Complete Failure
◆Complete Failure. 谷地敦彦
陽の当たる大通りのベンチに腰掛け、独り想う。
凄く心地好い風が吹き抜けていく夏の蒼天の下。
なのに、たった独りきり。そう言いたい気分なんだ。
よく観察すれば、それなりに賑わってはいると思う。
現在の僕の心境が強い孤独を感じてるだけなんだよ。
きっと、明日の通院日から逃避したいだけなのかもな。
逃げたいのに、実行する気力も体力もない。無惨な者。
心配かけてる?…単独行動が親不孝って…本当に困る。
都会といわれるべき土地柄でも、この大通りは割と閑散としていて
道路を行き交う車の台数もそんなにない。信号なんて、意味もなく
時間毎に色を変えているだけとしか思えず、虚しくさえ思えてくる。
散歩で暇をつぶす者、駆けて行く者、犬を連れた者なら数人は見た。
地元に帰る。約一か月の時間を消化させるのが苦痛にまで感じるくらい
もう、この土地には愛着など湧かない。あの辺鄙としか言いようのない
冬には大量に降雪する、何故あんな場所に寄宿舎付学校を建設したのか
責任者を問い詰めたいレベルの面白みに欠けた…長所を探せば、山や川、
自然に恵まれ、四季の変遷を眼で楽しめる程度の…しがない小さな村…。
それなのに…。今の僕の意識は、今この場所には存在せず、透明人間状態。
心だけ、亡霊か何かのように、きっと、あの部屋、専用空間にも…いる…。
すぐにでも寄宿舎に戻りたい。過ちを悔いてる。消したい。時が戻せたら。
そんな行為をやらかした自分を心底から恥じて罰したい精神状態。無惨だ。
今更もう取り返しつかないだろうが…大失敗を仕出かした…。
そんな大失敗、物心つく前、既に済ませていた筈だったのに
ほら、僕自身の視野で確認できる。僕は欠損している人間だ。
生まれてから数年経て、自らの手で落とし前つけたのと同様。
学校の昼休みにやってる「熱血テニス部」へ加入するとしたら
現在の自分は、竜崎順から何という王子名が与えられるだろう?
やらかしさえしなければ、耳にしなくて済んだアレの名前。
○×ゲームの必勝法、きっと誰でも知ってることだと思う。
わざわざ説明するまでもない。失笑される。逆に恥を掻く。
単純明快だ。後手になれたら間違いなく勝てる。それだけ。
後手で負けるヤツって故意だと決まってるよな。ゼッタイ。
ミサがそんな間抜けな、いや、無邪気さを持っていたんだ。
故意に負けてみせるミサに心撃たれた。こっちは恋をした。
しかし、カウントダウンが近づいてる。そんな気もしてる。
ミサは…北の外れの寄宿舎付学校で…初めて出来た僕の友達だった。
二人とも自分が振り分けられたクラスの中に、なかなか馴染めずにいて
寄宿舎での生活にも居場所が見つけられず、困惑するばかりの学校生活。
入学した当時は通学生の言葉が聞き取れずに苦労したっけ。現在は既に
抑揚も訛りも耳に馴染んではいる。喋ってみろと言われたら難しいけど
苦境の中、思い切って副級長に立候補した。早い者勝ちみたいな勢いで。
僕は地元生まれの通学生じゃない。だからこそのトクベツ枠でもある筈。
級長だって実家が学校から一番遠い南西の離島の出身者だ。根性あるよ。
彼の訛りからして、中央とは少々異なる地方なんだから苦労はしてたな。
一緒に支え合うよう立ち上がった。地元の生徒だけの学校じゃないって!
適役は他にいた。しかし、そいつらを蹴落とす心算で立ち上がったんだ。
そしたら意外と楽々難なく承認されたよ。それだけは奇跡だと信じてる。
ただ、通学生の二人が誰かに蹴落とされたように二度と会えなくなった。
三年の夏休み中、二人は行方不明に。六年の夏休み中、二人の遺体発見。
寄宿舎生の殆どが長期休暇中、実家へ帰省する。通学生の事情なんて知るか!
親しくはない。どちらかといえば、級長と同じ敵側。
でも…あの二人がいたから…二組は二組でいられた。
パズルのピースが欠けた。二組はComplete Failure.
探偵役なんか御免蒙るが、犯人の目星はつけている。
でも、彼に罪を問い、罰を与えても、失った生命は
何をどうやってみたところで蘇りはしない。今更だ。
二人を殺した犯人は二組の生徒じゃない。それだけ。
どうしたって、生きてる者は、この今を自分のため、生きるだけだよ。
冷酷と思われようが、僕も死を受け入れる覚悟は…既に完了…してる。
自分の場合、真っ先に親しくなるべきである筈の寄宿舎のルームメイトが
まともに会話の成立しない男だった。無視と拒絶。八年生となった現在も
進行形で語らねばならない問題になる。クラス全員が迷惑をかけられてる。
正直もう関わりたいと感じなくなった。単なる空気と同化した者だと思う。
二組の連中は変わり者が多い。一番でかいヤツに突然おかしな発言されて
そのとき関わる気を失くした後、普通に優しくて親切な懐のでかいヤツと
気づいたから…それなりの距離を保った一人の級友として…接してはいる。
赤毛の雀斑面も見てて妙というべきなのか、ちょっと笑えてならないんで
視線が向けられない。根はいいヤツと心得ても不具合や攻略難易度が高い。
何なのアレ?と言いたくはないけど、そう言いたくなる行動するから無理。
級長になったヤツは言葉遣いの面倒さも不要だったんで悪くない印象だが
早くも寄宿舎同室の一組級長と…打ち解けて仲良くなってしまっていた…。
昼休みや放課後も花田と廊下で語り合ったり、外での遊びに興じたりして
入り込む隙間が見つけられなかったから親しくなるまで時間を必要とした。
当時の僕は完全にホームシックだった。下を向いて、どこに視線をやれば
いいのかさえ分からないでいた。今になれば、自分だけの問題じゃなくて
殆どの仲間が日々奮闘努力を重ねて、自分の居場所づくりに必死だったと
気づけるんだけど、家族と切り離された寄宿舎生なんだ。分かってほしい。
自室で無言。二人っきりの地獄。云わばそう喩えるしかない状態だったし
ノートに落書きばかりして過ごしてた。授業が終わってからの憂鬱な退屈。
テニスのラケットやボールなんかを体育館倉庫から持ち出して遊ぶ連中…。
僕も一緒に遊びたかったのに、担任や寮母と校医に禁止令を言い渡されて
窓の向こうから、おとなしく見ているしかなかった。物凄く悔しかったよ。
学校の寄宿舎の娯楽室なんだが、入って右側の壁には誰でも好きなように
ペンで書き込めるホワイトボード式の毎月の予定表が設置されていたんだ。
当然の如く一組の竜崎や三組の二匹の夏目が描いた下らない落書き発表の
場所になってしまっていた。絵描き歌をなぞったようなものと言えば早い。
気まぐれなのかもしれないが、ある日曜の午後、思い切って行動開始した。
○×ゲームの線を引いて、適当な位置に○を描いた。対戦者募集のつもり。
囲碁だの将棋、リバーシなどあるのにやらないなんて、勿体無いと思った。
誰でもいいから相手になってほしい。そんな気持ち。少し経って覗いたら
一人がボードの前に立ってた自分と同じくらいの背丈だった三組の生徒が
ちょうど×を書き加えていたところだったから飛び付きたい気持ちだった。
それほど孤独を感じてた。浅井と夏目の三人組が仕切った感じの寄宿舎に
初めての革命が起こった瞬間かもしれない。僕は勝手にそう思い込んでる。
それから、僕は…ミサ…。彼女の一番近くに寄り添える立場となったんだ。
彼女のルームメイトさえ潜り込めない場所にも立ち入れる。それ程までの
大きな信頼を勝ち取ったんだ。当然努力も重ねた。時間もかかったと思う。
彼女が二言目には口にする「コロス」「接近禁止令」何度も喰らってきた。
我ながら本当にしつこいくらい心だけは、縋りついて擦り寄って離れない。
そんな気持ち抱えたままで八年間も共に過ごしてきたんだよ。恋をしてた。
照れるけど…好きなのは…もう事実なんだから打ち消す心算はありません。
寄宿舎生全員が認める距離だと信じてた。近寄るなって無言で威圧してた。
一年の頃は殆ど同じ、僕より僅かに低かったくらいの身長が気づいたら
十センチ近く離されていた。でも、それ程度の差で引き下がる気はない。
ミサは隠したり小細工可能な外見で他人を評価しない。心を見てくれる。
誰よりミサの近くにいた人間だから、ミサも僕の気持ちに気づいてると
少しばかり調子に乗りすぎてしまった。近すぎて、見えてなかったんだ。
勝者の余裕と言えば聞こえがいいだろうが、単なる馬鹿だったって現実。
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夏休み前、彼女の自室。ミサの専用空間にいた。
べつになんてことない。ミサは隣りで文庫本を広げて読んでいた。
僕は携帯端末でゲームをしていた。少し間を開け、横に並んで…。
二人それぞれがお互い自由に集中する時間を愉しんでいたように思える。
会話を楽しむより近くにいるだけ。お互い心は好き勝手、付かず離れず。
それぞれが構築した浮ついた世界で…集中…。居心地の好い場所だった。
そこからの展開が恥ずかしくなるんだが僕のやってたゲームの内容が
アクションゲームだけど、操作する女子が水着になったりするもので
それで、その操作するキャラの胸を見てたら、ふと疑問を感じたんだ。
胸部がおかしい。硬いというべきか。胸の中身は主に脂肪が入ってる。
直接そこに手で触れたら、当然のように指先の跡が付くと考えたんだ。
上下左右に胸が揺れまくっても、脂肪の入った感じがしない。奇妙だ?
このゲームを制作した人間は、人体に対する知識が不足してるのでは?
で、ゲーム画面を見たまま固まっちまった。頭の上に疑問符を載せて。
動きを止めた僕が気になったのかミサがゲーム画面を覗き込んできた。
そこはまだいい。僕がそういったゲームをやるのは向こうも知ってる案件。
学校の一組と二組の男子は訳あって、そんな抗体が強固に出来上がってる。
おそらく純情赤面野郎は三組に集中してると予想してる。どうでもいいが。
兎に角、僕はそのまま正直にゲームの女子の胸に対する疑問を打ち明けた。
ミサはそういった話の分かる人だから「そういえば、確かにヘンかも」と
僕の意見に同意してくれた。ミサのそういうところに好感を持てるんだよ。
よくいる普通の女子みたく強い嫌悪や拒絶の態度で返さないってのが上等。
本物の良い性格の持ち主だと感心して
ますます好意が強くなった。それだけ。
可愛いと思った。おかしなことをしようとか考えたりはしなかった。
いくら何でも理性はあるよ。間仕切りの向こうには浅井だっている。
表面的にはイッチにヤッチと呼び合う仲でもあるが、ヤツこそ敵だ。
ゲームの対戦相手。イッチが「白」「王将」向こうが全く以て上手。
村の学校寄宿舎には僕くらいしかボードゲームの相手がいないけど
基本的に口から不愉快な言葉ばかり吐き出す、気の毒な三組級長と
しばらくの時間、向かい合えるから陰じゃ僕は勇者に近い扱いだが
こっちがアレになりゃ局地的直下地震を起こして「Losing Game...」
囲碁は無理。信義則。自殺禁止。コウ。死活判定。喉がムズつく。
あいつ、村の隣り街に実家があるってのが気に食わない。靄つく。
薄く不明瞭だった影が濃く明瞭になり出してきた印象。先手を…。
それで、つい魔が差しちまった。馬鹿だった。凄まじく桁違いで。
ミサの左頬に抜けた睫毛が付いてたのを見つけたのが悪運のはじまりだ。
吹き出物一つない綺麗な白肌に黒い毛が目立つから取ってやりたかった。
僕が普通に声をかけてミサ本人に取らせてやれば、それで済む話だった。
だけど、深く考慮せずにやってしまった。浅薄だった。
「目の近くにゴミ、ちょっと眼を閉じて」
僕が最悪の進路を辿るカウントダウンが刻まれた瞬間。
ミサは僕に言われたまま眼を閉じた。それだけだった。
物凄く可愛いと思ってしまった。本当に馬鹿すぎたよ。
選択肢の分岐、最悪の展開を選んだ。Complete Failure.
ゲームじゃない。リセット不可。この世界に魔法はない。
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…………………………。
あのミサの表情は強く心に焼き付いて写真同様になった。
いつでも思い返せる。何があっても忘れない。消去不能。
それなのに、結局は逃げるよう室内から出てしまった。
追い駆けられたり、罵られることなど、何もなかった。
浅井だって何も気づいてない筈だ。
鈴を鳴らして仕切りの暖簾をくぐったとき
ヤツは自分の机に向かって頭を掻いて作業中だった。
浅井は三組の壱君センセであることに誇りを持つ男だから。
それでも僕は自分を恥じている。先手を打ち過ぎた。
落ち着いて…向こうの動きを待つべきだった…。
後攻でなきゃ勝てないゲームだった筈だよ。
上手くいきすぎて…。思わず動揺した。
だから、今、深く嘆いてるんだ。
成功の恐怖ってヤツを…。
時を戻せるなら、今すぐにでも戻したい!
完璧に僕のカノジョと思い込んでた
ミサからの思いも寄らない斬り返し。
痛いってもんじゃなかった。斬首だ。
過ち。悔い。不安。
三つ巴の困惑狂乱。
一つも至福感は無し。
何も満たされてない。
欲張りすぎた天罰だ。
余裕で楽勝も怖いもんだと身に沁みついた。強烈に焼き付いた心の印画紙。
髪を掻き毟って引き抜きたくなる。いや、母方の祖父の轍は踏みたくない!
僕は現状に於いて、どうやって勝利を収めるか必死に考え中。それだけ。
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済んだ後、打ち明けられてしまった。生まれたと同時に死んだようなもの。
ミサが同じクラスに好意を寄せている通学生。僕だけが共有している名前。
聞かされてしまった。普通、言うかよ。聞かせるかよ。死刑宣告と等しい。
心情を告白する。アレのどこに惹かれるんだ?
あの容姿の…どこにいいところがある…?
行状だって最低最悪な外道兵指揮官!
そんなヤツが気になってる?…ずっと…?
聞いた方は、大迷惑どころか、大困惑だ!
完全勝利者、余裕の余白。そこが醜悪な色で塗り潰された瞬間だった。
あの日、あの場所で一人を選ぶ場合は
僕に決まってる筈だと信じ込んでいた。
そこでもう完全にアウトな思考。敗者。
ミサから斎藤へ手を伸ばして…握手…。
心の底から清清しく見えた光景だった。
そういう意味も含めた、お笑い劇場だったのに。
あんな卑劣漢より、蠅の方がマシだと思うけど。
嫉妬から生じた憤怒を腹に持ち、他者を利用して憂さ晴らし。
傲慢で強欲な怠惰。腹に溜めた諸悪を暴食で宥めているド屑!
アレよりも斎藤と結婚しろって勧めたい。
たぶん、斎藤はミサのことを気にかけてる。
僕より遥かに適切な関係を築ける筈だろうな。
容姿や性質も、彼女が求めてる理想に近そうだ。
斎藤とアレの面は全く似てない。雰囲気が近い感じ。
ああ、イヤになるよ。馬鹿にしてるのと同様だもんな。
落ち度のない言葉が出てこない。呆然自失な…現実…だ。
あの面、思い出すのも憚られるんだが、あの男が敵かよ?
あんなのが恋敵って笑えてくるぅ。笑えて腹が痛くなる。
くるくる、くるぅ…。
桜庭用語の基礎知識だな。
寄宿舎で一緒にいりゃ移るさ。
ミサのカレシは、桜庭もお似合い。
暴食の嫉妬の引鉄は、桜庭でもある。
暴食は必死に心を隠してるが、視えてる。
もう何年、監視者を務めてると思ってんだ。
暴食もミサに興味ありだと断言できる。要するに…二人は…。
繋げて堪るか。場合に拠っちゃナギちゃんの口だって借りる!
ミサと桜庭が結びついたら、凄まじい展開が待ってるだろう。
こっちだって嫉妬だが、相当な大笑いが期待できそうだもん!
ダメだと頭で思っていても、何より求めているのが、お笑い。
情けない僕の現状での救命だ。全てを笑って誤魔化しゃ至福。
まあ、桜庭の好みは違うらしいから、そこだけは安堵できる。
あの日、あの場所で、五人全員が彼女に好意を懐いて、狙ってたとすれば
果たして誰が選ばれる? 最近よく脳内で繰り返し再生して検証する場面。
優れた容姿の竜崎王子と浅井家次期当主は、彼女から真っ先に排除される。
彼女が嫌悪し拒絶するアレレな言動持ちだから、二人仲良くアウトなんだ。
残りは三人。今回もダメ。僕が退けられる。ミサが手を差し伸べるのは…。
まさか、やっぱり…あいつ…なのか?
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ん? ここの上空を飛行機が横切ってるや…。
いつの間に飛んでたのか騒音にも気づかなかった。
どれだけ僕の周囲を人々や乗り物が行き交ってようが
今、僕は此処に居るよ。
蒼天の下に、独りきり。
青空を見上げ、祈ってみたって叶う訳がない。
ただの空間。雲が浮かぶ。鳥や飛行機が飛ぶ。
横切る方向は、南から北へ…長く白い雲を伸ばしてる…。
飛行機が速いってのは、比較しようない事実ではあるけどさ。
それでも、毎回の移動は必ず列車と決めている。移動時間を楽しむ。
騒々しい駅。邪魔な人々。伸びる線路。車内振動を抑制する敷石。車窓。
全てが愉快で愛しい。そういった心情を含めての選択。僕の旅は、緩徐進行。
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戦争の必勝法。簡単すぎる答え。元から戦わない。和平を保つこと。
軍資金節約にもなる。誰の身も心も痛みを感じなくとも済むもんな。
一騎打ちとかって馬鹿の極みだ。まあ、眺めてる分には笑えるけど。
ゲームなら我慢できる。将軍が自ら最前線へ突っ込むかよ。ひでぇ!
見せつけるように得物を振り回し、場を威嚇、威圧するのは有意義。
でも、お利口さんなら、その辺でやめとくのが機知に富んで吉だよ。
長生きした将軍が何やってきたか、よく考察してみるのもいいかも。
敢えて敗けるのも最善だったりする場合もある。引くことで押せる。
何故なぜ兵隊さんは殴られるのでしょうか? 恐怖で威圧してんだ。
動く人形みたいに、上からの命令に完全服従させるのが目的だから。
大声出させ、右向け左な理不尽の横行で、叩き込む。人間の人形化。
雲上人たちも大量の手足を蛸みたく器用に操れるかは知らないけど
単純人形化人間が大量産出するほど、上等な作戦、任務遂行が可能。
三組に数名いる。気の毒な外道兵戦隊の自助グループ。哀れだよな。
軍隊に愛なんてあるワケねーだろ! あるのは三大欲求のみでーす!
水木しげる先生の戦記漫画でも読めば、いい勉強になると思うけど。
兵隊さんたちが求めていたのは、満腹と、愛情らしきのと、休養だ。
ヒトラーの伝記漫画もよかった。或る映画でも独逸の将校だったか
家族で最後の晩餐した後に、一家まるごと爆発心中。一人で死ねよ。
ヒトラー自体、一人では死ねなかった。真実は不明だが、心中した。
何だよアレ。根性ねぇヤローだな。僕でさえ、そう思ってしまった。
「人たらし」大勢の人臣の心を魅了する何かを感じ取れる気はした。
きっと、君主など代表として名を刻む者は、そんなタイプが多い筈。
愛の名の元に…とか、愛を深く刻み込んだような行動も単なるアレ。
忠実な人形が上官命令に淡々と従ってるだけっていうのが現実だよ。
僕は真っ先に除外対象の身体だが、軍隊での集団行動自体…無理…。
戦争。人間が群れを成したら碌なことをしない。その見本だと思う。
領土だの国境線っていう眼に視えないものに強く拘る何者かの陰で
巻き込まれ、運命を翻弄される者たちがいる。間違いなく…いる…。
ルールを作らなきゃいけないと思うよ。三人以上で集まるのは禁止。
実現するのは難しいって頭じゃ分かってる。理想の夢想。無念無想。
人間は群れ集う。一人きりじゃ何もできない。何も生まれないから。
単独任務遂行も計り知れない気力と体力を消耗するのは間違いない。
段ボールに隠れて移動とかいうのは、見てる分は笑えてくるぅけど。
つまり僕は操り人形にさえなれない役立たずだと白状してるだけだもんな。
自分の意思で、立って、歩く、という動作も、僕の意志でやってる行動か?
身体は前へ進む。なのに、心は少しも前へ進んでない。あちこち動いてる。
心は面白いや。過去を振り返ったり、夢を見て
思いきり笑える。泣ける。憤りもするんだから。
心なんて、どこにでも行けるんだ。そこが凄い。
だから、現在、僕は、あの専用空間にも、いる。
現在、僕は、ここには、いない。そこに、いる。
Nyarlathotep. 此処に在り。無貌。なるほど…!
いつも何処でも同時に存在が可能。思いは万能!
怨嗟。謝罪。失望…。それどころじゃない言葉の羅列。
そういったものは、もう指から落ちるくらい溢れてる。
ただ望むのは、普通に近くで他愛ない話がしたいだけ。
静寂で平穏な二人の場所、そこに求める安寧があった。
その場所を失うなんて堪らなくイヤだ。それだけだよ。
こんな歪んで拗けた世の中でも
民草の暴動、戦争や紛争が
起こらない…奇跡…?
呆れ返るほど狂える世界でも家族を築いて生存活動している人々。
どうして様々な苦労を乗り越えてまで生きる意欲があるんだろう?
人間は常に「安心」することを求めて、そのために行動を起こすと思う。
食欲だの何だの生存本能を満たさないと「不安」に襲われるよう動作し
不安を安心に変えていくことが、全ての生存活動をする意義だと考える。
単純だよな。不安を安心に変える。人間は、それだけで「幸福」になる。
だけど、己の欲望のまま、心に湧いた思いの命ずるままに取り除いたら
「犯罪」といった結果を引き起こす場合もある。そこから生まれたのが
規則、禁忌、憲法、言葉の綴りだけでも相当数だが、要は「ルール」だ。
ルールは、あることはある。けど、忠実に守っている者なんて何人いる?
人間がルールを守るか、戒めを持って見守ってるのが神と称される存在。
神という存在の御前では、人間が跪き、頭を下げ、祈り、悔いを捧げる。
神様、天使へ向け、やみ雲に祈りたがる者は、実は欲張りなんだってさ。
本来の神様、太陽や月は願いを叶えられるのか? 宙に浮かぶ天体だよ。
呪いってのも考えると、過程や禁則事項が面倒。祈念に近い行為だから
何かしら道が開くのかも…。この世は「思い」で変化を遂げるんだから
そういう風に出来てるだけ。覚悟と実行力は見上げたものだって思うよ。
人を呪わば…の戒めは、大事な我が身を守るための方便だったりもする。
闇の衣を身に纏いし魔道士など存在しない。誰かの空ろな妄想の産物だよ。
呪殺スペルを詠唱できたら、今すぐ学校の複数名を呪殺する。安心したい。
そしたら二組は僕を除いて全滅。痛快だ。新たに編成されたクラスで学ぶ。
ふわりゆらり、心が浮き上がっている。
晴天の下、大通りのベンチに腰かけて
僕は、独りきり、ずっと項垂れたまま。
それでも脳細胞を消耗させ、騒いでる。
ミサの件に対してだけ、複雑だ。勝利。戦利品。いや、物扱いは失礼だな。
たいして意味を感じない。きっと欠落してる。続かない。じき飽きる行為。
囁く言葉も不要。他愛なく寛げるなら、二人で過ごせれば、何処でもいい。
でも、やっぱり、あの美しい。独占したい。強く深く…刻む!…印象!
どんな罪を犯しても、訪う人も、裁く人も、消失した狂気の世界。
些か複雑な心境だけど、この世界では思いを遂げた者が勝利者だ。
殺害とか請け負って糧を得てる者もいると、耳にしたことはあるし
『反則』あの気まぐれな空模様の彼を巧みに言葉を繋いで誘導して
起こった奇跡は疾うに確認済み。冤罪の窮地に陥ったミサを救った。
彼の口と指先から望むべき言葉を紡がせられたら、願いは全て叶う。
いや、イヤだよ。駒を動かすのは嫌いじゃないが、自分が情けない。
依頼するだけでも御免蒙る。そこまで狂うなら、別離と孤独を選ぶ。
悪魔なら、既に心の中に棲んでいる。
方法に関しては、遥か昔に至ってる。
いつ契約を結んで遂行するかだけ…。
勝敗は無関係。元々闘う必要なしと考える。彼女の心を奪い去る必勝法。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
STRANGER in the CITY.
攻め手、もう少し生存状態を保ちたい。それだけです。
明日の検査が良い結果となるよう心で祈るしかないよ。
生きる。それに必要なら何度でも頭を下げます。ミサ。
チョコ詰合せギフト引換券が届いたらミサに贈るから。
生きていたい。生きていたい。だって、死んじゃったら…。
タクシーが近づいてきた。空車だ。そろそろ帰宅しないと…。
敢えて僕は左腕を上げ、タクシーを停める動作をしてみせた。
運転手が何も言う訳ないと思う。ごく些細な常識のある人間だったら
嫌悪の表情をすれば、失礼と心得る筈だと思うが、内心は如何だろう?
反則の魔法でも取り戻すことが不可能な過ちの印。欠損。切り取られた。
いや、僕自身がヤってしまったらしい。何歳の頃かも思い出す気がない。
左の指三本が小指と、ほぼ同じ長さに切り揃えられている。
今更どれだけ悔恨しても時間の無駄だ。Complete Failure.
全機能は喪失してない。そう信じ込みたくても
僕が多様に欠落した人間であることは…真実…。
◆或る元生徒の独白.
自分には、悪霊や怨霊の存在意義が、未だに理解できないよ。
いつまでも、ずーっと、同じ気持ちのままで、いられるのか?
憎み続けるのって、凄まじいパワー必要とする気がする。
嘆き喚くも恨むのも同じ。疲弊する。いつか心は変わる。
周囲を見渡してみても、ずっと同じままだなんて、一秒だってなかった。
現実に長く観察してたから言える。それだけ暇してたって意味にもなる。
今は苦しいと思っててもさ、いつかきっと楽になれるよ。これは、絶対!
つーか、自分が身をもって思い知ったことだ。
そこへ至るまで相当な時間を要したのも事実。
んーと、二千年、近かったかも。ウソだけど。
でも、憎悪の情も、いつかは消えるものだよ。
融けた雪が地面に浸み込んで消えてくみたいに
厄介な心の荷物なんて、心の底に浸みて消えた。
あのさ、悪霊、怨霊、呪詛…。そんなもん、実は皆無。
受け取り手の「思い」に、大変な問題が有るって代物。
ビビってたきゃ、勝手に思い込んで恐れてなって案件。
本当にあった怖い物語とかってのも、単なる商売だよ。
金払ってまで怖がりてぇ酔狂な人間ども、ご愁傷さま。
呪いのビデオって、普通に爆笑ネタの宝庫じゃねーか!
思い返してみりゃ幾らでも腹が震えてくるぅもん。
廃墟探索のアレとか、某自販機のハナシとか。
別な意味では怖い話のオンパレードだよォ!
歩いてると、床に穴開いて落ちるの…。
危険だよ。そういう意味で怖いや。
悪りぃけど、アレより動く待ち合わせ場所さん関連の方が面白れーよな。
半分の狐面氏、キャップとグラサンが特徴の小説&漫画家様、大好きィ!
ホラー、オカルト、スピリチュアル、本当に興味津々すぎる程だけンども
個人的にはさァ、前世とかいうものは、ない。絶対つけたいくらい、ない。
我が人生、一度きり。だって、街の古物屋さんの商品棚で見つけちゃった
前世が視れるって催眠誘導付きのアルバム、即購入して、試してみたのに
自分は全く視れなかった。素直に誘導するメッセージの言うとおりにして
リラックス状態になったとは思うんだけど…。そのまま寝ちゃったもーん。
で、CDからのメッセージが目覚めるよう促した言葉を耳にしたら
普通に目が覚めた。なんか気持ちよく三十分くらい眠っただけだった。
腹立つまではいかねェが、気が済んだっていうか、その後すぐ転売した。
これこそ、現実世界で本当にあった奇妙な体験だよ。自分が真の被体験者。
好きな時、思うが儘、金は有るだけ使っていいけど、単なる無駄遣いだった。
ならばよし!っと。我が現状を素直に受け入れよう。
過去も未来にも期待しねぇで、全く問題ねぇってば。
今、この瞬間、色々な感動を覚えながら、ごく普通に生きてけばいいよぅ。
そいつを躁転行動だと嘲笑したい奴等にはさせときゃいい。笑うが勝ちだ!
何やっても大丈夫なんだって。この世の中じゃ犯罪者様の天下なんだしィ。
我が心の転がるままに任せちゃうのが一番良い人生の愉しみ方ですって!
そうすりゃ暴風雨の雲は消え失せて青空に変化してる。自分は変心完了。
自分自身、様々な経験を重ねて、そう心から思った。だから試してみて!
自分から快楽を求めて、貪っていいんだ。それで結構だと思う。開き直れ。
相手に要求すべきようなことじゃねーの。自分から動くんだ。そこが重要!
自死も考えたほど、辛くもあった。でも、現在そういった考え、棄てました。
笑ったり、泣いたり、憤ったりもできる自分を、愛しく思えるようになった。
もう自分を失いたくねーと思えるようになりました。無価値でも、屑でも…。
自分の姿形よりも大切なのは、自分という意識。自我みたいなもんだと思う。
生命を失ったら、きっと自分の心も消え去る気がして、そっちのが怖いや。
いや、まあ、その時が来たなら、素直に静かな心持ちで受け入れりゃイイ!
全て自分にとって最善!良いことしかなかった!不思議と受け入れられた。
自己中の何が悪いんだろう?
自分を誰より大事にしないで
誰が幸せになれるんだろう?
大切な自分を一番に考えれば
周り総てが聖なる幸福者だよ。
この意味、理解できるかな?
現実には消えた人間であると喩えられる人間だ。
それでも此処に居る。逃げも隠れもしない。
楽しく愉快に、永遠に遊ばせてもらう。
色々な大切な形を失った事実にも
目を背けず、感謝いたします。
そう、自分を赦しました。
元から何もねぇんなら、必死に求める必要ねーでしょう。棄てろ。それだけ
どうしようもない屑で、最悪な自分こそ、心から慈しんで護るべきなのです
自己嫌悪や否定で虐めたりしないでほしい。誰も痛めつける必要ありません
何しても苦しい場合、実は甘えたい誰か何かに、強く依存しすぎているんだ
許せばいい。全ての事象を受け入れて許す。難しく思うだけ時間を要するよ
よかったら、上の五行を繰り返してみて。気が済んだら、消すんだよ。
テレビでも何でもいい。眼に映るもの、耳に入ってくる音。
みんな大層美しいよ。ちょっと心の幅を広げてみるだけのことで
そう感じ取れるようになりまーす。嘘じゃない。多少の時間が必要でも
試してみる価値はあるから。今を大切に。あなたにもメッセージが届いてる。
んー、無視されちゃうかな。自分、誰かに無視されるのは慣れっこだから
もう何とも辛いも苦しいとかも、いちいち感じねーよう強くはなったケド。
真面目な話、伝えてるつもりだから、もし悩んでるなら、しっかり聞いて。
独りは最高。孤独は痛快だ。これは、決して強がりじゃねーよォ!
自分の世界は万能で至福。愉悦な場所だ。手放すなんて勿体無い。
自分一人を喜ばせるのに、いちいち他人と、きっちり結びついて
触手みたく手を伸ばしまくって、繋がり広げる必要ないと思った。
いい? 「絆」っていう幻想に執着しすぎな方が実は奇異なんだ!
精々コンビくらいの人間関係で充分だと思ったケド。
不必要な繋がりや強い拘りって、実は苦痛を招く元。
心の中にだけ、大量のトモダチいりゃ充分だと思う!
うん。君主や軍師に将軍とか、死んだペットでも可。
絶対に裏切らない理想的なトモダチになってくれる!
心で逢える、それでいい。祖母様にも逢えるでしょ?
自分にはいるけど、会ったことない。いるだけ良い。
死んでなんかいねぇ。いる。生きてる限り、永遠に!
ま、難しいと思ってちゃ難しいか。
簡単だと思えば、人生は余裕で楽勝だな。
なるべく笑って、憤っても、泣いたって結構だ。
自分の心の赴くまま、もっと面白くなりなよ。ねぇ!
誰も貴方を虐めちゃいませーん。責めてもいない。早く自分を許しなさい!
自分を鎖に繋ぎ苦しめてるのは他でもない自分自身。気付けば、外せる鎖。
可哀想だ。悩んで苦しんでる人を見るのは、もう嫌だから。伝えてるだけ。
現在そのままの貴方が最高の形。だから、もっと、もっと、幸せになーれ!
◆二組のおしゃれ番長さん杜陽春のメモ.
将来トレンディー決定枠:ドクズ、レイ、チアキ、ヤッチ、マツーラ
将来トレンディーかも疑枠:タツヤ、ヒナ、モル、サックン、ハナキョン
将来トレンディー個人的希望:ノーズ、パタ、ナツメ二匹、オヤブン、ザジ
※とりあえず、個人的希望枠さえ埋まってくれたら満足です。要は…。
全力ウサギ、面白い。自分も眉毛を描いてみたくなる。やらないけど。
ミナライ:うちのクラスじゃあ、彼に一番似てる。赤毛でも重なるよ。
ソウチョウ:ノーズ。彼、アレ隠しきれてない。演技がヘタだからさ。
オジョウ:病に障碍。普通にミナライのこと、不得手としてるもんな。
ネエサン:たぶん、いや、絶対に僕の義姉となる運命の飛び入り女子。
エイギョウ:校内一の高身長であらせられる、あの長老様に決定だね。
ミクロさん:生態不明。二組じゃ一番の大迷惑的存在だ。曇った晴天。
ショクツウ:僕の現親友。まぁそのォ、普通に食べるのが好きな少年。
オヤカタ:最年長の特別枠生徒に任せる。ヘタな癖に歌うの好きだし。
僕は:エリート。いいでしょ。自分が舞台配役するなら、そう決める。
◆投げ童. 高橋虎鉄の独白
悪だの、敵だの、ザコだのって
そった言葉は、わー良いど思わねー。
そったらのって、その人の見だ形であって
ちょっと向ぎっコ返れば、違うものさなる。
自分が良ぐ見れば、何だって良ぐなる…。
だがら、そったに…苦しむ必要ねーど
わーは思う。本当にそう思っちゃーんず。
そぃにしても、わーのめごこだぢ、みなして
おどごわらはんどばりだけんたになってまって…。
あのたげだめごがったの、かげもかだぢもねがったじゃ!
とぐに、わーのおきにいりだったの、ひでぇじゃ。
なぎてぐなるじゃ。わーしらねばいがったー!
ほんとにもうっ、どんだんずよーーーっ!!!
まあ、もういいばってな…。
どぢもたげいいえがおコしてらどおもうし
こごろねのいいヤヅだずのはかわりねーもんな!
ゆうちゃん…
おめぇはもっともっとしあわせなヤヅさなる。
だいじょうぶだ。ほんといいながまだぢいるんだし!
◆ミカミとモル. 三上操
八年生の夏休み、八月の水曜の朝食後のことです。
私はドアの開閉音を聞きながら私の専用スペースで髪を直していました。
バッグの中身や服装の最終チェックをしていたところに…再び開閉音…。
普段の夏と冬の長期休暇では、寄宿舎に居残って生活している生徒は
私と二組の西谷君と林原君の三人だけとなります。基本的に二人とも
用がない場合は、全く口を聞かなくても構わないような存在ですので
本当に気兼ねなく、穏やかに過ごしていられますから、私にとっては
疲弊した心身を再構築させるのに相応しい休養期間となっていました。
私が寄宿舎に居残る理由は「帰る家がない」ただこの一つに尽きます。
他二名が居残る訳は、全く分かりません。それを聞くつもりもないし
入学してから、そこまで深く話し合うような関係を築いてもいません。
西谷君は誰とも打ち解ける気がない心に鉄壁の要塞を築いた人物です。
林原君も清らかに澄み渡る自分の世界を築き上げて入り込む隙など…。
ごめんなさい。面白くて笑える。林原君は日頃の言動が基本的に反則。
中央の都会に実家のある竜崎君その他の生徒が居なくなってくれることで
「ワラッテハイケナイ寄宿学校生活」と呼ぶべき心身が疲弊する毎日から
神経が解放されるのです。林原君も意地悪な夏目従兄弟の二人がいないと
娯楽室を独占状態で、ゆっくりと彼の好きな「世界名作劇場」のDVDを
観ていられるのです。彼と仲が良いらしい慶が寄宿舎を訪ねてくることも
ありました。一緒に「アルプス物語わたしのアンネット」を鑑賞してます。
思い浮かべるだけで、もう…微笑ましい限りの雰囲気で…腹筋に悪影響…。
西谷君は同室の谷地君が留守だから緋美佳さんが部屋を訪ねてくることも
ありましたが、屈強な勇者の緋美佳さんは彼の心の城壁を未だ突破できず
自室の扉を閉ざされ、追い返されたりもしていたようでした。パニーニ…。
それは兎も角、どうしてなのか今年の夏期休暇は同室者の
壱琉が街にある実家へ帰らず、寄宿舎に居残ってるのです。
「二人とも駄目だった。ニシヤンは相変わらず自室に引き籠ってて
扉を開けてくれなかった。本当に気持ち悪いヤツ。挨拶も無視するし、
あいつには何言っても無駄だな。暇を持て余したアレレの分際で生意気だ。
なんで、あんなヤツに…。まぁいい。あんなのいつか…以下自粛…してやる!」
自室の専用空間に戻ってきた壱琉がダムの放水みたいな勢いで喋り出しました。
「それからリンバラの自室へ行ってみたら『今日はスマートさんのお宅まで
遊びに行く予定ですから』とかって、出かける支度してるところだった。
巫山戯んな。何だよ!世界名作劇場野郎の分際で!生意気すぎる!」
しばらく学校の他生徒たちへの自粛すべき言葉が吐き出されていました。
級長トリオである現在帰省中の花田君と斎藤さんまで犠牲となります。
例えたならパワーパフガールズのバブルスちゃんが他の二人の悪口を
隠れて言ってるような気もしてくるので耳にする側は少し不愉快です。
もちろん見映えでは全然ベツモノの姿です。あくまでも印象として…。
三人の容姿で比較すると似てる感じの級長は壱琉だけになりますけど。
いえ、その、べつに花田君と斎藤さんの容貌を貶すつもりありません。
浅井壱琉の発声器官は、他者の嫌悪感、怨嗟、言葉を用いた暴力の類しか
他人に聞き取れる声として発せられない構造なのだから、仕方ありません。
それを耳という器官で受容する方は神経が摩耗、疲弊してしまいますけど
現在、帰郷中で留守にしてる竜崎君とは、また違った方向で無理というか
私には受け入れられない存在です。嫌いだと断言できるほど邪魔な同室者。
竜崎君は自虐的面白発言をしても他者への暴言はしない優しい生徒ですし。
「ところで、『スマートさん』って誰のことー?」
暖簾越しに壱琉が話しかけてきたので、慶であることを伝えました。
あの二人に断られたのなら、二人きりになるのか…。イヤだなぁ…。
「ああ、ふーん。なんか他に意味あるのかもしんないけど
確かに痩せてるけど、ポーキーには似合ってない気がする。
リンバラだけあってネーミングセンスってもんが全然ない。
僕だったら、もうちょっと凝った愛称を付けてみせるのに」
仕切りの向こうで一人勝手に喋り続けてます。少し頭が…。
例えば学校が太陽に吠えろの捜査1係だったら、ポーキーはどっちかといえば
デンカ的ポジションだろうと何だの…。ヤマさんにゴリさんは誰だの…。
ジーパン、スコッチ、マカロニ、ドック、ロッキーだのって…。
学校のみんなが壱琉に一係の刑事としてキャラ付けされ、振り分けられます。
どうやら自分がボスである模様。本物のボスに失礼だと思いますけど…。
「ああ、そんなのすごく、どうでもいいことだった」
やっと気づいたようです。この人は周りから自分がどう思われているか
もう少しよく内省すべきなんじゃないかという気がして仕方ありません。
「どうする? 二人だけになるけど、行くよな? 秋の発表会のために
しっかり歌の練習しとかなくちゃ三組が困る! 昼メシくらい何か奢る」
そこまで悲痛になって訴えるような問題でもないように思うのですけど…。
三組だけが真面目すぎるくらい学習発表会に取り組んでいるから困ります。
一組や二組を少し見習って、ゆるゆる楽しく舞台を遊び場にすべきなのに
三組の生徒は、級長の浅井壱琉作・演出の舞台を演じないと駄目なのです。
壱君先生の自己満足の場に駆り出される私たち、内心とても惨めな気持ち。
バブルスちゃんらしい、ゆるゆる可愛らしい要素が壱琉には皆無なのです。
一組も級長の花田君が宮沢賢治を好きなんだって窺える舞台も演りますが
必死感のない、和やかさが伝わってきて、素敵なクラスなのが分かります。
二組も、全く統一感はないのに不思議と、そういう形として認められます。
それが二組というグループであると思えるので、私も仲間入りしたいほど。
今更ですが…クラス替えが途中であったなら…そう思えて仕方ありません。
副級長の彰太君だって、心の底では同じことを思っていると信じたいです。
彰太君は…きっと一組の桜庭君と仲直りしたい筈だと…そう感じられます。
彰太君、彼の様子を見ていれば…その想いは私にだって伝わってきます…。
「それに、ほら…。そっちに渡しといた脚本の台詞もしっかり覚えとけ!
主役はポーキーではあるけど、ミサが可成り重要な登場人物なんだからな。
ていうか、顔だけなら、ダフィーだろうが。あくまでも顔だけ、だけどさ。
いや、あんなドクズに関して僕が思考するのも時間の無駄だ。書道で充分。
頼むよ、竹青…。凄く神々しい。そんな印象を与えられるよう演じてくれ」
竹青。今秋の学習発表会、三組の演劇で私が演じる呉王廟、烏の神女です。
随分と長く学校を休んでしまったし、頑張らなければ…とは思っています。
当初の主役を変更してもらった程度で…極力…我儘は言わないでいました。
でも、絶対に元の主役の森魚弟だけは「絶対NG」を崩せませんでしたが。
「おい、黙ってないで! 倒れてるんなら覗くよ! 待たせるな!
女子だからって…支度に手間取ってるほどのアレでもないクセに…。
本当にさ、ヤッチだけしか入れないって、どんな魔窟なんだよっ?
新種の生き物でもいるワケ? 同室者の僕に隠れて飼育してんの?」
壱君先生は、こっちが無言でいると、いつもこんな調子なのです。暴言大帝。
元々ちょっと街で買い足したい物があったので、一人でも外出する予定でした。
そういう風に割り切ればいいだけです。専用空間を仕切る暖簾の鈴を鳴らして
「それじゃ早いとこ練習を済ませるとしましょう」と、答えることにしました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
私が壱琉の後についていくような形で、二人揃って自転車に乗って行きました。
日傘でも差して歩きたいような強い陽射しです。道路はアスファルトが崩れて
穴の開いた箇所もあるので、それを避けながら漕いで進まなければなりません。
村の住宅地を過ぎると舗装もなくなります。村と街の境の殆どは田畑が広がる
見晴らしのいい土埃の舞う一本道といった感じです。自転車だから向かい風も
感じますが、今日は強くない肌心地の東南の風が流れていってました。
遠くから蝉の鳴く声が「ジージリジリジリ…」と聞こえますから
たぶん油蝉だと思います。暑いけど、もし一人きりだったら
好きな歌でも口遊みたくなるような心地好さでした。
「絶対おかしい。学校の駐輪場からずっと疑問に思ってたんだけど
なんで首にタオル巻いてるんだ? 格好悪いとか考えないのか?
オバサンくさいとか思わない? もうちょっと服装とか…」
前を走っている人のせいで、折角の良い気分が一気にぶち壊しです。
「汗拭きと首の後ろの日焼け防止。普通のことだと思いますが」
暴言大帝と一緒の行動ですから服装など気を遣う必要ないと考えていました。
「そういうもんかなぁ。パンツスタイルは自転車だから仕方ないけど」
自転車の速度を緩めて私の右側に並走してきた壱琉はしばらく一緒に進んで
「なんか、せめて、もう少し女の子らしい格好で現れるかと思ってたのに」
そう言ったかと思うと、自転車を漕ぐ速度を上げて前へ出て行きました。
街に近付いてきたら、今度は廃墟の群れを進まなければなりません。
寂れて荒れ果てた様相の空き店舗群は、肝試しにでも使えそうな雰囲気です。
途中に火事場の跡みたいな所もあるので、いつもそこを通る時は出来る限り
視線を向けたりしないよう足元に気を付ける感じで自転車を漕いでいました。
ここを通り抜けたら壱琉の目的地となる、まだ辛うじて営業してるといった
雰囲気のカラオケ店があります。そこで歌の練習が終わったら壱琉と別れて
そこからもうちょっと先にある少し広めの日用雑貨の店で日用品の買い物を
済ませようと考えていました。古書店やワンコインのお店も覗いて帰りたい。
一人きり街を満喫できる時間がくるのを楽しみに…しばらく我慢しないと…。
「時間、どうする?」
カラオケ店の駐輪場、シルバーの自転車を置いた壱琉が訊きます。
私も隣りに青緑色した愛車を並べて、施錠とチェーンをかけました。
自転車盗難…。この店舗ではないけど、街で二度ほど経験しています。
「折角だから、何か頼んで食べよう。2~3時間くらい、ゆっくり。
この店のメープルシロップかけたアイスを載っけた分厚いトースト
食べたことある? あれは美味いと思う。パスタ…。あ、失敗した。
寄宿舎でマイボトルにルイボスティー入れて持ってくりゃよかった。
ルイボスティー、ツバとソラは不味いって言ったけど、ミサだって
普通に飲んでくれたじゃないか。カフェイン入ってないし、美肌…」
…………………………。
…………………………。
…………………………。
私が黙っていたら、壱琉の飲食物に関する話題が尽きないかもしれません。
よく考えてみると私と壱琉は毎日のように夜間眠って過ごす約数時間ほど
壁と棚などで仕切られた同じ空間を共有したような形になっていましたが
こういった場所で長いこと二人きりで過ごすというのは困る気もしました。
「ご実家、この店からそう遠くない場所にあるんじゃないんですか?
だったら、そちらでランチを済まされた方が経済的だと思うんですが」
そう向こうへ提案してあげたら途端に見て分かるくらい表情を曇らせます。
やっぱり…ご実家で何か問題があったんだ…っていうのが丸わかりでした。
でも、そちらの家庭の事情とやらで、こちらが少々迷惑してるってことくらい
察してくれてもいいんじゃないかと思っていました。一人きりになりたかった。
最近、気を抜くと思い起こされる
あのときの顔…いつもの表情…。
決して、笑顔にはなれません。
代わりに嵩ちゃんの笑顔で
きれいに打ち消してもらおう…。
嵩ちゃんは、堕ちてないルシファー。
悲しくなるけど、あの二人、たぶん…。
思い起こされるカード二枚。
彼のカードは『戦車』逆位置。
もう一人は『吊された男』正位置。
「ああ、そう。じゃあ、1時間ってことで。行こう!」
怒ったように大股で先を急ぐので、軽く小走りになって後を追いかけました。
現在は新しい靴を数足購入したようですが、七年生春頃の古びて傷んでた靴
裁ちバサミでズタズタにされ投げ捨てられていたという級友から贈られた靴
きっと、その『二足の靴』に…色々な謎が隠れているのだろう…というのは
私にも容易に想像がつきます。好悪の情抜きにしても級友たちからの真心を
自身が拒絶してしまったのです。壱琉も曖昧模糊の中を漂う人かもしれない。
エントランスで受付を済ませ、店員に部屋まで案内してもらう廊下の途中で
私と並んで歩いていた壱琉が突然「あ!」と声を出して
通りかかった部屋の硝子扉を指差し、立ち止まりました。
私もその部屋で一人きり歌っている彼を見て驚きました。
このカラオケ店は利用客が部屋で如何わしいことができないのが目的なのか
どうかは知りませんが、出入口の扉が見通しの良い全面硝子張りなので
こちらが故意に覗くつもりがなくても室内が見えてしまうのです。
「なんでヤツがヒトカラできんの?」
彼を指差す壱琉にそんな質問されても私だって不思議です。
その室内で何やら熱唱している彼は学校では障がい持ちで
全く耳が聞こえずに話せない一組通学生、三上灯君でした。
壱琉は、その場で私たちを案内中だった店員に声をかけて
「待ち合わせの友人が先に来ていた」と説明していました。
「雨空の向こう、見え透いた嘘、くるくるぅ、彼の指先で、真実の嘘へ…」
突然の私たちの登場に宣言という曲を歌っていた最中の灯君は
それほど表情を変えてみせることもなく部屋に迎え入れました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「それじゃ全く耳が聞こえなくって喋れなくなるのは『村限定』ってこと?」
壱琉が言ったのが合図になったかのように、私と壱琉の注文した飲食物全て
店員の手によって運ばれてきました。メープルの香りが室内を漂っています。
私たち三人は沈黙して、テーブル上に食事など並べられるのを見守りました。
「それにしても設定が巫山戯すぎ。おかしすぎる。本当に悪夢の世界」
店員が出て行ってから、壱琉は溜め息のように言葉を吐き捨てました。
考えてみると池田先生やインビジブルこと『ペリドットの蛇』だって
『いる』のは間違いないのですから、私にも二の句が繋げられません。
灯君はソファの上にしゃがみ込むようにして
腕を組んで顎を載せ、こちらに眼差しを向け
「いつかこんな日が訪れるのは想像してた。
それでも堪えて黙っていたんだ。それだけ」
投げやりとも喩えられる表情になって目を伏せました。
歪んで拗けた世界ですし…よくある不思議なのかも…。
そのときハッと気づいたような表情で出入口側を向いて座っていた灯君が
扉の方へ視線を向けました。振り向くと比内純君が硝子扉の前にいました。
「たぶんワケ知ってんのは俺だけです。モル君がこんなんなっちゃったの」
一組や地元通学生たちから『ヒナちゃん』という愛称で呼ばれる比内君が
親しい友人である灯君の横に並んで腰をかけ、私たち二人に説明しました。
「あの、てっちゃんと、しいちゃんが死んじゃった、山や村の淵は…」
比内君は持込みしたマイボトルの中身を少しだけ飲んでみせてから
「あの辺は本当色々と怖いとこだから、なんていうかモル君は
変なもんとしか言いようないけど、そういう山の変な何かに
ヤられちゃったんだと思います。それで、その変なもんの
魔法みたいなもんの有効範囲が村限定だと思うんです」
灯君の耳と声を奪ったのは変なものの魔法みたいなものの所為だってこと?
「その代わり不思議なのぅ…」
とまで比内君が言ったら、灯君が彼の肩を抓るように握って制止しました。
「余計なこと話すな。ヒナちゃん、さっきから喋りすぎ」
穏やかな光を放つ眼差しの比内君とは違って眼光が鋭く気が強そうな灯君。
「それって村の山に関する怖い話? ちゃんと真面目に
こっちが納得いく説明じゃなきゃ何の意味もない。
巫山戯てる。全てナイトメアならいいのに」
そう言って壱琉も注文したオレンジジュースを飲みはじめました。
「そうですね。でも、周りがあれこれ言っても、もうどうにも
変えられない『モル君の現実』ですから。それを素直に
受け入れるしかないんじゃないかと思うんです」
比内君が私たちに敬語を使って話してるので
こちらの耳が少し痛いような気がしてきます。
「村から引越しゃいいんじゃないの。それなら万事解決だろ?」
壱琉が私もそのとおりとしか思えないツッコミの発言しました。
「そうもいかない事情があるんですよ、通学生にだって」
比内君が代弁しました。灯君は黙って周囲に溶け込む感じで座っています。
カラオケルームなのに…静寂が広がるだけの空間…となってしまいました。
「ああ、そういえば太宰治の作品『浦島さん』の中にも聖諦…」
壱琉はテーブルの上に指で文字を書きますが、私たちの目には見えません。
「聖なる、の『聖』という漢字に、諦める、の『諦』の漢字を
合わせた言葉なんだけどさ、浦島さんが亀に連れられて行った
竜宮城の乙姫さまが奏でる曲名…。それを耳にした浦島さんが
『気高い凄しさ』と、表現する不思議な曲。どんな曲だろう?」
思わぬところで『三組の壱君先生』の講義を聞かされる羽目になりました。
「つまり、モル君って…そういう感じなんだろう?」
人差し指を突き付け言います。壱君先生の嫌な手の癖。指された方は不快。
「うん…はい、そうです。そんな感じだと思います」
比内君は気を緩めたような笑顔を見せました。
「でもなぁー」
同時に喋った比内君は、灯君と顔を見合わせて
「夏休みだし今日は平日だから、学校関係者に会うとは思わなかった」
お互い照れたように声を立てずに笑い合って、比内君はこちらを向き直し
「という訳ですから、たまにはモル君に息抜きさせたげていいですよね?」
「あー、じゃあ、そうだな。とりあえずヒナちゃんといえば、たまの曲を
リクエストしたいな。『青い靴』聴かせてよ。僕、実はあの曲のファン!」
壱琉も私と同じ曲が好きだったみたいでした。
寂しくて切ない気持ちにさせられてしまう曲。
もっと遊ぼうよ…。
既に「青い靴」が私の頭の中へと流れてきていました。
しっかり耳を傾けたら、自然と涙があふれ出てしまいそうになる
私の持つ言葉で表すのが難しい、不思議な諦めみたいな気持ちになる旋律。
灯君がリモコンを操作してイントロが流れ出しました。
「ところで…おふたり…は、カレシとカノジョですか?」
比内君にツッコまれてしまって、そこは慌てて
壱琉と私が二人揃って全力で否定しまくりました。
「この次は、僕の好きな『終わりのない顔』を歌わせてもらうから」
灯君は睨むような微笑みを浮かべ、歌詞が表示される画面を見上げました。
彼自身の口から発せられる言葉を聞いての印象ですが、私が思ってたより
気が強いというか自信家でもあるように見受けられたところが意外でした。
喧嘩したら怪我人が出そうな…そんな危うさを微かに感じさせられました。
きっと…三組の外道な私たちと対峙してるから気が張り詰めてたのかも…。
覚めない悪夢なら少しでも優しく温かいものにしたい表情の比内君。
気高い凄しさが窺えるのがモル君の表情と言えるのかもしれません。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
何だかそんなこんな…といった調子で…今ではよく思い出せないのですが
その後、私の買い物にも付き合ってもらい、日が傾いて紅く染まる空の下
再び壱琉と一緒に自転車を漕いで、学校の寄宿舎へ帰ることになりました。
今度は、風が左から右へ吹き抜けていってます。
黄緑色した風が心の中まで通り抜けていく感じ。
「ちょっと聞いて…」
後ろで自転車を漕いでた壱琉がスピードを上げて並走してきました。
「ミサが休んでた分、夏休み中しっかり勉強の指導してやるからな」
三組の壱君先生にそう言われたら返す言葉もありません。ヤダな…。
「そのためもあって家に帰るの止めたんだ。心から有難く思えよ!」
そうだとは思えないのですが、そうだと思うしかないのでしょうね。
「それと、後もう一つだけ言いたい」
こちらを睨むように言葉を投げつけてきました。
「そろそろ街の歯医者に行くことを勧める。
ミサ、最近ずっと喋ると口が虫歯くさい!
これでも会話する際、気を遣っていたんだ」
私の前を走っている人のせいで折角の良い気分が一気にぶち壊しでした。
◆温かな灯の時間. 比内純
あの日、モル君と待ち合わせしてた街のカラオケ店へ行ったらさぁ
部屋の中にオヤブンとアネサンがいたんだから、内心すごくビビってた。
相当ヤバいと思ってしまっていた。非常警報が鳴ってたんだよ、心の中では。
オヤブン先生は、そう怖いことはないけど、アネサンは二言目には
「コロス!」「○メートル以内接近禁止!」で知られる存在だもん。
寄宿舎の人たちも腫れ物扱いしないように振舞うのは
大変なんじゃないかと思うよ。陰ながら努力してる筈。
真っ正直に…あのときの俺が思ったままの心情を吐露させてもらうと…。
弱味を握られるような形になったら困っちゃうなって不安はあったんだ。
だけど、俺は嘘は吐きたくない。そういうのって苦しくなっちゃうもん。
それでも二人ともモル君のこと、そっとしてくれるらしい様子だったから
本当に安心できた。当たって砕けろの精神で接してたつもりだったけどさ
二人とも意外と普通の人みたいだ。でも、友達になるというのは難しいな。
アネサンの歌った「カウントダウン」はなかなかの迫力だったと思う。
鼻を圧し折られて蹴り上げられたら…なんて想像するだけでも怖いし
あのアネサンなら本気でやりかね…。まさか、そんなことしないよな。
オヤブンは「海にうつる月」を聴かせてくれたんだよ…。
たま好きな俺たちを気遣っての選曲だったかもしれないけれど
言葉にできない不思議な気持ちにさせられる歌なんだ。俺はそう思う。
でも、二人が練習したかったのは「リトルグッバイ」という曲だったよ。
秋の発表会で披露するんだって、みんなに冷やかされなきゃいいけどねぇ。
あーいや、ない…なぁ…。そんなの絶対ないよっ!
三組の外道連中に意見できる他のクラスの生徒は…いないもん…。
それは兎も角として、カラオケは楽しいもんだよ。
嫌いな人には理解してもらえないかと思うけれど
歌うことで周りに秘めたメッセージを伝えられる
自己主張できる場でもあると、そう俺は考えてる。
夏休み前、キラキラ王子に誘われて総勢六人で行ったときも楽しかったよ。
普段キラキラ王子の側から離れたがらないネッケツ王子は変な時期に風邪。
悪いけど、ちょっとさ…あんな人でも風邪ひくんだって…笑っちゃったな。
この中で唯一の王子じゃない斎藤さんは、特撮モノ好きで有名な人だから
計三回くらい「セタップ…」を聴かされたよ。好きすぎて困るね、周りが。
「アポロガイストに会いてえ。切に願うッ!」「火薬が…足りねぇ!」
一人して悶えてた。おそうじ王子はカラオケがとっても苦手な人なので
全員で促すのが大変だったけど「夏です」と一回言ったを歌ってくれた。
特掃級長らしい選曲だな。俺も一緒にコーラスみたいにして歌ったんだ。
「たくさんの水滴 クスリの数」意味深だよな。それでも夏らしい曲だ。
折角の夏休み前だけど、俺は続けて「学校に間に合わない」を歌ったよ。
六人全員が揃って、楽しい笑顔になって帰れたらいいなと思ったんだもん。
この日、この時間が、温かな灯、幸せな喜びとなる、懐かしい夏の想い出。
そんな形で…みんなの心に長いこと留まってくれたら…と、心で祈ってた。
キラキラ王子は既に定番曲となった「花・太陽・雨」を聴かせてくれた。
俺からのリクエストなんだ。あれくらい上手に歌えたらなぁって思うよ。
うるわしの星の王子様は「海風」って歌、あの人らしい選曲だと思ったな。
いやしの森の王子様は「アンネットの青い空」って曲を歌おうとしたけど
キーが合わなくて微妙な調子になってしまった。ごめん。笑っちゃったよ。
斎藤さんが「よかった。歌詞も曲も大層美しい。素晴らしい至高の歌だ!」
と、すかさずフォローしてあげてた。心優しい二組の君主様だと讃えたい。
王子名を与えるとしたら「ガッツ王子」が相応しいかも。って、笑えるぅ。
でも、心做しか無理してる印象のある人だよね。ガッツ王子って級長は…。
何か決意あって「熱血君主」であろうと必死に演じてる。俺はそう思った。
最後には真夏だってのに、六人勢揃いで「氷の世界」を曲の区切りで
六人してマイクを持ちかえながら、思いきり大熱唱しちゃったんだよ。
おそうじ王子はソファの埃を気にして、あまり間に入らなかったけど
みんなで「くるくるぅクルいまくっちゃってる!」って、笑ったっけ。
俺は、たまひろい王子だ。理由は「たま」が好きだからってのと
そのまんま誰か転がった球を拾うヤツがいないと困ると思うから。
ボランティア活動みたいな多少泥かぶっても役に立ちたいだけ…。
ホフ・ディランも好きだから歌うよ。夜とか名曲いっぱいだもん。
これ、ちょっとだけ自惚れみたくなっちゃうかもしれないけどさ
聴いてると温かい気持ちになれる歌声だって結構ほめてもらえる。
そういうのって嬉しいもんだねぇ。みんなありがとうって思うよ。
すごく温かな良い時間を過ごせた。
テニス部に加わって本当によかった。
ただ、モル君を外さなきゃいけないの
残念だけど、またみんなで行きたいなぁ。
部長のネッケツ王子様は、抜き…でねぇ!
だって、あの人って選曲がもうアレレの展開で歌を聴くどころか
笑いに来たとしか思えなくなっちゃうんだもん。下手じゃないよ。
でも、某女性歌手の曲が好きだってのはもう分かったから充分。耳にタコ。
花を水に挿したり、殺めたいくらい愛しすぎたから、アモーレ・ミオ!
好きな女子でもいるのかな? こっちは相談にも乗れないから無視。
恋とかっての考えてられる人って、心に余裕があるんだと思うよ。
俺は…ちょっと無理…。整理がつかない問題も色々と抱えてるし。
昼休みのテニス、見に来てる女の子たちの中じゃ
さわやか王子が一番人気だ。あまりにも…風で…。
上手く伝えられないけど、心をすり抜けながらも
しっかり掴んじゃってる人なんだろう、と思った。
容姿が最高のネッケツ王子はテニスコートの外に出た途端に
あらゆる言動がアレすぎるから周囲もアレレになっちゃって
人気は庭球倶楽部開始時より下がっちゃったかもしれないね。
モル君、俺より身長伸びてきて格好良くなってる。
カノジョできたら変わる部分あるんじゃないかな?
モル君の息抜き。それを俺は何より大切にしたい。
だから、テニス部の加入を勧めたのも俺なんだよ。
ナイフ投げよりずっと夢中になれる、何かが必要!
モル君の温かな灯、それを護りたいよ。
灯火が大きくなって炎上しないように。
実をいうと、現在モル君と軽くケンカ中。早いとこ機嫌を直してほしいや。
短気な性分は俺にも誰にもあるもんだし、イライラしちゃうのは仕方ない。
もう少し自己中心的な考えを正して、温和で優しい心を思い出してほしい。
鋭い刃を抜くのはいいけど、なるたけ早く懐に収めなきゃダメだと思うよ。
抜身の刃は、他人だけじゃなくって…自分にとっても危険なもんだから…。
炎上の元になる…。再び過ちを繰り返さない為だよ。
モル…望瑠君は、あの日の真相を知るべきじゃない!
あの日の出来事を見て、知っているのは
地獄への道連れは、俺一人きりで充分だ!
てっちゃん、しいちゃん、さようなら。ごめんなさい。本当ごめんなさい。
蒼天の下、無垢な少年は、悪魔の鎖を手にした。
そして、左手を死神に変え…ロスト。アウト…。
きっと目撃者の俺も『吊るされた男』となって展開した札…。真相は宵闇。
◆或る生徒の独白.
どどどどど、どーしよーにゃん!
あ、今は八年生の夏期休暇明けだにゃん。ととととと、とにかくっにゃん!
只今頭ん中がお祭り騒ぎで、どんどこどんどこ、うっるさーいにゃん。
もらったにゃん!もらってしまって、にゃんにゃんにゃにゃーん。にゃ。
ウソでしょー?って脳内の自分でさえ思うんだにゃん。
どーしよー???って思うのにゃん。…でも、事実にゃんだにゃん。
でも、困ってしまうにゃん…。でもでも…えぇと、だにゃんっ。
この我が人生で「生まれて初めてのラブレター」もらっちゃったんだにゃ。
昼休みによく女の子軍団が熱血テニス部を見に来てたんだにゃん。
当然ネッケツ王子がお目当てにゃんだと思ったんだにゃん。
さわやか王子だとも思ってたにゃん。キラキラ王子も悪くにゃいにゃ。
ともしび王子も同じくにゃん。恋路にゃ言葉にゃんて必要にゃいにゃん。
にゃにゃのに…き、奇跡だにゃあん。
軍団の中でも、一番可愛い女の子が
ぼくちんに手渡してきたんだにゃん。
実は、とーっくにもう、あの美周郎様の生皮を剥がした実態が
ありとあらゆるアレレな言動で知れ渡っちゃってたんだにゃん!
あの御方は昔から『現実逃避的言動』が過ぎてしまってるにゃん。
容姿と言動が剥離しすぎにゃんだよにゃんにゃんにゃんにゃーん!
ぼくちんも、それは同じだにゃん。
現在フツーの男の子、エンジョイ中にゃん。
そ、そんだけンども、あの御方は…桁違い…にゃん。
昨日だって、村の共同浴場で入浴を済ませて帰ってきたにゃ
にゃんと下穿き一枚で寄宿舎内を走りまわってたんだにゃん。
ありゃもう完全にアーウトッだにゃーんッ!
アレレノレも大概にしやがれっにゃん。ひどいにゃん!
お上品なジェントルメンズにゃあ、とってもできにゃい芸当だにゃーん。
寄宿舎にはオンナノコもいますってんのに…にゃん。にゃんころにゃん。
あの御方を野放しにしときゃ、そのうち「パンコロ」されるかもにゃ…。
昔、昔の、そのまた昔…。本当に何度か起こってる事実にゃのだにゃあ。
ニャニワトモアレッにゃあーん。
今回は目出度くブッサイク大勝利にゃん!
超絶美少年、哀れなりぃーにゃあーーーーーんッ!
ウマヅラ呼ばわりしたクサレゲドーどもはシんでもいいにゃんよ。ってか
ぼくちんの『必殺電撃稲妻熱風サーブ』で撃ちコロしちゃうぞ!…だにゃ!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
さてさて、今回はスペシャル大サービスだ。ちと、手加減しすぎかな。
俺は、この悪夢を愉しんでる。以前よりずっと気分よく過ごしてるぅ。
色々ともう「笑えるーッ!」もんでさ。…てな訳で、次いってみよォ!
とまぁ、こういった手加減を嫌うのが序列じゃすぐ上の兄者となる。
狡猾な唆し、気まぐれに禁則事項をぶっ潰す行為を何より好むから
俺とは口を開くどころか、同じ空気だって吸えない程度の仲良しだ。
哀しいが、向こうの御方は俺を遥かに凌ぐ地獄人。経験豊富すぎる。
あの御方とは一定の距離を取らなきゃ難しいんだろう。控えてるよ。
俺が積乱雲なら、あの御方は涙雨って関係なんだろ?
そういった設定なら…素直に受け入れます。先生…。
◆作文「猫間君の猫」 森魚慶
六年生の秋のことです。嵩ちゃん師匠のおうちの猫が仔猫を産みました。
最初生まれたのは四匹だったけど、大きくなれなくて、しんじゃったコもいて
残った仔猫は二匹だけです。猫間君は苗字に「猫」という字が使われてるから
嵩ちゃん師匠の猫の話をいつも興味しんしんといった様子で聞いていました。
「俺も飼いたい」と言ってました。でも、お父さんが忙しい人だし、猫間君も
きちんとお世話できるか自信がないみたいでした。学校の図書室にあった
猫の飼い方の本を借りて読んで一人で勉強したりしてたようでした。
そこまでするくらい猫間君は猫がほしかったんだと思います。
うちの母さんにも飼えないかな?と聞いてみましたが、いつかお別れのときが
くると悲しいからガマンしなさいと言われました。ちょっぴり寂しいけど
父さんがいつもきちんとママの言うこと聞かないとダメだって言うし
寄宿舎の子たちみたいにしっかりふるまうようにって言うから
僕はワガママを言いませんでした。
猫間君が今日の放課後、嵩ちゃんのおうちに行って仔猫を一匹もらえることに
なったと言って、朝からニコニコすごくいい気分みたいな感じに見えました。
僕も一緒についていっていいか質問したら「いいよ」と答えてくれたので
二人で行くことに決まりました。僕はとてもうれしかったです。
校庭のすみの石のごろごろ転がった場所で、おどりの練習もがんばりました。
それから嵩ちゃん師匠のおうちまで行くことになりました。
嵩ちゃん師匠の家は大きい農家さんです。だから、家もよそより大きいです。
箱に入った二匹の仔猫がミャーミャー鳴いてて、かわいいと思いました。
猫間君は二匹のうちのどっちもそっくりだったけど濃いキジトラの猫を選んで
嵩ちゃん師匠と「猫をいじめたり、ころしたりしない」と約束していました。
仔猫は短いピコピコ尻尾です。鍵尻尾といって幸運を引っかけるのだそうです。
僕も母がいない猫間君が幸せになればいいなと思いました。
カゴみたいなのに入れてもらって、仔猫を連れて帰ることになりました。
名前を何て命名すればいいのか一緒になって考えながら歩きました。
そしたら後ろから夏目君たちが来ました。翼君が「あそこの電柱まで競争して
ビリの人はジュースをおごることにしよう」と言って、スタートしたら
宙君が僕の足を引っかけてきたので、僕は転んでしまいました。
右足のヒザをすりむき砂利が少し入って、血が出て痛かったです。
ビリの僕は、みんなにジュースをおごりました。冷たくておいしかったです。
夏目君たちとバイバイしたら、猫間君は「おまえはバカだ」と言いました。
「あいつらがああ言ってきたときは転ばせる合図だぞ」と言うのです。
僕は知りませんでした。今度はよけるように気をつけたいと思います。
猫間君は今は二人だけだからと、夏目君たちや浅井君たちの悪口を
いっぱい言いました。「ずるくてひどい」のだそうです。
僕はそう思いません。そして「ころしてやりたいけど本当にころしてしまえば
ダメだから、お父さんと約束してるからやらない」と言いました。
僕はきちんと約束を守る人は偉いと思うので、猫間君のことを真似したいです。
意地悪されたら心の中で何度も何度もころせばいいと教えてもらいました。
でも、僕は心の中でも痛くするのはよくないと思います。
仔猫の名前は猫間君と一緒に考えて「チャーミーちゃん」と決めました。
◆非情怪談. 桜庭潤
八年生の夏期休暇明け。九月上旬の金曜。
時間は腕時計してないから分かんねーよ。
夜だ、夜。少し前に洗面所で寝支度を済ませたとこだった。
…閉じ込められた…
寄宿舎の奥は寄宿舎生なら誰もが揃って近づきたくないよ。
一言で表すと「クセェ!」プリンス・リトゥル遼様の尿臭。
そいつが反則氏と遼の自室扉から漂ってくるんだから困る。
人間の身体から出たモノはダメだよ。全て汚いと認識する。
オネショ、何とかならねぇのか? 就寝前に小用させても
就寝中でも尿を作る機能は休まないってのが不思議に思う。
でもなァ、何故か廊下の突き当たりまで行っちまったんだ。
出処不明の鍵を拾ったのが原因だ。落としたのは高橋さん。
寄宿舎を管理する寮母なんだから落とし主は高橋さん以外
考えられない。二階の廊下に鍵が落ちてたから拾っただけ。
ふとした気紛れ。普段は施錠されてる廊下の突き当たりの
扉が開くかどうか試してみたくなった。一階の高橋さんの
自室まで届けるのはその後でもいいよなって油断したんだ。
俺も馬鹿だなァって今頃になって反省しても遅いんだけど
鍵って鍵穴に挿して使いたくなっちゃうものでしょう?
手近な施錠箇所がそこだったから近づいて…開けた。
廊下側からは鍵がなくても手で開錠できる仕組み。
非常口。外からも確認できる。少し張り出したコンクリートの三和土。
手摺りは白く塗られた鉄格子で一メートル以上はある筈。階段はない。
隅っこに非常用の避難梯子が格納された箱が設置されてる。他はない。
夜空なんか窓から見れるのに特別感みたいなもんを一人で愉しんでた。
で、なんか知らねぇが廊下側から鍵かけられた。俺はザジだと睨んでる。
しかし、手に鍵を持ってる。この鍵があるから出たんだ。何の問題なし。
拾った鍵を挿したら…入りません。非常口用の鍵じゃありませんでした。
そういった訳で途方に暮れてる。鉄扉を叩いても見に来ないのが怖い。
反則氏は耳に異常でもあるの? 遼がうるさいって訴えでもしたら
廊下に出るよな。そしたら気づくんじゃねえかと思うんだけど。
ヤッチ君みたいにヘッドホンで音楽聴くタイプじゃねーし。
つーか、馬鹿ザジ!
同室者が戻らないなら探すだろ?
あ、そういや歯磨きもしねぇで寝たんだっけ。
モンクちゃんと斎藤の部屋にも届く強さで鉄扉を叩いても
誰も様子を窺いに来ないのが不可解。切り取られた世界の破片に
閉じ込められたような気分になる。懐中電灯もないし、辺りは真っ暗闇。
月や星、とんでもなく遠い天体たちの放つ光だけが俺の味方になってる。
誰かが廊下側から確認しないで施錠したんだ。意地が悪りぃ。
俺も間抜けだったと思うが普通に腹立つ。扉を叩いてるのに
誰も廊下の突き当たりまで様子を見に来ないのが非常事態だ。
非情な野郎が悪戯しやがったんだ。物陰で見て笑ってんのか?
避難梯子を使ったら下りられるけど寄宿舎は外から入れない。
防犯のため起床時刻まで施錠されてる。入学時からの決まり。
そもそも避難梯子を使いたくない。暗くて足元が落ち着かないし無理だ。
『高所恐怖症』
イヤな五文字だが自分で認めるしかないんだろうな。鳶職にはなれねぇ。
しかし、内鍵をかけた犯人は誰なんだ? 知っててやったなら赦さねえ!
ガチャガチャドンドン存分にやった。それでも無視するんなら仕方ねぇ。
もう1つの鍵を頼るしかないか。村にある俺の自宅借家の合鍵の出番だ。
俺には大事なアイテムだから組み紐に通して風呂以外は首から下げてる。
流石に見せびらかすのは恥ずかしいんで直接肌に触れる形になるけどな。
避難梯子で下りて校門を出て俺ん家に行って寝よう。それしか手がねえ。
…?!…
カチッて聞こえた。もしやと思って静かにドアノブを回したら、開いた。
でも、廊下には誰の姿もない。日常的に見てる消灯後の寄宿舎の廊下だ。
腹が減ってきた。自室に戻って懐中電灯を持って食堂まで下りるとする。
悪い夢は忘れるに限る。何かあったとき頼れる人間、俺には…いない…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
しかし、どこを開ける鍵なんだろ?
高橋さんの自室をノックして尋ねたら
そんなの知らないと一蹴されてしまった。
鍵と同じシルバーの二重リングが付いてるだけ…。目印に
なる物は他に付いてない。訊きまわるのもメンドクセー話。
持ち歩きたくねーし、娯楽室のテーブルの上に置いといた。
寄宿舎の誰かが見て自分のだったら勝手に持っていく筈だ。
その翌日、午後六時過ぎ。タッツンと一緒に遼を連れて共同浴場で
湯に入ってきた。夕食は済ませてるし娯楽室で一息ついてるところ。
九月の初旬、まだ夏は過ぎたと言えない時期だよ。扇風機の首振り
機能が娯楽室内じゃ十分に活躍してくれている。そよかぜっていう
製品名の扇風機を漢字で書いたら「戦風」って物騒な字面に変わる。
平仮名の方がいいな。そよぐという言葉の響きは優しく感じるのに。
ザジは仲の良いタコ宙たち三組の三人と連れ立って村の食堂まで
出かけてるんだ。天津飯が美味いとか話して俺も誘われたんだが
四六時中ザジを見張ってなきゃなんねぇ必要もないんだし喜んで
送り出した。こっちだって偶には別行動で息抜きしたいとこだし。
テーブルに着いて遼にアイスを与えていたら、タッツンがラジオの
スイッチを入れたんで、ニュースだの天気予報だのを聞き流してた。
騒がしくない夕食時も悪くない。余計な口を動かさないで済むのは
俺にとっちゃ贅沢な時間だと言えるだろう。昨日の奇妙な出来事は
ザジをはじめとする寄宿舎生の誰にも言ってないよ。もしかしたら
俺以外の全員で仕組んだイジメに近い寸劇だったとも考えられるし
あんなに扉を叩いて大声を出しても全員無視ってのが薄気味悪りぃ。
…?!…
扉越しでも覗き窓の視線に気づいて目を向けたら斎藤だった。
二秒くらい斎藤と目を合わせたら再び視線を室内に動かして
意を決したように扉を開けて入ってきた。いつもこんな調子。
いつ見ても気持ち悪りぃ視線だが他人同士が身を寄せ合って
生活する場所だから周囲を気にするのは仕方ないんだと思う。
眼に視えない壁や仕切り、空気を窺わなきゃ生き辛いもんな。
俺とタッツンは目礼で済ませた。タッツンは入学当初に少々
ヤらかしたそうで二組の連中とは馴染み切れない様子なんだ。
ラジオの演芸場からの中継に聴き入った素振りを見せている。
俺も学校のプリンス・リトゥル遼が空にしたアイスのカップと
使用済みの木べらなんかを回収して代わりに片付けてやってた。
斎藤は今から一人で共同浴場へ行こうとしてる格好だった。
でも、何だか落ち着かない眼差しで娯楽室を見まわしてる。
声をかけて役に立つ場合と邪魔になる場合、両方あるんで
こっちも落ち着かないが黙って斎藤の動きを見守っていた。
「あ、見つけた。これ誰が置いたんだろう? 斎藤さんの
持ち物なんで回収させてもらうけど、一体誰が娯楽室に?」
頭に疑問符を点灯させながらも安堵した表情を見せていた。
斎藤の手がテーブルの上にあった鍵を取って胸ポケットに
納める様子を確認した。奴の持ち物だったのは少し意外だ。
遠い離島に実家のある生徒が合鍵なんて持つ必要ないよな。
「置いたのは俺だよ。昨日の晩、洗面所前の廊下に落ちてたのを
拾って、寮母の高橋さんに訊いたら知らないって答えたから
消灯後に訊いてまわるのも面倒だったし、それでここに。
失くしたカギを探してたなら見つかって良かったな」
非常口に閉じ込められた十数分ほどの時間は自ら黒く塗り潰して
なかったことにした。普段は気の利くタッツンだって何故か俺を
助けに現れなかったんだ。靄つく気持ちは抑えて消し去るに限る。
「洗面所前の廊下が発見場所? おかしいな。これ少々ワケ有りの品で
封筒に入れて机の引き出しに仕舞ってたんだけど…。あ、まぁ、そのォ、
サックラバーには斎藤さんの言葉を尽くせないほど感謝してる。心から。
でもなぁ、不思議で仕方ないよ。封筒から出したりした覚えがないのに
配送局で封筒を出そうと思って引き出しを開けたら…鍵だけ消えてて…」
言いながら斎藤の気持ち悪りぃ眼差しが室内を見まわしていた。靄つく。
こいつは視えない何かに怯えてる目だよ。リンバラと似てるようで違う。
リンバラも常に落ち着かねえ目をしてるから正直好きとは言えない奴だ。
リンバラは視界に捉えている。そう読み取れるから関わり合いたくない。
色々と一緒に行動すんのが難しい問題を抱えてるんだから仕方ねぇよな。
「ワケ有り? 鍵は封筒に入ってなかったし、おまえとモンクちゃんの
部屋にも立ち入っちゃいねぇのは断っとくからな。手癖の悪りぃ野郎が
寄宿舎にいるなんて思いたくねえ! 無事に見つかったんなら十分だろ」
半ば突き放すような言動でも立場は明確にしたかった。疑惑の靄は消す。
「サックラバーの言うとおり、本当ありがとう。共同浴場に行ってくる」
最後は本棚の辺りに視線を向けながら娯楽室を出てった。気持ち悪りぃ。
いつも空いてる飯時を狙って共同浴場に行くんだ。気持ちは分かるケド。
斎藤は目の動きと話す声の抑揚が剥離してるのが…気持ち悪りぃんだ…。
斎藤が姿を消したらテレビゲームの電源を入れたタッツンが
音楽ゲームを始めた。観客の遼が歌ったり合いの手を入れて
賑やかしてる。ラジオも付けっぱなしで声だけ大勢いる感じ。
『ワケ有りの鍵』
斎藤の実家は旅館だと聞いてる。それと、もう一つ情報を得ている。
今年は例年の長期休暇に比べて数日早く寄宿舎に戻ってきたそうだ。
五時過ぎに早めの夕食を摂ったとき偶然同席していたミサちゃんが
証言していたんだ。ヤッチ君に向けての会話を耳で拾っただけだし
斎藤と同室のモンクちゃんからは何も聞いてないけど嘘じゃない筈。
本物のマスターキーだったのかもしれねぇよ。失くすと大変な品だ。
その鍵で開く扉は全部交換しなきゃならないくらい俺でも知ってる。
あくまでも想像だが親に叱られでもした斎藤が親を困らせようと
実家の旅館のマスターキーを盗ったのが大方の真相だって思える。
と言っても反省したのか封筒に入れて返送しようとしてたんだろう。
それが何者かの手で抜き取られて洗面所前の廊下に落ちていた。
昨日の晩、いつもより遅く寝支度しに洗面所へ行った俺が
落ちてた鍵を拾ったって顛末になる。その後がアレ…。
ちょっとした悪い夢、思い出したくもない絶望感。
視えない何かを知って怯えてる故に斎藤は気持ち悪りぃ目で
時々周囲を窺ってるんだろうな…。昨夜も鍵が開く音がして
すぐ非常口の扉を開けたのに誰の気配も感じ取れなかったし
何より俺が閉じ込められてる間、扉を叩いたり声を出しても
誰一人として非常口まで様子を見に来なかった現実が怖いよ。
手癖の悪りぃ奴が斎藤の机の引き出しを開けて盗ったとしても
誰が何の目的で…?…こういう問題の解答に頭を働かせるのは
厄介事の連鎖を生むだけ。この世界で犯人探しなんか無意味だ。
…?!…
タッツンの手で目の前に缶ジュースが置かれてた。完全にボケてた。
無言の思い遣りだ。麦茶好きって訳じゃないが有難く頂戴しとこう。
「ありがとう」
五文字の言葉で気持ちを伝えた。手を振る仕草で受け取るタッツン。
テレビ画面を見たら遼がコントローラーを握って懸命に操作してる。
音感は優れてると思うのに指が上手く反応できてない。ミスの連発。
それでも笑い声を立ててる。自分で動かしてるのが楽しいんだろう。
ゲームオーバーの表示も終了したという意味にしか受け取ってない。
悔しいだとか腹立てたりしない方が心の中も楽になっていいと思う。
後もう少しすりゃ四人が戻ってくる。それまでの平穏無事な時間だ。
学校の建物は村から少し外れた位置にある。民家からも遠くて
窓からの景色も自然ばっかり目に入る。山の木々。揺らぐ草穂。
紅葉の始まりと終わりをゆっくり観察する間もなく冬の寒さに
うんざりして雪片づけに追われる毎日が来る。今からイヤだが
もう八年間も頑張ってきたと胸を張っていいような気もしてる。
薬缶で淹れた茶でなく冷蔵庫で冷やされた缶入りの麦茶で
晩夏を味わうのも悪くない。耳は多くの音を拾っているが
静寂な世界の中を漂っている錯覚。日の入りも早くなった。
耳にザジの声が届いてきた。四人が帰ってきやがった。小休止の終了。
◆或る母の心を持つ生徒の独白.
恋心を与えました。
それが…いつか彼らの心の支えとなるかもしれない…。そう思ったので
必要とならないことを願いながら、それぞれの心へと与えていきました。
私はかつての我が子らの幸福のためなら何でもするという強い決意から
この歪んで拗けた世界を訪れた者です。そう長くいられないでしょうが
子らが他の者たちを傷つけたりしないよう全力を尽くしたいと思います。
一人は…五人を…。一人は…二人を…。だから、もう…。ごめんなさい。
◆マコという男オバサン. 浅井彰太
俺たち生徒が九年生に進級した四月半ば過ぎ。
この学校の前庭に何本か植えられてある桜の蕾が
少し綻びはじめたって頃の話になる。時刻は放課後だ。
そっちへ首を向けると、まだ雪が残ってる山も微かに春色めいた気がする。
山菜の淡い黄緑、萌える色だな。タラの芽の天麩羅が楽しみになってくる。
ネマガリタケ、こっちじゃ普通に筍だけど若布との味噌汁が美味いんだよ。
身欠き鰊と炒めたミズ…。今から食欲暴走させてバカすぎる。まだ早いか。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
なんか溜め息も吐きたくなる。俺も最近アレだな…。
いつもつるんでたドクズのあっちょんぶりけつにカノジョができたっぽい。
直接ヤツが俺にそんなノロケ話してきたワケじゃない。でも気づくだろう!
ドクズのリテン君とも…それなりに長い付き合いになってきてるんだし…。
それも俺が『縁結びの神様』って形になっちまった感じだから、癪に障る!
八年生の秋、いつもと同じく街まで出かけて適当にぶらついて遊んでたら
一体何が発端だったか、よく思い出せなくなったけど
あのドクズがあまりに腹立つこと吐かしやがったんで
公園へ逃げやがったドクズをスクーターで追っかけて
ちょっと格好よく追い着いたところで見事に捕縛成功!
そのまま近くの樹に縛り付けてやって、こっちは逃走!!
俺の縄使いは、もう軽く二代目の御方レベルだ。隠者。
そうは言っても本気で置き去りにしたら後で面倒くせぇ問題になるのは
俺にも分かり切ってることだった。ある程度こっちの腹の煮え立つもんが
落ち着いたら迎えに行くつもりで何か美琴の土産になりそうな品はねえかと
雑貨屋を覗いてた。落ち着いてから元の場所へ戻ったときにゃ解いたロープを
樹の根元に残した状態で消えてた。謎の消失事件発生? ちょっと本気で焦った。
どうやって?と思ったら、そこから少しばかり離れた場所のベンチで
ドクズの脩と見知らぬ女子が並んで座ってて、和やかに会話中だった。
馬鹿みてェ、俺…。
たまたま通りかかったカノジョが余計な親切心出しちまって
脩のドクズを戒めから解き放したっていう寸法だったワケだ。
見てらんねーから帰ったよ。いっそ、その場でコロしときゃ
よかった。一刻も早く生まれ変わってリテン君になるべきだ。
促してやるのも善行なんじゃねーのかって考えてるけどさ。
変幻が無理なら、シんでもらうのが手っ取り早いと思う。
森魚理典君とだったら、仲良くなるつもり…ねぇな。
全く無理。何故あの性格でカノジョができんの?
少なくとも並大抵の神経じゃないよ、その女子。
見映えは兎も角、性質は災厄だと思うんだが。
俺の妄想とか嫉妬じゃなくて実際アレなこと仕出かすからドクズなんだよ。
ダフィーなリテン君の所為でストレス溜まる学校生活してるのも多くいる。
だからこそ、俺に特別任務が与えられてる理由なんだけど逃げられてちゃ
その任務も遂行できねーし、端からしたい訳じゃない。関わりたくねーし。
なんか怠りぃなっていうか…心身の不調極まりない日…なんかもあったんで
俺が学校を休んだりしてた間に脩一人で近づけていっちまってたんだろうな。
二人の距離ってヤツを…。いや、その詳細とか一切合切こっちは存じません。
まあ、アレでも雰囲気はそう悪くねぇヤツだもん。
たぶん将来ゼッタイ禿頭になっちまいそーだけど!
いや、その、あいつん家の親父がアレだからさ…。
ドクズはクソヤローなのは確定事項でも
以前から何となく感じてたことがある。
あいつは…そっくりだと思うんだ…。
ラファエル
うちの離れ、美琴の部屋に俺が買って飾ったもんだけど
切り絵で作られた大天使ラファエルに見た目だけ似てる。
自然とゆるくウェーブがかったような髪型の雰囲気とか
目を伏せたときの表情なんかが重なり合ってる気がする。
美琴に見えなくても見守ってほしくて、額に入れて壁に飾った。
癒しがほしかったから…。こっちだって甘えなのは気づいてる。
今日も何か約束でもしてんのか、授業が終了した途端に
こっちの顔さえ見もしねぇで颯爽とスクーターに乗って
さっさと街方面へ走らせてっちまったよ。何なのアレ…?
ホント腹立つ。このまま自分ん家へ帰ってもなァ…。
魔法が完全に解けちまったみてーだから、美琴はもう…。
うーたんの声を必要としなくてもいいんじゃねーのって。
喋るウサギ。ぬいぐるみ。うーたん。
何年、美琴の友達やってたんだろう?
こっちの声が変わっちまったのが…。
そりゃもう、さすがに気づくもんな。
逆に向こうが無理に相手してくれて
やっと、こないだ、お別れしたよ…。
うーたんは、魔法の国へ帰りました。
おしまい。めでたくねぇ物語の終了。
彰太君はもう村の浅井家に無理して留まる必要もなくなりました。さようなら。
本当に遠い何処か…誰とも関わらなくて済む世界へ旅立つべき…決意しなきゃ。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
鯨井信、一年生の冬に編入してきた男オバサン。
いつも自分の身形に構うことより、他の誰かの体を気遣ってばかりのヤツだ。
自分以外の大事な家族を吹雪の日に突然奪われてしまった…譬えようもない
絶望を抱えている筈のヤツなのに…どこにも荒みを感じさせない。スゲェよ。
うちの大祖母さまの体調を見に来る診療所のマエダ先生の鞄持ちで
俺ん家に放課後やら休日、しょっちゅう出入りするようになってさ。
物凄い勢いで、気づけば美琴の心の中にも入り込んでいってたんだ。
あいつは、本当いいヤツだと思う。好きだよ。
こないだ美琴は「鯨」って曲を俺に歌って聴かせた。
きっと、あいつのことが好きなんだなって俺も気づいた。
あいつは木彫りが趣味だとかっていう同じ二組のウマヅラに頼んで
色々なものを作らせてやって、美琴をすっかり喜ばせてやがる。
仮名文字を浮き彫りにしたブロックなんかも作ってあって
それで簡単なメッセージのやり取り出来るようになった。
どこのどいつもそれなりにいいところを持ってるのは確かだ。俺はそう思う。
級長の花田や斎藤なんかは周りからブサイク呼ばわりされても潰されねぇし
高潔なヤツらだと俺は思ってる。表にゃ出さねえよ。だって、外道だもーん!
あいつらとかだって腹ン中で煮え立つもの抱えたりすることあるんだろうが
どうやって、あの腹に溜まる嫌なもん暴発させたりしねぇで済ませてんのか
本当に不思議だ。かといって、今更、特掃ヤローの真似ッコやらかしてみて
手に箒や雑巾を持つ気なんか全くねェです。掃除当番のときだけにしとくぅ。
俺の場合、次に取り返しもつかねえ超最悪のヘマを仕出かしたときは
今度こそ…自分で自分の後始末をつけて…終わらせよう…。
そういった腹積もりは…できてる…とっくに…。
俺の腰縄は…そのためのもんだ…。
誰かを縛るためのもんじゃねぇよ。
本当は…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「どうしたんだよぅ、彰太君!」
あっ、この声は…!
俺が心の中で噂したせいだろうか?
「ぼけーっとして、早くも一人でお花見してたのかー?」
左側には、こっちに顔を見上げるマコが並んで立ってた。
うわっ、マコは本日も相変わらずの寝癖頭だ。通常運転中なの確認したよ。
制服の肩に白いの落ちてるな。うぅ…。たぶん、乾燥しやすい体質なんだ。
不潔だとは思わない。ワレワレ、若くて新陳代謝がスッゲェ活発っすから!
大体にして、前髪を自分で鏡も見ず切るような男だから、可成りアレだ。
いつも声が力強く元気いい感じだから、美琴が惹かれるんだろうと思う。
腹から出してる生命力ってもんを覚える声がマコの第一の特長といえる。
もし、このツラ見たら…。いや、やめとこ。こいつは美琴の心の支えだ。
「咲いてるって言えるのかよ、まだこれで?」
こいつといると、俺みてぇなド屑でも何故だか自然に笑える。
これでも三組の外道の一員なのにビビリもしねぇんだもん。イヤんなる。
「カノジョ…」
マコは校舎二階の教室の方を指差して
「気にして見てたりしてたワケ?」
マコの右手が指してる先は…二組だ…。
つい気を許して色々と喋り過ぎてしまった。こいつなら全く構わねぇが。
「サムライにゃ勝てそうにねーし、もう忘れることにする」
サムライに斬られたんで、ハラワタを出した。もうどーでもいいハナシ。
容姿は二組じゃ一番だ。他に色々噂も聞いてる。隙間には潜り込めねぇよ。
可哀想…としか言えないヤツだった。支えが必要だと思う。美琴みたいに。
敗けてやらなきゃならない相手。だから、あいつが学校最強の無双で結構。
「それじゃあ駄目じゃん。彰太君!」
うゎ、そうきたか! ひでぇ、何この日曜夕方って気分は。まだ火曜なのに。
季節に合わせた春の風かよ。吹き荒れまくるよ。関係ねぇっスよ。笑えるー。
「ニシヤンは全然あの人に興味ないみたいだし強気でいってみなって!
あきらめる必要ないと思うの。当然断然オレは彰太君を応援するよぅ!」
こいつは…俺と違って…。
なんて輝いてるっていうか
煌めいた瞳をしてるんだろう。
「それにしてもさァ、とうとう一組のやさぐれ王子がやらかしちゃったね!」
昨日の夕刻、村でボヤ騒ぎがあった。
失火の原因は、一組のハシムの喫煙だった。
あいつん家の畑の隅にある木造の離れで隠れて喫煙し
何かに引火したらしいが、ハシムにゃ火傷や怪我もねーし
べつに家屋が全焼したとかの大きな被害じゃなかったそうだ。
その事件を聞いた三組の外道の集まりは、大笑いで盛り上がった。
やさぐれ王子改め「やらかし王子」の村元黎が誕生したってな…。
悪りぃが…。申し訳ねぇとも思うが、そいつにゃ俺も笑ちまった。
完全にハシムが悪いもんな。こればかりは庇ってやれる点が何もねえ。
まあ、そういった訳で…。現在、あいつは謹慎中ってことになってる。
「これを機にきっぱり禁煙しやがれってとこだな」
現在は一組の連中と深く関わってないから、マコと一緒に笑い合った。
同じクラス仲間だったら少しも笑えねぇ。一緒になって苦しむと思う。
確かハシムは一組じゃピアスして可愛いトビーちゃんとかと親しい筈だ。
午後よく犬の散歩で見かけるんだが、俺とは愛犬家同士って繋がりになる。
飛島ン家の飼い犬は白い犬種不明のヤツだけど、見たところ老犬みてぇだ。
うちのは秋田犬で妹の美琴が名付けた「はちべえ」って新年に迎えた御犬様。
俺自体は、はちべえに躾や何かしてる訳じゃねえけど親から散歩を頼まれると
ついでにドクズを付き合わせて村内をうろつく場合もある。良い気晴らしだな。
「ところで、いつも一緒のドクズはどこ? 彰太君が一人きりって珍しいね!」
掃除当番だったのか手や制服に白、黄、ピンクのチョークの粉を付けたマコが
腹の底から出てるって思える無邪気な大声で、こっちの腹を探ってきやがった。
そうなんだよな…。でもなァ…。
俺が脩の御目付役でも、恋路に踏み込む野暮なマネは拒否。
だって、それこそ馬鹿そのものじゃねーの。馬に蹴られる。
街にも行く気しねぇ。家に帰る気もしねぇ。
今日は、どこで暇潰しすりゃいいんだろう?
んーと、あ、そうだ。とりあえず特掃ヤローの真似、発想即実行するか!
「しれたことよ。今から俺もこの学校に火ィ点けてやろうかと思って!」
ハシムと違って煙草なんか喫わねーが何かの役に立つんじゃないかと
ライターは持ってるんで、左ポケットから取り出して着火してみせた。
もちろん、すぐ消して仕舞う。
本当に…学校なんて…こんな世の中じゃ何の意味もねえ場所。
いっそのこと…きれいさっぱり消えちまえばいいのに…。
なんで通う必要あるのか疑問しか湧いてこねェ場所。
「まさにゲドー! 横山三国志の張飛が、ここにいるぞっ!」
こっちを指差して笑ってくれると、ほんの僅かでも愉快な気持ちになれる。
そうそう、思い出した。こいつに横山三国志を全巻まるごと貸してやったとき
試験前日でも読み耽ったそうで、翌日寝坊の大遅刻で追試って笑ったっけなァ!
こいつは馬岱が好きだって言ってた。まあ、登場人物みんな大好きだろうけど。
マコなら即座に斬捨てられちまう武将だって嫌うことはないと思うよ、絶対に!
名前のない戦地に転がる死体でさえも…そいつの想いを受け止めてると思う…。
二組のジェントルメンズとやらに編入したら、俺も変われるのかな?
三組は居心地悪すぎる。何度か登校拒否したミサの気持ちも分かる。
腹の内はゼッタイ出せない。あいつ、特に見てられない。おかしく…なる…。
……現在非常警報発令中……
いや、ずっと、ずっと…前から…。
一体もう何年になるってんだろう?
腹の奥のもやもやした何かが…ざわめいて仕方ねぇ存在が三組に…いる…。
「ねえぇ、いいなっ。その手首のヤツ!」
さっき俺がライターを掲げた左手首を指差して言った。
「ああ、これかー?」
ブレスレットだ。先日、街で一目惚れして即購入し、左手首に着けた天然石。
「なんていう石っころ? コンニャクが青く光ってるみたいで綺麗だよぅ!」
マコに関心持たれて褒められると、うれしくなるな。俺も気に入ってるから。
「ラブラドライト。確かにマコの言うとおり、青い輝きを放つ蒟蒻石かもな」
天然石だから、ぐんにゃり指の圧力で凹む訳じゃない。しかし、良い喩えだ。
三組の連中には総無視されたアイテムだってのにマコの瞳は捕らえてくれた。
それだけで本当に心から感謝したくなる。たいした値段じゃねえし譲ろうか?
また新しいの見つけりゃいいだけだし、街をぶらつく理由になる。いい話だ。
この学校はおかしい。制服があるにはある。但し髪形や細かい格好の規定なし。
そんな訳で自由自在。馬鹿みてぇな女かよって格好が平気で通用するんだよな。
教師自体がアレだったりするから、不思議は不思議で構わねぇと諦めてるけど。
長髪で挙げられるのは、まず一組の校長の孫ガキ。二組は、普通の女子だから
何の問題なし。三組だとタコ宙、ドクズの次に永眠を願う対象だ。ミサは女子。
ずっと色々我慢してきたんじゃないかと思うから、もっと好きにしてもいいよ。
何でもかんでも使って、もっと綺麗に見せりゃ付き合ってる谷地も喜ぶだろう。
指輪も意外と多い。いちいち挙げるとキリがない。俺はヤダ。邪魔でしかない。
あ、ミサは谷地から贈ってもらってないのかな?って気にすることじゃねーか。
ネックレス男、大量発生中。メダイ付のチョーカーを着けてるリテン君もいる。
イヤーカフがトレードマークのヤツもいる。三組の中で誰より本当は…持ちで、
使い捨てで利用してやってる道具みてぇな外道兵だ。早く壊れちまえ、曇り男。
俺の自己主張はブレスレット。シルバーは手入れが面倒で苦手だ。黒ずむから。
数だけはそれなりにあるけど、今はラブラドが一番だってくらい気に入ってた。
ブレスの留め具もニューホックだから不器用なマコでも付け外しが楽だと思う。
「気に入ったなら、やろうか?」
外して端をつまんで見せてやった。サイズも少し緩いくらいで問題ねぇだろう。
俺と違って、こいつは造作が悪い訳じゃない。タヌキの毛皮なんか背負うより
天然石でいいから飾り立てろ。マコ、緑よりずっと青が似合うよ。晴天の空が。
「ダメダメダメだー! それ、彰太君の悪い癖だよぅ。何でも物持ち悪すぎだ。
飽きるの早すぎ。まだ買ったばっかしなんでしょ? もっと大事にしなって!」
思わぬところで、マコから説教を食らってしまった。うん、言うとおりだろう。
大事にするのって怖いよ。大切にしたら、した分だけ、惜しくなるのが、怖い。
それなら、早く、執着が強くなる前に、手放せば、棄てちまえば、気も楽な筈。
「それ、彰太君にすごく似合ってる色だ。外すな。メーレイッ!決まりだよ!」
ブレス持ったマコの手で留め具を押さえられ、俺の手首でパチッと音が鳴った。
「ほら、いいじゃない。青いコンニャク石、三組の色とも合って、相性いいな」
どう返したらいいのか言葉が上手く見つけられない。でも、しばらく外さない。
当分、蒟蒻も口にしない。そうすることに決めた。素直にマコの命令に従おう。
「よかったら、オレと一緒に帰る? ポップコーン作るよ。それとも豆食う?」
マコの誘いを断った。スクーターを押して歩きたくねーし、帰るのもまだ早い。
「じゃ、オレは先に帰るね! 学校の宿題や医学の勉強もしなきゃダメだし!」
そう言うと駆け足で校門を出て行った。診療所の手伝いもしてるマコ、頑張れ!
生きてる以上、少しは誰かの役に立ちてぇ。そいつが俺の罪滅ぼしになる筈だ。
俺が死んだら、地獄の底で
ありとあらゆる責苦という責苦を
黙って、全て受け入れます。
ですから…どうか…まだ今は
後もう少し…許して…。
お願いします…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
その辺の草むらじゃスギナが目立ってきて、ツクシが萎びてる。
白かった地面が色づくんだ。どんどん明るい色に伸びて煌めく。
曹灰長石の色も、胸の中を抉られるような心持ちになる色合い。
蒼天。マコがよく着てる空色のジャージ。アレ嫌いじゃねぇな。
アパタイトブルー。俺にとっちゃ「マコの色」とも称せる色彩。
あいつに緑のスカーフは、いまいち似合ってねぇ気がするんだ。
アパタイト。燐灰石。「絆」「繋げる」マコとは友達でいたい。
惑わしたり、誤魔化したり…。もう、そればっかりな俺の人生。
あいつといたら、ちょっとした刺激で、渦巻いて煮え立つ腹が
緩く和やかに抑えられる。ホント存在に助けられているんだよ。
マコは働き者。俺だけじゃねーよな。村人みんなが助かってると思う。
中でも美琴が世話になってる。マコのため、役に立てる何かがしたい。
んーと…。何よりもまず、欠けっぱなしの右前歯を治療させるべきだな。
うわっ、それこそアパタイトが重要項目っぽくなる。ガードしたい案件。
実をいうと、マコの歯欠けは俺の…村にある浅井家の…責任になると思う。
あいつ、ピーナッツやなんかの乾いた豆菓子やポップコーンが好物なんだ。
俺、ポップコーンは歯触りの音や挟まったりとか嫌で滅多に食わねーけど。
あのモキュモキュ音、好きなヤツいる? アレどうも受け付けねェ。無理。
マコに落花生の袋を与えてやると、見てて笑っちまうくらい無心に食べんだ!
誰でも眺めてたら「アンタはカワイイ小動物かよ!」ってツッコミたくなる。
うちのバ…母親がマコのために大きな缶に入ったミックスナッツをやったら
中に硬かった豆があったのか、それで右前歯が欠けたらしい。申し訳ねぇな。
あ、そうだ…!
マコの…敵討ち…か。
うん、それもいいんじゃねーの。
頼みの警察がねェ奇妙な世界だもんな!
殺人事件があったという吹雪の日は、俺たち学校へ通ってる連中の
初めての冬休みの最中。二組の連中は担任も含めてマコの心の傷を
抉らねェよう気を使ってて、詳しい状況は聞き出せてねーようだが
あいつが頼まれた買い物から家へ帰る途中で…若い男…らしいのと
すれ違ったとかいう情報なら村の浅井家に住む俺の耳にも入ってた。
現場検証だっけ? それをしてみようか。
もう事件から八年も過ぎちまってるけど
もしも、手がかりか何かが見つかったら
あいつが喜ぶ顔に結びつくかもしれない。
だいぶ愚図ついちまったが、やっとスクーターにキーを挿し込む気になった。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
つくしすぎ。土筆杉菜。ツクシが成長するとスギナになる。
食材になる贖罪をしたい。生薬の問荊。少しでも役に立て!
尽くし過ぎ。いくらでも尽くしたい気持ちをマコへ向ける。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
そういった訳で…少し遠出したが、結局は無駄足だった…。
マコの実家跡と思われる場所は誰がやったのか知らねェが
とっくの昔に解体されちまってた。来るのが遅すぎたんだ。
元建材だったと思われる材木を大量に積んだものがあって
ブルーシートが掛けられて、周囲を点在するブロック片で
押さえつけられてる。他には切り倒されたと思われる樹の
根っこが点々と残ってるだけ。元住居と元林檎畑って様相。
周囲を見渡してみても近くには他の建物とかねぇなぁ、やっぱり。
念のためにと思って、ちゃんとブルーシートも捲ってみたけど
どこにも何の手がかりになりそうなもんは見当たんねーよ。
あ~あ、結局は役立たずのヘボ探偵なんだな俺って…。
えぇと、確か事件の日にマコとすれ違ったのは、一人の『若い男』だっけか?
美琴の視力も…たくさんの命も…もう何したって戻らねぇが、何かしてーな。
失ったものを再び取り戻せる魔法が使えんのなら、今すぐ何とかすんのによ。
回復魔法、復活魔法。ゲームみてぇなの使ってみてーよ。可成り本気で思う。
若い男、まさか? 草太はアレで結構なァ。
あいつは有り得ないと、腹の底で感じてる。
美女にしか視えねぇアレは謎すぎる存在だ。
だが、あの表面はアレでも心の底は純粋な
三上操の実父だっていうからさ、否定する。
村の若い連中は都会へ出ちまうのも多いし
細かく調べるのは、難しいかもしれねぇよ。
こないだの美琴の歌声が頭に聴こえてくる。
『いつかは許してください』
いや、俺の罪は許されるもんじゃねーよ。
本当ごめん。どれだけ謝っても済まねえけどさ。
自分のこと責められてるような感じで黙って聴いた歌。
マコの傷ついた心に踏み込むのは流石に俺でも怖い。辛い顔、見たくねェ。
もうちょっと、マコから詳しい話が聞けりゃいいのになァ。どうしようか?
◆或る生徒の独白.
ヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシ…。
この村で暮らす僕の耳を悩ませる幻聴、非常警報のように響いてくる。
いる。いる。いる。いる。いる。この村では、五名確認してる。
この学校にも、僕の耳に聞こえてくるヤツが…いる…。
本当に一組で良かったと思う。そこなら、ほんの少し耳が休まるからね。
雨の昼休みは図書室で過ごす場合が多い。そこも滅多に聞こえてこない。
あ…でも…。…いる…来てる…。
鉛筆が動いた。彼からの指示だ。
そう。僕たち二人は…共犯者…。
◆或る生徒の独白.
あの子を 見ると この胸が 苦しい
私は もう あの頃の 私では ない
本心では 駆け寄って 声を かけたい
その名を 呼びたい 言葉が あふれる
今となっては 遠くから 見ているだけ
彼とは 友として 接する 自信がない
私は他の生徒より少し幼い感のある、あの子の成長を静かに見守ろう。
いや、私の方が誰より老け過ぎてしまっているだけなのかもしれない。
◆作文「不思議な大きな白い布のこと」 森魚慶
私が二年生の時のことです。夏休みの朝早く友達の彰太君たちと一緒に
村の共同浴場へ行くことになりました。湯当番の人がお掃除した後なので
新しいきれいなお湯に入れるのです。
その日の朝、私はがんばって弟を起こしました。起きないからママにも
起こしてとお願いしたんだけど、弟は起きてくれなかったので、私だけ
お風呂の道具を持って、出かけることにしました。
たしか、時間は五時半くらいでした。みんなが待っていたら悪いので
急いで待ち合わせの場所に走っていったんだけど、まだ誰もいません。
だから、私はみんなが来るのを待つことにしました。外は明るいのに
空にはお日様が見えなくて白い雲ばっかりです。ただ真っ白でした。
私はいっしょうけんめいに空を見上げて探してみたけど、やっぱり
どうしても空に青いところは見つかりませんでした。
待ち合わせのところに立ってると、村の高い場所にある墓地が目に入ります。
おばけが出たら怖いので見ないようにしてました。それで、私は空を見てました。
でも、いつになったら友達が来るのか分からないし道路も見なければいけません。
あれ?と私は不思議に思いました。上の方に見える墓地が大きな白い布みたいな
もので覆われていて何も見えないのです。お墓の場所が全部みんな隠れるくらい
とても広くて、大きな白い布でした。布団のシーツに似てる大きな布です。
よく見ていたら布が細かくヒラヒラゆらめいていました。
だけど、いつ誰が広げたのか分かりませんでした。
「おはよう」と言って、お風呂のカゴを持った嵩君が来ました。
私は嵩君に墓地の大きな白い布のことを言いました。まだ布が見えています。
だけど、私の話を聞いた嵩君は墓地の方に少し顔を向けてから
「そういったことはあまり言わない方がいいよ」と言いました。
仁君たち三人が来たので、みんなで共同浴場へ行きました。
彰太君は一組の桜庭君と仲良しです。夏休みだと他の友達がいなくなるので
普段より楽しくできてうれしそうです。いつも体当たりで飛び付いてます。
共同浴場では、お湯の中で「もぐりっこ」して遊びました。
一番長くもぐれたのは仁君でした。とてもガマン強い人だと思います。
私はもぐるのは得意じゃありません。弟も来ればもっと楽しかったのに…。
共同浴場から出て来たときは、とても良いお天気になっていました。
お湯から上がった、みんなユデダコみたいになりました。
彰太君が自動販売機のジュースを買ってくれました。冷たくておいしかったです。
家に帰る時に、また墓地のある方を見てみたら、あのすごく大きな白い布は
誰かが片付けたのか見えませんでした。村の墓地は、いつもと同じ景色です。
私は不思議でした。あんなにすごく大きな布を、どうやって広げて片付けたのか
マジックみたいだと思いました。あの墓地に広がってたヒラヒラした布は、
折り畳んだシワもなかったと思います。本当に本当です。嘘じゃありません。
私が学校の廊下で窓の外を見ながら、あの不思議な布のことを思い出してたら
二組の人が話しかけてきました。林原君という人です。私はその人の髪の色は
秋の山のモミジみたいだなと思ってました。だから、そう言いました。
嵩君に言わない方がいいよと言われていたので、ナイショにしていたのだけど
隣りの組の人だからいいかなと思って、不思議だったことを話しました。
そこからもちょうど遠くから墓地が見えるので教えてあげました。
墓地の方をじーっと見ていた林原君の目が曇り空みたいな灰色だったのに
目の色が青空みたくなりました。すごいびっくりしました。
青空みたいな目をした林原君は「不思議なことは不思議になままにしておいた方が
いいと思います」と言いました。気づいたら灰色の目に戻っていました。
林原君は男の子なのに自分のことを私といいます。大人みたいだと思いました。
学校には、他にも自分のことを「私」という人たちがいます。
僕も大人になりたいから、僕を使うのを止めて「真似します」と言いました。
墓地に広げられた大きな白い布の不思議は、今も分かりません。
林原君は晃司という名前なので「ジーさん」と呼ぶことにしました。
おじいちゃんみたいだけど違います。私はやせっぽちだから「スマートさん」と
呼ばれることになりました。もっと丈夫でガッチリした体型になりたいのに
私はあまり食べられなくて太れません。ママや学校のごはんはおいしいのに…。
林原君とお話をしたので私の新しい友達になりました。とてもうれしかったです。
ジーさんは今度うちへ遊びに来てくれます。何して遊ぼうか今から楽しみです。
◆或る生徒の独白.
白日の下では動けない存在たちが身を潜めている。
以前とは違う流れに戸惑いを覚えてるからだろう。
天気も変わる雲の配置
学校の生徒三名の父親
ナリヲヒソメテ…イル
行動できるか様子を窺い、やがて違う場所へ移る。
そう予想している。闇の中こそ彼らの安寧の場所。
◆マコという男オバサンの独白. 鯨井信
オレ、鯨井信には、もう家族…身内が…いない…。
外が真っ白く吹いてる日だったんだけど、そのとき軽く風邪ひいて咳してた
お母さんに「マコちゃん、のど飴買ってきてちょうだい」って頼まれて
表は吹雪いてて寒くても、たった一人して商店まで出かけたんだ。
オレお兄ちゃんだからさ、今日の分しっかり頑張んなくちゃ
お父さんから褒めてもらえないと思って行ってきた。
雪の中から…帰ったとき…戸を開けたら…部屋…真っ赤んな…。
すごい怖くなって、走っちゃった。家から飛び出してしまったんだ。
あのときオレが逃げたりしなければ
まだ誰か息してたかも知れないのに
オレはバカだ。バカだ。バカバカバカ。ものすごいバカだと思ってる。今も。
みんなのためなら死んでもいいくらい大好きなのに逃げた。バカバカだよー!
すごく大好きだったお母さん。怒ると怖いけど、毎日オレのこと褒めてくれる
お父さん。ナイショだよってオヤツくれたり、甘やかしてくれるおばあちゃん。
いつも風呂から上がると裸ん坊になって走りまわる弟、まだ生まれたばかりで
小っちゃい赤ちゃんだった妹がいたんだ…。幸せだったよ…。楽しかったな…。
名前は、知らない人にはゼッタイ教えない。
オレの大切な心に暮らす身内の名前だから。
もう二度と会えないから、いない、ってことになる。イヤだよ!
思い出せば、いつでも会えるんだから、消えてはいない。
だから、やっぱり、オレには、いる、と思うんだ。
あー、でもさ、家族はちゃんといるよ!
この村の人たちや学校の友達とか
みんながオレの家族だよぅ!
オレ、すごいなって思ってる人がいる。尊敬してるんだ。三組の彰太君のこと。
自分のせいで見えなくしてしまった妹のミコちゃんの両目を、どうか代わりに
俺の目を二つ入れてくださいって、両目からいっぱい涙ぽろぽろ流してさァ
オレのお師匠さんのマエダ先生に頼んでたんだよ。土下座までしてた…。
「自分の目がなくなってもいいです」っての、俺は見た。聞いた。憶えてる。
一緒にいたオレも、それ見てたら、なんか…涙…出てた。二年生のときだよ。
マエダ先生は「そんなことは出来ない」と言ってた。片方だけでもいいから
お願いします!何でもします!って…物凄く一生懸命…お願いしてたのに…。
あの人を嫌がる人たちもいるけどさァ
あの人は誰かのために一生懸命になって
いっぱい涙を流せる、心の優しい人だよぅ。
この目で間違いなく見たんだから、知ってる。
それを知ってるから、すごく大好きな友達だよー!
学校の二組でだと、う~ん、そうだなぁ…。
悪口言わないで、仲間外れにしない、心優しいサイトーさん
遊びに行けば、おいしいもの食べさせてくれるマツーラ君に
タダでみんなの髪を切ってくれる誰にでも親切なモリ君とか
お喋りが少し苦手みたいだけど、見てて面白いリンバラ君も
学校のみんな残らず大好き。でも、やっぱり一番は彰太君だなァ。
彰太君がオレと同じ二組だったら良かったのにって思うよー!
二組はタカハシとニイヤマがもう帰ってこなくて寂しくなったしさ。
あの人って体がでかいからさ、弟よりお兄ちゃんになってほしいんだよな。
お兄ちゃんなら甘えられる身内になる。オレも弟みたいに甘えてみたかったの!
オレのポップコーンの食い方、品がないってマエダ先生にも注意されるけど
彰太君はいつも微笑んで見ててくれる。面白いから、もっと食え!ってさ。
彰太君が喜ぶなら、デブになってもバケツいっぱい食べてみせたくなる。
こないだ彰太君の大きい家にお邪魔して、一緒に袋の醤油ラーメン食べたとき
あんまりコレおいしくないなって彰太君が言って、実際に不味かったんだけど
それでも腹の中に温泉ができたみたいになって、気分もほんわかなってきてさ
二人して仲良く笑ったんだよぅ。いいなァ。本当に風呂より温かい時間だった。
彰太君、学校じゃあまり普通の感じには笑わないけど
オレの前では自然に笑ってくれるよ。良い顔だァーッ!
オレはもう裸ん坊で走りまわったりとかしないけど、いつも弟はいいなァと
思ってたから、あの人にもう少し本当に笑ってもらえるよう可愛い弟みたく
なれたらいいなって考えたことがある。もちろん、今でも時々考えたりする。
マエダ先生に言ってみたら、オレがミコちゃんと結婚すればいいんだってさ。
いやだよ、三組の草太先生みたく奥さんにペコペコすんの格好わりぃもーん。
今のままじゃ、ずっとバカバカ言われそうだ。本当バカだ、勉強しないと。
あの人は字も上手なんだもん。オレは字がヘタクソだから尊敬してしまう。
このこと、まだ彰太君に言ってないけど
いつかは許してくれるかなァー?
◆一人の傷は、みんなの痛み. 飛島賢介
昼休みのテニスには関わってないけど、今回ばかりは「やらかした」と思う。
これでも友達として再三注意はしてきた。いいわけないよ、喫煙なんてさ…。
『やさぐれ王子改め、やらかし王子』村元黎の誕生だもん。
昨日のボヤ騒ぎ、うちから家は遠いけど見に行った。黒い煙が出てたからね。
そんなたいした延焼ではなかった。物置小屋の壁や屋根が黒く煤けた程度だ。
でも、村にとっちゃ大事件的問題になってしまったようで…ハシムは謹慎…。
一週間もすれば戻ってくるみたいだが、朝から小林先生の表情は強張ってた。
今日は竜崎までおとなしくしてるくらい。ハシムの復学まで同好会も休止と
いうことに決めたらしい。たぶん桜庭を道連れに音楽室かどっかへ逃避行中。
ヒナちゃんとモル君は…昼にテニスのない場合は図書室にいる筈だと思う…。
一組の教室にいるのは僕と、もっちー、りゅーりょー、チアキの四人きり。
花田は級長だから、先生と一緒にハシムの自宅へ家庭訪問してるところだ。
現在の外の天気も薄曇り…。やや肌寒いくらい。
あいつだって、クラスの大切な仲間の一員だもんな。心だって、曇るよ。
遼でさえ、教室の空気の重さを感じたのか、何処となく神妙な面持ちだ。
もっちーと一緒になって席に着いて、机の上で折り紙をして遊んでいる。
毎日の恒例である「メラメラして~!」は、まだ誰も耳にしてなかった。
やっぱり、どうしても一組の中が暗くなる。
空気が最悪レベル。すげぇすげぇヤな感じ。
昼休みと言っても、直に終わる時刻だった。
さっきから三組の外道たちの笑い声が一組にまで届いてきて不愉快極まりない!
以前よくハシムのことを揶揄いに来ていたドクズヤローが今回の件で嬉々として
教室へ来るんじゃないかと内心みんなビクついてた。でも、御目付役のパタ君が
ドクズを抑え込んでくれてるみたいで助かった。大声での嘲笑くらいで済んで…。
それまでは、ハシムが一組の防御壁的な役割を
務めてくれてたようなものだった。負担かけてた。
桜庭は一組で最強だけど、アレのお守りで忙しいし。
あっちょんぶりけつのドクズのクソヤロー!
昔は通学生のみんな「脩ちゃん」って呼んで
普通に遊んでた幼馴染だった筈なのになぁ…。
なんで、ああなっちゃったんだろう?
パタ君も少なくとも三年生の初夏までは
誰でも気安く声がかけられる友達だった。
パタも「なんで、ああなった?」の一人。
「外道」って、今じゃ当然のように使われる巫山戯た言葉が
横行するようになったのは一体いつの頃からだったんだろう?
たった総勢三十人くらいの学校だってのにさ
いつの間にか上や下だの人間関係ってヤツが
出来上がってしまって…窮屈極まりないや…。
「空気」ってのを読まなきゃいけなくなった。
何なんだよ。イヤだよな。おかしいと思うよ。
学校の誰が「壁」を作ろうって考えてるんだ?
そんな奇妙な間仕切りがほしいヤツ、たぶん本当は一人もいないと思うんだ。
少なくとも僕はそう考えているけどな。それを必要なヤツもいるんだろうか?
「やらかし王子」も僕が思った訳じゃなく
三組の教室から、そう聞こえてきただけ…。
他人の過ち、愚かしさ。
本当に他人事なら、何にも気にも留めず、笑ってしまうもんだよな。
僕だって、そういったことが全くない訳じゃない。失敗は経験してる。
ちょっとしたミスを笑うのは本当よくある日常生活のヒトコマだと思う。
人間は罪や泥を被ったヤツを見ると侮蔑嘲笑してしまう生き物。仕方ない。
だが、侮蔑や嘲笑は胸にグサッと突き刺さって痛いものなんだな。
自分のことじゃなくても結構ダメージきついや。ホント苦しいよ。
きっと、今、この場にいる全員が似たようなこと感じてると思うけどな。
僕は一人して教室の窓から外を眺めているだけ。三組へ抗議にも行けない。
ハシムの一番の友達であるチアキも自分の席から動かない。無力だよな。
僕が出張ってみたところで翼か宙にでもトビーちゃん呼ばわりされて
僕まで一緒に揶揄われるだけだってのが容易に想像つくからこそ
一組に降りかかった現実が…物凄く悔しくてならないんだ…!
間違えた字に消しゴムを使うみたいな『過ちを消す魔法』がほしい。
そうだ、二組のヤッチには回復系魔法がいいな。病気を治してあげたいもん。
もちろん、モル君にだって、誰より真っ先に使ってやらなきゃいけないよな。
即死魔法が使えたら、今たぶん音楽室にいそうなアレを実験体だな。笑える。
あいつの責任で昼食中に何回牛乳噴いたか分からないから。怨みます、だよ。
牛乳は嫌いだ。豆乳がいいよ。いや、ここで個人的好みを公開してもアレだ。
それは兎も角として
服に付いた埃みたいな過ちなんて、みんなの手で振り掃えばいい。
僕は心の底から、そう願うよ。早く学校へ戻って来い。ハシム!
「只今ちょ~っと閃きました。霊感ってヤツです。部員集合~ッ!!」
ああ、そういえば…
ハシム以外の部員が揃ってる。
もっちー部長の緊急招集だ。行こう。
ヤツの側にいたら確実に耳弄りされるの分かってるから距離を置いてた。
今日は十四金のイヤーカフにガーネットの赤いピアスを着けてるからな。
外を見てても何の意味もないんだし急いでもっちーが座る席へ近付いた。
チアキも若干怠そうな表情ながら緊急検証部長の急な呼びかけに応じた。
「もうすぐ五時限目だけど、今からカードでもやるの?」とチアキ。
気まぐれ男とは何年も一緒にいるから慣れっこだけど、何のつもり?
もっちーは、やや気持ち悪い笑顔を浮かべて左手を腰に添えている。
机の上に右手首を載せて立て、軽く伸ばした感の親指と人差し指を
ゆらゆらぁくるくるぅ文字を書くような感じで動かして、時々開く。
たぶん…だけど、むぐらもち名物のアレが到来したんだな…と思う。
そして、高らかに宣誓するかの如く、普段より大きな声で言い放った。
「チアキはねぇ、将来、健康で、利発な、男の子の、父親になる!」
な、なんだってぇー?!…と叫べばいい場面なのだろうか?…戸惑う。
いきなり僕たちに父親とかって…。
これぞ正に気まぐれ反則ヤローの本領発揮だ。焦る。
「は…?…そうなの…。ふぅーん。まあ、そう心に留めておく」
さわやか王子らしく爽やかに微笑んで、反則ヤローの発言を受け流してた。
「そんでね…」
もっちーが僕に顔を向け、ずれた銀縁眼鏡を直しながら続ける。
りゅーりょーは折り紙に夢中。春らしくチューリップの花を折ってるらしい。
教室の後ろにある掲示板は、りゅーりょーの作品展示の場にもなっている。
まるで幼稚園なんじゃないかって気もしてくるのが、この学校の一組なんだ。
何かに集中してるときは「メラメラ~」を言わず、遼自身がメラメラ状態。
そういや、毎日りゅーりょーが誰よりメラメラをせがむ花田もいないもんな。
「カシコは、ずっと堪えて待ってたら、再びカノジョに会える。必ず!」
えぇ、彼女って…???…
もっちーに筒井由子のことを話した覚えは…ない…よな?
知ってるのは二組の林原だけの筈だ。あ、でも、同じ寄宿舎生だから
雑談とかで知ってるのかも。あの赤毛は全然信用できないヘボ探偵だ。腹立つ!
『エンジェライトのブレスレット』
淵主様の祠で消え失せたものが僕の頭の中を過っていく。
由子は…あの僕が組んだブレスを…受け取ってくれたんだろうか?
本当に言うとおり…由子を待ってれば…堪えて待ち続けていたら再会できる?
昼休み終了を告げる鐘が鳴った。
この学校も、この村も、いつも僕のことをモヤモヤさせてばっかりだし
卒業したら…村を…家を離れ…中央の方にでも行こうと思っていたけど
また由子に似合いそうな色のブレスかネックレス、チャームも悪くない。
暇潰しも兼ねて…ちょっと新作に取り掛かるのもいいか…と考えていた。
◆或る生徒の独白.
笑ってほしい人がいる。
笑ってくれない人もいる。
そんな頑なに閉ざす必要ないよ。
みんなで一緒に笑うと楽になれるよ。
誰とだって手を伸ばせば繋がれるんだし。
物陰に引き込まれ、殴られたこともある。
その更に陰で、嘲笑う声も耳にしたっけ。
負けるなー、ガンバレー!
ゴールまで進めー、ガンバレー!
僕は負けていいから、あなたは負けないで!
◆我が巻き込まれ窮状人生. 桜庭潤
九年生九月上旬、雨降りの昼休み…。
もうすっかり見飽きたしィ、聴き飽きたっつーのォ!
ピアノでやべぇ歌詞の曲を奏でて歌いくるぅ竜崎の馬鹿ザジは。
引き剥がして追い出すように音楽室から引き揚げて歩いてたとこだった。
随分と、ザーザーザーザーザーザー五月蠅く校舎に響き渡る雨音だ。
村の淵主様のご機嫌でも悪りぃのかよって空模様が四日ほど続いてた。
あ、そうだ。と思って小用を足しに厠へ寄ろうとしたら、ザジが顔を近づけ
「あらン、ちょっと待ってェ。僕が先に入って便座を温めたげる。人肌に!」
あ、あぁ、コレとの絡みさえなけりゃ精神的にゃ結構快適とも言えるんだが。
言動が完全にアウトな美周郎様…。何故この俺が御供しなきゃなんねぇのよ?
これってさァ、前世の因縁とか何かの祟り?…もうヤダ、こんな学校生活…。
「そっちじゃねえ、おまえは外で待ってろ!」顎を押さえて、言ってやった。
「じゃ、アレ持って差し…」と喋った時点で、軽く殴ってやって差し上げた。
こんな付き纏い馬鹿との生活も、いつか別れの時が来るんだ。修行、修行ッ!
階段の踊り場、ここでザジは踊らなきゃ気が済まない。急ぎでも一回転する。
ご家族の方へ内緒で手紙を書いて、医療機関で診てもらうよう依頼すべきか?
「四日連続で雨だねェ。でもま、いつまでも同じ天気は続かないし
こうやって踊りながら雨音を愉しむってのも素敵な思い出に変わる」
俺は踊ってません。くるくる回ってんのが約一名いるけど、見てるだけ。
回転に続いて妙な動きまで始めた。俺は黙って手摺りに寄り掛かってる。
「そりゃまぁ、そのうち天気は変わるだろうけどさ
村の言い伝えじゃ淵主様が悪ガキ共に殺されたのは
秋頃だっていうから丁度ご機嫌の悪い時期だろうな」
この修行の日々も、いつかは空が晴れ渡るよう明けるんだ。
笑うしかねぇダンスの見物だって、過去の思い出に変わる。
「そんな祟り神様の存在、未だに信じちゃってるの?
雨降りが続く度、思い出してるようじゃダメだってば。
そんなだから、未だに殺された蛇さんが浮かばれない」
怪しく身体を動かすダンスをピタッと止めて厭きれた顔を覗かせたザジ。
「淵主様の祠だっけ? そこ、ぶっ壊しちゃおっ!
神様扱いして、この世に縛り付けるのは可哀想だもん。
拠り所となる祠を失くしちゃって、全員で存在を忘れる。
蛇さんの名前…淵主様を…頭の中から消し去っちゃったら
蛇さんは龍に姿を変えて、天に昇るよ。美しい彩雲が広がる」
今度は鳥にでもなったつもりか、両腕をバタつかせて回り出した。
「祠を壊すだなんて、罰が当たる行為じゃねーか。バカ言うな」
遠い昔のアレレな君主みてぇな真似、祀ってる民の反感を買う。
「ううん、罰当たりじゃないよ。逆に感謝されるかもしれない。
淵主として祠に縛り付け、蛇さんを苦しめ続けてゴメンナサイ。
この村の人たち全員で心から謝って、お空に返してあげなきゃ」
巫山戯た調子じゃなくて、可成り真面目な口調で喋りやがった。
確かにまぁ、淵主様は元々は普通の蛇だ。
村の悪ガキ共に見つかったのが運の尽き。
捕まって玩具にされて、引き千切られた。
人間の勝手で畏れ敬って、怨みの涙雨を降らせ続けるよりも
ザジの言うとおり手厚く供養して地上世界に繋ぎ止められた
楔を引き抜いてやったら「淵主様」って蛇の救いになるかも。
だが、どう考えても祠の破壊なんて恐ろしい真似できねーよ!
「祠を壊す。焚書する。悪事と思い込むのは見聞きした人の勝手だけど
その行為の裏側に、深い思慮と愛情が込められていたかもしれないのだ。
姿を消した者の名前を早く忘れてあげるのも愛ある御供養なんだってさ。
国境や名前とかに縛り付けられなきゃ体も軽くなって雲の上にも立てる。
涙を零して故人の名を呼び続けるなんて、自己陶酔を装った呪縛だよォ」
言葉を返せない俺を置いて、ザジが階段を上っていくから慌てて追い駆けた。
俺たちが一組に近付いたら、反則氏が廊下で劉遼を縄跳びさせて遊ばせてた。
その傍らでは、二人に背を向けた級長がゴム手袋して窓の桟を拭いてやがる。
どれだけ俺たちが口酸っぱくして言っても無駄らしいよ、モンクちゃんは…。
可哀想すぎて、こっちが泣きたくなってくるぅ程の神経質。ご丁寧で細かい。
それでも鋭いというか何ていうか、だから級長は「モンクちゃん」ってワケ。
モンクちゃんがいるから、女子がいても寄宿舎は「安心空間」になってる筈。
おかしなことを考えるのは許されないよ。モンクちゃんは清廉潔癖の塊だし。
絶対ッ躊躇なくヤバい現場にも踏み込む。そんな鋭さを持ってるスッゲェ漢。
他人の裸体は…ゼッタイ見れないだろうけど…何か行動を起こすのは確実…。
常に怜悧そうに見えて、激情的な部分も秘めていらっしゃるのだ。
ミステリアスな少年って感じ。「美」はつけられません。俺は正直者。
あくまでも、これは俺の視点で感じた印象だ。そう気にすんなってハナシ。
反則氏が保父で劉遼は園児みたいな関係が一組に於いては日常となってる。
プリンス・リトゥル遼の見た目は七~八歳の男の子くらいに見えるかなァ?
最近じゃ交差飛びも上手に出来る。ピンクの縄跳び使って、ピョンピョン。
長い髪の毛を跳ね散らかしながら、目を細めたくなる光景じゃないですか。
真っ赤なゴムで二組の陽ちゃまが結わえてあげたりしてんのら。カワイイ!
ここが幼稚園とかだったら本当に微笑ましい。だが、ワレワレ確か幾つぅ?
何の支障もない、本当に成長が我々よりも遅っそーい子にしか見えねぇの!
本当に同い年だよ。誕生日が俺と一か月違い。劉遼が年長である怖い真実。
不思議な事は不思議な儘でいいのかも。劉遼は可愛い良い子だ。寝んねしな。
てか、本当に五時限とか劉遼の昼寝タイムになってる場合が多いのは確かだ。
教室の後ろ側に布団を敷けるようになってる一組ってば…ある意味…何なの?
俺がちょいと拝借して寝ようと思えば、お察しください。ヒトリニナリタイ!
望月反則…訂正…望月漲氏って、スリムで白髪がチラチラ目立つ容貌。
外の白い光に当たると、よりよくキラキラと白髪が際立つ気がすんなァ。
二組の陽ちゃまのトレンディー枠に入ってねぇだけマシと思うが、若白髪。
こうして眺めてると、前半分が多い。後ろはまだ殆ど黒い。なんかキレイだ。
低学年の頃はしょっちゅう泣きベソかいてた、むぐらもちの望月君だった。
窓から村の景色を眺めては涙を浮かべて零してた。訊いても理由言わんし。
もし、外道連中からイジメられたらと思って、俺なりに配慮してたつもり。
七年の春頃からケン坊とか集めて、ヘンテコなカード遊びの部活動を始めて
反則氏に余裕ができたって気がするな。いつしか立派な寄宿舎の慈父に変身。
劉遼の世話係も級長のモンクちゃんから気まぐれ反則氏にバトンタッチした。
ケン坊。反則氏が向ける呼び名だとカシコ、ハシム、チアキ、以上三名が
昔は泣き虫ヤローだった、むぐらもち君を全力で支えたのは間違いねぇな。
それに…望月漲本人が抱えてた何かを手放した結果…だと俺は推察してる。
ちょっとばかりザジを放っときたい気もするんで近づいてみた。
その馬鹿は曇りガラスに…。あ~あ、普通に赤面しますよコレ。
ザジの奴、ちょっと言葉で表現したくねェのを嬉々として様々描いてやがる。
少し前まで祠がどうこう言ってた事なんか、完全に忘れ去ってるに違いねえ。
望月なんか引き摺り落とせるレベルの反則ヤローだ。何なの本当にやべぇよ!
「あ、思い浮かんじゃったんで。今、それ、言っちゃっていい?」
こっちを向いて立つ、気まぐれ反則ちゃんが口の両端を僅かに上げた顔して
右肘を折ったのに左手を添えて、右の親指と人差し指だけ立てるようにして
ゆらぁゆらくるぅくるっと振り回して開いたりしてやがります。指揮してる?
なんつーか、まるで文字でも書いてるようにも窺えるんだよな。何なのコレ?
右足の爪先を浮かして動かしてる様子が内履きを透かして、お見通し状態。
そういった感じで、校内じゃ稀に見ちゃうトランスなさってるって雰囲気。
んーと、まあ、また周囲が返答に困っちまう…例のお言葉…って奴の到来?
考えてみりゃ反則氏がコレやり出したのも部活動を始めてからだった。
プロレスラーは繰り出される技を受けてナンボの商売。うん、と頷く。
スッと右腕を伸ばし、高らかに宣言するように、やや小首を傾げると
「あのねー、花田と、桜庭と、竜崎は、将来、ほんまもんの、義兄弟になる」
釈迦如来の『天上天下唯我独尊』みてぇなポーズで言い放っちまった。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「ゆっわァ! ソレ、ほんとーなのっセンセ?」
そいつを耳にした馬鹿に極上のエサを与えてる。
抱きついたままで何か仕出かしそうな勢いなんで、慌てて引き離してやった。
モンクちゃんは徹底的に無視。頭ン中の掃除も得意なんで、ナイス・スルー!
いいなァ。劉遼は完全に輪の中から外れてて、現在は駆け足跳びの真っ最中。
てか、世界レコードでも達成しそうな勢いの駆け足跳びなんですけンども…。
なんて、眺めてる場合じゃねーでしょうが! 現実逃避してるよ、オレサマ!
もう、いやっ!困る困るぅー!
これ以上、巻き込むなってば!
ゼーッタイに、いっやだァー!
……只今脳内大絶叫中……
いつだったかチアキから、さらっと爽やかに耳へ入れられた気がする。
男の子の父親になるとかっつー笑い話なんだけど、これがアレなのか?
よく整理して考えてみると、三人漏れなくアウトだと思う。色々と残念枠。
とりあえずモンクちゃんの実家は村から割と近い距離にある級長なんだし
鋭い思考を持ってる悪りぃ奴じゃないから学校卒業後も友達でいたいけど
心底そう願うんだけど、この人と婚礼挙げた奥様は何つーか大変だと思う。
只今現在その現場を目撃中だからこそ思い知ってるワケですよ。御姑様夫?
共同浴場に行けない。共用のスリッパも駄目。非常に神経質な御方ですし。
あー、いや、俺なんかが口を出す問題じゃないか。偉そうに失礼しました!
静かに自主的特掃を続けてるモンクちゃんの背中に…心で詫びを入れる…。
それより何より幾ら容姿が最高レベルで大都会の中央じゃ大金持ちの御子息でも
ありとあらゆる言動がアレアレアレレアレレノレルルルノレの男子だもんな。
要は「お馬鹿さま」に、最初は眩いばかりの容姿や財産等に心を奪われて
運良く目出度く結ばれたとしても無理だと思うよ、ザジと結婚生活ぅ?
そういう修行が趣味の女性がこの世にいたら有り得るケド。いる?
純粋に金目当てのオンナなら、寄って来なって思う。めっちゃ笑えるぅ!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
ンで、えぇと、俺は一体何者なんだろうな。
周りに色々と認めたくないものが多過ぎて
馬鹿と一緒になって現実逃避の日々を送る
副級長ってのが実態だな。泣けてくるぅわ。
容姿とかもなァ。一応、体格は普通よか…。
んー、まあ、いいや。鏡は敵だ、敵ィ! 敵なのよって事にしとく。
美形のザジと並んで歩かなきゃならない時点で、晒し者に近い刑罰。
容姿コンプといえば、二組の斎藤を思い出す。べつに悪いと思わないけど
あいつは洗面所の鏡でさえ受け付けない…お気の毒なコンプを持ってる…。
斎藤って、娯楽室の棚で見つけて、何人かして観た「黒い家」って映画の
ヅラ被って良い演技した俳優さまに雰囲気が似てんなって思う。好きだよ。
あの映画、吹き替え胸部。黄色いボウリングのボールが飛ぶとこ感動した。
原作も読んだくらい。だって、学校の図書室で見つけちゃったんだもーん!
映画は原作にはないシゲキテキな表現がある。俺なりに謎は解いたつもり。
斎藤は…ほんの僅か鼻が目につく…いや、俺は特に大きいとも思いません。
俺より遥かにマシなご面相ではないかと思う。極めて冷静な判断っすケド。
外道共が少しでも欠点を突き付けたいだけで「ハナ」呼ばわりしてるだけ。
ああ、そうだ。娯楽室に置いてある「鼻兎」のぬいぐるみに似てるんだよ。
赤い座布団にちょこんと座ってて、なかなかキュートでシュールな感じだ。
そいつは兎も角…奴は何か胸にグッと来ちゃう表情の持ち主…だと思った。
あくまでも俺の眼で見た世界の現象でーす。気にすんなよ。パタよかマシ。
そうそう、そうだ。思いっきり強~く自分の指を噛むっていえば、さン…。
…昼休み明けの予鈴が鳴った…
ふぅ、助かった。馬鹿馬鹿しい。この辺で気持ち切り替えて逃げよう!
あれェ?…モンクちゃんに反則氏と遼は、もう教室へ戻ってやがった。
未だに落書き中のザジを引き剥がして、俺も五時限目の支度しねぇと。
本日は一階の理科室に移動だったっけ。ザジも一緒に連れてかなきゃ。
◆猫缶に鯖缶. 猫間智翔
九年生九月上旬、雨降りの放課後…。
しとしとぴっちゃんな天気が続いてる。何日目だ?
ざーざーとかいう苛立つ響きは、好きじゃない。
雨は、しと、しっと…。その方が耳に馴染む。
平屋で三部屋の俺ん家の玄関引き戸は、在宅だろうが留守だろうが
いつだって、十五センチ程度の隙間が空けてある。猫さんのためだ。
盗人さん、お金や欲しいもんは箪笥とかに入ってるから見つけたら
好きなだけ持ってってもいい。親と決めて、そういうことにしてる。
盗られて困るのは猫餌くらい。スープやオヤツのレトルトと缶詰な。
あー、でも、チャーが腹空かして帰って来たとき与えられる分だけありゃ
それで充分だよな? うん。猫さんが雨風しのげて寒いときに暖まれる
それくらいの小さい囲いがあればいいんだ。俺べつに濡れてもいいや。
そもそも傘買うの面倒。前に買ったの風強くて壊れてから買ってない。
今さっき慶たちと別れた。すっきりだ。あいつらヤダ。好きじゃない。
慶は馬鹿だ。頭よくない。プロレスラーじゃないのに何でも受けるな。
そのうち本当に大怪我する。仁もしね。あいつヘンだよ。頭おかしい。
あいつらと一緒に…いる…と、いらいら、むかむか、気分悪くなる。
どうして並んでるのか不思議な三人だと思う。イヤなんだ、俺は…。
嵩ちゃん師匠、早くまた学校に来てほしいよ。俺の神様。天使。
玄関の戸を開けた。餌と水、減ってる。食べて、また遊びに出かけたのか。
他の野良たちも来たりするからな。チャー、心の優しい良い猫さんだから
友達にゃんころに何でもご馳走したがる。俺に似たんだ。喜ばすのが好き。
だから、嫌がることはしたくない。首輪や鈴は、俺には手枷足枷のルール。
きじとら長毛鍵尻尾。可愛いよー。誰にでも見せたくなる。俺の家族だし。
何にもなくって、何もしてあげられないから…。ダメだ。仕方ないもんな。
あいつは喜ばせた。俺には出来ないことが出来たんだ。これは本当のこと。
俺は眼に入るだけで…視界を濁らせる…。俺は眼に入った塵。それと同等。
ダンボールが上框のとこに載ってる。受け取りサイン、配達人がしたな。
お仕事ご苦労だ。面倒じゃなくていいから、そう頼んでるんだ。問題なし。
流しからキッチン鋏を出してきて、封のテープを切った。箱を観音開きした。
中身は缶詰やレトルトでいっぱいだ。大量大量。これ、猫用だけじゃないな。
人間のもある。鯖の水煮缶に蟹缶…。俺が好きなの知って、親が選んだのか。
これを炊き立ての熱いご飯に載せて、マヨと醤油をほんの少しかけて食べる。
最高に好きなんだ。うまいと思うよ。味噌煮や蒲焼きは、俺にはしょっぱい。
余計な味。味濃いの苦手なだけ。ご飯が冷たいとイマイチ。寂しい味に変化。
魚ご飯。にゃんころの真似してるみたいだから教えたりしない。当然だよな。
ツナ缶ノンオイルの方がいいのに油ギトギト苦手だな。缶の蓋で油を捨てる。
甘口カレーや牛丼、たまに食べよう。どっちも卵1個、落として食べるんだ。
あー、すごいたくさんある。こんなに必要ない。良いことは、たまにでいい。
マエダ先生んとこ…。マコトのとこに行こうか。ポップコーン食べたーい!
出来立てのぱりぽりのやつ、軽くて好きだ。あいつ作れるのすごいと思う。
アルミ鍋の蓋の下で、ぱんぽん弾ける音がすごい好きだ。うれしくなれる。
マコトは、マエダにならないのか? なりゃいいのに。息子と同じだろに。
俺と違って、大事にされてる。俺はいらない子だから、やや適当されてる。
たぶん、俺だって、逆なら、そうするかも…だし。仕方ないもん、なあ…。
エコバッグ、ずっと使ってて薄汚いけど、破けてないから、使ってるんだ。
猫缶はダメだ。ちゃんと選んで残して。そうだ。人間用は3缶だけ残して
後は、全部マエダ先生のとこへやろう。マエダ先生も鯖缶は好きだってさ。
俺と同じもの好きってだけで好き。どうもありがとう、と思う。いいよな。
村の診療所は、うちから右斜め向かいのすぐ近く。行きたきゃすぐ行ける。
…でも、俺たち、二組とか、学校の他のやつらの、キラワレモノ…
だから、マコトも同じ。キライなんだろな。当然のことしてるから。
マコトは、ショータ君の信者その1。カズマの信者その1でもある。
俺が嵩ちゃん師匠を崇めるのと全く同じだよ。マコトの気持ち、よく分かる。
ショータ君とカズマ、マコトの特別な存在。神様、天使。一方、俺はゲドー。
カズマ、ごめんなさい。悪いことしたけど、そっちも殴ってきた。すごいよ。
手ェ出したんだから、出してきて、いい。ゲドーら、全員覚悟、完了済みだ。
ショータ君、物凄く無理してる。いつも疲れて痛そうに視える。堕…天使…。
マコトの眼には、光輝く立派な大天使。そのままでいてくれ。いてほしいよ!
知ってる。苦しいよな。辛いよな。妹のため、必死に頑張って生きてんだよ。
マコト、友達は無理か。他の誰とも既に再構築不可能。修復不能な瓦礫だ。
俺の缶詰は、キラワレモノの気まぐれの手土産。いい。ガマン。それだけ。
しと、しっと…。水溜まり弾ける。小さい雨粒たち。見惚れる。飽きない。
何歩、足を出したら診療所へ着くだろう? 玄関から数えとくの忘れてた。
まー、いいや。次もあるし。診療所の硝子戸、一気に引いて、開けるよー。
こんにちはー!…の挨拶が…。苦手で無理。声が出ない。歌うのもダメ…。
踊るのは黙っててもできるから、俺たち楽できていいんだ。演劇や歌はヤダ。
マコトみたいな声が欲しい。歌は音痴だけど、心に残る強い声だ。俺は嗄声。
受付窓口の簀子のとこ、靴脱いでスリッパ履かずに上がった。靴下、指先…。
左手のひら下に向けて、銀のチンベル鳴らす。今日は、四回だ。五回も好き。
この音も耳触りがいい。バカみたいな、まぬけな響きとも思う。愉快な音だ。
「おぅ、ネコマ君だー! よく来たなっ。どうぞ、上がってー」
白髪の雑ざった、ぼさぼさ頭のマエダ先生が登場した。マコト、いないのか?
マエダ先生、白衣を着ないお医者さん。シャツとズボンと眼鏡のすらりな人。
何歳だろ…?…白髪なら、うちの親にもあるし。分かんね。見分けつかない。
ずーっと、左腕に包帯、巻いてる。袖捲りしてるから、見える。少し汚い色。
これ、一体いつになったら取れるんだろう…?…痛々しい。早く治れ。早く。
俺、殴ってなくても殴ったみたいになって、息が苦しくなる。見たくない姿。
たまに血が滲んでる時もある。何の怪我か聞きたい。マコトに訊いてみよう。
外風呂、時々マコトと一緒のとき。そのチャンス、逃がしたくないのにな…。
「すぐ帰るから。これ、食べてください。マコトと…」
太って凸凹のエコバッグをまるごと手渡した。全部あげても、勿体無くないし。
「あー、すごい。ありがたい。マコも喜ぶ。鯖缶ご飯、おいしく頂戴するよ!」
マエダ先生は、エコバッグの中身、チラッと見て、ぺこりと頭を下げてくれた。
遠慮なく受け取る人がいいと思う。あげたい気持ちは、素直に受け取ってくれ。
「ネコマ君、どうもご苦労さま。ついでにお茶でも飲んでかないか?」
マコトが作るポップコーンできるとこ、それ見たかっただけなんだよ。
俺は、あいつの周りの賑やかな感じが…すごい好きなだけなんだよ…。
激しい雨。いつも俺の頭に響いてて…そいつ打ち消せるのは、弾ける連打。
「遠慮なく、さぁ、入って。左耳、新しいイヤーカフ? それ、いいね!」
また耳いじり?…ヤダ。もう触るな!…この先生って…。うぅん…。いい。
「あの…、また来ます」
マコトに言い残す必要ない。外風呂へ行ったのか?…俺も用意して行こう。
それに、あの先生…。ソラを…。空を。見上げよォ!
白くて眩しい。まだ止むなー!もっと、しとぴちゃ。
しとしとぴっちゃん。親は、ちゃん。シんじまえ…!
ポップコーンの弾ける音が聴けなくてザンネン。でも、すごいうれしそうに
あげた物を受け取ってもらえて、本当いい気分になった。ありがとう、だな。
診療所を出て、俺ん家が見えたら、玄関脇の浄化槽の蓋ンとこに…いたぁ…!
チャーが腰をくいっと上げて、前足を伸ばし
いつもの勿体つける猫さんポーズを決めて
ゆらゆらぴっこぴこ尻尾を動かしながら
無音で俺の側まで来た。妖怪すねこすり様が現れたよ。どうぞ、ご覧あれ!
チャー、頭を撫でられるのが本当に大好きな猫さん。いっぱい撫でてやる。
約束だから守る。規則なら、みんな必ず守らなきゃ。ルールは…絶対だ…!
頭ナデナデは、大切にしてる証拠。シぬまで続ける。コロさない。ルール。