第1話 放っておかれる側の違和感
結婚したいと思った。
でも、結婚シートを前にして、
何も書けなかった。
年収も、将来も、
女性に与えられるメリットもない。
48歳。
もう、人生は詰んでいる。
そう思いながら、
それでも逃げきれずに、
今日も一日をやり過ごしている。
これは、
何かを手に入れる話じゃない。
人生から、
逃げるのをやめた日の話だ。
私は、自分のことを「良い女」だとは思っていない。
少なくとも、口には出さない。
そんな言葉を使う人間は、たいてい信用されない。
仕事ができるとか、落ち着いているとか、
そういう評価を受けることはある。
でもそれは、だいたい“扱いやすい”という意味だ。
建前では、十分だと思っている。
――本音では、違う。
自分がどの程度の位置にいるかくらい、
いい歳をして分からないほど鈍くはない。
年齢、職歴、家柄、立場。
市場でどう見られているかは、理解している。
悪くない。
かなり、悪くない。
だからこそ、
それを雑に扱われると、引っかかる。
*
異業種交流会は、恋をする場所じゃない。
名刺を交換して、
肩書きを確認して、
当たり障りのない話をする。
誰がどの距離にいる人間かを測って、
それ以上踏み込まない。
測られる側に回ることも、
測る側に回ることもある。
その日は、
いつも通りのはずだった。
*
彼が隣に座ったとき、
正直、印象は薄かった。
年上。
場慣れしていない。
この空間に、少しだけ合っていない。
こういう場の年上男性は、
大抵どちらかだ。
自分の実績を語る人か、
教える側に回ろうとする人。
彼は、どちらでもなかった。
*
「お仕事は?」
形式的に聞いた。
会話を数分で終わらせるための質問だ。
「……個人で、やってます」
少し間があった。
言葉を選んでいる、というより、
隠さずに言っていいか考えているような間。
「投資関係ですか?」
「いえ。
前に少しやって、失敗しました」
失敗しました、と言い切った。
言い訳も、
笑いも、
フォローもない。
*
内心で、私は判断を下す。
――ダメだな。
仕事の話で失敗をそのまま出す人は、
大抵、その先がない。
普通は、
少しは取り繕う。
「今は違う」とか、
「勉強になった」とか。
でも彼は、何も足さなかった。
*
本音が、先に動いた。
――放っておくんだ。
この状況で、
私を使わない。
測りに来ない。
価値を確かめようとしない。
この場にいる多くの人が、
それをしているのに。
*
会が終わる頃、
彼は名刺を差し出して言った。
「無理に、連絡しなくていいです」
その瞬間、
私ははっきりと違和感を覚えた。
建前では、
「配慮がある人」と解釈できる。
でも本音では、違う。
――最初から、
私を選択肢に入れていない。
*
名刺を受け取って、
それで終わり。
連絡する気はない。
期待もしていない。
ただ、
判断が一つ、宙に浮いた。
彼は、
良いとも悪いとも言えない。
ダメ男なのは、たぶん正しい。
でも、
“測りに来ないダメ男”は、
今まで見たことがなかった。
*
これは、恋じゃない。
惹かれたわけでもない。
ただ、
私を放っておいた人間が、
初めてだった。
それだけの話だ。
なのに、
なぜか私は、
その名刺をすぐには捨てなかった。
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