時間と所有
僕のスマートフォンのグーグルカレンダーには、沢山のスケジュールが書き込まれています。仕事に関係したことやプライベートな予定など、30分前になると音で通知してくれます。この機能がとても有難い。便利に使っています。このように書くと、スケージュールを意識した責任感の強い人間に見えるかもしれませんが、全然そんなことはありません。むしろ、未来のことは考えたくない。今だけに集中したいというのが正直な気持ちになります。僕の意識のリソースは限られていて、複数のタスクを同時に管理することは出来ません。だから、未来の約束事は外部委託と割り切ってスマホで管理しているのです。口約束だけだと、申し訳ないですが直ぐに忘れてしまいます。僕はかなりええ加減な人間なのです。
ところで現代に生きる僕たちは、幼い頃から未来を意識するように育てられてきました。例えば、僕の息子は小学校受験を体験しています。良い学校に入ることで、その後の人生が開かれると判断したからです。このような行動は僕だけではありません。世間を見回すと似たような事例が至る所に散見されます。受験戦争は良い大学に入るために戦います。就職戦線も良い会社に入るために戦います。貯蓄や投資に励むのも、老後の人生を豊かに生きるため。宗教的な世界では、信仰の深さによって死後は天国に行けると説くものもありました。このような生き方から、特徴的なパターンを見出すことが出来ます。
――いま努力することで、期待する結果を未来に手に入れる。
因果律という法則を、僕たちは普通に信じています。ただ原因と結果は単純にイコールでは結ばれない。努力には精度があり努力なりの結果しか得ることが出来ません。期待値が高すぎることで、結果に満足できないことは良くあります。また世の中は複雑に絡み合っており、不確定な因子が沢山存在しています。受験戦争で勝ち残れる力があったとしても、試験当日に風邪をひくかもしれませんし、突発的な事故で受験ができないかもしれませんし、また何かしらの不正で不合格にさせられる場合もあります。努力が無駄になることは往々にしてあるでしょう。
――努力はやるだけ無駄なのか?
短絡的にそのように考えてしまいがちですが、無駄かどうかという話はここでは問いません。僕が注目したいのは、この事例から見える現代と縄文時代の時間感覚の違いになります。前回、日本語の時制を紹介しましたが、特徴として未来の表現が曖昧でした。これは未来という概念がないということではなくて、未来を考える必要がなかったと考えています。
氷河期を終えた地球は段々と暖かくなっていきました。青森県の三内丸山遺跡は6千年前に栄えた遺跡ですが、栗の栽培が確認されているそうです。温帯で生育する栗が栽培できるほどに温暖でした。人口は500人ほどであったと推測されており、食料の自給には困らなかったようです。というよりも、かなり豊かだった。食べたくなったら食べる。遊びたくなったら遊ぶ。眠くなったら寝る。未来を意識せずに、今に集中して生きることが出来ました。精巧な土偶の発掘から、芸術や文化的な活動を楽しむ余裕もあったと考えられます。
現在・過去・未来という時間の流れを、現代人の僕達はごく当たり前に意識しています。家の壁には時計が掛けてあるし、スマホを手に取ると時刻が表示されており、いつでもどこでも手軽に時刻を確認することが出来ます。時間の管理とは、実は行動の制約でもありました。縄文人と比べると、現代人はいつも時間に追われていて、余裕がない生活を送っているようにも見えます。
時間は、自然に存在するものではありません。数字と同じで人間によって創造された概念になります。僕たちは時間を流れのように感じていますが、本来は思考している「今」という一瞬しか感じることが出来ません。過去は、経験として記憶に残っているだけ。未来は、経験から予測しているだけ。そうした時間を、なぜ人類は管理しようとしたのでしょうか。それは農耕が切っ掛けでした。
農耕は、四季を通じた一年というスパンで作業が行われます。水田稲作なら、冬の土づくり、春の田植え、夏の成長、秋の収穫というサイクルがあります。どのタイミングで作業を行えばよいのかを知るために、太陽や月の運行を調べ時間を割り出しました。また時間だけでなく、土地を測量する必要性から算数や文字といった技術も磨かれていきます。
農耕技術の発展は、食料自給力を強化し人口の増大をもたらしました。人口の増大によって、狩猟採取だけではコミュニティーの維持が出来ません。更なる農地開拓の必要性に迫られました。人口が増大した社会において、飢饉は大きな災害です。以前にもご紹介したように、農耕の副作用として戦争が行われるようになりましたが、それ以外の方法も講じられます。それが備蓄でした。未来を予測するという時間的概念を使って、リスク回避が行われたのです。麦や米といった穀物は、未来のリスクに対する大きな保険になりました。ここから「所有」という概念が生まれたと考えます。
所有は、いつまで所有するのかという時間的な要素と、この世界から分割したコミュニティもしくは個人を特定する要素が合わさった概念になります。縄文時代は、この所有という概念が希薄だったと考えています。アイヌ文化や山岳信仰では、狩りをした動物は山の神から分けてもらったと考えました。アメリカ大陸にやってきた西洋人が、ネイティブアメリカンに「この土地を譲れ」と迫った時、「神の土地を譲るとはどういう意味なのだ?」と首長は疑問を口にしたそうです。縄文時代においても、この世界に受容されて生きているといった考え方が一般的で、個人が何かを所有する行為はなかったと考えます。
縄文時代の思想を理解するために、もう少し「所有」という概念について考えてみたいと思います。18世紀の哲学者であるジョン・ロックは「所有権」を訴えました。その後、啓蒙思想の広がりからアメリカの独立戦争やフランス革命が起こります。自由と平等が求められました。所有という概念と、自由と平等は違う概念でありながら、それらの思想を因数分解していくと同じ要素を内包していることに気が付きます。それは「個人の権利」になります。
自由は、封建的な体制から自己を切り離そうとします。平等は、コミュニテイに所属する成員の均一さを求めます。所有は、個人の権利を正当化します。これらの概念は、「自分を取り巻く社会」と「権利を主張する自分」という、明確な対立構造を生み出しました。
縄文時代の世界観では、この世界の中心に神を置きます。概念的には「世界」と「自分」と分けているのですが、その関係性は対立ではありません。「親」と「子」なのです。この世界を統べるものに対して、尊敬や畏怖また感謝といった感情を抱き、供養するという宗教的な儀式によって応えました。余談ですが、「美」という漢字は、大きな羊を神に捧げる供養の姿を表しています。その供養する心根が「美しい」という意味になりました。この感覚は「推し活」によく似ています。
ところが、現代的の供養は全く違いました。感謝ではなくてお願い。お布施をするから功徳をくれ……なのです。これは農耕文化によって変質させられた宗教観だと、僕は考えています。農耕社会を維持するために、王を頂点とするヒエラルキー社会が誕生しました。この王の権威を担保するために、宗教が利用されます。農耕社会では、王が人民に施しを与えました。これが、神による功徳と考えられるようになります。このことから供養は義務になり功徳がセットで考えられるようになりました。
縄文時代の神は、なろう小説で語られるよな全知全能ではなかったと思います。きっと超能力も使わなかった。ただ、尊敬するまた畏怖する存在として尊ばれた。また個人と個人との関係性もどこか未分化で、個人の権利という思想もなかったと思われます。
今回は、縄文の思想を浮き彫りにするために、農耕文化や現代の時間感覚と比較してみました。次回は、その比較をもう少し深く掘り下げてみたいと思います。具体的な、縄文的な思想と、弥生的な思想と、仏教的な思想の比較になります。ちょっと難しいかな……。




