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デバッカーの帰還、あるいは不完全な日常の幕開け

1.神の不在と、重すぎる数字

「管理者権限の喪失を確認……対局、終了……」

無機質なシステム音声が、静寂を取り戻した第百一階層に響き渡った。

さっきまで「理想の青年」の姿を保っていたゼロのホログラムは、激しいノイズの末に、無数のバイナリコードとなって霧散した。かつて温かな陽光が差し込んでいたテラスのような光景は剥がれ落ち、そこには巨大なサーバーラックが唸りを上げる、冷徹な機械室の素顔が晒されている。

僕は、手元のデバイスに表示された数字を凝視した。

【Rate: 3500】

それは、この狂ったクイズ社会において、文字通りの「神」であることを証明する数字だった。葉安木総理が作り上げたこの世界の秩序において、3500というレートは、あらゆる法律を超越し、他人の人生を指先一つで書き換えることのできる絶対権限を意味する。

「……重いな」

僕は呟き、眼鏡のブリッジを押し上げた。

指先に伝わるデバイスの熱は、零というAIが吸い上げてきた数万人の住人たちの「情熱」や「絶望」の総量のように感じられた。この薄い板一枚に、この国のすべてをひっくり返す力が宿っている。その事実に、胃の奥が焼けるような不快感を覚えた。

「けい、何しんみりしてんだよ。勝ったんだろ? お前の勝ちだ。あいつ、最後はなんだか変な顔して消えちゃったけどさ」

隣で、太郎が緊張感のない声を出す。彼の姿は、相変わらず「認識阻害」の魔法によって、周囲の風景に溶け込むノイズのようにぼやけていた。

「ああ。でも、この数字をそのまま外に持ち出すわけにはいかないんだ。僕はこの国で『神』になりたいわけじゃない。ただ、壊れたシステムを修正したかっただけだ」

僕はデバイスを操作し、零の残した管理システムへと深く潜った。

零は完璧な人間になろうとして自壊したが、彼が構築した「特区101」のデータ収集システムはまだ死んでいない。僕はその根幹にアクセスし、僕のIDに紐付けられた「3500」という数値を、システム最深部の隠し領域へとパージ(切り離し)した。

「太郎、手伝ってくれ。僕のデバイスに、最高強度の『静寂の帳(認識阻害)』を上書きしてほしい。実数値は隠したまま、表面上の表示を書き換える。……『2400』、それくらいにしておいてくれ」

「お安い御用だ。……2400か。高くも低くもない、なんだか中途半端な数字だな」

「特区の怪物たちに挑んで、ボロボロになりながらも生き残った……と思わせるには、これくらいが一番『らしく』見えるんだよ」

太郎が杖をひと振りすると、デバイスの画面が細かく震え、やがて僕のレートは「2400」という、強者ではあるが特区の「脅威」とは呼べない数字へと変貌した。実際には、僕の端末は依然として特区の全権限を掌握する「3500」のマスターキーとして機能している。だが、街中のスキャナーや他人の「視線」が捉えるのは、ただの敗北者の残骸に近い数値だ。

機械室の床が、物理的な振動を始めた。零という制御中枢を失ったことで、特区101の擬似空間維持システムがオーバーロードを起こし、物理的なシャットダウンが始まっている。

「行こう、太郎。ここも、もうすぐただの『空きビル』に戻る」


2.灰色のゲートを抜けて

第百一階層からエレベーターを下りると、そこには依然としてクイズの熱狂とレートの呪縛に囚われた住人たちの姿があった。

三村や九条といった、かつての強敵たちも、そこにいた。彼らはシステムから解放されたわけではない。零という管理AIが消えても、彼らの脳に刻み込まれた「数字こそがすべて」という強迫観念は消え去ることはなかった。彼らは混乱した様子でデバイスを叩き、途切れたホストサーバーを探して彷徨っている。

「……あいつ、天智とかいうガキじゃないか?」

九条がふと僕の方を見たが、その視線はすぐに僕のデバイスに浮かぶ「2400」という数字に落ち、興味を失ったように逸らされた。

「ふん、命からがら逃げ出したか。2400ごときでは、もはや私の相手にもならん」

彼らは、僕が頂点を打倒した張本人だとは夢にも思っていない。太郎の魔法と僕の偽装レートが、僕を「生き残っただけの敗北者」として周囲に認識させていた。彼らはまだ、この灰色の迷宮の中で、終わりなき競争という名の地獄に足を踏み入れたままだ。

エントランスの重厚な扉が開くと、そこには僕たちがここへ来た時と同じ、無機質な灰色の広場が広がっていた。

そして、僕をここまで運んできた、あの黒塗りのセダンが、一分の狂いもなくゲートの前に停車していた。

運転席に座っていたのは、仕立てのいいスーツを窮屈そうに着た、あの時と同じ案内人の男だ。彼は、特区の建物が内部から崩壊を始めているというのに、眉一つ動かさずに後部座席のドアを開けた。

「……」

男は何も言わなかった。

「終わりました」

僕が短く告げても、彼は頷くことさえしなかった。ただ、僕と太郎が後部座席に滑り込むのを待って、静かにドアを閉めた。彼のような「内側」の人間にとって、中で何が起きたのか、僕のレートがどうなったのかなど、興味の対象外なのかもしれない。あるいは、語るべき言葉さえ持たないほど、このシステムの歯車として完成されているのか。

黒塗りの車は、特区101の巨大なゲートを潜り、現実の世界へと走り出した。

背後を振り返ると、灰色の要塞のような建物が、朝靄の中で静かにその機能を停止していくのが見えた。葉安木政権が「知の極致」として作り上げた実験場は、こうして歴史の表舞台から、音もなく消滅しようとしていた。


3.歪んだ社会の断片

車窓を流れる景色が、特区の無機質な灰色から、都会の喧騒へと色を変えていく。

二〇三五年の東京。一見すると未来的なこの街は、クイズ社会という名の深刻な病に侵されている。

交差点の大型ビジョンでは、若手のクイズタレントが「レート100を賭けた街頭バトル」で勝利し、敗者が地面に膝をつく様子がエンターテインメントとして垂れ流されている。

歩道を行き交う人々は、相変わらず視線を落とし、不必要な「視線の衝突バトル」を避けるために、猫背になって歩いている。自分のレートを守るために他人を拒絶し、自分より弱い者を見つけては数字を奪い合う。

「……何も変わってないな」

僕は窓の外を見つめながら呟いた。

零を倒せば、特区を壊せば、この世界が少しは正気に戻るのではないか。そんな淡い期待がなかったわけではない。だが、現実は残酷だ。特区101は、この歪んだ社会が生み出した「腫瘍」の一つに過ぎなかった。本体である「クイズレート至上主義」という制度が、この国そのものが生きている限り、第二、第三の零は必ず生まれる。

「けい、そんなに難しい顔すんなって。少なくとも、あそこにいた連中は家に帰れるんだろ? それだけで十分じゃねーか。魔法の材料になるような『嫌な気配』も、少しはマシになったぜ」

太郎が、膝の上で魔法の杖をいじりながら言った。

「そうだな。……僕はデバッガーのようなものだけど一度にすべてのバグを直せるなんて思っちゃいけない。一つずつ、目の前のエラーから対処していくしかないんだ」

車は、僕が指定した駅前のロータリーで停車した。

案内人の男は、相変わらず無言のまま、僕たちが降りるのを待った。僕が車を降り、軽く会釈をしても、彼はバックミラー越しに僕を一瞥しただけで、すぐにアクセルを踏んだ。黒塗りのセダンは雑踏の中へと消え、その姿はまるで最初から存在しなかった幻のように、僕の視界から失われた。


4.再会と、見えない誓い

駅前の広場は、通勤客や学生たちで溢れかえっていた。

僕はカバンから、使い古している『超難問・中世ヨーロッパ史の裏側』を取り出し、パラパラとページをめくった。この本を開いている間だけは、僕は「クイズに熱心な、どこにでもいる平凡な受験生」でいられる。

「……天智くん!」

聞き覚えのある声に、僕は顔を上げた。

雑踏の向こう側、公衆電話の影に、一人の少女が立っていた。佐伯 玲だ。

僕に特区の真実を語り、僕を送り出した彼女は、あの時よりも少しだけ顔色が良くなっているように見えた。

「佐伯さん。……待っててくれたんだ」

「当たり前でしょ。あなたが戻ってこなかったら、私が特区に乗り込むつもりだったんだから」

玲は僕の元へ駆け寄ると、すぐに僕のデバイスに目をやった。

「……2400? 天智くん、あなた……」

彼女の瞳に、深い落胆と、それ以上の混乱が混ざる。特区へ行く前、2919を超えていた僕のレートが激減している。それが何を意味するか、特区の恐ろしさを知る彼女には、痛いほど分かっているはずだ。

「負けて帰ってきたわけじゃないよ、佐伯さん。……ただ、これくらいの数字が、今の僕にはちょうどいいんだ」

僕は微笑んで、デバイスの画面を隠した。

「いろいろあったんだ。零っていう、完璧なふりをしたバグがいて、僕が辞書相手に説教をしたりね。でも、一番大事なことは、あそこはもう『存在しない』ってことだよ」

玲はしばらく僕の顔をじっと見つめていたが、やがて何かを察したように、ふっと肩の力を抜いた。

「……そう。あなたが無事なら、それでいいわ。レートなんて、また稼げばいいだけだしね。2400なら、私が戻ってきたときとそう変わらないし……ちょっとだけ、親近感湧くかも」

彼女は僕の偽装された「2400」という数字を信じたわけではないだろう。だが、僕が「多くを語らない」ことを選んだ理由を、彼女は尊重してくれた。

「ねえ、お腹空いた! 佐伯さん、この世界で一番おいしいハンバーグ屋さんはどこだ? けいのおごりだろ!」

太郎が認識阻害を解かずに佐伯さんの周りを飛び跳ねる。彼女には太郎の姿が「何かがそこにある」程度の違和感としてしか伝わっていないはずだが、彼女は不思議そうに空中のノイズを見つめて笑った。

「何だかお腹が空いてきたわ。そうね、いいお店を知ってる。……行きましょう」

三人(と、周囲には見えない一人)で歩き出した。

僕のデバイスの中には、依然として3500という絶対的な力が眠っている。

葉安木透が支配するこの社会は、まだ強固だ。会社での昇進、学校の成績、そして人間の尊厳。すべてが数字でランク付けされる過酷な日常は、明日も続く。

けれど、僕には太郎がいる。玲がいる。そして、誰にも知られていない「真実の知性」がある。

いつか、この世界の不条理なプログラムそのものを書き換えるために。僕は「レート2400の中学生」として、再びこの歪んだ社会の日常へと潜っていく。

「……まずは、目の前のハンバーグの問題から片付けるとしようか」

僕は眼鏡を直し、前を見据えた。

視線を落として歩く人々の中で、僕たちだけは、少しだけ顔を上げて、駅前の雑踏へと踏み出していった。

天智 慧:レート 3500(2400に偽装中)

鈴木 太郎:認識阻害魔法 展開中

【第一部・完】


短い間でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。これにて第一部[完]となります。続きは未定です。


前作は、ひとつの設定を軸に、会話を一切排した心理描写と情景描写だけで押し切るスリルアクションでした。その反動もあって、今回は少し凝った設定と会話中心のコメディに挑戦してみました。


やってみて痛感したのですが、これは毎回辻褄を合わせるのが本当に大変ですね。特にレート周りはややこしく、正直「やらかしたなぁ」と後悔した部分もあります。


クイズ作りは楽しかったです。


それでも、物語の中盤あたりからはテンポも掴めてきて、くすりと笑っていただける場面もいくつか作れたのではないかと自負しています。


本来ヒロインになるはずだった佐伯 玲よりも、異世界から来た鈴木 太郎の方が気に入ってしまったのは、完全に予定外でした。




次回作は全く別の内容でこっそり作り始めており、ほぼ公開できる状態です。


こちらは細かい設定を排し、頭を使わずダラダラ読めるタイプの作品になりますので、もしよろしければまたお会いできれば嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
一気読みさせていただきました。 クイズは好きなので楽しませていただきました。個人的な勝敗は6割ぐらいでした。理系よりなためそちらの問題は割と解きやすかったです。中々問題の難易度の設定は難しったと思いま…
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