未来に対する期待
小さな漁船がメキシコにある小さな島の港に入ってきた。バカンスを楽しんでいたアメリカ人の観光客が、物珍しそうに歩み寄る。船から下りてきたメキシコ人の漁師に問いかけた。
「大漁だね。どれくらい海に出ていたの?」
「昼の数時間だけだよ」
アメリカ人は、その返答に驚いた。
「数時間で……ならもっと長いこと漁をすれば、もっと捕れるじゃないか」
メキシコ人が首をひねる。
「なんでそんなに捕らなきゃいけないんだ。これで十分だよ」
「そうかね? それは惜しいな。じゃ、漁をしていない間は何をしているんだい?」
「朝起きるのは遅いな。子供たちと一緒に嫁さんが作った朝食を食べる。それから漁に行く。帰ってきたら嫁さんとシエスタ。目が覚めたら仲間を連れてバーに行く。ギターを弾きながら歌うのさ」
アメリカ人は、驚いた顔で首を振った。
「私は、ビジネススクールで経営学を学んだ。これははっきり言って機会の喪失だよ。もっと漁をしてもっと魚を捕れば、もっと大きな船が買える。大きな船があればもっと多くの魚を捕ることが出来るよ。船だって2隻3隻と増やしていけばいい。そうすればメキシコシティに会社を設立することだってできるさ」
「それにはどれくらいの期間が必要なんだ?」
アメリカ人は胸を張って答えた。
「う~ん、20年か25年ぐらいかな。もし会社の経営がうまくいけば、上場して株を売って、億万長者になることだってできる」
メキシコ人は興味なさげに相手を見やる。
「へえ、それで?」
「成功したら引退して、小さな島で暮らすのさ。朝はゆっくり起きたらいい。釣りは趣味程度で構わない。奥さんと子供を大切にして、楽しい時間を過ごしたらいい。夜は友人を誘ってバーに行くのさ。ギターが弾けるそうじゃないか。酒を飲みながら歌うと、きっと楽しい時間を過ごせると思うよ」
◇◇◇
「メキシコ人漁師の物語」という有名な小話をご紹介しました。ご存じの方は多いのではないでしょうか。幸せについて考えさせられる寓話になります。メキシコ人の生き方と、アメリカ人の生き方、どちらが幸せなのか意見が分かれるところですが、どちらも一長一短があり比較は難しそうに見えます。前回、現代人の生き方についてパターンを明示しました。
――いま努力することで、期待する結果を未来に手に入れる。
これは小話の例でいうと、アメリカ人的な生き方になります。この生き方の特徴は、25年かけて商売を大きくして、老後の安定を勝ちとることでした。対してメキシコ人的な幸せは、いま楽しむことを大切にします。老後のことは考えない。このアメリカ人的な生き方と、メキシコ人的な生き方の違いについて時間的な側面から比較してみたい。
物事の変化には、原因と結果という関係性があります。例えば、メキシコ人がアドバイスを受けいれて漁業を拡大し、25年後に会社を設立したとします。この場合、漁業の拡大という努力が原因に該当し、会社の設立が結果になります。この関係性において原因と結果の間には25年という時間の経過がありました。対して、昼の数時間の努力でも釣果は少ないですが結果を得ることは出来ます。この場合、時間の経過は昼の数時間だけでした。原因と結果、そして経過時間。この三つの要因を、縄文時代と弥生時代にも当てはめてみます。少し強引ですが、メキシコ人的な生き方を縄文人、アメリカ人的な生き方を弥生人と置き換えて考えます。
弥生時代は、水田稲作の文化が日本列島に持ち込まれ食料自給量が増大しました。ただ、収穫は秋の一回しかありません。残りの一年間はこの収穫の為に、土起こしや田植え、草抜きや水の管理といった様々な作業が行われます。原因と結果に置き換えると、農作業という原因によって、秋の収穫という結果を得ることが出来ました。その経過時間は1年になります。縄文時代に比べて弥生時代は原因から結果を生み出す経過時間がとても長い。
ところが、努力したのに報われない事は往々にしてあります。特に、経過時間が長くなればなるほど不確定な要素が関係しやすい。秋の収穫の為に一年間頑張ってきたのに、日照りや台風といった天候不順、地震や病原菌といった予測不能な災害によって思うように収穫できないことがあります。人口が多くなっているだけに、その反動も大きい。多くの民衆が飢えることになります。
余談ですが、弥生時代の延長である現代社会がストレス社会と揶揄されるのは、結果に対する不確実性が起因していると考えます。近年では若者が未来にたいして期待を抱かないような話を耳にしますが、これはストレスを感じないための予防策かもしれません。
――未来を安定させたい。
そのような切実な思いから、弥生時代においては星の運行を調べるようになり時間という概念が誕生するのですが、ここから二つの欲求が生まれました。
――未来がどうなるかを知りたい。
――未来が安定するように祈る。
知りたいという欲求は、現在まで続く学問の発展に寄与しました。株価の動向や経済指標など、名前は変わりましたが未来を知ろうとする動機という意味では、亀甲占いといった呪術とベクトルは変わりません。また、人間は死んだらどうなるのか、といった哲学的な命題も生まれました。時間という概念の誕生は、学問の種と考えても良いかもしれません。
未来の安定を祈るという欲求から、宗教が儀式化していきました。日本は四季折々に様々な儀式や祭りがあります。これらは、全て米の収穫量を最大化するための祈りでした。このような農耕に根差した宗教観と、縄文人の宗教観には大きな隔たりがあると僕は考えています。弥生人の宗教観の特徴は、神からの功徳を期待しました。神と信者との関係には、ヒエラルキー的な上下関係が存在します。功徳に対する対価として、信仰心が試されました。
対して縄文人の宗教観は、神に未来の安定をお願いするのではなくて、畏怖するものに対する純粋な崇拝だったのではないでしょうか。山岳信仰をはじめとしてアミニズム的な原始宗教の特徴は、この世界と繋がろうとします。シャーマンや巫女は自分の身に神を降ろそうとしました。また、歌や踊り、酒や薬によってトリップしようとします。そうした行為そのものに意味があった。因みに、現代のスピチュアル系も似たようなものだと思います。
そうした縄文人的な宗教様式は、弥生時代に入ってからも受け継がれていきます。ただ、シャーマンや祭りといった様式は同じでも、意味合いは変わっていきます。未来の安定の為に祈りました。現代でも、パワースポットや風水的なものがありますが、一見するとスピチュアルに見えます。でも、中身は全く違う。対価を求めているからです。どちらかというと、推し活の方が原始宗教に近い動きだと僕は考えています。
ここまで、弥生人と縄文人の思想的な違いを、未来に対する期待の有無で話を進めてきました。これは僕の思考実験の結果になります。お前の考えは信用できないという方もいるでしょう。なので、ここからは実例を紹介したいと思います。
芸術家の岡本太郎は、縄文時代の土器や土偶の芸術性を高く評価した人になります。70年万博のシンボルである太陽の塔の製作者として有名ですが、それ以外にも万博の為にカナダからイヌクシュクを取り寄せました。イヌクシュクとは、北極圏の先住民であるイヌイットの石を積んだだけのトーテムポールになります。円柱や円錐、更には人型のものまで様々な形状がありました。北極圏のバフィン島には、いまでも数えきれないほどのイヌクシュクが立ち並んでいるそうです。岡本太郎は、このイヌクシュクについて次のように述べました。
――イヌクシュクは石がただ積んであるだけ。全然接着していないというところに私は暗示をうける。いわゆる「作品」としての恒久性、そのものとして永続するなどということは期待していないのだ。一突きぐんと押せば、ガラガラと崩れる。すると像は忽然と消えてしまう。(中略) 感動的だ。このような、存在と無存在の危機ポイントに、平気で立ち上がっている姿こそ神聖ではないか。
岡本太郎は、イヌクシュクのような石積の文化が他にもあることを指摘しています。朝鮮のタン、中国のアオ、蒙古やチベットのオボ、そして日本のサイの河原。三途の川の寓話では、幼くして亡くなった子供が両親への供養の為に石を積んだだけの塔を作ろうとしますが、鬼がやってきて蹴とばされてしまいます。そうした石を積むという文化は、シャーマニズムな宗教観と連動しているという特徴がありました。
縄文人は現代のように芸術作品を後世に残すというような取り組みはありません。宗教的な儀式において、神に繋がろうとした行為の結果として、イヌクシュクが残っていただけなのです。縄文時代の土偶にしても、手や足が欠損した状態で出土されることが多い。その理由について、病気治療という説がありました。足を怪我したら、土偶の足を壊すことで怪我を肩代わりさせたのです。イヌクシュクと縄文時代は直接は関係しませんが、底辺に流れている感性は同じではないでしょうか。現代人の僕たちは、過去・現在・未来という時間的尺度で、過去の遺物に対して価値を見出そうとします。しかし、縄文時代はそのような感覚はなかった。
ここで整理します。弥生人は、「未来に対する期待」がありました。時間的な努力に対する執着が強い。対価を求めようとしました。そこから「所有」という意識も強まったと考えます。対して、縄文人は「未来に対する期待」がなかった。出土される土偶にしても呪術的な道具として利用しているだけで、作品として残すつもりはありません。ただ、世界と繋がろうとしただけ。ただ、現代において縄文人の生き方を選択するのはかなり難しい。何故なら、社会が弥生人のシステムで構築されているからです。これはパソコンでいうところのOSになります。
縄文人の生き方は、スーパーマンな生き方でした。一人一人が自然に対して全方位で対処する必要があります。出来なければ死ぬだけ。死んでも潔し。未来は知らない。実際、縄文時代は乳幼児の死亡率が高く、平均寿命も短かったようです。強いものだけが生き残る。そんな世界観でした。
対して、弥生時代以降は様々なスキルを分業しました。皆で力を合わせて、皆で結果を分け合います。現代においても、多くの人がそれぞれの仕事を請け負うことで社会が回っています。その多様性の潤滑油としてお金が生み出されました。ただ、現代では貧富の差は広がるばかりで、環境問題が深刻です。
――縄文時代に帰れ!
そのように叫ぶ方もいるかもしれません。エコな社会システムで1万年以上も続いた縄文時代は、それはそれで学ぶところはあります。ただ、縄文時代と現代では人口が違いすぎました。80億人を越えたこの地球上では、狩猟採取生活はもう無理なのです。
このような未来を暗示するかのように、教えを説いた方がいました。紀元前600年頃にインドで生まれた釈迦です。彼が説いた仏教は非常に難解で、八万法蔵と呼ばれるほどに様々な教えがありました。そんな仏教のエッセンスを僕なりに解説していきます。僕は坊主ではありません。専門の学者でもありません。話半分で聞いてください。




