視線を合わせるにはリスクが伴う
この作品は勢いで書いているため、設定の辻褄が多少ズレることがあります。
完成済みではないので、週1くらいの更新を目指して頑張ります。
コメディ作品なので、細かいところは笑って流していただけると嬉しいです。
そして――
作中には大量のクイズが登場します。
もし答えに間違いがあれば、ぜひコメントで教えてください。
文章のテンポを少し改善しました(20260126)
1. 都会のペンギンと、一冊の聖書
二〇三五年の東京を上空から俯瞰すれば、それは異様な光景に映るに違いない。
街を行き交う人々は、まるで示し合わせたかのように、一様に地面を見つめて歩いている。アスファルトのひび割れを凝視する者、自分の靴先が描くリズムを観察する者、あるいは最新の「クイズ対策用電子ペーパー」を必死に読み込む者。
彼らが悲観に暮れているわけでも、極度の猫背なわけでもないことは、賢明な読者なら察してくれるだろう。僕たちはただ、平穏無事に家まで帰りたいだけなのだ。
なぜなら、現代の日本において誰かと「目が合う」という行為は、愛の予感でも喧嘩の合図でもない。それは、抗いようのない「クイズバトル」の強制執行を意味するからだ。
この国の風景を一変させたのは、数年前に元クイズ王の葉安木透が総理大臣に就任した、あの日の出来事だった。「知識こそが公平な力だ。正解を知っている者が支配する」。
彼の眼鏡の奥で光る独善的で魅力的な瞳が、法律を塗り替え、学校の成績から会社の昇給に至るまで、あらゆる社会的な価値を「クイズレート」で決定する過酷な競争社会を作り上げたのだ。
僕――天智慧は、肌身離さず持ち歩いている『超難問・中世ヨーロッパ史の裏側』をめくりながら、今日も視線を落として歩く。
僕の現在のレートは、2867。
中学三年生の平均が1400前後であることを考えれば、この数字がいかに常軌を逸しているかは、僕の胸元に浮かぶ青いホログラムを一瞥した通行人たちが、怯えたように音もなく逃げ去っていく様子を見れば明白だった。
「まるで、地面に金貨でも落ちているのを一生懸命探しているみたいだね」。
僕は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、誰に聞かせるでもなく独り言を呟いた。
2. ハイエナと、逃げられない「Q」
「おい、そこのシケてる坊主」。
不意に頭上から降ってきた傲慢な声に、僕はつい本から目を離してしまった。
いや、正確には「目を離してはいけなかった」のだ。その声の主は、僕の視線が動くのを確信犯的に待ち構えていた。
視界に入ったのは、三十代半ばの男だった。隙のない高級なビジネススーツを着こなし、唇の両端を吊り上げた好戦的な笑みを浮かべている。その胸元には、僕よりは低いものの、一般人よりは遥かに高い数値が踊っていた。
【Rating: 2321 / Name: 田中 健太】。
「……田中さん、ですか」。
「ああ。君、中学生だろ? 随分と分不相応なレートを背負ってるじゃないか。どこかの塾の模試で、運良くラッキーパンチでも食らわせたか?」。
田中と名乗った男は、余裕たっぷりに笑った。
彼の2321という数値は、サラリーマンの世界では相当な猛者といえる。おそらく、低レートの相手を確実に仕留める「雑魚狩り」を繰り返してレートを積み上げてきた、典型的なハイエナなのだろう。
自分より大きな角を持った若い鹿を、「まだ経験が浅い」と見なして襲いかかる。今の彼は、まさに飢えた捕食者の目をしていた。
「僕のレートを見て、わざと声をかけたんですか?」。
僕は静かに忠告した。この社会におけるイロレーティングの仕組みは残酷だ。
レート差が500以上もある今回、もし彼が僕に勝てば一気に「+93」ものレートを獲得し、彼にとってはまさにボーナスステージとなる。だが、仮に僕が順当に勝利したとしても、手に入るのは最低保証に近い「+7」程度に過ぎないのだ。
「ハッ、脅しのつもりかよ。お前みたいなガキを倒すなんて、簡単すぎるんだよ」。
その瞬間、僕たちの間に銀色の金属球が滑り込んできた。監視用AIロボットだ。
『視線の合致を確認。規定に基づき、クイズバトルを開始します』。
ロボットの無機質な合成音声が周囲に響き渡る。通行人たちは、流れ弾のような問題に巻き込まれるのを恐れ、蜘蛛の子を散らすように距離を取った。
3. 三つの正解、一つの沈黙
『第一問:歴史。17世紀、オランダで起きた「チューリップ・バブル」。この時、最も高価だった品種「セムペル・アウグストゥス」の一株で買えたとされるものは次のうちどれ? A:家一軒、B:帆船一隻、C:馬車一台、D:小さな島一つ』。
田中が、一瞬だけ眉をひそめた。
「……そんな細かい知識……。だが、常識的に考えれば、所詮は花一株だ。家一軒……いや、それじゃ物語になりすぎる。Bの帆船か?」。
田中の葛藤を余所に、僕は迷わずボタンをタップした。
「それは基本だな。正解は『家一軒』。正確には、アムステルダムの一等地の屋敷とその庭が含まれる。当時の記録では、約12エーカーの土地と引き換えられた例もあります」。
『正解。天智慧、1ポイント。次、第二問』。
田中の顔色が、土気色に変わり始める。
「偶然だ。そんなのはクイズの定番問題だろうが!」。
『第二問:芸術。ロシアの作曲家ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』。この曲のインスピレーションの元となった画家はヴィクトル・ハルトマンですが、彼とムソルグスキーの関係は何?』。
田中が絶句した。AIが生成する問題は、高レートの僕に合わせて、難易度が私立大学入試レベルまで跳ね上がっている。
「親友です」。
僕は間髪入れずに即答した。「ハルトマンが若くして亡くなった際、彼の遺作展を訪れたムソルグスキーが、その感動と悲しみを音に託したんです」。
『正解。天智慧、2ポイント。リーチです。最終問題は「とんち」を含む思考問題』。
田中の額から、大粒の汗が流れ落ち、地面にシミを作った。
「待て、待ってくれ……次を外したら、俺は……!」。
この社会のペナルティは、バトルの最後に無情にも宣告される。負けた者はレートを奪われるだけでなく、AIが算出した「その人物にとって最も教育的、かつ屈辱的な制裁」が下されるのだ。
『第三問。ある男が、部屋で本を読んでいました。電灯は消えており、蝋燭も、月明かりも、懐中電灯もありません。それでも彼は文字を読み続けています。なぜでしょう?』。
田中が、半狂乱で叫ぶ。
「点字だ! 点字で読んでいたんだ!」。
僕は静かに首を振った。
「いえ。正解は、『彼は盲目ではなかったが、単に昼間に太陽の下で読んでいたから』。問題文には『夜』だとは一言も書いてありません」。
一瞬の静寂の後、レフェリーの目が赤く点滅した。
『正解。勝者、天智慧。レート変動:天智(2867→2874)、田中(2321→2314)。敗者へのペナルティ確定。インターネット接続禁止:一週間。および、本日の業務における社会活動制限を課します』。
「……嘘だろ、仕事ができない……」。
田中はその場に力なく膝をついた。彼のスマートフォンは強制的にロックされ、一週間のデジタル的な沈黙が約束された。現代のサラリーマンにとって、それは社会的な死と同義だった。
4. カタログギフトと、新しい影
バトルの終了を告げ、レフェリーは事務的に一枚のカードを吐き出した。
『勝利報酬:選べるカタログギフト(シルバーランク)。ご自由にお選びください』。
僕はそれを受け取ると、無造作にポケットへしまい込んだ。
この世界は、勝者にはどこまでも甘く、敗者には底知れず冷酷だ。
茫然自失のまま動けない田中さんを背に、僕は再び歩き出す。インターネットが遮断された彼が、明日会社でどんな言い訳を捻り出すのか、僕には想像もつかなかった。
「次は……ああ、お肉のセットでも選ぼうかな。母さんが喜ぶかもしれない」。
僕は再び地面に視線を落とし、使い古されたクイズ本を開く。都会を彷徨うペンギンの群れに混じり、一人の平凡な少年として景色の中に溶け込んでいく。
だが、そんな微かな平穏すら長くは続かないことを、僕はまだ知る由もなかった。
明日、学校に「佐伯玲」という名の転校生がやってくること。
そして彼女が、僕の「学年一位」という揺るぎない地位を根底から脅かす、もう一人の怪物であることを。
「……さあ、クイズの時間だね」。
僕は眼鏡の奥で僅かに口角を上げると、期待と諦念の入り混じった心地で、次のページをめくった。
【問題】
北極に住んでいる「シロクマ(ホッキョクグマ)」には、ある共通点があります。それは次のうちどれ?
1. 全員「左利き」
2. 冬眠をしない
3. 実は泳げない
4. 地肌の色がピンク色




