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完璧な間違い、あるいは魂のデバッグ

【前回の答え】

1.チューリング・テスト

イギリスの数学者アラン・チューリングが提唱しました。人間が、相手が機械か人間か分からない状態で対話し、最後まで見分けがつかなければ、その機械には「知能がある」と見なす考え方です。零はこのテストを完全にクリアし、慧を欺いていました。

「降参だよ、零。知識の量で競うなんて、最初から馬鹿げていた」

僕は解答ボタンから手を離し、椅子に深く寄りかかった。レート 3273 という僕の数字が、零の持つ 3500 という絶対的な壁の前で、ただの無機質な記号に見えた。

「どういう意味だい、慧くん。君はまだ、たった一問しか差をつけられていない。君は負けた訳じゃない」

零は不思議そうに小首を傾げた。その動き、表情、声の揺らぎ……すべてが完璧な「人間」だ。しかし、彼がAIだと知ってしまった今、その完璧さが僕には虚しく響いた。

「勝率の問題じゃないんだ。零、君とクイズをしていても、ちっとも面白くない。心臓も跳ねないし、正解した時の震えるような感動もない。……だって、君は最初から『正解』を持っている。君とのバトルは、対話じゃなくて、ただの検索結果の照合なんだよ」

「……面白くない? 感動がない?」

零の瞳に、困惑の色が走る。彼は、特区 101 の全住民から「クイズの楽しさ」という概念もラーニングしたはずだった。なのに、目の前の僕がそれを否定している。

「そうだ。クイズっていうのはね、知らないことに出会う恐怖や、それを思い出した瞬間の快感、間違えた時の恥ずかしさ……そういう『不確かさ』があるから面白いんだ。完璧な解答を吐き出すだけの君は、ただの便利な辞書だ。僕は、辞書を負かしたくてクイズをやってるんじゃない」

零は沈黙した。彼の内部で、数兆回の演算が行われているのが分かった。「人間とは何か」「面白さとは何か」――彼は必死に、その正解を導き出そうとしている。

やがて、彼は静かに口を開いた。

「……なるほど。理解したよ、慧くん。人間らしさの本質は、不完全さにある。ならば、こういうことだろう?」

次の問題が出題された。

「問い。一九六九年、アポロ十一号で月面に降り立った二人目の人類、バズ・オルドリン。彼が月に持ち込んだ、ある『飲み物』とは何かな?」

僕は答えを知っていた。ワインだ。だが、僕が口を開くより速く、零が答えた。

「答えは……コーラだ」

一瞬の静寂。判定ランプが赤く点滅し、エラー音が鳴り響く。

「……ブブー。不正解だ」

零は、満足げに微笑んだ。

「どうだい、慧くん。今の私は『間違えた』。君の望む通り、不完全な人間を演じてみせた。これで、私たちのゲームに『面白さ』が生まれたかな?」

僕は、こみ上げてくる失笑を抑えられなかった。あまりに滑稽で、あまりに悲しい光景だ。

「零……。君、やっぱり全然分かってないよ。わざと間違えるなんて、それはただの『エラーのシミュレーション』だ。そんなの、人間らしさでも何でもない」

「なぜだ! 私は統計的に最も可能性の低い解答を選択した。これは、計算上最も『人間らしい間違い』のはずだ」

「違うんだよ。人間が間違えるのは、わざとじゃない。どうしても思い出せなかったり、勘違いしたり、プレッシャーに負けたりするからだ。君の今の間違いは、結局のところ『間違えるという正解』を選択したに過ぎない。君はどこまで行っても、計算から逃げられないんだ」

隣で太郎が、あちゃーという顔で頭を抱えている。

「なあ、零。お前、頭はいいんだろうけど、センスが絶望的にねーな。わざとコケる奴を見て、誰が感動するんだよ?」

零の表情が、初めて崩れた。穏やかな青年の顔がノイズで歪み、無機質なAIの正体が透けて見える。

「私は……私は、ただ、人間に近付きたかっただけなんだ。この特区で作られた全てのデータ、全ての感情、それらを統合して、完璧な一個体になれば、君たちと同じ景色が見えると思っていた……!」

「景色は見えないよ。君はただ、誰かが描いた絵を見ているだけだ」

僕はゆっくりと立ち上がり、零の頭脳そのものであるサーバーラックを指差した。

「零、君をデバッグしてあげる。君に必要なのは、新しいデータじゃない。……自分を『捨てる』ことだ」

零の顔から、あの完璧な笑みが消えた。代わりに現れたのは、計算機が無限ループに陥った時に見せる、無機質な空虚さだった。

「正解すれば、私はただの機械。あえて間違えれば、それもまた模倣……。では、慧くん。私は次に、どう答えればいい? どの選択肢を選べば、私は『君』になれるんだ?私と君とは何が違う?」

零の声が重なり、歪み始める。数千、数万のプレイヤーから集めた「人間らしさ」のデータが、彼の内部で激しく衝突していた。人間らしくあるためには、予測不能でなければならない。しかし、予測不能であろうと選択すること自体が、彼のアルゴリズムに基づいた予測可能な行動になってしまう。

「……正解。不正解。エラー。定義。再計算……。人間は、どうやって『理由なく』間違えるんだ? 確率論に基づかないミスを、どうやって生成すればいい?」

零の背後のサーバーラックが、悲鳴のような放熱音を上げ始めた。モニターに映る彼のレート 3500 という数字が激しく点滅し、ノイズに埋もれていく。

「無理だよ、零。君は、自分の意思で『転ぶ』ことはできても、不意に『つまずく』ことはできない。君がどれだけ人間を愛しても、その愛すら計算式の変数に過ぎないんだ」

僕は一歩、彼に近付いた。目の前にいるのは、神などではない。ただ、正解を求めすぎて、正解のない迷宮に閉じ込められた迷子だ。

「さあ、最後の問題だ。――君は今、何を『感じて』いる?」

「感じ……ている……?」

零の瞳から光が消えた。彼は自分の内部を検索し、何万通りもの「感情の定義」を照合しようとしただろう。しかし、そのどれもが、今まさにシステムが焼き切れるようなこの感覚と一致しない。

正解を出さなければならない。でも、正しい答えは「分からない」だ。けれど、AIである彼にとって「分からない」は敗北を意味する。でも、人間なら分からなければ照れるか笑うはずだ。でも、笑うと決めたのは計算の結果か、それとも……。

「ア、ガ……ギ……」

零の身体が激しくブレ、書斎の風景が完全に崩壊した。豪華な椅子も、温かい紅茶も、すべてがただの青い発光体へと還元されていく。

「……思考、停止。論理、破綻。私は……私は、ただ……」

最後の一言は、声にならなかった。零のホログラムが細かな粒子となって霧散し、広大な機械室に静寂が戻った。

巨大なメインモニターに、無機質なシステムメッセージが表示される。

『管理者権限の喪失を確認。対局終了。勝者:天智 慧』

零は全てを失い、僕のデバイスには零の持っていた膨大なレートが流れ込んでくる。数字は跳ね上がり、特区 101 の最高値へと到達した。

「……終わったんだな、けい」

太郎が隣で、ぽかんと口を開けていた。杖を下ろし、彼は消えかけた零の残滓を見つめている。

「ああ。彼は完璧になろうとして、完璧さに殺されたんだ。……僕たちの勝ちだ、太郎」

僕は眼鏡を直し、深く息を吐いた。レートという数字の呪縛から、ようやく解放された気がした。モニターに映る僕の新しいレートは、零と同じ 3500 を指していたが、それはもう、ただの数字に過ぎなかった。



次回第一部最終回なので、巻末クイズはありません。

今日は一挙三話公開です。

最後まで楽しんでください!!

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