第3話 名刺を捨てなかった理由 (高瀬里緒 視点)
神崎恒一の名刺は、
他の名刺と一緒に、
名刺入れの奥に入れた。
特別扱いはしていない。
机の上に置いたわけでもない。
ただ、
捨てもしなかった。
*
異業種交流会の名刺は、
基本的に数日で整理する。
仕事に繋がらないもの、
次に会う理由がないものは、
迷わず処分する。
判断を引き延ばす意味はない。
*
それなのに、
神崎の名刺だけは、
分類が終わらなかった。
理由を考えてみる。
話が合ったから?
違う。
好印象だったから?
それも違う。
*
正直に言えば、
条件は悪い。
年齢差。
職業の不安定さ。
将来性の不透明さ。
どれを取っても、
「次はない」と判断していい。
*
それでも、
私の中で一つだけ、
処理できていない点があった。
神崎は、
私を測りに来なかった。
*
異業種交流会では、
ほとんどの人が測る。
私が何者か。
どれくらいの価値があるか。
使えるかどうか。
露骨じゃなくても、
空気で分かる。
*
神崎は、
その動きを一切しなかった。
近づこうともしない。
評価しようともしない。
だからといって、
軽んじている感じでもない。
*
それが、
一番、気持ちが悪かった。
測られない、というのは、
楽でもあり、
同時に不安でもある。
こちらの立ち位置が、
決まらない。
*
私は、
自分の中の本音に気づく。
――私は、
放っておかれる側じゃない。
それは、
自惚れでも、
勘違いでもない。
これまでの経験が、
そう教えてきた。
*
だからこそ、
神崎が最初から
距離を取ったことが、
引っかかる。
拒否でもない。
選別でもない。
ただ、
最初から外した。
*
私は、
名刺を指で挟み、
一度だけ裏返した。
書いてある情報は、
少ない。
肩書きも、
誇れるものじゃない。
なのに、
嘘はなかった。
*
私は思う。
神崎は、
「取りに行かない男」なのではなく、
「最初から諦めている男」だ。
それは、
誠実とも言えるし、
同時に、とても不器用だ。
*
恋じゃない。
惹かれてもいない。
ただ、
判断が終わっていない。
それだけのことだ。
*
私は、
名刺を元の場所に戻した。
連絡をする理由は、
まだない。
でも、
「なかったこと」にするには、
少しだけ早い。
そんな気がした。
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