8話 娘の奇妙な日常〜グレンヴィル辺境伯視点
妻のエイドリアンが亡くなってはや3年。
トーマスとローズマリーには男子が生まれ、ジェイムズは来年の初夏には婚約だ。
早いものだな・・・。
三男のハロルドは魔法学園を卒業して領地に帰って来た。
グレンヴィル領の魔術師団に入団するというので、反対する理由もないだろう。
次男のジェイムスは第一王子のギルフォード殿下と仲が良く信頼も厚い。王都に残って王宮騎士団に入ったので、ギルフォード殿下の忠実な臣下となるだろう。
もしかしたらハロルドも王宮の魔術師団に入るのかと思っていたが、やはりアシュリー可愛さに領地に戻って来たか?
長男のトーマスからアシュリーの可愛さを羅列した手紙を何度も送られていたと聞く。トーマスも魔力の多いハロルドを領地に欲しかったのだろう。
そのアシュリーだが、エイドリアンが亡くなってから本当に喋らなくなった。
成長すれば女の子はもっと口が達者になるのかと思っていたが、アシュリーは必要のないことはあまり喋りたがらない。
やはり男ばかりの家族では気付かぬ心の傷が癒えていないのだろうか。
それでも時折見せる笑顔は天使の如く愛らしい!
「お嬢様は旦那様によく似て努力家でいらっしゃいます。ご心配される様なことはございません」
乳母のエリーはアシュリーを絶賛するが、他のメイドに尋ねると、何やらベッドの上で物思いに耽っている時間が必ずあると言う。私も一度こっそり覗いて泣いていないか確かめてみたのだが、目は閉じていたものの泣いてはいなかった。
ベッドの上に座り、両手を腹の下辺りで組んでじっとしている。背筋がビシっと伸びているので寝ている訳ではないのか?四半刻に満たない程の時間ではあるが、全く動かないので心配になるではないか!
エリーに言わせれば、この時間はアシュリーにとって必要な時間で、これが終わると頭がすっきりしたとアシュリーがよく言っているのだそうだ。
何かの呪いか?
やはり心配だ。
アシュリーが欲しがるものは何でも与えてやりたいのだが、アシュリーから欲しいと言われたものは本か、6歳になる少し前に庭に作った遊び場くらいなものだ。
城に似せた様な壁に、高さの違った棒や台がいくつも散らばっていて、お姫様の真似事をして遊ぶ場所なのだと思っていた。
アシュリーにお茶に誘われ、鮮やかに塗られた台に菓子と茶が用意され、緑深い庭でアシュリーとするお茶会はとても楽しかったからだ。
しかし、数日後。あれはアシュリーが自己鍛錬をする場所だろうとハロルドから報告を受けた。
自己鍛錬?
6歳の女の子が?
ハロルドによると、アシュリーは毎日密かに走り込みをしているらしい。走った後は、長い縄の様なものを振り回しながら飛び続けるという。見た事も聞いた事もないので報告だけでは理解出来ぬ。その後は、遊び場で飛んだり跳ねたり回ったりしているというのだが、もっと理解出来ぬ。
密かに探らないと分からなかったということは秘密なのだろう。悟られない為に私をお茶に誘ったのかと思うと悲しいが・・・。
私とのお茶会は特別なのだと思う事にする!決して誤魔化す為ではなかったのだ!
しかし、自己鍛錬とは・・・
貴族令嬢としてはどうかと思うが、ここは魔物が跋扈する森のある辺境だ、アシュリーが強くあろうとするならば止めはせぬ。母親が亡くなったことで心境に変化があったのかも知れぬ。しばらく様子を見ることにしようじゃないか。
それからは、長期休暇でグレンヴィルに帰って来るハロルドから、その成長の報告を受けるのが楽しみになった。どうやら屋敷の使用人達も鍛錬の事は知っていて見て見ぬふりをし、こっそりと見守ってくれているようだが、儂が探りに行ってもアシュリーが鍛錬している所は見られた事がないのだ・・・。
ハロルドは、儂は存在感があり過ぎてアシュリーに気付かれるからだと言う。ならば、アシュリーは気配を察知する事もできるという事だろうか。
あれから二年。
セバスチャンから時々アシュリーの様子は聞いているが、ハロルドが半年ぶりに見たアシュリーは、その成長ぶりがよく分かる。走るのがまた速くなったようで、大人でも負ける速さだとか。
それはすごいな。
目の前に敵がいると想定した訓練もしている様で、アシュリーから繰り出される蹴りや拳のスピードは目にも止まらぬ速さだとか。
それもすごいな。
遊び場では跳んだり回ったり登ったりしていて、既に遊び場だけでは持て余し気味で、今日は屋敷の壁を登ったりしていたと・・・
屋敷の壁?
遊び場の壁を登るとは聞いていたが、それすらも理解出来ていないのに、屋敷の壁?
もうやめだ!
こっそり見守るのはやめだ!
今すぐアシュリーに秘密にする必要はないのだと教えよう。強くなりたいのなら私がいくらでも強くしてやろう!
私は一目散にアシュリーの所へ行った。
「アシュリー!!」
「お父様!?」
アシュリーの遊び場にいきなり押しかけたので怖がってしまったようだ。怒られると思ったのだろうか。
「アシュリー、急に来て脅かせた様で悪かった・・・怒っているわけではないからね?アシュリーがここで何をしているのか、どうしてそうしているのか、アシュリーが願っていることを私に話してはくれまいか」
「お父様・・・」
「アシュリーがその小さな身体を鍛えているだろう事は分かっているのだ」
「・・・!」
驚いておるな。
屋敷中の皆が知っていると言ったらもっと驚くか・・・。
「エイドリアンが亡くなって、アシュリーにも何か思う事があったのだろう?
この辺境の娘として誇りに思う事はあっても叱ったりなどせぬよ」
「・・・本当ですか?」
「ああ、エリーも絶賛だ。アシュリーは努力家だと褒めちぎっておったぞ!」
「・・・!!」
やはり驚いておる。
「セバスチャンの息子が最近急に鍛えだしたのも、アシュリーの影響であろう」
「・・・!!!」
ははっ!
まだまだ瞳が大きくなるのか!
もう、これくらいにしてやろう。
「安心したか?誰もアシュリーを責める者など居ないのだ。この国最強と名高いグレンヴィル辺境伯にも、娘の鍛錬の手伝いをさせてくれぬか」
懸命に宥め、私がアシュリーの鍛錬に全面的に協力すると言えば、パーッと笑顔になった。
「お父様、嬉しいです!」
天使だ!
すると、自分がどれだけ鍛錬したのかを見せたいらしく、遊び場の中を走り回りだした。
「お父様、見ててくださいませ!」
自分の背より高い棒にヒョイっと飛びつき、棒を握ってぐるっと回ったと思えば、飛んで着地し
乱雑に置かれた高さの違う台の上を目にも止まらぬ速さで飛び回り、途中で何度も回転を入れる
その回転も、様々な方向へ回るのだ
二枚の壁を手を使わずに駆け登って、回転して飛び降りる
それを私は呆然として見ていた。
アシュリーは魔法が使えないから身体強化もしていないはずなのに、この身体能力はなんだ?子供の能力を超えている。いや、大人でも出来るものは限られるだろう。
身体強化すれば、騎士団の団員ならばできるかも知れぬが・・・身体強化が出来る騎士自体が極少数だ。しかも全身強化などあり得ない!
全てにおいて8歳の女の子ができる技ではあるまい。
アシュリーは天才かっ!!
「すごいぞ、アシュリー!
本当にアシュリーは素晴らしい努力家だ!
こんな美しい鍛錬は見たことがないぞ!」
私が褒めちぎると、照れながらも嬉しそうなアシュリーは言った。
「お父様。私に、武術を教えてください、ませ。」
天使の微笑みで・・・。
この天使の願いを断れる訳がなかろう。
「良いぞ、何でも教えてやろう」
「お父様は、何でも出来るの、ですか?」
「ああ、剣でも槍でも弓でも体術でもな。グレンヴィルの魔物に勝つためには術を選んではおれぬ」
「お父様!すごい、です!」
尊敬の眼差しというのはこういう眼差しだという見本の様に、眼をキラキラさせるアシュリーはなんと可愛いのだろう。
そんな可愛いアシュリーは両手を拳にし、構えてみせる。
「こうして、こうして、こう!」
アシュリーの拳が空気を切る様にシュシュッと連続で前に出され、最後に回転して跳びながら時間差で両足が思い切り上に蹴り出される。その動きは、前に敵が居ると想定されたもので、美しい切れがあった。
「アシュリー!向かって来なさい!
私が受けてやろう!」
「はい!」
嬉しそうに返事をした後、すぐに拳を当ててくるが、どれだけ鋭い攻撃でも私には虫が止まった様なものである。全ての拳をいなしでやると、目を見開いて驚きはしたが、すぐにまた嬉しそうに拳を打ち込んで来る。
それも全てあしらってやると足技も次々と繰り出してくる様になった。
アシュリーはいつの間にこの様な戦い方を覚えたのであろうか。身体ができていないので、まだまだではあるが、そのうちきっと強くなる!
もしかすると、長男のトーマスよりもな・・・。
女の子であることが惜しい。アシュリーを領地に留め置くことは出来ぬのが惜しいっ!
・・・・・・いや?
方法はあるのではないか?
そんな事を考えていると、アシュリーの攻撃がもっと複雑なものになって来た。
実践しながら実力を付けていく類の戦士だな。
ほっほっほっ!
楽しいわ!
足技をまたあしらってやると、アシュリーは足を滑らせて転んでしまった!
「アシュリー!大丈夫か!?」
「ふぅ…大丈夫です!
お洋服を、汚してしまい、ました・・・」
いや、もう既に汚れていたと思うぞ?
今のでもっと派手に汚れはしたが。
「服は洗ってもらえばよい。家のメイド達は優秀だからな」
「・・・はい」
楽しそうだったのに・・・
アシュリーはメイドに迷惑をかけることを非常に厭うらしいからな。子供だというのに我儘を言ったこともないと聞く。
私は汚れたアシュリーを抱き上げ、メイドの所へ連れて行き、一緒に謝ってやった。
メイドに恐縮されすぎて逆効果だったようだが・・・。
「アシュリー。明日は剣も教えてやろう」
「はい!」
少し元気になったか?
アシュリーが願う事は何でも叶えてやりたくとも何もしてやれない事が残念でならなかった。
だが、これからは違うだろう。
アシュリーが望むは武力。己を鍛えることであるのは明らかだ。
お前の父が私で良かった。
このグレンヴィル…いや、このモントローズ王国一の強さを誇るグレンヴィル辺境伯が、その望みを叶えてやろう!
しかし・・・。
アシュリーの攻撃をいなしてはいたが、あれほど続けて攻撃してくるとは・・・。
少々私の手にも支障が出ているようだ。
ちょっとハロルドに頼んで癒してもらうか。アシュリーには内密に・・・。
その翌日。
私はトーマスとハロルドを連れてアシュリーを迎えに行った。
乳母のエリーに着替えさせてもらったのか、シャツとズボンという動きやすそうな服装で待っていた。
「お父様!」
満面の笑みで私に突進してくるアシュリーの可愛いこと!
だが、ちょっと勢い良すぎないか?まあ、私ほどにもなれば、アシュリーが一人くらいぶつかってきても…
ゲフォッ
うん、大丈夫だ・・・ゲフゲフ。
父にも兄にもバレていた件。