、街灯の陰から、レートの低そうな「ハイエナ」たちがこちらを定めた。スクールバスに乗り遅れた中学生をカモにする、掃き溜めの連中だ。
「太郎、目を合わせるな。――いや、僕がやる」
僕は太郎の前に出ると、強引にハイエナたちの視線を拾いにいった。
「――僕が相手だ。君たちの望み通り」
『バトル開始。天智慧(Rate: 2876) vs 芝田陣(Rate: 1680)』
「なっ、なんだこれは……!? 鉄のゴーレムか?」
背後で太郎が腰を抜かさんばかりに驚いている。空間から実体化した審判用AIロボットを見て「魔法か?」と喚いている。……これは山田先生をゆする良いネタができた。
バトル自体は、あくびが出るほど簡単だった。
『問題:夜空で最も明るく輝く、おおいぬ座のアルファ星は何?』
「シリウス」
『正解。勝者、天智慧』
レート差がありすぎて、移動したのは最低単位の1ポイントのみ。リワードの「眼精疲労の軽減」も地味だが、受験生にはありがたい。逆に相手には、ペナルティとして「30分間の偏頭痛」が下された。
3. 世界線という名の迷宮
「……ここは異世界なのか? 僕は、転移したのか?」
膝をついたまま、太郎がそんなことを呟いた。
あまりにベタな台詞に、僕は眼鏡のブリッジを押し上げ、彼の「設定」に付き合ってやることにした。
「ああ、そうか。これこそが『シュタインズ・ゲート』の選択。――エル・プサイ・コングルゥ」
「しゅたいん……? える……?」
太郎は本気で困惑していた。ボケではない、芯からの混乱だ。
学生寮という「セーフティ・ゾーン」に到着したが、太郎は入口で頭を掻いた。
「……悪い、けい。俺、自分の部屋が分からないんだ」
「……いい加減にしてくれ。三〇二号室だ。――いや、待てよ」
僕はようやく気が付いた。これは打撲による記憶障害などではない。
「太郎、君、もしかして……」
「さっきから聞きたかったんだが、その『クイズレート』ってのは何なんだ? あのロボットが言っていた『ハヤスギ総理』ってのは、この国の王様か?」
絶句した。
この国で、葉安木透総理を知らない人間など、赤ん坊か――あるいは。
「葉安木総理を知らない? クイズレートがすべての、この社会のルールもか?」
「知らないな。……魔法が使えるのに、クイズで戦うなんてまどろっこしいことをするのか?」
「魔法?」
僕が聞き返すと同時に、太郎が指先をパチンと鳴らした。
そこには、ライターの火のような、だが熱源を伴った「本物の炎」が揺れていた。
科学的なトリックではない。熱力学を無視した、未知のエネルギー。
山田先生の拳は、どうやら時空の壁すら粉砕してしまったらしい。
「いいかい、太郎。……君がいた世界とは、ルールが違う。この世界で生き残るためのアドバイスをあげるよ」
僕は真剣に言った。
「外では絶対に誰とも目を合わせるな。学校への移動はバスを使え。君の常識は通用しない。……いいな?」
すると、並行世界から来たらしい太郎は、自信ありげに笑った。
「大丈夫だ。俺、魔法は苦手だけど、一つだけ得意なのがある」
「……どんな?」
「『他人の意識から外れる魔法』だ。これを使えば、誰からも見えなくなる」
僕は天を仰いだ。
クイズ社会において、その「目が合わなくなる魔法」は、どんな知識よりも最強の生存戦略だ。
「……皮肉だね。元々の太郎にも、それくらいの特技があればよかったのに」
入れ替わった「こっちの世界の太郎」は、今頃魔法使いにバトルを挑まれて絶望しているだろう。
こんなに胸踊らない異世界転移はないな。……まあ、僕には関係のないことだが。




