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論理の架け橋、あるいは敗北の再会

【前回の答え】

B. 海と山に挟まれた非常に狭い隘路

テルモピュライは「熱い門」を意味し、当時は非常に道幅が狭い難所でした。スパルタ軍はこの狭い地形を利用することで、多勢のペルシャ軍を少人数で食い止めることに成功したのです。慧もまた、零が用意したこの狭い知性の迷宮を、自らの論理で突破しようとしています。



1.三段論法の断崖

叡智の迷宮は、深部へ進むほどその狂気を増していった。もはや物理的な道としての体裁すら保っていない。目の前に広がるのは、虚空に浮かぶ無数の六角形のパネル――「推論の橋」だ。一歩踏み出すごとにパネルが明滅し、脳内に直接、容赦のない速度で問いが突き刺さる。

「第一種永久機関が成立しないことを論じた、熱力学第二法則を別の名で何と呼ぶか」

「エントロピー増大の法則」

僕が答えるより早く、足元のパネルが硬質化し、次の道が形成される。躊躇は死を意味する。もし回答がコンマ一秒でも遅れれば、この浮遊する橋は電子の塵となって消え、僕は無限の深淵へと真っ逆さまだ。

「おい、けい! ちょっと早すぎるって! 僕は後ろでパネルが消える音を聞くたびに寿命が三日は縮んでるんだぞ! 特区の宿泊施設に、心臓外科のオプションは付いてないのかよ!」

太郎が泣き言を言いながらも、超人的な身体能力で僕の背後を跳ねるように付いてくる。僕は彼を振り返る余裕さえ惜しみ、次々と現れる問いを論理の刃で切り裂いていった。

「フランス革命において、ルイ十六世を処刑し、恐怖政治を敷いたジャコバン派の指導者は誰か」

「マクシリミアン・ロベスピエール」

「植物の細胞壁の主成分であり、地球上で最も豊富な有機化合物は何か」

「セルロース」

脳が熱い。認識阻害を解き放ち、全神経を外部の刺激へと開放している今、僕は特区のシステムそのものと同期しているような感覚に陥っていた。情報の濁流が視神経を通り、大脳皮質で火花を散らす。それは苦痛であると同時に、奇妙な全能感を伴う快楽でもあった。零。君が見ているのは、この処理速度か? それとも、情報の波に飲み込まれずに「個」を保つ僕の意志か?


2.情報の特異点

迷宮の最深部、ついに道は一つの巨大な円形広場へと収束した。そこは周囲を巨大な書架のホログラムに囲まれ、天井からは絶え間なく数式や文字列が滝のように降り注いでいる、情報の特異点とも呼べる場所だった。

「やっと終わりか……。なあ、けい。今の橋、最後の方は問題文が読み終わる前に答えてただろ。お前、もう人間やめてクイズの精霊にでもなったのか? それとも、実は脳みそが量子コンピュータと入れ替わってるとかさ」

太郎が肩で息をしながら、ようやく硬い地面を踏んだ安堵に顔をほころばせる。僕は荒い呼吸を整え、眼鏡を拭き直した。視界の隅で、二十四時間というカウントダウンがまだ十時間以上残っているのを確認する。

「……精霊なんて高尚なものじゃないよ。ただ、零の思考パターンが少しずつ読めてきただけだ。彼は、美しさを求めている。情報の連なりに、一切の無駄がない論理の構築をね」

僕は広場の中央へと歩みを進めた。そこには、次のエリアへと続く重厚な青銅の扉が鎮座している。だが、その扉の前には、僕たちがここへ辿り着くのを最初から知っていたかのように、一人の人影が佇んでいた。

逆光で顔は見えない。しかし、その立ち姿、周囲の空気を歪ませるような不気味なノイズ。僕の心臓が、激しく警告音を鳴らし始める。それは、かつて僕を完膚なきまでに叩きのめした、あの「敗北の記憶」を呼び覚ます振動だった。


3.声を盗む者との再戦

影がゆっくりと歩み寄り、光の下にその素顔を晒した。不敵な笑みを浮かべ、首筋には不自然な銀色のデバイスが埋め込まれている。

「……三村」

「ククッ……久しぶりだな、天智慧。そのレート、随分と美味そうに育ったじゃないか。三千二百超え……まさに収穫ハーベストに相応しい」

三村。特区に足を踏み入れて間もない頃、僕が唯一敗北を喫した男。彼の「声盗み」によって僕の解答権は根こそぎ奪われ、当時の僕は自分の名前さえ言えなくなるほどの屈辱を味わわされた。

「驚いたか? 俺が零の門番ゲートキーパーを任されていることに。あの方は効率主義でね。一度お前を壊した実績がある俺を、ここに配置するのが一番『合理的』だと判断されたのさ」

三村は嘲笑うように、自身の胸元にあるプレートを指し示した。そこには、僕の3206を上回る、3350という数字が刻まれている。前回の戦いで僕から奪ったレートを元手に、彼はさらに他人の声を喰らい、ここまで這い上がってきたのだ。

「悪いがな、天智慧。お前の迷宮攻略、特等席で見せてもらった。確かに速い。だが、速ければ速いほど、俺にとっては『盗み甲斐』があるってもんだ。お前の脳が答えを出した瞬間、その声は俺のものになる」

僕は静かに眼鏡を指で押し上げた。かつての僕なら、この男の前に立っただけで、また声を奪われる恐怖に足が竦んでいただろう。だが、今の僕にはあの頃にはなかった「論理の盾」と、太郎から学んだ「認識の定義」がある。

「三村、一つ勘違いしているよ。今の僕は、君に盗ませるための声なんて持ち合わせていない」

「強がりか? 面白い。零への道がここで閉ざされる絶望を、もう一度味わわせてやるよ」

広場に、最終試練の開始を告げる鐘の音が重く鳴り響いた。宿敵との再戦。奪われた誇りを取り戻すための、僕のデバッグが始まる。




【問題】

劇中で慧が「熱力学第二法則」に関連して答えた「エントロピー」。一般に、孤立した系において、このエントロピーという値は時間が経つにつれてどのように変化するとされている?

A.徐々に減少していく。

B.変化せず、常に一定である。

C.増大し、乱雑な状態へと向かう。


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