花、太陽、そして…
◆花、太陽、そして…. 桜庭潤
『あー、見つけた!』
村の学校に入学した当日の話になるんだけどさ、未だに忘れられねぇんだ。
そのとき隠れん坊も何もしてないってのに、いきなり頭に包帯巻いた奴に
飛びつかんばかりの勢いで抱き着いてこられたんだから、こっちは驚いた。
本当に何だったのアレ…?
現在の俺が認識してるところじゃ頭ン中が相当アレレな奴だってのは確実。
その出会いの瞬間から、日々常々学校や寄宿舎での行動も付きっ切り状態。
イヤだよ。なるべく他の誰かや何かに注意が向いてるとき逃げてるけどさ。
俺としちゃ内心…正直な気持ちを晒せば…ザジとは離れたい。悪りぃケド。
学校にゃもっと他に親しくしたい仲間たちがいるのに取り憑かれっぱなし。
ザジと別れて過ごせる夏冬の長期休暇だけが唯一の息抜きと呼べる時間だ。
つーか、俺も飛行機に乗せて中央にある実家の屋敷へ連れて行こうとする。
落ちたら怖いし、飛行機には乗りたくねーよ! 克服不可能レベルの恐怖。
望月反則氏と学校のプリンス・リトゥル遼のコンビ、三組の夏目の二匹も
毎回プロペラの小型飛行機に乗って帰郷してんだって。奴等は揃って勇者。
二組の斎藤とヤッチ君みたく長時間のんびり列車を乗り継いでの移動なら
俺だって、まだ多少は我慢できるかもしれんが…。んーと、まあ、いいや。
今でもザジに対する評価は、一切ブレることなく『何なんだよコレ?』だ。
本当もう日々常々あの馬鹿ザジの訳わからんアレレな言動に
巻き込まれて、振りまわされちまう側の身にもなってほしい。
生徒全員、特に寄宿舎生一同は「大迷惑」この上ない筈だよ。
一組級長モンクちゃんも十年間の「修行生活」と信じ込んで
終いにゃ「耐え抜こう」だなんて口にする始末だもんなァ…。
うん。まあ、学校の生徒、ほぼ全員がワケありなのは知ってる。俺もだしィ。
モンクちゃんも給金が目的。メラメラな情熱をクールな冷静さで抑え込んで
本来なら髪の毛一本でも慈しむ心を持ってる級長なのに、掃い落してるんだ。
生徒全員…囚人…これが村の学校の実情。俺だって親父のために頑張ってる。
てか、モンクちゃんは確実に神経ヤられてるって思う。おクスリ必要かもな。
んー、モンクちゃん大好きだが、この辺でやめとくぅ。
一組級長が嫌悪して止まない暴走暴言ナントカに近い。
だが、困り果てた上で放つ言葉に罪はあるんだろうか?
現在、俺の抱える問題は…。
パンツ一丁で寄宿舎内を元気に走りまわる
ある意味では『勇者とも称せる大馬鹿!』
村の学校、一組の寄宿舎生である竜崎順だ。
きっと近くに女子がいたって全裸も余裕だな。いや、さすがにそれはないか。
もし、この世の中に警察組織があるとしたら、いずれ「公然わいせつ罪」で
捕まりかねんよ、ザジは。それなのに何故だか警察とかは教科書の中だけの
存在なんだ。行政や立法に司法ってもんが消失しちまった歪んだ世界だから。
それは兎も角として、あの野郎が周囲に与える精神的ダメージってもんを
考えた事ないんだと思うのは確かだな。自由奔放も大概にしやがれ!って
呆れ果てちまう存在。一組は日常的に精神衛生上、あわや惨事って状況が
多発しまくってんだ。可成りやべぇ。いや、他人事じゃねえんだってば…。
少々どころじゃない最上級レベルで、残念すぎる脳内構造の持ち主さん。
それが我が悪友である、あしゅらだんしゃくでぃーの、ぷりけつ王子様。
あの容姿だけは…今すぐにでも自分と変わってほしいくらいだけどな…。
つーか、なんで俺がキラキラ王子なんだよ! 何考えて命名した。バカッ!
目の前で、そう呼んだ奴は一発ぶん殴ってやるって、お約束にはなってる。
俺の名前は『潤』煌くより潤う印象を懐く愛称の方が似合ってる筈でしょ?
そうそう、そういや、後になって、あの入学の日、ザジが頭に包帯してた
その理由を奴から聞いたときには…さすがにちょっと…同情したんだよな。
ザジの実家、大邸宅の二階ベランダから、ポンッと突き落とされたそうだ。
あいつン家ってさ、姉ちゃんが五人もいて
六人目にして、待望の長男誕生って感じらしい。
で、どうしても大事にされ過ぎちゃったんじゃない?
だから、五番目の姉ちゃんが弟に嫉妬したんだと思うよ。
五女姉から隔離する目的もあり、田舎の寄宿学校に入れられたクチだった。
でも、きっとザジは色々と打ち所が悪かったんじゃねぇのかな。それで…。
ダメ無理ィ、気持ちじゃ耳に入れたくなくっても感覚までは閉ざせねぇや。
…さっきから外で繰り返し鳴らされる鐘の音…
…うちの天井の方から、鳴り響いてくる感じ…
俺ン家は村の墓地の近くにある。墓地は家から狭い長い坂道を登った先。
先日、浅井家の大祖母さまが亡くなられたんでお葬式が行われてる最中。
おそらく現在ご参列してる皆様方が一列になって細い坂道を登ってる筈。
それから…読経やら…埋葬とか…って、はじまる筈だよ。落ち着かない。
普段は寄宿舎で食わしてもらってる身の上の俺だ。
でも、たまにはこうやって帰って、戸や窓を開けたりして
空気を入れ替えたりしてやらなきゃ家が傷んじゃったら困るから
そんで、今日が日曜だってのもあって、俺が一人で来たってワケなんだ。
寄宿舎にゃ洗濯室もあるが、土日は二台フル稼働状態だから自宅のを運転中。
それにしても…日が悪りぃ…というか、本日は普通に良い天気ですし
直接は何の関係もない他人様だが、故人を悼む心は持ってなくちゃな。
遥々中央からやって来た馬鹿ザジと離れられる貴重な息抜きの時間になる。
今頃あいつのお守り役は、タコ宙でも引き受けてんじゃないかなァって…?
あー、そうかー。無理だよな。そういや、タコ宙や翼キュンも姓は違うが
浅井の身内だもんな。考えてみりゃ三組の何人かも今日の葬列に加わって
歩いてるかも。だが、ご学友が参列してても外を覗いてみる気になれねェ。
だってさ…わざわざ外道どもの御尊顔…なんか拝みてぇとは思わないだろ?
外道ってのはなァ…ごにょごにょと言わなきゃならん仕事みたいな…以下略。
浅井の家っていうのは、そういう一家だとしか俺の口から説明できませーん!
浅井家の次期当主様が三組の壱君センセである浅井壱琉。読書と囲碁が好き。
俺は盤面を睨み合うゲーム自体が受け付けない性分だから距離を置いちまう。
うん、承知してる。頭良くないよ。笑いたきゃ笑え。将棋すりゃ必ず負ける。
リバーシ負けるのも得意かもしんねぇな。○×ゲームは後攻になりゃ勝てる。
話を戻そう。俺は話の脱線が大得意なんだよ。そうそう、そうくりゃ繋がる。
浅井壱琉の性格はモンクちゃん曰く『暴走暴言超特急野郎』当にそのとおり。
悪口が趣味の奴には近寄りたくねぇ。彼とゲームの対戦が余裕で務められる
明晰な頭脳の持ち主、二組副級長のヤッチ君とは親友と称せる仲だと思うよ。
中央生まれの親戚、夏目の二匹も系列の家だし調子に乗っていらっしゃる。
あいつら許せねぇ。モンクちゃんや斎藤とか相当な犠牲を蒙ってると思う。
しかし、それより誰より、そいつら三匹なんか軽く凌げる程度になるほど
腰縄野郎が嫌いだ。前歯が少し目立って、気を抜くと内斜視気味になる奴。
よく言えば愛嬌のある表情も持ってる、糸目の不細工、大柄な小太り体型。
低学年から因縁沙汰があった。仲良しだった時期もあった。だが、しかし
馬鹿パタ、特攻してきすぎ。こっちは受けてナンボでも終いにゃキレるっ!
んーとまぁ、そんな小っちぇーこと、どーでもいいかァ。よし、脱線終了。
それでも同じ中央出身の夏目タコ宙とザジは気の合う愉快な仲間みたいだし
もう延々と永遠に御守り役を任せても構わない。よろしく頼む!っていうか
切に希望するところ。こっちも神経が疲れてきてる状態だ。病むかもだしィ。
俺の親父も仕事が仕事。十代の頃から配送局に勤務してて現在も独身さんだ。
そいつをいい事に…どうしても自宅にいる機会が少なくなっちまう形でさ…。
この借家は本当に生活感っていうもんに欠ける空間になってるように思える。
食器もキレイに洗ってるけど、開け放した押入れの布団も何となくカビ臭い。
そんな気がする。自分ン家なのに、あまり気兼ねなく使う気になれねぇのら。
毎度、自宅へ来る途中で買ってきた飲み物や弁当と菓子を持参って形になる。
あー、ついでにコロネパンも買えばよかったー。本日はカスタードの気分だ。
夜食にシオラァでも作って食いてぇなあ。葱いっぱい入れて、胡麻油も垂らす。
帰り、また商店に寄って行こうっと。袋らーめん大好きィ!俺は桜庭さんだが。
作るときはキャベツとネギ類、ワカメも入れるよ。卵も落とす。焼豚も追加っ。
焼いた長葱大量投入も悪くない。よく炒めた玉葱も。語ると止まんなくなるぅ。
我が心の母、寮母の高橋さんも袋めんに一手間加えたら安心して任せてくれる。
だが、夏場の放課後や日曜日、寄宿舎生活から解放された夏期休暇中じゃ
のんびりと自宅で水風呂に入るのが何より楽しみなんだ。水風呂っ最高っ!
熱い風呂も好き。放課後は村の共同浴場の常連さん。日々の疲れを癒せる。
スンマセーン。学校生徒のグラビア担当はボクっす。←しずかちゃんかよ!
夏は座布団の枕にタオルケット1枚ありゃ眠れるし、寒い冬より断然いい。
雪片付け関連の話題は、初夏から思い出すだけでイヤになる。現在水無月。
親父ってもさ、正確にゃ俺を街と村を結ぶ街道の端で赤ん坊の俺を見つけ、
拾ってくれた救い主様って存在になる。歳も十四しか離れてないんだって。
おかしいよなぁ…実は俺って…捨て子なんだってさ。ナッニッソッレェー?
御伽噺かよ!って自分でも笑えて、しょーがねえってのォ。ホント妙な話。
だったら施設にでも入れろよって感じなのに、親父は変わってるっていうか
そこら辺の母さん連中から、もらい乳みたいな事したりして育てたみたい。
この村にゃ同い年の奴等が多いし、粉ミルクも使ってたとは思うけどな。
当の俺本人だって…赤ん坊なんだから細けェ部分は覚えてませんて…。
俺の「潤」って名前も命名者は親父だ。
自分の名前が「洸」っていうからなのかなァ?
何なんだろう? 同じサンズイにしたかったんだろうか?
今度会ったときに訊いてみよう。ってか、考えてみるとヘンだよ!
俺は産着とか着てなかったんだろうか? 何も手がかりがないってのは
んーと、考えてみりゃ…絶対に…色々と…おかしい…と思うんだけどなァ…?
今こうして桜庭潤が生きてるだけでも奇跡なんだとは思うよ、本当に。
そんでまぁ、とどのつまりって奴になるんだろうけれど…要するに…。
俺が言いたいのは「一組は『じゅん』が三人も被り過ぎだってこと!」
あーもう、帰ろうかなっ!つーのも、なんか困るぅ。
現在、外は葬儀中だもんなァ。出にくい気もするぅ。
本日、タッツンがカノジョと『デート』ってイベントで隣り街へ出かけてて
元から遠い感じもしてるが…その距離が…更に離れたって思う。立場の差が。
惚気られる事もないから聞き耳を立てるのも何だか照れる気もいたしまする。
どういった状況なのか詳細不明だが、カノジョは三組の大魔王閣下の妹さん。
兄妹なのに似てない。ウソみたいに似てやしないよッて感じの美少女ちゃん!
大魔王閣下はタッツンと仲良し。そこがちょこっと使徒嫉妬案件なんだけど
クラスは違えど長身同士だから親しくなって仕方ねぇのかもな。タッツンは
低学年の頃から、よく魔王のご自宅へ遊びに行ってるくらい仲良しなんだし
昔馴染みと称していいのかも。あの妹さんとも以前から親しかったと窺える。
大魔王は占い師さん。幼少の頃からカードや賽子を使ってる占い師の御方だ。
俺はそんなのにあまり興味が持てない。たまに運試し、神社で御籤引く程度。
大魔王は下ネタ関連が大の苦手。我が一組には近づくのも嫌うほど拒絶姿勢。
兎に角、ザジが受け付けない様子。そいつは俺も理解できるから距離を置く。
拒絶されて当然だよ。ザジはアレレな問題行動のテロリスト。俺も共犯者だ。
巻き込まれてる。そう強く思い込みたい…。
実際、一組全員が引き摺り込まれてるだけ。
「たま」に、ヒナやモルとか逃げてるんだ。
モンクちゃんは、暗殺計画を立ててるかも。
そこまで振り回されてる。超絶問題生徒の
竜崎順、名前自体が反則的存在だと思う…。
ギャラクティカマグナム&お蝶夫人って、巫山戯るのも大概にしろよ!
で、話を元に戻すと、タッツンのカノジョは
三組の小山内嵩君の一歳年下の妹さんなのだよォ。
名前は美穂ちゃん。フルネームだと、小山内美穂さん。
なかなか顔に似合ってる感じの名前だと思うよ…ってぇ…。
ベつにィ、こっちは特に意識してたわけじゃありませんけンども。
あの女の子軍団の中じゃ目立ってたから…それだけ…本当にそれだけ!
ワレワレまだそういったの、やっぱり早熟じゃないですか!…ですよね?
タッツン長身だし、姿勢がいいから見栄えも良くなってんだな。見習うべき!
噂じゃ三組のアッチョンブリケツにもカノジョがいるって話。
本当に世界は不思議で謎だらけって正直思っちまうよな。
ひでぇーや、あのドクズのどこに惚れる要素あんの?
生きる価値ナシって等級のアレなのにアレだよ。
やっぱり顔なのか。中身重視してくれよ!って、そっちの自信も全くねーや。
何より、学校の制服がアレだと思う。ぶちまければ、ダサい。ダサすぎるよ。
大昔の空軍っていうか、特攻隊っていうか、水兵服だから似てて当然かもな。
その学校の制服を「似合う!」って感じで、着こなせてるのは…誰だろう…?
そうだなァ、学校では…プリンス・リトゥル遼ぐれェじゃねえかと…。
まだ折り紙や縄跳びで遊んでるくらいが
ちょうどいいデザインだって思うもん。
幼稚園だと思う。うちの学校の制服。
教科書でしか把握できませんけど
託児所なら、そこいらにあるよ。
歪んで拗けた世界だもんな。
義務教育が存在しない時点で破綻してる世の中だ。で、制服の件に戻る。
タッツンや俺とか身長が高かったり、ごつかったりする体型の野郎ほど
ヤバさのレベルがぐんぐんぐんぐんハイレベルで上昇していく気がする。
ああ、三組なら大魔王閣下殿や腰縄パタのクソヤローが代表格となるか。
そんな訳でして…。俺の体格はお察しください。カワイクありませーん!
葬儀に参列してる外道連中、制服なのかな?黒い喪服?どっち?そう思えば
外を覗いてみたくなってきた。本物の怖いもの見たさだな。軽く笑えるわァ。
学校のセーラー服、海軍よりも航空部隊っぽく思える。囚人服同様だけどな。
今更だとは思うけど…ブレザーや学ランに変更って無理なのかな?…遅いか。
そうだ、私服にすりゃいいと思う。そうすべき絶対。生徒全員で訴えないと。
まだ低学年の頃とかは気にもしなかったけど、そろそろ勘弁してほしいかも。
でもまァ、残り一年だし、修行の一つと思って、耐え忍んでみせるとするか。
特攻だ。風吹け。突撃特攻!…いや、飛行機の操縦なんて無理…。飛べねぇ。
んー、それでも親父とか大切な存在のためだったら俺の命くらい棄ててやる!
憧れの「夭折伝説」が達成できるんだ!史実に刻み込まれる漢になれるんだ!
いや、やっぱり…。どうしたってホラーやオカルトより怖えぇっ。負けんな!
これぞ、当に正真正銘「漢の意地」ってもんだーッ!
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駄目だァ。必死ンなって、こっちの気を逸らそうとしてみたけど
仕方ねぇだろ。外の様子、気配、今はあんまし感じたくねぇもん。
そういった空気が家ン中にまで漂ってきてる。伝わってくるぅ。
生まれてきた以上、いつかは死ななきゃいけないんだよな。
表が…落ち着かない…。すげー良い天気だってのにさ。
御天道様と一族勢揃いで見送られて逝くってンなら
浅井の大祖母さまは良い人生だったのかもな…。
洗濯機の運転終了まで、まだまだ時間はあるし
モンクちゃん見習って床掃除でも始めようかな。
祓いたまえ。清めたまえ。大祓祝詞でも唱えるか。
高天原に神留り坐す…。何故か楽勝で暗唱できる。
親父の影響なんだ。神社廻りが趣味の人だからさ。
気枯れの回復だ。魂の呼び戻し。鎮魂。
ひふみ祝詞。言霊。心込めて唱えよう。
ひふみ よいむなや こともちろらね
しきる ゆいつわぬ そをたはくめか
うおえ にさりへて のますあせえほ
れーけー
我が心の友、モンクちゃん。
特掃王子様、御助力嘆願ッ!
高天原に神留り坐す…
皇親神漏岐神漏美の命以て…
八百萬神等を神集へに集へ賜ひ…
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心だけは、愛燦々、日光燦々、眩く光輝け!
豪雨よりも、激しく強く、俺へと降り注げ!
花、太陽、あの曲は、好きだ。それでも、雨は、本当は、大嫌い。
何故って? 雨降りの日に拾われた俺は、ずぶ濡れだったそうだ。
天照日光こそ、我が心の至高の光だ!
雨が浸みる大地より、日光讃頌だー!
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…ひてむ此く佐須良ひ失ひてば…
罪と言ふ罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を
天つ神國つ神八百萬神等共に聞こし食せと白す…
帰り…。ああ、夕刻やついで参りは、遠慮した方がいいか。
村の神社。小さい御社があるけど、寄らねえ方がいいよな。
寺はないけど、墓地の近くに神社がある。
神様の目がなけりゃ人間は駄目だと思う。
御天道様。御月様。荘厳に誂えた御社はないけれど
一番近い神様は、空を見上げれば…おいでになる…。
罪を罰する。それがない世の中だからこそ
神様への祈念、告解が必要なんだと思うよ。
花を咲かすには、少なくとも太陽と雨が必要。
グラウディング。土や支えも必要だけどさ。
それもまた神様みたいなものだと思うな。
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掃除と物干しも済んだし、帰ろう。頑張った褒美に
コロネパン買って食う。シオラァも食う。楽しみィ!
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九年生の十一月某日となる。
初雪が降る前だよ。今年は少し遅くなりそう。
前日の夕刻、深刻そうな表情した親父が寄宿舎まで訪ねてきた。
その翌日、本日になるワケなんだけンども学校を休まされ
親父が運転する車に乗っけられ、長時間ドライブした。
神社参りと違って、それほど楽しくなかった。
陽射しだけは明るく感じたケド。それだけ…。
菓子だの必要ないって言ったのに、途中の店で大量に買ってったなァ。
俺に食わせたい気持ちを断れねぇもん。気の済むだけ買わせてやった。
車内じゃ清涼菓子の白い粒、口に入れて過ごした。酔い止めのつもり。
チョコ入りコロネパン、好物なのに全然食えなかった。バッカミテェ。
車窓の記憶が全くねーよォ。凄まじく何にも憶えてなくて…笑える…。
村よりもずっと南東方面にある某町。某海岸沿いの…えぇと、そうだな。
ほら、うみねこ等で有名な…あの街から更に南下した町って説明しとく。
その辺では、なかなか大きい造りと思える屋敷まで連れて行かれたんだ。
そこが本当の俺ン家らしい。ていうか、遅いよ。何の情も湧いてこないって。
単なる知らない初めての家。両親とのご対面になっても何故か他人事だった。
母親っていう女の人は泣いてたけど、抱きつくとかできるもんか。絶対無理。
他所の家、匂いに違和感。学校の寄宿舎の方が我が家と感じる。帰りてぇ…。
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俺の本当の名前は『佐々木雅生』なんだってさ。
「さ」の字が多い。一組の「じゅん」と同じく三つある。どういう偶然?
仮名表記が落ち着かない名前って感想しか湧いてこねぇ「ササキマサキ」
でも、いらねェ。知らないっての。勝手につけんな。俺が使う名前だよ。
何故みんな他の奴から名付けてもらわなきゃなんないの?本当おかしい。
とも言えません。どこのどいつも同じなんだし。なけりゃ困るもんだし。
これから学校とかでも俺が名乗る文字を変えなきゃなんねーのかよォ?
学校及び村人を講堂に集めて、盛大に「改名発表会」やらかそうかな?
なんて、我ながら…今スッゲェ馬鹿馬鹿しい想像しちまった…と思う。
笑いたいのに…笑えない状況ってのが…きつい…。
ザジいろよ。こんなときこそ必要な奴だってのに。
俺が暮らす村にある奇妙な寄宿舎付学校
生徒全員懲役囚教室、約十年間の無意味
良い事ばっかりあるワケじゃないし、良い奴ばっかりいるワケでもないが
それでも卒業するまでいたいと思う。どうなるんだろう?これからの俺…。
ぷりけつ王子と取巻きたちに引き摺り込まれる生活を続けるか、それとも?
『あー、見つけた!』
頭に白い包帯巻いて飛び付いてきた大馬鹿ザジの声が頭の中に響いてくる。
俺の事をサックン、サックラバーって愛称で呼んでくれる学友たちがいる。
そして、あいつは『バジ』って独自の愛称で俺を呼ぶんだよ。ザジとバジ。
名前が同じ「じゅん」だからこそ歪んで拗けた二人の呼び名。ザジとバジ。
三人目の「じゅん」は、ヒナちゃん。見かけに似合わずカワイイ愛称だよ。
初めて入った屋敷の客間の豪華なソファに座らせられて
テーブルに載って湯気を立てる煎茶の碗を見つめながら
周りの会話もよく聞き取れないくらい現実逃避してた…。
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佐々木雅生の実父とかいう人物とザジの父親が友人なんだってさ。
ずーっと長いこと『桜庭潤』の行方を捜し続けてたってハナシ。
誰かに盗まれるように気付いたら消えていたとかいうらしい。
で、竜崎家の四女さんが佐々木家の養女になってるそうだ。
けど、もうそんなのスッゲェどーでもいいような気もする。
縁みたいな奴かもしれない。単なる偶然なのかもしれない。
早く村へ帰りたい。只今の俺の気持ちは、それだけ。
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ハイッ! 現在こちら寄宿舎のワレワレの寝床で腹ばいになってる俺っす!
真っ暗な校門の前で、懐中電灯を持った大馬鹿ザジが一人きりで立ってて
大歓迎しやがって…ザジを引き剥がすのが大変で…。さっき、やっと寝た。
何だか俺ン家で寝るより、こっちで寝たくなった。そんな心持ちだったの。
高橋さんにゃ迷惑かけた。…が、ザジが何故だか起きてたんだ。不思議ィ?
長時間の車移動で、助手席に乗ってるだけ…なのに、スッゲェ疲れたな…。
帰り道の途中、小用と夕飯食いに入った食堂の野菜ラーメンが不味かった。
味噌チャーシューにしときゃ良かったか。しかし、俺は肉より野菜派っす。
てか、麺自体が駄目ッ。たぶん麺を茹でる湯がどろっとしてたに違いない。
ちゃんと変えろよって感じ。混んでた所為か。人気ある店らしかったのに。
カレーライスが一番無難かも。親父は大概どれも喜んで美味いって食うし
不味くても美味しいと言い張る。始末に負えねぇってか全く指針にならん。
んーと、まあ、いいや。もう二度と行かねぇ店のこと考えても時間の無駄。
佐々木さん家とは、もう関わらず、変わらず、桜庭潤のままでいる事を
選びましたとさ。おーしまいっ!…だって、佐々木雅生ィ?…誰それェ?
全然、頭の中に馴染んでこない他人の名前だ。桜庭潤。このままで結構。
ササキマサキよか、サクラバジュンでしょ。バジ。絶対こっちの方が上等!
あの後にさ、竜崎家の四女で佐々木家の養女となった人とかにも対面ってか
遭遇したワケになるんだけンども…。ちょっと思い出したくない記憶になる。
俺に対して「スッゲェキライ!」で「うちと関わらないで!」ってな態度が
ありありと諸々に伝わってくる調子で接してこられたら、オレサマ泣きそう。
ま、彼女も複雑な心中と察する。絶対にィ。こっちだって、同じだからさ。
俺を嫌う事で彼女が好意を寄せる対象をもっと好きになりゃそれで結構だ!
この俺が佐々木家にも特に必要ない人間だと理解でき、逆に清々した気分。
うちの親父だって深い縁のある身内もいない寂しい身の上の人なんだから
今後ともーよろしくお願いしまーすっていうワケだ。皆様方に、ペコリ…。
つまり、俺の「改名発表会」は、夢で、幻で
本当に馬鹿げた「妄想」に過ぎませんでした。
天から落ちる、雨や雪、心にも降って、底に沁みる。
心に浮かんだ雲は、流れたり、姿を変えて、消える。
あの町に暮らす人間たちを否定するつもりはないが、俺の故郷じゃないよ。
俺は、この村での雪国生活に満足してる。学校の雪片付けも頑張らなきゃ
寮母の高橋さんや他のみんなも困る事態になる。もっと役に立ちてぇもん。
あの辺のいいとこは、こっちよりも確実に降雪量が少ない。憶測ですけど。
言葉もイントネーションが違う。喋り方が明るい調子で聞き取りやすい。
地図の右側は、左側より響きがカラッとしてる気がする。俺の耳には。
それでも遅いって。俺はとっくに内陸の山間の温泉が多く湧く土地の人間。
明日も変わらず、何事もなく、桜庭潤として、勉学や心の動く作業に励む。
桜庭洸には雨曝しの俺を拾って、潤って名付けてくれて、心の底から感謝!
グッドナイト、ザジ。そして、皆様方。
あ、歯ァ磨いてねーや。洗顔もだ。
それ考えるとアレだ。寝るぅ!
◆斎藤さんの一行講座. 斎藤和眞
ミカミソーとサックラバーのアクセントは「スィンガポール」と同じです。
◆作文「村の湧水の出るところ」 森魚慶
僕が六年生になった春の出来事です。
お母さんが持っていた「ハーキマーダイヤモンド」という
キラキラきれいな小さい水晶を1つもらいました。新しい僕の宝物。
小さい水色の巾着袋に入れて落とさないよう気をつけて大事に持っていました。
時々袋から開けて手のひらに載せてみます。本当にきれいでキラピカだから
うっとり眺めてしまいます。とても美しい。うららかな春と同じです。
学校の前庭には桜が咲いていたので僕の宝物にも桜を見せてあげたくなって
一人で散歩しながら、学校を目指しました。
日曜だから、いつもと同じ弟は寝ぼすけ、起こしても起きません。
二組の杜君と松浦君が歩いていたから僕の宝物を見せてあげました。
二人ともきれいだと褒めてくれました。
ありがとう。清らかな真心からの笑顔です。
一組の飛島君にも会いました。犬の散歩をしていたのです。
犬が僕に飛び付いてきて咬みつかれたら怖いと思いました。
だけど、おとなしくお座りしてくれました。飛島君は「もう年寄りだから
肩こりになってるんだ。揉んであげると喜ぶよ」と言いました。だから
僕は犬さんの背中の方にまわって揉んであげました。飛島君の家は近いし
今度から通りかかったときには揉んであげようと思いました。
飛島君にも水晶を見せたら「僕のお母さんは手芸が得意だから色々な石があるよ」
と言いました。ビーズみたいな石を紐に通し、アクセサリーを作るのだそうです。
工夫すれば、これもアクセサリーにできると教えてもらいましたが
僕は女じゃないのでいらないと思いました。
僕の水晶はドリームクリスタルとも呼ばれるそうです。
枕元に置いて眠ったら予知夢などが見られると聞きました。
浄化といって、水晶をお日様に当てたり、お水で清めたりすればいいのだとも
色々と詳しく飛島君は教えてくれました。
まるで飛島君は石の博士みたいです。いっぱい勉強になりました。
なので、僕は「真似します」と言ってから別れました。
山へ行く途中の坂道を過ぎたところに、湧き水がチョロチョロ流れてる所が
あるのを思い出しました。だから、そこへ行くことにしました。
少し遠いけど頑張りました。お地蔵さんが並んでるので少し怖いと思う所です。
お地蔵さんは地ごくに落ちた人を助けてくれる偉い仏様なのに道の途中にあるのは
薄暗いところにあるから怖く見えるのだと思います。他にも何か書いてある大きい
長い石があって不思議な場所です。薄気味悪い感じがしてしまいます。
湧き水は竹筒みたいなところから細く流れ出てきます。
手を洗ってから、水を手ですくって飲みました。冷たくておいしかったです。
飛島君から話を聞いた水晶の浄化、水晶にお水をあげるのをやってみました。
水晶を小袋から出して手に載せ、水をかけようとしたら
急に水が出なくなりました。手をひっこめると、元通り水が出てきたので
手を伸ばしましたが、またピタッと止まってしまいました。
お地蔵さんの像の後ろに誰かがいてイタズラしてるのかと思って
そっと覗いてみたけれど、誰もいません。
道路の脇だから辺りは草むらや防風林になってるだけです。
お地蔵さんの湧き水はチョロチョロチョロチョロ細く流れてます。
もう一回、水晶を持った手を伸ばしたけれど、また止まりました。
キョロキョロしてみても前後左右どこにも人間はいません。
何だか怖くなったから、家に帰りました。
寝ぼすけしてた筈の弟は仲良しの友達二人と外へ遊びに出かけていました。
少し怖くて面白くない日曜でした。
風が強いのか、カラスが歩いてるのか、ずっと家の屋根がガシガシと音を立てて
うるさくて、何だか非常に落ち着かない気持ちでいました。父も弟もいないから
一人で縦笛の練習をしました。指を半分ずらすのが上手になりました。
飛島君の家の白い犬「ラファ」は僕に懐いて、家に近付くと尻尾を振り振りして
「ようこそ!」と歓迎してくれます。犬小屋まで行くと、くるりっと向きを変え
背中を見せるようになりました。しばらくラファの肩を揉み揉みしてあげます。
◆…初雪…. 杜陽春
九年生十一月中旬の土曜。時刻は午後七時を過ぎた頃になる。
昨日、初雪がチラついたのを見た。繰り返す季節。毎年毎年…。
そんなつもりでいても、全く同じ瞬間なんて二度と来ないんだよな。
普段は街の親類の家で暮らしている新山碧依の誕生した記念すべき祝日。
今年でツナシの十歳となった。何かの機会がある度、我が家に迎えているが
またとない理由なのだから今回も碧依を一人で呼び出して、ささやかながら
誕生祝いをさせてもらった。家政婦の藤田さんの作った祝い膳、実母であり
寄宿舎で寮母を務めるママからは、手作りのバースデーケーキが届けられた。
生クリームが少し苦手な碧依のためにフルーツタルトを作ってくれたんだよ。
ずっしりと重厚感あるタルト生地の上にはカスタードクリームと苺やバナナ、
ブルーベリーにキウイ。彩りよく散りばめられたフルーツがたっぷり乗って
上にゼラチンが塗られて艶めいて鮮やかで、作ったママの細やかな気配りが
施されてるのが眼に見えて解って心を打った。そこまでさせて申し訳ないが
これも僕がママにしてやれる一種の親孝行ではないかと思うことにしている。
ただでさえママは学校の寄宿舎で暮らす生徒全員の母親代わりを務めてるし
毎日色々と大変だろうに…。ここまで気遣ってもらえる僕は本当に幸せ者だ。
もちろん碧依は喜んで口にしてくれたよ。お土産にもう1台持たせたけど
あの可愛らしい笑顔を見せてもらった方が何よりずっと得した気分になる。
顔だけじゃなく足もきれいだ。今日はタイツにショートパンツを合わせて
思わず見惚れてしまった。どうしても眼が…。女性はまず足。担任のぃ…。
うわ、完全に今の僕、相当かなり本気でヤバい人になってるかも。打消し!
僕からの贈り物は自作のかぎ針編みの小さなウサギとカメのぬいぐるみと
紫色から緋色といった色合いのグラデーションカラーの帽子とマフラーだ。
碧依の亡き兄である紫峻と学校の寄宿舎に住み込んでママを手伝いながら
ちゃっかり二組で授業も受けている姉の緋美佳をイメージしてみた色使い。
碧い色のは既に散々製作済みだから今回は少し色の趣向を変えてみただけ。
大層美しーい!ってか、物凄く似合ってた!
碧依は、どんな色だって着こなせるんだ。
本当にゼッタイもう可愛すぎるって!
学校の連中には、さすがにちょっと言いづらい趣味になるけど編み物は
退屈凌ぎにもなるから、次回はもっと凝った贈り物にするつもりでいる。
一方、碧依の姉である緋美佳は、傍で見てて少々気の毒になる悪天候。
僕たちは頑張れとしか言えないや。悲惨。あいつに無視されっぱなし。
ニシヤン以外のジェントルメンズは、陰ながら応援してるつもりだよ。
何とも前途多難な片恋。ダメだよ、あいつは…。性格とか最低レベル。
うちのクラス、全員無視されてる。存在してない形になってるらしい。
いつも二組の君主は表面的には優しく声掛けして努力は見せてるんだ。
必死なのが周囲に伝わるくらい優しさを向けてる。気の毒になるほど。
だけどさ、いつまでも結実しない樹に肥料は与えられないものだよな。
みんな冷えてるの気づいてて黙ってる。二組は…冷凍庫に近い空気…。
あのクラスは、それぞれ自分の殻に閉じ籠ることでしか身を保てない。
副級長の軍師がいれば、もうちょっと教室に笑いが増えるだろうけど。
クール。冷涼。荒れ果てた古戦場。負け戦の跡地。学校二組は冷凍庫。
庫内で温度の高い存在が積極的な緋美佳パニーニ。相手はチャウダー。
まあ、御勝手に。将来の義姉さんの片想いには深く立ち入りませーん!
僕が暮らす杜家で、碧依ちゃん誕生十周年祝いの小宴を済ませ…。
少し前、客賓の碧依を一人でタクシーに乗せて帰してやった状況。
預けられている街の家じゃ、たぶん何もしてもらえない筈だから。
大体にして…実姉の緋美佳に声をかけたのに来ない。妹なのに…。
おそらく緋美佳も被害者だったから関わりたくないんだと思うよ。
思い出すのが怖いんじゃないだろうか? 僕は、そう察している。
だから、何の世話もされず…見てて無視できない姿だった碧依…。
可哀想すぎて家に招き、藤田さんに頼んで碧依を入浴させたんだ。
完全なネグレクト。思い返すと、こっちが泣けてきそうになるよ。
生きた人形遊びだとでも思われていい。ヘンな趣味の人で結構だ。
放っておけない。そう思っただけ。可愛い笑顔を見せる子だもん。
髪を梳かして結ってあげた。きれいに洗ってる服を着せたかった。
世話焼きすぎなほど情熱を傾け、向き合えるのが僕には碧依だけ。
通わされている学校が年中冷涼なんだし、碧依の側が温かい場所。
はっきり言えば僕個人の我儘と同様の行為だ。育ての母である母上殿も
それほどいい顔をなさらないが、形だけで何かしらの配慮かもしれない。
外に出ての見送りは、いつも必ずといっていいほど僕一人きりとなるし。
これも毎回のことになるけど、あの子が乗った車が視界から消えるのが
堪らなく寂しいと思う。別れの言葉を口にしながら次は何を理由にして
来てもらえばいいのか考えているんだから、本当どうしようもないよな。
新山家の問題なんだし他人である杜家がつべこべ口出しできない事情だ。
引き取りたいなんて申し出も恥ずかしい。自分自身がまだ未成年だから
大胆にも程があるって気がしてきた。笑えてくるぅ。この辺にしとこう。
自宅の前、ソーラーライトスタンドの灯りが二本並べられたところに
ぼーっと立ってた。寒いから、さっさと家に入ればいいだけの話だが
こんな心を持ったまま、素っ気なく玄関の門をくぐる気にはなれない。
夜空の青黒い雲から白い月が覗いてる。
この形は小望月だろう。満ちる前の美。
幾望の月だ。僕が一番好きな月の姿…。
ムーンストーン。母上殿が着けるネックレスの石。小望月と同じ形。
「しっかり現場を目撃してやったぞ。シンセーヤロー!」
…???…
声がした右に顔を向けたらヤツがいた。三組のイッチが一人で佇んでる。
この言動だから孤独な暴言大帝なんだよ。身内からも持て余される男子。
こいつの寄宿舎での親友とも呼べるヤッチは夏休みから未だ戻ってこれず
現在も中央にある大きな病院で入院生活を続けているそうだ。僕も苦しい。
再会は冬休み明けなら、まだ幸いだ。二組全員が抱える不安。小さな種子。
笑う軍師様がいなきゃ欠落した傷病兵の集まりに等しいものだよ、二組は。
三組も似たような不安を抱えてる筈だ。タカシ君は長老タツヤの親友だし
少しばかり彼の病状についても見聞きしたけど、この田舎に名外科医は…。
診療所のマエダ先生は、元々耳鼻咽喉科の勤務医だとか伝え聞いてるし
頭の中なら詳細に検査してくれる専門医に診てもらう必要があるよな。
僕は二人を何一つ助けてあげられず、申し訳ない気持ちでいるが…。
あ、黙ってちゃ駄目だ。無視しちゃ可哀想な男が眼の前にいたんだっけ。
「ちょっと、その言い方やめらんない? おかしな誤解されそうで困る」
イッチのオヤブンさんも寂しさを抱えてる筈。少し相手になってやろう。
「やめる気ない。真性ロリコン&ダブルマザコン&髪の毛フェチ
三冠王なんだから、この称号を有難く頂戴しておけ。不細工のため
わざわざ僕の貴重な時間を割いて考えてもらえるだけ感謝すべきだ!」
呆れ返るというか、実はこいつ幼稚な子どもなんじゃないかって思うよ。
「そうだな。直球でド変態とでも呼んでやろう。其の物ズバリの顔だし」
悪いけど、その程度じゃ何の動揺も引き出せない。鍛えようが違うのに。
「それより、そっちのアネサンとの恋の進展でも聞かせて。参考にしたい」
これくらい揺さぶり掛けてもいいよな。ますます向こうの表情が変化する。
「べつに付き合っても…いない…のに、巫山戯たことを訊くなッ!
だいたい、アレ…。もう、いるんだし…。二組なら知ってるクセに」
見事に顔が赤くなってる。面白い。本気で少々気の毒だ。哀れな片思い君。
ヤッチには完全敗北だよ。こいつ絶対キラワレテル。こんな言動じゃ無理。
推測だが、彼女は容姿で判断しない。外面より印象、それと中身を見てる。
例えば、そうだな…。ミスターノーズでも選ばれる奇跡は起きるってこと。
彼もまたアレだけど。要はアネサンは『ヤッチのカノジョ』と呼べる存在。
身長差が…ノミのナントカ…だけどもさ、些細なことだよ。気にすんなっ。
アネサンは百七十近いか越してる感じ。僕より背の高い女子。足が長い。
細身のパンツスタイルがモデル並みだもんな。新山緋美佳も美人だけど
三組女子には翻弄される。この世のもんじゃないレベルの女子だと思う。
魅了される男子が多い。僕は碧依がいるから幻惑されず、客観視が可能。
ゲームの世界じゃ二組の生徒全員チャーム回避できる特性持ちだからね。
「さすがは未来の性犯罪者となるキモオタだけあって、下衆のアレレだ」
オヤブンさんは右手の指先を少し顎に当て、それを外したかと思ったら
「キモゲスッ!」
へぇ、新たな称号を手に入れちゃった。キモゲスかぁ。悪くないかも。
それでは、ここで問題です。色々アレレな僕は、実際何冠王でしょう?
「キモゲスこそ、さっきの女児に虐待めいた行為してるんじゃないのか?
きっしょきもい顔に相応しい、きっしょきもい行為してんの? ド変態ッ」
様々な言葉を覚えてく過程、まだ一桁の年齢にも感じてくる。頭の良さと
心の成長は違うんだって考えさせられる。歩く学習教材だと認識しようか。
「そういったことは後の愉しみで充分だと思うから。まだべつに今は何も」
我ながら非常にアレなことを言ってるのに気づいて頭を抱えたくなるけど
挫けたりしない。決して顔には心を出してやらない。キツネの面でも被る。
のんびりマイペースを装った冷涼なマイワールドの創造神が二組の男子だ。
「信じられないエ…、えぇと何だよ。それで…余裕…こいてるつもりか?」
この程度で言葉に詰まってる。堅物みたいな顔して、意外と興味関心有り?
暴言大帝を少し黙らせた。経験値でも寄越しやがれな気分だ。それより…!
「ナツメたちからのお使い済ませて帰るところ? 急がなくても大丈夫?」
僕の発言後、見る間にイッチのオヤブンさんが表情を曇らせたんだよ。
こいつの左手には商店から下げてきたらしい半透明の大きな袋がある。
「いいんだ。全部これは僕が必要なもの。寮母さんの作る食事が不味いから
こんな苦労しなければならないんだ。息子なら謝罪と賠償しろっ。今すぐ!」
顔に指先を突き付けられた。誕生日的には某特例君を除くと僕が学校一早い。
こいつは僕より背が高くても小さな弟なんだ。カワイイカワイイ坊やちゃん。
街の浅井家の事情も多少はこっちの耳にだって入る。こいつは…可哀想…だ。
「んーと、それじゃ、僕の目の前でそのレジ袋の中身を完食してくれるぅ?」
腕組んで余裕を見せてやる。袋麺が透けて見えてるから無理だよな。笑える。
「その購入代金だったら即この場で支払ってやるよ。さぁ、召し上がれッ!」
この買い物にはシオラァ大好きサックン君も絡んでるのが容易に推察可能だ。
「巫山戯んなよ。シンセー狐づら野郎、おまえん家で袋麺を作れってのか?」
うれしいな。こいつと絡んでると…冷涼とした寂しさが…少しは紛らわせる。
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イッチのご要望に応えて、目を細めて睨みつけるように白目剥いてやった。
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「はは、ひでぇな…。その面はいつ見てもアレだ。このブッサイクがっ!」
この顔で今日は碧依も笑ってくれたんだ。これで笑顔が眼に入るなら上等。
「キモゲスを相手にしてる暇なかった。たくさん観たいものが溜まってる。
早くポーキーやダフィーに会ってやらないと! バッグス・バニー最高!」
ヤッチから聞いてた。こいつは子ども向けアニメが大好きみたいだもんな。
「明日また降り積もりそうだから、まだなら防寒着や冬靴も出しときなよ」
フリース素材の上下だけじゃ外歩きは寒い気がする。ささやかな心配りだ。
「あ、うん…。まだだった。明日は引き籠るけど、忠告に従う。じゃあな」
傷み具合から寝巻にもしてるかもな。普段の制服姿よりは人間味が出てる。
「ああ、また学校でね」
僕なりの微笑みを作って右手を振ってみせた。来週月曜まで暫しお別れだ。
イッチのオヤブンさんとの一騎打ちに勝利した。経験値はゼロだけど
ほんの僅かでも心からの笑い顔が見れたことを収穫だと思わなくちゃ。
さっき言葉を交わしたイッチのオヤブンさんこと三組級長の浅井壱琉
彼の異母兄であるエムジェイでアウトレイジなアニキの三組の三上仁
それに続くのはキモゲスでシンセー狐づら野郎の僕こと二組の杜陽春
イッチとエムジェイは、ご優秀だよ。よく頑張ってる。
敬愛とも呼べる想いを持てる。心の中だけの友達だな。
身の上の複雑さは三者三様でもあるけれど、僕は勝手に親しみを感じてる。
口の悪い連中から陰で言われてるのも承知。でも、誰かを怨んで責めたり
そういった周囲の悪感情に振り回されてちゃいけない。自分を堅牢に保つ。
僕は身に余るほどの愛情を受け取っている人間であると自覚しているから!
容姿とかはなぁ、それなりに整えることは、得意になってきた気がするけど
心を壊されないよう守るためにも少しくらいの罵詈雑言なんかに傷つかない
強かさと呼べる防御壁…もっともっと鍛えてみせなければ…そう自覚してる。
そういったのもあるから僕は少しばかり口の悪さも必要だと思ってるんだが
我らが二組の君主「ミスターノーズ」は、軽口で返すってことができなくて
真っ正面から受け取ってしまっているところが配下としては残念なんだよ…。
メンドくさそうなテンプレ化した返答ばかり、そんなのうれしいワケがない!
僕に向かって、キツネ面でも何でも言い放って笑い飛ばしてみせりゃいい。
いや、察してる。心の奥底に隠した渾名がある筈。例えば『鋏狐』とか…。
カワイイよ。そんな愛称、いつか直に彼自身の口から聞いてみたいと思う。
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んー、アッレェー?
予報より早く、今、雪が舞い落ちてきた。
夜空から真っ白な贈り物だ。…なんて言うワケないって!
雪国の人間には雪は冷たくて厄介なものでしかないんだから!
杜家唯一の男手として雪片付けを務めなきゃいけない。イヤんなる。
こっちにしたって、上は半袖Tシャツにウール混の長袖を羽織ってるだけ。
まだプライドが許さなくて防寒装備が不足な方面、足に冷えを感じてきた。
べつに誰がアレ穿いてたって全然構わないとは思うけど、やっぱりさぁ…。
そういった点ではサックンや我らが君主とかに到底敵わないって思ってる。
ああ、一組のネッケツ王子を忘れてた。あの顔に駱駝色のアレは反則驚喜。
満ちる前、無上の美、僕の幾望、お月さま。
隠れちゃった。また姿を変えて、ご明晩…。
ユーキヤ、コンコン。キツネヤ、コンコン…。
ナニコレェ…?…キツネサン、バッカミテェ!
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…………………………。
雪の冷たさは我が身に堪える。もう家へ戻って風呂にでも入るとしよう。
入浴後はママへプレゼントするレッグウォーマーの続きを編まなくちゃ。
糸から編んで生み出されるものは、作品だけじゃないから止められない!
◆ユキ・ユメ・マボロシ. 佐々木雅生じゃねーよ!桜庭潤っす!
おっはよーございまーす。九年生十一月末日の朝飯前だよン!
寄宿舎生の毎冬恒例、除雪。雪かき。雪はね。
んーとまぁ、べつに何でもいいや。呼び方は。
放課後は担任の小林先生も積極的に手伝ってくれるし有難く思ってるケド
学校寄宿舎生の一同は、学校周囲の除雪作業を日夜修行として奉仕してる。
とはいうものの…ズバリ言うが使えん奴らが多くって本気でイヤんなる…。
プリンス・リトゥル遼は、放課後だと雪だるまやカマクラ作りに、ご熱心。
当の本人がメラメラ~状態の場合は、成長を見守るワレワレも楽になるよ。
反則氏は慈父な保父さん役だ。側で可愛い雪うさぎとか拵えてやってんの。
ささやかな作品を外道らに踏まれて蹴られてトラブる事案も起こる。怒る!
ぶっ潰す心積もりは出来てるけど、相手側が狡猾で現場を押さえられない。
まだ坊やとイクメン兄者だ。早朝の除雪作業は二人とも寝かせてやってる。
身体の負担が大きいだろうから、二組のヤッチ君にもやらせたことはない。
大体にして…手袋とか…。個人の身体の事情は仕方ないし、言えない問題。
あの重たい前髪、もう少しサッパリさせたら、明るく見えると思うのにィ。
同じクラスの鋏狐の陽ちゃまに頼めば、イイ感じに整えてもらえそうだよ。
仲良くないのかなァ? 他クラスの細けぇ事情はイマイチ把握してません。
まあ、奴は娯楽室で棋譜を眺めてたり、ゲームでもしてくれてりゃ安心だ。
それにヤッチ君との再会は来年。中央の病院で養生して早く元気になって
また一緒に学校で勉学できりゃいいなと願ってる。あいつのイメージは栗。
生真面目そうな小粒の栗。そして、ヤッチ君は頭ン中に木綿鼠を飼ってる。
勉強や勝負の盤面に向かう際は木綿鼠が脳内で回し車をぐるぐるぐるっと
回転させてるって寸法。それでいてジョークも鮮やかに冴えわたるキレ者。
入学当初イジケまくりで孤立してたけど、それから変身を遂げた男の一人。
掛け替えのない寄宿舎メンバーだ。いねえって寂しい。特にイッチがな…。
でも、そのイッチの奴が除雪じゃ一番の役立たずなんだよな。これがまた。
運動神経ゼロにも程があるってか、走るのがヤッチ君よりダメダメダメー。
マット運動の後転さえ、まともに出来ねぇレベルなんだよ。お気の毒さま。
そんなの除雪隊メンバーに入れらんねーよ。奴に頼んでも耳にしたくねぇ
愚痴や誰彼構わず罵詈雑言を延々と聞かされたらストレス溜まるだけだし
あいつは三組の壱君センセって重要なお仕事がおありになるっつー理由で
免除してまーす。男が体力使う場面じゃ持て余すだけの存在。悪りぃケド。
忘れてた、最高レベルで無理な男が侍ニシヤン。
どなたか頼みますぅ。誰かアレを何とかしろよ!
実はニシヤンも劉遼と並ぶ学校の王子様なんだもんなァ、困ったことにィ。
学校長の養子様っすから隠されたもう一人のプリンス様なのら。嫌だけど。
ンで、無視。何言っても基本的に無視される。神に誓って虐めちゃいねえ!
ワレワレ逆にアレコレ気ィ遣いまくりでございまするぅですわ。皆様方…。
ご事情を推し量らなければなりません。ケンカなんぞ売れません御方だよ。
あいつが普通に甘えてる…というか口聞くのは俺の愛する心の慈母である
寮母の高橋さんくらいなんだ。夕食の献立だってニシヤンの希望するのが
圧倒的多数なのら。オレサマ嫉妬。使徒嫉妬ぴっちゃんちゃん。←馬鹿か!
てか、馬鹿ザジから移った。感染した言語も多数ある。お察しくださーい。
だから、そんなもんもあって…シオラァに逃げる場合もある…俺の場合は。
奴にゃ何言っても無駄無駄無駄無駄無駄ッ! 言葉で駄目ならと思っても
そういったので捩じ伏せるのも無理だ。勝てんよ。俺は学校じゃ二番手…。
どうしようもねぇ真実。数人がかりで取り囲めば…何とかなる予想…だが
そういう卑怯で卑劣な手段は心身共に苦痛を伴うから関わらないのが無難。
お互い辛くて悲しい事実に向き合うのは…イヤでしょ?…そういった都合。
リンバラも…。あいつは何故か笑いの神様に取り憑かれちまってるようで
具体的に実況すると、こっちの腹筋がヤバくなるから控え選手扱いしてる。
ミスター・ナントカ状態だと察してほしい。笑いに言葉はいらねえの見本。
あいつの生まれも、どっちかといや南の雪国と呼べる土地らしいんだよな。
ここよりずっと南南西方面の生まれとか聞いたが、複雑怪奇な謎多き少年。
噂聞くと、俺なんて…まだマシ。幸せ者だと思えてくるぅ幼少期の人だ…。
何度も姓を変更してきた経験の持ち主。俺は拒否だ。佐々木雅生を全否定。
たまぁに助っ人の依頼する場合もある。ドカ雪の朝、斎藤が声をかけてる。
心優し~い斎藤さんは気持ち悪くても思いやり持つ漢。俺は正直あいつ…。
リンバラ、死体の写真集を眺めながらメシが食える猟奇的神経の持ち主だ。
悪口になろうが、二組の連中は奇天烈な趣味趣向の寄せ集め!←担任含む。
関われるのがタッツンと級長&副級長のトリオ。基本的に受け付けません。
二組の総員がマイワールドを構築しまくり、創造神として君臨してんだよ。
釣りとパソゲ好き。髪弄り手編み。作文王子。譫言探偵。思い出し笑いを
栄養に生きる軍師。夢が正義のヒーローの大変ヘンな心身の持ち主が君主。
腰縄ド屑パタと仲良しな兄ちゃんもいる始末だ。存在に疑問湧く枠の生徒。
気持ち悪りぃとしか喩えられんよ…。タッツンもご趣味が木彫りに水墨画、
落語を聞くのが大好きで、どこの長老様だって気がしてくるぅ瞬間もある。
いや、俺が無趣味すぎるのかなァ。馬鹿ザジのお守りで手一杯。余裕ナシ。
色々と欠落人間の塊。機能不全家族の奴ばか…空に唾吐くのと同じだな…。
馬鹿と言う俺の方が馬鹿。とはいえ、二組に対しては言いたい事が多いよ。
虎鉄と紫峻の二人が学校へ来なくなってからだ。二組の纏まり具合の悪さ。
パーツが行方不明。完成不可能パズル。ロスト、アウト…。泣けてくるぅ。
君主の斎藤さん、白旗を揚げ、投降、帰順に等しい状態だと俺は察してる。
実際に、あのクラスをまとめていたのは、虎鉄と紫峻の二人だったもんな。
みんな思い思いのバラついた方向を見てる。俺には、そんな印象のクラス。
三組も奇異だが文学的美少年美少女の集いって風にも見える。パタ除外…。
大魔王閣下のカード占いも手つきが麗しいと思える魅力があって不思議ィ。
そもそも滅多に学校じゃ奴の顔を見れないよ。頭の中に病巣があるとか…。
二組のタッツンが親友として見舞いに行ってる様子だけど、詳細は不明だ。
パワーパフガールズ。いや、実際はボーイズになるんだけどさ…。
色使いとか、うちの三教室の級長さん三人が、そう喩えられると思う。
「一番タフだぜ!」バターカップちゃん担当の奴、ちょっと情けねーよ!
あいつ…。いや、色々と気持ち悪りぃけど、必死で頑張ってるの知ってる。
ブロッサムな花田級長こそ、学校のまとめ役に相応しい。オレサマ援護!
学校に咲く花は、桜…。一組の級長と副級長のコンビこそ、究極で至高!!
バブルスちゃん担当が色々とアレな部分が多すぎるんだ。次期当主様…。
まあ、ブロッサムがバブルスと絡みたがらねぇ時点でトリオにゃならん。
んーと、まぁいい。俺にとっちゃ、あくまでも判り易い喩えとなるもの。
本日も、笑えて、怒れて、泣けて…。俺を巻き込むザジのヤローにも感謝。
死んじまったら、何一つできない。誰かの心の中にしか居場所がなくなる。
虎鉄と紫峻は俺たちが生きている限り、死んでも消えちゃいねぇ。いるっ!
やっべぇな。アレコレ考えすぎて本気で涙出そうだ。汗取りタオル使おう。
朝は雪国育ちの俺とタッツンとモンクちゃん+斎藤の四人メンバーで充分!
兎に角、通学生さんたちのためにも校門前を中心にして除雪作業を進める。
大雪の場合、中央の生まれで雪が苦手な夏目の二匹も加えりゃ最強布陣だ!
そうだな、雪との闘争だ! 確かに俺たちは最前線へ出た兵隊さんと同じ。
嫌でもスコップだの何だの得物を手に取って奮闘する奴がいねぇと困るし
害虫退治と似たようなもん。高橋さんのためならチャバネくらい始末する。
だが、ツバソラは性根が気にいらん。もうちょっと真っ直ぐになるべき。
こう思う俺も空に唾吐くような気分になるが、二人こそソラにツバ吐く
くだらねえ意地くそ悪い事する。カッワイイと大人目線で俯瞰してやる。
何より足捌きが今もって不合格。中央方面の出身、斎藤以外は役立たず。
ああ当然、未だに寒さが苦手で生涯雪に慣れそうにねぇ馬鹿ザジも除外。
あいつは元から朝が弱いし、寝かしてやる。オネショしねェだけマシだ。
当然の話だが真面目な除雪作業にお笑い担当は要らねーや。時間の無駄!
男子四人が上手く除排雪用の道具を駆使すりゃいい。気持ちいい労働だ。
校庭の隅、石がごろごろ置かれてる場所辺りに寄せてる。邪魔にならん。
最終的には結構な雪の山ができるよ。それを見りゃ達成感を覚えまーす!
俺たちってばステキな汗で煌めいてる勤労少年四人組! あ、忘れてた。
ミサちゃん、女子が身体を冷やすのは駄目。高橋さん、緋美佳ちゃんと
調理場で…熱い甘酒かココアでも…。俺は意外とコーヒーはブラック派。
斎藤も俺と同じ。モンクちゃんは紅茶派、砂糖やミルクとか不要だって。
冬場の風邪予防のビタミン補給として、あればレモンを加えるって感じ。
タッツンは、生クリームをくるぅんと浮かべた甘いココアが好きみてぇ!
純ココアの粉と牛乳、砂糖を入れた小鍋でカシャカシャ泡立て器使って
加熱してやってる、高橋さんの甲斐甲斐しさがまた堪りませんっすよォ。
物凄く眼に美しい光輝く光景だと思う。我らが慈母。優しい香り。甘美。
ちゃんと茶漉しでカップに注いでる。キメ細やかだよ。喫茶店やれるよ。
タッツン、見た目の割にパフェやケーキとかのスイーツ好き。カッワイイ!
娯楽室で、寄宿舎男子ほぼ一同がコロネパンやドーナツを食いまくるんだ。
うん。自分で思い返してみて、相当きっしょきもい現場の眺望となるよォ。
そういった場合、我儘ニシヤンと気まぐれナギちゃんの二名が仲間ハズレ。
望月反則氏の野郎は…俺のタッツンが苦手を通り越して…無理…らしい。
同じ空気が吸えねぇレベルで嫌ってやがる。理由は不明だ。入学時から。
優秀善良でザジにだって協力する心優しい一組の慈父的存在だと思うし、
俺のサンディーだ。小生詳細説明不要。悪ノリもしてくれる重要な仲間。
タッツンと喧嘩するような仲じゃないし、相性の問題だと思う事にする。
菓子類はそれぞれの自室に運んでやると食ってるよ。嫌いじゃねえんだ。
むぐらもち君の場合、特に羊羹が好きだ。和菓子派らしいが餅より羊羹。
羊羹1本一気食い余裕でイケそう。アレで痩身だって体質がウラヤマ…。
で、一番甘い物好きがタッツン。身体がでっかいから必要量が多いんだ。
お次は夏目の翼キュン、従弟のタコ宙といった順に続いていく感じだな。
あ、夏目二匹のカニカマ好き、可愛くて笑える。娯楽室冷蔵庫の必需品。
特例なのが俺のモンクちゃん。あいつは箍が外れると過食の傾向がある。
普段はダイエットに近い状態で学校の昼食をゆで卵2個で済ますんだが
その反動が起きると推察する。不特定多数が手に取るバイキング形式が
受け付けず、拒絶する人間なんだ。仕方ない。そういう性格なんだもん。
個別包装されたものなら多少は安心できるみてぇだな。カワイイ級長だ。
俺はそういう甘味は1個で充分。好きな物ほど少量で満たしたい派っす。
俺の好みとか知らなくたっていい。それより気になるのがタッツンだよ。
カノジョとデートで寄ったらしく前に街の有名菓子舗のザッハトルテを
土産に何人かで切り分けて食ったよ。有名なだけあって美味いと思った。
苺パフェにタルトなんかも美味だと聞いた。デートで食ってんのかなァ?
参考までに聞きてぇ…。いや、純情な小心者には早い情報だ。控えとく。
甘酒は全員好きだよ。中でも斎藤が生姜たっぷり入れて飲むのを好んでる。
ミサちゃんが生姜すってる。それラップに広げて冷凍してたの見た事ある。
以前は可哀想だったな。操君は無理やり男子っぽく装ってたんだと思うよ。
俺は…某日ちょっとあって…他より早く気づいた。ヤッチ君たちと一緒に
沈黙を守ってやってたつもり。もう二人はマコとリンバラ。詳細不要の話。
アレコレと頭で考えながらも作業してるよ。今朝の作業は間もなく終了だ。
ああ、また…降り始めてきた…。キリがねぇよな。毎年必ず思うことだが。
校門前は主に真夜中や夜明け前、チアキの実家で働いてくれてる除雪車が
道路脇に残した、どうしても余される雪が数十センチほどの高さになって
ガッチガチに固く凍ってる。雪国の朝の通常風景。道路に雪が無きゃいい。
そこは大抵モンクちゃんたちの担当になる。斎藤と組んでモンクちゃんが
角スコップで硬雪を解して、そいつを斎藤のスノーダンプに載せてやって
いっぱいになったら斎藤が雪捨て山まで押して運ぶの作業手順を繰り返す。
俺とタッツンは周囲の積雪を片っ端からプッシャーだので押してったり
赤いスノーダンプを押しまくって、雪捨て山まで疾走するんだ。
足腰が鍛えられて良い運動だよ。そう思う事にする!
校門近くに融雪溝がありゃ楽になるだろうが、そこまで完璧じゃねえのも
またいいと考えて頑張る。除雪、排雪。除雪、排雪。リピート。リピート。
雪国の冬ってのは、どこだって大抵こんなもんなんだと思う。雪との闘い。
きれいじゃねーよ。悪りぃがゴミだ。厄介な水が固まったもんだよ、雪は。
ワレワレ、ピチピチに芽吹いた若葉のような年齢だってのに少々腰痛で…。
それでも今朝はいい方だったと思う。
作業に必要な言葉だけで無駄口もなく済んだし。
昇降口の定位置へ除排雪の道具を片付け、食堂へ向かう。
「腰の辺り、軽くヤられてやっべぇかも。今日は休みたい。寝てたいよー」
泣き言こぼす斎藤も充分エライと思う。実家は滅多に積雪しねぇ温暖な土地だ。
「そんな不満いうなら引っ込んでてくれ。おまえはもう永遠に寝てていい。
修行の邪魔だ! 永眠したいのなら、今すぐ僕が手伝ってやって構わない」
モンクちゃんは親友に対して容赦なく毒吐くんだよ。カッワイイ…くはねぇな。
ブロッサムがバターカップに文句たれてる場面に
すり替えて想像してみりゃ多少は可愛らしいかも。
バブルス担当はまだ寝てる筈だし、こいつら上等。
イッチはアレすぎ。運動神経も皆無。外道の頭目。
バブルス担当、キュートなのは見映えだけだもん。
…?!…
食堂の手前から美味そうな焼き鮭の匂いが漂ってる。鮭茶漬けにして食おう!
軽く駆け足で愛する慈母の顔を仰ぎに急ぐよ。お褒めの言葉を頂戴するのだ。
四人のリーダーとなる俺が先頭になって、すらーっと食堂の引き戸を開けた。
調理場のカウンター越しに高橋さんと言葉を交わす瞬間こそ、我が心の至宝。
食堂では三人の女性が働いてて、朝から疲労した四人の男子を迎えてくれた。
「みんなご苦労さま。まずは体をあっためて。はい、どうぞ!」
俺の高橋さんが先に俺のマグカップをカウンターにトンっと置いたら
合図の言葉を耳にしたミサちゃんと新山緋美佳ちゃんの手も動く。
調理場のカウンターに湯気を立てた4つのカップが並んだよ。
ちょっともうコレ、我が至福タイムとしか申せませーん!
何よりいいなと思うのは、揃って白い帽子で髪を隠してマスクをしてるとこ。
本職の人みたいに全身白一色なんだもん。高橋さんの指導の賜物だと思うよ。
食べ物を扱う事を粗末にしてねぇ心構えってのを感じさせる姿。女性の鑑だ。
これだから…気難しいモンクちゃんも文句なく…。色々と面倒事はあっても
何とか寄宿舎での飲食を我慢してるんだ。場合に拠っちゃ手を付けねえが…。
だからこその昼食ゆで卵2個。殻を剥いて食うんなら不潔感が薄れるのかも。
モンクちゃん、いつか処方薬を要する人となる予感がしてスッゲェ心配です。
俺のカップはコーヒーだ。高橋さんが淹れてくれたものなら何でもいいけど
ドリッパーを使って、ゆっくりと時間かけて湯を落としてくれたんだと思う。
良い香りで目が覚める。シャキッと頑張れる気持ちになれそう。感謝の至り。
タッツンのは良かったなァー、生クリームは載っちゃいねえがココアだよ。
インスタントだろうが、みんな別個に作ってもらえて有難ぇよな!
モンクちゃんのカップは紅茶、仄かに檸檬の香りがする。
斎藤のは…さり気なく近づいて覗いてみた…。
「みんなの好みのもん用意してくれて、高橋さんたち、ありがとうっす!」
最初に感謝の言葉を述べる。他三名もそれぞれ喋った。当然の行為だよな!
「ううん、こちらこそ。みんな朝早くから本当いつもどうもありがとうね」
高橋さん…俺の美紗子様が微笑んでくれた。陽ちゃまの実母だけあっても
全く似てると思えねぇ。あいつは寄宿舎内での陰口じゃ鋏狐。キツネ面だ。
二組級長のヤローが名付け親。斎藤さん、裏表が有り有りの大変心身君主。
だが、陽ちゃま母子は笑顔の印象がそっくり。真心からの笑顔だと伝わる。
性格いいんだよ。そういう母子。陽ちゃまは嫌いになれないや。親切だし
あの可哀想な女児を我が娘みたいに愛情を注いでる。やや短足な足長さん。
事情は知らんが美紗子様が御懐妊あそばされ、苦しんで産み落とした筈の
可愛い実子である陽ちゃまは杜姓を名乗って他家で暮らしていらっしゃる。
俺は高橋さんを…本当は『ミサちゃん』って…呼びたい。まだ三十四だよ。
そんな訳で代わりに三上操をミサちゃんと呼んで秘めた願望を満たしてる。
いつか満願成就できたらなぁ。…と思うか?
そんなの、ユメ、マボロシって百も承知してる。
この気持ちも雪と同じ。いつか消えて地に浸み込む。
そんなものだよな…。永遠に子どもでいられる訳ないし。
青天の下、御天道様の導くまま、我が心は地面として
事象を受け入れたら「これでいいのだ」という結果が
自然と訪れる手筈だ。そういう風に出来てるんだって。
小さい頃から、そう教えられてきた。俺の親父から…。
本名を持たない謎のパパさんを見習えばいいって言う。
俺の親父其の物が俺には謎すぎる。エルフに似てるし
年齢性別不詳と表現するしかない美形。ザジより上級。
オレサマ…エルフに飼育されてる魔獣っぽいかも…?
克服。この二言で片付けられない問題が山積み。
校庭の隅にある雪の山。春になると消え去る山。
俺の心にあるユメやマボロシみたいな幾つかの影…。
まだ完全に消したくねぇが、なるべく早急に雪は融けるべき。
消えなきゃ春が来ねーもん。今はいつか訪れる本当の春を待つ時間。
斎藤の白い陶器のカップにゃ甘酒…たぶん缶のを開けて温めたんだろうが
それに生姜を足してやったんだと思うよ。生姜くせぇもん。良かったな!
モンクちゃん、石油ストーブの前に椅子を四脚移動させてた。気が利く。
さり気ない心遣いが自然に実行できる人物だから、一組級長なんだよ。
ワレワレ勤労少年、名誉ある誇り高き四人組が並んで腰を下ろし…。
身も心も温まるドリンク休憩の特権を味わう至福。本日も勉学に励むよ!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
あれ? カウンターにカップを戻した斎藤が曇った眼鏡のレンズ拭いて
たった一人で食堂を出て行きやがった。あ、奴の考えてる行動が読めた!
斎藤如きに先は譲れん! 一番手は俺だよ!
すららーっと戸を開け閉め、奴の背を追う。
小狡いバターカップを成敗すべき時の到来。
「オイコラ、待てぇ! シャワーを浴びるのは俺が先だ!」
素早く追い抜いて、回り込んで通せん坊した。こう見えて、オレサマ俊足。
脳内じゃ魔獣ケルベロス、学校男子のグラビア担当は桜庭潤君だっつーの!
もちろん、しずかちゃん担当だと言っても実際は誰にも見せねェけンども。
こっちも作業して一汗かいたんだから、朝メシ前に汗を流す気でいたんだ。
「ニット帽被って頭が蒸れちゃったしィ。それじゃ一緒に浴びますかー?」
汗取り用に巻いてた首のフェイスタオルを外しながら斎藤へ申してやった。
「おめーは馬鹿か? 想像してみろ。そんな光景、美しくありませーん!
男子が二人並んでシャワーを浴びるなんて、きっしょきもーい斎藤さん!」
美意識過剰な野郎を黙らせる言葉を吐いて差し上げた。コールドブレス。
脳内じゃ青白く凍てつかせる発言だ。てめぇは次だよ。頭が高いって。
少しでもアレコレ想像すべきじゃねえ心的外傷事案も現在発生中だ。
シャワー蛇口も1本しかない。どう考えても一緒は無理すぎる。
基本的に…映像を思い浮かべたら…その時点で負け。敗走。
いいですか?…少なくとも俺と斎藤は美形じゃねェ…。
???
ダウンベストの胸ポケットに眼鏡を仕舞って逃走しやがった。
……………ガチャ!……………
素早く浴室のドアを開けた。入っちゃったよ。
……………カチッ!!……………
今の音は…内鍵ロックしたな。許せん…!
斎藤のクソヤロー!
女の子走りはやめろよ。笑うだろうが。
アレで、いざってときゃ腹括ってヤる男だもんなァ。
二組の級長さんでもあり、三組の外道らと撲り合える勇敢な闘士。
最強タッツンはヤり合わねぇ人格者。外道な翼と宙とも仲良くやってる。
バターカップはなァ、ちょっと性格に問題有りな点が多々だと思うよ。
小狡いってか、少々意地が悪いってか…。斎藤さん、気持ち悪りぃし。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
違う。強い。
視えてきた。
やっぱり、バターカップは強靭な神経を持ってる。
崩れそうな気持ち抱えても、必死に親孝行してる。
逃げてねぇ。しっかり自分の足で立ってんだもん。
分かるよ、斎藤。俺も割かし近い位置に…いる…。
それは兎も角、斎藤よォ。せめてタオルとか先に用意してから入れ。
ま、いいか。食堂に戻って、モンクちゃんに斎藤のタオルや着替えとか
代わりに持って行ってもらおう。軽く頬でも抓まれるんだろな。楽しみィ!
んじゃ俺は、まず先に食欲を満たそうっと。今朝は熱い鮭茶漬けで決まり!
◆共同浴場初体験物語. 三上操
九年生十二月初め、土曜の午後…。
寄宿舎の食堂で昼食を済ませたところです。
寮母の高橋さんと緋美佳さんとで、三人揃って一緒に作った
帆立とブロッコリーのマカロニグラタン、本当おいしかったなぁ。
でも、熱くて上顎を少し火傷して白い皮がめくれてヒリヒリしてます。
劉遼君も熱がって望月君が一旦お皿を取り上げ、冷ましてあげてました。
誕生会といった特別な席はなくても寄宿舎生が食べたいと思うメニューの
リクエストがあった場合、大抵いつでも誰でも叶えてもらえるんです。
調理スペースの食材は自由に食べていいという取り決めになってますので
自分で食べたいメニューを料理する寄宿舎生もいます。常連は花田君です。
食材も自分で納得したものを買い揃えてまで拘って食べる人だと思います。
村の豆腐屋さんで揚げ出し豆腐やおから等をよく購入してるみたいです。
おからで、みたらし団子みたいな和菓子やドーナツを作ってくれます。
私もお裾分けで戴いたことがありますけど、結構クセになる味でした。
みたらし団子のたれは、オリゴ糖のシロップに醤油を少々混ぜたものです。
ちょっぴり恥ずかしい話になっちゃいますが、後々お通じに効く感じで…。
桜庭君なんかも、しょっちゅうインスタント麺を作って食べていますね。
美味しそうと思った表情を彼に読み取られ、小鉢に分けてもらったこと
何度かあるんです。いつも周りに目の行き届く優しい人だと思いました。
身体に悪影響…太っちゃうんじゃないか…と心配ですが野菜その他の具材も
たっぷり加えてるというので…高橋さんは妥協…いえ、黙認なさっています。
高橋さんは二組の杜君だけじゃなく寄宿舎生みんなの母親代わりです。
お洗濯は、現在では個人で洗濯機を使用している感じとなりますが
一年生の頃からずっと何でも細やかにお世話して頂いてたのです。
低学年の頃は毎朝、三上仁のお母様が洗濯機をフル稼働させて
寄宿舎生全員…私は女子だったので下着とかは浴室で手洗い
していましたが制服や普段着などは洗って頂いていました。
体調の悪い生徒を寝ないで看病してくださったり、こうして思い返すと
この瞬間も両目に涙がにじんできてしまうほど寄宿舎生たち全員揃って
たくさんの愛情を頂戴していたのだと…心から頭が下がる気持ちです…。
授業がある昼は通学生もいるので、バイキング形式といったランチになるけど
朝夕の食事は、寄宿生の誰かが頼んだものを揃って食べることも多いのです。
六月に誕生日だからと言って、生チョコロールを焼いてもらった谷地君が
ちょっぴり羨ましかったです。みんなも勿論お裾分けしてもらいました。
体調を崩したらしく、帰省先である中央の大きな病院に入院中である
谷地君が復学するのは来年の冬休み明けになるとの連絡が届いてます。
二組の生徒や彼と親しい寄宿舎生たちが懸念している項目の一つです。
私は…夏休み前から、谷地君とは…特に何も話してませんでした。
自分の気持ちに噓を吐くことが難しくなってきました。それで…。
谷地君に手紙の一通も出さなかった薄情な私、今でも後悔の念は尽きません。
お昼のグラタン作りでは、帆立貝の剥き方とホワイトソースを作るとき
ダマにならない手順を教えてもらったので、いつかきっと役立つ筈です。
緋美佳さんをライバルとして、家事の勉強も頑張りたいと思っています。
最近は寒くて靴下の重ね履きをしても冷えが気になるようになってきました。
シャワー室のバスタブにお湯を溜めたとき生姜入りの入浴剤を入れたりして
自分なりに試行錯誤を繰り返してみても後の人を待たせてしまうと思うので
迷惑にならないよう、全身が完全に温まる前には上がらなければいけません。
特にお掃除さんが後だと私の入浴後しっかり念入りに掃除をしてる様子で
喩えようのない気持ちになってしまいます…。そんなに汚いのでしょうか?
それと、もう一つ。入浴剤のことなんですけど、裏に名前を書いてるのに
遠慮なく豪快に使ってる誰かがいるみたい。減るのが早くて困っています。
村の共同浴場は様々な効能のある温泉で芯から温まると聞いていました。
もう女子であることを隠す必要ないのですし、行っても構いませんよね?
それで、さっき勇気を出して…緋美佳さんに声をかけてみたのですが…。
やっぱり私のことを気に入らないみたいで体よく断られてしまいました。
でも、大丈夫です。全然平気です。一人歩きはもうすっかり慣れています。
以前から街の雑貨店やワンコインのお店を覗いて、買い揃えていたのです。
眼に入った瞬間、可愛いと思って即購入を決めたミントグリーンの手籠や
お気に入り柄のタオルといった物を詰めた入浴セットが出来上がったので
本日、初めて村の共同浴場で、のんびりゆっくり温まることに決めました。
風呂桶も考えたけど、浴場にあるみたいだから、それを使うことにします。
自室の窓から覗く空模様が少し吹雪いてるから服装は脱ぎ着しやすい衣類を
重ねて厚手のコートに帽子とマフラー、手袋をして傘も差すことにしました。
顔が冷えないようマスクも着けました。明るい薄グリーンが私好みの色です。
これでも私なりに完全武装したつもり、一人きりでの行軍の開始となります。
雪で滑ると怖いので自転車はダメ、転ばないよう長靴で歩くことにしました。
濃い茶色の合成皮革製で履きやすくて滑り難く、去年からのお気に入りです。
長靴を左手に、入浴セットを黒い猫柄のエコバッグに入れて右肩に背負って
洗面所の辺りまで歩いてたら、劉遼君に歯磨き指導真っ最中の望月君から
呼び止められてしまいました。こんな時に何の用だというのでしょう?
「操氏、いいとこで会った。外のお風呂へ行くんだったら、コレ…。
りゅーりょー、ついでに連れてって! ちょっと一人になりたくて」
えぇぇえぇ…?!…劉遼君は、もちろん一人で男湯に入れるんですよねぇ?
これまで桜庭君や相馬君とかに連れられていく姿は幾度となく見ています。
でも、見た目はアレでも…同い年のリトゥル・プリンス様と同行なんて…。
私の初めての小さな冒険に早速の困難が降りかかってきた予感がしました。
断る言葉も何も言えず、望月君はテキパキと劉遼君の歯磨きを終了させて
宿舎の一番奥にある自室へと連れ帰って、ほんの少々廊下で待ってる間に
外出姿に着替えた劉遼君と劉遼君用の入浴セット一式を持ってきたのです。
「えぇと、あの、望月君は劉遼君と一緒に共同浴場へ行かないんですか?」
同じお湯に浸かる訳でもないので行き来を同行する程度なら問題ないです。
「ああ、なるべく村の中…私は…このとおり見たままの引き籠り男でーす。
だから、どうか頼む。遼は一人で普通に入浴できると思うし心配いらない。
共同浴場の前には源泉の湯が流れ出て、大きな洗濯物を洗える場所がある。
湯から上ったら、そこで待ち合わせ。りゅーりょー、言うこと聞けるね?」
劉遼君の両方の耳を優しく押さえて、ゆっくり強く言い聞かせていました。
本当のお父さんみたいで見てるうちに自然と困ったような笑顔になります。
望月君は髪の色合いが独特なので、僅かに年上に見えなくもないですから。
「うんっ、ミサちゃあーん! お風呂まで、手ェ繋いで行こっ!」
心に何一つ思うところはないのでしょう。当たり前のように私へ伸ばしてきた
劉遼君の可愛い、ふわふわ手首でモヘア製の小さな指なし手袋を嵌めた左手。
彼は校長先生のお孫さんですし、失礼のないように接するべきですよね。
自分の弟か親戚の子どもと思い込んでから、そっと手を握りました。
「すまない。これも持ったげてー」
劉遼君用の入浴セットは本当に小さな子ども用といったキャラクター物で
揃えられていました。風呂桶など女の子向けのピンクや赤が目立つ色合い。
劉遼君自体、男子というよりは女児っぽくて、髪の毛が背中の半分くらい。
声変わりしてないので、プリンスじゃなくプリンセスと呼んであげた方が
相応しい容貌です。服装も真っ赤なダッフルコートにベージュ系ニット帽。
耳当て付きで天辺にはボンボンも付いてて、とてもよく似合っていました。
髪はゴールドのシュシュで左下に結ったハーフアップに纏められています。
誰が持ち物を買い揃えてるのか劉遼君自体の好みなのか、それを考えると
ふんわりとした不思議な気持ちにもなってきます。プリンス・リトゥル遼。
劉遼君は親戚のまだ小さい男児。私は従姉のお姉ちゃん。脳内で設定完了。
入学時から殆ど成長…。でも、それでも、学校一の王子様は、現在十五歳。
長期休暇を除いて、九年ずっと一緒に生活してきたのです。それなのに…?
未だに、その、お昼寝や…。週に数回オネショって…。いえ、失礼ですね。
宿舎二階の突き当りは、普段は施錠されてる非常口の扉があるだけなので
普段そう近づくことないですが、お届けなどの用事があって奥へ行くと…。
望月君たちの自室を開けると…ほんの少し…漂います。本当ごめんなさい!
先週、望月君が風邪で休んでたとき、私もお粥とか運んだので、それで…。
それでも三日前頃だと思いますが、誰かが廊下の隅に新しい消臭芳香剤を
設置してくれました。昼食の調理中、高橋さんたち二人に聞いてみたけど
知らない様子でしたから、寄宿舎生の気が利く男子なのだろうと思います。
寄宿舎二階は、ほんのり甘い桃の香りが漂っている感じになっていました。
二階廊下は桃園の香り…。えぇと、そう思った方が楽しい気持ちですよね。
急ごうとする従弟を制するようにして、ゆっくりと階段を下りて行きます。
…?!…
目の前に壁があったら、ぶち抜きそうな猛突進で
竜崎君が私たちを追い越して行きました。怖い…。
私たちから数段下の踊り場で、くるりっと回転でもしそうな勢いで振り返り
「一緒にお風呂か~!ゆわぁッ!いいなぁ、遼ちゃん。女湯いけそうだしィ。
二人で仲良く、汗かいて流しっこ。いいよー。応援するぅ。ガンバレ~ッ!」
どういう状況を想像しての発言なのか聞きたいですが、また向きを変えて
昇降口へ元気よく向かって行きました。あの人は…少々アレレな従兄の…。
容姿は兎も角として、せめて一度くらい頭の中を検査すべき必要のある人。
脳外科手術…あ、何だか物凄く恐ろしい想像してしまって…ごめんなさい。
「反則氏から聞いた。よろしく頼むな。ゆっくりと温まってくりゃいいよ」
桜庭君が近所の気さくな小父さんっぽい和やかな笑顔を向けて、私たちを
追い越し様に一声かけていきました。二段跳びで駆け下りてく階段の床が
力強い足の音を響かせています。竜崎君に追いつこうと懸命なのでしょう。
いつも忙しく精いっぱい頑張ってる感じで応援したくなるのが桜庭君です。
桜庭君の後に続くのは相馬君。いつもと変わらず、無言の会釈で通過します。
目立つ長身なのに気配を感じさせなくて、吃驚してしまうことが多い人。
おそらく三人揃って商店まで買い物しに行くところかもしれません。
相馬君は、街の書店のアルバイトという設定が似合いそうです。
彼なら高い書棚の整理整頓も楽々務まりそうな気がします。
さっきまで、娯楽室で夏目君たちと対戦パズルゲームに興じてたらしいです。
ドアの前を通った際、相馬君の声で「ひどいにゃん!」と聞こえていました。
推測ですが、ゲームの対戦に敗けてしまったのではないかと思われます。
強そうなのにワザとじゃないかと疑う程に敗けるのが相馬君です。
私と対戦したときも…敗者さんになるくらいなのですから…。
長身で寡黙な容貌と剥離した発言、どうしたって笑っ…。
「ひどいにゃん!」寄宿舎生の密かな流行語かも。
時折、心の中で呟いてしまう愉快な一言です。
「メラメラしてたー! おいしい。ごはん、もっと食べる! メラメラ~」
そう言った途端、私から手を振り解いて竜崎君たちの後を追い駆けようと
走って行きました。少し前に下の食堂で一緒にグラタンを食べた筈なのに
劉遼君には足りなかったのでしょうか? まだ寄宿舎にいる状態ですけど
本当に劉遼君と共同浴場まで辿り着けるのか不安になってきてしまいます。
「捕まえた。勝手に走りまわらない約束だろう。言うことを聞け。いいな」
階段の上り口の辺りから安心できる発言が聞こえてきました。花田君です。
しっかり者のお掃除さんが押さえてくれてるなら、こちらも問題なしです。
心を落ち着けて、慌てず、急がず、ごく自然に一階まで下りて行きました。
花田君は目線を合わせるようにして劉遼君の両肩に手を置いてる様子です。
私の足音に気がついて、こちらを一瞥した瞬間、片手で右目を隠しました。
「ミサ君が外の…共同浴場まで…?
遼を一緒に連れて行ってくれるのか?」
常日頃から花田君は私と滅多に目を合わせてくれません。
拒絶的な感情を持たれても私が心に不満を生じさせなければ
ケンカみたいな拗れた問題に発展しないことは確実なのですから
何も気にしないよう言葉を交わせば大丈夫なのです。慣れていました。
言葉に拠る暴力を振るったりしません。性根が少しも悪い人じゃないと
普段の生活態度で示されてます。大丈夫、平気です。花田君へ頷きました。
「いいことだ。僕はどうにも駄目だけど。
性格が、こんなだから…感染症が…怖くて。
まず…他人と同じ湯が…。絶対に…無理…だ。
浴場出入口の足拭きとかって耐えられなくない?」
右目を押さえたまま、少し照れてみせてるような表情で吐露しました。
彼の正直な心情が聞けたと思いましたが、私は無言の苦笑いで応えました。
「ミサ君も僕と似たタイプかと思ってたけど、違ったんだな」
確かに、あれこれ深く考えてしまうと、浴場前の共用の足拭きマットなど
苦手になる気持ち、分かるかもしれません。だから、入浴後の掃除とか…。
「歩くときは、手をしっかり握ってやって。こっちが遼に惑わされないで
落ち着いてみせたら、遼もそういった相手の心情を汲めるから問題ない筈。
帰りは湯冷めさせないように早めに帰宅させて…。遼、顔を洗うときには
耳の後ろも洗えよ。シャンプー、ちゃんと濯げ。それじゃ、お願いします」
依頼する言葉のときだけ、小さく深いと感じる色の左眼を僅かに合わせて
右目を隠す手も外してくれました。小さな級友思いのお掃除さんから
お願いされてしまった以上は、私も任務を頑張ろうと思いました。
「キヨ、発見。ミカミソー、りゅーりょー、三人で仲良くしてたのかな?
今日は朝からスッゲェ寒くて身に堪える。熱い生姜湯が飲みたい気分。
よかったら食堂でティータイムでもして、のんびりと過ごさない?
食堂の石油ストーブの方が熱量が強くて身体にもいいと思うの。
そういえば昼食のメニュー、何だろう? まだ食べてないし」
声する方を向くと斎藤さんでした。落ち着いた青の半纏を羽織ってます。
二組のクラスメイトの通学生、鯨井信君から贈られたとか話してたのを
耳にしていたので、大事に着ているのだと思いました。年齢が+五~六?
前髪が邪魔なのか黒いベロアのヘアバンドで押さえています。眼鏡なし。
「あ、外風呂?…これから四人で…。ああ、キヨは無理な場所だもんな。
二人して外風呂行くなら斎藤さんもご一緒する。りゅーりょーの面倒を
斎藤さんが見てあげるってば。ここで待ってて。すぐ支度してくるから」
袖から両手を見せない姿で二段ほど階段を下りて後ろに向きを変えると
「おまえは二人の邪魔。いいから自室へ戻ろう。ここじゃ落ち着かない」
淡々とした口調の花田君が斎藤さんの背を無理やり押し出し
二階の二人の自室へ向かって、階段を上がってしまいました。
二人の背中を黙って見送ってから、私たちも向きを変えます。
相合傘状態で手を繋ぎ、あまり深く考えると照れくさい気持ちになるので
事前に設定していたとおり従弟の王子様と仲良く雪の中を温泉通いします。
「Et des Baisers」校門を出た直後から仏蘭西語で劉遼君が歌い出しました。
彼のルームメイトで保父役を務める望月君が教えてくれた曲なのでしょう。
本当チャーミングとしか言葉が浮かばない、あまり情感が籠ってないのに
心が自然と躍り出す感じ。重たい気持ちも軽やかに変わる劉遼君の歌声…。
次は「Avant la Bagarre」を続けて歌います。アルバムの再生みたいです。
一人きりで堪能するのが勿体無いけれど、ご褒美と思って耳を傾けました。
歌ってるのに夢中な時間は、口癖の「メラメラ~」も封印されるようです。
もう何曲、聴いたでしょう。「Le Coeur Qui Jazze」という曲の途中で…。
頭に白い雪を少し被せた状態のまま、片手に黒い小袋など持って歩いてる
愛犬の散歩中らしき彰太君、浅井家の飼い犬である大きな秋田犬はちべえ。
散歩用リードの先を右手に付き従って引き摺られている脩と遭遇しました。
彰太君とは軽く目礼しただけ。こちらを向く茶色いニット帽を被った脩が
左手の甲を口周りに当てて…完全に笑いを堪えてる…といった表情でした。
単に移動するタイミングが悪かった。そう思うことにしました。
彰太君、学校以外でも脩と一緒にいるなんて…可哀想としか…。
こちらは他生徒も口にする学校の『プリンス・リトゥル遼様』の御目付役。
劉遼君が近づくと、はちべえが立ち止まり、こちらへ挨拶してくれました。
「はっちべえ、メラメラ~。イキしろーい。カワイイ! アタマなでる!」
手を振り解いた劉遼君が近寄っていきました。寒さで吐く息が白いのです。
彰太君と脩は無言で学校のプリンス遼君の行動を見守っている様子でした。
リトゥル遼様の右手が秋田犬はちべえの頭をビッタンビタビタとナデナデ。
犬の頭を優しく撫でまわす?…目の当たりにしてる側には苦笑いな光景…。
はちべえの家族である彰太君は沈黙して劉遼君の好きなようにさせてやり
リードを持つ脩は左手甲で口周辺を隠して目だけが大笑いしてる姿でした。
白い雪の舞う中で脩が羽織った朱色のダウンカーディガンは目立ちました。
彰太君は黒いハーフ丈のコート、濃紺のボトムと焦茶のエンジニアブーツ。
とても珍しい気がしました。腰にロープを身に着けてない彰太君の姿は…。
あ、いえ、ロープは不要な物だと思うし、外してくれた方が安心できます。
ビッタンビタビタッと彰太君宅の犬を可愛がる
一組の男子生徒を取り囲む私たち三組の三生徒。
もしかしたら、きっと…彰太君と脩…二人の胸中では
数多の言葉が発せられてる筈ではないかと窺えますが。
普通なら軽くでも窘める場面で、彰太君は大人の対応を見せてくれました。
劉遼君のまだ無邪気な右手に、自分の左手を添えてあげて
頭を撫でさせることを言葉でなく行動で伝えてましたから
感心してしまいました。言葉で表せない心の中だけの思い。
彰太君の左手首には、強い青、微かな緑に橙色などの輝煌を放つ
曹灰長石ラブラドライトのブレスレットが着けられていたので
当然のこと、そちらの方にも視界が惹きつけられていました。
彰太君の…お気に入り…なのだと思います。いつ見ても綺麗です。
素敵なブレスレットを一言も褒められない私が恨めしくなります。
ダメだな。あまり眺めないようにしないと。
脩が笑いを堪えてる様子も物凄く気分悪い。
さて、私たち四人は事情を知らない人の目には
全員揃って同じ「十五歳」に見えるでしょうか?
なんて、劉遼君に失礼すぎますよね。ごめんなさい。
えぇと、それでも私たち四人は、ほぼ無言ではありましたけど
可愛らしく微笑ましいひと時を過ごし、すれ違っていきました。
共同浴場手前には、幅の狭い小川が流れてて、道路が橋になっています。
その手前、右側の並びにあるのが学校の生徒たちにも人気のモガミ屋さん。
日が落ちる頃、点灯する涼しげでいて温かな薄緑の看板が目印となります。
大判焼きや焼きそばを作ってもらって、お持ち帰りできる小さな店舗です。
テーブルも三台ほど設置されてますが私は座って食べたことがありません。
店舗へ近づいたら、食欲が刺激される甘酸っぱいソースの匂いを鼻に感じ、
帰りに寄宿舎のみんなへ大判焼きなど買うのも悪くないかもと思いました。
寄宿舎生へお土産を買うのは、相馬君か斎藤さんの役目となっていました。
偶には私も寄宿舎生のみんなに大判焼きを買って帰るのも悪くないかも…。
「ちょっと止まってー! 待ってえ、ミサちゃーん!」
女性の声? 後頭部から耳にした少し擦れた声は、寮母の高橋さんでした。
再び歌うことに集中してしまって、高橋さんの声が耳に届いてないらしい
劉遼君の左手に少し力を込めて、歩行の停止を促して、振り返ってみたら
裏地が白いボアの黒いパーカーを羽織り、紺色の長靴を履いた高橋さんが
小走りになって近付いて来ていました。右手に色々と入った洗面器を抱え
左手には小さい黒の紙袋を提げています。ひょっとして同行するつもり…?
軽く息を切らした様子の高橋さん、寄宿舎から走り続けてきたみたいです。
劉遼君は大好きな高橋さんが現れたのですから、さっさと私の手を離して
ぴったり寄り添っています。側にいて安心できる人に近寄るのが当然です。
何だか寂しい気持ちも湧いてきますが、私自身も気持ちが楽になりました。
「緋美佳ちゃんがね、ミサちゃん一人じゃ可哀想だって、留守番や夕食の
下拵えくらい自分一人だけでも大丈夫だからって言ってくれたから来たの」
いつもの落ち着いた口調に戻った高橋さんが微笑みを浮かべました。
顔立ちは似てると思えないけど、二組の杜君と重なって見えるのは
やっぱり実の母子だからでしょうね。ふと、そんな風に思いました。
「ところで、ミサちゃん…。どうして今まで一度も行ったことない
この村の共同浴場へ行ってみようと…? あー、分かっちゃった!
ミサちゃんの完璧な我儘ボディーを見せつけて、村のご婦人方から
羨ましがられたいのね! そうでしょ? 私も見れるのが楽しみ!」
赤面とか通り越して、このまま回れ右して帰りたい気分になりました。
他の誰とも見比べたりしたことはありませんが、完璧でも我儘でも
何でもないと思います。でも、共同浴場で入浴するということは
私一人じゃなくて他の女性にも裸を見られるということなのは
当然の成り行きですが、ただ身体の冷えを解消したいという
目的で単独行軍する筈だったのに、他の人の視点からだと
予想だにしなかった意図を持ってると思われるなんて…。
空を舞う雪たちが数を増やしてきました。白く見通しの悪い視界です。
「さっきより降ってきちゃった。風邪ひいちゃわないよう
ゆっくりのんびり温まらないと。さあ、早足で行きましょ」
…………………………。
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…………………………。
…………………………。
…………………………。
事前に望月君が説明してくれたとおりの景観だった待ち合わせ場所。
引湯管から大きな盥に打ち付ける勢いで流れ、白い湯気を上げる源泉。
手を洗うような格好で、お湯に両手を伸ばす劉遼君を見つけました。
高橋さんと私よりも先に上がって、待ってくれていたみたいです。
望月君と約束した話を忘れずに憶えていたようで安心しました。
ドライヤーを使って髪を乾かさなかったのか、ニット帽から出ている
髪の毛が濡れっぱなしになっていて風邪を引かないか気になりました。
このまま学校まで帰ったら、冷気でパキパキになってしまいそうです。
もし斎藤さんに同行してもらっていたら、きちんと劉遼君の髪の毛も
乾かしてくれた筈だと思いましたが、女湯脱衣所にあるドライヤーを
使うというのも何だかアレですし…私たちが男湯に出入りするのも…。
劉遼君はマイペース。女湯出入口から姿を現した高橋さん目掛けて
抱き着くよう飛び付いてきました。とても無邪気な小さいプリンス。
「お風呂のごほーび。粒々コーンスープ、飲みたぁーい!」
近くに設置されたドリンクの自販機を指差して、おねだりし始めました。
高橋さんも濡れた髪が気になったのでしょう。彼のニット帽を脱がせて
男湯の出入口に置いたままになってた真っ赤な洗面器の上に被さった
タオルは既に降る雪で白くなってて使い物にならない状態なので
自分のタオルを劉遼君の頭に被せ、髪を拭いてあげてました。
「風邪の原因になったらダメだし、ちゃんと乾かしてあげないとね」
高橋さんは困ったように首を傾げてみせ、こちらに向き直しました。
「ここでミサちゃんたち二人だけ帰ってもらうつもりだったけど
やっぱり付き合ってもらうことにする。時間は問題ないわよね?」
予定はありませんから、こちらは問題なしです。黙って頷きました。
そしたら左手に提げている小さい黒の紙袋を揺らしながら微笑んで
「ちょっと杜君の家に用があったの。すぐ側だから、うちの子に
お願いして、劉遼君の髪の毛も乾かしてもらっちゃいましょうね」
実の息子さんが暮らす家へ立ち寄る高橋さんに
私と劉遼君が同行するといった形になりました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
温泉の効能は、私自身の手足で感じ取ることができたように思えます。
共同浴場から十数メートルの距離にある杜君の家まで、爪先に冷えを感じず
辿り着きました。決して大きくはないけど存在感があるというか主張のある
造りのお宅といった印象を受けました。田舎っぽくない洒落た雰囲気の家屋。
学校でも殆ど交流のない無関係に近い間柄ですから、お宅へ上がるなんて
図々しい気がして門を潜るのも躊躇しましたが、出迎えてくれた杜君は
まるで以前から親しい友人みたいな笑顔で早く上がるよう促すから
気づいたときには、一人きりで客間の座布団に座っていました。
立派な厚みのある座卓には、ご高齢の女性が丁寧な所作で
お出しくださった和菓子とお茶が並べられています。
漆塗りの菓子皿に敷き紙と楊枝、練りきり。白磁の茶碗、茶托は錫製。
どういう作法で戴けばいいのか戸惑ってるうちに時が過ぎていきます。
劉遼君は髪いじりが趣味な杜君に髪を乾かしてもらってるのでしょうし
高橋さんはどこか別の部屋に用があるのでしょうか? 姿を見せません。
…………………………。
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落ち着かない気持ちに変わりはありませんが、他の誰かの眼のない隙に
和菓子とお茶を頂戴してしまうことにしました。残すよりマシですよね。
…………………………。
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お茶と和菓子、上品で高級な味っていうのでしょうか。
どのように伝えたら誰もが納得いく表現ができるのか
躾の行き届かない私には分かりません。ごめんなさい。
お代わりしたいとは思わない。そんな感じの美味しさ。
沈黙する時間は、私の日常。会話する行為そのものが私には稀有な事態で
傍目には黙ってるのに、心は笑ったり喋ったり、割と忙しく動いてるかも。
窓を覗いても舞う粉雪で白く染められ、景色を愉しむのは無理みたいです。
床の間に置かれた優雅な生け花を眺めました。
大輪の百合の花。白く縁取りされたピンク色。
季節の花を愛でる生活は贅沢ですし憧れます。
図書室に草花の図鑑があるから覚えておいて
後で、この花の名前を調べようと思いました。
顔の向きを変え、花の形からして水仙だと思う襖の柄を眺めていたら
「失礼します。開けても大丈夫?」
杜君の声でした。どうぞと答えたら、娯楽室で観た映画と同じ仕草で
襖が開けられました。正座した状態から入室する彼の脇には白い紙袋。
「遼君は台所。うちの家政婦さんが作るスープの出来上がりが
待ち切れないみたいでさぁ、ひっ付いちゃってる状態なんだよ」
白い紙袋を手にして、私のすぐ傍に腰を下ろしました。
胡坐に近い座り方で寛いでるような格好に見えました。
「高橋さんも後ちょっとしたら話が終わると思う。帰れる。
楽にしてて。窮屈じゃない? 足を伸ばしても構わないよ。
こっちは自分の家だから楽にさせてもらうよ。足も短いし。
本当に堅苦しくする必要ないから。僕がいるうちは大丈夫」
こちらの緊張を解そうと自虐するような態度を見せて
彼は膝上に載せた紙袋を開け、中身を取り出しました。
「僕の母、手編みが趣味で売れるほど作っちゃって余らせてるんだ。
レッグウォーマーやスヌードとか色々あるから、もし良かったら…」
紫と白のボーダー柄のレッグウォーマーを片手に持って見せると
また紙袋に戻して、私の前へ押し進めるようにして置きました。
「そのレッグウォーマー、丈が長めだし土踏まずが隠れるまで
伸ばして穿くと良い具合らしいよ。うちの母、冷え症だから
それなりに工夫したり考えて作ってるんじゃないかと思う。
寄宿舎で穿くならいいよね? 高橋さんや新山さんにも
プレゼントしてるから三人お揃いになっちゃうけどさ」
断るも何も…思わぬ収穫を得た感じで素直に有難い…と思いました。
女性同士で情報交換すること自体なかったからレッグウォーマーを
使用するという知恵が今まで浮かばなかったのです。助かりました。
上手く伝わったか分かりませんが、感謝の気持ちで受け取りました。
照れるよう眼を細めた杜君の笑顔、今でも私の記憶に残っています。
それから、高橋さん一人が一足先に寄宿舎へ戻られるということで
私と劉遼君は客間に食事を運んでもらう形で、杜君宅の夕食まで
御馳走になりました。小さな王子様が大喜びする可愛い献立。
ランチプレートに盛り付けられたハンバーグや海老フライ、
旗付チキンライス、粒々コーンがたっぷり入ったスープ。
お腹いっぱい平らげた劉遼君は、座布団を枕に眠り込んでしまいました。
オレンジ色の掻巻毛布を掛けられ、ぬくぬくと完全に寝入っている劉遼君。
杜君が無理に起こすのは可哀想だし、私も泊まるよう勧められたのですが
当然ながら断りました。杜君が明日の朝、劉遼君を送り届けることになり
午後八時過ぎた頃、小降りになった雪の中を一人きり寄宿舎へ戻りました。
…………………………。
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…………………………。
贈られたレッグウォーマーは、勧められたとおりの穿き方で活用しました。
就寝時も穿いたまま眠ったので、毛玉が出来て早く傷めてしまいましたが
好きな毛糸を購入して手編みに挑戦するという新たな冒険を愉しむことが
出来たのです。年末年始の休暇や空き時間の有効活用にも役立ちましたし
私にとって共同浴場初体験の日は、心身ともに温まる思い出となりました。
劉遼君を同行させてくれた望月君
可愛らしい歌と仕草を見せた劉遼君
普通の格好した彰太君を見られたこと
追い駆けてきて一緒に入浴した高橋さん
とても助かる実用的な贈り物をくれた杜君
思い返すと涙が出そうになる記憶たち…いつまでも胸の奥にいてほしい…。
そうそう、杜君宅の床の間に飾られていた百合の名は「ソルボンヌ」です。
可憐で愛らしい大輪、いつの日か私も季節の花を生けて暮らせたらいいな。
◆ノー・シークレット・ラヴ. 斎藤和眞
九年生十二月初め、土曜の正午過ぎになりまーす。
もっちーから後に聞いた話だと、昼食のメニューは
マカロニグラタンだったそうですね。食べたかった。
「遼の世話に託けて逃走しようなんて身勝手にも程がある。
おまえの処遇は既に決めている。速やかに実行してもらう」
背後に立つキヨは、犯人を護送する刑事役してるつもりなのでしょうかね。
促されるままに階段を上り、洗面所を通り過ぎて自室へと連行されました。
でもさぁ、女子にりゅーりょーの細けぇ世話まで行き届かないでしょう。
入浴後の洗い髪も一人でドライヤーを使って乾かせる訳ねぇですもん。
寄宿舎生同士の助け合い精神を発揮させるべき場面だと思っただけ。
少年の正当な主張、握り潰されるだけだってのも承知の上ですが。
知らねーよ。王子ちゃまの長髪、濡れっぱなしで歩いて風邪ひかせても。
キヨは自分の机の椅子に腰かけ、こっちを見下ろすよう監視しています。
こっちは完全に罪人扱い。床に正座した状態。「させられた」に近けぇ。
「けど、今まで送ってもらった手紙を全部焼却炉に突っ込んで
燃やしちゃうなんて…後で悔やむことになると思うけどなぁ…」
曳かれ者の小唄っていうヤツなんでしょうけど、キヨに言ってやりました。
この人は激情に駆られると、後に取り返しのつかない行為を仕出かすんだ。
少し前、この人は実際にヤらかしてきたばっかりですもの。
キレッキレにキレてる。全部こっちが悪いとは思えません。
さっきのキヨは、よく裏事情を表に出さねぇで会話してたと思ってました。
こっちも自然な感じで加わって、回避できるんじゃねぇかと思ったのにィ。
「内容に関しては完璧な形で僕の頭に入ってる。全く問題ない。
おまえの目に触れた汚らわしいモノだ。焼却するより仕方ない」
そう話した表情が「後悔」って読み取れるものに変化しちゃってまーす!
あくまでも冷静を装ってみせてますが、こっちも冷静な観察者なのです。
バカだ…。言葉にして伝えたくても現状じゃ火に油を注ぐだけですもん。
誰に訴えてもバカなことをして、それを見られたのは斎藤さんですから
キヨの煮え滾ったハラワタが落ち着くまで、不要な発言は差し控えます。
曳かれ者の小唄の続きになっちゃうんでしょうけど、こうなった切っ掛けを
斎藤さん側の視点で伝えとくことにします。キヨにとっての下手人側から…。
事の起こりは、八年生の夏期休暇が終わってから。
キヨ宛に綺麗な色柄の封書が届くようになりました。
寄宿舎生の場合、こういった配送物は教室前の廊下に
設置された個人用ロッカーに配達されます。主に午前中、
村の配送局にお勤めのサックラバーの御父上に当たる方が
足音も気づかせない、ロッカーの開け閉めさえ耳に入らねぇ
プロ仕様の手技で入れてってくれるんです。余談になりますが
最初見たとき女性だと思いましたね。リューザッジより美形だし
年齢不詳って容貌で、同じ「人間」って種族なのかも妖しい麗しさ。
ハイエルフ。背中に羽を着けて空を飛んでたって驚かない。自然現象。
えぇと、まあ、兎に角、キヨは女性と文通を始めるようになった訳です。
放課後、淡い色合いの封筒を手にして、脇目も振らず急いでる様子で
自室に直行していくんですもの。分かり易すぎる。推理の必要ねーよ。
こっちは自室へ戻るのを避けます。寄り道。間を置く。暇潰し。待機。
気になる。普通だったら、どこの何者とそんな頻繁に文通してるのか
気にもなりますでしょう? 女性っぽいですし。でも、キヨの実家は
斎藤さんと違って、村から物凄く離れた地域にある訳じゃないんです。
母上殿に姉君が居られると存じておりますが、その気になっちゃえば
日帰りで行き来できる程度の距離ですし、今頃になって小まめに連絡
取り合わなけりゃいけねぇ事情ができたっていうのも考えられません。
本当に親兄弟なら、斎藤さんが見ても分かるくらい嬉々とした表情で
手紙を持って歩くかって話になります。だとしたら、危険なレヴェル。
そして、こっちが完全に眠った状態だと確認してから
黒ヤギさんのキヨは、お返事を書き始めるって訳です。
それからがアレ。白ヤギさんからのお返事を待つ側が
たぶん誰が見ても異常と感じる。苛立ち。情緒不安定。
そういった現状を一年以上に渡って日常として受け入れなきゃなんねえ
こっちの身にもなってほしい。これまでも色々と察して接してきたのに
要求は増え続けるばかり。こっちが楽できることは何一つないに等しい。
不平等。格差有りの親友関係。キヨとカズ。
不満は表しません。単純に失うのが怖いし。
本日は土曜で、学校の授業も休み。
それでも配送局の小型トラックが
正午前、校門前に横付けされて…。
配送業務を忠実に熟すサックラバーの御父上が寄宿舎二階の
斎藤さんとキヨの自室へ一通の封書を届けてくださいました。
そのとき斎藤さんは一階の洗濯室に居りました。
何の支障なく、キヨが受け取ったのでしょうね。
で、そこから何かが狂いました。おかしな賽の目が出たんだと思います。
現状のとおり、面倒くせぇ事態へ陥る布石となった洗濯機の不具合発生。
全自動洗濯機のすすぎ途中の脱水工程が上手くいかねぇ。止まっちゃう。
三回ほど再スタートの操作をしましたが、またエラーになって停止した。
丸椅子に座って、暢気に古雑誌のページを捲って過ごしてた斎藤さんも
どうすりゃいいのか判断に困ったから、自室に戻ってキヨに泣きついた。
洗濯ネットの入れ方にコツがあるとか文句を言われました。
さっぱり理解できてないって表情を読み取ったらしいキヨ。
呆れ顔で「もういい。僕が見てくる」と、出て行きました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
気になる物が近くにあったら眼を向けてしまうのが当然。
キヨの机の上に広げられた桜色の便箋に藤色のペン文字。
単なる紙片が周囲に優しい空気を放出してる。思い遣り。
親愛の情が伝わってきた。恋愛ってヤツとは方向が違う。
便箋より、封書の裏書。住所は中央某処。氏名は竜崎寧。
竜崎?…リューザッジと同じ苗字だよなぁって考えていた時点で
後頭部に打撃を受け、振り向くと鬼の形相になった人が痛ってェ!
脇に除けられ、机の上や引出しに入った封書の束を猛烈な勢いで掴んで
「焼却炉で燃やしてくる! その後で、おまえも燃やすから待ってろ!」
凄まじい捨て台詞を吐き、校庭隅の焼却炉へ直行しちゃったようでした。
…呆然…
うっわぁ、猫さんじゃなくて地雷を踏んじゃったー!
そういや最近ずっと猫歩きの訓練を怠ってたもんな。
視えない猫神様が下された天罰なのかもしれません。
窓の外、煙が上ってる様子を確認。次は自分の番か。
なんてこと思うワケねーでしょ。あっさり燃やされて堪るかよってハナシ。
常日頃から空気な操られ木偶人形さんの実力を見せつける絶好の機会です。
正当防衛しまくる。肉体言語を用いて、現実ってヤツを教えて差し上げる。
…嘆息…
逃げも隠れもしませんが、逃げ込める場所や隠れられる場所が全くねぇや。
つまり、そこまで面倒見てもらえる親しい間柄の存在がゼロってこと。
逃げて隠れる場所が現在いる自室だけだと気づく。ナサケネェナァ…。
時計を見ると、既に昼食の時間を過ぎていました。
気分的には全く食欲ないけど、食堂へ行こうかな。
多少苦手な存在がいても構わない。自分は空気だ。
キヨと竜崎寧さんとの文通に関する今回の事案は
不特定多数の者がいる前では発言しにくい筈です。
斎藤さん、この事案の微妙な点を有効利用しようという考えに至った次第。
こんな場合、アッちゃんがいたら便利なんですよね。娯楽室へ逃げ込める。
なのに、本当に運が悪い。斎藤和眞は生まれつき星廻りが悪すぎるんです。
基本的に引き当てるのはハズレ籤。強運なくらい凶運に恵まれております。
外れの離島から来た生徒だから当然かもしれませんけど、ハズレばっかり。
いつもなら当たり籤を引くアッちゃんも、今回は運が悪かった。抽選機を
回したらハズレの白い玉を出しちゃいました。早く冬毛の貂の顔が見たい。
そんなこんなで階段の上り口でミカミソーたちと会話するキヨを発見。
りゅーりょーの入浴介助ボランティアで逃げる策略も失敗に終わって
只今、自室の床に正座させられてる次第と相成った訳なのであります。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「あのォ、とりあえず腹ごなし…。休戦して、昼食を摂ろうよ。
外に出て冷えたんじゃないの? 体の温まるものでも食べよう」
こっちを見下ろす人に阿るような形で、休戦の提言をしてみました。
「さっき僕が言ったこと忘れた訳じゃないと思うが、もう一度。
おまえの処遇は既に決めてあるし、これから実行してもらう!」
そう発言した後、キヨは席を立って着替え始めました。えぇ、外出?
「愚図愚図してないで、カズも早く着替えろ。
兎に角、その恥ずかしいヘアバンドは絶対外せ。
髪が邪魔なら切ったらいいだろう。見っともない。
陽ちゃまに頼んだら只で整えてもらえるというのに」
現在の斎藤さんには頭髪について考える心の余裕が全く御座いませーん。
単に長時間、鏡と向き合うのが鬱。時間繋ぎの会話や談笑が、もう無理。
もっちーみたく昼休みの青空理髪所を利用する手もあるにはあるけど…。
単純に考えれば、鋏狐は本当に良いヤツ。こっちの心中を素直に晒せば
無駄な会話もせず、手短に仕事してくださると思う。気遣ってもらえる。
しかし、それだけじゃありません。触れられたくない事情があるのです。
キヨの指示に沈黙で従います。外出の支度を開始ィ。半纏も脱ぎまーす。
シンちゃんから贈ってもらった青い半纏、見るからに安っぽいけど
折角だからと袖を通してみたら、軽くて温かい。心まで落ち着くし。
もらった当初、正直に言っちゃえば遠慮したい気持ちもあったのに
最近じゃ、ほぼ一日中着てますね。寝るときも布団の上に載せてる。
リューザッジみたいに突き抜けられないけど、こっちも歳を重ねた。
見かけよりも内容を重視します。貢ぎ物も有効的に活用いたします。
それにしても…これから外に出て燃やされるのかぁ…。
確かに建物の中じゃ延焼して、他の生徒さんたちにも
色々ご迷惑かけちゃうだろうから、少しは考えなきゃ。
学校の焼却炉には、バラバラに解体しないと斎藤さんの全身は入りません。
解体作業も体力と気力を相当消耗するのは間違いありません。流れ出る血、
朝食等消化途中の腸も悪臭を放つかもな。骨を断つのも簡単には済まない。
とはいうものの、斎藤和眞は土塊で作られた人間を模した物体なのだから
人間よりも遥かに楽々焼却処分可能です。魔法で人間化してるだけですし。
灯油よりもガソリンだよな。行き先はオヤギの自宅で給油所兼整備工場か。
燃料費はキヨが支払ってほしい。処分される側が負担するのは理不尽です。
あまり人目に付かない場所を選ぶべきだよな。人体燃焼光景はナイトメア。
新聞には実名掲載を避け、少年Aって仮名にしてもらいたいところですが。
実名を知られた分だけ存在が切り刻まれて…この世に繋がれる楔となる…。
実例として挙げりゃ分かりますでしょ。
イエス・キリスト。釈迦。歴史的人物。
疾うの昔に姿を消した存在なのに居る。
永遠に居続ける者。心の支え。拠り所。
どうせ死ぬのでしたら、ダイナマイトの使用を希望します。
炸裂弾。水銀弾。油脂焼夷弾。悪夢だって焼き尽くされる。
人体が破裂して弾け飛ぶ瞬間の感覚を味わえる絶好の機会。
首が千切れ飛んだら、いつまで意識を保っていられるんだ?
意識を失うことは「死」ではない。全身麻酔されるのと同様だと思う。
肉体機能が完全に損なわれて、脳も機能しなくなれば「自分」を失う。
どんなに手を尽くしても自分を取り戻せなくなった状態。即ち「死」?
ハイ、妄想終了。こういった明らかに異常な以上のことは考えてませーん!
子が親より先に死んだら親不孝じゃないですか。
がっかり残念味な白い色でも親孝行したい一念で
十年の懲役を耐えてんですから、これも所定の作業。
我慢や苦闘を静寂な心で受け入れる。白い色が生きるため。
自分を活かすよう動いたら、生きる道も開けると信じてる。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
自室の出入口脇に置いたスタンドミラーに立って、マフラーを
ぐるぐる巻き付けてる男子がいるんですが、間違いなく似てる。
冬場の外出着、キヨの格好って似てる。ロボット刑事にィ。
黒いハンチングにグレーのピーコート、何より体つきが…。
帽子が黄色でジャケットが赤ければ、より完璧な姿に映ることでしょうね。
うっかり、この事実を発言しちゃうのも地雷。ハラワタ飛び出るレヴェル。
本来なら笑うべき状況じゃないのは心得ていますが、内心ニヤけてしまう。
現実逃避に似た心境かもしれませんね。うちのアッちゃんも同じだと思う。
目を向けたくない無惨な現実から気を逸らす。自分を保護するための機能。
葬式に出られない人。悲しければ狂おしいほどに笑えてくるぅ人と同じだ。
正月明けに再会したとき、アッちゃんが斎藤さんの半纏姿を見て
いつもみたいに右脇腹を押さえて大声で笑ってくれりゃ満足です。
こっちも真っ白い冬毛に着替えた貂を観察、脳内動画を撮影する。
学校二組。よく笑うようになった軍師、よく笑われている君主。
別世界に於いては、闇の衣を纏う魔道士と黙殺される木偶人形。
…?!…
自室の扉が三回叩かれた音がして扉のすぐ側に立っていた人物が
こっちを完全に無視する形で素早く扉を開けて招き入れやがった。
パーテーション。あったら助かったんでしょうが、この部屋には死角無し。
こっちがズボン穿き替えてる最中なの分かってて
扉を開けたんですよ。陰湿な性質の一組級長は…。
二人の自室内に姿を現したのは、もっちー。
「助かったか?」と訊かれたら首肯します。
瞬く間に、気まずそうな表情から何かを察したような表情へ変化を遂げ
現在「お気の毒さま」と、斎藤さんを哀れむ表情を見せてくれています。
殆どヤケっぱちな気分で黙って着替えの作業を続けるだけでしたけどね。
こっちに恥辱を与えることで、汚辱を雪いだ心模様になってる男子へ
ほんの一瞬、彼が厭きれた眼差しを向けた場面は見逃しませんでした。
「洗濯物の話だが、脱水完了したのが洗濯槽に残ってる。
キミたちのじゃないかと思ったんで、聞きに来たんだよ。
斎藤の着替え中に割り込んでしまって、本当すまないが
もう1台の方は三組の連中がまとめ洗いしてるらしくて
浸け込みっぱなしになってて使用不可能な状態だから…。
下で待ってる。なるべく早く片付けてもらえると有難い」
淡々とした早口で用件を申し述べて、そそくさと退室していきました。
「運が良かったな、むぐらもち君で。望月は他の誰かと馬鹿げた話で
盛り上がってくれるタイプじゃない。こっちとしては残念だったけど」
凍りついた微笑みを浮かべたまま、最も身近な敵将が毒を吐きました。
返す言葉はありません。もっちーが下で待ってるんです。眼鏡をかけ
適当なニット帽で頭髪を隠して、先に自室を出て行くことにしました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
洗濯室の少々重たい扉を開けると階段を下りる途中で想像したとおり
もっちーは丸椅子に腰かけて、足元に置いたポータブルプレーヤーで
好きな楽曲を響き渡らせておりました。イヤホン使え!な音量ですが
壁や天井が防音加工されてるからこその行為であると存じております。
「あー、斎藤か。さっきは訪ねるタイミングが悪くて失礼した」
「謝る必要ないですって。こっちこそ色々と失礼したと思うし。
さっさと片付けますから、ちょっとだけ待っててくださーい!」
室内に流れるのは明るく軽い外国の女性ヴォーカルの曲。もっちーの趣味。
洗濯室は乾燥室も兼ねてます。物干し場。脱水された洗濯物を手籠に入れ、
ハンガーに引っ掛けたり、洗濯バサミに挟んだりの作業を開始いたします。
斎藤さんが空にしたばかりの洗濯槽に、自分の洗濯物を放り込んで
「テキトー」としか表現不可能な分量の洗剤を注ぎ込んでいますよ。
多すぎる。もっちー、裏の説明書きを読まない人と窺える。大雑把。
そういえば、キヨが浴室の入浴剤がどうのこうの文句言ってたっけ。
一人で料理させたら、大変な騒動を起こしそうな気がしてきました。
あー、他にも思い出しました。二件ほど前科があるかもしれません。
娯楽室のテレビと冷蔵庫の故障。りゅーりょーが何か操作ツマミを
勝手に弄って壊したという経緯になってますけど、怪しい気がする。
今頃になって疑惑を生じさせても、テレビと冷蔵庫は直ってますし
文句ありません。でも、もっちーのアレレな断片が現状の目視から
垣間見えた気がいたしました。端から…斎藤さんの苗字と下の名を
完全に記憶するまで三年以上の星霜を経た御仁で御座いますから…。
何と申しますか、そのォ…。一本や二本じゃねぇだろってほど
抜けておられるのではないかと推察いたしてますよ。頭の螺子。
真面目なのかアレなのか見極めるのが難解な彼の氏名は望月漲。
「そういえば、これから二人で外出? 外、だいぶ寒そうだが」
もっちーがスタートボタンを押し、一段落ついたところで声をかけました。
いえ、これから外へ出て燃やされる…なんて申せません。愚痴りてぇけど。
「必要な物があったら代わりに買ってくるけど、何かないっすか?
こないだ風邪ひいたばっかりなんだし、大事にした方がいいと思う」
この人とは寄宿舎内でも気楽に話せる数少ない相手です。大事にしないと。
しばらく沈黙状態を続けていた人が何か思い出した表情に変わって
口を開こうとしたや否や部屋の扉が開き、キヨが中に侵入してきた。
片手の指五本で支えるよう持った盆には湯気を立てたカップが2杯。
鉄面皮。ある意味、校内一アレな性質持ちでもあるのが特掃隊長さん。
「よかったら、どうぞ。知ってると思うが、無糖だからな」
窓の向こうは雪景色な洗濯室に引き籠り中のもっちーに
紅茶と檸檬の香りがするカップを差し出しました。
それより、斎藤さんのカップがありません。
見事なほど底意地が悪い鬼軍曹さん。
二人の周囲に広がる白い湯気。
「ああ、どうも…。なんか、そのぅ…申し訳ない。手間かけさせて…」
発言の途中でこっちを一瞥しました。いちいち見なくてもいいのにィ。
残り数枚で作業完了です。そしたらクドイけど燃やされに外へ出ます。
キヨからの気持ちを受け取る愛想笑いは苦笑い。恐ろしく気まずい空間。
もっちーの脇に侍するキヨ。自分たちだけ紅茶を飲んで見せつける演出。
洗濯室は干した衣服で湿度が高くて不快。あまり長く居続けたくはない。
暖房がないので当然ですが寒いです。外気温はマイナス以下でしょうね。
こっちの気持ちも冷えてくるぅ。繰り返しますが、後で燃やされる予定。
「あのねー、さっき斎藤が言ってたのを頼もうかな。
村の大判焼き屋、ハムとチーズが入ったのなんだけど
2つほど土産に買ってきて貰えると…。美味かったから」
斎藤さんの方を見て依頼する、もっちー。紳士的笑顔の持ち主。
「ちょうど、そこにも寄る予定だけど。ハムとチーズ入りの大判焼き
初めて聞いた…というか、そんなメニューはなかった筈だ。記憶にない」
こっちの存在を無視するよう返答するキヨ。でも、こっちも全く同じ返答。
「んー、私の勘違いなのかもしれない。街にある店だったかな。えぇと…」
飲み物の湯気で白く曇った銀縁眼鏡を外しました。拭きたいのでしょうが
基本的に年がら年中、寄宿舎内で過ごす格好は半袖Tシャツにジャージの
組み合わせ。身形に気遣わないから、風邪を引いて当たり前だと思います。
普段からハンカチなど持ち歩く訳ありません。そういう主義なのでしょう。
我ながらクドイと思いますが、もっちーは頭の螺子が抜けておられる御仁。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
斎藤さんの胸に仕舞われていた過去の記憶。
過って苦しくて、軽く吐き出したくなった。
三年生秋の夕刻、空も山も夕闇に染まってた。
寄宿舎の屋上フェンスを掴んで慟哭する生徒。
声かけられなかったけど、黙って横に並んだ。
自分も一人だったら…同じことしてたから…。
洟まで垂らしてたんで、ティッシュを差し出した。
照れながら笑って拭いてた。空ポケットの望月漲。
「ありがとう。えぇと、斎藤和眞だっけ。
キミのことは忘れない。キミとは仲間だ」
人差し指をゆらくる回しながら見せた、夕闇色の中で光輝いた彼の笑顔。
斎藤さんが一人で泣きに来たこと忘れさせた、雨天後の晴れ渡った笑顔。
こっちも仲間に違いないと思ってる。いつも自分を演じて作ってる仲間。
本当の自分を隠そうと常日頃から必死に偽って取り繕って生きてる仲間。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
邪魔になって持て余した曇り眼鏡を仕方なく一時的に膝の上へ置いといて
両眼を瞬かせ、長いこと左右に泳がせていました。大きな眼、二次元的瞳。
髪の毛をもう少し何とかしたら、よくある少女漫画に登場してきそうな
主人公の少女の憧れの先輩みたいな存在になれると思う。そういう容姿。
勿体無い。毎朝ちゃんと髪に櫛通せよって思います。背格好も優れた人。
「いや、ある。行けば売ってる。こないだ買ってきて貰った新メニュー。
ハムとチーズの間にホワイトソースみたいなのが挟まってて美味かった。
ウインナーとミートソース入りの方は少し味が濃かったな。しつこい味」
もっちー、誰か親切な他の寄宿舎生に買ってきて貰ったのでしょうかね。
こっちを向いて話す瞳、確信を得たものに変化してるのが目視可能です。
「しつこい味って…あの漫画みたいな表現だな。
モガミ屋の若い方の店員さんに似てる気がする」
ちょっとした言葉がキヨの心を解すツボを突いた。表情が和らいでます。
「分かった。売ってたら買ってくる。それでは」
もっちーから空になったカップを受け取って、こっちに顔を向けてきた。
「カップを片付けてくる。おまえは部屋に戻って、あの最近しょっちゅう
羽織ってる半纏と適当なフェイスタオルを持ってこい。可及的速やかに!」
…………………………。
…………………………。
…………………………。
首周りにタオルを引っ掛けて半纏を羽織って、タオルの端でレンズを拭いた
銀縁眼鏡の望月漲氏が丸椅子に腰かけ、引き続き好きな楽曲を愉しみながら
洗濯機の運転終了まで待機する姿を確認してから、学校を後にいたしました。
吹雪の中、二人それぞれが傘を差して並んで歩く形。
開いた傘を持つ手に感じる雪は、さらっさらな粉雪。
乗ったかと思う間もなく傘から滑り落ち、再び舞う。
地上を白く覆い尽くそうとしても無理。世界は一色には染まり切れません。
砂や星の数より多いに決まってる色の数。受け止めきれねぇ。感知不可能。
「カズよりずっと似合ってる。おじいちゃんスタイル。
あのまま進呈してやれ。着た切り雀のむぐらもち君に」
校門を出た直後に発言した色違いのロボット刑事KIYO。美しくない表情。
この人が加虐的思考に染まっている状態、頬を上気させた顔だけは断固拒否。
「今日は真冬日の悪天候だし、手指を動かして変なことを言いそうで
気が気じゃなかったが、病み上がりの所為か普通だったから安心した。
またあの時みたく…。いや、おまえに話すことじゃなかった。忘れろ」
忘れろで忘れられるワケねぇって思うんですけど沈黙を貫きます。
斎藤さんも何度か言われたことありますから容易に予想可能です。
友達作りが下手な存在同士の二人組。
それがキヨとカズの実態と既知の上。
それでもキヨは自分には同い年の先生、北国の言葉を教えてくれた恩師。
「それより、どこで決行する? まずはオヤギんとこでガソリン購入?」
燃やす側が既に忘れちゃってる事項を思い出させるよう申し述べました。
こっちは燃やされる側だから誰が忘れるもんかよってぇ重要項目でーす。
一度や二度で済ますかよ。幾千兆でも繰り返し申し送る所存で御座います。
「おまえと会話する際には欠かせない言葉になってしまったと思う。
言わなくても分かるだろう。二文字。本当おまえは根に持ちすぎる」
そっくりそのまま反射したくなる発言。何かと言えば文句のモンクちゃん。
現在の不平不満全開って表情の方がまだマシ。やっと可愛げを覚える造作。
「しばらく会話は休止する。おまえは僕に追従して歩けばいい。以上」
そこからは無言。主導者に命じられたまま移動するだけの同行者。
商店や豆腐屋へ立ち寄って何か色々購入してたみたいですけど
外で待ってても、おから餅その他の材料なのは判りました。
上官直々の命令だろうが絶対に食わねぇ手作りオヤツ。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「これから幾つか質問をする。直感に従って答えてくれ」
現在、モガミ屋の店内。ぐらついたテーブルに肘ついて座ってます。
背もたれのない緑色の丸椅子も不安定。少し裂けて中綿が覗いてる。
普段はダイエット中かよってレヴェルで拒食傾向にあるキヨだけど
箍が外れると一気にドカ食いする。焼きそば特盛に餡子の大判焼き
4個を平らげ、ようやく腹の虫の居所が落ち着いたのでしょうかね。
空気な木偶人形との会話を再開しようという心境になったみたいです。
ほうじ茶を飲んで話しかけてきた下三白眼って目付きの見本となる人。
「僕は仇討ちと復讐を兼ねた連続殺人を決行するに至った。
凶器は、回転式弾倉の拳銃に小口径弾を六発装填したもの。
まず手始めの質問だが、どっちか片足で立っていてほしい」
どっちを選ぼうが膝を打ち抜かれて身動きできねぇ状態になるんだ。
他の連中を始末してきて、最後に嬲り殺しするって筋書きですもの。
立ってください。片足でっていう虐待寸劇。女の腐ったアレな発想。
「要は銃の引鉄を六回引きたい訳だよな。全弾こっちに撃ち込めば?」
相手を興醒めさせる目的で申し上げたに決まってまーす。
遠い昔に冷め切って凍りついた心です。何を今更って話。
「ちゃんと話が耳に入ってなかったようだな。『仇討ち』と言ったのに。
順を辿って話を聞けば、三年生の夏期休暇に起きた殺人事件の実行犯を
おまえに教えてやるつもりだったのに…。シラケさせる言葉を吐くな…。
僕が信頼し依頼した安楽椅子探偵に割り出してもらえた人物だってのに」
のにのに文句を繰り返すキヨは、そう言い放つと
空の茶碗を持ってカウンターの隅へ向かいました。
茶色く薄汚れた感のあるオレンジ色のポットには、お代わり自由の
ほうじ茶が入ってるんです。香ばしい。他と違う。キヨの感想。
店員さんに問い合わせて同じ品物を入手したことがあっても
寄宿舎で淹れてみたらイマイチ、モガミ屋の味とは違った。
病的なレヴェルで潔癖な男子を虜にした魔法のほうじ茶。
清潔さに欠けた内装の店でも不思議と寛げるようです。
並々と注ぎ足した茶碗を溢さないよう気をつけた足取りで
再びテーブルに戻ると演説を再開しました。こっちは拝聴。
「一年以上を要したが、今回の手紙で二人の遣り取りは一旦終了。
リュウザキネイ、僕が文通といった形を通して交友を続けてきた
竜崎順の三番目の姉さん。最初、彼女から送ってきた手紙は礼状。
おまえは知らなくていい話だけど、僕が八年生の夏期休暇のとき
彼女たちと出会ったのだ。僕が観光案内を務めて同行したから…」
ほうじ茶の泡に映る自分の顔でも眺めるかのように茶碗を覗くキヨ。
両頬を薄紅に上気させた表情は、加虐的思考突入時と全く違う印象。
キヨの胸中に映し出されてるのは、何処かの美しい背景と彼女の姿。
「幾度か文章のみでの遣り取りを続けるうち聡明な女性だと気づいた。
それで、僕は…僕ら寄宿舎生の知らない三年生の夏期休暇中に起きた
二組の二名の生徒が行方不明になって、六年生の夏期休暇中に遺体で
発見された殺人事件の実行犯を捜し出してほしくて、彼女に依頼した。
詳細に関しては…主に一組の通学生からの証言に拠るものとなるけど
彼等から十分に寄宿舎生の知らなかった村の内幕が引き出せたのだ…。
僕との答え合わせも完了した。彼女と僕は、同一人物を犯人と目した」
通学生たちの内情。見る必要ない舞台裏。長く目を反らし続けてきた奈落。
…犯人…
いるのかもしれない。いないのかもしれない。シュレーディンガーの猫。
斎藤さんが心を逸らしてきた大問題。
二組から欠けて落ちた二つの宝珠が
どうして欠けて落ちてしまったのか?
三年生夏期休暇某日、あの山にいた
二人を落とした『犯人』がいる事実。
「犯人を知りたい。二人の仇を討ちたいとは思わないのか?
おまえは学校二組の級長を務めてきて、大切な級友を失った。
僕なら必ず仇討ちする。犯人を見つけ出し、白日の下に晒す」
下三白眼の眼差しが胸に突き刺さる。叫びたくなる気持ちを喉が塞ぐ。
冷めて渋くなった茶を飲み込んで、口と喉を湿らせ、心を濁しました。
犯人を知りたいか?…知ったところで…何ができるというのですか?
二人の仇討ちをしたいか?…仇討ちして…二人が生き返るのですか?
斎藤さんの心の視界は舞台袖。奈落の底。
誰かが続けて台詞を言ってるようだけど
この場から逃げ出してる。聞きたくねえ!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
文通探偵の竜崎寧さんが指摘した犯人、某生徒の名前は耳に入りました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「僕としては完全犯罪が可能なら復讐すべきだと考える。
二人の未来が断ち切られた。生きていれば、いつの日か
子や孫が出来た筈。繋がっていく筈の鎖が断ち切られた。
だからこそ、殺人は決して許されない行為なのだと思う」
ここは葬儀場。お坊さんの長い読経がようやく終わったかと思う場面。
「どうしても許せないならキヨが公衆の面前で殺しちゃえば?
誰も捕まえに来ない。罪を償うための法だって何もないんだし」
右膝周辺が無性に熱い。石油ストーブが側にある。席の移動も煩わしい。
…必殺…
闇に潜む連中に依頼し、許されざる者たちに死を以て償わせるなんて
テレビ画面の向こう側だけにしてほしい痛快娯楽劇です。復讐の連環。
復讐名目での殺害は出来なくもない気がします。でもさぁ、やったら
苦しむ結果になるのは自分だけじゃないって重々承知です。無理無駄。
斎藤さんの実家は客商売してるんです。従業員さんも数名いるんです。
そう流行らない宿屋でも客足が途絶えたら、心が曇って悪天候を呼ぶ。
ダメ、そういった無関係の人たちの生活まで脅かす行為は出来ません。
一人が選択した行動に大勢の者の運命が翻弄される場合もあるのです。
「おまえは…。いや、実際のところは結局、僕だって殺せはしない。
復讐の後、殺人を犯した記憶に苛まされながら生きていくのは苦痛だ。
学校生活を超える修行の日々だ。罪の意識というものが欠落した者なら
兎も角、彼自身…苦しんでいるのが窺える。いつかきっと耐え切れずに…」
彼の姿を目にした者は気づくと思います。ちょっと普通じゃないですから。
『いつかきっと耐え切れずに…』
それに続く言葉、自分でも容易く想像ついちゃうってのが堪らなくイヤだ。
…!!…
引き戸の開閉する音と同時に来客を知らせるチャイムが店内に鳴り響きました。
店のカウンター内で小音量にしたラジオを聞いてた若い店員さんが
接客業の基本となる挨拶をお客さんにかけてあげました。
将来、斎藤さんも日常的に言わきゃならねぇ挨拶。歓迎。感謝。笑顔で…。
「あっれぇ、サイトーさん! ここで会うなんて奇遇だね!」
さっきまで差していた透明傘を窄めながらシンちゃんが通常運転の大声で
店内の一番奥にあるテーブルまで元気満タンって調子で近づいてきました。
青いダッフルコートに黒いゴム長靴って着こなしがよく似合ってますねぇ。
「焼きそば食べてたのかァ。オレは彰太君の家で出前の天津飯を食った。
かに玉の餡かけ、甘酸っぱくって美味いよ。ふわとろしてて、最高の味。
でも、ここの焼きそばも美味しいよなー。オレもマエダ先生と晩ご飯を
ここで済ませることあるよ。そんでオミヤゲに大判焼きを買って帰んの」
破竹の勢い。周りを自分のペースに巻き込んでいくのがシンちゃんです。
シンちゃんを受け付けない一組の級長さんは目を合わせないようにして
ほうじ茶のお代わりをするため、カウンターの隅へ。何杯飲む気だよ…。
斎藤さんの前に置かれた皿を見たシンちゃん。
大判焼きを半分に割って残してます。
帰る間際に完食するつもり。
「あー、忘れちゃいけない。ここには大判焼き買いに来たんだよ!
彰太君のお母さんに頼まれて来たんだ。六月に亡くなった彰太君の
大祖母さまの仏壇にもお供えしてあげんの。餡子とカスタードのが
大好物だったからな。オレは白あん派。サイトーさんは何が好き?」
「半殺しの黒あん一択。それは兎も角、お使いなら早く注文しないと」
ほうじ茶のポットがある位置から、こっちへ「排除しろ!」って命令を
眼力で射出してくる一組の級長。シンちゃんとの雑談は続行不能の模様。
相槌打つ側も胸と喉が詰まる。心境としては苦しい。一部の語句が痛い。
「その通りだァ。みんなを待たせちゃダメだ。じゃあ、また学校でっ!」
独特の効果音を付加させたくなる歩き方で、カウンター内で注文を待つ
モガミ屋の若い店員さんへ向かって突撃開始。親しげに交わされる会話。
シンちゃんが纏う空気、不思議なほど賑やか。一人なのに一人じゃない。
個人的見解、妄想ってヤツに過ぎないでしょうが
どんな時も一家勢揃いで歩いてるんだと思う。
シンちゃんが生きる限り…ずっと一緒…。
もっちーが食べたがってた新商品のハムとチーズが入った大判焼きを
和気藹々となった空間からお薦めされ、追加購入を決めたシンちゃん。
…談笑…
誰とでも打ち解け合える、雑談を交わせる特殊技能。喉の奥から求む。
次の冬期休暇、実家への帰郷。家族がいる斎藤さんは、幸せ者なのに
自分以外の家族を失ったシンちゃんの方が極上の幸せ者に映っている。
もっちーの笑顔。シンちゃんの笑顔。鋏狐の笑顔。模範的笑顔の見本。
見習って真似したい。思ってみても鏡を眺めて練習ってのも相当な苦行。
安心感を与える温かな眼差し、切って縫って形を整えても無理だと思う。
家に帰ったら、聞きたくねぇ言葉が
必ず耳に入ってくるんだろうな。
どれだけ祈っても無意味だ。
笑う。微笑む。元気な声出して愉快に燥ぐ。
ヘタクソな演技に見えるってさ。大根役者。
どんなキャラ設定すりゃ斎藤和眞を問題なく受け入れてくれるんだ?
夏なら、まだ外に出てヤらかして、憂さ晴らしが出来るってのにィ。
年末年始は親戚なんかが訪ねて来やがるから相手しなきゃなんねぇ。
遠い北国の寄宿学校で勉強している自慢の一人息子っていう設定を
演じなきゃなんねぇ。ご優秀な一人息子は級長さん。帰りたくねえ!
シンちゃんとマエダ先生の師弟コンビ、羨ましいです。
実の親子より、強く結びついてるように見えますから。
放課後や休日の村内を徒歩で往診する姿を目にすることがあるんですけど
遠くの窓からでも伝わってきますよ。二人を囲む空気の温かさ、清らかさ。
隣の芝生っていうヤツでしょうが、羨望してやまない最高の間柄だな。
斎藤さんの実家は自宅であって身内なのに…薄くて擦り抜けそうな…。
両親だなんて寄り掛かれない間柄。甘えるなんて絶対無理だ。厳しい。
味方と呼べる存在は大女将、小まめに絵手紙を送ってくれる祖母だけ。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
予め注文して作り置いてもらっていた大判焼きの包みを
若い店員さんから受け取って、モガミ屋を後にしました。
姑となる小母ちゃんが作った方が皮の厚みと焼き加減が絶妙だってのに
最近はお嫁さん一人に任せ、店に出ない場合が多くなってきたようです。
新たに加えられたメニューも若い店員さんの提案に拠るものでしょうね。
忘れちゃいけない焼きそばと大判焼きの支払いは斎藤さんの財布から。
天候は変わらず、白い粉雪が舞い踊ってます。真っ白い暗黒舞踏会場。
二人して再び黒い傘を開きました。お揃いではなく、単なる偶然です。
こっちの傘には白い縁取り付き。開いた傘は吹雪の直撃を避けるため。
ハム&チーズ入りの大判焼き、もっちーがまた食べたいと思っただけある
美味しそうな匂いがレジ袋越しにも伝わってきます。自分が食べるよりも
もっちーが受け取るときの笑顔を楽しみに、学校へ戻るといたしましょう。
帰路は一列となっての雪中行軍。風除けの盾となるのは斎藤さんの任務。
乱れ雪月花。大剣で煌く雪を飛ばして斬撃!を美しく決められる肌寒さ。
何歩か足を進めたと思ったら、背後から僅かに焦燥感が伝わるキヨの声。
「もう一か所、帰る前に寄るべき家があった。たぶん、すぐ済む用件」
振り返ると、我が主キヨが右眼を押さえながら恥ずかしげに微笑んで
右肩のトートバッグを軽く上げ、何か意思表示してる様子ですけど…?
サックラバーから「モンクちゃんバッグ」と呼ばれてるカーキ色の
やや大きめサイズの帆布鞄は、キヨが外出する際に欠かせない代物。
四次元と繋がってりゃいいのにねって感じで色々仕込まれてますよ。
簡易な清掃用具、軍手、ゴム手袋、スリッパ等。潔癖症の証明道具。
本当もうちょっとした外出も、モンクちゃんバッグなしでは
不可能なんじゃないかしらって思うの。こっちはポケットが
幾つか都合のいい位置に付いててくれりゃ充分ですけどねぇ。
…反転…
現在は空気な同行者を務める木偶人形、主導者の指示進行に従うだけ。
黙って鬼軍曹の背後に位置しながら行軍します。視線は自然と道路脇。
周囲に雪とは違う白い微粒子を撒き散らす共同浴場の脇を通り過ぎました。
引き湯管から勢いよく流れ出てる源泉は、受け止める盥から溢れています。
りゅーりょー、ちゃんとシャンプーの泡を残さずに濯げてるかなぁ?
りゅーりょーの世話係もっちーは、鬼の居ぬ間にリアルで洗濯中だし
全く以て知りたくもねぇ犯人の名を耳に注ぎ込まれる破目に陥るなら
無理やりにでもミカミソーたちに割り込んでたら…今頃は身も心も…。
「どうした? 女子の入浴シーンでも思い浮べてるのか?」
視線を左側の共同浴場へ向けてた斎藤さんの胸を突き刺すような言葉を
先行して歩を進めるキヨが肩越しに嘲りの眼差しを向けて発言しました。
また加虐思考に染まった表情へ切り替わっておいでの様子で御座います。
「僕だけじゃない。もう何人かに気づかれてるに違いない筈だ。
食堂とかで同席するとチラチラ見てるよな。さすがにアレは…」
沈黙するしかない条項。真実を告げるのはハラワタ引き摺り出すのと同等。
「谷地敦彦を気にして遠慮する必要はない。きっと彼は既に除外対象。
カズ、いや、僕だって、彼女の一番近くにいられる者になれる筈だ。
随分と巫山戯た…失礼な物言いになってしまうのかもしれないが
彼女は男子を容姿で選ばない。戸惑いを覚える表情の持ち主に
惹き付けられるタイプの女子だと思う。だから、勝算がある」
歩きながら必要ない情報を話すロボット刑事KIYOの御高説を承る。
あくまでも雑談しながら歩く学校生徒二人。そう捉えてくれたら上々。
「彼女の想い人、好意を持つ者を指差せる。そっちも掌握済み。
おそらく彼女は一年生の頃からずっと彼の表情に疑問を懐いて
関心を持ち続けてたのではないかと推察することが可能なのだ。
いつしか疑念が恋心みたいな感情に変化を遂げるのも仕方ない。
彼女の想い人君の表情は、見る者に戸惑いと謎を与えてしまう。
謎が解きたい。違った表情が見たいと望んでしまうに違いない。
彼女の想い人はカズと僕も含まれているのでは…と考えられる。
だから勝算有りと結論に至る。カズが彼女の求める存在になれ。
おまえは彼女の望みを叶えられると思える。そんな予感がする」
粉雪舞う中に打ち上げられた言葉の花火。
喋り続ける男子、黙って追従する同行者。
心の視界は、あの日、あの時間、あの…。
絶対に叶えることは不可能な彼女の望み。
気になる。見てしまうのは当然だと思う。
誰でもない人になることが出来るのなら
此処じゃない何処かへ逃げ込めるのなら
彼女の願いを叶える存在になってみたい。
…不可…
十二分に分かってるからこそ、我が望み。
「容姿が良いのに性格はアレだが恋敵は幾らでもいる。
だとしても、戦線に立つ気概があってもいいと思う。
意外でも何でもなく、勝利者になる可能性は高い。
僕に告げても問題ない。決して悪い方向へ進まない。
胸に溜め込んだ心情を吐き出せ。好意あるんだろう?」
好意?…あります。
恋愛感情?…なし。
少年探偵モンクちゃんの推理は、些かズレ気味なのが玉に瑕で御座います。
格差有りの親友関係の高低差を更に広げることになるのは百も承知ですが
新たな弱味を一つ握らせて、優越感を持たせてやるのも悪くないでしょう。
卒業までの苦闘が一つ増えるだけのことです。何を今更って話ですからね。
心が完全に凍りついたのは、何年生の冬だろう? 思い出すのも煩わしい。
「気になって仕方ない人だよ。それは本当」
親友の横に並んで視線を合わせ、そのまま胸に籠ってる真実を告げました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
キヨの目的地は、一組通学生の飛島賢介君宅でした。
昨日の朝、長く共に暮らしてきた愛犬の命が尽きたそうです。
錆びついた黒い門戸を押し開け、脇にあった木造の犬小屋は空室状態。
表札として掲げられた名前は「ラファ」
エルと続ければ大天使へ変化を遂げる。
飛島家の癒しを担当した存在だった筈。
透かし硝子入り玄関戸の向こうに数人の影がある。そう確認できました。
キヨは欄間付の四枚建引違い戸の中央右を昼の挨拶声と共に開きました。
同行者も四葉柄の玄関マットを踏んで、小さな声で挨拶して入りました。
沈黙での出迎え。喪主の飛島君、ハシム、オヤギ、同年代の女子が二名。
玄関内にいた五名の男女は、首が少し重たそうな会釈で迎え入れました。
静寂は当然だと窺えました。白く明るい自然の太陽光が差す玄関は斎場。
玄関内には普段置かないであろう茶色い反射式の石油ストーブがあって
五名とも揃って軽装。上着などの防寒着は奥の壁際に掛けられています。
わざわざ街まで出かけて、買い求めた品物なのでしょうか。
犬用の棺に納められた痩せ衰えた白い老犬。眼を閉じた横顔。
人間と同じ桐製の棺には、両開きの小窓まで誂えてありました。
枕飾り、樒一枝、一本の蝋燭、短めの線香。愛犬用の餌皿にドッグフードが
てんこ盛りで置かれてます。横に水の入った小さな杯も置かれていましたが
その量が尋常じゃありません。小さな卓の隙間を埋め尽くすだけの数の水杯。
「最期は水も飲めなかったから…」
泣き腫らし、一睡もしてないと即座に見抜ける飛島君の表情。伏せた両眼。
キヨは枕飾りの下に置かれた水鉢と小杯を手に取って、ごく自然な仕草で
水を注いで白磁の小杯を枕飾りの隙間に置き、両手を合わせて祈りました。
両膝は玄関の三和土についたまま。自分も猿真似をして遣り過ごしました。
モンクちゃんバッグから宿題の課題や連絡事項などといった印刷物を出し、
僅かばかり事務的な、申し訳なさそうな表情をして飛島君に手渡しました。
犬用棺の開かれた小窓から窺い知れる白い犬、ラファの美しく誇れる犬生。
学校二組の生徒なら躊躇なく二組ジェントルメンズ入りの逸材となった犬。
枕花。棺の白百合、霞草、蘭、橙色のガーベラ、桔梗。淡く優しい色彩。
余談なのは承知の上ですけど、二人の女子はハシムとオヤギの…以下略。
左手首に同じ石のブレスレットしてます。わざわざ推理せずとも明らか。
しかしながら、ご容姿は両方とも完璧に女装した飛島君には敵いません。
不謹慎ですよね。幾ら最強レヴェルの女装男子でも現在は悲嘆の淵の底。
長く留まる。そんな行為に苦痛を覚える広々とした玄関内。
同じ一組の緊急検証部長もっちーが参列しないのは何故でしょう?
犬の遺体が安置されている。ただそれだけの非日常。喉と胸を塞いでくる。
紫色の花模様が施された棺の上蓋。故人と同じ桐素材の上等な棺。愛犬棺。
「通夜振る舞いと言うほどの物じゃないだろうけど、よければ皆で食べて。
まだ温かい。冷めないうちに食べてやってほしい。思い出話でもしながら」
斎藤さんが手にしてた大判焼き入りのレジ袋を強奪する勢いで取り上げて
愛犬の喪主君に受け取らせた学校の一組級長、花田聖史特掃隊長兼鬼軍曹。
もっちーへの御土産は買い直しでしょうね。こっちの気分も転換したいし
全く以て失礼でしょうが、寄宿舎直帰を避けてケガレを落としたいところ。
自分は生まれて初めての葬祭の参列みたいな経験だから、内心は複雑恐怖。
「そのブーツ、すごいな。トゲトゲしてる。ちょっと触らせて」
そう言って、斎藤さんが履いてる黒いブーツに付いてる尖ったスタッズを
つんつん左人差し指で突いた女子の左手首には麻紐で組んだブレスレット。
淡いコーラルオレンジの石が使われていました。ハシムとは麻紐の色違い。
「その逆五芒星付不幸を呼ぶ悪魔の靴なんか触りゃ碌なことねーよ!
こいつ、サイアク。こないだ、うちの小屋の玄関口に蹴り入れたバカ。
割った硝子代、弁償すりゃ済む問題じゃねえ。心の底から反省しろよ。
何より雪国仕様じゃない時点でアウト。こいつが余所者って証拠だな」
お小遣いが乏しくて購入を諦めるしかねぇハシム君の遠吠えでーす。
街の靴店で購入したんですよ。雪国仕様とか関係ねぇと思いますし
まだ二回しか外で転倒してません。コケる手前でしたら日常茶飯事。
余所者。その発言が尖ったスタッズみたいに、胸の何処かを突いた。
硝子割り。ある日、斎藤さんの虫の居所が悪くてヤっちゃった事実。
悪魔の靴。本物なら、いつか転倒して脳漿ぶちまけて死ぬのを希望。
「まだ外は吹雪いてて、埋葬するにはヘタすりゃ数日かかるかも。
ヒナちゃんとモル君が一緒に山の雪を均してくれてる手筈だけど
明日の朝にでも、ちょっと様子を見に行ってこようかと考えてる。
必要なら親に頼んで、うちの重機を使わせてもらうことにするよ」
淡い青緑色した石を手首に巻き付けてるオヤギが
誰に向けてという訳でもない調子で発言しました。
一組の連携、一頭の飼い犬の死で陰日向となり動く同級生という仲間たち。
二組は二名の級友を失った。それなのに一人も大きな行動を起こしません。
犯人の名前を知っても、ここから近い距離に建つ彼の自宅へ殴り込めねえ。
暴力で片が付くなら余裕です。犯人を表に出し、数人相手でもヤってやる。
でもさぁ、死ねば終わり。色々なモノに何らかの影響があるだろうし
名前も知ってる連中の何処かの隅辺りに刻まれるのかもしれないけど。
もう帰ってこない級友のために傾ける情熱
荒涼とした二組のジェントルメンズには…。
悠ちゃん。もしかしたらですが、彼も真相に至ってる気がいたします。
それでも仇討ちしない…できない理由があるのでしょうか?
時間を作って、お互い語り合うべきでしょうか?
敵視。冷戦。そんな背景が窺えた低学年の頃も憶えております。
てっちゃん、しいちゃん、元気満杯な二人に従属してるようで
舞台の脚本を綴っていた。二人を上手く操縦していたと思える。
悠ちゃんは現状に於いても犯人君との交流は、一切ない筈です。
「そろそろ御暇しよう。じゃあ、落ち着いたら、また学校で…」
一組級長にブーツの左脇をさり気なく蹴られて
飛島家の表玄関という斎場から立ち去りました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「僕ら二人が留守にしてる間に来ていたようだな。いつものアレ入ってる」
本当に何もない。声に何一つ感情が籠ってないと感じるキヨの発言でした。
帰り道で寄ったモガミ屋にて再び同じだけ買ってきた大判焼き入りの袋を
手に学校の昇降口まで辿り着いた場面です。出がけには黙ってましたから
そのときキヨの内履きに何も入ってなかったのは疑いの余地無しですけど
本日土曜で授業もねぇってのに、ゴミ詰め犯人のヤツが現れやがりました。
表は吹雪いてるんですよ。情熱的行動力には正直申し上げて感嘆の域です。
好き嫌い何でも構わないけど、何年も同じ心情を持ち続けるって凄まじい。
…インビジブル…
そいつが犯人だと予想してますが、声に出す勇気がない。説明が面倒すぎ。
大体、犯行動機が不明。何故、花田聖史が執拗に嫌がらせされるのですか?
七年生五月中旬、放課後の一組教室でアレを観た五名は何の被害も…いえ、
八年生の夏期休暇明けに奇妙な出来事が起こっていました。真相は靄の中。
実家の旅館で使用する…腹立ち紛れに持ち出したマスターキーを盗られて
拾い主のサックラバーに拠ると寄宿舎の廊下に捨てられていたそうですが
いつ?…どうやって?…数々の疑念が湧くばかりで有耶無耶となりました。
インビジブルの悪戯でしょうか? それとも寄宿舎生に手癖の悪いヤツが
いたというのでしょうか? 親友にも相談する気になれない不可解な事案。
日常作業。キヨはバッグ内の必需品であるゴム手袋を装着してから
白く丸まった紙屑を掴んで、昇降口隅の屑入れに投下するだけです。
キヨの真実。埃アレルギーらしい。直接触れると肌が荒れると気づいた。
きっちり丁寧な清掃が周囲には度を越した行動と映ってしまうのかもね。
強風の日だと外出拒否。どうしても必要な場合は伊達眼鏡とマスク着用。
外を舞う埃にヤられると目や喉に炎症を起こしてしまう体質なのですよ。
本家本元の潔癖症なら、斎藤さんと一緒に行動しないに決まってまーす。
第一、飛島君宅の玄関内の三和土にだって自然と膝が付ける。普通の人。
問題は自肌が少々過敏ってだけですね。幾らかは気持ちを察せるつもり。
キヨの運動靴は、数年前から靴の形をした屑入れとなっているのでした。
本物は違う場所に保管しております。保管場所を知ってるのが親友の証。
…?!…
自室へ戻ったと思ったら入室を拒絶され、着替える合間も与えられず
斎藤さんは大判焼き入りレジ袋を持って立ち尽くす事態に陥りました。
おそらく黒ヤギのキヨが一刻も早く手紙を書きたいからだと思います。
「今回の手紙で二人の遣り取りは一旦終了」なんて、大嘘に違いねえ!
黒ヤギさん、馬鹿すぎた。大切な手紙の束を灰にしちゃうんだもんな。
こっちには隠すなと喋らせておきながら
そっちは完全秘密行動主義を崩す気なし。
基本的にバッドとエヌジーが多すぎる人。
お互い一切秘密なしの関係なんて、永遠に無理。夢と幻想の世界…?!
…思い出した…
夢ってヤツは腹立つ。自分の意思が薄くなり意味もなく流されていく。
自分は通常の感性の持ち主じゃないって不安を覚える。夢は話せない。
脳内情況なんて超絶機密事項。欠けてる。壊れてる。デフラグ必要だ。
今朝の夢も歪んでた。五階くらいの建物だと思うけど、ひたすら階段
上り続けて最上階まで辿り着いたのは兎も角、歩く度に廊下が揺れる。
軽度の地震みたいな不安定さ。高い建物だから当然だって歩いてたな。
目が覚めて冷静に思い返すとツッコミどころだらけ。自己嫌悪に陥る。
回転式弾倉の銃に小口径弾を六発装填完了したものを用意すべきかも。
六発目で自分を殺すなら、他の命を奪う行為も罪悪感が希薄となる筈。
ヤれるよな? ハシムんとこの硝子戸を蹴り割っちゃった暴漢ですし。
なんて無理。犯行不能。単なる妄想で終了。
黒ヤギさん、配送局の業務終了時間までに
お手紙を書き上げられりゃいいですけどね。
それで気持ちも落ち着くだろうと思うし…。
そうだ、時間が勿体無ーい。大判焼きが冷めて固くなる。
もっちーの自室まで急がなきゃ。彼の笑顔が本日の恩賞。
しかし、何故もっちーは飛島君宅を訪ねないのでしょう? 部長さんなのに。
いや、漢が細けぇこと気にすんな。もっちーは、ある種の本物。たぶんプロ。
商店にも出かけねぇし、校門から一歩も足を踏み出す気なしの引き籠り男子。
飛島君宅の白い愛犬ラファ、安心して眠れ!
永遠に目を覚まさなくていい至福を味わえ!
斎藤さんはラファの永眠した横顔を思い出して、今夜は眠れねぇ予感がする。