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次の質問に答えてください

◆次の質問に答えてください. 斎藤和眞


【Q】実は望月漲が一緒にカードゲームで遊びたい生徒がいました。

緊急検証部設立はその生徒と放課後を過ごすのも目的だったのです。

部員にはならなかった、その生徒とは何組の誰だったのでしょうか?



最後まで文章に眼を通して頂けましたら、自ずと気づく簡単な問題です。

ミカミソーに勧誘の言葉を向けていたようですが、彼女じゃありません。

しかし、もっちーなりに意図があっての発言だったのかもしれませんね。


五寸釘を刺しときますが斎藤さんの容貌は想像する必要ありません。

必要なら幾千兆であろうと繰り返します。『具体的想像禁止!』と。








◆Take me Tei-iku me. 浅井彰太


九年生十二月、年末年始の休暇時期を待ちわびる頃。


本日は土曜で学校の授業もなし。目が覚めたのは九時過ぎだったと思う。

ドンドンドンと自室の扉を叩かれたと思ったら、マコが飛び込んできた。


「あっれぇー、まだ寝てたのかァ。ゴメーン、勝手に開けちゃったよ!」


全く反省する気ありませんって書いてる笑顔で、ベッドの枕元まで侵入。

うちで買って与えたと思われる白いニットに茶色いボトムを合わせた姿。

ドアの内鍵、どうせ親が反対するに決まってるから付けてなかったけど

ちょっと考えた方がいいんじゃねぇかと思えてきた。簡易な鍵で充分だ。


「枕元も漫画本でいっぱいだな。本棚から溢れて売るほどあっていいな。

よかったら、また何か面白そうなの貸してよぅ。歴史の勉強にもなるし」


マコ、マイペースにも程がある。もう少し程々にしてほしい。寝起きだよ。

ここが病室で俺が病人だっていうなら兎も角、ここはプライベートな空間。

程々な距離感で接してほしいけど、マコには強い怒号を吐く気になれねぇ。


滅茶苦茶に乱雑でゴミの散らかった汚部屋ってのとは違うと思いてぇが

普通に恥ずかしい。迷惑。約束なく侵入されたら己の心身が疲弊すると

本日の目覚めから学習できたような気がする。つーか、いつまで居る気?


おまえはロープレの勇者かよ?ってツッコミたくなる。

只今、俺の部屋ん中を遠慮なく物色されてる真っ最中。


起き上がる気力が回復するまでは黙って寝てる。

カーテン開けて窓の景色を眺めるくらいは許す。

CD、DVD、好きなのを再生して構わねーし。


箪笥を開けるのは、何としても阻止。樽や壺なんて、あるワケねーだろ!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


マコ、マエダ先生の鞄持ちで来たんだと思うよ。


うちに住み着いてる様々な誰かの不調がありゃ

すぐ往診の依頼が診療所へ伝わる仕組みだもん。

一昨日辺りからゴホゴホ咳してるのがいたから

診に来てくれたんだと思う。妹の部屋へ寄って

特に用事もねぇから、それで俺の部屋を漁り…

暇潰しを兼ねた朝の挨拶に訪れたって訳だろう。


壁一面の棚、ちょっとした店舗並みに陳列された品物を珍しそうに見て

気になる物を手に取って、裏書きを眼で追ってる。愉快そうに映る光景。

文句も出てこない。欲しいもんがあるなら持ってっていいよ。全部やる。


「なして起きないの? もしかして、彰太君も体の具合悪いの?」


気ィ抜いてた。自分の意識が本体から離れてた。

正気に返った途端、目の前にマコの顔があった。

心配してくれてるのが伝わってくる。解り易い。


「いや、大丈夫。普通だよ。ただ、こっちにも朝の支度する時間がほしい」

マコには余計な気遣いしないと決めた。何一つ包み隠さずに思いを伝えた。


「あー、邪魔になってたのか。じゃ、オレは下で先生と寛いでるよ。

今日は大祖母さまの月命日だって。急患とかなきゃ彰太君の家で

ゆっくりのんびり過ごすのも悪くないねって話になったから」


偶にはマエダ先生も休暇を愉しみたいと思う日があって構わねぇよな。


マコの歩き方って独特。作曲能力がありゃ役に立った筈。無能を恨む。

マコが歩く。喋る。笑う。その全ての様子を何かの形に残したいんだ。

腹から出してます!って声も聞いてて元気が湧いてくる。歩く回復薬。


血縁はなくても繋がってる。家族同然となったマエダ先生とマコ。

ようやく室内に静けさが戻ったのに、妙な寂しさが腹の底に残る。

あれだけ賑やかだったのに…突然…みたいな心境。なんか不思議。


後どれだけの時間、この部屋で過ごさなけりゃいけないんだろう?


卒業までは我慢する。見たくない姿も耐えて、なるべく俺の頭に

留めたりしないよう、考えないよう努力していこうって腹積りだ。


いつか解放される瞬間が必ず訪れると信じれば

ほんの僅かだけど、胸の何処かが照らされる。

何とか立ち上がって生きる支えになってる。


村から出る。何としてでも離れなきゃ生きてけそうにねえ。

あの方向、あいつらから遠く離れた場所なら何処でもいい。


街とも縁を切りてぇな。庭に近い一息つける場所ではあるが

浅井家ってのと縁切りしてぇ。千切れて飛んで消えてもいい。


一階へ下りるのが面倒。洗面所とかは二階にも設置してあるけど

食事しなきゃしないで、上がってきて何か言ってくるのがいるし

形だけでも家族に俺の生存を確認させとこう。これも身内の義務。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


食べろ。食え食え。五月蠅い。家での食事は苦行。言われるまま食う。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


出前で済ませた昼食の後、脩が俺を訪ねてきた。暇なのか何なのかは不明。

家にはマコとマエダ先生がいるんだから、ドクズなんか中に入れたくねえ!

玄関に黒いゴム長靴が二足並んでるのを確認した時点で、ニヤけてやがる。

脩のヤロー、無暗に目立つ色の上着を羽織ってる。俺は選ばねぇ派手な色。


頭ン中に最近よく流れるようになった曲がある。満月小唄。

学校一組の寄宿舎生、入学時から銀縁眼鏡が特徴の望月漲。

あのちょっと老け…俺たちよりも落ち着いた感じに見える

望月と他三名が十月の学習発表会で歌った少し長めの一曲。


出前の注文するときマコと同じメニューにすると答えたら、天津飯。

かに玉を見てたら、また満月を捕まえに行く歌が脳内に流れてきた。


絶対に叶えられねぇ望み。月や星、太陽を個人の所有物にするのは無理。

なんか単純に堪らなく寂しい気持ちにさせられた。頭に残っちまったし。



月を捕まえに行く。そんな出鱈目な嘘でいい。俺も何処か遠くへ逃げてぇ!



受け入れ難い現実から逃避したいと願う曲のように思えた。俺の耳には…。

同行者は不要。誰も巻き込みたくねぇ。生き地獄を彷徨うのは一人でいい。


不快な言葉を聞きたくねぇし複雑な表情も見たくない。

飼い犬はちべえの散歩って名目で表へ出ることにした。


家を出て間もなく…後悔…。寒い。吹雪いてる。気温はマイナス越えかも。


帽子は苦手だから持ってねぇが、吹雪除けに傘を差しての移動推奨。

差したい気持ちはあっても面倒だから、犬の排泄物を始末する道具

一式を手にしてるだけ。雨と違って雪はすぐ衣服に浸み込まねぇし。

手袋かアームカバー着けてくりゃよかったけど、引き返すのも面倒。

マコが来たから、ラブラドのブレスを着替えするとき左手首に装着。


はちべえのリードは脩に任せた。俺より体力ある筈なのに

笑えるくらい引き摺りまわされてやがる。はちべえ頑張れ!


普通に歩くだけでも、それなりに熱量消費活動となる筈だ。

俺は腹ごなしのウォーキングって運動を愉しむことにする。



頭ン中で例の小唄を流して歩こう。心だけでも此処じゃない何処かへ…。



望月は中央に実家があるらしい。親しくなりゃ逃亡の伝手ができるかも。

一度だけ望月と関わったことがある。一年生秋の出来事だし、向こうは

忘れてると思う。偉そうな話だが、彰太君が望月君を助けてやったんだ。

一組は裏事情が多過ぎて近づき難いけど、一度ゆっくり話をしてみたい。

意外に視えない障壁も感じさせることなく雑談できそうな物腰だと想像。


「彰太君、何を考え込んでんスか? 完全に上の空って表情してるケド」


ドクズなりに人の表情を読み取って、何かを感じるくらいは可能らしい。

こいつに俺の心情を打ち明けれると思う? よし、賽子を振って運試し!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


うん、思いきり笑われた。充分に予想可能だったのに、俺って馬鹿すぎ。


「あの人って、眼鏡と髪形がアレ。タマネギ部隊そのまんまっスよォ!

タマネギさんのことを話す彰太君はパ…だって、もう、いや、笑える!」


ああ、そういうことになるのか。俺の渾名が望月と結びつくのは予想外。

思いきり地雷を踏んだ発言してたんだな。能天気だった。バッカミテェ。


視界は地面。顔に粉雪の直撃は避けたい。死ぬまで俯き歩くと決まった

浅井彰太の情けない人生だよ。真冬日の白い道を眺めて歩く修行してる。


途中で用足しの始末。犬にも表情があると分かる。スッキリした面持ち。

道路の脇、所々に黄色、それよりも濃い色に染められた箇所が目に付く。

降雪した外はきれいじゃねぇ。雨が白くなった不要物の落下。労働の種。

俺ん家はロードヒーティングや融雪溝もあるから、特に苦労はねーけど。


「意外な人物が二人連れで歩いてるぅ。デートってんなら玉の輿狙い?」


道の向こうに二人分の人影が相合傘してる。

うちのクラスのミサと一組の校長の孫ガキ。


ミサの肩には黒いエコバッグ、手で真っ赤な洗面器を抱えてる。

共同浴場へ向かってるようだな。寄宿舎生の日常が垣間見えた。

こいつらにも俺の知らない寄宿舎内での暮らしがあるんだろう。


「脩、ヘタなこと言うな。会釈で通り過ぎよう。話す用事もねえんだし」


二人と馴れ馴れしく喋ったら碌なことねぇって視線で威圧してやった。

そうは言っても俺が釘を刺せば刺すほど笑いの沸点が下がるドクズだ。

左手の甲を口周りに当てて必死で笑い声出すの堪えてみせてるらしい。


「はっちべえ、メラメラ~。イキしろーい。カワイイ! アタマなでる!」


赤いダッフルコート着た校長のアレレな孫が近づいてきた。予想はしてた。


撫でてるつもりなんだな。おそらく校長の孫は可愛がってるつもりなんだ。

頭では全く悪意のないもんだって解釈してみるものの…俺が見た感想じゃ

はちべえが無邪気なガキに暴力振るわれてるとしか思えねぇよ。虐待行為。


世話係っぽく見えるミサ、黙って何も口出してこねぇ。言えねーのかな?


寄宿舎で暮らす連中の人間関係なんて未知の領域。考える気にゃなれねぇ。

ミサは壱君センセと同室を仕切って寝起きしてるとは聞いたことあるけど

考えるほど頭ン中が気色悪りぃ方向へ進行していくだけ。絶対おかしいよ。


何も悪くない、抵抗もしないで打撃を受け入れてる、はちべえが可哀想だ。


口で諭しても無理っぽいガキには、字をなぞって覚えるように教えてやる。

ふわふわのミトン嵌めた女児みてぇな右手を、俺の手で押さえて動かした。


『犬と触れ合う場合の手の動かし方』を学習してくれりゃいいんだけどな。


一組のガキは気が済んだのか、俺に勝手できねぇよう操作されてるのが

気に食わねーのか、何も言わずに手を振り解いて、ミサの所へ戻ると

再び相合傘状態で歩き出した。ワケわかんねぇ歌まで口遊んでるし。


「可成り見られてましたね。彰太君のブレスや腰の辺りだと思うんスが」

少し黙って歩いてたかと思ったら満面の笑みを浮かべたドクズが喋った。

「本当は彰太君に何か言いたい気持ちがあるんじゃねーでしょうかね?」

自分は答え知ってるけど教えてやらねーよ!って表情で顔を覗いてきた。


腹立つから無視して、少しばかり先を歩いた。

腰の辺りと耳にした所為か、トイレに小用ができた。

脩が来る直前まで居間でマコたちとコーヒーを飲んでたし

散歩の支度とかで尿意にまで気が行き届かなかっただけのこと。


…??…


ブレスは兎も角、腰の辺りって…。腹が目立ってきた?



…!!…



あー、そうか。ミサは学校での姿しか知らねぇからだ。


俺も普段着のミサを見たの初めてだったかもしれねえ。

完全武装にも程があるってくらいの防寒姿だったから

本当に親しい仲なら軽口でも叩きたくなるような感じ。


学校での姿が異常なのは百も承知だが

俺にとって、村の学校は戦場と同じだ。

身に着けた縄は武器であると同時に…。


そうだ、もうすぐ学校だ。昇降口は開いてる筈だから

ちょっと学校に寄って、トイレを借りることにしよう。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


はちべえもいるし、脩には前庭で待ってもらうことにした。

しかし、降雪の中でも目に付く上着の色だ。俺は着れねぇ。

容姿だけ人並み以上だから、ヤツには似合ってると思うよ。


内履きに替えて、校舎に入ってみると

教室のある建物へ入る扉は施錠されていた。

当然か。ヘタなのと顔合わせるのは気まずいが

粉雪で滑る渡り廊下を歩き、寄宿舎側に行ってみた。


今まで一度も使用したことなかったけど

食堂がある並びに小規模なトイレがある。

そこを使えば、問題は万事解決する筈だ。


通過した食堂に数人いそうな気配があった。

姿を見たくはない連中の声が響いてやがる。

食事の匂いを黙って吸い込みながら忍び足。


妙に勘の鋭い一組の…気づかれずに済んだ。

些細な幸運だと思って、素直に感謝したい。

仮に見られても話す言葉は何にもねぇケド。


用事を済ませて戻ったら、はちべえが桜の樹に括り付けられてやがった。

忠犬そのもの、おとなしく座ってた。俺の顔を見ると少し安心したのか

尾を振って舌を出し、周囲に白い息を拡散させてる。頭を撫でてやった。


それにしても、あのクソヤロー、どこへ消えやがった?


街の公園での消失事変を思い出し、鬱な気持ち抱えて

辺りを見回したら、朱色の上着が駐輪場側から現れた。


「待ってるうちに自分も行きたくなったんで

駐輪場の隅っこで済ませてきちゃいました!

自分、彰太君みたいにお上品じゃねーもんで」


悪びれもせず、スッキリした顔で言い放った。

てか、俺も内心ビクつきながら移動するより

物陰で済ませた方が精神的には楽だったかも。


「駐輪場の隅の柱にチェーン巻き付けて防犯

対策しまくりやがってる自転車があったんで

そいつに目掛けて、ぶっかけてやったんスよ。

あの自転車の持ち主、誰なんでしょうかね?」


スッキリついでに悪事も重ねてきやがったらしい。

俺の愛車なら、ぶっ飛ばすどころじゃ済まさねえ。


兎も角、ドクズの確実に洗ってねぇ手でリードを握らせるのは嫌だから

ここで引き返すことにして、代わりに後始末の道具を押し付けてやった。



あー、そういやァ…望月漲…あの人は寄宿舎の何処かに居たんだろうか?



食堂から漏れ聞こえた中には、あの人の声はなかった。

つまんねぇ戯言や雑談に混じるようなタイプとは思えねーし

何処となく浮世離れした感がある。マコに近いけど違う雲の上の人。



此処じゃない何処かへ。白銀に満ちた月の下、往く宛もなく彷徨う。



バカミテェな妄想を展開させて、はちべえのリードを握って帰った。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


散歩の後、はちべえは決まって大量の水を飲み干す。

直径20センチ以上のステンレスボウル満杯くらい。

量ったことねぇが、2リットルくらい飲んでるかも。

冬場は腹を壊さないよう先に少量の温い湯も入れる。

水に湯を足すと叱られる。逆さ水だからダメだって。


ドッグフェンスで仕切られたガレージの一区画が

はちべえ専用の居住スペースとなっている。

リードから解放されて、自由気ままに過ごす形だ。

普段はマットや羽毛入りベッドで寛いでる。


今は馬肉ジャーキーを齧ってる。ここ最近じゃ一番お気に入りのオヤツ。


誰かがコンセントを一時的に抜いたらしい。石油ファンヒーターの時計を

設定し直さなきゃならねぇ状態だ。両膝ついて、壁の時計を見て直してる。

その後ろから僅かばかり遠慮がちって調子で、脩の鼻声が耳に入ってきた。


「あのぅ、実を言うと…ちょこっと彰太君に頼みがあるんスよ…」


やっぱりな、約束もしてねぇのに訪ねて来たのには理由があると思ってた。

散歩を手伝ってもらったんだし、余程の面倒じゃなきゃ聞いてやっていい。


「よかったら、泊めてもらえねーっスかねぇ? ここで構いませんから」

操作を済ませて振り返ると、しゃがみ込んで疲れたような脩の顔があった。

「ここで…って、はちべえが迷惑するだろうが。家で何かあったのか?」

「赤毛、二組のアレ…。うちの兄者と仲が良いでしょ。あいつが来てて」

「ああ、そりゃ居辛いよな。あいつと同じ空間は、俺でもキツイと思う」

赤毛のリンバラは真面目で気の優しそうな…常にオドオド落ち着かねぇ男。

本人だけじゃなく、周囲まで落ち着かねぇ気分に巻き込むのが特筆事項だ。


生まれついての真っ赤な髪の色に灰色の瞳、色白な肌に顔中のソバカス…。


それと何よりの特徴が…ダメなんだ。あいつ見てるだけで…誰だって笑う。

話芸じゃなく行動で大笑いさせるピン芸人。本人には全く自覚ねぇとこが

また周りを何とも言えねぇ空間へ巻き込んでいく。色々と複雑な事情持ち。


うちのタコ宙が特に虐めてるようだ。学校の入学当初から侮蔑嘲笑の対象。

俺はバカにしたくねぇ。本当に少しも嘲笑いたくない。それでもダメだよ。

林原晃司は何かに呪われてるとしか思えねぇ。目に入ったら終わり。笑う。

級友のマコでさえ、リンバラ君の話題になると複雑な表情。お気の毒さま。


居た堪れなくなったドクズは、俺ん家まで遁走してきたんだな。

兄の親友を気遣う優しさなんだと思う。そうだよ。脩を信じる。


ちょっと待たせて、ガレージの二階に居住するヤツを見つけて

下のストーブを切らさないよう頼んできた。まだ若い新しい顔。


勿体つけて、ゆっくりした歩調で階段を下りていく。偉そうな素振り。


「俺の部屋なら、べつに泊まっていいけど

着替えとか何も持ってこねーで大丈夫か?」


噴き出された。彰太君は快く受け入れ、気遣ってやったつもりだったのに。

「いや、だって、一晩くらい問題ねえでしょ。女子のお泊り会じゃねーし。

なんていうか…前々から感じてたんスけど…彰太君の思考は女子に近けぇ」

俺は立ち上がると、ドクズのリテン君を見下ろした状態になって質問した。

「へぇ、前々からって、いつからだよ? 正確に聞かせてほしーんだけど」

脩から答えを聞く前に煮え滾った腹が落ち着くまで頭を踏みつけてやった。


使い捨ての歯ブラシやタオルくらい幾らでもある。そいつを使わせてやる。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「薄い青紫とイエロー・ゴールド・ペリドット・グリーンって感じ!」


俺の部屋に入れるのは初めてじゃねぇけど、今朝のマコ襲来に似た心境。

本棚を見て、その背表紙の色を言ってるだけだよ。黄緑が眼に残る漫画。


珍しい物はない。蒐集家じゃあるまいし、全て街で入手可能な程度の品。


俺は腰を下ろし休んでる。ベッド脇を背当てにした形。

壁の時計は、午後三時を少し過ぎた時刻を示してる。

既に室内灯なら点けてるよ。外は吹雪だ。薄暗い。

なんかもう疲れた。横たわりてぇ。怠りぃよ…。


脩は今朝のマコ同様、勇者になって室内を物色中だ。

俺の気持ちも、今朝と同じ。欲しいもんは全部やる。

但し、どこ探したって稀少な宝物なんかねぇけどな。


マコたちは夕飯も家で食って帰るつもりなんだろうか?

それなら俺たちの食事は二階に上げてもらうべきだろうな。

同席すんのは無理。俺が災厄なドクズの仲間になっちまうし。


本当はしたくねぇ見下した態度で喧嘩腰みてぇな言葉をマコに向ける。

人間関係。同じ勉強する仲間なのに上下左右を気にかけなきゃ居辛い。


ヘンだよ。学校の中は色々と奇妙だ。心を狂わせてるのは俺一人じゃねえ。

寄宿舎生たち、特に実家へ帰省しねえ数名…。あいつら、たぶんきっと…。


帰る家がない生徒たちがいるのに、俺は家から飛び出してぇって望んでる。


蹴飛ばされても必死に堪えて、何度でも立ち上がる本当に強い連中もいる。

マコもその中の一人だ。普通に一番の友達になりてぇ。サ…とも仲直り…。

生徒一人ひとり心を通わせ、みんな解り合えたら、諍いやイジメも終わる。

解り合うまで時間を必要とする類のヤツもいる筈だ。みんなで待てばいい。

学校は勉強するための場所だ。楽しく和やかな空気である方が気持ち良い。


俺は謝罪すべき悪事が山積みだな。後始末の先延ばし。弱いから逃げてる。


月を捕らえるための旅。今夜は月も見えねぇだろうが一人きり旅に出たい。

最初に燃やしてやる。俺自身が鬣を燃やした獅子、村の学校を焼き尽くす。


学校だけじゃねーよぅ。この世界を全て焼き尽くし、完全に消し去りてえ!


うん、分かってはいる。そんなことをしても犯した罪は消え去りゃしない。

俺一人が世界から消え去れば、全ての問題は丸く収まる。事件は完全解決。



「また例のハナシでも読み返してんスか? ホント好きなんですねー!」



脩がベッドの宮棚に積み上げてある数冊の漫画を目にして漏らした感想だ。

背表紙を上にした状態で積んである。また読みたいし、戻すのも面倒だし。


「マント、いいっスよね。究極のメーンズファッショーン!

ほら、あのスーパードクターみてぇのが自分の理想系っスが

この葬式の鯨幕を思わせる陰陽?みてぇなのも悪くねーかも」


説明すんのも面倒だけど、こいつは某国の将軍様たちを見て言ってんだよ。


「でも、この御方たち全員とお揃いの衣装着ろ!って渡されて

軽く戸惑ったり、脳内じゃ頭抱え込んだりしねーんでしょうか?

学校の制服みたく割り切ってンでしょーかねぇ? この中にだって

結構アレな序列っつーか、好き嫌いとかの相性も普通にある筈ですよ。

こいつとだけは同じ格好したくねえ!フザケンナ!って裏事情あるかも」


そう指摘されてみるとアレな気もしなくねぇが、たぶんイメージ上のもん。

同じ思いで行動を共にしてるって印象付けるための演出の衣装だろうな。


大体にして、そんな細けぇ人間模様まで描写してたら面倒すぎるって。

読者自身が現実生活で直面してるのだけで充分だし、舞台裏なんて

知らなくていい。物語はフィクションでファンタジーだからこそ

安心して飛び込んでいける。温水プールみたいな娯楽でいいよ。

潜り込んで浮き上がって、気の向いた時に好きなよう愉しむ。


当然だが、プールはイメージ上のもん。水着なんて拒否だ。

手品より魔法。現実より幻想。それで誰もが幸福に至れる。


「恋愛シミュレーションゲームだとすりゃ彰太君は誰を選びます?

なんかもう…見るからに出オチ担当が…数名ほど確認できますケド」


ドクズが手にした漫画本を俺の眼前に晒すような形になって訊いてきた。

出オチって…。いいな、余裕で失言かませるレベルの顔で生まれてきて。


「俺は男を恋愛対象に想像すんのもバカらしくて考えたくねーし

描かれてる誰一人も本当の姿、本当の性格は解らねぇんだから

選ぶ気になれねえ。もういいから、代わりに本棚へ戻しとけ」


その漫画で俺が選ぶとしたら、将軍じゃなくて一人の老軍師だし…。

恋愛ってより、これもまた問題発言レベルの失敬だけど飼いてぇよ!

うん、バカなのは承知の上。現実じゃマコを見てる場合に近いかな。

動いたり、喋ったりすんの、黙って眺めて愉しみてぇだけ。ヤバい?


不思議だよな。信仰する対象となる神様や天使の姿と同じだ。

一度だって見た憶えのねぇ存在を絵や像とかの形にしちまう。


美琴の部屋に飾った切り絵のラファエルにしても

ラファエルとして描かれた姿は、数多にあるんだ。

俺が好きな老軍師の姿も…その一つに過ぎない…。


脩は返事の声も出さず、俺の言葉に従った。ガレージでの踏みつけが

効いてたのかもしれねぇ。今から表に放り出されるのも困るだろうし。


と思えねぇ言動すんのが脩って名のダフィーだった。なんか喋ってる。


「さっきの将軍たちの中に月を心の支えにしてた人がいたんスよ。

彰太君は誰だか分かりますか? まあ、どうでもいいっスよね。

当の本人がとっくに死んでて、答え合わせは不可能っスから」


首を後ろに向けた。ますます白く視界不良といった状況の窓の向こう側。


「無視されんのは、毎度のことっスもんねェー。ま、彰太君も

散歩で疲れたでしょうし、自分も好きにやらせてもらいまーす」


二重サッシでもカーテンを全開させてると冷気が伝わってくる。

部屋の電灯は点いてるんだし、本日はもうカーテンを閉めよう。


そう思って、ベッドに上がって窓に近づいたら、一列に並んで開いた

二本の黒い傘が家から少し離れた村の動脈となる通りを移動中だった。

断定できねーが、遠目から見た背格好からして学校の生徒みてぇだな。

ぼやけてても服装の色使いから、一組のヒナとモルに見えなくもねえ。


「あのぅ、彰太君…。折り入って頼みがあるんスけどォ」


あ、そうだ。ヒナとモルに続くのが脩だったっけ。

元々は大の仲良しトリオだもんな。確認させるか?


振り返ったら、クソヤローが箪笥の引き出しを開けてやがった。

本格的な勇者…じゃねえ!…無礼にも程がある盗人同様の行為。


「こら、巫山戯んなっ! 勝手に箪笥の中、覗くんじゃねえ!」


飛び付くよう引き剥がして阻止。うちの引き出しに小さなメダルはねえ!

衣類が入った箪笥だよ。誰だって許可もなしに開けられるのは迷惑な筈。


今朝のマコと同じ。全く反省する気ありませんって、顔に書いてやがる。


「いや、だって、タグ付きの一度も着てねぇ服が多いじゃねースか。

貰っちゃってもいいかなぁって、これなんか安くねぇ感じっスよ。

クジライに下げ渡してるんだったら、自分にもください。ぜひ」


引っ張り出して広げてみせた。親が勝手に買った服。趣味じゃねぇ色柄。

イエロー・ゴールド・ペリドット・グリーンと呼べる鮮やかな彩りの服。

俺は遠慮するが、脩なら恥ずかしげなく着れる色。似合うんじゃねーの。

黙って持ち出しゃ窃盗でも、許可を得れば「贈与」に変化するって訳だ。

言っとくがマコにゃ俺が着た服は与えねぇ。マコのために購入した品物。


「下から適当な紙袋もらってくる。他にも欲しいの見つけたら出しとけ」


不要品の処分を請け負ってもらえるのは助かる。逆に感謝してやらねぇと。

そもそも盗まれる程度の痛みに怯えるな。そんなので心を動かしたら負け。

返せる。取り戻せる。その程度のもんじゃねーのか。金銭と品物なんてさ。



居間に顔を出したら、座卓の上に大判焼きが載った皿が広げられていた。



穏やかに和んだ空気が広がってる。ピリピリ痛く感じる空気が消えてる。

マコとマエダ先生が並んでるだけで、空気清浄器でも置いたような効果。


「あ、彰太君も食べてって。新メニューのハムとチーズ入ったの美味いよ」


俺の気配を察知したマコが振り返って、声をかけてきてくれた。

でも、大判焼きはいいや。普段から買ってくるのが多くて厭きてる。

大判焼きを口に入れてる最中の先生も、こっちを見て仕草で促してたが

俺なりに空気を濁さない言葉をかけたつもりだ。俺なんか居なくていいよ。


「皿に取り分けようか? えぇと、モリオ君にも食べてほしいと思うし」


マコが気を利かせた言葉をかける。普段はドクズ呼ばわりなのにモリオ君。

思わず面がニヤけちまった。マコも苦笑いで誤魔化す。師匠の先生の前だ。


「あいつ、今ダイエット中なんだとさ。余計なエサは与えられねーんだ」


元から脩は街で外食っていう場合でもなけりゃ甘い菓子とか食わねぇヤツ。

母親に口聞いて、その辺の棚から出してきた紙袋を受け取り、上へ戻った。



黄色に水色、紫色。その他にも見るだけなら綺麗と言える色柄の衣類が

何着も広げられてた。意外と俺が衣装持ちだったことに気づいて苦笑い。

街の服屋で品物を選別する際も広げるだけで畳まねぇのが脩ってドクズ。

畳めと言われたら躊躇せず袖畳みする筈だ。畳み方にも手順があるのに。


脩が広げた衣類を確認もせず、店に置いてあるよう畳んでからクルクル

まとめて紙袋に詰め込んでいく作業に夢中になってた。みんな持ってけ。

単純に畳むのが楽しい。接客しなくていいなら店員のバイトできるかも。


本当に胸張って断言できる『俺の物』って、何一つねえことに気づく。


タロットカードの愚者って、木の枝にぶら下げた包みを持ってるけど

あの中身は何なんだろう? 愚かな俺が持つのは一本ありゃ全て済む。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


夕食は二階に上げてもらった天麩羅蕎麦。俺は予め頼んだ野菜のかき揚げ。

生卵の追加で月見になってた所為か、また例の歌声が頭に流れ込んできた。

脩のは大きい海老天が三本。見栄っ張りな家。他人に振舞うことで優越感。

そうでもしねぇと肩身が狭く、息苦しい立ち位置と自覚してるからだろう。



カーテンと窓を開けてみて…月が俺の視界に入ったとしたら…決行しよう!



ドクズは心霊モノのDVDを鑑賞しながら、一人で大笑い中。

よく見なきゃ漫才やコントでも観てるのかと勘違いしそうだ。

生まれつき、そういう感覚の持ち主なんだろうから仕方ねぇ。


DVDは街の古物屋で脩が購入した品物。怖がりの兄者が怯えちまうんで

俺に預かってほしいって懇願してきたから、棚の一区画を貸してやってる。

超常現象、怪異譚、死後の世界とかって系統の話が大好物のヤローなんだ。



脩は「死」という現象に興味津津なバカ。

俺は「死」という状態を望んでいるバカ。



寝転がってたベッドから身体を起こして壁際に近づいた。

余程の風でもない限り、雪は静かに降り落ちるんだ。

カーテンと窓を開けなきゃ天気は確認できねぇ。

賽子を振ってみる。月が出てたら今夜こそ。


左手を伸ばしてカーテンを掴んだら、扉を叩く音がした。

返事する間もなく、開けられた。この小母さんは俺の嫂。


愛想よく作った声をかけ、座卓にココアを二杯置いて立ち去った。

うちの母親に頼まれたんだと思うよ。様子見という仕事を兼ねた。



結局、部屋に広がる甘い香りに決意を鈍らされた。


今夜の月は…?…何処かで安堵してる暴食もいる。



モリオ君はココアに口をつけなかった。テレビが映す画像に夢中。

そんなに勿体無いって気はしねぇんだけど、時間繋ぎで二杯目の

ココアのカップにも手を伸ばすことにした。すっかり冷えたヤツ。


そいつを空にしたら、他愛ない小話を一つ思いついた。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


昔、遠い昔の話。何処かの或る国が日照り続きで困った事態に陥ったんだ。

降雨を望む陳情の声が上がる。君主をはじめとする皆が知恵を絞り悩んだ。


国境の砦を護る一人の将軍が伝え聞いて、或る日の夕暮れに思い付いた。

言葉遊びの好きなヤツなんだ。些か不敬が過ぎる行いだって思ったから

その将軍本人が実行するのは躊躇った。噂話。じわじわ伝わり広がった。

…で、最終的には国の君主に噂話が伝わったって訳だ。君主の頭は少々

アレレ。今は金銀財宝、新たな領土よりもっと欲しいのが大地を潤す雨。


夕刻、火急の命令であると国に仕える軍師を呼び出して腰を蹴飛ばした。

転げた途端、俄かに雲が国中の全天を覆い尽くして激しい夕立が降った。


さて、或る国の君主、将軍、軍師の名は何と呼ばれていたのでしょうか?


君主と軍師の名は想像つくけど…俺が空想した将軍の名は…分かんねえ。


将軍なんて立場、残すことなく全員揃ってタマネギさんだ。

並大抵じゃなく優秀だからこそ、軍を率いられるんだよな。

つまりまぁ、誰でもいいや。俺が思いつくような話だもん。


全員タマネギって…将軍たちがカツラやメガネ外すとこ想像すりゃ笑える。

あの時代の将軍たちも現代じゃ多種多様な性格や姿を持ってるし

真実の姿を知るのは、当の本人くらいだって思う。


自分で考えときながら、つまんねー創作小話だな。穴ぼこだらけ。

完璧な物語って難しいもんだと思う。だから作家が売文で稼げる。


兎のぬいぐるみ、うーたんが集まった子ども達の前で物語を喋るんだ。

夕暮れ時、子ども達が遊んでる公園へスクーターで乗り付けての登場。

でも、不審者扱いされるかな? デカくて愛想のない兄ちゃんだから。

バッカミテェ…。小さい子と遊びたがる時点で終ってる気がしてきた。


特別任務として監視対象の同級生はいるけど、本当の友達じゃねえし

彰太君に友達なんて一人もいません。今も一人ぼっちで歩かされてる。



言葉遊びを思いついた将軍、月を心の支えとした将軍、彼は誰なんだ?



…………………………。


…………………………。


…………………………。


除雪車が道路で作業してるらしい。そんな音が窓から響いてる。

雪が降り積もってんだろうな。除雪車での作業が必要なくらい。


脩のヤローは布団じゃなく、寝袋を使って眠りたいんだってさ。

また俺に断りなく押入れから引っ張り出して、現在は芋虫状態。


俯せになってテレビを眺めてる…呼吸の感じが…もう寝てる…?


わざわざ近づいて寝顔を確認する気になんねぇ。勝手に寝てろ。



誰だって構わねえ。

此処じゃない何処かへ

俺を連れてってほしい。

視えない月に望む。









◆或る元生徒の毒吐く.


昔、遠い昔の物語です。あるところに

性別年齢不詳の不思議な存在が主人を務める

どこにでもありそうな小さな喫茶店がありました。


生クリームを浮かべた甘く温かいココアが

元々そう甘いものが好きじゃなかったのに

私の忘れられない味へ変わっていきました。


雨宿りと濡れて冷えた体を温める

飲み物でもほしい。そう思っただけ。

その喫茶店へ出入りする門扉を開けて

客を出迎える微笑みを見てしまったのが

私の幸福と不幸のはじまりになった訳です。


落下するのとは違う引力に惹かれてしまいました。


それが私の地獄行きへの片道切符となりました。

その頃の私に会ったら全力で恋心を叩き潰すのに

その時間まで戻れない。ここは囚われの牢獄だから。


僕は何の罪を犯した憶えも一切の咎もない筈ですよ。


執着心に巻き込まれ、共に牢獄で永遠に生き続けろって?

最下層、地を這う、僕の否定したい姿でいろと言うのか?


一体…俺は、誰を怨んで、憎めばいい?…教えてくれよ!


絶対に許さない。手を伸ばして巻き込んだ、あいつが憎い。



…ごめんなさい…



そこまで強く思いきれないでいる自分もいます。

結局こんな姿でも、みんなを嫌いになれません。


だから…あの連中を更に巻き込んでやる…予定。









◆ひゃっはー探検隊. 夏目翼


えぇと、これはな、自分らが六年生の九月下旬のお話になるよ。ヨロシクー!

秋晴れの日曜の朝、ようやく実行することにしたんだ。前から気になってた

村のずーっと離れた奥にポツンと一軒ある空き家。あそこに忍び込んで

何かいいもん見つけたら、お宝にして手に入れちゃおうって計画、ソラと

内緒で立ててたんだよー! 秘密基地にするのも悪くないんじゃないかな。

まずはソラと一緒に空き家を探検してみてから決めようってこと。

自分が動かなきゃ何も始まらないもんな。行動開始!

ザジやサックン。寄宿舎で一緒だと楽しくっても面倒くさい連中は

抜きにした方がいいやと思って、今回はパスにしといた。一組二組は全員アウト。

子分がいた方が楽できるから、仁とネコマを利用することにした。

ケイはドンくさすぎて足手まといになるから、こいつもパスだ。ソラがケイの

足を引っかけるとすぐ転ぶんだもん。笑えるけど、あれじゃダメだよ。

道路や校庭で何度も転んでるんだ。いい加減に学習しろって思う。

シュウも考えたけど、通学生で他に仲良いのが二人いるから、パス。

Wアサイもパス。この二人こそ、他の誰よりパスしなけりゃならない存在だ。

つまりまぁイヤだってこと。でも、身内である以上は輪を乱せない。そんだけ。

イッチ君は碁盤を眺めてる方が好きな人だ。仕方ないよ。ヤッチがお似合い。

パタ君は村の有力者、大きな城に暮らす不細工王子様だから、面倒なんだよ!

パタ君は自分らに合わせてるだけのお調子者。イジメとかしたくないのにな…。

哀れなジメツ野郎だ。大好きなサックンと楽しく遊びたいのにプロレス技を

かけすぎて嫌われた。ざまーみろ。サックンはこっちのもんだ!ばぁーか!

そんなわけで合計四人パーティーに決めたんだ。仁もネコマもチョロイやつだ。

こっちの指示を何でも聞いちゃって、素直に従うロボットみたいな二人だもん。

まあ、仁は怒らせなけりゃ…の…ちょこっと操縦が難しいとこのあるロボだけど。

誰かをなぐれって言えば、本当になぐるんだよ。スゲェこわいよなー?頭ちょっと

アレなんじゃないかって思うや。病気のやつとか性格がいいのはやめとくけどさ

たまーに指令しちゃうことがある。面白くないとき面白くなるため、頼む。

二組のカズマは真面目な振りした猫かぶり。そのうち処刑決定!自分に嘘つくな!

もうすぐ発表会だもんな。イライラしてくる。会いたくないってソラが言う。

だが、しかーし!自分がそんな弱音を言っちゃならないのである。絶対ダメだよ!

誉めてもらえるよう良いとこ見せて、気分よく帰ってもらわなきゃいけない。

ガンバらなくちゃ。それが三組のため。学校のためでもあると思うから、やる!

 待ち合わせの自販機のところにもう二人がいた。あいつらって、ヒマなのかー?

ソラのやつって髪切れって、どんだけ言っても切らない。カタクナなんだよ。

短い方が男らしくて面倒くさくないと思う。ソラたまに頭くさいときあるし、

鼻くそほじりもやめないし、イライラするときあるや。一番イイやつだけどさ。

ソラ、紅い山を見ると泣く。理由もない。自分でも分からないんだってさ。

可哀想だから自分が強くなって、ソラを助けられるように守ってやるつもりだよ。

自販機に到着したら、ソラのいつものギシキが始まるの。小銭探し。

ばかみてぇと思うけど手伝ってやってる。いつもリューザキも付き合ってくれる。

リューザキなんて大金持ちだから小銭なんて必要ないのに、面白がってんだけ。

あいつはいつも必死になってピエロになってる。きっと、やさしすぎるからだ。

だから、それが…。いいんだ。ほんとは、どこにも、誰も、悪いやつは、いない。

自分も時々拾った小銭をチョコ色の丸い缶の中に入れて、貯めてるんだよ。


少し寂しい薄暗い道を四人して歩いた。一番先頭は自分で、すぐ後ろがソラ、

ネコマと仁ってロープレゲームみたいに連なって前進したんだよ。それだけで

何だか自分が勇者みたいだってカンチガイできて楽しかった。ワクワクできた。

でも、自分ほんとは武闘家だッ!会心の一撃を食らわす方が絶対カッコイイ!

一撃で敵を沈めてやるのが理想だ。勇者はソラでいいけど長髪が女勇者っぽい。

男なんだから髪の毛が短い方が男らしい。早く髪切りゃいいのにー!

ネコマは錬金術使いだ。攻撃魔法や便利なアイテム出して活躍させる。

ネコマ、うそビンボーなのは知ってる。余裕で買えるくせに買わないケチンボ。

そうだな、仁は回復系の聖なる僧侶にでもしてやろうと思う。

モーニングスターで、ぼっこぼこに敵を殴らせてやるんだ。すごく面白い。

笑えてくる!うん、悪くないキャラ設定だ。きっと四人なら大魔王も倒せる!

目の前を雉が横切って行った。田舎だなぁって思った。もうそれだけ。慣れたよ。

でもさ、ソラが動物とか見て喜ぶの。うれしそうにするから合わせてやらないと。

雉はいつも地面にいるけど空を飛べるのかなぁって話になった。

ネコマが雉はニワトリに毛が生えたようなもんだから殆ど飛べないって言った。

ちょっと待てー!鳥に哺乳類みたいな毛が生えてたら気持ち悪い!って笑った。

でも、仁は笑わないんだ…。仲間に入れても笑わない。つまんないやつ。

イッチ君だって普通にしてるのに。こいつはきっと山奥の寺の修行僧なんだ。

きっとロボット人間になる修行中なんだよ。ずっといつも坊主頭だ。

それだから僧侶なんだよ。少林寺にでも入れ!

どんなときも明るい顔して、みんなで笑う方が楽しい。

絶対そうなのに無理してるんだ。こいつは…仁はバカだよ…。

腹が減ったから、村の食堂で四人一緒にカツカレー食べたけど

寄宿舎の陽ちゃまのママ殿が作ってくれるカレーの方がうまいや。

ソラとネコマが喜んでた。良かった!以上








◆インビジブルの正体. 林原晃司


七年生四月を過ぎた頃からだったと思います。


彼が…他の生徒たちには視えない彼が…。

あの…もう一人の…彼…が…また時折…。

この村や…寄宿舎を含めた…学校中を…。

うろついて…歩くようになったのです…。

わ…私には…、そう…視えて…います…。


二組級長である…あの人に尋ねられても…返答に詰まる…人物…で

だから…私が生きていくために…必要な金銭を…手に入れるための

折角の依頼で…あっても…私は…断るより…仕方ありませんでした!


教室の彼に訊ねてみる勇気も持てないまま、徒に時だけが過ぎていきます。


十年生、学校生活最後の年です。最近はあまり姿を視かけることもなく

忘れかけていた存在でもあった『ペリドットの蛇』と名乗る者…。

それなのに何故なのか再び…彼が現れはじめたのです…。


何を…目的…としているのか…私には…全く分かりません…。


今だって…昼休みの校庭で…私たちが楽しむテニスを

いつもよく見に来てる…女の子たちと一緒になって…

懐かしむかのように、ジーッとした様子で眺めていて

でも、彼は…実在している。彼は…いつもの…場所に

いる…いるのに……いる筈なのに……?????……。


おかしい…のは矢張り…私でしょうか…?


私…は…疾うの昔に…消し去った筈の

だから…この気持ちは…棄てなければ

忘れなければいけないもの…なのです。



疲れました。



どんな時も校内をキッチリ整えている、おそうじ王子のように

『塵を払い、垢を除かん!』『ありとあらゆる苦難に感謝!』

あの人の背中は…いつも見ているだけで…安心させられます…。


私も、この心に溜め込んだ塵のように積もったもの…。

それに決着をつけるべきだと、考えていました…。


彼は…、どうして…、

ああいった姿になってしまったのだろう?


たった一言、私が問えば、彼はきっと、答えてくれる筈です。

私には…たったそれだけの…勇気がなかっただけです。

私は、ヘボ探偵…。単なる臆病者でした…。


苦しいな、ヒステリー球だ。喉の違和感。異物感。

これが「心の葛藤」というものを表してるのかな?


級長の斎藤さんも…私と同じ症状を…お持ちだと思います…。

喉を詰まらせたように、唾を飲み込む癖があるようですから。


あの人も優しい…。関わり合う全ての人の立場に向き合って

そこから一緒に考えていこうという強さを持っていると思う。


苦しいよ…な。

かなり…きついや…これって。


私もリンバラという虐められっこのヘボ探偵を演じ続け

彼だって「クラスのリーダー斎藤さん」を…必死で…演じてる。

今にも泣き出しそうな笑顔の持ち主。私は感謝しか捧げられないなぁ。


『黙祷』


あの瞬間から斎藤さんは変わられた。変身した。

三年の時を経て、山で見つかった二人の同級生の


…死…


学校の二組が…生まれ変わった瞬間…だったと思う。


私も勇気を出して『変身』してみせなければ。

強く決心しないと。斎藤さんを見習おう!



もう何度となく繰り返してきた学校の昼休み


聖母マリア様を象徴させるような春の美しい青い空

千切って食べられるなら食べてみたいような白い雲



この乱れた心を落ち着けようと、私は空を見上げてみました。



同室の達哉さんみたいに、もっといつもシャキッと背筋を伸ばそう。


いい加減に愚図ついてんじゃねェーよ!リンバラッ!!

動けって、自分から! 動けばいいだけだ。あの場所へ!


普段は無口な侍ニシヤンだって、私を励ましてくれると信じたい。

口を開くと、こんな調子だし…。こう言ってくれる筈だ。きっと。


悠ちゃん、いつも心で静かに祈り続けてる

あなたも一緒に私の背中を押してください。


陽ちゃまみたいに清潔感ある思い遣りあふれた人にならなきゃ。


駄目だ。喉が苦しい。詰まってきたよぅ。

私のこと…あの元気な声で助けて…マコちん!


アッちゃんの真似して、独りでイジケてないで

もう少しだけ気持ちを楽な方向に切り替えて

そのまま…足を前へ…進めたら大丈夫…!


虎鉄君、紫峻君、一緒に見ていてください。


あの場所に、きっと、彼が…いる…。


『校庭の隅の大きな石がごろごろ転がってる場所』


そこへ行けば、私が求める真実が視える。


前へ進め! 前へ進め!

まだ喉が苦しいけど、前へ進もうッ!









◆たまひろい王子のヒナちゃん. 比内純


完全にアウトだ。彼の行動はねぇ、今は駄目なの。


俺は『宝石の人』ではない。本当に普通の人間だよ。

彼から『特別任務』を与えられてしまった。それだけ。


蛇の我儘を助けなきゃなんないの。困っちゃうよねぇ。


学校の昼休み、普段と変わらないテニスコートでの時間。

球拾い…してたのになぁ…。本当に困っちゃうよねぇ…。


わざわざ動くの面倒だなぁ。でも、あそこへ急がなきゃ。


それにしてもさぁ、あの人が

何故、今、動いちゃったんだ?


俺が進もうとしてる彼を止めなきゃいけなくなっちゃったよ。

だって、学校で本物の『殺人事件』が起きちゃうかもでしょ。

みんながまだ気付いてない間に、三人目のじゅんが止めんの。

勝手に転がっていく玉は、ちゃんと拾ってあげなくちゃねぇ。


モル君の方に目配せして、そっと立ち上がって移動したんだ。


そして、彼に声をかける。それだけ。


只今の任務は、とりあえず無事完了!









◆葉桜と緑の反射. 猫間智翔


十年生四月下旬、雨降りの放課後。


朝から雨。本日良好な天気。

表が白い。白い光が空から降る。

蛍光灯や電球の照明は無粋だよなぁ。

ありのままの空を打ち消す。暗闇がマシ。


三組の授業が終わって、壱君センセも寄宿舎へ移動した。

草太先生も奥さんに逢いたくて、急いで帰る。いいオッサン。


窓の向こう、傘の花咲く。あー、いるぅ…。透明、サンキュッ!

俺も新しいの買おうかなぁ。面倒くさがり卒業記念。面白いかもだ。

空に見せてやって恥ずかしくない色がいい。黒ダメ。どこで探そーか?


???


ソラに呼び止められた。俺だけぇ?

本日の任務、俺一人で、お使いか?


…………………………。


…………………………。


…………………………。


うん。殴るとかよりずっとマシだ。ツバの風邪、長引いてるもんな。

一昨日から寄宿舎の自室で寝てる。往診頼みゃいいと思うのにダメ。

ツバも、ソラも、田舎の医者を信用してないのかも。いい先生だよ。


まあ、よくよく考えると、不思議な部分も多い。

でもでも、それ言っちゃ誰も彼も否定になるよ。

不思議は不思議で受け入れとこう。疲れるもん。

ひょろめがねと同じニオイ…。俺の鼻がヘンだ。


「マエダんとこから鎮痛剤一箱もらってきて。これ、駄賃も兼ねて、な!

それと、商店でノド飴…梅のやつ、なきゃ何でもいい。効きそうなの頼む」


三枚の紙幣を自分の財布に入れて預かったよ。きっちりのルール。

財布もう何年目? 穴開いてきたけど、札は落ちない。問題ない。


そうだよな。俺ん家、近いからな。診療所まで…。ヤダよな…。面倒だし。

いいよ。何でも命令しろ。楽に済ませられる問題。楽にすべき。俺も賛成。


下足箱、おそうじ。ごめんな…。これ指令だ。いずれ止む雨と思え。

あいつがいたら、ぶっ潰されてみてぇ気も。頭突き試すのも。いい。


マコト、いたらいい。しと、しっと。弾ける小粒たち。あ、遠くから見える。

向こうから見えない距離がいいな。教室の座席が一番いいとこ。見やすいよ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


んー?


靴下、湿ってきた。靴もう買い換えた方がいいな。水溜まり踏んじゃった。

猫さんじゃなきゃ踏んでいいや。泥靴も風流。粋。雨は天からの恩寵だよ。


まず先に商店だ。ベンチも濡れてる。俺だって座りたくないや。


オバちゃんから声かけられるけど、相手できない。ごめんな。

会話。マコトなら店内を賑やかな空気に変える魔法が使える。

梅ノド飴。雨降る村の商店で、残り一個、手で隠して埋める。


あっ、袋麺が並ぶ棚に…いた…!


視界に入っちゃ濁らせる。綿埃。眼に毒。離れる。離れよう。

誰のために買うんだ? 味噌ラーメン好きなのか? 買った。

俺も同じの試食する。大きい荷物は今ちょっとな。覚えとこ。


探す。ない。ないんだ。探す。ないから、なかった。買い物せず帰る。


モガミ屋。白あんの1個、食べたい。お使いの後で買おうかな…。

あー、雨…が止んだのか。薄暗くなってきた。これが自然。ガマンだ。

じき到着。誰の顔も見ないから、誰にも会ってませーん。静かな世界だよ。


診療所の硝子戸を一気に引いて、開ける。ちょっと重いんだ。

お邪魔した挨拶が…。まだ無理。声が出ない。今回もダメ…。


受付窓口の簀子のとこ、靴脱いで、靴下も脱いで、上がったよ。

靴下、軽く絞れるくらい濡れてる。ひでぇや。足ふやけてら…。

玄関隅の排水口で絞って、ポケットに突っ込んだ。とりあえず。


簀子の上に湿った足跡、転々点々。やっぱり汚いヤツなのかな?


左の手のひら下に向け、銀のチンベル鳴らす。今日は、五回だ。五回ーッ!

思いくそ早く叩くっ。バカ愉快な音で誤魔化す。濁った心、雨で流してぇ。


「あー、あぁ…、ちょ、ンっと…。ネコ、マー、こんちは。

ごめん。豆食ってたァ。で、何の…用ォ…?…先生は留守」


口の中、れろれろ、舌で掃除しながら話してる。俺、邪魔したのかよ。

マコトの声、俺たちには強く響かない。思い知ってるし。散々もう…。

晴れた空の色、よく似合ってるよ。マコトの色。俺も好きな色の一つ。

俺の体育ジャージは、薄グレー。いい。明るい曇り空の色が一番好き。

袖と足のライン黄色。グレーとイエロー。薄曇りに薄日。お気に入り!

制服はアレだけど、ジャージは好きなもん選べるんだ。そこだけいい。

なるべく早めに着替える。あんな制服、似合うの、くそちびオンリー。


「解熱鎮痛剤…。夏目の翼、まだ微熱だって」


他人の身体、何より心配する。気にかけるヤツ。だから、元気でいたいよ。

マコトの表情が曇る。そうだよな。ゲドーのボスでも可哀想だと思うよな。

俺は、早く破約したい。端役。ヤられ役。戦闘員。本当のラスボス、誰だ?


「なして、いつもナツメたち診療所に来ないのかな?

直接マエダ先生に診てもらうのが手っ取り早いのにィ」


マコトのポップコーン、一緒に食べたい。

雨音みてぇな激しく弾ける音が聴きたいよぅ。

激しい雨に融け流れて、土に浸み込んで消えてぇ。

いつ頃からだ?…いつしか切実な…思い。願い。救い。

でも、そうなんだよ。それが俺の…本当の気持ち…だよ。

「うん。鎮痛剤、試して様子見てから…。だから1箱くれ」

俺が言えるのこれくらいだ。一緒に二枚の紙幣を差し出すよ。

「今ちょっと、マエダ先生もいなくてぇ。オレだけ。待ってて」

奥へ姿消した。後ろの薬品庫へ取りに行った。マコトは、すぐ戻る。


雨音、強く響いてきた。心の中だけじゃなく、本物も落ちてきた。ありがとう。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「雨降ってるし、袋に入れといたよー。じゃ、翼キュンへお大事に!」


小袋。おまけのティッシュも入ってら。ジェントルメンズ、みんな親切だ。

他のヤツのときより、少し調子の落ちた声だけど、大事な伝言だ。教える。

「どうも。…ぁ、あの?」

用が済んで奥へ行こうとしたマコトを引き留め…て、しまった。ごめんな。

「よかったら、傘、貸してほしい。俺一人ならいいけど、薬もあるから…」

ハッと、マコトの両眼が光を集めた感じになった。これがマコトのいい顔。

「うん、そうだァ。ネコマまで濡れて風邪ひいちゃ困るよ。後ろの傘立て

患者さんの忘れ物だけど誰も取りに来ないし、好きなの借りてってよぅ!」

いい顔が少しでも見れて良かった。俺が勇気出して成功した事例に加える。

「どうも。そこの透明なヤツ、一本借りてく。じゃあ、また」

ソラも早くツバに服薬させたい筈だ。のんびりは止めて、学校まで駆ける。

振り向いた右脇の傘立てから、白い柄の雨傘を取り出し、硝子戸を押した。


マコトの視線が背中に届いてるうちに視界から消えたかった。それだけ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


学校。校門。到着したよー!


緑色の灯りが下から照らされてる。ライトアップ。俺、この緑色も好きだ。

今年の前庭の桜は早咲き、もう葉桜になってる。緑の光は自然と違うけど

木の葉に当たると、活き活きして見えて悪くないよう思える。不思議だな。

こういう不自然も…そのまま受け入れていいのかと思う…。青より美しい。

ああ、足を止めてちゃダメだ。『寄宿舎の二階へ急げ』の指令中だったよ。


「あれ?…あぁ…。こんばんはー」


カズマが俺の右肩越しに声かけて、追い抜いてった。

マコトの天使、その2が現れた。神かも知れないな。

左手に提げてる袋。白から透けて見える緑の紙包み。


きっと、モガミ屋の大判焼き。あんこと皮の香ばしい匂いが鼻に届いたよ。

出来立て、なんだろな。俺も食いてえ。でも、こいつと一緒は、無理無駄。


「ちょっと止まって。頼む!」


今日はもう一つ、勇気出してみた。天使が薬を持ってった方がよく効く筈。

「んー、何か?」

いい顔じゃねーな。不機嫌顔だ。まー、こいつのいい顔は、全然いらない。


こいつの眼鏡に映る緑色がすげぇ好き。いい感じの緑色してると思うんだ。

信号の青を指す緑だな。安心安全。生き物の行動原則。安心するため動く。

カズマの右手、黒に白い縁取りの傘。好みじゃない。黒だけは心に来ない。


「これ、ソラに渡して。薬と…」

ジャージの右ポケットに入ってた梅ノド飴、袋に追加。十二粒入り直方体。

「頼まれてた買い物だから。悪りぃ。急いでて。代わりに持ってってくれ。

マコトがツバへ『お大事に!』って言ってたの伝えてくれりゃあ、いいよ」

押し付けるよう突き出した。今、自分がどんな表情してるかも分からない

操縦されるだけのロボットより、天使の方がいいに決まってる。そうだろ?

「はぁ、うちのシンちゃんが…。うん、了解でーす! じゃ、バイバーイ」

くるっと、さっさと昇降口へ向かって歩いてった。背中に白い羽は…無い。


俺が声かけた人間、みんな淡々となる。俺の魔法は、こんな効果。イヤだ。

あったかいうちに、大判焼き食いたいよな。俺も買いに行くことにしよう。



…!!…



カズマが傘を畳んだ。ヤツに黒は似合わない。白い縁取りも気に食わない。

心に浮かんだ光景を実行へ移行。追い駆けて、傘を奪い取ってやったんだ。

でも、そんな光景は実行できないルール。だから、代替え行為で済ませる。



傘の石突を前庭の地面に突き立て、力いっぱい押し曲げた。投げ転がした。


後で弁償する。今度はもっとカズマに似合う色の傘を買ったらいいと思う。



全力疾走で校門を出たよ。後ろ振り返るもんか。もっと、もっと雨降れぇ!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


しとしっと。じゃねーや。ザーザーとしか自分にも聴こえない。ひどい雨。


撃ちつける。激しく。大量大量。街灯に煌めく緑銀の針。傘、下ろそうか。


刺さって穴開きゃいいってほど強いと思うのになぁ。いいから、壊せよ…。


こんな傘、本当は何万本でも買えるくらい。うちの親、アレもらってんだ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


昨日の晩、テレビがぶっ壊れた。一人で海外映画のDVDを眺めてたんだ。


飽きるほど見てるヤツ、嫌だし必要ないのに繰り返して見ちゃう暴力描写。

ファッキュー!ファッキン…?…こんな台詞しか耳に残らないんだもんな。

誰かを傷つける言葉を頭に留めたくない。誰がいいと思う? 俺、ヤダよ。


流し見だ。ちょっと静寂に耐えられなくなった。チャーが帰ってこなくて。


そしたらさ、映画の途中でリモコンにも触れてもないのに音量が…?!…


どんどんどんどん勢いよく、最大レベル近くまで勝手に上がってったんだ。

急いでテレビ本体の音量を操作した。全く制御不能。当然リモコンもダメ。

うるせー!と思ってたら…。テレビの中で何かがパンッと弾けた音がした。


画面が暗転。…沈黙…。さすがにビビった。なんかいそうな気配がしてさ。


DVDは再生を続けてた。テレビだけ、おかしくなったらしい。だけど…。

それと同時に後ろの壁に引っかけてた針金ハンガーがバサッと落ちたんだ。


そこに吊るしてたパーカーが冬用で重かっただけなんだって思いてぇよォ!


一人で家へ帰んの、本当は、ちょっと怖いよ。チャー、いりゃいいけど。

春だからか、夜中でも鳴き声がすごかったりして、うろつきまわってる。


俺と親は獣医に頼むこと真剣に考えてる。手術、可哀想だ。俺も怖いけど。

可哀想な命、身勝手に増やされない。決意した。まだ腹大きくなってない。

明日、土曜だし…。捕まえて、自転車で街まで連れて行こうと思ってる…。


その前に大判焼き。緑の紙包み、安心の色と同じ。白あんを六個包ませる。

親がいたら一緒に食う。来なくて、飽きたら、捨てる。無理して食わねぇ。


自制。節制。規則の厳守。命令に従う。約束を守る。そして、安心を得る。


ひどいけど、ひどいかもしれないけど。そんなルールもあると知ってる。

たくさん、コロさないための、ルール。シなせないための、ルールだよ。









◆アメトリンカテドラル. ペリドットの蛇


能力に目覚めて、過去の時間へ行けると知ったからには

有効利用しない訳にいきませんよ。そう思いましたから

すぐ二人の元へ会いに行ったんです。嘘じゃありません。


それなのに、戻らなくていい。戻す必要はない。そう言われて…。



『受け入れ難い運命を大地に浸み込む雨や雪のように受け入れる』



そんな心境で、現在も引き続き存在する者たちを見習うそうです。



遠い昔に死んだというのに、今も尚、生き続けているかのように

数多に千切られ、彩られた形となり、人の心に『いる』存在たち。



実は自分も、その中にいる一人らしいです。だから、独りじゃない。



現在の自分は、どんな姿になって存在しているのでしょう?


疑問を懐いても、そこまで知りたいと思いません。

碌な姿じゃないってのは、容易に想像つきますし。



嫌悪、拒絶、侮蔑、嘲笑…。


自分が貴方に何か酷い仕打ちした事実があるのなら、我慢もしますが

遠い昔に起きた出来事、仕出かした過ちを全く何の縁も所縁もない

現在の貴方が馬鹿にしていいことなのでしょうか?…疑問です。



生まれ変われるものなら…採った行動を選択し直せるなら…。

史書の記述も違った文章に替えることが可能なのでしょうか?



死にたくないのに死んだ者も生き延びることが出来るのでしょうか?



仮に、そのとき生き延びたとしても…いつか必ず死ぬのは解り切ったこと…。


どういった形であろうと、死は死。

惨たらしくても、誇らしくても

全て同じ、死に変わりなし。



そういった訳でして、あの日、あの時間に戻れない臆病者です。


過去に戻れても、たいしたこと出来ないし。囲われた牢獄の中。


現在の自分は、夕闇の夢を彷徨う意思の希薄な者に似ています。



それでも覚悟が決まったら『彼に逢いたい』そう思っています。








◆モスアゲートの森. 杜陽春


僕らの他に新入生を迎えることのない不思議な一学年だけの学校。


そんな学校でも翌年三月には卒業式を行い、閉校するのだという。

結構な広さの敷地にプール以外、それなりの設備がついた建築物。

学校の役割を終えたら、どうするつもりだろう? いずれは廃墟?


卒業制作。そんなもの残す意味なんて、全くないと思うんだけど。


僕個人その他は無意味だと思いながらも、上の意向には逆らえないそうで

担任の池田さんから指示されて、君主の斎藤さんを筆頭とする二組生徒は

ここで十年間勉強したという象徴を残さなければいけなくなってしまった。



で、現在…二組のジェントルメンズ一同で作戦会議?っぽい話し合い中…。



忘れちゃいけない。現在時刻は十年生五月九日午後三時半過ぎ。

本日の授業が終わったのに、何を制作するか決定するまで

帰宅できない状態。斎藤さん以外、自席に着いたまま。


「一組は銅板を使ったレリーフ、三組は校舎の模型を製作するってさ。

二組も適当に…村のどこかの景色みたいな模型でも…作ってみようか」


僕と同じく長考を避けたいらしい二組の軍師ヤッチ君が

手っ取り早く結論を出そうと、みんなに提案してくれた。

この人、三時だからか机の上にオヤツを出して食べてる。

担任が早々に帰宅してんだ。好きにして構わないけどさ。


「えぇ、でもさ、村の景色ってもアレだよ。

この村の山や淵も…あまり良い場所とは…」


斎藤さんが眼鏡の蝶番を両手で押さえて、ボソボソ否決の意を表した。

ミスターノーズは、グダグダと考え込んじゃう癖があって決断が遅い。

でも、まだ考えようとしてるだけマシ。さすがは我らが君主と讃える。


ニシヤンは原稿用紙に何か書いてる。

こいつ、一日中こんな調子だもんな。

いつも昼休みにシャワー浴びる生徒。

僕の義姉も隣りで雑誌を捲ってるし。


リンバラは宿題のプリントやってる。

タツヤも趣味の木彫りに没頭してる。

ノブ君、早く診療所へ帰りたい様子。

自分の足で包帯を巻く練習してるよ。


全く以て…。どいつも、こいつも…。

そう思ってる僕も、針を動かしてる。


最近は羊毛フェルトで動物なんかの

マスコット作りに励んでるって感じ。


現在、ケン坊の没した愛犬ラファの

縫い包みを作製している最中。

ちくさく刺してるとこ。


みんな揃って、聞いてんのか無視してんのか、僕には全く分かりません。

本日、悠は休んでる。サボリ癖の再発か、レベル上げに熱中してるのか。

自分の世界を構築して、入り込んじゃうのが一番。気持ちが楽になれる。

要するに二組は、こういったタイプの集まり。残念ながら、それが現実。

冷静且つ客観的に現状を捉えてみると、教壇脇に立つ斎藤さんが可哀想。


でも、もし虎鉄と紫峻が登校してたら

ますます状況が悪化するって想像つく。


亡くなっていいヤツなんている訳ない。虎鉄は僕の従弟に当たるんだし。

でも…ありのまま白状しちゃうと…現在の空気は居心地良く変わってる。

あの二人に邪魔されず、みんなが思い思いに好きなことして過ごせてる。

斎藤さんが二組の君主だ。旗下一同が尊重して敬う態度で向き合うべき。

そう思ってんのに、僕の手は作業を止めらんない。ちくさくちくさく…。


「べつに現実世界を映す必要ないと思うんだ。

僕らの夢、理想とする幻想的世界を表現するのも

悪くないんじゃないかな。未来の僕らを映す鏡の世界」


副級長のヤッチ君、チョコマシュマロを1個

発言した御褒美として自分の口に放り込んだ。

隣席のノブ君が手を伸ばしたら叩かれてるよ。

いつまで経っても彼を受け入れられない狭量。

1個くらいあげりゃいいのにさ。意地悪軍師。


ノブ君は前列に席がある。一年生の編入当時に比べたら

随分と背が伸びた。羨ましいよ。当然といえば当然の話。


ヘタすりゃ僕が二組で一番低身長かもね。厳しい現実だ。

入学時から後列窓際にある僕の席を他に譲る気ないけど

身長と体重、特に必要ないから測ってない。そんな訳で

小さい順で一列に並ぶこともないよ。てんでんばらばら。

校庭で運動する授業も適当な順番。その日によって違う。


学校生活、春から十年目に入ったんだ。三月で懲役終了ってのも

目出度いんだか何なんだか…。正直に表現しちゃうと不安が一番。

その先が視えない。それが未来だと頭では分かってるつもりでも

どこにどうやって足を踏み出せばいいんだろう? 最高の自分へ

出逢うため、自分が分岐点や曲がり角を選んで進行していくんだ。


誤った選択をして、僕にとっての最悪が訪れる道は通りたくない。


「僕も副級長の意見に同意したい。理想を実現した未来の

自分と出逢うための迷宮っていうか、森みたいなジオラマ。

小川が流れてたり、霧が漂う幻想的で不思議なダンジョン。

そこを冒険する僕たちの姿を表現するってのも悪くないよ」


ちくさく、針とフェルトを持つ手を動かしながら口を挟んでみた。

未来なんて五里霧中だ。複雑な迷路を彷徨うのと同じ。それなら

閉塞感なく外の空気が吸えて、美しい景色も眺められる森を選ぶ。


「ファンタジーこそ、学校で一番不思議な二組にぴったりだよぅ。

みんなの夢を映した世界なら、タカハシとニイヤマだっている!」


包帯を巻き終わった退屈凌ぎかもしれない。

立ち上がって発言する僅かな隙にノブ君が

ヤッチ君のオヤツを1個くすねて食べたよ。

可愛らしい小競り合い。場の空気が和んだ。

現二組はノブ君とヤッチ君の攻防戦が名物。


ノブ君は保健係として見守ってて、ヤッチ君は迷惑してるって構図。

低学年の虎鉄と紫峻がいた頃を思い出す。じゃれ合い。ふざけっこ。

うねった黒髪のノブ君も変わってない。本日も後頭部に寝癖を確認。

面倒がって自分で切ると碌なことにならない。そろそろ鋏狐の出番。


それにしても、ノブ君の心には今も変わらず二組の全員が揃ってるんだな。

失った家族と級友を手放そうとしないんだ。彼の心の中、いつだって一緒。


「それぞれが心に望んでる最高の未来。まだ分からない夢は

真っ白い霧に覆われた下手すりゃモンスターと遭遇しそうな

森と同じものかもしれない。不確定に点在する僕らの未来だ。

ジオラマ作りなら斎藤の領分なんだし、設計と指示を頼む!」


ノブ君の手を叩くんじゃ済まなくなって、最後に一発頭も小突いた

ヤッチ君が涼しげな表情で、我らが君主の斎藤さんへ進言したけど

これって…率直にぶちまけちゃうと…要は「丸投げ」って気がする。


涼しげな表情といっても、ヤッチ君は長い前髪で瞳の動きが読めない。

冷たい眼差し。本人が欠点扱いして隠そうとするから口出しできない。



君主曰く、二組は心美しいジェントルメンズの宝石箱。

引っ繰り返すと、どうしようもないダメンズの集まり。



てんでんばらばら。こんな僕らを必死に守ってくれてる

二組の君主様はミスターノーズ、黒縁眼鏡を掛けた鼻兎。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「えぇと、設計と指示。模型作りは得意じゃないし領分でもないけど

斎藤さんに任せるっていうなら出来る限りの努力はしてみます。

でも、なるべく誰か…手伝ってくれると…忙しいもんな。

予定あるだろうし。あー、ハイハイ、頑張ります」


たぶん、他に誰かが発言するのを待っても無駄だって気づいたんだろう。

眼鏡の蝶番から蟀谷を押さえるポーズとなったミスターノーズが呟いた。

手芸だったら多少は助けられても模型は守備範囲外。たいして知識ない。

誰か助けてやれって思う。きっと全員が同じ心境なのに目を逸らしてる。

二組は冷涼な空気。いつから変わったのか知らないけど、そんなクラス。


斎藤さんは孤独な二組級長。教壇の椅子に腰かけ、俯いた姿勢で考え中。


「じゃ、本日は解散ってことで。皆様方ごきげんよう!」


本当に持病を抱えてるのか不思議になっちゃうんだけど

ヤッチ君が俊敏な動きで教室から飛び出して行った。

彼は寄宿舎生だから通学鞄を持たなくていいし

おそらく娯楽室で待つ仲間がいるのかも。


「それじゃオレも診療所に帰らなきゃ。サイトーさん、また明日ッ!」


後に続けとばかりの勢いで二抜けしたのがノブ君、通学鞄も薄っぺら。

一番子どもっぽくて垢抜けない生徒。これも編入当時から変わりなし。

失礼だとは思うけど、将来ノブ君が医師になるのは叶わぬ夢だろうな。


「あー、忘れちゃいけない。私が掃除当番でした。

とりあえず、外の焼却炉までゴミを捨ててきます」


まだ中途半端っぽいプリントを慌てて机に仕舞い込んで

リンバラが屑入れの一斗缶を両手に抱えて飛び出した。

こんな場合は矢鱈と素早い。喋り方も滑らかになる。

全力ウサギ、赤毛のミナライが全力逃走を始めた。

姿が消えて間もなく一斗缶が何かにぶつかる音。

想像したくないけど、碌なこと起きてないよ。

廊下にゴミを撒き散らした惨状が心に映る。


余計な心配だって承知の上だけど、卒業したら

リンバラ、どうやって生きていくつもりだろう?


大体さぁ、宿題のプリントを埋めるのは

数分で楽勝だよ。常に心が上の空だから

一事に集中することが困難なんだと思う。


その後に続いたのがタツヤ。机に広げてた新聞紙の削りカスをまとめて

まだ廊下にいるリンバラを追いかける形で、黙って教室から姿を消した。

寄宿舎ルームメイトのアクシデント発生を助ける目的もあると思うけど

常日頃から滅多なことで発言しないよう心掛けてる人。入学した当初は

活発で話好きなヤツだったんだけど、あまり奇妙なこと言うもんだから

全員から距離を置かれるようになった。で、物静かな生徒にイメチェン。

今じゃ木彫りや水墨画を嗜み、落語を聞くのが楽しみな背の高い長老様。

僕もタツヤの発言被害者の一人。前世とかって信じられる訳ないでしょ。


…………………………。


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ちくさく手を動かす僕に視線が突き刺さってるのが分かる。なんか痛い。


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…………………………。


でもまぁ、ニシヤン夫妻なんて誰よりも当てにならないのは

僕にだって即答可能な問題だ。無視しちゃ気の毒だと思うよ。


眼鏡を掛けた鼻兎へ慈悲の眼差しを向けられるのは僕だけか。


「模型作りなら、悠がサポートしてくれると思う。

僕以上に手先の器用な魚釣りが趣味のヤツだもん。

森を流れる小川の景色とか、あいつん家を訪ねて

色々と細かい助言をもらうといいかもしれないよ」


話しながら手芸の道具を巾着袋の中へ片付けた。長居は無用だ。

ていうか、僕も丸投げ発言しちゃってる。ゴメン、哀れな鼻兎。

もっと有効に時間を活用したいだけ。僕の仕事は在校すること。

空気に近い存在で充分だと思ってるよ。僕の未来に学校は不要。


僕が教室を去ったら、残るのはニシヤン夫妻の二人だけになる。

ミスターノーズも教室に居辛くなる。廊下に出るのは想像つく。

黙殺夫妻と三人の空間なんて、軽い地獄行きって感じの刑罰を

好んで受け入れるヤツはいない。逃げるよ。普通の神経なら…。



教壇に目を向けない。捨てられちゃった黒縁眼鏡の鼻兎がいる。



「設計図が出来るの楽しみにしてる。手伝うことがあったら

僕も頑張るつもり。という訳で、また明日。ミスターノーズ」


我ながら薄っぺらい笑顔だと思うけど、少なくとも僕は味方って気持ちを

表情にだけ現して、目を合わさないまま教室から出て行った。本当ごめん。

返事の言葉も耳に入ってこない。腹立つよな。僕ならキレる。絶対キレる。


心優しい長老様のタツヤが赤毛のミナライ、リンバラを助けたと窺える。

廊下は何の汚れもなく、誰の姿もない。一組の部活も本日は休みっぽい。

他の教室から漏れる蛍光灯の明かりもなく、誰かがいる気配も感じない。


放課後カードゲームで遊んでる連中で、特に親しい仲の生徒はいない。

チアキとレイ君から加入の誘いがあったけど、時間と興味なくて固辞。


時間を束縛されるのは面倒だし、繋がりを持てば

それ相当の責任が伴うと知った上での交遊の拒絶。


僕と悠も互いの自宅を行き交う仲だけど

全てを受け入れ、理解し合う仲じゃない。

好き嫌い、趣味は別々だもん。仕方ない。



出会いや別れ。完全に繋がって、強く結びついた分だけ辛いものになる。



昨年の冬、一組のケン坊が可愛がってた白い犬ラファが『虹の橋』って

呼ばれる場所へ旅立ってしまって、未だに立ち直れてない様子らしくて

慰めになれば…と、一組級長の花田君から縫い包みの作成を依頼された。


確かに痛々しくて見てらんない。相当の覚悟がなけりゃ動物は飼えない。

ケン坊の姿から学習させてもらった感じ。母上殿に反対されるだろうし

金魚だって飼った経験ない。僕自身、死という形の別れは未経験となる。


それでも僕の実父は生死不明。僕が生まれて間もなく行方不明になった。

僕の実父である人物と虎鉄の父は一卵性双生児。伯父となる虎鉄の父も

現在じゃ消息不明。色々と目を向けたくない現実ってのがあるみたいだ。

あくまでも噂だから真実は不明だが、まともな神経じゃない双子の兄弟。


高橋家と新山家は、この村じゃ鬼門といえる位置に存在してるだろうな。

高橋家は兎も角、姉妹も寄り付かない新山家はオバケ屋敷扱いされてる。

心霊的なものを信じて怖がってる訳じゃないが、目や足を向けられない。

僕が手を差し延ばせるのは碧依だけ。だから『全力で守りたい』と思う。


母上殿やママが話さないこと、自分から調べたり知ろうなんて思わない。

陰となる部分が想像以上に多いから目や耳を塞ぐ。生きるための防御壁。


僕は生まれついての生きた人形。母上殿への献上品。それが僕の現実だ。


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真っ白い煙霧に覆われた森の中、足元を照らす仄かな灯りだけが頼り。


そういった状況で生きてる人間が僕一人だけじゃないってこと

何年も村の学校へ通ってるうち、自然と気づく破目になる。

濃淡と範囲の差異はあっても、誰もが闇を纏っている。


昼休み、テニスで遊んでる王子たちも同じこと。

テニスコートから響く喚声、激しい打撃音を

五月蠅いとは思わない。耳に慣れた日常。


本物の王子様はいない。間違いなく全員揃って灰かぶり。

その真実から目を逸らしたくて、ネッケツ王子が大奮闘。

彼が玉瑕なのを隠したい家族が寄宿舎付学校へ隔離した。

財産、才能、容姿、誰もが羨む要素を持っていても玉瑕。

言動がなぁ…。恥ずかしくって見てらんない。ヤバすぎ。



自分の真実を覗かれたくないから、道化や笑いに逃げてるんだ。


自分に刃を突き立てたくないから、イジメに走るのもいるんだ。



歪んで拗けた世界だもんな。どんな罪も裁かれない世界。

誰もが狂気に走らないよう必死になって踏み止まってる。


見せたくないもの、覗いてほしくないもの、隠していいと思う。

大体にして、僕という存在が村ではアレだ。隠すべき哀れな者。



誰にも話したくない事情、闇を纏って安らぐもの。

聞く必要なんてないし、光を当てるなんて残酷だ。



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前庭の片隅、柔らかい五月の風が木々を揺らす。今日も良い天気。


僕の前に背を向けて座る、本日のお客さんの髪も陽射しを受けて

彼方此方に散らばる白銀の輝きが際立ってる。透明が重なった白。


「髪の毛、染めてみない? その方が絶対いいよ。僕が保証する」


村の理髪店と違って、大きい鏡がない僕の青空理髪所は代金無料。

銀縁眼鏡を外した緊急検証部長、眼鏡無しだと落ち着かない様子。


「あー、いや、その必要ない。外出したくないし、邪魔なとこ

切ってもらえれば充分だから。何より染める時間が勿体なーい。

前髪と耳周りが整ったら、それで結構。もうじき予鈴が鳴るし」


望月部長の外見なら、髪と服装次第で周囲の目を惹き付けられる筈なのに

長期休暇以外は校門から一歩も出ない主義。自他共に認める引き籠り男子。


…………………………。


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こんな彼を助けるという理由もあって

僕は右手に鋏を持つようになったんだ。


一年生夏期休暇明けの出来事になるが

彼は憶えているだろうか?…聞きたい。

でも、彼にとっては夕闇色に封じたい

思い出したくもない過去かもしれない。


夕焼けの色に染まった校門での小事件。


右腕を虎鉄、左腕を紫峻に引き摺られ

悠に背中を押されて、校門に立つ生徒。

「こいつ、梃子でも動こうとしねぇの。

床屋まで連れてくって言ってんのにさ」

僕まで巻き込もうという眼をした二人。


親切心から生じたイジメと呼べる光景。


どっちに付けばいいのか迷っていたら

通りかかった彰太が虎鉄と紫峻に悠を

ぶっ飛ばしたんだよ。たった一人で…。


彼は言葉もなく昇降口へ向かって避難。

彰太に虎鉄と紫峻が掴み掛かって喧嘩。

僕と悠は…どうにも動けなくなって…。

結局どうなったのか思い出せないまま。


悪い夢みたいな夕焼け色した遠い記憶。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「よかったら、一度うちに来てみない? ヘアカタログ見て

試してみたい髪形を探してみるのも良い息抜きになると思う」


現在のヘアスタイル、彼に似合い過ぎてると言っていいくらいなんだよ。

僕の意見としては「タマネギ部隊ヘア」から卒業すべきじゃないかと…。


「えぇ、だって…あの生首がズラ~ッと陳列されてる…って噂に聞いた

キミの自宅を訪ねるのは、ちょっとね…。すまないが遠慮させてもらう。

不思議現象の検証は趣味の範疇だが、猟奇的光景の見物は不得手な領分」


今じゃ僕専用となった洗面所に置いた練習用の頭部マネキンのことらしい。

まあ、生首といえば生首だよな。猟奇的光景に見えて仕方ない数はあるし。

生徒の中には直接うちまで訪ねて髪を切ったり染めたりするのもいるから

次第に噂が広まっていったんだろう。意外にビビりなタイプだったのかよ。

望月漲の欠点を一つ発見。ちょっとした収穫を得た。僕には朗報といえる。



実は望月部長を我が家へ招きたい。しかし、どう切り出せばいいんだろう?



些か遺憾だけど、彼の眉や項、全体を整えて終了。ヘアカット用ケープを

外して、散髪道具を入れたバッグの上に載せてあった銀縁眼鏡を手渡した。

確認するための手鏡も渡そうとしたら、目を伏せた笑顔で首を横に振った。

顔の造作が悪くない人の余裕だろう。何を着せられたって似合う人だから。


椅子周りを掃いて、髪の毛を塵取りに纏めてやって、校庭隅の焼却炉へ…。


「ねー、何だアレ? 二組の君主さん、斎藤が自転車に乗ってるよ。

もうすぐ五時限目なのに、これから外出するつもりなんだろうか?」


必須小道具を装着した望月部長が天理彰彰な視界を復活させた途端

前庭北側、少し奥まった場所にある駐輪場へ顔を向けたまま言った。

下を向いて掃除中だった僕も彼の声に従って、そっちの方角を見た。


目に映った事実を報告していいものか、配下である僕には不明だけど

嘘は吐けない。正直に伝えよう。僕なら他の色や型の自転車を選ぶよ。

サドルじゃなく荷台に座ってるところがアレ。それなりに背が高くて

手足も長いから出来る乗り方だと思う。本当に羨まし…くない乗り方。

ちなみに新車だ。三月、三度目の自転車盗難被害に遭ったと聞いてる。


巫山戯た漕ぎ方して、誰にでも読み取れる不機嫌な表情の君主。

仕方ない。故郷から遠い田舎で面白くない日常を過ごしてたら

大抵の人間は、斎藤さんみたいな不貞腐れ顔になって当然だよ。

心根が素直だから、誰でも彼の胸に広がる光景が覗けてしまう。

ただ、あんな表情してたら幸せの方が避けるだろうなってだけ。


制服から私服に着替え、ワンショルダーのボディーバッグを背負う姿。

鼻兎級長は黒とメタリックカラーの組み合わせや小物類が好みっぽい。

前々から思ってる。級長より総長と呼んだ方がノーズに似合ってるよ。


わざわざ呼ばなくたって、僕らの現在地は校門から近くの場所。

ここにいる僕たち二人の近くを通りかかるような形になるんだ。


「ミスターノーズ、今から悠の家へ行くつもり?

今日は池田さんが休んでて、午後も自習だもんな」


悠が学校を休んでるから直接出向くことにしたんだろう。

あいつのサボり癖は、どうにもならない域にまで到達…?

いや、違う。忘れちゃいけない。たぶんサボりじゃない。

今は農繁期だから男手として農作業の手伝いしてるんだ。


学校で勉強するより、生活の糧を得る方法を習得することが大切だもん。


ガニ股でペダルを漕いでる黒縁眼鏡の鼻兎が今気づいたって表情になる。

けど、明らかに嘘だと分かるよ。僕と口を聞く面倒を避けたかったのに

ここから動こうとしないから、軽く苛立ちを覚えてたのが伝わってくる。

僕と彼は体格差が大きい。取っ組み合いしたら敵わないのは確定事項だ。

ちくさくちくさく、言葉の針で心を突いて神経攻撃する。唯一の有効打。


「ううん、亜米利加。ちょっと自転車で亜米利加まで行く。

そうだ。もっちーは帰国の御土産、何かリクエストない?」


右足一本で身体と自転車を支える姿勢で止まった二組の鼻兎が

亜米利加へ行くらしい。自転車を漕いで辿り着ける亜米利加だ。


「えー? あ、あぁ、私は自転車で仏蘭西へ行ってみたいな。

ファストフードなら、花田にオニオンリングでも買ったら?」

「オニポテ、既にリクエストされてまーす。他にも何人か…」


最初に戸惑いの表情を見せた望月部長、間もなく気づいた様子。


要は卒業制作用の材料を仕入れに行くって話だ。所謂ホムセン。

街の郊外にある店舗内には、ファストフード店も併設されてる。

知恵袋となる悠も忙しそうだし、君主が孤軍奮闘する戦と同じ。

指示されて出来ることなら、客将くらいの役には立ちたいけど。


「大判焼きでも買ってこようか? ハムとチーズの」

「もう充分に味わって満足した。懐かしい味だった」

「懐かしい? オーイエー、ハバグッドターイム!」


二人は寄宿舎生同士だし、家族に近い関係と呼べるかも。

モガミ屋、僕はあまり出入りしない店だ。近所でも遠い。

僕だけ置いてかれた気がしないでもない会話を終えると

二組の鼻兎が校門を出て、亜米利加へ旅立って行ったよ。


望月部長が校舎に戻って、僕が校庭隅の焼却炉へ

散髪後に残った物を集めて丸めた新聞紙を投入…。


…!!…


自分がスイッチを押したと錯覚しそうなタイミングで

昼休み明けの予鈴が鳴った。慌てない。次は自習だし。

もう少し、穏やかな午後の陽射しと風を浴びていたい。



前庭の若葉が萌える桜の並木を

静かに眺めて過ごしたい気分だ。


揺れる桜は愉快に談笑する朋友。


教室から手芸道具を持ち込んで

一人で内職作業の続きしようか。



特に親しくしてる間柄じゃないけど

花田君は級友思いの優秀な一組君主。

僕のこと「陽ちゃま」呼ばわりする

連中の一員だってのが玉に瑕だけど

表には出さないで、敬愛する一人だ。


製作費は無料でも材料費を受け取っちゃったからには

僕の手で真っ白な毛色、真っ黒な目鼻のラファの姿を

ちくさくちくさく…根気よく形作って生み出すつもり。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


村の学校、寄宿舎には三羽の兎が生息している。

三羽の兎男子。我が家に招待したい一羽がいる。

けれど、作戦さえ上手く立てられずにいる状況。


二羽の兎は二組にいる。黒縁眼鏡の鼻兎。

真っ赤な髪したミナライは全力ウサギ。

僕の恋敵とも呼べる兎は一組にいる。

月で餅つく兎。そんな印象の名前。



困ったことに、四月の学習発表会を観に来た碧依の心を掴んじゃった兎。



五月の初め、碧依から僕宛に手紙が届いたんだよ。

その中に彼の名前が綴られてた。記憶に残った人。

確かに彼の姿を見ちゃったら、気にはなるかもね。

角度を変えりゃあ、相当な覚悟を決めた男の雄姿。

正確な向きだと、イジメ同様の恥辱に塗れた女装。


ネッケツ王子を主犯とする五人組の

出し物に駆り出されたって形になる。

アレは反則。誰だって見たら笑うよ。



『気になる。彼のことが知りたい。会って話してみたい』と書いてあった。



これって恋心か? 単に面白そうな人だと興味を持っただけって思いたい。

僕の家に彼を招く機会があれば、必ず行くから連絡してほしいんだってさ。


僕だって心の中じゃ全力ウサギだ。

碧依が望むなら、全力で叶えたい。

でも…なんかちょっと…動けない。

碧依に芽生えた恋心を停滞させて

いっそ有耶無耶にしたい気持ちだ。


五月中旬、桜の花は時期を終えている。

前庭の地面に茶色く残る花弁のように

時の経過で消えて、忘れ去られてくれ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


五月の最終日曜。連休明けの登校が今から憂鬱だ。

来客は寄宿舎三羽兎の一羽、黒縁眼鏡の鼻兎男子。


街の郊外に建つ亜米利加から無事帰国した鼻兎が購入してきた

卒業制作の模型造りの素材が自宅客間の座卓に載せられている。


さすがは我らが君主だと思った。やればできちゃう人だって

二組のダメンズが知ってるからこそ、彼に丸投げする訳だよ。

彼は本気出すの避けてる。本気出せばマラソンも校内1位を

余裕で取れちゃうのに、目立つと面倒だから手ェ抜いてんだ。

いいとこ見せると攻撃されるって腹立つよな。辛いだろうね。


僕は陰で「外道」と呼ばれる連中とも友好的な関係を築けて

終いには「陽ちゃま」という正直アレな愛称も与えられたが

斎藤さんは外道連中と闘う正義のヒーロー。単騎で倒す気だ。

障害だらけの学校生活、よく逃げ出さないで踏み止まってる。

噂は聞いてても見てらんないよ。物陰の小競り合いなんて…。


僕は悠を級長に推薦したかったけど、一年生の春に立候補した生徒は

他の誰でもない斎藤和眞ただ一人だったんだ。虎鉄と紫峻がいた頃の

大変な日々を何とか乗り越えた級長を見た以上、僕も斎藤さんを推す。



不確定に点在する僕らの未来を映し出す、白い霧に覆われた幻想の森。



僕とミスターノーズの二人で、土台部分を担当することに決まった。

森を形成する樹木はタツヤとリンバラの担当。捩じり合わせた銅線、

千切ったスポンジを絵の具で着色し、樹木を作っていくんだってさ。

背景はヤッチ君。刷毛を使わずにスプレー塗料で済ませるとのこと。

人物や小道具は、主にニシヤンとノブ君が紙粘土を捏ねて作るって。

森の中を流れる小川は、器用な悠が担当することになったそうだよ。

モデリングウォーターってのを使うと聞いたけど、よく分かんない。

悠なら「美しい」と溜め息が出る「水」を表現できるって信じてる。

以上を組み合わせ、必要に応じて修正して完成させる考えみたいだ。


総合演出は我らが君主に一任する所存。二組ダメンズの総意となる。

一昨日の朝、僕らに見せてくれた設計案に不満いうヤツもいないし

共同作業とはいえ、大部分は君主が全員を手伝うことになりそうだ。


少々風変わりな個性の持ち主だけど、根が真面目だから担がれて

結果的に責任を負わされちゃうことになる運命の人かもしれない。

無責任な二組のダメンズが悪いって認める。厄介事から逃げてる。


十月にある最後の学習発表会までに完成できりゃいいんだから

二組らしく、のんびりマイペースに仕上げていこうって君主談。


それでも、まずは土台がなけりゃ何も置けないってことで

僕と鼻兎が先手を打つことになったんだ。素材はコルク板。

下地となる長方形のコルク板に工作用のカッターナイフで

切ったコルク板を重ねて、地面に高低差を出すんだってさ。


二人でコルク板を鉛筆で引かれた線に沿って切り出す作業を

淡々と進めていった。時計も見ないで作業に集中。雑談する

ヒマがあるなら、今は手を動かした方がいいって知ってるし。


藤田さんが出してくれた煎茶と菓子は殆ど手付かず。

飴やキャラメルなら口に入れたまま作業できただろうに。

悪い意味じゃなく、藤田さんは僕らを子ども扱いしないんだ。

訪ねてきた級友たちに一人前の所作を要求するところがあるから

礼儀に厳しいと根に持つヤツもいる。僕に友人が少ない理由の一つ。



…?!…



アラームが鳴った。斎藤さんが腕時計にセットしてたらしい。すぐ止めた。

壁の時計を確認してみると、正午の十五分前だった。もうそんな時間かぁ。


「悪いけど、ここで一旦休止しまーす。

実はシンちゃんからランチに招かれてて

診療所まで行かなきゃ。では、また後ほど」


素早く座卓の上を片付け、身支度を整え客間を出た。

たぶん本当にノブ君と約束してたんだろうけど

杜家の昼食から逃げたかっただけなのかも。


母上殿が同席することはない。それでも配膳する際なんかに入る

藤田さんのチェックが怖いんだと思う。低学年の頃、その御蔭で

二度と我が家へ遊びに来てくれなくなっちゃった学友たちがいる。

三組級長イッチのオヤブンさんが代表。箸使いが全然ダメだって。

学校の食堂で見る限り…我らが君主は全く問題ないと思うけど…。


それでも噂になってんだろうな。出入り禁止とまでいかなくても

「あの子の家は躾に欠けてます。親しくなさいませんよう」って

同級生が挨拶して自宅を出た後、こっそり伝えてくる人なんだよ。

うちで藤田さんの食事を美味しく食べてくれるのは、悠一人だけ。

碧依だって藤田さん直々に注意を受ける。合格の上を求められる。



安心して寛げる場所でなきゃ避けられるのも当然。これも現実だ。



べつに立膝ついたり胡坐かいてもいいよな。自分でも息が詰まる。

絶対に二人分の食事を用意してそうだし、何か言われるのは必至。


この村で生まれ育って、視えない針の攻撃を受けて躱し続けてきた。

そしたら、いつの間にか僕自身が針の使い手になっちゃってた訳だ。

編んでみたり、突き刺してみたり、糸を何かの形に変えて生み出す。


座卓に広げたコルク板や下に敷いた新聞を座卓の脇に一時的避難措置。

うちで鼻兎が食事して水を飲めば、新聞の一面を飾っただろうになぁ。


七年生夏期休暇前の出来事になるんだけど

イッチのオヤブンさんとヤッチ君の招待で

寄宿舎娯楽室へ入って、思わず笑ったもん。

赤い座布団の上、ちょこんと正座した姿の

我らが君主。ネッケツ王子の陰謀だってさ。

漫画を貸してもらい、夏期休暇に楽しんだ。


昼食は焼うどんだった。僕の好物じゃないけど、いつも悠が喜んでるから

僕らと同年代の男子には、焼うどんを食べさせるのが無難と考えたのかも。

仮に斎藤さんがいても、麺類より何かの丼物にした方が良かったと思うよ。

斎藤さんの分は晩に僕が食べると言ったところで、出ないのも分かってる。

心遣いの無駄遣い。誰も悪いと責められやしない。自己嫌悪に陥るのも…。


些細なことだよ。気にすんな。なるべく心を重たくしないように努めてる。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


我らが君主が診療所から戻ってこない場合も想定した。

ノブ君はサイトーさん大好きだから引き留めそうで…。

なのに、何事もなく戻って来た。十三時半、作業再開。


粗方の土台用パーツが用意できたからって、ノブ君のとこから持ち出した

紙粘土を座卓の向こうに座る斎藤さんが捏ねて…遊んでるとしか思えない。

何を作りたいんだろう?…って観察してちゃ時間の無駄か。角が生えてる。


ノブ君はポップコーンで生命維持する存在。御土産だと座卓に載せられた

紙袋いっぱいの手作りポップコーン。確実に放置して帰る気配が漂ってる。

本当は苦手でもファンからの気持ちを受け取るのがアイドルの肝心な仕事。

これもまた心遣いの遺棄場に困った者の小さな罪だと思うが、気にしない。

手が汚れちゃ困るから作業中は無理だけど、湿気ないうちに僕が片付ける。


君主に指示された作業は終わった。

僕には碧依の望みを叶えるという

重要任務がある。覚悟を決めよう。


進撃開始。先日の会話する雰囲気から寄宿舎の二羽の兎は親しいと窺えた。

月で餅つく兎について、黒縁眼鏡の鼻兎に質問を投げかけて情報収集する。



その前に冷えた煎茶で、喉と心を落ち着かせなきゃ。


窓から見える景色も眺めた。若々しい黄緑色の小庭。

彰太の家に出入りする人たちが手入れしてくれてる。

横顔とか問い質さない方が確かな礼儀正しい人たち。

間違いなく僕と同じ、日向より日陰で安らぐタイプ。


日陰者が多く出入りする家だってのに、夏を過ぎれば

陽光の下、向日葵が一列となって晴晴と咲き誇るんだ。

普段あまり外出なさらない母上殿を愉しませるために。

お許しください。ご理解ください。何かに請わなきゃ

生きてらんない身の上でも、目を逸らして生きている。


鼻兎男子もユニコーンっぽい動物の作成作業を中断して

土台にカットしたパーツを重ねて接着する作業を始めた。


ゴブリンやユニコーンが徘徊する戦闘有りのダンジョン?

単にゲームのファンタジー世界を再現しようとしてない?

何処かにボスキャラや地下迷宮の入口も用意するつもり?


言っとくけど、ユニコーンの背に翼が生えてちゃダメ!

鼻兎男子はユニコーンとペガサスの違いを知らないか

美少女戦士アニメの影響を受けてる可能性大だと思う。


速乾タイプのボンドで慎重にパーツを貼り付ける様子を

見物しながら、切っ掛けとなる言葉を探しまわってる僕。


寄宿舎での生活、どういった日常を過ごしてるんだろう?


「そういえば、寄宿舎の人たちって歯ブラシやタオルとか

日用品は自己負担? 取り替え時になったら各自で購入?」


口に出たのは、望月部長に関係あるようで意味のない素朴な疑問。


「えぇ…と、普通に自分で買う。実家から送られた荷物に

入ってたりするけど、色柄が気に入らない場合もあるし…」


今さっき貼り付けたばかりのパーツを両手で押さえながらの返事。

鼻兎男子の情報は不要。必要なのは餅つき兎男子に関する情報だ。


「じゃあ、一組の望月部長さんは誰かに頼んでるの?

村の商店にも行ったことがないって話してたんだけど」


そのまま直球で投げることに。きっちり打ち返してくれると期待。


「あ、そういうの頼まれたことないから分かんない。

どうしてんだろう? リューザッジの担当かな?

服は滅多に買わないと思う。服装の基本形が

幾つかあるけど、Tシャツにジャージの人。

長期休暇のときに買い揃えてるのかもね」


望月部長もネッケツ王子と同じ中央方面から来たらしいもんな。

クラスも同じだから買い物とか頼んでるのかも…って、アレェ?

あの人に任せちゃったら、凄まじい展開が容易に予想できるよ。

基本がTシャツにジャージ…。まあ、田舎で学校生活するのに

髪形や服装などに気を配る必要ないって考えなのかもしれない。


普段から校長の孫の世話で、自分のことに構ってられないんだと思う。

春のアレは見てらんない姿でもあったけど、髪の毛なら鋏狐が整える。


差し向かって座布団に落ち着いてる鼻兎男子は

自転車に乗って亜米利加へ出かけた日よりも

普通といえる服装だよ。総長っぽくない。


一時期は前髪をヘアバンドで押さえて

長く伸ばして、総長的ヘアスタイル

目指してるのかと憶測してたけど

その年の正月明け、戻った彼は

今までと同じ髪形に戻ってた。


僕の小さな謎となってる。


現在も不精に伸びてる。

夏期休暇に切るつもり?



服装についてより、僕に頼めば簡単に済むことを拒んでる理由を知りたい。



有耶無耶。白い霧に覆われた幻想の森、足元を照らす灯りに頼って

彷徨い歩き続けてたら、いつか陽光の下で安らいでる自分に逢える?



結局のところ、ノーズとの会話は何一つ成果を得ない一騎打ちに終わった。



元から会話が弾まないビジネスライクな程度の付き合い。

それでも僕の自宅で共同作業するくらいはできる距離感。

その後は藤田さんの手で新たに出された和菓子と煎茶を

感想もなく口にして、夕方まで黙々と作業に集中してた。

予想は的中、ポップコーンの袋を置きっぱなしで帰った。


鋏狐は『無暗に闇を覗かない』それが一番の大きな特徴。


明日、教室で忘れ物について言及したり返したりしない。

隠し切れない真実を暴いて大満足、増幅する自己顕示欲、

それはジェントルメンズの一員として品位に欠ける行為。

わざわざ遠くから寄宿舎付学校で勉強してるって時点で

彼らが覗かれたくない裏事情の持ち主なのは間違いない。


僕は学友の背後に潜む闇へ光を当てたくない。それだけ。



誰の姿もない玄関の門を出た。月を眺めたくて…。



既望の月だ。望月は過ぎたという徴となる月の形。


季節が移り変わるように碧依の心模様が変わって

月で餅つく兎男子の存在なんか忘れ去ってほしい。


どうしても叶えたくない望みがあることを知った。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「泊めてくれねぇか? もう虎鉄ん家に三日続けて泊まったんだよ。

虎鉄の祖父ちゃんは優しいけど、姉ちゃんはおっかねぇオンナだし

うちのこと色々訊いてきてメンドクセーし。なっ、頼むよ。陽春!」


夕闇色に染まった時間、紫峻が僕の自宅を訪ねてきた。三年生の姿。

もう生きていない現実を忘れ、三年生に戻った僕が相手をしてる夢。

現実なら適当に誤魔化して断るのに、黙って紫峻と向き合い続ける。


新山家の陰、舞台裏を無理やり見せられた。家族を捨て、逃げた父。


玄関内で二人きり会話してるようで、内容は全て藤田さんに筒抜け。

紫峻は靴を脱がして部屋に上げるのを許されない。進入禁止の級友。


実際には何度か泊めたんだ。客間に布団を並べて僕も一緒に眠った。


でも、紫峻の振る舞いは藤田さんの眼から不合格の烙印を押された。

申し訳ないけど、他に行くよう促すだけだった。悠の家か診療所へ。

「そっち行っても良い顔されねぇんだ。俺、マエダ先生…苦手で…」

現在の僕なら寄宿舎で世話してもらうようママに根回しできるけど

低学年の頃は実母が寮母の高橋さんだって、まだ知らなかったんだ。


紫峻の母親は家事が出来なくなってて、昼の給食で栄養補給してた。


風呂は虎鉄と共同浴場で済ませても、食事や洗濯が行き届いてない。

碧依の兄貴だけあって顔の造作、足も長くて格好は悪くなかったが

どうしても視界に入ってくる情報。襟袖の薄汚れた制服。小さい靴。

買い換えられないから踵を踏み潰して誤魔化して履き続けてたんだ。

助けたいよ。学校が始まる前から近所の遊び仲間だもん。だけど…。


玄関の上り框で紫峻と向き合ってたら、頭が夢の世界から逃走した。


常夜灯の下で確認した時計は、午前一時半を指してる。

二階で寝るのは僕だけ。神経が過敏になる。ざわめく。

僕の耳が懸命に音を拾う。庭の草木が風に煽られてる。


虎鉄と紫峻が生きていたら…。ダメだ、寝直さなきゃ。


仲良しの二人が一緒に亡くなった。紛れもない現実だ。

トリオを組んでた悠が一人残されて、可哀想だと思う。


振り返れても戻れない低学年の頃、虎鉄と紫峻と悠の

三人トリオがいつも二組の教室を賑わしてたんだよな。

その三人に振り回されるのが寄宿舎生の級長と副級長。

ノブ君は寝坊で遅刻魔。だらしない格好でヘラヘラと

マイペースなんで、二組の全員から遠巻きにされてた。


てんでんばらばら。決して混じらない孤立した仲間を

無理やりジェントルメンズに仕立て上げてた斎藤さん。

歌が上手い虎鉄に従兄の僕がサポートする形になって

二組の学習発表会では歌謡ショーみたいな演劇してた。


三年生の夏、虎鉄と紫峻が二組の舞台から姿を消した。


会いに行けない場所へ旅立ったと喩えたらいいのかな?

幽霊なんて信じられないけど、二人して何を想ってる?


いや、身体の機能を失った状態で思考なんて無理だよ。


死。もう僕として考えることが出来なくなるって現実に恐怖を覚える。

テレビの電源をオフにした状態とも違うと思うし、想像つかない状態。


心が身体から抜け出して彷徨うんだろうか? 目的地は何処なんだよ?


神様、天使、如来、菩薩、…天。この世に存在しない視えない存在に

心を委ねようと、心の拠り所を探し求める。かよわい人間という存在。


死ねば終わり。自分と別れる。身体は地面に返す。それでいいでしょ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


些細なことだよ。気にすんな。そう言えない現実が死という形での別れ。


ケン坊が物心ついた頃から一緒に暮らしてきた

大切な家族で、一番の親友だった白い犬ラファ。


一組級長の花田君から依頼された羊毛フェルト製のラファが完成したよ。


ケン坊の自宅は学校へ行くより近い。

製作開始から一か月ちょっと過ぎた土曜。

花田君の要望で、僕が直接届けて任務は完了。


朝、藤田さんがラファを入れた小箱を丁寧に包んで

御土産の菓子折りも入れてくれた紙袋を手にして

ケン坊の家を訪問することに…。天気は快晴。

もう春ってより、初夏と呼ぶ時期だよな。



陽光の下を歩くには後ろ暗い存在かもしれない僕だけど

心に映ってる姿は意外と小さくない。タツヤより大きい。



錆びついた黒い門戸は開け放たれたまま。

朽ちた様相の犬小屋は片付けられないまま。

門を直して、小屋を撤去する余裕がないまま。

僕の目に飛島家の抱える複雑な状況が伝わった。


少しでもケン坊の元気を取り戻せたら…。そう希望したのが僕の依頼主。

彼の手に届けて、少しでもペットロスの悲しみが癒せたらいいんだけど。


一呼吸、それから呼び鈴を押した。玄関戸を開けたのはケン坊のお母様だ。

笑顔だけは誰にも負けない。強く信じて挨拶してケン坊と面会可能か伺う。


「ごめんなさい。うちの子、今日からアルバイトだから街へ出かけてて。

街に古くからある百貨店…五階の天然石のお店なんだけど…知ってる?」

「ああ、はい。店に入って商品を観たりはしませんが、通り過ぎるんで」


母上殿が偶に外出なさって買い物するとき利用する老舗の百貨店。

少女の頃から常連だって聞いたけど、いつも賑わってる八階建て。


「私が趣味で天然石アクセサリー作ってるから、うちの子も真似して

色々作るようになってね…。そこの店主さんに趣味と実益を兼ねて

短時間で完成できる簡単なオーダーメイドのアクセサリー作りを

頼まれて…。うちの犬が死んでから、ずっと塞ぎ込んでるから

店主さんのご配慮なんでしょうね。私も有難いと思ってるわ」


安心した母親の表情を見せてもらった。臨時ボーナスかもしれない。

紙袋を預かってもらって、僕なりに最強の笑顔を貫いて背を向けた。


ケン坊といえば、麻紐を使って天然石を組むブレスレットだもんな。

七年生の春に誕生日プレゼントとしてもらったことがあるけど

机の引き出しに入れっぱなしで着けてなかった。忘れてた。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


そのまま自宅二階、僕の部屋へ足を向けた。

三年前のケン坊が手間と時間をかけて作ってくれた

折角の心遣いを無駄遣いするべきじゃないと思ったから。

机の引き出しを開け、ブレスレットが入った箱を取り出した。



『幻想的な白い霧に覆われた深い緑色した針葉樹林』



ブレスレットに使われた天然石を言葉で表すとしたら、そんな感じに近い。

受け取ってから三年も寝かせたままで遅くなってしまったと思うけど

この石を僕に選んで贈ってくれたケン坊へ素直に感謝したい気分。


三年前の僕は、モスアゲートが水槽の壁面に発生した苔みたいに見えて

身に着ける気にならなかったんだ。綺麗じゃないと思ってしまった失態。


針葉樹の幹に似た色の麻紐で組まれている。早速、左手首に着けてみた。

窓から入る陽光に透かして眺めて愉しんだ。天然石ビーズの一粒一粒に

個性を感じ取れる。無邪気で明るいヤツ、ミステリアスなタイプもいる。

人間の瞳には映らない精霊が石の中を飛び交ってるに違いないと思った。


未来の僕らを映す鏡の世界に立つ。

自分が望んだままの姿をしてるか

気になるから、捜して覗きたくて

小さな灯りを頼りに歩んでいった。


戦闘はイヤだから、交渉して回避。

足を踏み外しちゃったら即アウト。

地形には注意して進まないとな…。

時には休息。周りの景色を愉しむ。


最高といえる自分か、最低なのか

目にした瞬間、すぐ分かる筈だよ。



僕の口から、誰かを傷つける言葉は吐きたくない。


僕の手は、誰かを喜びの笑顔にするため使いたい。



そしたら、いつかは安心して休める場所で過ごす僕が

このモスアゲートの森の中に映ってる。そう信じてる。



これから、ちょっと悠の家を訪ねてみようかと思う。

あいつもケン坊からブレスレットを受け取ってる筈だよ。

どんな石か気になるし、僕のモスアゲートを見せてやったら

どういった言葉をもらえるか聞いてみたいもんな。行ってくる。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


パソコンを置いたデスクに備え付けの椅子、いつもどおり穏やかな笑顔で

腰かける悠と向き合って正午前まで過ごした。外は快晴、心象風景は曇天。



ブレスレットの石は見せてもらった。きれいなピンク、名前は…忘れた…。



悠が学校へ行きたがらない理由。

その他、ちょっと受け入れ難い

不思議な話を打ち明けられても

相談相手なんて務まらなかった。


超重量級。いや、悠の見た目を

言ってる訳じゃないんだけどさ

悠自身も抱え切れないからこそ

誰かと共有したかったんだよな。


でも、無理だよ。心が靄つく…。



出来るだけ早く辛い過去は忘れるのが一番。それくらいしか言えなかった。

午後から来客があると誤魔化して帰宅。陽光の下で萎んだ心を膨らませた。



過去に囚われて苦しむ必要はないと思うよ。

夢物語にも似た実証不可能な生まれる前の出来事。

自分じゃない自分の記憶に悩まされるのって馬鹿らしい。

過去や未来より大事なのは、今この瞬間を良いものにすること。



恥や過ちは闇に覆って隠せばいい。少なくとも僕は光を当てて覗かない。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


月曜、僕の少し前を歩くケン坊を見つけた。

声をかけようと息を吸ったら、脇道から一組の二人。

ケン坊のボディガードみたいに両脇を囲んで、そのまま…。


彼に駆け寄って、僕の左手首を見てほしかったのにタイミングを逃した。


ラファの縫い包みを見たケン坊は、何を思ったろう?

箱から取り出して、どこかに飾ったんだろうか?

ラファを見て…すぐ仕舞い込んだ可能性も…。



本日も誰が何の目的で開校したか謎の不思議な学校へ授業を受けに行く。



有耶無耶な白い霧に覆われた幻想の森、足元を照らす灯りに頼って

彷徨い歩き続けよう。いつか陽光の下で安らいでる自分に逢うため。



勝利や成功だの高望みはしない。笑顔で過ごせる日常、それで充分です。









◆a junction. 谷地敦彦


実を言うと、帰るべき場所を失くした。確実に断言可能。でも、僕は…。


現時刻は十年生七月十四日木曜の午前二時十三分。


もう過ぎてる。過ぎていくだけ。今という瞬間は儚すぎる。夢に似てる。


今は刻々と過ぎ去る。過去の出来事を実証するのは思った以上に難しい。

僕の思いは頭か胸? 容易く確認できない所に記憶されては消えてゆく。


思いきって放り投げて、逃げ出したっていい。遺棄して構わないと思う。

執着。しつこい。傍目から見りゃ侮蔑嘲笑されて当然の惨めな姿してる。

分かっていながら、この場所から離れたくない。僕は独りきり…いる…。


言えない。言う勇気が出せない。愛がないから独りきり。名が消え去る

その日まで道化師。もし全て告白しても得られるとは限らない。白い靄。



寄宿舎自室、深夜に目が覚めた。それだけの話だけど

運試しでもしてみたい気分になったんだ。軽い空腹感。



賽子は使わない。表か裏の二択。コインを放り上げる。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


実はコインを投げる必要なかった。自室を出る理由づけ。

自室の扉手前に設置された懐中電灯を掴んで部屋を出た。


同室者がトイレへ行きたくなっても知るもんかって話だ。

心を開いて接してみた。本気で近づこうと努力を重ねた。

でも、その全てが徒労に終わった。現状じゃ修復不可能。


進入禁止。そんな発言を耳にした覚えは一度もないけど

立ち入れなくなった部屋を通り過ぎるとき、どこか痛む。


雨垂れ石を穿つ。そう信じて、しつこく絡んでも望む結末は

得られないと知った瞬間、ゲーム終了。僕は駒を動かさない。


食堂へ下りて、マカロニチーズを作って食べる。

まだ早茹でタイプの買い置きが棚に残ってる筈。

熱々のに粉チーズとオリーブオイルを大量投入。

顆粒ブイヨン、バジル、マヨ…。塩胡椒で調整。

不味けりゃゴミ箱行き。我慢してまで食わない。


以前、輸入食料品売り場で購入したチェダーチーズのソースが

自分としては悪くない味だと気に入ってた。でも、周りからは

不評を得てしまったソース。異臭テロだって。不快を引き出す。


寝息や物音も聞こえない各室を通り過ぎて、洗面所の鏡に懐中電灯の光、

闇の中をうろつく存在を確認した。居なくていいのに居る者の姿を見た。

そいつを見なかったことにして右折、説明する必要もなく階段が現れる。


階段での足の運び方、いちいち考えるまでもなく下りて行ける。

これで十年目の夏だもんな。居住空間の構造に馴染んでる証拠。



…?!…



今ちょうど階段の踊り場に立ってるんだけど、下から扉の開閉音がした。

僕の他にも起きてるヤツがいるってことか。あの重い開閉音は洗濯室だ。

それなら誰だか自ずと想像つく。こんな夜更けにナギちゃんも大変だな。

劉遼のオネショ回数が以前より減ったと喜んでたのに、ヤられたらしい。

夜間に洗濯機は動かせない。洗濯層に水と洗剤を入れて朝まで浸け置き

早朝から洗濯機を動かして屋上に干すんだから、ゆっくり寝る暇もない。



防音環境の整った洗濯室なら、二人とも素になって会話できると思うし

深夜から暁方へ移り変わる時間を仄かな灯りの側で共に過ごしたい気分。



昔からスゴイと思ってた。ナギちゃんは暗闇に対する恐怖感が皆無。

真夜中バスタブに湯を張って、窓を開け放しての月見風呂って趣味。

風流じゃなく風変わりってのが正直な感想だった。考えるのも拒否。

彼も堅気じゃない連中の存在を知ってる筈。並の神経じゃない証拠。

こんな時刻うろつく僕も今やナギちゃんの盟友。暗闇に安らぐ仲間。


一応ノックする。敬愛する朋輩でも、いきなり開けるのは配慮に欠ける。


少し待って開けようとしたら、部屋側から扉が開けられた。

薄暗い室内から不機嫌そうな顔を覗かせたのは斎藤だった。

眼鏡を外してる所為で目付きが悪く見えるだけと思っとく。


想定外だった。向こうだって同じ気持ちかもしれないな。丑三の鉢合わせ。


「んー、えぇ…と、アッちゃん、こんな時間に何の用で洗濯室へ来たの?」


二人とも二組の授業で製作した甚平を着てる。僕らを見た他の寄宿舎生に

真似して着るヤツが現れ出して、寄宿舎内では流行りの格好と呼べるかも。

僕のは紺地の縦縞で脇タコ糸は生成り。斎藤のは…独特な色柄…と伝える。


「こっちは軽く何か食べようかと思って食堂へ行く心算で下りてきたんだ。

踊り場で扉を開け閉めする音が聞こえたから、誰かいるのかと思ってさ…」


嘘偽りなしの事情を話した。それより、斎藤は何がしたくて洗濯室に

一人で入り込んでいるんだ? 蓋を開けたペットボトルを手にしてる。

ワケ有りなら緑茶なんか飲まずに手早く用事を済ませて出て行く筈…。

「何か食べて歯の磨き直しも面倒だし立ち話もアレだ。中で話そうか。

すぐ自室に戻る心算じゃないんだよな? 僕でよけりゃ相手になるよ」


…………………………。


…………………………。


…………………………。


上向きに立てた二本の懐中電灯に白いレジ袋を被せた即席の室内灯。


程よく距離を取って置いた丸椅子に座って、二言三言交わしてみて

同室の花田と一悶着あったと憶測。追い出された可能性、十割確定。

近くにタオルケットと飲み物がある。朝まで籠城する心算だろうな。

僕には花田が捜しに来る想像つかない。万が一でも有り得ない展開。


眼鏡無し、手荷物はタオルケットくらい。事件は斎藤の就寝中発生?


三段棚に古雑誌が置かれてあっても、眼鏡無しの状態で懐中電灯の

明かりじゃ手に取る気にもならないか。もう何度も読み返してる筈。

さっき僕が聞いた扉の開閉音は斎藤が食堂から飲み物を持ち出して

再び洗濯室へ戻ったことを示すもの。落ち着いて眠れない状態の者。


同室者との喧嘩なんて日常茶飯事。殆どの生徒は娯楽室のソファに

横たわって過ごすけど、娯楽室には冷蔵庫もあるから出入りが多い。

普段から斎藤は娯楽室内のメンバー次第じゃ入室を諦めるヤツだし

朝まで一人で落ち着ける場所として、潜伏先に洗濯室を選択…って

駄洒落だな。さすがに恥ずかしくなってきた。もう色々とアレすぎ。


諦めて受け入れるしかない現実が胸に沁みてきた。

斎藤には相談できない内容。立ち位置が違うから。

だから、ナギちゃんが現れてくれるのを期待した。

彼の気紛れな心模様が僕に言葉を与えてくれたら

この先、独りで歩んでゆく後押しになってくれる。


「あー、そうだ。アッちゃんが扉を叩くまで考えてた問題があって

眠れないんなら知恵を拝借したいっていうか…体調に響かないの?

斎藤さんの眼からだと、今年に入ってから顔色が良くなったと思う。

でも、無理しないで。健康を第一に考えて、寝るときには寝ないと」


顔色が良くなってるのか? 自分じゃ気づかないもんだな。

どう返すのが無難か困惑する現実と向き合うことになった。

斎藤からの視点だと、僕は一体どういう姿に映ってるんだ?

身長差があるから仕方ないが…小動物扱いされてる気も…。


ここでは陽春の言葉を拝借『些細なことだよ。気にすんな』


「問題って卒業制作のこと? リンバラがやらかした件?」

詳細は思い出したくない。思い出したら笑いが止まらない。

「ううん、個人的な問題。一体どういう対策すれば二度と

斎藤さんの自転車が盗まれずに済むんだろうか?って悩み」

両手を左右の蟀谷に当てて、悩んでるってポーズを見せた。


今年の三月だったか、街にある書店や服屋なんかが並んでる

ショッピングモールへ出かけた際、三度目の自転車盗難の

憂き目に遭ったのは学校生徒ほぼ全員に知られてる事実。

わざと悪趣味な型と色の自転車を選んで購入した上で

しつこく防犯対策したのに並んで停めてた同行者の

花田の自転車は無事、何故か斎藤のが盗られた。

その日は偶々持ち合わせがあったそうだから

モール内のホムセンで、すぐ新車を購入。


それでも「口惜しい。理不尽だ。解せない」食堂で溜息ついてたっけ。


僕の場合、例えばサックンの父親が運転する自動車に

同乗させてもらう機会でもなければ街まで出ないから

盗難被害に遭った現場の詳しい状況を知らない訳だが

学校の駐輪場、二階の窓から見ても厳重だって分かる

「ありとあらゆる手を尽くしました」と伝わってくる

斎藤の自転車を知ってる僕は一つの推論が導き出せる。



…挑発…



犯罪意欲を掻き立てる。最終的には適当な場所に乗り捨ててでも

ここまで厳重に防犯対策してるヤツの鼻を明かしてやりたくなる。

悪戯心、妄執みたいな邪念に囚われた者が実行してしまった結果。

単純に不運という一言で片付けられる話だとも思うよ。気の毒だ。

しかし、軍師の立場から単純とも言える一つの方法を提案できる。



「亜米利加。出入口前に並んでる商品の自転車たちを思い浮かべてみて」


少しばかり我らが君主に考えさせて差し上げる。その方が納得いく筈だ。



両手で顔を覆って1分も経たない間に

下を向いたままで両手を観音開きした。


「あー、そうか。なるほど連環か。確かに有効手段だよ。

今まで全く気づかなかった自分がバカだと素直に認める。

でもさぁ、それって同行者がいる場合のみ有効な手段…。

アッちゃんに相談して良かったと思う。本当ありがとう」


僕と目を合わさない形で向けられた感謝の言葉。沈黙で応じた。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


何だか喉が渇いたから食堂で水を飲んで寝る。


頭に浮かんだ適当な理由を言葉にして伝え

伏せたレジ袋から懐中電灯を取り出し

洗濯室の重たい扉を開けて廊下へ。


「おやすみ。それじゃあ、また明日」

欠伸混じりの声が背中越しに聞こえた。

明日の授業は居眠りして過ごすと断定。

二組は校内で一番学力が低いクラスだ。

工作や手芸の講座が基本的な授業内容。



未明。午前三時も過ぎれば、カーテン越しでも瞳に明るさを感じ取れる。



食堂の引き戸を開けて…適当…じゃ困る。竜崎の仕込みが目に入らない

座席に腰かけて、今度は食堂のカーテン越しに光の変化を視界で追った。


カーテンを眺めるとかしなきゃ耐えられないよ。一瞬、僕の瞳に映った

本日の仕込みは「ボクはムキムキダンスベビー」のフィニッシュポーズ、

元気良く決めてるポスターだった。先月十六歳になった校内一の美形が

帽子と下着だけの姿。くっだらねぇ笑えるイタズラに無駄金を使ってる。


「ワルイヤツはユルサナイ!」と書いてるけど、一番ワルイヤツは竜崎!


大体にしてヘンだ。浅井との付き合いで海外アニメを一緒に視て思うのは

年齢問わず男性が簡単に下着一枚になること。見たくないのに見せられる。

誰の需要だよ? 女性なら大問題になる行為がお笑いとして受け取られる

巫山戯た差別が横行してる。どんなに優れた容貌でも男性の裸体は笑える。

竜崎だったら金銭を出しても写真を欲しがる連中もいる筈だけどアレは…。


ヤバい。早急に頭からアンインストール。不要な記憶の消去。脳内大清掃。



あの日、胸の奥の隠れて視えない目盛りは『零』に固定した。

零から前後左右に動かそうとする意欲、現状では『特になし』



あと半月すれば、最後の夏期休暇が訪れる。

また通院の日々が続く虚しい夏休みは嫌だ。

中央の駅を通り過ぎ、遠くへ旅に出ようか。



もう二年近く前に答えを出した。『心に棲む者』として生き続ける選択。


これ以上の分岐は望まない。緩やかに景色を愉しみながら進んで行こう。



百二十八号どころじゃ済まないだけ引き裂かれ、奇妙な世界に囚われた。



数える気力も削がれる程…いる…自分を

受け入れて、見知らぬ誰かと共に歩もう。

僕は「雨夜の星」視えなくても…いる…。



この僕が見知らぬ誰かの笑顔を引き出す者ならば、それ以上は望まない。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


寮母さんに両肩を叩かれ、目を覚ました。笑顔を向けられ、朝の挨拶。

ミサがカーテンを開けている。調理場の蛇口から水の流れる音が響く。



失敗した。まあ、いいや。

お茶でも淹れてもらうとしよう。

笑顔で取り繕って、図々しく居残るよ。


マカロニチーズ、朝食として作って食べようか。

早茹でタイプのマカロニを煮過ぎて融かさないよう

ちょっとだけ早いと思うくらいの時間で鍋を笊に投下。

味付けしてる間に適度な熱さと柔らかさになってくれる。



食堂のカーテンを全て開け終えたミサが微笑んで挨拶してくれた。

「おはよう」

「おはよう」

これくらいで、ちょうどいい。零の空間、好きなだけ跳ねまわる。



小鳥が二羽、囀って擦れ違う。喩えれば、そんな感じになる。


左手三本の指先を物心つかない頃の僕が自ら切断した理由は

同じ過ちを繰り返さないと我が身に刻み付けた決意の表れだ。

執着を断つ。楔を引き抜いて鎖を千切る。空に放物線を描く。

思いを手放した。担当のあいつに任せて委ねる。ゲーム終了。

自分の人生、自分を喜ばせて好きに愉しもう。進行方向は前。


それにしても…この三人の女性は…。


竜崎のポスターなんか気にも留めず、

それぞれ淡々と朝の作業を進めてる。

三人揃って男性不信の塊に違いない。

嫌な部分を見慣れるくらい見続けて

全く関心が向かなくなったんだろう。


この僕も不信感を与えた一人になる。



寮母さんの夫で陽春の父である人物の行方が気になる。

以前は杜家に住み込んでいて顔を合わせた記憶もある。

虎鉄の父親の存在も憶えてる。近寄れない雰囲気の…。



不思議だと感じる部分を明らかにされたら困る者がいるのか?


…………………………。


…………………………。


…………………………。


このゲームの主催者は既に敗北が確定してる。僕は敗者の側。


それなら道化として気楽に過ごすのも悪くない。そう思った。



タネは仕込んである。いずれ披露させてもらう予定。笑顔に結びつけ!










◆或る生徒の独白.


学校生活最後の夏休み、某日午後

私は彼から封筒を取り上げ

そして、殴りました。


右の拳が彼の左目の下辺りに

命中した手応えを感じました。


私は彼女への謝罪の意を表す遺書

その手紙を燃やし、灰にしました。


そういったものを遺してしまったら

彼の輝かしい誇りを貶めることになり

これまで生きた彼に関わった存在全てを

賎しめることになると私は判断したのです。



二人で一緒に屋上から飛び降りました。



焦燥。諦念。墜落。衝撃。絶望。



疾うに私たち…二人の首には…、

悪魔の鎖が架せられていました。



私たちは、本当に弱い者でした。



人は苦しくて辛くなると、神様を求め

一心に祈り、縋ろうとするのですね…。


何度、謝罪の言葉を口にしたところで

赦される罪状ではないのでしょうけど


それでも、私たちの唇は…謝罪の言葉を…、

何度も何度も繰り返し、口にし続けることを

どうしても…止めようとはしないのです…。



それに、私たち二人は

「自分」という存在に

何一つ価値が無くても

それが消え失せることの

たとえようのない恐怖は

耐え難い苦痛であるのだと

深く刻まれてしまいました。


これ以上、塵一つさえも

否定したいと思いません。



全てを許し、全てを受け入れます。



静寂な気持ちで受け入れますから。


どうか生存の続行を許してください。



私が殴った痕は、痣となって残りました。

きっと、彼の頬に残り続けることでしょう。









◆或る生徒の独白.


彼らが手に取った書物の一文字を指して

字というものを教えようとしてるのですが

幾度となく目を凝らしても読めませんでした。


指し示す文字が全部ぼやけて見えていた所為で

はっきりと認識することが出来ずにいたのです。


そのため自分は「文盲である」と判断されました。


ですから、この身を盾に生きざるを得ませんでした。


この醒めない夢のような世界の日常に於いては

有難いことに自分は通常の視力を得て生まれて

好きな書物を手に取り、その文字、絵柄の意を

思うまま介することができるようになりました。


太宰治、星新一、宮沢賢治、灰谷健次郎、中島らも…。

その他にも多くの美しく巧みな文章を眼にできました。


三国志では、蜀の武将、魏延と愛馬との物語を読んで

自然と心が痛み、気付いたら…涙を流していました…。


文字を追えば、笑ったり、泣いたり、感情を揺さぶる

これほどまでに…素晴らしい行為があったなんて…!


それだけで、感謝の念に堪えません。


鼠殿、誠に有難う御座います。


友と共に学ぶ機会を供して頂いた至福の記憶

我が生涯の誇りとして深く刻みたく思います。










◆くるくるぅふわふら. 森魚慶


その日の晩はカーテンを閉め忘れて寝たらしく

光の加減から明け方の出来事だと推察してます。

臍辺りを中心に、くるりゆっくり回転しながら

自分の身体が…天井の方へ…上っていきました。


そんなものだ…と、落ち着き払った心情で

静寂の中、緩やかな上昇を受け入れました。


自室の木目調の天井に近付いていくにつれて

鉛筆で書いたような文字列や貼られたメモが

あちこち点在してて、読めそうで読めなくて

強く意識した瞬間、元通りベッドの上でした。

掛け布団は脇に垂れ下がって落ちていました。


当たり前なのでしょうが、見上げた天井には

いくら見直してみても傷や汚れはありません。


今でも何て書いてあったのか、気になります。

メッセージのような気がしてなりませんから。


でも、早く忘れた方が気は楽なのでしょうね。



私が他の誰よりも怖いと思うのは私自身です。

私でなくなる時間より怖いことはありません。


気がついたときには月曜の昼だったのに驚いて

母に訊いたら金曜の午後から正気を失っていて

暴れて手が付けられなかったと告げられました。


何も憶えていません。私が意識を失う…恐怖…。










◆ダレニモイエナイ. 花田聖史


十年生九月末日に近い数日間の出来事を告解する。


神がいるなら、即、罪人を断つ正義の刃を与えてほしい。

死神の鎌でも結構だ。許せない連中が多すぎて…困る…。


そうでなければ、この胸に燃え滾る正義の焦燥を聖なる雨でも降らせ

鎮火させてほしいと願う。心に炎を抱えるのも…苦しい。心の熱傷…。



正しき道へ辿れない雪辱と共に暴風雨の道を彷徨い歩くのに近い日常。



耐えて忍ぶのには理由がある。その当時、管財会社を営む我が家には

ある程度まとまった資金が必要だったのだ。僕は学校に売り渡された。



三年生の夏、二組の二生徒を殺害した犯人が…村の学校内に…いる…。



この歪んで拗けた世界では、決して裁かれることのない者。

裁かれ、吊るされるべき、罪業を背負った者を知っていて

正義の鉄槌を下すことの出来ない歯痒さは、心身まで蝕む。


誰にも心を許すことなど出来ない学校生活に於ける唯一の楽しみは

級友、竜崎順の姉である寧さんとの文通くらいだった。素になれた。


彼女の趣味は旅行。初めて出逢った時も交際中の男性と

取り巻きの友人たちとのグループで、北の街を観光旅行。

夏期休暇前に竜崎順から事前に依頼されていた案内役を

僕は僕らしく忠実に務めた。ただそれだけの関係だった。


その年の九月に入って届けられた僕宛の礼状。それで…。


依存とも呼べる甘えを懐いてしまった。

彼女には、新たに増えた愚弟だろうな。

そんな愚弟の駄文に返事をしてくれる。


僕が九月生まれであることを綴ったら

贈り物がしたいとの返事。しくじった。

余計なことを書いたと猛省したけれど

ふとした悪戯心が芽生えてしまった…。



決して叶わない、もらえる筈がないと心得てる品物をリクエストした。

愚弟の無邪気な甘えと捉え、笑ってほしいと思っただけ。他意はない。



叶えられない望みを懐く僕が受け取った寧さんからの誕生プレゼントは

望んだまま洒落にならない品物。これは流石の僕も…誰にも言えない…。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


課外活動は嫌いだ。不快な外道どもを視界に入れなければならないから。

両目を使って視野に入れるのも、気枯れる。単眼で全て事足りると思う。


僕の隻眼は、視界を狭めて集中力を高める目的で利用しているのが真相。


しかし、特に学校の三組方面へ目を向ける必要のある際は多用している。

単に視界に入れたくない。それだけの目的だ。邪悪な気配など確認不要!


間もなく紅葉見物に訪れるであろう観光客のために

朝から昼食休憩を挟んで放課後までの丸一日をかけ

村から街へ通じる道の『清掃奉仕』といった名目で

全校生徒が駆り出された形。全く面倒とは思わない。


朝から全員ジャージ等の軽装だ。足元は運動用の履物。

制服と違い統一感がなく、一部の明らかな特徴を持つ

生徒を除いて、生徒全員を完璧に見分ける自信がない。



…秋風…



優しく胸を吹き抜けていく訳でもない。冬の訪れを思わせるように冷涼。



こんな日は伊達眼鏡とマスクが必要だというのに、つい忘れてしまった。

しくじった。浮かれていたからに違いない。得物は忘れずに持ったのに。


僕が外出する際、欠かせない右肩にかけた帆布鞄に忍ばせてしまった箱。


本日は青く半透明のゴミ袋に不快な塵を放り込み、街道を歩くことが修行。

得物など不要に決まってるが、試してみる絶好の機会でもある予感もする。


こういった自由行動の場合、一番の厄介者と称せる存在となるのが…。

しかし、あいつは級友である鯨井にしつこく付き纏われている様子だ。

二人の点と点は繋がりそうもない日。要するに単独行動可能。好都合。


ほんの僅かな時間、人知れず姿を隠す。

それが出来たら試行。いや、いっそ…。


この世に不必要な存在を五名消し去り、最後に僕自身も消してしまう最悪。

実行しようか。してしまったら喜ぶ人間もいるかもしれない。いると思う。



一人目 高橋虎鉄、新山紫峻、二名を殺害した罪を犯している生徒を討つ。

二人目 一組の一番の害悪、天から授かりし容姿と剥離したアレレを討つ。

三人目 アレレの守護天使的存在となる彼は殉じてもらう。已むを得ない。

四人目 二組にいる奇妙なバケモノ、彼も始末する必要があると予感する。

五人目 忘れてなるものか。僕の心に深い闇を齎す存在にも消えてもらう。

六人目 貴重な生命の連鎖を断ち切った罪業を背負った僕自身を処断する。



僕が導き出した最高の選択。装填された六発の有効活用。模範となる解答!



思いと行いは共に進めない場合もあると身に沁みる。

思いながらも、ゴミ袋と同じ色のゴム手袋を嵌めた手は

次々とゴミを見つけ次第、回収する行為を続けているのだ。


眼に入る。入れたくはなくても眼に入ると、同時に情報も頭を過る。


前方数メートル先に一組の三名が立ち止まって、何かを見下ろしている。

彼らを通り越して行く者たちは、何かを確認するとすぐ表情を曇らせた。

それでも三名に近づいて話しかける者はいない。沈黙で通り過ぎていく。


近付く毎に不快な臭いが鼻につく。腐敗臭。所謂『死臭』という刺激だ。


「車に轢かれたんだろうな。烏に突かれているようだし

速やかに埋葬すべき狸の屍骸。僕が引き受けるとしよう」


泣き出しそうな表情。轢死した狸の骸を見つめる飛島…。少女のような姿。


目にして、目を離そうにも離せなくなり、身動きできなくなったと察する。

彼が長年家族として大切にしてきた愛犬は、昨年の冬に生涯を閉じている。

通り過ぎればいい。記憶に残さなければいい。それだけのことが出来ない。

心を傷めても手は伸ばせない。そういった状況に陥っているのだと感じた。


初夏、僕が贈った羊毛フェルト製ラファの縫い包みも

飛島が負った深い傷心を癒やせなかったようで歯痒い。


何も言わず彼の両脇に立つ、村元と八木橋は役立たずの侍従と喩えてやる。


三名とも揃って軍手を嵌めてはいるが、触れたくはない筈だ。無惨な骸に。

僕は厚手のゴム手袋を嵌めていて、他の生徒より持ち物が多いことが強み。

古新聞紙だって肩の鞄に入れてある。問題なく屍骸を処理することが可能。


喜んでとは言えないが、躊躇うことなく引き受ける。

そうすれば、僕が一人きり山へ立ち入る好機となる。


狸の屍骸を古新聞紙の上に載せ、包み込んだ。

飛島たちは、顔を歪めながらも見守っていた。

全くの無言で人形か亡霊みたいに思えてくる。


おそらく周囲に漂う死の臭いが生者を無言にしてしまうのだと思う。

僕だって大きく息を吸い込みたくはない空気だ。マスクもしてない。


吐き気に負けるな。さっきの骸を目に焼き付けるな。

これも何かの縁。貴い一生を終えた骸を弔って

土や水、他の姿へ生まれ変わらせよう。


血肉の水分が蒸散して、空へ浮かぶ雲となるかもしれない。

雲は雨となり、大地へ降り注ぐ。多くの命を育む力となる。


誰かが為すべきことを成し遂げることは貴い。

ありとあらゆる苦難は、僕が正しき道を歩んでいる証明。

僕の選択に何一つ過ちはない。この僕を信じて鼓舞し、今を生きる。


遼が僕を見つけ、いつもの調子で声をかけてきたが無視。

世話係のむぐらもち君に遼の制御を促す視線を向けると

彼も心得たもので、そつなく遼の注意を逸らしてくれた。

遼以外の一組生徒が取得してる手話を使う面倒も不要だ。


同年齢の賢者。目視した情報で大凡を読み取ってくれる。

心の中に於いては、むぐらもち君に深く頭を下げている。


但し、彼はアレな部分も眼につく。色々と奇妙な存在だ。

兎にも角にも大雑把。彼は測量しようという思慮浅き者。

洗剤や入浴剤の無駄な消費は、他生徒の迷惑となるのに。

いや、まぁいい。僕の心を脇へ逸らしてはいけなかった。



道路の右側、山へ続く砂利道に足を踏み入れた。どこに屍骸を埋めよう?



林の中。誰にも踏みつけられそうにない地面の軟らかい場所がいい筈だ。

スコップまで携帯してる訳じゃない。ある程度、僕の手で掘るしかない。


儚く美しきものを辿るべき道へ案内するのも、今を生きる者が果たす役割。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


供花はないけれど、副葬品として木偶人形の代わりとなる

僕の非常用携帯食料だった煮干しを狸と一緒に埋めてやる。


本当なら寄宿舎の娯楽室内に於ける、おつまみ類の小魚泥棒常習犯である

谷地敦彦に進呈するつもりで購入したものだったが、彼は夏期休暇後も

未だに学校へ戻ってきてない。カズに拠れば前年と同じ状態らしい。

また村まで帰ってきたら、アーモンドフィッシュを買って与える。

寄宿舎の「闇の帝王」と呼べる大きな存在への小さな献上品だ。



土饅頭にゴム手袋を外した両手を合わせ、儚き命へ祈りを捧ぐ。



心から信じていいのか、自分でも不明瞭な眼に視えない遼遠の舞台裏。

そこには、世界を彩る生命たちの脚本演出を担当する存在がいる筈だ。



時間という自然の摂理が狸の骸を新たに誕生する命へ導きますように。



秋風が舞う。時節に変化を及ぼす風が針葉樹林を揺らす。

木々がざわめく。立ち上がって見上げたら、薄灰の曇天。


空の青い部分が覆われ、雲間から光の梯子が下りている。


天の光へ至る梯子。昔の人は上手く喩えたものだと思う。

貴いもの、醜いもの、愚かしい区別なく上昇させる梯子。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


無駄な時間と思わない。僕なりに務めは果たした。街道へ戻らなければ。


ゴム手袋は予備と穿き替えた。ゴミ袋に投入し、漏れる臭いを握り防ぐ。

先ほど通ってきた砂利道を目指して、泥濘んだ地面に残る足跡を辿った。

問題なく復帰完了。腕時計は、もうすぐ正午となる時刻。急ぎ足で進む。

今月、新調したばかりの泥で汚れた運動靴は帰ったらすぐ洗うつもりだ。


…??…


街道から狸を埋葬した場所へ行くまで、そんなに時間はかからなかった。

戻っていい筈なのに、まだ砂利道を歩き続けている。砂利が少なくなり

土が目立ってきたように思える。あっ、左右の進行方向を間違えたのか?


いや、問題ない。正しき道を選択したのだ。少しも慌てる必要などない。


清掃作業中、目と耳に入った自動車が通過する音、ここでは聞こえない。

帆布鞄の中、忍ばせているアレの試し撃ちが可能なのではないだろうか。


しかし、本物か模造品なのか…銃器に関する知識に疎い僕には不明だ…。


だからといって、誰彼構わず気軽に見せびらかせるような代物ではない。

同室のカズも知らない僕の最重要機密品。真贋が不明でも撃ち放ちたい。

吐き出したくても吐けない、長く留まる胸の閊えが楽になる予感がする。

間違いなく、燃え滾る正義の焦燥を鎮める聖らかな雨が天から降り注ぐ。


…?!…


僕の先を行く生徒がいる? ジャージの色と背格好で、カズと特定可能。

手工芸の時間に作成したという悪趣味な柄のナップサックを背負ってる。

先回り? 僕の行動予定を読み取られていたのか? 馬鹿な?あいつに?


どこまでも僕を邪魔する監視者を気取ってる、あいつを撃ってやろうか?


…否…


心を表情には現すな。僕の支配者である僕が僕に強く命じる。落ち着け。


だが、近づく僕に気づかずにいる、あいつの無防備な後姿を見ていると

悪戯心にも似た破壊衝動が湧き上がる。撃ちたい、撃ちたい、撃ちたい!

足、足くらいなら…。落ち着け。この世界に傷つけていい存在など無い。


秋風のざわめきが僕の移動音を掻き消してるのだろうか。振り返らない。


「どうした? 何故こんなところを歩いてる?」


僕の発声は心に湧き上がった焦燥を抑制する目的。落ち着き払った口調。

僕の声で先を行くカズが立ち止まって振り向いた。見て分かる驚いた顔。


「あー、キヨ! えぇぇえぇ? なんで、ここにいるのっ?」

「奇遇だな。僕も全く同じ質問を投げかけたいと思っていた」


両手で蝶番部分を押さえ付ける構え。眼鏡の使用開始と同時に始まった。

こいつが考え込む状態を解り易く表すため、自ら考え出したような姿勢。


「そうだ、お昼。今ちょうど、昼食の時間なのは知ってると思うけど

陽ちゃんがいなくなったんだって。姿を消しちゃった感じで…あっ!」


カズが上げた驚きの声。その一瞬前、周囲に響き渡った乾いた破裂音。

発砲音? 銃声?…内心焦る…。まさか帆布鞄の中のアレを盗られた?


今すぐにでも右肩にかけた帆布鞄の中身を確認したくて堪らない。

僕の前に立つ監視者が邪魔で仕方ない。イラつく。撃ちたい。

そのためには得物の所在を確認しない限り落ち着かない。

それより僕の乱れた心を鎮めなければ、過ちを辿る。

心境は暴風雨でも、僕が辿る道を誤りはしない。


ただでさえ人数が足りない二組の生徒。しかも、ここは山の通り道。

僕より遥かに気持ちが落ち着かず不安なのは、二組級長であるカズ。


「誰を捜すにしろ、たった一人で山道を歩くのは危険だ。

おまえ、連れはいないのか? 兎に角、僕が同行しよう」


山には無暗に立ち入るな。一組の級友である比内が日頃から呼びかけてる。

二組の二生徒が命を落とした忌まわしき地に足を踏み入れたくない者は

僕が想像するより多いかもしれない。学校の生徒には禁足地と呼べる。


「なんでキヨがいるのか知らないけど助かる。落ち着かなくて…。

担任が山に入るなって釘を刺したのに、気がついたら歩いててさ。

風の音だけでも不安になるし、さっきの音、何だったんだろう?」


まるで、意思希薄な夢の中を漂う者みたいに虚ろな目をしている。

鏡を覗くと本人が作った顔になる。僕もカズと似た表情なのかも。


「音に関しては何も…。断定可能な情報がないのだから言えない。

ところで、おまえは昼食を摂ったのか? 僕は訳あって、まだだ」

「えー、街道の途中にあるトイレのある駐車場に殆ど集まってて

一般の利用者さんたちもいて賑やかだったから、気づかなかった。

キヨのことまで気が回らなかったっていうのが正解かもしれない。

トイレが混んでて…色々あって…ちょっと腹立つアレもあって…。

それは兎も角、陽ちゃんの姿が見当たらないのが大問題なんだよ」


口を噤みたい内容の出来事があった。カズの表情から想定可能だ。

誰も近づきたいと思わない不貞腐れた顔の男子。それで鯨井信も

カズから距離を置いたのだと推測できる。そんな空気が漂ってる。


だから、課外活動は嫌いなのだ。この辛い修行生活も残るは半年。


カズは腹を立てても戯れ事から心を逸らそうとして級友の行方を

必死になって辿ってるのだろう。失いたくない大切な存在だから。

僕にしても寮母さんの御子息である陽ちゃまは大切に思える存在。

でも、今は焦燥感で掻き乱されている心を落ち着けることが先決。


「よし、一旦この場で休もう。シートなら持ってる。広げて座ろう。

おまえは紅茶でも飲め。僕も適当なものを軽く口に入れようと思う」


さり気なく帆布鞄の中身を目視する。この選択は正しき道筋を辿る。


畳んだシートや紅茶入り魔法瓶、菓子パンを取り出しながら

僕の得物を収めた銀色のケースを確認完了。焦燥感が(やわ)らぐ。


「今日は肌寒いし、熱い紅茶も悪くないね。何となく落ち着いてきた」

「それなら、よかった。これより会話は休止。暫し休息に専念しよう」


腕時計だって狂いはない。迷惑にならない時間配分は上手く計算済み。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「あ、忘れちゃいけない存在を忘れちゃってた。

こういったとき役に立つのが二組の晃ちゃんだ」


幾らか黙っていたと思ったら、譫言探偵をカズ独自の愛称で口にした。

二人きりの自室では誰彼となく陰口を言いながらも、結局のところ

自分が長く面倒を見てるクラスの仲間を頼りにしてるのだろう。


「承知した。では、街道へ戻るとしよう。二人で山を歩いてたら、あの…」


しくじった。禁句だった。僕らは、あの二人のようになる訳にはいかない。


「てっちゃん、しいちゃん、どの辺で見つかったんだろう?

子どもの足なんだから、そんな奥まった場所だと思えないし」


また両手で蝶番部分を押さえ付けている。ここで真実を告げよう。


長いこと僕は気に入らなかったのだ。カズに眼鏡など似合わない。


眼鏡を掛けて戻って来たのは、確か六年生の夏期休暇明けだった。

眼鏡を使用して良かったと言えるのは、頭痛の訴えが減っただけ。


「もうちょっとだけ、この辺りの様子を見てみたい。ダメかな?」


僕に阿るような眼差しを向けてきた。この目付きも気に入らない。

最初の標的をカズにしてやろう。撃ちたい撃ちたい。撃ちコロ…。


「分かった。シートを片付けるから脇に除けてくれ」

「うん。本当ほんの少しだけ付き合ってもらえたら

こっちの気持ちも収まると思うし、ちょっとだけ…」


のろのろと立ち上がり運動靴を履いて、シートの脇に立ってる。

学校入学当初から変わることなく、いつだって僕の言うがまま。

曖昧模糊の世界を彷徨う者。糸で吊るされた人形の如く映る者。



時は今、我が敵を討つ!



発想即実行。僕は運動靴を履いた。自然と向かい立つ形。

蝶番部分を押さえ付けていた両手を自然と下ろしたカズ。



素早く蝶番を掴んで外してやった。呪物から解くことで正しき道へ導く!



地面に叩き付け、思いきり踏みつけた。

何か壊れた音。靴底から伝わった感触。

正当な行いが執行された証明となった。


「うぁ、キヨ! えぇぇえぇえぇ? なんで、そんなことするのっ?」


お互い顔の造作に関しては、今更もう悔恨の余地はないが

それでも、わざわざ自ら顔に取り付けた呪物が祓われ

安心して見られる顔になったと思う。これで良し。


「おまえの黒縁眼鏡は亡き高橋と新山の両君に殉ずるそうだ。

僕は眼鏡の意思を読み取ってやり、その手伝いをしただけ…。

今後の二人が正しき道を辿るのに必要な行為だったのだから

眼鏡は山に残してやって、きれいさっぱり忘れ去ってやろう」


レンズが割れ、フレームも曲がった。使用不可の状態になった黒縁眼鏡。

カズは生命を終えたものを儚むかのように座り込んで見つめている。

僕に怨み言一つ吐きもしない。僕より一箇月後に生まれた男子。



地面に両手を着け、項垂れ…。悲嘆してる。

葬儀から既に四年の月日を経たというのに。



僕は成すべきことを厳粛に成し遂げた。本日の重要任務を完了した心境。

とはいえ、寄宿舎自室へ入るまでが課外活動の時間であると断言可能だ。

速やかにシートを折り畳む等の片付けを済ませ、山道から街道へ向かう。


「愚図愚図するな。頬でも抓まれたいのか?」


背を向け、左肩越しに同行を促す声をかけた。

頭に疑問符を載せた者を従え、山裾を下りた。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


「あー、やっぱりモンクちゃんと斎藤だったのかァ。何してたの?」


街道の路側帯に立ち塞がる倒すべき二体の敵。撃ちたい、撃ちたい。

コンビの相方、赤ジャージが笑みを浮かべ、僕らに声をかけてきた。

遠くまで見通せる一本道だ。回避したくても迂廻路は見当たらない。


「男子が二人っきりで立ち入り禁止の山道まで入ってっちゃってェ、

すっごく気になるぅ。僕たちにだけ二人のヒメゴト聞かせてよォ!」


ピンクのジャージを着た一組の害悪。物凄くアレしたいアレレ発言。

一組生徒の日常ではあるが、至近距離の顔に困惑と苛立ちを覚える。


こんなアレでも僕が文字だけの遣り取りで拠り所とする存在の実弟。


「アッレェ? 後ろにいるセンセ、昼食の時は眼鏡かけてたよね?

駐車場のトイレで隣同士だったんだし。どこにやっちゃったのォ?」


僕に反応がないと知ったら、今度は後ろに立つカズへ突進していく。

竜崎の「センセ」は「アンタ」に等しい語句。思い入れのない者へ

言葉を向ける場合に多用するような気もしているが、断言できない。


「いや、その、途中で…落としちゃって…壊れてダメになっちゃった」


味方を売るほど愚かではない。僕を失えば、寄宿舎内では孤立同然だ。

口籠っても、真実を打ち明けて即席のトリオを組んで罵る気概はない。


「あー、でもでも、いいよ! カズマは眼鏡無しが本当の顔だもん。

眼鏡かけてる顔は見てて痛々しい膿んだニキビ付けてんのと同じ!

外した方がいい感じ。もっちーセンセは眼鏡で完成される顔だけど」

 

僕の心情を代弁する言葉を投げかけてる。

矢張り、僕の選択した行動は正当だった。

正しき道へ案内できた僕を称賛している。


正正堂堂と胸を張っていい行為を成した。

心の中に柔らかな光明が差し込んでいる。



…?!…



「うわっ、重たい曇り空だと思ってたんだよ。とうとう降り出しやがった」


道路のアスファルトを転々と深い色に染めていく雨粒。本降りとなる気配。

ピンクと赤のジャージは、手にしたゴミ袋を頭の上に掲げて雨を避けてる。

折り畳み傘なら外出時は欠かさず持参するのが僕の常識。帆布鞄を覗いて

いつもの位置に控える黒い傘を取り出した。ワンボタンで開く仕掛けの傘。

僕の後ろに立っていた者の脇に移動して、二人で共に雨を凌ぐ形となった。


「ゆわぁ、いいなァ。仲良しさん、結婚オメデトウって感じィ!」

「いつ如何なる場合も備えを怠らない漢だよな、モンクちゃんは。

つーか、そのバッグ、間違いなく四次元空間と繋がってる筈だよ。

俺たちもリュックサック背負ってるけど傘を入れる余裕なかった」


ピンクと赤が何か喋ったようだが、相槌は労力の浪費となる。無視。


「ああ、キミたち…。本日の課外活動は雨天により、これで終了だ。

前庭で点呼して解散する。各自、車に気をつけて学校まで戻るよう。

キミたちも他の生徒を見かけたら、帰るように声掛けしてあげて…」


竜崎たちと同じ姿でゴミ袋を傘代わりにした小林先生が帰りを促した。

「あっ、小林先生、うちの…杜陽春君の姿を見てませんでしょうか?」

忘れちゃいけないとカズが級友の安否を尋ねるが、見てないとの返答。

「前庭に戻ったら居るかもしれないよ。何事もなかったかのようにィ」

竜崎が気の利いた言葉でカズの不安を宥め、四人揃って帰路に就いた。


途中には片目を覆いたくなる不快な外道も確認したが

生憎と両手が塞がった状態。右目を閉じて追い越した。


級長の僕が特に指示を与えなくても赤ジャージ副級長が巧みに働く。

人間を怠惰へ誘う悪魔のようだ。当然だが本人の前で言葉にしない。

 

…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…翌朝…


横たわる枕の頭上、カーテンの隙間から光が差し込んでいる。

雨音も響いてる。昨日の午後から止まずに降り続いている雨。


右側のカーテン越し、影が動いてる。カズは既に起きているようだ。


九年生の正月明け、カズの手によって自室の天井に長いカーテンを

利用した間仕切りが設置された。着替えの際や就寝時に閉められる。

カーテンの吊るし方を少々工夫した形で、上部に隙間ができている。

病室にいるようで気に入らないが、引鉄を引いたのは他でもない僕。


昨年十二月、僕のちょっとした悪戯心でカズの着替え中に

自室の扉を開けた。それだけなのに、しつこく根に持って

パーテーションなど仕切りが欲しいと言い出したのだった。



この僕が一体どれだけのカズが犯している罪業を赦して

罰せずに捨て置いてるか、それを知らないからだと思う。



あいつが僕の視界から遠ざかってる時間、碌なことしてないのは

まるっと全て見越して大直撃可能というのに、沈黙で済ませてる。

光が射すと影が生じるのだから仕方ない。自然の摂理だと思って

カズの後ろ暗くて表には出せない部分も僕なりに受け止めている。



…?!…



カズに声をかけようとしたのに言葉が出ない。出るのは空気だけ…?


必死になってカズのいる方へ声をかけているのに、言葉にならない。

発声できない。何故だ? まるで、悪夢の中にでもいるかのようだ。


いや、でも、金縛りに遭ってる訳じゃない。何事もなく身体は動く。

声だけが出ないのだ。起き上がり、机の上のメモ帳に走り書きした。


ノックの代わりに床を何度か叩いてから、間仕切りの布を開く。

ジャージのジッパーを上げてる最中のカズにメモを突き付けた。

制服を着てないことから、二組の授業は無しだと察しがついた。


「え、声が出ない? どうしたんだろうね?

もしかしたら、また何か企んだりしてない?」


昨日の今日…とでも言いたげな訝しさを湛えた眼差しを向けられるが

僕の選択に間違いはない。この困難も正しき道へ至る梯子となる筈だ。


「それより、キヨの両目が真っ赤になってるよ。結膜炎かな?」


そういえば両目に違和感がある。特に左目がゴロゴロした感じ。

何度か繰り返して瞬きした。目蓋の裏側もヤられてる可能性大。

昨日、屋外に出て長いこと風に当たったのが原因かもしれない。

得物に心を奪われ…伊達眼鏡とマスクの着用を忘れた所為だ…。

天からの戒め。しくじった罰。でも、表情に心情を映すものか。


「本当の本当に声が出ないの? どんなに無理しても出ない?」


疑い深きルームメイトに僕の正当を証明する。

大きく口を開け、声を出そうと試みたが

出ない。僕本人だって困惑している。


微かに息を吐く音は聞き取れるのだが、声と呼ぶには程遠い音。


「うちの陽ちゃんの失踪に続いて、キヨまで声を失うなんて…。

とりあえず、キヨのことを寮母さんに相談してくる。待ってて」


いつもの場所へ手を伸ばし、それが昨日なくなったことに気づいたらしい。

しかし、僕に見られているのに気づいたのか口を噤んで自室を出て行った。

 

…………………………。


…………………………。


…………………………。


二組の杜陽春、寮母さんの実子で僕らの陽ちゃまは未だ帰宅してなかった。

僕の声なんか本当に小さい問題。陽ちゃま失踪の方が遥かに大きい問題だ。

あいつの胸に新たな穴を開けたくないのに、きっと外の天気より酷い雨が

胸底を撃ちつけているかもしれない。これ以上、穴を増やしたくないのに。



寮母さんは陽ちゃまの実母だ。僕なんかより陽ちゃまが気懸りに違いない。



しかし、喋れない状態の焦燥感も辛い。思いっきり叫んでみる。


…ぁぁ…


声帯に異常が生じたのだろうか? それでも微かに声が出せた。

少しばかり焦燥が和らぐ。安寧とまではいかないが落ち着いた。


自室扉の脇に設置した鏡で両眼の確認。左の目蓋が腫れている。

普段は「青」と表現可能な僕の白目が両方とも赤く濁っていた。

僕の顔で唯一と称せる、悪くない箇所が失われてしまった状態。


それから間もなく、再び自室の扉が開いて同室者が戻ってきた。


「寮母さんの救急箱から抗菌目薬もらってきたけど

今日は授業を休んで、診療所へ行きなさいってさ。

食堂にサックラバーたちがいたから伝えといた」


目薬入りの小袋を手渡されて受け取ったが、一人で注すのは…。


「キヨ、診療所に行くの一人で大丈夫だよな?

二組は授業休んで、村の陽ちゃん捜索隊に加わる。

街にいる新山緋美佳の妹さんのとこへ行った形跡も

ないみたいなんだよ。本当どこ行っちゃったんだか…」


一刻も早く陽ちゃま捜索に出たい様子だ。こちらも何の言葉も出せない。

「さっさと行け」手振りで促して、カズが自室を出るところを見送った。

 

…………………………。


…………………………。


…………………………。


僕なりに何か役立てる情報がないか、昨日の記憶を振り返ってみる。


陽ちゃまの姿、昨日の点呼時には間違いなく確認している。

二組で彼と親しい仲の松浦と並んでいたのを覚えている。

汗かきの級友にタオルを渡す、彼らしい親切な光景だ。


服装はグレーのスウェット素材のパーカーに黒いボトム。

黒いキャップを被っていた筈だ。彼にしては地味な装い。

背にはリュック。色までは完全に把握してない。赤と黒?



…!!…



山裾でカズと共に聞いた破裂音が頭を過った。あの音の正体は?


テレビ等で耳にした銃声に似ている気がしたが

山中で何者かが猟銃でも撃ち放ったのだろうか?


二組の一名の行方が消えた後、僕とカズの二人が耳にした銃声。



…ざわめく…



帆布鞄の中、誰にも言えない銀のケースの中身を今一度確認すべきだ。

僕の中にいる焦燥感が僕に強く命じている。自分の主に従うのが正当。


いきなり誰かが扉を開くというアクシデントはないと信じて

あるべき場所のあるべき位置に収められた品の留め金を開く。



…?!…



無い。嘘だ。消えてる? いつどこで何が起きた?



このような恐ろしい事実、誰にも言える訳がない!



自らの口を塞ぐようにマスクを着けた。

サングラス代わりに伊達眼鏡を掛けた。


消えたい。隠れたい。僕の心を見えなくする遠因が大きい。

焦燥に苛まされ、乱れた心を表すな。僕は僕に強く命じた。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


悪夢。見なかった。知らないままでいたかった現実の到来。

何者かに奪われて使用されたのか?…陽ちゃまに向けて…?



現在の僕は、繋がれた状態にある。



診療所の処置室、点滴静脈注射のチューブで。

胸中は焦燥感に苛まされても表には出さない。


小口径弾を六発装填した回転式弾倉の銃が

収められた銀色のケースから忽然と消えた。


口外してない事実だから、学校内部の誰も知らない筈だが

ピンク、僕に銃を贈った女性の実弟が知ってた可能性有り。

寄宿舎の自室は施錠できない。プライバシーの遵守不可能。


竜崎順宛の書簡や小包は、寄宿舎生の誰よりも多い。

実の姉弟だ。小まめに手紙のを遣り取りしていて

僕の得物に関する事実を知ってる可能性は高い。


しかし、ヤツとの会話は極力回避希望。心身の消耗が甚だしいことになる。

所謂「エナジーバンパイア」と呼ばれる存在だ。僕の第六感が告げている。

抉り取られる。確実に体力が吸い取られ、ヤツの活力へと変化してしまう。


何より僕の気に入らない渾名で呼ばれるのが許せない。止めても止めない。

そうじゃない場合は「パパ」と呼んで抱き着いてくる。ヤツの父親の名は

僕と同じ「聖史」と書いて「まさし」と読むのだ。紛らわしく厄介な事実。


相方である一組副級長にしても同様。彼なりに愛情を込めた渾名らしいが

だからといって、モンクちゃん呼びは御免蒙る。女児扱いされてると思う。

しかし、彼には脱帽だ。竜崎の側近を長く務めているのに健常だなんて…。


脇道に逸れた。常に正しき道を行く僕が誤った道を選択などしない。

寧さんが贈ったのは玩具。殺傷能力などある訳ないに決まっている。

銃身に本物らしい重みを感じたのは、精巧に作られた模造品だから。



元から無かった。幻の贈り物だった可能性も…今いるのは夢の中…?



文通相手の寧さんが十六歳の誕生祝いに

贈っていい代物じゃないと心得ている筈。

僕の冗談を冗談で返しただけに過ぎない。



アレはマボロシ。要は元より『空箱』だ!



空箱。遠い昔、某国の軍師が受け取ったのと同じ中身のない箱。



僕は寧さんを信じてる。僕のような悪戯心を持つ人間じゃない。

彼女を喩えるとしたら足元を照らす光明。天の光へ誘う梯子だ。



補液が細いチューブを伝って、僕の体内へ流れ込んでいる。

雨の滴。他に眼を向ける対象がなくて、自然と見てしまう。


点滴される前に目薬を注してもらった。面倒かけたと反省している。

目蓋の皮膚が他の人間より分厚いのかも。大きく開けるのが不得意。

眼帯されると思ったのに、その必要はないと微笑んだ顔で言われた。

 

…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


落ち続ける補液の滴を眺めてるうち、眠りの世界へ誘われたらしい。


マエダ先生に声をかけられ、目を覚ますと腕から針が抜かれていた。

先生へ帰る旨を伝えるときには、嗄れながらも朝よりは声が出せた。


目薬などが入った処方薬を受け取る。生徒は基本的に治療費は無料。

寄宿舎生は体調を崩したら、寮母さんの薬箱を頼る形になってるが

効き目の強い解熱剤を求める場合、診療所から購入する生徒もいる。


診療所の重たい硝子扉を押し開け、外気に触れる。


路面は濡れているけれど、薄い陽射しが出ていた。

止まない雨はない。自然現象に同じ瞬間などない。

秋の次は冬が訪れる。移り変わり続けていくだけ。

濡れた折り畳み傘は昇降口で乾かすことにしよう。


腕時計を覗く。まだ昼前だ。寄宿舎を出る前に体温を測ったら微熱。

朝食を摂らずに出たが、軽く空腹感を覚えている。粥でも炊こうか。

現実逃避の空腹だ。空箱。その事実から心を反らしたいのだと思う。



校門の前で立ち止まって、空を見上げてみる。マスク越しに深呼吸。



雲の隙間、幾つも光の梯子が下りている。

儚く美しきものが空一面に広がっている。

炎症を起こした瞳に眩しく突き刺さる光。


銀のケースから消えたペッパーボックス。


収められていた筈の胡椒箱が消えた空箱。



空箱を受け取った軍師は…。



何かあったら責任を取る覚悟。

陽ちゃまに何事もない。無事だ。

僕の思いは、必ず正しき道を行く。



…!!…



正当。僕の思いに間違いなかった。…いる…。


「よーちゃま!…えぇと、ぁ、お…はよぅござィます」


出難い声を無理してでも出してしまった。喜びを伝えたくて。

昇降口で靴を履き替えてる最中だった。周りには誰もいない。


「ん…ああ、花田君か。おはよう。ゴメン、ちょっと疲れてて」


若干の疲労を窺わせる表情だが、いつもの笑顔で答えてくれた。

昨日、見かけたのと同じ服装。赤いリュックを左肩にかけてる。

僕が確認する限りでは、着衣に汚れや乱れもないように見えた。


話したい。聞きたい。気持ちが湧いてくるけど無駄口は控える。

きっと寮母さんの顔を見るために来たのだろう。邪魔はしない。


屑入れ同様である自分の上履きに目をやる。夏期休暇明けから

まだ一度もゴミの投棄を確認してない。外道も飽きたのだろう。

ようやく長いこと降り続いてた雨が止んだ。そうだと信じたい。

僕専用の秘密基地となる場所から上履きを取り出し履き替えた。


陽ちゃまの背後を追尾するといった形で、共に食堂へ向かった。

失礼ながら僕より小柄な男子だけれど、心成しか一夜のうちに

何かあったような…大きく成長を遂げたように見受けられた…。



所謂オーラと表現される、彼が周囲に放つ気配が変化している。



食堂で陽ちゃまと寮母さん母子が交わす言葉に

聞き耳を立てるのは無粋であると僕は判断した。


軽く頭を下げ、帰ってきたことを報告すると

急いで二階の自室へ戻った。もう一度アレの

留め金を外して中身の確認がしたかったのだ。



帆布鞄の中、誰にも言えない銀のケースの中身。



…!!…


なんてことない。普通に収まっていた。

おそらく結膜炎で血走った僕の両目が

誤認しただけのこと。安寧が得られた。



午前、空箱に視えたのが幻影。午後、得物が収まっているのが現実。



あの悲しい軍師のような最期を遂げずに済んだ。

正しき道を外れないで、最後まで僕の道を行く。



正当。この僕が過ちなど犯すものか!強く信じて真っ直ぐ進むだけ!



陽ちゃまの無事を強く信じたら、彼は何事もなく学校へ戻って来た。


簡単なことだ。心の羅針盤を良い方角へ向ければ、正しき道を行く。

良い方へと思いを向ける。そうやって、今を生きてゆけば良いのだ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


二組の君主も、陰では鋏狐呼ばわりしながら

失うには惜しい大切な級友の「陽ちゃん」が

何事もなく戻ってきた結果に安堵してる様子。


あいつの心に新たな穴が開かずに済んだのだ。

僕だって心から良かったと告げたい気持ちだ。

発言はしない。声に出したら敗北したと同様。


ただ、陽ちゃまが姿を消した一昼夜の出来事を

誰にも何一つ語ろうとしない謎が残ったけれど。



特に親しく交流している学友ではないが、僕は彼の持つ笑顔を尊ぶ者。



あの気高く清らかであると断言可能な微笑みが

日常の端々で見られることに喜びを覚えている。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


両眼と喉の炎症が治まった、平日の放課後。

僕の足は、村にある配送局を目指していた。


小口径弾を六発装填した回転式弾倉の銃を

贈り主である竜崎寧さんへ返送する目的で。


正しき道と真実を求めて燃え滾る僕の心を

これ以上、余計な焦燥で苛立たせたくない。


素になった僕の心を吐露した一筆を添え

配送局の窓口へ出し、預かってもらった。



じき訪れる冬を痛感する。身に堪える秋風。



冷気から身を護るために伊達眼鏡とマスク、

首周りにマフラーを巻くのも忘れなかった。


脆弱なる部分の保護と補強を怠るべからず。


幼い頃はマフラーを巻かれると苦痛だった。

すぐ外して、その場に放置してしまうので

しょっちゅう家族を困らせたと耳にしてる。


タートルネックのニット類も着れなかった。

締め付けられる圧迫感に耐えられなかった。

息が詰まる。このまま息絶えそうな憂心…。


確か、学校へ入学する前の冬だったと思う。

出がけにマフラーを巻き付けられたから

泣いて外して嫌だと訴えたことがある。

自分でも何故そこまで嫌だったのか

未だに理由は分からないままだが


その場にいた母と姉弟の穏やかな笑顔で

恐怖と不安を克服することができたのだ。


『これは身を護ってくれるための装備』


訪れる問題は、いずれも解決と克服可能。

辛く苦しい時期も、正しき道へ進むため。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


殺傷能力のある代物か、単なる模造品だったのか、真実は彼女に問わない。


空箱に視えた幻影は僕一人だけの謎。永遠に解くつもりのない謎としよう。


ダレニモイエナイ。そのような後ろ暗い秘密を抱えたくはない。それだけ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


僕に同行を申し出た者を待たせているモガミ屋へ立ち寄って

オレンジ色のポットに入った好きな飲み物で心身を温めよう。


上に薄緑の看板が掲げられた硝子の引き戸から、あいつの姿が目に入る。


僕も他人の顔について語れる顔ではないが、相変わらず不貞腐れた表情。

それでも引き戸を開けると、何となく笑顔と呼べるものに変わって

迎え入れてくれた。友の訪れを心から歓迎する精一杯の笑顔。

素直な眼差しが心を伝えているのだ。何一つ問題ない。



間違いない。カズに黒縁眼鏡という呪物は不要だった。ここに断言する!



…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


それから数日が過ぎ…寧さんから届いた僕への返信…。


同室する者がいて落ち着かないので、屋上へ移動した。

オレンジ色の光に染まった白い便箋に綴られた文字を

目で追ったら、目を覆いたくなる真実が記されていた。



返送した回転式弾倉の銃に装填された小口径弾は五発。



僕は「撃ちたい」と思ったけど、実際には撃ってない。

消えた一発の銃弾。まさか、矢張り、あの時の銃声が?


仮に僕の得物から放たれた弾だとしても

僕が撃ったのではないとカズが証言可能。


いや、もういい。これ以上、思いを向けるのは止そう。羅針盤が乱れ狂う。



ダレニモ、イエナイ



気が遠くなる真実を抱えながら、僕は正しき道を行く。今を生きるために。

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