続・緊急検証『インビジブルは何者なのか?』
◆続・緊急検証『インビジブルは何者なのか?』 斎藤和眞
探偵。学校にはそう呼んで構わないほど鮮やかに真実を暴く目を持った
生徒が一名いるということを少なくとも斎藤さんをはじめとする
二組の生徒は入学した当日から思い知らされているのです。
当の本人は決して公言しないだろうし、周りに言い触らされたり
自分から特殊能力を自慢するような真似は避けている雰囲気です。
彼は『依頼』されない限り、その能力を見せてくれることはありません。
同じ寄宿舎生である反則もっちーだって長年寝起きを共にする仲間です。
それとなくでも彼の能力を窺い知っているのではないかと考えられます。
つまり、ああいった『緊急検証』なんて単なる茶番でしかないことを
もっちー自身よく知っているに違いない。斎藤さんは断言いたします!
もっちーは寄宿舎内の純真で健全な美少年たち(斎藤さん含む)を
煙に巻いてやるのを何よりの楽しみとしてるんだろうな、きっと。
『インビジブル』が学校敷地内をうろついてるというのでしたら
晃ちゃんの目に留まってない筈ないと思いますから、一言聞けば
直ちに解決可能な問題でありますが、彼は将来の夢を叶えるため
貯金したいと言って、学校二組の君主である斎藤さんの頼みでも
無料で奉仕してくれる訳じゃないってところが玉に瑕なんだよな。
入学当初九名で七年生になった現在八名(新山緋美佳を除く)となった
二組全員は入学の日から学校の普通じゃなさを思い知らされたのです。
九人が適当な席に着いて待っていたところ、二組の教室に現れたのは
大層美しい映画女優のような方でした。教壇に立ち、にっこり笑って
「はじめまして、こんにちは!」と、一言挨拶したのはいいのですが
斎藤さんの耳に入った声が別人…完全に成人男性…そんな感じでした。
そして、黒板にカツカツ音を立てて『いけだ なおき』と書いたのです。
斎藤さんの故郷である離れ小島でよく遊んでた幼馴染も偶然ナオキという
名前でしたので、何だか男みたいな名前の女の人だと思ってしまいました。
「池田先生は、こんな風に見えても実はオトコでーす。どうぞよろしく!」
男性としか思えない声なのに、教壇に立ってるのは美しい女性教師です。
半端ない違和感を覚えたのは斎藤さんに限ったことではなかったようで
「え~!」「うっそだ~!」「おんなのひとでしょ~?」
そんな驚きの声が教室内の彼方此方から上がるのも当然だと思いました。
「先生が嘘吐きじゃない証拠は、触ってみれば分かると思います。
それでは、みんなで順番に先生の手や腕に触ってみてくださーい。
あ、胸を触るのは止めときましょ。絶対がっかり間違いなしです」
べつに誰も、まだ、そんな、全然まるっきり興味がない訳じゃないとは
断言しませんが…初対面の女性の…触るなんて不躾な真似はできません。
「それから、三組に先生の子どもがいます。先日、知ったばかりで
よく分からないんですが、たぶん本当なんだと思うしかありません。
先生とは苗字は違って、ミカミ・ミサオという名前の寄宿舎生です。
よかったら仲良くしてあげてください。よろしくお願いしまーす!」
池田先生は、少し照れるように微笑んでから頭を下げて仰いました。
『はーい、わかりましたー!!』
二組の全員が初めて声を揃えて返事をした瞬間だと記憶しております。
断言いたします。二組は小さな紳士の宝石箱です。ジェントルメンズ。
それからクラスメイトみんなで席から立って、順番に一人ずつ
『はじめましてのよろしくのあくしゅ』
といった名目で、先生の手や腕に触れることとなった訳ですが
目に映ってるものは、白くて細い爪も磨かれた女性の手なのに
自分が触れてるものは…大きくて指も太い男性の手だとしか…。
生まれて初めての驚愕体験といった忘れられない「握手」です。
先生の手から手を放した斎藤さんは、腕も触ってみたのですが
完璧に脱毛処理を施されたように見える綺麗な女性の腕なのに
斎藤さんが触れた感想としては腕の毛も確実に生えていました。
自分が目の当たりにしている腕より太くて筋肉も付いてると感じたのを
覚えています。本当に不思議で長いこと触りまくってしまったらしくて
「先生は男なんで、若くて可愛い女性とは長いこと触れ合いたいですが
男の子とのベッタベタは、ちょっと遠慮したいです。…ハイ、次の子!」
先生の方から腕を振り解かれてしまいました。しつこかったみたいです。
…次の子…
先生と握手の後、一人ずつ教壇に立って自己紹介する流れとなりましたが
まだ名前を知らない彼は、二組の教室の中では一際目立つ容貌の持ち主で
多少茶色っぽい程度なら自然な気もしますが、染めたかのような赤い髪に
灰色の瞳をした小柄な男子。そして、顔中心に散らばった雀斑。特徴多大。
先生が教室に来るまで、何人かの生徒に机を取り囲まれて
「どっか遠い所から来た人?」など色々訊かれていました。
斎藤さんも気にはなりましたけど、ご挨拶もまだなのに
いきなり馴れ馴れしくしていいものか分からなくて
自分の席で様子を見守るしかありませんでした。
次の子も他の子と同じく握手しました。…が、斎藤さんみたいに
腕を触ったりすることもなく、自分の席へ戻ろうとしたのでした。
「おい、触ってみないのか?」
他の子と違う行動に戸惑った先生が声をかけましたが、彼は振り返り
「あのぅ、私には池田先生が普通の大人の男性にしか見えません。
他の人たちが先生のことオンナだって言う方が不思議ですし、
お話しされてることは…全然ウソじゃない…と思います」
そのまま彼が座っていた席に戻ってしまったのでした。
彼こそが学校の探偵、二組の林原晃司であります。
不思議な魔法の通用しないであろう瞳を持つ、目立った容姿の少年。
斎藤さんは愛情を込めて「晃ちゃん」と呼んであげておりますけど
「リンバラ」と呼ぶ連中もいますね…。愕然とした顔で池田先生が
「見えてんのかよ?…校長のヤツ、これで大丈夫と言ってたのに…」
そう独り言ちたこと、しっかり記憶に留めている次第で御座います。
その後も「やべーな、こいつ利用されたら俺ころされるかも」なんてこと
ぶつぶつ繰り返してたような記憶がありますが、生徒が七年生に進級した
現在もシんでいいのにコロされもせず、見目麗しき姿に似つかわしくない
性別雄の本能と煩悩丸出し、対応に困る言動を繰り返し続けること程度で
特に大きな問題も見当たらなく、本日も二組では無事に通常の授業を終え
池田先生は宿舎として使われてる学校から徒歩で通える距離のアパートへ
帰って行きました。御子息であるミカミソーと何故一緒に暮らさないのか
斎藤さんとしては非常に不思議なのですが、普段の言動じゃエムジェイの
母上殿にアタックしてみたいだの、酒場のおねえちゃんがどうだの…とか
生徒たちの前で平然と仰ってしまう人間性をお持ちでいらっしゃるのです。
御子息は御父上の不埒で余計な情報を知るべきではないのかもしれません。
同じクラスでないのは依怙贔屓しないためなのかと思っていますけど
御子息が所属する三組なんて浅井一族の塊だと思うし、考えてみると
なんかちょっとアレレ?な組分けだという疑念を持つんですけどねぇ。
池田先生の最重要不思議の一つである「何故、男性なのに女性にしか
見えないのか」に関しては、二組や他組の生徒なんかも再三に渡って
問い質してきてるんですよ。しかし、その都度ころっころと言い訳が
変わるのですが、要は『生徒が卒業するまで先生も逃げ出せないよう
かけられた魔法』といった理由で片付けられてしまうので御座います。
複雑な裏事情と魔法がある世界らしいです。
十年間の懲役生活の七年目を歩みゆく現在
『村の学校の教師と生徒は似た境遇にある』
斎藤さんが掴んだ事実は、精々それくらい。
なきゃ困るモノが裏で動いてる。それだけ。
魔法はある? その割には生き辛い世の中だって思います。
魔法使いになれるものならなりたいですよ。楽して金儲け。
うちの担任っていう生きて動く奇妙な存在がいる以上、
不思議な働きは「ある」と認めざるを得ないのかもね。
まだ現実よりも夢を見続けたい斎藤さんは寄宿舎の娯楽室で観るような
本当に格好良い正義のヒーローになるのが人生の目標なので御座います!
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緊急検証部と称するクラスメイトと交友する時間を満喫したいであろう
反則もっちーを一組の教室に残して、まだインビジブルを気にしている
ミカミソーを適当に宥め賺して自室へ戻らせて、りゅーりょーを連れて
娯楽室を覗いてみましたら、晃ちゃん発見! 近頃、彼が夢中になって
読んでる漫画は「傷だらけの仁清」です。彼はこの漫画の主人公さんと
同じ境遇だということで、深く共感するところがあるのだと思いました。
側には「覚悟のススメ」も置いてますから、斎藤さんの覚悟も完了です。
ミカミソーには「他の寄宿舎生のみんなには黙っていよう」なんてこと
約束した手前アレなんですけど、彼に知られなければ何の問題なしです。
ソファに腰かけてゲーム画面を眺めながら財布の中身を考えていました。
それと、どうやって二人きりになって話を切り出すべきか悩んでいたら
晃ちゃんが読んでいた漫画をテーブルに伏せ、立ち上がって出入口へ…。
「あ、待って。小用なら斎藤さんもご一緒させてください」
好機到来! 素早く挙手して晃ちゃんの背後に付きました。
「つれしょーん、メラメラー!」
りゅーりょーが冷やかしますが、自然現象ですから自然を装いまーす。
晃ちゃんは誰かとトイレが一緒になるのを非常に嫌がるタイプですが
漢同士だから「いいんだよ、細けぇことは」ってことで同行しました。
「ちょっと相談したいことがあってさ、要は晃ちゃんの時間を
斎藤さんの乏しい小遣いで購入させてほしいって話なんだけど」
小遣い稼ぎになる仕事の依頼ですから悪い話じゃない筈ですよ。
「トイレを済ませてきますから…洗面所で待っててください…」
尿意はないですし、全く構いません。でも、洗面所自体はあまり斎藤さんが
好きな場所じゃありません。鏡は必要なものですから嫌ってはいけませんが
何故かと申しますと、自分が覗けば…美しいと思える顔は映りませんから…。
寄宿舎には、頑なに小便器を利用しないで『絶対個室主義』を貫く御仁が
何名かいらっしゃるんですけど何なんでしょう? 斎藤さんには謎でーす。
緊急小用時にはドアの開け閉めなく素早く済ませたいと考えるときだって
あると思うんですけどねぇ…。斎藤さんの把握するところでは親友のキヨ、
反則もっちー、晃ちゃん、ミカミソーの計四名様は確実に当て嵌まります。
以前、同室のキヨに訊ねたら「出来ることなら、生徒全員必ず座って用を
足すべきだ。それなら床や壁も汚れないから!」声高に意見されたのです。
この四名は、他の生徒と連れ立って村の共同浴場へ行くこともありません。
キヨというのは斎藤さんの一番の親友で生涯の友でありたいと心から願う
一組の級長を務める花田聖史氏で御座いまーす。覚えといて損なしですよ。
学校では「お掃除さん」「おそうじ王子」「鬼軍曹」という渾名の方が
浸透してるかもしれませんけどね…。クラスは違いますが、寄宿舎では
斎藤さんと同室です。キレイ好きを通り越して発症させてるのが玉に瑕。
漢なら少しは「四角いお部屋もまぁるく掃きやがれ!」ってくらいで
いいんじゃないかしらって思うのですが、何事にも丁寧が過ぎる性分。
清掃はキヨの趣味なんでしょうから、好きにさせとくべきでしょうね。
本日は街の理髪店へ行ってて留守です。二組の通学生、杜陽春こと
陽ちゃんに頼めば、誰であろうと無償で髪を整えてもらえるのに
遠慮してるんですよね。大の陽ちゃまファン故、近づき難い。
好きだからこそ、遠くから眺める程度の距離を保ちたい。
憶測ですが、そんな心境なんだと考えられるのです。
陽ちゃんは本当に髪の毛いじり大好きなんですよ。森魚の弟君曰く
「陽ちゃまに鋏を持たせると、とーってもリョーキテキで素敵ィ!
もういつでもアタイを抱いてー!」とのこと。猟奇的ってぇのにも
理由があります。陽ちゃんの自宅洗面所を見ちゃえば誰だって驚く。
りゅーりょーの髪質が良いから伸ばすよう勧めたのも陽ちゃんです。
長髪を結わえてあげたり、常日頃から可愛らしく整えておられます。
ごゆっくりさんである故、女児扱いされてるのが学校の本物王子様。
キヨも陽ちゃんも寄って集って玩具扱いしてる気がする。おかしい。
でも、りゅーりょーの飼ィ…父兄代行のもっちーも容認してるから
こっちは強く意見できない雰囲気。無邪気に飛び跳ねてるからって
可愛くしていいのか? 普通に男児扱いしなきゃダメだと思うけど
そんな考えを持ってる自分が異端扱いされる気がして黙ってしまう。
陽ちゃんは学校一のウォシャレ番長さん。小柄でも存在感が大きい。
入学時からずっと斎藤さんより高い位置に立つ生徒。学校の人気者。
余計な情報かもしれませんが、寄宿舎の寮母さんの実子だそうです。
ミカミソーと池田先生と同じく、血が繋がっているのに姓が異なる。
寄宿舎生たちだけじゃなく、通学生たちも複雑な事情を抱えてたり
色々あるみたいだなぁって時が経つに連れ、気がついてきたりして
他人と比較するのは、決して美しいことではないかもしれませんが
斎藤さんは結構幸せな身の上なんじゃないかしらと思ったりします。
眼鏡を外して、瞼をを押さえて戻りを待つことに。見ることに疲れたので
邪魔な眼鏡を胸ポケットに仕舞いました。乱視で酷い近眼ではないのです。
ド近眼で眼鏡無しで行動不可能な生徒が望月漲。銀縁眼鏡は必須アイテム。
こっちは目に映る全ての境界線が馴染んで視える世界の方が落ち着きます。
本当は眼鏡なんて邪魔。短時間の外出も外す場合が多いです。気持ちが楽。
でも、外したままでいると訪れるのが頭痛。裸眼も後々困った状態を招く。
好きで掛けてる訳じゃない。不快な偏頭痛を防ぐためのマジックアイテム。
…!!…
斎藤さんの左側から水の流れる音がしました。もうすぐ探偵の登場です。
「お待たせしました。では、依頼内容について聞かせてもらえますか?」
晃ちゃんが用を済ませて戻ってきましたので、なるべく簡潔にまとめて
放課後に一組の教室で起きた顛末を伝えました。その途端に晃ちゃんの
雀斑顔が紅潮したのを裸眼で確認したというのに何も話そうとしません。
いつもより滑らかに喋ってるから…やる気ありだと思ったんだけどなぁ…。
「何と無く『インビジブル』のことを知ってるような雰囲気に見えるけど
晃ちゃんが視ている情報があるんなら購入できませんか? 気になるんで」
そのとき微かに首肯したように見えたのですが、単に俯いただけなのかも。
「確かに斎藤さんが話したような存在は…いる…。私も確認していました。
けれども、ちょっと私の視た存在は…言葉では非常に表現しづらい…です。
そういった訳ですから…ごめんなさい…。今回の依頼は、お断りします!」
ついでに宿題も済ませておきたいと言って、娯楽室で待つ相馬達哉こと
タッちゃんの許へ戻ってしまいました。我が心境は「放り捨てられた塵」
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決して、こっちに強い嫌悪の情があるつもりではないのですけれど
斎藤さんは、入学時からタッちゃんと上手くコミュニケーションが
取れなくて困っております。タッちゃんは学校で一番の長身さんで
一組の副級長サックラバー(桜庭潤)にとって憧れの存在らしいです。
特に何も非難すべき点もない学習発表会では落語担当、熱血テニス部だと
「うるわしの星の王子様」なのですが、斎藤さんの方が受け付けられない。
入学して間もない頃、自分は「クラスのリーダー斎藤さん」だというのに
斎藤さんらしくない暴言を言い放って、それを謝るしかできませんでした。
ただ、言い訳させてもらいますと、タッちゃんを内心少々苦手としている
クラスメイトは斎藤さんだけじゃなくて、他にもアッちゃん(谷地敦彦)と
陽ちゃんなど確認しております。巻き込んじゃダメだと弁えていますけど。
しかしながら二組の級長の意地にかけて「イジメや仲間外れなど全くない
ジェントルメンズにしたい」と我が心の奥底から強く願っておりますので
卒業の日まで、粉骨砕身、努力に努力を重ねたいと、心から誓う所存です!
眼鏡を外して視界の境界線をぼかすように、誰とでも馴染めればいいのに
そうもいかないのが現実です。教室、寄宿舎、どっちも落ち着かない場所。
最近思う。斎藤さんは、生きてる命の数だけ存在していて
他の生き物が映す世界じゃ如何様にも姿を変化させている。
バケモノ。嫌悪の情を懐かれる存在。そんなのイヤだけど
恐ろしい姿をしている自分も、どこかに大勢いるのかもな。
バカバカしい。余計なこと考えたって仕方ない。思考停止。
洗面所に突っ立ってたのが心労の原因かも。とりあえず自室へ引っ込もう!
斎藤さんとキヨの自室は洗面所の隣り。すぐに移動可能。
足を数歩進めてドアを開けば、そこはプライベート空間。
本日は起床時刻に起きられず布団を敷きっぱなしでした。
斎藤さんでも、こんな日はあるのです。やや寝不足っす!
ご安心を。湿らないよう晴れには日干しも行ってますよ。
だらしなく自己管理責任を怠ったら喧嘩の種になるから
面倒なんですよね。同室者様の逆鱗に触れるのが怖いし。
私服に着替えて、畳んだ布団を隅へ寄せたところに寄り掛かりました。
一人で休める時間って貴重だ。いつも誰かに寄り掛かられてるんです。
ほんの僅かな時間で構いません。何でもいいから、この身を預けたい。
他人の目に晒されず過ごせる時間がほしい。何も言わない。聞かない。
自分は空気。寄宿舎じゃ空気に近い存在だし、インビジブル同様だな。
幽霊なんて信じられません。時間を越えて現れた幽霊、インビジブル。
一組の教室で視たアレは夢。早急に忘れた方がいい。現実を見ないと!
最近は松浦悠一郎こと、悠ちゃんが大切な級友で仲良し三人トリオだった
てっちゃん、しいちゃんを失ったショックから未だに立ち直れてないのか
不登校気味でして、級長である斎藤さんの胸に重く圧し掛かっております。
三年生の夏期休暇、悠ちゃんは家族旅行で村から離れていたのだそうです。
長期休暇期間は斎藤さんも実家に帰省しますので、通学生や一部生徒しか
村にはいない状態になります。こっちは何も詳しいことは分かりませんが
夏期休暇明けから三年間ずっと待ち続け、再び元気な二人に会えることを
一心に祈り続けてきた悠ちゃんですから、その心中を察すれば察するほど
斎藤さんも胸が痛みます。自分にだって大切な同級生だったつもりですし
二人を思い出す度、喉と胸が詰まるような感覚に襲われて苦しくなります。
そろそろ御見舞いがてら、ご自宅まで家庭訪問してみようと考えています。
うちの担任が家庭訪問とか有り得ませんので、これも二組級長の務めです。
…!!…
りゅーりょーのことを娯楽室に放置したままでした。
まだ夕食まで時間があるし、村の商店へ連れ出して
食玩を選ばせてやろう。普通の男児が好きな玩具を。
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曇り空の夕闇色に染まった空気の中、着替えさせるのが面倒だったんで
りゅーりょーは制服姿のままで自転車の荷台に乗っけて漕ぎ出しました。
このまま融けて消えてしまいたくなる色した空気。不思議と心が馴染む。
緩やかな坂道を漕がずに下って進めばОKなので往路は楽な道のりです。
背中からは童謡「あめふりくまのこ」を暢気に歌う声。明日は雨降りか。
地に落ちた雨粒が群れて流れた。
魚が泳いでそうなほど深いのか
まだ幼くて無邪気なだけなのか
子熊がすくって飲んだ小川の水。
雨水は美味しくないと聞きます。
水として純粋だからこそ「無味」
まだ学校へ来る前、故郷で過ごしてた頃は葉っぱの傘に憧れていました。
遠い昔は大雨をどうやって凌いでたんでしょうね。傘が貴重品だった頃。
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村の商店の前に置かれた黄色い木製のベンチ。
少なくとも設置から七年以上経ってる筈です。
看板らしきものが見当たらない村の商店の目印といったオブジェクト。
授業が休みの土日には、高齢女性の皆様方が座って雑談してる光景を
目にする場合もありますけど、今は夕食作りで忙しい時間帯ですよね。
自転車を停め、りゅーりょーを降ろしてやったら何も言わずに店内へ。
硝子の引き戸が開け放してある状態ですから、元気よく突進していった。
商店の硝子戸、斎藤さんには忌まわしい記憶が引き起こされるんだよな。
五年生の夏にやらかした。りゅーりょーみたいに猪突猛進で入店したら
硝子戸が閉じてたんだ。ガツン!と体の前面に衝撃、同時に恥ずかしさ。
一人だったんで笑うヤツはいませんでした。苦痛より羞恥心が勝った。
その日は徒歩で来たから、そのままの勢いで回れ右してしまいました。
数歩のところで店員さんが出てきて「大丈夫?」と声をかけられ
結構スゲェ音を出してたらしく、こっちの身体より硝子戸に
ヒビでも入ったんじゃないかと確認してたような様子…。
結局、買い物したか逃げ帰ったか記憶が曖昧ですけど
それからは常に細心の注意を払って入店するよう
心掛けてます。イヤな記憶ほど深く刻まれる。
他の誰よりも自分を裏切る敵は自分自身。
店の人に謝ったかも憶えてない始末。
平穏な紳士の如く振舞わなければいけません。そう心掛けております。
たとえ短時間の駐停車であろうと、愛車の施錠だって欠かしませんよ。
小さな不注意が大きな不幸を招くという説話、数限りなく御座います。
古典から学習できることは、今を生きる者たちが覚えておくべきです。
間違えて大恥かいたり、命まで失うバッドエンドを辿っちゃった人に
遠い未来で感謝して生きてる者もいる。でなきゃ虚しすぎる生涯です。
商店に入って右がレジのあるカウンター。奥に弁当や総菜類が並んでます。
…!!…
見覚えのあるヤツがいると確認。三組の通学生が弁当を選んでる真っ最中。
森魚の兄者が一人で家族の弁当を購入しようとしてるみたいです。
彼とは全く親しくない。敵か味方かと問われたら、躊躇なく『敵』
兄者の方も一瞬こっちに目を向けましたが、すぐ商品棚に向き直しました。
おそらく森魚の母上殿が体調を崩されたのかもしれません。
だからといって、この兄者に同情したりはいたしませーん。
何者かによって徐々に築き上げられた視えない障壁があるのです。
気づいたら上下左右を見回さなきゃいけなくなってしまいました。
そういった事情により、彼とは挨拶さえ交わせない。嫌悪と拒絶。
りゅーりょーが冷凍ショーケースを開けて覗き込んでます。
アイスクリームを食べたいのでしょうが、確か買い置きが
娯楽室備付の冷蔵庫に入ってる筈です。ガマンさせないと。
それは兎も角、開けっぱなしじゃ商品が傷んでしまいます。
頭の中は色々渦巻きながらも黙ってショーケースに近付き
戸を閉じて、菓子類の商品棚へ行くよう促してやりました。
りゅーりょーが食玩の箱に目を奪われてる間に
森魚兄者は会計を済ませ、店員さんの声と共に
商店を後にした模様。歩いて来たんでしょうね。
どこに自宅があるか存じません。その必要ない。
母上殿は早く回復なさいますよう心で祈ります。
「これにするっ!」
りゅーりょーの右手が選んだ商品は動物の小さな縫い包みが入った
ラムネ菓子。犬、猫、熊など何が入ってるか開けなきゃ分からない。
ロボットや戦隊モノの食玩が並ぶ位置に立たせたんですけどねぇ…。
ピンクや水色が目に付く箱が並ぶ位置に移動してしまったのでした。
これは日頃から周囲に女児扱いされてる影響の表れかもしれません。
遺憾でも遼自身が欲しいと選んだ品を受け取り、レジで支払います。
キヨへの手土産にレジ脇の保温器に入ってるポテトフライを
1袋購入しました。こっちが欲しくて集めてる最中の食玩は
探しても無かったんです。仕方ありません。街へ行かないと
入手できないのかも。土日にでも自転車で出かけるしかない。
『たしかきようはまち』
一瞬のことですが、自分の脳裏に幻燈が表示されるように映った九文字。
『確か、今日は…街…』
本日の放課後、街へ出かけている学校の生徒は…?
斎藤さんが確実に把握してるのは、現在キヨだけ。
でも、キヨがコロされてシぬとか考えられねーよ。
逆に斎藤さんがキヨにコロされる最悪の事態なら
容易に想像ついちゃうけど…。いや、それも困る。
何だか無用な焦りが出てきた。あれは夢。囚われたりしちゃいけないもの。
会計を済ませ、りゅーりょーと並んで商店を出て帰路へ就こうとしたら
りゅーりょーが自転車の荷台に乗せようとした手を払い除けて
速攻でレジ袋を強奪、黄色いベンチに座り込みました。
一刻も早く食玩の箱を開けたいのでしょうね。
会計前に店の中で開けないだけ上等。
ポテトフライ入り袋は無事。
商店の出入口周辺は外灯に照らされ、黄色いベンチも明るいです。
自転車のサドルに腰かけ、一部始終を見守るような形で待ちます。
開封した箱から取り出されたのは、くたっとした三毛猫の縫い包み。
黒い刺繍糸の釣り目、口を大きく開いて牙を覗かせた愛嬌ある笑顔。
この猫、顔の造作からして超希少なオスの三毛猫かもしれませんよ。
オス猫は人間でいえば頬骨と上唇に当たる箇所が大きく目立つ印象。
オスの三毛猫を船に乗せると遭難しないという言い伝え。福を招く。
斎藤さんの実家近くに暮らす猫たちを見て、自然と学習したのです。
りゅーりょーも気に入ったのか自分で制服の胸ポケットに入れました。
頭と両前足を出した状態で収まって可愛らしい。女児だったらの場合。
自転車の荷台に乗ろうと立ち上がったのはいいんですが箱を置きっぱなし。
自転車から下りて後片付け代行。ピンク色のラムネを1粒、遼の口へ投入。
「いちご味っ、おいしーい!」
放置した箱の中、ラムネ菓子が入ってたことに気づかなかった
無邪気な声を背に受けて、緩やかな坂を漕いで上っていく帰路。
すっかり夕闇色に染まった世界の中、春色が映り込もうと必死。
車道と歩道を分ける縁石、歩道側に並ぶ背の低い水仙の花たち。
吹きつける春の強風に倒れないため選んだ姿です。強かな生命。
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…………………………。
二十三時近い時刻となりました。左隣に布団を敷いたキヨは
街の行き帰りで疲れたようで、横になって間もなく熟睡状態。
真っ暗です。就寝時刻には寮母さんの手で電源の操作をされて
停電状態となります。手元に小さな明かりくらい点けたくても
暗くなきゃ眠れないと主張する同室者がいたら、どちらかが…。
毎晩、アラームをセットした腕時計を枕元に置いて眠ってます。
室内には壁時計の秒針が動く音。普段は全く気にならないのに。
オヤマニ アメガ フリマシタ
小川になるほどじゃない微かな雨音が窓の外から伝わってきます。
夜中の通り雨かもしれません。隣りで眠るキヨも気づかない間に
晴れた翌朝を迎える存在感の希薄な小雨。インビジブル・レイン。
…証言…
本日の放課後、外出していた寄宿舎生は『五名』でした。
一組のキヨとサックラバー、級長と副級長のコンビです。
キヨは理髪店、サックラバーは村内の自宅に用があって
二人とも夕食前まで寄宿舎にいなかったことになります。
三組の浅井壱琉、夏目翼、夏目宙。浅井家の親族トリオ。
耳に入った雑談から、三人で街の書店へ出かけてた模様。
夕食も外で済ませてきたらしく、食堂の空気が良かった。
二組の寄宿舎生では誰も外出している生徒はおりません。
各々が娯楽室や自室などで過ごしてました。斎藤さんが
りゅーりょーと村の商店まで往復したくらいでしょうね。
とはいえ、インビジブルが通学生である可能性も捨て切れません。
授業が終わると街へ繰り出して遊びまわってる生徒もおりますし。
晃ちゃんの瞳に映っていながら、その名を口に出せない生徒って誰だ?
『ペリドットの蛇』は『視えるのに言葉に出来ない存在』のようです。
斎藤さんは「とりあえず、乞うご期待!」と結んでおくことにします。
◆桜吹雪と焼き箪笥. 森魚慶
七年生四月末の話です。桜は八分咲きといった頃。
自分の体調が追いつかなかったのだと思いますが
風邪を引いたので、二日続けて学校を休みました。
体調不良ですから、それも影響しているんじゃないかと思います。
昨日までは二階の自室ベッドで休んでいましたが、熱が下がらず
その日は一階にある両親の部屋、父親の布団に寝かされたのです。
部屋の隅にある小さな仏壇が気になって落ち着かないけど
わざわざ母が氷塊を砕いて作ってくれた氷枕が心地好くて
昼食の玉子粥を摂った後、眠りに就いてしまったようです。
それから一時間くらい経ったんじゃないかと思うんですが
敷いた布団の左足元に位置するミラー付の古びた洋服箪笥。
その箪笥より少し斜め上、そこの辺りです。僕は視ました。
濃い灰色した煙の塊。思い返してみると、人の頭と同じ大きさです。
目鼻口、そういったのは視えませんでした。本当に煙に似た物体が
こちらを見下ろすかのように視えました。これは嘘ではありません。
今朝は仏壇に線香を上げていません。それに線香の煙より色が濃い。
煤けたような灰色でした。何かの燃えるようなニオイも感じません。
…金縛り?…
視界は開けているのに声が出ません。指先も思い通り動かせません。
空中に浮かぶ煙の塊にしか視えないけれど、意思を持ってるようで
僕には『悪意』とだけ伝わってきました。非常に強い憎しみの感情。
眼を離すことが出来ず、しばらく不思議な煙を見つめ続けてました。
気を失ったのか、元々ずっと眠り続けてただけなのかもしれません。
枕元に置かれた目覚まし時計の針は午後四時過ぎを指していました。
箪笥へ眼を向けると、濃い灰色の煙みたいなアレは消えていました。
氷枕が頭の熱を下げてくれたのか、全身の倦怠感も軽くなった感じ。
昼過ぎに視たのは単なる幻覚だったのでしょう。そうだと信じます。
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…………………………。
平熱に戻って回復したので、再び登校しなければなりません。
学校へ通うのは辛いけど、顔が見たい他クラスの友人もいますし
教室では壱君センセや周りの命令を聞く人形でいるよう努めるだけ。
その日も内心やりたくないけど副級長の指令した任務をこなしました。
帰りは途中で一人になるので、ようやく授業が終わった安心感に浸れます。
自宅付近まで来ると、空き地から煤けた煙が上るのが見えました。
見覚えがあると思った人影は母でした。何かを燃やしている様子。
近付いて声をかけました。笑顔で迎えてもらい、何を燃やしてるのか訊くと
父母の部屋にあった古びた箪笥だと答えてくれました。箪笥の左側に付いた
姿見の鏡は燃やせず、ブロック塀に立て掛けられた状態。白く濁った汚れで
全面が覆われたようになっていて、何だか薄気味悪いと思ってしまいました。
少し風が強い日です。空き地の隣りにある畑に植えられた小さな桜の花弁が
春風に煽られて舞い散って、黒く立ち上る煙に巻かれて、奇妙な光景でした。
母の話では、鍵がかかって開かない引き出しがあったりして不便だったので
思い切って自力で解体したとのこと。その引き出しには母が若い頃に切った
髪の毛が入っていたそうで気持ち悪いから一緒に燃やしたと笑っていました。
昨日の午後、僕の眼には視えていた濃い灰色の煙みたいな…アレは一体…?
僕は母の手で燃やされる運命を嘆いた箪笥の吐いた溜め息だと思っています。
◆南瓜に出目金. 斎藤和眞
七年生五月下旬の木曜、五時限目から始まる一話となりますよ。
木曜は昼前の二時限を使って三クラス合同の体育がありますが
詳細を伝えたくないのです。一言で語ると「心身共に疲労困憊」
午後の授業をサボって寝逃げできたら、少しばかりは気持ちも
楽になれるんじゃないかしらって思うのですが入学時から常に
背水の陣で臨んでいる所存です。逃げません。立ち向かいます!
美術のデッサンで静物画を描いてるとき
ふと、思いついたのです。アウトプット。
もちろん頭の上には電球が点灯しました。
何故もっと早く考えなかったのでしょう。
斎藤さん、気づくの遅すぎ。発想即実行!
キヨの口癖ですけど、真似してみました。
晃ちゃんの瞳には、池田先生の姿がどのように視えているのか
どうしても気にならない訳ありませんじゃないですか。
そういった訳でして、お願いしてみたのです。
当の二組担任は、現在のところ空気同様。級長といたしましては
リアクションに困る言動に付き合わされず済むのですから大歓迎。
教卓の椅子を窓側に向けて、薄い地元紙に目を通してると窺えますが
時折ちらちらと窓の外を気にしてる様子。怪しい教師の怪しい行動は
既に七年以上の関わりを持ってしまった二組のジェントルメンズには
些細な日常となりつつあることも、また紛れもなき事実で御座います。
池田先生が麗しき女性教師の化けの皮を被らなければいけない理由が
窓の向こうに潜んでるのかもな…。でも、平穏無事な日常を守るため
騒ぎ立てず見守るだけにしておきます。巻き込まれたくありませんし。
「あのぅ…出来ました…」
前席の晃ちゃんから手渡されたスケッチブックの1枚。
自分が持ち合わせてる言葉では何と言うか表現不能な
『何らかの物体らしき平面』が目に映っただけでした。
あまりにも…あまりにも…美しすぎて…絵にも描けないのでしょうか?
あー、そうだった。よくよく考えてみりゃ
一年生から晃ちゃんの画力はこの程度だった。
斎藤さん、単なる時間の無駄でした。おしまい。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
掌編にしたかった本心を黙殺し、この後に起こった出来事を綴ります。
…親睦会…
長期休暇以外の月は欠かさず催されている行事なので御座いますが
それが一部の寄宿舎生の頭痛のタネと成り果ててしまっている現実。
今月は本日夕食後に開始の予定。率直に申し上げます。出たくねえ!
頑なに出席しない生徒が一名おりまして…うちの晴ちゃん…。
入学時から貝のように固く閉ざしてしまった心の扉ってヤツ、
難攻不落の砦そのもの、何を言っても無駄な苦労になるんだ。
出席拒否してるのは晴ちゃんなのに、主催者様に責められる
役回りを仰せつかるのは二組級長の自分になるってぇ理不尽。
まあ、幾ら頭の中で愚痴を渦巻かせてみても仕方ありません。
実際のところ嫌々ながら出席してる寄宿舎生が絶対に多い筈。
少なくとも一組と二組の級長コンビには大変苦痛な時間です。
「とりあえず作業完了。自室まで戻るとしよう」
乾いた洗濯物を畳み終えたキヨに声をかけられ
三段棚に古雑誌を放り込んで立ち上がりました。
間誤付いてると碌な言葉が耳に入ってきません。
あ、今いるのは寄宿舎一階の洗濯室ですよ。
洗濯機の操作や干したり畳んだりなどは
五年生春から寄宿舎生には日常的動作。
寮母さんに迷惑かけられませんから。
早朝から起きてるキヨは外を掃除してる間に洗濯し、その後で干します。
余談でしょうが、自分は土曜に洗濯する場合が多いです。面倒が少ない。
上下左右の視えない障壁にぶつかったら痛いですもん。極力避けなきゃ。
プラスチック籠その他の荷物を抱えたキヨより先に
少しばかり重たい出入口の扉を開けて押さえました。
当然のように通り過ぎる親友キヨ。扉を閉じて消灯。
心なしか年齢を重ねていくうち、友情が主従関係と
呼んで構わない間柄に変化を遂げてるような不安感。
颯爽と二階へ上がる階段に向かって歩くキヨを追うように進みます。
待ちませんよ、この人は。誰に対しても殆ど変化しないマイペース。
「今夜の親睦会は欠席する。これから担任と比内の家まで行くから」
階段を上りながら、こっちを見ない状態で言葉の鞭を揮われました。
「えぇ、それって家庭訪問?…なんでまた…今晩じゃなくたって…」
「小林先生や比内の家族の都合だ。それに僕は付き合わされるだけ」
段飛ばしで横並びになったら、右目を閉じたキヨが顔を向けました。
「僕がまだ着替えもせず、制服のままでいる時点で疑問を持つべき。
支度もあるし、向かいの教員住宅まで小林先生を迎えに行く予定だ」
自分の視界には薄っすら微笑みを浮かべる親友の姿が映りましたが
こっちの発言を待たず、駆け上がるように姿を消してしまいました。
キヨと一組担任小林先生の夕食は、訪問先の比内家で戴くとのこと。
比内君は少々勉強が苦手な生徒。それでもギターを弾くのが得意で
性格が穏やか…のんびりと動かざること山の如し…大らかなタイプ。
問題など何一つない。そう断言できる学友だと思うんですけどねぇ。
一組級長であるキヨの視界に映ると焦燥感を覚えてしまうようです。
放課後にキヨと比内君が居残りで数学の計算を特訓する様子、
斎藤さんの眼には毒です。「出来ない」のも個性だと思えば
鬼軍曹が無駄にイラつかなくたって済む。一長一短。光と影。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
そういった訳でして、自室に一人きりとなりました。午後六時過ぎ。
夕食はカップ麺。キヨの電気ケトルを拝借して湯を沸かしたのです。
これがなきゃ絶対に困るってレヴェルで好きな味じゃありませんが
この味や匂いを物凄く不得手とする寄宿舎生が一名いるんですよね。
食堂まで下りる気力がなくて言い訳になると思って食した次第です。
将来は立派な「言い訳製造業者」になって独立開業できそうな予感。
後から同室者に文句を言われる事案を避けるため
十センチばかり窓を開けて、空気の入れ替え作業。
どの自室も西向きの窓。西日が直撃する造りです。
でも、白い壁がオレンジ色に染まるのは悪くない。
キヨが窓辺に吊るした二つのサンキャッチャーが
小さな虹を室内の彼方此方に散らしてくれてます。
日没後は消える…儚く美しい…溜め息の出る光景。
夕焼けと虹たちの饗宴を一人で眺める贅沢な時間。
このまま眠り込んでも誰かが起こしに来るだけか。
先陣を切ります。空気を読まない振りして適当な座席に陣取るのです。
斎藤さんの側に座るか避けるか、後に続く者の意思に任せるとします。
自室の窓を閉めて、机の引き出しを開けました。
雑記帳を取り出したら挟まってた絵葉書が床に。
先日、実家の祖母が送ってくれたものです。梅雨入りの時期を思わせる
少し濃い青の雨空に白い雨粒、鮮やかな黄緑の体に大きな黒い瞳の雨蛙。
雨蛙の黒い瞳は金色の絵筆で縁取られ、眩いほどに光輝いて御座います。
鬱陶しい梅雨を乗り越えて、夏期休暇には元気な姿を見せてほしい。
そういった旨を綴った黒い文字が祖母の芸術的な書体で添えられて
ちょうどいいサイズの額があったら入れて飾りたいと思うのですが
何だか照れくさい気もして、思案と整理を中途半端に放ってました。
今度の日曜、ついでに街のワンコインショップも覗いてみようかな。
絵葉書を引き出しに戻して、ペン立てから四色ボールペンを取って
シャツの胸ポケットに挿しました。雑記帳に今晩みんなで鑑賞する
つまら…いや、観てみなきゃ分かりませんが…映画の粗筋や感想を
書き込んで、親睦会が御開きになるまでの間を持たせるつもりです。
早くメンツが揃えば早く始まって、それだけ終わりも早くなる寸法。
…!!…
本当に偶然タイミングが合っちゃったんでしょうが
二人して同時に自室を出たんだと思います。
廊下の左側に立つ、似た境遇の者。
彼だって今夜が憂鬱な筈。
晴ちゃんみたいな強い拒絶の意思は示しませんけれど
ミカミソーは仲間と打ち解けるつもりがない貝の属性。
余計な言葉は必要ありません。同じことを同じタイミングで考えた同士。
肩を押して娯楽室まで案内して四人掛けテーブルに並んで着席する作戦。
イヤな表情してるのは見なくたって存じておりますが、気づかない振り。
…?!…
あー、そういうことか。娯楽室の扉越しにゲームする音が聞こえました。
池田先生の御令息には先約がいたって訳です。推理するまでもない解答。
肩に触れていた手を離してドアノブを回し開けたら、やっぱり彼がいた。
「晩ご飯、もう済ませたの? アッちゃん」
落ち物パズルをする手を止めて振り返った野生の小動物が人間に化けて
寄宿舎付学校で暮らす美少年たちに紛れて一緒に勉強する二組の副級長。
「あ、斎藤も早く食べてきたのか。僕とミサは五時過ぎに済ませたんだ」
にっこり笑うと後ろに立ってたミカミソーを自分の隣りに招き寄せて
ゲームを対戦モードへ切り替える操作を事も無げに済ませたのでした。
ミサオという名の学友をミサという女性的な愛称で呼ぶ級友、少し靄つく。
テレビの前で対戦を始めた二人を脇にマイペースを装い、テーブルに着席。
青い雑記帳を広げ、本日の天気や斎藤さんの依頼で晃ちゃんが描いた
二組担任の似顔絵について思うがまま綴ることにいたしました。
晃ちゃんの似顔絵について所見を付け加えますとデカいっすよ。
握手すれば分かりますが我々の眼に映るより大きい人なのです。
太かった腕。御令息は華奢な身体つきですけどねぇ。似てねえ。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
如何にも三組の級長が好きそうなディテールまで拘って描かれた映画が
今月の親睦会のメインディッシュとして供されました。ホラーなアニメ。
セーラー服の美少女が華麗な太刀筋でバケモノの群れを薙ぎ倒していく。
華奢な身体してる少女の得物は大振りの刀。リアルじゃ持ち上げるのも
困難な話でしょうけど二次元世界じゃ細身の美少女こそ『力』の体現者。
本当スゲェよな、ゲームやアニメの世界って。無理が通るファンタジー。
「さっきからアンタ何なの? それ、宿題か何か?」
向かいの椅子に着いた三組の寄宿舎生がイラついた声をかけてきました。
「そいつ、毎月ノート持参して書き込みしてるんだ。
メモ魔ってヤツなんだろう。いちいち気にすんなっ」
隣りの席に着いてる彼の従兄が宥めようとしてくれたのだと解釈します。
「それにしても、すごいギッシリ詰め込んでるなぁ。ちょっと見せてよ」
こっちの返答を待たずに雑記帳を奪い取られる形となりましたが等閑視。
見られて恥ずかしい記述するなら、初めから持ち込んだりいたしません。
お向かいさんの気が済むまで読み耽って構わない。心臓は常に俎板の上。
さっきまで自分が書き進めていたページをじぃっと覗き込んでいる様子。
「これって速記の文字や記号? 全く読めないんだけど」
「そうかな? 普通の文字だよ。そんなの習ってないし」
文字に焦点を合わせようと必死の形相で訊いてきましたが
生憎と二組では速記の技術を学ぶ授業科目は御座いません。
「えー、おかしいよ。目から入る情報の解読を脳が拒否する。
あちこちに描いてあるイラストは普通に上手いと思ったけど」
白旗を揚げるような投げ出し口調と一緒に雑記帳を突っ返されました。
いや、でもまぁ、映画に退屈した彼が斎藤さんの雑記帳に目を留めて
悪意ない興味本位から読んでみようと思っただけなのは理解しました。
彼の気紛れでノートを回し読みされて集中砲火を浴びる最悪の事態に
陥らなかった幸運に感謝すべきかもしれませんが胸中は煩瑣の連鎖中。
ハイ、そうです。家族からも手紙の字が読めないと評されるレヴェル。
自室で机に広げっぱなしでも見事なまでにスルーされてしまう雑記帳。
しかし、この程度で挫けません。書くのは少々不得手でも描くのは得意。
とは申しましても雑記帳に添えてあるイラストは全部オリジナルの模倣。
デッサンは嫌いじゃないですよ。見たモノを紙に写し取りゃいいんだし。
午後の授業は脱いだ上履きを描いて過ごしました。模写は二組で一番手。
ただ、自分のオリジナルと胸張って言い切れる作品を描けないだけです。
そういった訳で、美術総合一位の座に就くことは夢のまた夢になります。
己の心に映し出したファンタジーを素直に表現できる達人の群れが
二組のジェントルメンズと称しても構わないと思うのですが
そうなると斎藤和眞が唯一の仲間外れになってしまう。
生み出すって思いの外、難しい行為なんですね。
最終局面。アニメ映画の美少女主人公が手負いの姿となりながらも
しつこくしぶとい敵幹部を斬り倒しましたとさ。目出度し目出度し。
しかし、敵方の首領の息の根を止めて敵方の野望を打ち砕く日まで
美少女主人公は何年もセーラー服を着続け、闘い続けるのでしょう。
それは兎も角、映画の敵幹部は誰が見ても分かり易い「敵」でした。
仮に自分が敵幹部だったら嫌悪感で拒絶される容姿では現れません。
本物の敵こそ心を掴むような美しい姿で愛されて当然と巧みに動く。
性別年齢は問いません。主人公が憧れて已まない存在になりゃ楽勝。
美辞麗句、ますます好印象を刻みつける言葉を吐いて差し上げます。
「今回も真面目に粗筋や感想を書いてんのか。
何事もコツコツ続けるのは偉いって思うよォ。
雑記帳、書き終ったら電灯を消してってくれ」
サックラバーが和やかな表情を向け、級友たちと部屋を後にしました。
気づく間もなくテレビ等の機器は電源オフにされていました。
そういえば一度も正式な閉会の言葉を聞いたことがない。
挨拶なく始まって終わる。誰のためか不思議な親睦会。
心が靄つく事案はなかったと思い込む。目出度し。
セーラー服の美少女主人公の姿を描いて…〆。
独り。キヨがいなけりゃ自然と一人になってしまうんですよねぇ。
魅力ない人間に近づく人間はいない。自分が見事に体現してます。
雑記帳を閉じて…椅子が乱れてるな。きっちり直して差し上げる。
急いだって意味ない。洗面所は混んでる筈ですし
歯磨きでゲェゲェ吐く音も聞きたく御座いません。
本当にアレ、何とか我慢できないものでしょうか。
りゅーりょーの方がよっぽど歯磨き上手ですもん。
七年生に進級した現在、年齢に沿った成長を見せなきゃ恥ずかしい。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
おかしいと思ってたんです。電灯を点け、事実が明るみに出ました。
自室に布団を敷いて眠っている同室者を発見しました。
途中で入ってくると予想してたんですが、すっぽかし。
寄宿舎生たちがアニメ映画に見入ってる隙に洗面所で
寝支度を済ませたんですね。平然と寝息を立ててます。
さすがキヨ!…としか言えねぇ。地球よりデカい心臓。
無理やり起こして問い詰める気にもなりません。
キヨだって級友の自宅訪問で疲れたでしょうし。
ヘタに物音を立てて、親友の不機嫌な表情を見ないよう気を付けないと。
今日は…いいえ、今日も疲れました。
午前中の合同体育、頑張りすぎたと内省中。
見せちゃいけない手品のタネを幾らか見せた感じ。
今のところは表立った攻撃がなくても、勝負は明日から。
気紛れな指揮官がいつ外道兵に指示を与えるか知れやしないし。
心の中で『パパの絵』と呼んでるキヨの水彩画を眺めて心を鎮めました。
淡い色調の背景の中、二匹の赤と黒の出目金が鮮やかに泳いでるんです。
『有耶無耶…。曖昧模糊に暈された悪夢のような世界に負けて堪るか!』
どんな暴風雨に見舞われても、自分の足で現実の地面に立ち続けなきゃ。
キヨが一年生の夏に描いた絵画ですから技巧もそれなりですし
どうして水槽の中に半分に切られた南瓜が入ってるのか謎でも
凹んだ気持ちが膨らんで、明日へ気持ちが向かう不思議な絵画。
四隅を画鋲で留めて飾られた水彩画は、この世で一番価値ある名画です。
洗面所から歯磨き粉に咽てゲェゲェ騒いでる大声が
こっちにまで聞こえて気分が悪くなってくるけれど
描かれた二匹の出目金みたいに仲良く泳げなくても
暈やけて視えない明日へ二人で踏み出して行きます。
生きてる限り、忘れちゃいけないのは現実ですから。
狸寝入りしてる親友に気づかない振りして
室内の灯りを消し、洗面所へ向かいました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
寝付けねえ。と申しますか深夜に目が覚めました。疲れてる筈なのに。
神経が高ぶってるんでしょうね。隣りに布団を並べてるキヨは熟睡中。
狸が軽く鼾をかいて就寝中で御座います。動物に喩えると少しだけ狸。
仰向けで寝てる頬を抓んでみたくなる悪戯心を堪えて懐中電灯を持ち
自室を抜け出しました。手洗いで用を済ませたら水分補給いたします。
起き上がったら自然と定位置へ手を伸ばしてしまう脳内指令に腹立つ。
わざわざ眼鏡かける必要ないですよね。眼鏡無しじゃ行動不能なのは
この世界に於いて望月漲ただ一人で十分なので御座います。問題なし。
娯楽室に備え付けられた銀の冷蔵庫、海外製の檸檬入り炭酸水が一箱
ぎっしり詰められているのです。リューザッジ…というより竜崎家の
仕業と申し上げるのが相応しいでしょう。先に試飲したアッちゃんは
甘くないのが口に合わなかったようで「思ってたのと違う」との感想。
レモンスカッシュとは違う「大人の味」という訳です。いざ試飲決行!
静かな寄宿舎を一人で動きまわるのは非常に愉快な気分がいたします。
速やかに小用を済ませ、手を洗いまして足音を立てずに自分の身体を
娯楽室まで移動させます。斎藤さん、まるで幽霊にでもなった心持ち。
…?!…
あ、アッレェ…?…瞬きしたら居ません…。視覚が脳に誤った情報を
送ったに違いありません。誤認の贈り物。幽霊なんて脳処理の不具合。
大体にして寄宿舎内の娯楽室にいるなんて想像つかない生徒の姿です。
寄宿舎生の中で彼と親しくしてる生徒は存じません。知らないだけか。
でもでもね、完全否定いたしたい。幽霊じゃありません。現在生存中。
ドアノブを静かに回して引きました。懐中電灯を向けても影や形なし。
本棚の前に背を向けて…。気にしちゃ負けです。朝まで眠れなくなる。
速やかに目的を遂行いたしましょう。独自回線で消灯時間も運転する
冷蔵庫を開けると庫内の灯りが室内に広がります。心が落ち着く灯り。
下段に控える緑色の硝子瓶を1本頂戴する次第で御座います。舶来品。
右手を動かし開栓完了。微かに炭酸が弾ける手応えと音を感じました。
ラベルに描かれた檸檬が瓶の口から香りとなって鼻孔をくすぐります。
レモンスカッシュとは違う味。自分も口に入れて確認してみましょう。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
サイダー、ラムネ、レスカに慣れている口には初めての味わいですね。
すっきりした飲み心地で後に味が残らねぇ。特に問題ないと思います。
妄りに甘いと就寝前に磨き上げた歯に悪影響を及ぼしかねませんもの。
空にした瓶がヒンヤリした感触だけ伝えます。空き瓶用の袋に入れて
蓋は不燃ゴミの袋に分別しましたよ。視線を本棚の方向へ動かしたら
敗北確定。余計な幻影は思い返してはいけません。自我と恐怖心との
孤独な闘いが繰り広げられます。あいつはインビジブルじゃないです。
何故かと申しましたら姿を確認しておりますから。あの日、確かに…。
◆…夕刻…. 小山内嵩
その日は学校から帰宅しても「おかえり」という言葉をかける
家族の姿はありませんでした。妹以外の家族は農作業のため
山の畑まで出かけると朝食のとき聞いていたのですから。
留守番役だった妹も友達付き合いの方が楽しい時期でしょうし
遊びに誘われたら断り切れず、居間の座卓に置き手紙を残して
どこかへ出かけてしまったみたいです。合鍵はいつもの場所に
隠されていました。猫たちも外に出払ったのか一匹もいません。
この春、七年生になった私は古い土蔵を改造した離れを与えられました。
私の成長を喜び、小山内家の長子として期待を懐かれているのでしょう。
黄昏の迫る頃合いは懐かしくもありますが、やはり強いのは嫌悪と拒絶。
それでも卒業の日を目指し、皆で折れそうな心を支え合っていかねば
この世に生まれてきた役割を果たせません。せめて心だけでも強かに。
留守を預かってくれる家族が居ないと知った以上
離れに引き籠る気にはなれず、母屋へ入りました。
誰の気配も感じ取れない寂寥感からラジオの電源へ手を伸ばしたとき
三人掛けソファに伏せて置かれた妹の読みかけの少女誌に目が留まり
興味本位で開かれたページを覗いてみたら、少女誌の綴じ込み付録の
タロットカードの解説など書かれていました。カードを切り離そうと
考えてたらしく、座卓の上には裁ち鋏が置いたままになっていたので
作業しようとした途中で妹の友人たちが誘いに来たのだと窺えました。
少々不器用な妹の代わりにカードを切り離して揃えておく程度ならば
妹から怪訝な表情を向けられることなく、逆に感謝される筈だと私は
思い立って、内心その半分以上は暇潰し目的でしたが綴じ込み付録の
カードを切り離す作業を妹の代理で請け負ってやることにしたのです。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
少女誌の付録だけあって、タロットカードも夢見がちなアイテムらしく
零の愚者に代わって、天使という二十三番目のカードが入っていました。
全体的に少女向けの絵柄。不快な絵柄となる凶札を避けるような様相で
十三番の死神が連載漫画のキャラクターと思われる愁いを帯びた美男子。
六番の恋人も愛読者の少女には有名なカップルだったのかもしれません。
カードを眺めているところを誰かに見られなくて良かった気がします…。
ふとした気紛れですが、切り離したカードで占ってみることにしました。
時計の針と同じ位置にカードを置いて展開していく一日を占うもの。
ホロスコープ法に似ていますが、少女誌オリジナルの占法です。
夕刻も近いのに選ぶ展開法ではないと思いつつ腕が動いて
シャッフルしている私に首を傾げている私もいました。
…死神…
夕刻を示す時間の場所に正位置で捲られたカード。
頭の中に入っている意味、印象を振り払う形で
少女誌の解説ページを食い入るよう見ました。
『身内の死』
気づいた時には再び同じようにカードをシャッフルして展開する私…。
…死神…
同じ夕刻を示す時間の場所に正位置。身内の…死…?…そんなっ誰の?
…?!…
玄関の呼び鈴が鳴りました。動揺を表に出さないよう玄関へ出ました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
近所の小母さんから伝えられたのは、ここより遠方に暮らす従兄の死。
薄気味の悪い等号に戸惑いを隠せないまま、訃報を受け取り
家族の帰宅を待つ居心地の悪さ、針の筵に座らされたと同様。
『二度現れた死神』
曖昧で構わない陰影を際立たせようと働いた
眼に視えない何かの仕業に間違いありません。
黄昏の闇、いよいよ深くなっていきます。
違う。違う。違う…。
私は地面と同じく訪れる運命に従うまで。
◆チルチルの青い靴. 浅井彰太
「とんかつ屋やステーキ屋って、実にリョーキテキだと思いませんかー?
ブタやウシがトサツされてー、血抜きされてー、肉片を切り取られてぇー、
その肉に塩コショーを摺込まれたりしてー、こんなことー人間でやったら
大火傷ってー言えるレベルじゃねーくらいの温度で焼かれて揚げられてー
お皿に盛りつけられてー、腹空かした人間に出されて、胃袋に収められて
サイシューテキにゃあ、ジンプンになっちゃうのにねぇー。排泄物ぅー!
店先の看板なんかでコックの格好した豚さんや牛さんがニッコリしててぇ
『ど~ぞ召し上がれ~』ってさァ。なんかシュールすぎて笑えてくるぅ!
ゴハン、あんましよく噛み過ぎると口の中でジンプン化しかねねーっスよ。
今後ともーお互いメシー食うときゃあ、噛み過ぎにゃあ注意しましょー!」
「口の中でなるかよ! バカ!」
俺は言葉じゃなく、腹ン中で言い返した。こいつの人糞ネタは学校の昼食時
生徒ほぼ全員が揃った食堂じゃ誰もが聞き飽きてるほど耳にしてるんだ。
休みの日以外は基本的に「ワラッテハイケナイ昼食会」なんだから
もう本当に困る。いや、ある意味ダイエットになると考えよう。
七年生六月初旬水曜の放課後
俺たち二人は、街へ向かって
スクーターを並走させていた。
周囲の景色が眩しい。黄緑色の世界って感じだ。
そんな時期だと思う。黄緑の煌めき、悪くない。
空き店舗になって何年経つのか分からないほど寂れた郊外型の外食店の跡。
いつもこの辺を通り過ぎるとき森魚脩は笑いを堪えきれない表情に変わる。
こいつは本当にアレレだと思う。六年生九月、高橋と新山の葬式のときも
「仲良しの幼馴染だった二人が亡くなっていた事実を受け入れられなくて、
悲しみに打ち拉がれて、自室に引き籠ってしまって…弟は来られません…」
兄者の慶が弁明したが実際は坊主の『読経』や全員で『黙祷』する場面を
想像しただけで大笑いしちまって耐えられそうにねぇから「ちょっと無理、
行けそうにない」と、脩本人の判断で参列を自粛した真相が隠されていた。
村の学校三組に所属してる森魚脩は
正真正銘本物のドクズでクソヤロー。
いや、そう称した俺だって
死んだら『地獄行き』確定。
ド屑である事実は重々承知。
「ちょっとねー、考えてるぅことがっあるんでーす。サプラーイズッ!」
ウェーブがかったような茶色い癖毛を向かい風に靡かせながら喋ってる。
「と言ってもコレェ、自分じゃなくて他の連中がホッキニンなんスけど。
ほら、壱君センセの外履き、クッソぼろいのにィ、しっつこくずーっと
履き続けちゃってるじゃないですかー。アレ、ちょっとクサイ気もする。
うちの兄者たちがー、いつも壱君センセにゃお世話になってんだからー、
日頃のお礼みたいな形で靴プレゼントすりゃ良いんじゃねぇかって案件。
タダイマー、ゲンザイっシンコウっ中ってェところなんスよー。彰太君」
口の中には少し前に含んだばっかりの白い小粒が舌の上を転がってた。
冷涼薄荷味。ドクズの耳障りな鼻声に相槌を打つのが少し面倒だった。
「あのォー、自分ってぇ、誰かにムシされるのォ、
もうっ余裕でぇー慣れっこなんでーすケドねェー。
これってケッコー重要なハナシだって思うんでー、
ムシしてねーで、シッカリ答えてくださーいっ!」
もうちょっと味わっていたかった清涼菓子二粒を飲み込んだ。
「べつに勝手にすりゃいいんじゃねーの?」
誰かのために何かしてあげられることが金と品で済むなら余裕だ。楽勝。
必要なら家の財産全て売っ払っても構わない場合もある。そう俺は思う。
けれども…俺がやっちまったことは…そういう類のもんじゃないんだよ。
村の浅井家、長兄である草太の父とは可成り歳だって離れているし
浅井一族の中では、居ても居なくてもいいんじゃねーのって感じの
吹けば飛ぶような薄い軽い存在の一族最末端。それが…浅井彰太…。
それでも俺の妹、美琴のために逃げないで
今日も必死になって踏み留まって…いる…。
こないだ夏目のタコ宙がニヤついた顔で俺の席に近づいてきて
「彰太くーん、三組特別任務の拝命、おめでとーございまーす!」
手を叩きながら吐かしやがったときは内心ぶっ飛ばしてやりたかった。
あいつ、ヤってもいいよな。ありとあらゆる発言、行状が受け付けない。
髪形がもうアレすぎる。後ろや脇にバレッタとか使って留めてんだ。女かよ。
しかし、必死で…腹ン中…あの嫌になる衝動を堪えて収めた。脳内勝利だ。
その気にさえなりゃ俺でもタコ倒すのは意外と楽々ヤレそうなんだけどな。
身内だから普段は黙ってるけど何なのアレ?
男と女、どっち目指してんだよ? 腹立つ!
タコの従兄、翼もなァ…。いや、性質はタコより遥かにマシだが
可愛い従弟、タコ宙の唆しに引き摺られすぎだって思うんだよな。
地面に根が強く深く張り巡らされてそうでいても
流れやすい。そこが夏目翼キュンの致命的欠点だ。
宙に浮かんでるんだ。翼だもんな。名が表してる。
「シッツモーン、センセの靴ッ、サッイズー!
昇降口に置いてあンのと同じで問題ねえっスか?
だってぇ、ワレワレ只今絶賛成長期じゃねースか!
ぼろ靴もキュークツぅなんじゃねーかなァと思ってー」
俺の眼には既に放課後の常態となってしまった状況だけども
脩が前を向いた姿勢を保って叫ぶような調子で喋り続けてる。
本当にさァ、口ん中が渇いて困るんじゃねーの?って余計な心配したくなる。
「ああ、靴は履いてみねぇと分かんねぇし」
なんで俺がこいつ…あいつらのために考えてやらなきゃならねーんだろう?
以前は結構よくつるんでた連中ではあっても…今はもう…なるべく関わり
合いたくねぇんだよな。べつに悪いことでもねえし、もし合わなかったら
返品交換くらい出来ると思う。贈ってやって喜ばれるなら、良い話なのは
間違いなく確かな話だ。俺にしても喜ばれたり、役に立ったりしてェから
ドクズのお守り役。この面倒くさい特別任務ってのを連日遂行してんだし。
「で、予算はどんだけ用意した? あいつ、たぶん安物は履かないと思うよ」
頭に浮かんだままの言葉を返答してやった。浅井壱琉はそういうヤツだし…。
「予算的なことは問題なしッス。心の清いうちのマミーが援助してくれたんで。
それなりに持ってると思いますからー、彰太君も一緒に見立ててくださいよォ。
うちのマミー、ミノリちゃんがァ、今回の件に絶賛大賛成ッしてくれてんの!」
ノーヘルの頭を向かい風に靡かせ愉しそうに前を走ってるドクズの鼻声が続く。
森魚の慶と脩。脳内花畑とドクズの双子。母親の名は『美典』さんだって。
漢字まで憶えるくらい、もう散々関わり始めてから聞かされてるってこと。
もしも、こいつらが双子じゃなかったら『理典』って命名されてたという
それこそ無駄でしかねぇ情報も脳内に入っちまったし、腹の底から大迷惑。
つーかさァ、だったら、理と典に二分割すりゃ良かったんじゃねえのかな?
双子の父親の名前が『美理』と書いて、ヨシマサさんってのも知ってるし。
んー、父母と名前が被るの避けたのか?「美」の字を外しただけだもんな。
迷惑レベルの引下げ、森魚二匹は再結合されるべきだ!
やっちゃえよ。一人きりでいい。一人でも迷惑だけど。
悪くねぇな。マサノリなんて呼び方するのもアレだし。
うん…。イコールで『リテン』だな。全然問題なーし!
ああ、変幻だ! 変幻すりゃいいと思う。この双子は。
脩の身体、慶の霊体は、リテン君として生存を認める。
カルラでも変幻退魔しち舞え。好きなだけ舞ってくれ!
で、余計な方は…誰か始末してくれりゃいいと思う。
つまりは舞ちゃん中身の翔ちゃんみてぇなもんだよ。
可愛いことは可愛いけど、あれじゃ使えねェ厄介者。
森魚の場合だと脩が中身の慶ってことになる訳だな。
見た目は良いとして…中身が災厄…。ドクズの癖に少しだけ見た目が上等だ。
認めたくねぇが、そうなるんだ。二卵性だからか、髪や容貌が少差で異なる。
兄者は表情が暗い。俺と違って全く不細工じゃねぇよ。なのに重さを感じる。
そいつをコロしちゃえば、少しは…。ほら、二酸化炭素の排出とか何やら…。
理典っていう名を否定する気は更々ない。俺の名も「太」の字が不要だ。
それで、体型に支障が出ている可能性も否定できねぇと思ってるんだよ。
あ、いや、草太は太っちゃいねーなァ。それでも彰って名前が良かった。
「章」に、旁の「彡」は、いいんじゃねーの。自分じゃ気に入ってるし!
文章の章、それの背中に羽が生えたようなイメージ。『章彡』ってさ…。
だけど、アキラ呼びはいまいち。ショウがいい。どっちかといえばだが。
いや、三組だと入学から名前が被ってて気に食わねーのがいたんだっけ。
失礼でも無礼でも構わねえ。イケヌマヤロー。存在の何もかも否定する!
兎に角、森魚の双子は変幻してリテンになれ!マサノリじゃなくて理典!
最初に振り仮名を聞かなきゃならねぇ時点で駄目!アウトなんだってば!!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
俺がカルラ超絶退魔馬鹿だろ!どーでもいいや!
脳内ブドウ糖の無駄遣いだよ。思考したくねぇ!
慶と脩は揃ってアレレ。翔ちゃんと舞ちゃんは揃って可愛い。以上!
「壱君センセの『壱琉』って名前、なんたって、この辺じゃあ名門の
浅井家のー貴公子様なんスから『一流』と、かけてんでしょーからァ
やっぱ高級なもんじゃないとねー。どっかの三流以下のエムジェイが
履いてるようなもんは…ダッサすーぎでーすッ!…てなワケなんでー
街のどっかのォ、適当な靴屋さんにィ入ってみるとしーましょーよ!」
うるせーなァ。声を出すのも体力消費すんのに若くて元気ある。
年寄りだって死ぬ前のヤツだって最期は喋れなくなるだろうし。
いや、ワレワレ四か月違いの同い年でしたけンども差を感じる。
俺が潜考に囚われている間、脩は会話を続けていたつもりだったようだ。
脩は中身が本当に…。いや、もういい加減、名前を弄るのはやめとこう。
俺の中で勝手にリテン呼ばわりしてりゃいいか。少しばかり愉しめるな。
ドクズでリテンのクソヤローは勘違いしてるようだ。壱琉は一流じゃねえ!
壱琉の名前、本当の意味を身内の俺は知ってた。でも、こいつにゃ言わねぇ。
チルチルと呼ばれることに激怒するのには、それなりの理由ってヤツもある。
壱琉のことをチルチルと呼んで可愛がってくれていた存在は…もういない…。
俺たちはスクーターを並走させ、街の靴屋を目指して走らせた。
自動車自体、滅多に走っているところを見かけなくなった道だ。
ただ黙って周りの景色を移動させていく。それだけが心地好い。
俺たちと違って、壱琉たちは自転車だと思うだけで最高の気分!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
少し経って、靴屋独特の匂いを吸込みながら商品棚を漁ることになる。
店に入ってから二十分くらい品定めしながら歩いてまわった。
この靴屋は店員が商品を薦めに近づいてくることもなくて
勝手気ままに選ぶことができて、そう悪くないと思った。
脩の御目付役で同行者の彰太君は、一人で夏に向けた商品の棚を吟味中。
色がいまいち…。グレーとイエローは苦手な配色だな。曇り空を思い出す。
黒と紫も仁のジャージと被るし、アースカラーは肌に合わねェ全商品却下。
この中じゃ強いていえばバーガンディの紐不要デザインのスリッポンかな。
んーと、ダメ。赤いの好きで履いてんのがいるから遠慮すべき。ツバ被り。
結局、無難な白と黒に落ち着いてる。只今履いてんのも人工皮革の白地に
黒い紐の組み合わせのハイカット。撥水加工なのが悪くねぇし。それだけ。
両利きって訳じゃねぇが商品棚などで品物を選ぶときは自然と左手が動く。
左手首、天然石のビーズを繋げただけのシンプルなブレスレットを着けてる。
万引きなんて馬鹿げた真似しねーが、これは悪いことをしないための守護石。
本日は宝石として見たら低品質となる安いフローライトのブレスを着けてる。
ちなみに石の意味を調べたり願いを込めるのは気持ち悪りぃ話だと思ってる。
だが、現在の俺にとって強い自戒の目印となるものなんだ。
いつしか欠かせなくなった左手の縛め…悪魔を鎮める鎖…。
「どーでしょコレ? 三組カラーだし似合うかと思うんスけど」
脩が商品棚から手に取ったのは、落ち着いた群青色の靴だった。
こいつの兄者、慶が履いてるのと似たデザインのローファーだ。
素材はピッグスウェード、俺は悪くない品だと思う。値段もそれなりだが。
ああ、そういや慶のヤツ、ポーキー呼ばわりされてたっけ。皮肉めいてる。
弟の脩はダフィー。ポーキーとダフィーの双子だ。最悪を通り越した災厄。
俺好みじゃない商品だが、壱君センセなら上品な印象の靴が似合うと思う。
「それでいいんじゃねーの。早いとこ会計済ませて、何か食いに行こう」
検分と思案にも飽きてきたし、脩のヤローを会計レジに促すことにした。
「食うってー彰太君、いいんスかぁ? 最近ますます顔が潰れあんッ!」
只今の俺は、何も言わずに近づいて胸倉を掴んでやって差し上げただけ。
「あーハイハイ、これにします。さっさと支払ってきますってばァー!」
確実に脩の引き立て役って面なんだろうが、体格なら負けないとは思う。
ぶっ潰してぇけど実行できる訳ねーし、威圧でレジに向かってもらった。
俺は街へ出たときは、なるべく美琴に土産の品を持ち帰ってやりたいだけ。
こないだ持ち帰って食べさせたザッハトルテが美琴の口に合ったみてぇで
「ケーキおいしかった。また食べたいな」って、物凄く喜んでくれたから
その洋菓子店の二階にある喫茶室を利用するのは、単なるモノのツイデだ。
ツ・イ・デ…。儲けだって少しでも多い方が洋菓子店もうれしいと思うし。
ザッハトルテにクリーム添えた一皿。
妹がひと時でも至福に浸れるなら
金品は惜しまず、全部出す所存。
何だって、幾らでも、するよ。
そうでもしなきゃ俺は…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
「やっぱり、暑くなってきたらアイスが一番っスよ!
アイスといやー、パフェこそ至高の完成形と思うんス。
てっぺんに乗ってるデカ苺うめェ。冷たくて美味しっ。
苺に練乳入りっスよ。メニュー選択、無難に成功ッ!!」
左手で細長いスプーンを持って掬いながら、食っては喋るを繰り返してる。
こいつは箸も左手で持つ。筆記具は右手持ち。そういう個性なんだろうな。
躾とかって面倒くさいこと全く気にする必要ねぇと個人的には思ってるし
何の問題ないと思う。普通に美味しく食事できてるんなら結構なことだよ。
食事は味わいも大切だが、楽しんで食べるのが最重要項目なんじゃねーの?
壱琉も箸は左じゃないと駄目で、街の本家の方じゃ小さい頃、右手持ちに
矯正しようとしても無理だったと耳にしてる。鉛筆持ちで箸の扱いもダメ。
バッテン使いになるから手掴みで口ん中に入れる類を好んで食べるタイプ。
その欠点も浅井壱琉の長所の一つに加わるだけ。完璧じゃない方がいいよ。
でも、壱琉は…運動関係もアレレな長所だらけなんで、ちょっと笑える…。
そのアレレを補うくらい勉学の知識が深いから、我らが壱君センセなんだ。
会食時に恥をかかないため…という名目での厳しい所作の指導は刃同様…。
俺にも幾つか心的外傷ってヤツが残されてるっての。本家の年寄り連中め。
三権復活よりも切望するのが冠婚葬祭全撤廃だな。親族の集まりは苦痛だ。
自分で自分の決着つけて始末できる施設、アレ誰か…いや、俺に作らせろ!
外は煩雑過ぎんだよ。周りなんか見まわしてちゃ気持ちを乱されるだけだ。
欲が出る。要求したくなる。悍ましい感情が腹の底から湧いて煮え立つ。
この左手で欲しがる腹を押さえなくちゃ。自制。節制。将来のために。
本日もアップルパイ1皿で我慢。ショコラ食いてぇ。ドーナツも…。
「それにしても本当に彰太君は妹さん思いっスよね~」
本心からか媚でも売りたいのか喫茶室のボックス席でオヤツを済ませて
一息ついた様子の脩はそう切り出してきた。俺は疲れてる訳じゃないし
そろそろ腰を上げ、下の店舗でザッハトルテが入った土産箱を受け取り
村にある自分の家へ帰りたいところ。全く恋しくねぇ家だが妹がいるし。
返事とか…会話しなきゃなんねーのって…本当にメンドクセーって思う。
「余計なこと言うな。苺パフェ只食いした礼のつもりなんだろうが
オヤツは、こっちが付き合ってもらっただけだから気にすんな。
食うもん食ったら気分も落ち着いたし、今日はもう帰ろう」
ダフィーのリテン君に帰宅を促す言葉を告げた。この店は果実のパフェも美味。
「そんなこと言っちゃって可愛い妹さんに早くお土産あげたいだけなんでしょ。
ホントはとっても心の優しい彰太君なんスもんね。いっそ結婚すりゃいいのに」
ドクズの顔が羨ましい。首から上は悪くねぇんだよ。あらゆる言動がアレでも。
「馬鹿か。兄妹で結婚なんてできるワケねーだろ。これは世間のジョーシキだ」
リテン君の馬鹿さ加減あふれる御言葉、眉も動かさずにツッコんで差し上げた。
「あ、あぁ、そうっスねー。呆けてヘンなこと言っちゃった。打消し打消し…」
しっかり見てたよ。脩は本気で驚いてるような表情だった。
こいつ、そういった一般常識さえ知らねえレベルの脳ミソだし。
ポーキーとダフィーの兄弟は色々と甘やかされすぎ恵まれすぎなんだって。
俺にも心が清くて文句一つ言わずに援助してくれるマミーとやらがほしい。
母親をミノリちゃんって呼べるくらいの繋がりが持てること、腹の底から!
クソ、腹立つ! 自分で勝手に煮え立ってくる。脩は悪くない。落ち着け。
俺ん家で心から寛げる場所は、離れにある美琴と大祖母さまの部屋だけだ。
「いやー、あのォ…えぇとー、彰太くーん…?
できたらァ、ついでにガッコの方にも、ちょこっと
付き合ってほしかったんスけどォー。やっぱりダメー?」
やや上目遣いで媚を売ってきた。そんな表情させるの勿体無い顔だってのに。
「学校で、あいつら待ってんの? でも、べつに俺が顔出す必要ねーよな?」
だって、どうして俺が放課後にあいつらと顔を合わせる必要あるんだろう?
「今日は、久々に嵩ちゃん師匠も来てたんだし。たまには、みんな一緒に。
フルだと六人になっちゃいましたが、いいじゃねーですか。級友ですしィ」
少しばかり目を伏せた脩が俺を誘いてぇって気持ち満々の声をかけてきた。
そういやァ最近ずっと体調の悪そうなタカシが登校して顔を見せてくれた。
脳の辺りに異常があるらしいとか、うちにも立ち寄る村の連中が噂してた。
教室で嘔吐したりして気にはなってる。でも…ヤツには親衛隊三人組が…。
見たくはない姿…。
見るのを控えたい表情…。
永久面会謝絶だ、コノヤロー!
普通に顔を合わせて会話したいヤツが一人いるけど、体調が心配なんだよ。
あいつら四名の成分抽出を終了させた。…以上、誰に会うのも遠慮したい。
このお守りさせられてるドクズヤローで間に合ってまーす!って感じだな。
小山内嵩を『スーちゃんシショー』そう呼ぶのがクラスに約三名…いる…。
俺が誰より気に食わない猫間が命名した呼称だ。絶対に使用したくねぇ渾名。
ふざけんじゃねーよ。スーちゃんって何だよ。ちゃんとタカシって名で呼べ!
三組で一番身長があって気持ちの優しい通学生。その所為か、いつの間にか
クラス内で父親的存在となっていたタカシ。以前よく遊んでた幼馴染の一人。
本当の親にでもなったらしく振舞ってクズどもを甘やかす。そこだけイヤだ。
たくさん失った。遊べなくなった。彰太君とは顔を合わせるのも嫌がられる。
自分が悪い。こっちの責任。どうして、こうなった?…俺に欠点があるから。
普通に名前で呼んでもらえるだけ有難いって思える。もう殆ど渾名だもんな。
俺たち三組の六人は…自分の勝手な推察だけど…。
『七つの大罪』の色欲以外は、揃ってる気がする。
『傲慢』悪りぃが、小山内嵩君だ。ちょっとその、そういう一面も持ってるな。
『憤怒』間違いなく、三上仁だ。浅井壱琉の異母兄。複雑すぎて困る存在です。
『嫉妬』上空が常に曇天の男。嫉妬の捻じれ渦。考えたくねェ。大海嘯で逝け!
『怠惰』双子の脳内花畑兄者、森魚慶。本気出しゃイケるのに動かねぇ。動け!
『強欲』本日を以て、新たに密かな呼称を得たリテン君。ドクズのクソヤロー!
『暴食』彰太君と断言する。過食で逃避と自己分析可能。病める前に止めたい。
『色欲』…あ、いる。仲間に引き込むのは不可能だが、三組で一番不思議な…。
アスモデウス。妖艶な気持ちにさせられる陽炎。孤高の孤立。考えたくない。
心が滅ぼされる。最早、何人か…破壊されているかも…と推測できる存在だ。
それより一番厄介、猛省して考えなきゃならねえ案件は…俺の暴食癖…。
例の…あの二型発症したら、人生終了なんじゃねーの?
それだけは避けたい。俺だって、そこまで馬鹿じゃ…。
だから、病める前に止める。糖質の制限は常々試行中。
父方の伯母がアレなんだ。つまりは遺伝的に気掛かり。
ベルゼブブ、蠅なんて嫌だけど…現在の俺は…同等…。
「たぶん、校庭の隅。いつもの場所にィ寝転がってるかもしれねーっス」
…!!…
ああ、校庭の隅にある幾つも石がごろごろ置かれてる…あの場所か…!
俺がいた筈の場所に…いつの間にか…猫間智翔が隙間から割り込んできた。
タカシに懐いてきやがって、自然と俺が離れるようになったのを思い出す。
浅井本家や中央での暮らしの長い壱琉と夏目たちには馴染みづらかったし。
俺は学校に上がる前から、ずっと付き合いのある仲間と絡んでる方が楽で
確か最初は『五将軍の会』とか呼んでて…格好良いとでも思ってたのか…。
ああ、それだけで、もう、なんか駄目すぎる。我ながら、恥ずかしいーッ!
壁に何度も頭を打ちつけたくなるような黒歴史的思い出ってのになるんだ。
普通は五虎将だろって、あの頃の俺がいたなら言い聞かせてやりてぇケド
今だって三国志の武将で挙げるとしたら、張遼将軍だもんな。個人的嗜好。
まあ、好きなもんは仕方ない。失礼ってか…申し訳ねぇが、他四名様は…。
俺自身が二組のキモオタ軍団みてぇに三国志にずっぷりとハマってなくて
それほど細けぇ知識もなかったってのもある。現在、暇を見て読み直し中。
あの校庭隅の景色を見たいような気もしてきたし、俺は応じることにした。
スクーターに乗ったまま、当然のように校庭を抜けていく。
これ、今みてぇな世の中じゃなきゃ問題事案になるんだろうな。
自然と腹がニヤついてくる。この辺だけは、捨てたもんじゃねーよ。
「熱血テニス部…でしたっけ?…あれヤッてる連中、自分のサツガイリストに
フルメン入っちゃってんスよ。気に喰わねーっスもん。なんか負けたヤツらが
寝る時間まで『にゃん語尾の刑』とか執行されてたりしてるとかってぇ聞いて
セーシュンごっこなんかしてんじゃねーよ!ってか、まじでアレレっすよー!
うちの兄者が一組の部長の竜崎順に巻き込まれそーになってたんスけンどねェ
自分が全力で阻止してやりましたっ!エラスギィ!自分で自分を絶賛称賛ッ!!」
そんなこと言って、本当はこいつも仲間に入りてぇんじゃねーのか?
そう思いながらテニスコートにもスクーターの轍を残してった。
一組級長の特掃ヤローが明日の朝見てムカつくんだろうな。
あの神経質の塊みてぇな顔が浮かんできて、笑える。
右目を閉じて、左目一つで睨んでくるヤツだ。
ギリギリ晩飯前くらいの到着だな。
「うわァ、そういえば、なんか自分もここ久しぶりなんスよね。
体育とかで校庭に出ても、なかなかこっちまで来ませんもーん。
お、兄者がいた。なぜカタクナにあの帽子を被ってんのかなァ。
脱いだら頭ごと消失しちゃうの?ハゲちゃうの?自分は忘却ッ」
いや、あの帽子は結構ヤツに似合ってると思うよ。脩はがっかりして
「あっれェ、嵩ちゃん師匠はもう帰ったのかー。いねーやァ!」
そんな言葉を放り投げ、強欲マモンでドクズのリテン君は口を結んだ。
ルシファー様、体調を理由に一足先に帰ったのか。心配だ。辛いのか?
モーター音に気づいた慶たち三人がこっちを見てる。
幼馴染である慶と仁の二匹は、まだ我慢できるけど
学校の入学直前になって村に住み着いた猫間は、未だに受け入れられない。
「彰太君…。ここでは、おひさしぶり」
制服に合わせて誂えたかのような帽子を目深に被った慶が会釈をした。
慶はベルフェゴール担当。蓋した便座に腰かけるのは似合わねーケド。
俺も無言で頭を下げてしまった。あくまでも慶に向かって返した会釈。
「みなさ~ん、こんなの選んでみましたケド!」
あっちょんぶりけつドクズのリテン君が靴箱を開けて中身を見せてやった。
「店でギフト用に包装してもらわなかったの?」兄者にツッコミ入れられ
肝心のことを…きれいさっぱり忘れていたのに…ようやく気づいて焦った。
「あーあ、やっちまった…」が彰太君の只今の心境。巻き込まれた所為だ。
「どうしよう。これから、うちの母さんに頼んで適当に包んでもらおうか」
四人で言い合ってる。俺以外が発する揉めた感じの空気が広がるのは不快。
俺には直接の非はないように思えるが居た堪れなくもあるよな、やっぱり。
「リボンだの何だのって漢が好むもんじゃねーでしょ!
サイシューテキにはゴミ箱へ入るだけのもんでしょーが。
三人の中にィそーゆーもんが趣味で喜ぶヤツっている?」
リテン君が破裂音を立てて放ったような言葉、それで三人とも無言となった。
「う、うん…。そうだよねぇ。俺も贈り物は…中身が一番大切…だと思うな」
毎回ポーキー役の兄者がダフィー役の強欲に面白いほど誘導されていくんだ。
その間にテキパキと仁が靴箱を元通りに直していた。サタン様は無言で速攻。
黙って眺めてるだけの猫間。曇天は空気。心の中で嫉妬の渦でも巻かせてろ!
「寄宿舎の中は自分が一番詳しいと思うんで、ちょっと行って届けてきます」
憤怒の仁は本当に昔から行動が速い。言いながら昇降口の方へ向かっていった。
周囲を怠惰にさせるサタン。だが、敵対者、道を塞ぐ者で、誹謗し、訴える者。
そのように仁の方向性を大きく捻じ曲げた卑劣な暴食漢のベルゼブブが彰太君。
少しばかり広い屋敷に暮らしてるが…気高き魂なんて…微塵も持ってませーん。
異母兄弟が同じ三組、よく同じ空気が吸えると思う。二人とも肝が据わりすぎ。
本当は壱琉より仁の味方。友達としての好意から敵対者となるよう応援したい。
悪霊の頭目として、死ねば物凄い悪霊になりそうな仁を唆して差し上げている。
仁は制服を着ちゃいるが、三組なのを示す青いスカーフを結んじゃいねェ。
校則みたいなもんがあるようで何もねえのに等しいから結構みんな適当だ。
そんな訳もあって俺は左手首に自戒の縛め、悪魔封じの鎖を身に着けてる。
フローライトは多色あるが、紫、緑、透明。このブレスは三色使われてる。
蛍石は取扱い注意だ。衝撃に弱い。発光現象も起こすらしいが試してねえ。
そうそう、仁こそ蛍石が相応しいかもな。些細な刺激で即座に発火するし。
でも、普通は贈り物だったら全員揃って行くべきじゃねーの?
んーと、まぁいいや。俺には関係ない問題だから黙ってよう。
「懐かしいなぁ。な、なんかさぁ、彰太君がいると、いいよねぇ。
戦争の話とか教えてもらって、へぇへぇ言ってた頃を思い出すよ」
泣きそうな顔を穏やかに抑えつけた口調で、そこまで話した後で
自分の左人差し指を強く噛んだ慶に三国志の知識は殆どゼロの筈。
弟の脩と等しく、乱世ってもんが理解できる構造の
頭の持ち主じゃねーんだから、全く以て仕方がない話。
心優しい脳内花畑な虐められっ子の親友。お気の毒さま枠。
こいつが指を強く噛む姿を見るのが嫌だってのもあったから
姿を現したくなかったんだ。俺という存在自体が心的鬱積要因。
俺が『見たくはない姿』の持ち主、森魚慶という三組にいる級友。
「五将軍の会って誰が誰役とか、そういうのあったの?」
猫間が割り込んできやがった。俺は無言を貫く。糞猫、早々に大海嘯でシね!
いや、この辺は内陸だから…海まで行くには…思考する脳内燃料が勿体無い。
こいつ、皆と同じを嫌うらしい。滅多に制服を着ねぇ曇天色のジャージ姿だ。
「う~ん。そういえば、べつに確かねぇ…」
自ら思考することを怠惰で濁す脳内花畑の慶が弟の理典君に向かって訊ねた。
「脩ちゃん、会に何か設定あったっけ…?」
何も設定とかありませんでした。少なくとも俺が仲間にいた頃の話になるが。
今この場所は、昼休みや放課後は『良い子ちゃんたちのお昼寝会』としか
喩えようのねぇ構図が出来上がってるんだろーな。実際こいつら寝てるし。
壱琉がよく使う言葉の『きっしょきもい』光景が頭の中に広がってくるぅ。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
リテン君は自分の口に左手甲を当て、少し黙って首を傾げてたと思うと
吹き出すような表情へ切り替わった瞬間、聞き取り辛い鼻声で怒鳴った。
「てめーら全員ッ、墓守アーンド憤死エンド将軍だッ!バーロォーッ!!」
慶と猫間…あ、気付いたら、もう戻ってきてる仁との三人を指差してる。
ああ、あの将軍のことか。たまたま運悪く貧乏くじ引かされるよう
仕組まされてただけなんじゃねーの?…と、俺には思えてた人物…。
史実は勝った側のもんになるだけ。神を討ち取った奇跡を起こせば
史書に、もっと違った文字の羅列が並んでたんだろうって考えてる。
俺は信じてる。そういった世界も探してみりゃ、どこかに必ずある!
あぁーあ、この場に居合わせたくなかった証明がされちまいましたー!
『見るのを控えたい表情』鮮やかに顕現。三組が嫌われる要因の要員。
「それならテメーはこれから逆さ吊りにでもなってもらおうか。
安心しな! ちゃんと俺が…足元のロープ、切ってやるよ…。
おい、彰太!その腰にぶら下げてる縄、そいつを寄越せ!」
あー、そうかァ。王累さんのアレ、ここで再現しようって魂胆かよ。
いい感じで高さも太さも手頃な枝を伸ばした樹が近くにあるもんな。
リテン君の愚かな発言により、このトリオの中で誰より面倒くせー男である
『アウトレイジなアニキ』が発火した。憤怒開始!…こいつら、最悪な害悪!
普段はおとなしく敬語で話してんのに、こいつだけ俺を常時呼び捨てにする。
それだけ小さい頃からの長ーい付き合いでもあるって証明になるんだけど…。
ほんのちょっとでも怒らすと、とーっても怖い御仁に豹変しやがるんだよな。
怒号の威圧って頭と腹に影響が来る。耳にしたくない。誰の怒号であっても。
こいつが凄んでくるときの薄笑いを浮かべた表情には逆らえねぇーんだよぅ。
だが、しかーし!
致しません。出来ませーん。渡したくありません。イヤだって!
ボクは利口な少年でありたいのだ。うん、もちろんウソだけど。
いいヤツなのも知ってる。けど、駄目だ!…こいつ、いつかヤらかす…!
自制心が強固なのは間違いねぇと思う。でも、きっと、いつか何処かで
泣きを見る被害者が現れる予感がしてならねェ。同族嫌悪的なもんかな?
あ、余裕でいられねぇ状況でした。脳内と現実が激しく剥離して困惑中。
詰め寄られても困る。こっち見んな。来んな。早急にどっか行けよ!
俺は『脩の御目付役』という特別任務が与えられていたんだっけ。
結果的に…脩がらみでの手荒い展開は…俺自身の損…になる。
マモンのためにサタンを止めるベルゼブブか。笑える…。
仁が憤怒も暴虐も少しも望んじゃいねぇの
長年近くにいるんだから、よ~く知ってる。
本当ごめん。いつも四人を俺のアレに巻き込んで申し訳ねぇ気でいる。
「いや、もうそろそろ晩メシだしィ。センセに靴を渡してきたんなら
今日のところは、みんな揃って自宅に帰ったっていいんじゃねーの?」
そういう時間なんだから、みんな良い子になって帰宅しようと促した。
「テメーの頭ん中はメシのことしかねーのかよ! 早く縄を寄越せ!」
仁の罵声ってホントに映画的だ。そうとしか俺には表現不可能な罵声。
これ以上、近づくんじゃねーって!怖ぇよ!巻き込むな。もう充分だ!
プロレス興行的状況はこの辺にしとく。また次回の放送をお楽しみに。
伸ばした仁の手が縄に触れる直前、何とか身を躱して
自分のスクーターに乗った。足元には土産の箱が置いてある。
中身を崩さないよう気を付け、急いで挿しっぱなしのキーを回すと
そのまま俺は家路に就くことにした。晩メシはいらね。甘いもんで済まそう。
巻き込まれるのなんて御免だ。
後のことなんて、もう知るかよ!
本日の任務終了だ。バカヤローッ!!
◆作文「ゆうれいではありません」 森魚慶
七年生の五月、私の伯父が農作業中の事故で亡くなりました。
伯父は山に近い方にある田んぼや畑で、一人で農作業をしていたみたいです。
夜遅くなっても家に帰ってこないので、お婿さんになる年上の従兄の人が
車で様子を見に行ったら、うつ伏せになって倒れていたのを見つけたそうです。
山の方は火山性のガスが出ることもあるので、もしかしたら一酸化炭素中毒に
なったかもしれないとのことでした。
亡くなってしまった人たち、死んだ命は、もう、誰が何をしても…。
私は、ひどく悪い人なのかもしれませんが、怖くて、悲しくて、お小遣いとか
貰ったし、車で街にも連れて行ってもらったりしたから、いつも会う度に
勉強がんばれって言ってくれてたから。だから死んじゃったのが信じられなくて
辛いから、思い出したくないから、伯父の遺体にも近づけませんでした。
ごめんなさい。伯父は家の外で亡くなったので、お婿さんたちが魂を迎えるため
白いおんぶ紐を持って山の田畑まで行って、ちゃんと背負ってきたそうです。
そうしないと魂が迷ってしまうからだそうです。
魂はお墓、お仏壇に帰してあげるべきなのだそうです。
決して意味のないこと、迷信ではないと私は思います。
私は魂を信じます。もし何かあったら、その時は真似します。
僕は弟と一緒に学校を休んで、お通夜やお葬式に参列しました。
しかし、弟は本当に熱を出して寝込んでしまったので、家に一人でいました。
みんなから慕われていた本当にいい伯父なので、村の近所に住む人や診療所の
マエダ先生、遠くからの親戚とか大勢の人たちが参列していました。
だから、とても賑やかなお葬式でした。
墓地へ行って納骨が済んだ午後のことです。まだ家の中はたくさんの人がいるけど
何だか寂しくて退屈になったので、私だけ一人で伯父の家から外に出ました。
他の親戚の子どもはワイワイ騒いで遊んでいたので、私だけでした。
外は雨が降る前と少し違う真っ白な雲でいっぱいに覆われていました。
きれいなきれいな透き通るように白い雲だと思いました。
玄関の前には伯父の農作業用の白いワンボックスカーが停めてありました。
その車に乗せてもらって弟と街へ行ったこととか思い出したら
車の運転席に黒いナイロンのヤッケを着て、頭に白いタオルをかぶった人が
乗っていました。背を向けた後ろ姿です。
あれ?と思って、もう一度見たら誰も乗っていません。
本当です。私は伯父の車に人が乗っているかのように見えたのです。
伯父の家に戻って、お婿さんに亡くなったときの伯父がどんな格好をしていたのか
質問してみようと思いました。でも、何だか怖くなってしまって止めました。
伯父が農作業するときは、いつもそんな服装なのは間違いないのですが
ちゃんと確認して、もし完全に一致していたらと思えば、やっぱり怖いです。
だから、誰かに訊いたり確認するとかは出来ませんでした。
私は嘘つきになりたくありません。
ですが、ゆうれいを見たということは嘘だと思いたいのです。
お葬式の後、しばらくしたら伯父の車を手放したみたいで無くなっていました。
伯父さんはまだあの作業用の車に乗ったままでいるのでしょうか?
◆二人の中に泥棒がいる. 夏目翼
知れたことよ。…だなァ?
キミとボクとに泥棒が…いる…。
名探偵じゃなくたって真犯人はソラだ!
偽物さえ存在しない。犯行現場、二人の自室。
なんでだよ?…タコ宙…。
天使のようにアレなヤツなのに
キミが泥棒なんだってのがイヤだよ。
てゆーか、んー、まあ、自分が騒ぎ立てなけりゃ
事件としても成立しない案件だよな。コレってさ。
机の一番上の引き出しに入れといてた、元々はチョコが入ってた缶ケース。
色もチョコと同じだ。そこに貯めるつもりじゃなくても自然と増えた小銭。
財布、重たくなるのイヤだし、缶に入れてたってゆー、それだけなんだよ。
最近、目に見えて減ってる。OK.欲しいならやる。あるだけやるのに
許せねーと思うのは「やってない」って嘘吐くこと。巫山戯んなって話。
いつの間にか腕時計や服に小物が自分の箪笥→ソラの箪笥に移動してる。
以上から出した推理だが、あいつはアース系の色が好みだな。似合うし。
何とかならねーもんかな。謝れとも返せとも思わない。それだけが本心。
うーん、壱琉なんかに相談するのもイヤだし。
あいつは面倒くさい。揉める。拡大するだけだもん。
文句を言い続けるのも、しつこい厭味は、自分もなァ…。
明るく楽しい解決法。美しいと称せる解決法を見つけるべき!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
サックン、タッツン、ザジ。…以上!
寄宿舎内なら、こいつらがイケると思うよ。
三択問題だな。三択の王子様になって正解出せ!
ソラの手癖の悪さ、何とかしてやりたい。自分が実の兄になった心持ちで
しっかり正しい方向へ導いてやらなくちゃ。そのために冬寒い北の田舎で
親もいなくて不安だけど、懸命になって勉学に勤しんでるんだ。負けんな!
てゆーか、ハナクソ、やめてほしい。あの顔でやっちゃダメだ。犯罪同然。
少なくとも人前では控えるのが常識だと思うけど、ある種の疾患だよアレ。
いや、医者なんかに診せられない。診療所。ソラには忌むべき場所だもん。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
サックンは隠れた名探偵。しかし、そういう役をぶん投げるタイプだ。
タッツンも同じ。無言が無難と信じてる漢だ。知恵は持ってる筈だが。
なら、話は早い。ザジ!あいつに決定だ。
熱血大馬鹿野郎を装った地上最高の存在。
本来、俺たちが崇め奉るべき憧れの男だ。
あまりにも通常の言動がアレレノレだが、
タコの心の友でもあるんだ。相性が良好!
うちの馬鹿パタが嫉妬してやがるけどさ。
パタ、サックンのことが大好きだから…。
気持ちは分かるが、もう少し大人になれ!
自室を出た…。娯楽室にいるソラたちがテレビのゲームで
ヤッチと対戦中。薬の錠剤が落下する面白いパズルゲーム。
ザジの姿がない。自室にいるのか。それなら都合いいかも。
対戦を眺めながら自分は黙って備え付けの冷蔵庫を開けて
カニカマを取り出して食った。好きなだけだ。意味はない。
行動を起こすためのエネルギー補給目的ってもんだよコレ。
美味いよな、安いのに。本物の蟹より気軽でオヤツに最適。
自分とソラが娯楽室にいれば、いなくなる連中も…いる…。
リンバラと全組の級長三名。ま、それなりの扱いしてるし。
シガラミって柵、完全消去が完璧不能。難解なパズルと同じ。
全消しを遂げた瞬間、また続々と落ちてくるんだもん。
たぶんさ、シんでみたってキリがないと思うよ。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
上手い解決法を発案してくれる男の中の男、ザジに
思い切って、本当のこと打ち明けて相談してみよう!
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
そうか。今までヤってる行動、もっともっと夢中にさせるのか。窃盗行為は
あまり悪気ない遊びみたいなもん。自分とザジが協力して、缶に貯めさせる。
良い香りの適当な空き缶、プレゼントしてやろう。可愛い従弟、真似っこ君!
◆続・チルチルの青い靴. 三上操
夕食後、誰も居ない娯楽室に寄って、いつの頃か知らない古い日付の雑誌を
しばらく眺めてから、私は一階のシャワー室を使って寝る前の支度も済ませ
いつものように自室へ戻ろうと二階に上がって廊下を一人で歩いていました。
途中にあるトイレから翼と宙の声が聞こえてきました。
「リンバラ、いつまで入ってんだ。早く出てこいよ!」
「赤毛のルシエンちゃ~ん、もしかして便秘なの~?」
ガンガンと扉を蹴飛ばす耳障りな音も聞こえてきます。
本当こいつらは最低です…。林原君が洗面所を使っているときも
「そんなに一生懸命きれいに洗ってるのにソバカス落ちないね!」
一年生の頃から変わらず、いつもひどいことばかり言っています。
それも毅然とした態度で庇ってくれそうな三組以外の級長さんや
林原君のルームメイトの相馬君が一緒にいないときに限ってです。
私がもっと正義感が強くて勇気を持っているなら助けに入るのに、
結局は私も翼たちと同類です。黙って通り過ぎただけですから…。
学校の寄宿舎では他にも仇名や陰口を言われる生徒たちはいます。
望月君は「むぐらもち」長身の相馬君は面長なだけで「うまづら」
自室の扉をノックしても無言だったので開けて覗いたら
そこにはルームメイトである壱琉の姿は見当たらず
部屋の床に中身のない靴箱が転がっていました。
靴を包んでいたと思われる白い薄紙が丸められたり
ぐちゃぐちゃのまま、床に投げ散らかされてました。
普段こういったものをきちんと始末する性格なのに
何だか奇妙に感じました。でも、他人の専用空間に
長居しているところを誰かに見られたくありません。
私はありとあらゆる面倒事を起こすのも巻き込まれるのも御免です。
誰にも近寄らないのが一番ではないかと思うようになっていたので
さっさと鈴の付いた暖簾を潜って安心できる場所へ飛び込みました。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
その翌日の出来事です。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
早くから教室にいたくないので、いつも私は他の生徒より遅めに寄宿舎から
校舎に移動していましたが、その朝は「特掃隊長」こと一組級長の花田君が
渡り廊下から学校に入る扉の前に通せん坊するかのように立っていたのです。
花田君は文武両道で男らしい面もありますが、何だか憎めないような糸目を
更に細めて笑うと可愛らしいとさえ思える顔立ちです。彼の親友ともいえる
二組級長の斎藤さんからは親しみを込めて「キヨ」と呼ばれている親友同士。
ちなみに普段から緊張すると瞬きが多くなるようです。壱琉が太宰治派なら
花田君は宮沢賢治の信仰者と称していいかもしれないと、もう何度も一組の
学習発表会の演劇を観てきた私は思っていました。一組級長が提案した話を
担任の小林先生が戯曲化するといった形式です。ついでだから書きますけど
二組の学習発表会の演目は何だか毎回ヒーローショーみたいになっています。
全員好き勝手に舞台で遊ぶコスプレ集団です。二組全員揃って完全にアウト。
私が近づく前に彼が校舎に入ってくれないかと念じて歩いてたのに
どうしても今朝は花田君と私が言葉を交わすしかない筋書きでした。
私の方を左眼一つで冷たく見ています。注意される前触れの表情。
雨が降り出す前の重い雨雲、この花田君の表情だけは苦手でした。
「少しばかり確認させてほしくて、待っていた」
片目状態の花田君から話を切り出してきました。
花田君といえば、寄宿舎内では半ば鬼軍曹的存在でもあるのです。
私たちを監督するような立場の大人が寮母さんくらいしかいないのが
一番の問題なんだと思いますが、各自しっかりしていなければなりません。
トイレの使用後は汚れたりしていないか、一応きっちり確認してから
出ているつもりなので、特掃隊長から指導を受けるような覚えはない。
そう思っていたのですけど、朝早くから一体何だっていうのでしょう?
「えぇと、校庭にあるゴミ箱の話だ。操君はあそこに何か捨てた?」
相変わらず右目を閉じている花田君から抑えた声で質問されました。
「最近しばらく外には出ていないのでゴミを捨てた覚えありません」
私も花田君に倣って、なるべく低く抑えるような声で返答しました。
武術などの時間は最近ちょっとサボるというか見学してましたので。
右目を開けた花田君は不審そうに表情を曇らせると瞬きを繰り返し
「疑いたくはないが、天地神明に誓っても真実であると断言可能?」
そんなこと言われても外には出ていません。天地神明に誓える事実。
そう訴えて、邪魔する花田君を避けて校舎の中へ入ろうとしました。
「あ、ちょっと今は操君が教室に入るのは避けるべき」
慌てた様子で、私の眼前を手で遮るよう制されました。
「朝早くから三組がざわついてる様子なのだ。
操君は教室に行くべきではないと断言したい。
怒り狂った三上仁が周りから押さえつけられ
三組の教室前で待ち構えているような状況…」
神経質な瞬きを繰り返し言葉を続ける花田君。
「だから、えぇと、待ってくれ。順番に話す」
考えをまとめるよう目線を下に向けて数秒経ってから
再び右目を手で隠して、片目で私と目を合わせました。
「朝の修行の一環として校庭を掃きに出た僕が発見したのだ。
刃物か何かでズタズタにされてゴミ箱に投げ捨てられた靴を」
私へ不審や不快感を吐き出すような感じで言ってきましたが
新しい靴なんて見た憶えありません。私には関係ない話です。
昨日の晩、自室の壱琉のスペースで見たのは空の靴箱だけです。
気持ちを落ち着けながら花田君へ昨晩見た状況を報告しました。
「じゃあ、浅井壱琉がクラスメイト達から贈られた靴が
どういった特徴の品であったのか知らない筈だな。
敢えて、そのように話したつもりなのだが」
「そんなの知らないんだから当たり前でしょ!」
このときばかりは大声でハッキリ伝えたところで校庭側の方から
二組の谷地君と林原君が小走りで私たちへ近づいてきました。
谷地君が花田君に近付くと、小柄であることが際立ちます。
到着したところで、谷地君は軽く咳き込んだ感じです。
「間に合った。ミサを…ここに留まらせてくれて…。ありがとう、花田」
あまり無茶しない方がいい身体なのに物凄く頑張ったように見えました。
「当然の話、僕も事件に関わってしまったのだ。早く靄を晴らしてくれ」
私たち三組の生徒と関わるのを避けたい花田君は片目で少し毒を吐くと
右手を下ろし、左手に持つ庭掃き用の竹箒を片付けに校舎へ入りました。
谷地君と林原君は、ここで待つよう告げて
昇降口で上靴に履き替えて戻って来ました。
「ミサに恩を着せるつもりはないけど、僕が『探偵』に依頼料を支払って
引き受けてもらったんだ。まだ完璧とは言えない…チカラだっていうが…。
今回は支障なく『タドル』ことに成功したってさ、意味わかんないよな?
こんなこと言ってる僕も実際そう分かってないけど、ミサの一大事だから」
顔色の良くない谷地君が息を整えながら話したら、探偵の林原君が続けて
「一言で表せば『ジサクジエン』です。私が真実を辿ってみたところでは
ズタズタになった青い靴をゴミ箱に投げ捨てたのは…浅井壱琉…本人です」
林原君の瞳は時々なる青い状態になっていました。
まだ私の背後を覗き込んで探ってるのでしょうか?
それをいちいち指摘するつもりはありませんけど。
「事件の真犯人には何とか辿り着きましたけど、どうしましょうか?」
林原君が真面目で誠実な人であるのは、これまでの言動で知ってます。
「私から三組の連中に真実を伝えたところで何の証拠にもなりません。
花田君はもう一つゴミ箱から拾っていまして、それを見た浅井壱琉が
あなたが普段から使ってる『裁ちバサミ』だと特定したらしいんです」
「僕たちが宿舎から教室へ移動したときはもう…」
両目を閉じた谷地君が小さな溜め息を吐きました。
「エムジェイの怒鳴り声が聞こえて、もう朝から
最悪の雰囲気になっていました。今だって操君が
顔を出していい状態だとは思えません。危険です」
並んで通せん坊状態の林原君が続けて言いました。
『裁ちバサミ』
確かに私の専用スペースには見て分かる場所に裁縫箱を置いてるので
私の留守中、何者かに無断で入り込まれて持ち出されているのなら…。
「操君もご存知でしょう。『外道』で知られる三組の連中に刃向える
勇気のある二組のオトコはいない…というか…全員舐められてるし
そのぅ、二組ほぼ全員『キモオタ軍団』って呼ばれてるじゃ…」
今にも泣く寸前といった調子の声を出して林原君が俯きました。
はっきり言ってしまうと、二組の人たちは基本的にそんな雰囲気です。
たぶんトラブルに立ち向かえるのは相馬君か斎藤さんくらいでしょう。
「三組への殴り込みなら二組のサムライ、西谷無双で…。あ、いえ…。
本当にすみません。真実を知っていても探偵なんて名ばかりの道化で」
赤い髪を目立ないよう短くしていた林原君に深々と頭を下げられても
事件に巻き込まれた私の冤罪はどうすれば晴らせるというのでしょう?
浅井壱琉は私に何の怨みがあって私を犯人に仕立て上げたのでしょう?
「この学校、巫山戯て考えられたとしか思えないクラス編成だよなぁ」
「本当そうかも…。なんか最近ちょっと喉が…風邪でも引いたかな…」
谷地君と林原君があれこれ言っていましたが二人の顔を見る気もなく
俯いた私の耳に届いたのは谷地君の小さな「あ!」という声と同時に
「キミたち、朝から何やってんですか。通行の邪魔になってますよ!」
背後の声に振り向いたら、まだスピスピ寝息を立ててる寝巻姿の
劉遼君を背負ってやってきた緊急検証部の望月君が立っています。
「反則ナギちゃん登場! よし、ここは知恵を貸してもらおう!」
まるで天使が降臨したとばかりに谷地君が瞳を輝かせていました。
私には頼りになるような人とは思えませんが意味不明な言動ばかりの
望月君のどこが『反則』だというのか、私にはさっぱり意味不明です。
それでも聡明な谷地君は今朝起こった事件の内容をまとめて要約して
望月君に報告しました。おんぶ姿で後ろに回した腕や身体を動かして
まるで背中の劉遼君をあやすような感じで谷地君の話を傾聴してます。
「あの飢えたオオカミさんの群れに、何故か1匹だけ紛れ込んだ
コヒツジちゃんみたいな男子がいるよね。彼に事情を話したら
とりあえず一件落着となりまーす。…ハイ、宣言は以上!」
点と点が繋がったみたいな望月君の発言に林原君がハッとした
表情に切り替わり、一人で校舎内へ走って行ってしまいました。
「もうすぐ始業ベルが鳴るんだし、そこ退いてくれないかな?」
少々イラついた様子の演劇口調に切り替えた望月君が言います。
「いくら小っこいりゅーりょーでも熟睡状態だと結構重いんだ」
私たちの話し声にも全く目を覚まさない劉遼君を背負ったまま
一組の教室へ授業を受けに行きました。皆勤賞もないんだから
眠くて仕方ない劉遼君を休ませてあげてもいいと思いますが…。
谷地君と二人きりになった私は校舎に背を向けて
「しばらく出席を拒否します」という調子で
三組の担任へ伝言をお願いしました。
「え、ちょっと…?!…ミサァッ…」
後ろで呆然と見送る形となる谷地君の声が聞こえても振り返りません。
学内の誰かを呼びに行った林原君が戻ってくるのを待つつもりもなく
私は三組のゴタゴタが収拾したという谷地君と何故か付いて来た壱琉
その他が形ばかりでも頭を下げて私を迎えに来ることになった日まで
当面の荷物をまとめて寄宿舎一階の寮母さんたちの部屋へ押しかけて
他の生徒たちとは一切関わらないで過ごす引き籠り生活をしてました。
実は両親の居ない緋美佳さんも寮母さんの部屋で暮らしてるのですが
私の話を聞いてくれた二人は「私の味方」みたいになってくれたので
振り返ってみると、結構お気楽に過ごせた日々だったように思います。
でも…友達になりたかった緋美佳さんとは親しくなれませんでした…。
◆或る生徒の独白.
気づいたら、少し屈んだ感じで、その人は私の両目を覗き込んでいました。
そして『クモリゾラガハレテ、アオゾラニナッタミタイ…』と言いました。
単なる他クラスの通学生だとばかり思っていた人が発した言葉でしたので
当時二年生だった私は…相当な衝撃…戸惑いを胸に覚えたのを忘れません。
その人から私が初めてもらった言葉を忘れ去ることはないでしょう。
『アキノヤマノモミジミタイナ、カミノイロ』でした。素直な心情。
その人とは学校の廊下での何気ない雑談から、どうやら幼少時から
色々と視なくていいものが視えてしまう人なのだと判断できました。
彼は私の初めての『依頼人』となった人物で、我が生涯かけ替えのない
私の『心の支え』となってくれた人物となりました。あの彼からの…。
元から報酬など受け取るつもりはなかったのに「相談料だから」と
受け取った貨幣は何物にも代えがたい私の一番大切な宝物です。
最近の私はと申しますと、えぇぇえぇと、その…。
普段から…その人の軌跡を…目で辿るようになってしまい
正直、その…ちょっと…戸惑っていました…。だって、そこにも…。
◆一組級長 花田聖史の独白.
僕の故郷は、ここからしばらく離れた温泉地としても知られる場所だ。
何でも僕が生まれてから間もなく…遠くから手紙が届いたらしい…。
その年、五歳だった春の出来事になるが、よく分からないままに
両親や姉弟、周りからバッサリと切り離されるような形となり
見知らぬ同じ年頃の連中と『学友』として十年という長い年月を
過ごさねばならなくなってしまった。村から遥か遠い都会から来た
言葉遣いの明らかに違う者たちとも言葉を合わせねばならなくなった。
…懲役…
罪を犯した覚えはないが、生徒全員が囚人に等しいのかもしれない。
学校の寄宿舎で同室となった斎藤和眞と出会えたことが
僕にとっては、何よりの収穫のようにも思えている。
クラスは違っても、同じ『級長』という立場から
悲喜交々を共有できる真の友だと思っている。
胸が靄つくアレな面も持ち合わせているが
そこはお互い様だと割り切っている。
結構みんな努力はしている。僕もその一人にすぎない。
この村の通学生モル(三上灯)君のために手話だって覚えた。
思うように進まず、胸に焦燥感の湧く日々『忍耐力』の習得。
それを学校生活に於ける糧としなければならないと感じている。
けれども、夏休みや冬休みの長期休暇に家族一緒で過ごせる
心からの笑顔、何気ない気遣いにあふれた穏やかな毎日だけが
素の僕でいられる何より大切な時間であり、真に安らげる空間だ。
校長先生の孫だという劉遼は、むぐらもちの望月君に完全に懐いてしまい
授業や寄宿舎での生活も、殆ど彼一人に任せきりみたいになってしまって
一組級長である僕の役目を分担させているようで申し訳ない気はしている。
だが、むぐらもち君には安心して託せる。三年生秋の辺りからだと思うが
遼の世話係を今更もう誰も変わりようがないといった絶妙さで務めてくれ
入学時から苦労を重ねてきた者の代表として、心から感謝の意を表したい。
僕と同年齢とは思えないほどの細やかな気配り。まさに敬愛すべき級友で
そして、犠牲的精神の持ち主だ。彼が…涙…を隠していると伝わってくる。
ほぼ子どもだけといった寄宿舎生活は心細いし
周りの大人も…何だか変だ…と窺えてならない。
校長室は空き部屋と言っていいほどだし、あまりにも放任主義すぎる学校。
『まとも』と称していいのは年老いた母親と共に教員宿舎で暮らしている
担任の小林先生くらいだと思う。それだけでも一組の生徒は相当な幸運だ。
二組は兎も角、三組は何なんだろう?
生徒の一人が生徒に勉強を教えるって?
巫山戯てる。確かに彼は非常に聡明な人物。
洞察力等、優れている部分も窺えるであろう。
だが、ここで真実を告げよう。
あの浅井壱琉という者は他者への嫌悪、侮蔑の情ばかりを
決壊した堰の如く放水する『暴走暴言超特急野郎』なのだ。
推測ではあるが、心に強い甘えを持っているのではないだろうか。
おそらく甘えを本来向けるべき方面へ預けることができないから
あのように歪んだ言動で周囲を煙に巻いているのだと察している。
僕には出来ない。こう見えても多少は恥という感覚を心得ている。
僕は、あのクラスには担任含む全員から『拒絶感』しか湧いてこない!
三組の外道からは譬えようもない異様さを覚える。僕にも不可解だが
疑問を感じると共に、何故か頭の中の何処かが強い危機感を指し示す。
彼らは…不快でならない。心が落ち着かない。ざわめく…。
焦燥感と喩えるべきなのか。不安感が正確なのであろうか?
そういった激情を漏らせば潔癖な心の持ち主である友に
「美しくありません!」とでも窘められるだけだろうし
なるべく本音は胸に仕舞っておかないとならないことが
積み重なる重圧にも似たものへと形成されていく。苦痛。
この村の学校では自分が常に強く安定した気持ちで余裕を持っていないと
何かに押し潰されてしまいそうな…或る意味に於いて修行のような日常…。
十年間の精神修養も残すは三年間。堪えに堪え、日々耐え忍べばいいだけ。
僕は決して潰されてなどなるものか。卒業の日まで孤軍奮闘。闘い続ける!
四年生のとき図書室にあるお釈迦様に関する本で読んだ
『周利槃特』の説話に感銘を受けた。
僕は早速それを実行に移すことに決めた。発想即実行ッ!!
真実の僕が手にしたいのは『破邪の剣』『死神の鎌』
それを…自在箒や埃取り、雑巾…に変えているのだ。
僕は『レ・ミゼラブル』のジャベール警部となる存在であろう。
両目も必要ない。左目一つもあれば…僕には全て…お見通しだ!
一騎打ち、いつでも受けて立つ用意はできている。面白い。
どこの誰であろうと熱情を胸に秘めて冷静に仕留める所存。
陰で『鬼軍曹』呼ばわりされても
外道な連中が学校のどこかを汚そうとも
テニスコートにスクーターの轍を刻まれようと
下足箱の僕の靴にゴミ屑をいっぱい詰められようとも
『塵を掃い、垢を除かん!』
僕は、自らを愚者であることも弁えている。
この生涯で悟りは開けずとも実行あるのみ。
『ありとあらゆる苦難に感謝っ!』
縦のものは、縦! 横のものは、横!
きっちり、きちっと、整えなければ!
傍観していても何の変化も起こらない。僕自身が手を動かさねば!
◆或る生徒の独白.
その夢の中に於いては『暗闇の中』でした。
どうやら全く視力がないように思われます。
ですが…。なんと伝えるべきなのでしょう?
自分の身体から超音波のようなものでも出しているのかどうなのか
実際のところはどうにも上手く説明しようがないのです。しかし…。
自分の周囲に何か在るか無いかくらいは把握できたように思います。
ぶつかるということなく、移動できていたような記憶がありました。
遠い昔は、誰かの背中にいつも負ぶさっているような感じで
安らぎと温もりを覚えて過ごしていた気もいたしております。
その人の声を覚えているような…もう既に忘れてしまったような…。
おんなのひと?
私を守っていてくれていた小柄な人は
母親のような存在だったのでしょうか?
◆或る生徒の独白.
ぼくちんの存在理由は、宝石の人たち全員の『記憶補助装置』だにゃん!
でもって、ぼくちんがその気になれば普通の人でも誰だって
所謂『前世の記憶』『閉ざされた記憶』を手繰りに手繰って
引き寄せたり、開いたり出来るにゃん。すげぇエライにゃん!
だからもう、猫四姉妹さぁん、みんな知ってるんだにゃん。
『みた!みた!ねこたーん!』というワケなんだにゃん。
妹の三人はコワイにゃん。悪い子の塊みたいだにゃん。
平和主義者なぼくちん、喧嘩にゃんかしたくにゃいにゃん。
べっ、べつに負ける筈にゃいんだけど、にゃ~ん!
気付いた~素振りも~見せられ~にゃいにゃ~ん。
あ、妹と言っても現実では少年にゃんだにゃ~ん。
さっきから、にゃんにゃんにゃん、ゆぅてますけンどもォ
もっちろん、ぼくちん本物の猫さんじゃにゃいのにゃ~ん。
熱血テニス部名物『敗者にゃん語尾の刑』執行されちゃったのにゃーん!
要するにィ本日の試合に負けたってことにゃのにゃん。ひどいにゃんっ!
後衛のぼくちん、サーブだって決められたにょに前衛君がアレレにゃん。
んーにゃ、これも試練だにゃん。ぼくちんの器が量られてるにょにゃん。
ぼくちんは昔っから宝石の人たちの皆様方とも
それほど親密に交流したことにゃかったんだにゃんにゃん。
どうして、ぼくちん宝石の人にされたにょかも不思議にゃんだにゃん。
ぼくちんって、元々と~っても人見知りさんにゃんだにゃん。
どんにゃ風に構ってもらえばいいか分からにゃいで困ったにゃん。
楽しみにしてた学校へ入って最初に頑張って色々お話してみたにゃん。
オトモダチになってくれそうな宝石の人…涙がぐっすん…になったにゃん。
だ~か~ら、普通の子たちとも頑張って仲良くすることにしたんだにゃん。
でもっ、普通の子でもぼくちんを避けちゃう子がいるんだにゃ~ん。
ひどいにゃん。遠い昔ぼくちんの娘だったこともあるにょに悲しいにゃん。
遠い昔、ぼくちんのことコロしちゃった人だって…いる…のにゃん。
二言目には「コロス!」と言ってくる人だっているのにゃん。怖いにゃん。
接近禁止命令されちゃうにゃん。ぼくちん何にも悪いことしてにゃいにゃ。
その人とは…なるべくフツーに接してますけンども…にゃあん。
ナイショだけど、元は愛する奥さんだった人もいるにょにゃん。
いろんなニンゲンカンケーごっちゃんごっちゃんで、クルっちゃうにゃん!
本物の猫さん四人は冗談でもにゃん語尾しないタイプの人ばかりだにゃん。
そこンとこは↑要注意項目↑にゃんにゃんにゃん。
ぼくちん、にゃん語尾が嫌いじゃにゃいにゃーん。
似合うか似合わないかは抜きにした話だにゃーん。
ぼくちんの~頭ン中は~、宝石の人たちの~みんなのォ~
良いことも~悪いことも~ぐっちゃんぐっちゃん~ってな状態で~
現在の~ところ~、タダイマ『絶賛大混乱中!』にゃんだ~にゃあ~ん~♪
はい、よく存じとりますにゃん。
正直に言えば、ぼくちん本人が
一番理解不能にゃ人だにゃ~ん!
それでも、宝石の人たちのアイドル的存在だった『パンコロ』や
他にも結構ぼくちんに良くしてくれるんだぁにゃんにゃんにゃん。
ぼくちん、庭球王子の一人に加われて本当に嬉しいっみゃお~ん。
『感謝』だにゃん。だから、みんなと普通に仲良く楽しむにゃん!
困ったときは困ってる者同士で助け合うのが一番にゃのらと思うにゃん。
困りに困り果ててしまった、ぼくちんが自ら発見したことにゃんだにゃん。
まだ整理整頓が終わらなくて、たいしてみんなの助けににゃらにゃいにゃん。
困ったにゃん。困ったにゃん。困ってしまって、にゃんにゃ…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
飽きた。いい加減に疲れちまった。
自己申告。にゃん語尾、本日終了!
もう分かってるよな。宝石の人としての俺の名前は、天珠の島梟だ。
気ィ向いたら、またヒント出すかもな。もちろん『にゃん語尾』で!
てな訳で、以上「自称、学校一和服の似合うオトコマエ」でした。
そういや、落とし前をつけたがっていらっしゃる存在が…いる…。
自らが仕出かした罪業。重責の念。過ちを繰り返そうとしない願望。
覗ける力を持つが故に色々とアレなんだ。こっちも見てて心が痛む。
気の毒に思うが自然の成り行き。心模様。島梟は傍観させてもらう。
◆或る生徒の独白.
天道是か非か。賛成か反対か。単純な二択。コインの表裏。勝敗あり。
ピンポン球に印を付ける。数は三十個でいい。傾く場合も想定しよう。
現在二十八名の全員が箱からピンポン球を取り出す。そこから二分割。
「肯定」or「否定」の二派に分かれて議論する。
議題は例えば「殺人は是か非か?」みたいなの。
本人の意見じゃない。ピンポン球の意思に従う。
本人が殺人を否定していても「肯定」を引けば、
どんな殺人も肯定する主張を言い表すしかない。
アイハンスル、ジブン、ココロ、コトバ、イシ。
そういったゲームも面白いんじゃないだろうか?
場合に拠っては自分自身を裏切りながら意見を述べて勝敗を競う論戦。
校庭が五月蠅い。三クラス合同。騒々しい喚声を上げ、避球で遊んで
体育の時間を潰してる。あんな喧騒に入って堪るか。当たると痛いし。
得物を持って争う必要なんてない。世界を動かすのは言葉だと信じる。
今すぐ僕の提案したゲームで生徒全員を翻弄してやりたい。雨よ降れ。
耳障りな声。本当に気に入らない。デカい癖に可愛らしい声…。
美声は不細工の証明。同い年の連中に囲まれて発見できた真実。
この学校には一人も碌なのが居ない。馬鹿だから勉強したって
将来に活かせないのが見なくても分かる。楽しい悲鳴が腹立つ。
僕のような者が敬われることもなく孤立している異常事態こそ
この世界の碌でもなさを指し示している。生まれてきて損した。
足が遅くて悪かったな。全員参加のクラス対抗リレーの最後で
断トツのビリになったからって文句があるなら言えよ。みんな
冷たい眼を向けて終わり。笑って誤魔化せるキャラじゃないし
午後の授業は黙って針の筵に座らされた気分で過ごした。最悪。
慰めの言葉なし。侮蔑嘲笑もなし。透明な空気になりたかった。
世界の何処にも居場所がないなら離島で暮らそう。透明な空気。
それでも僕には同士がいる。陽射しを避けて教室で涼む同室者。
あいつの声、矢鱈と響き渡って五月蠅い。僕の迷惑になってる。
真実に辿り着けないまま息絶えて失せる。単なる駒。操り人形。
僕の優しさに感謝しろ。使える時まで生かしてやる。それだけ。
◆きみが壊れた。ぼくが壊れた. 斎藤和眞
こんにちは。これは七年生七月初めの小雨の降る日曜のお話で御座います。
寄宿舎で昼食を済ませ、以前から気になっていた不登校気味の悠ちゃん…。
松浦悠一郎君のお宅へ家庭訪問する目的で、親友キヨの自転車を拝借して
緩やかな坂道を漕いで行きました。片手傘差し運転になっちゃいますけど
漢がそんな細けぇこと気にすんなっつーことでぇ、まぁヨロシクでーすッ!
交通規則は守りましょう。一般常識は守りましょう。禁則事項は守るべき。
この世を生き抜くために必要なのは、自制心を保つこと。約束を守るため。
キヨから自転車を借りる破目になったのは一週間前に街へ遊びに行ったら
斎藤さんの自転車が盗まれたらしくて消えちゃったからなのでありまーす。
ロックもチェーンもかけてたのに運が悪いっていうのか、何なのかもうっ!
購入したてで誰の目から見ても素敵な逸品だったのが理由じゃないかしら。
出て来いよ!返しやがれ!弁償しろ!と思っても届け出たり訴える機関が
この世に存在しないのが困ったところ。悪いヤツ、ヤりたい放題なのです。
まあ、愚痴ったって戻ってきません。今度は安物を購入するといたします。
松浦君の広いご自宅の屋根には、ソーラーパネルが設置されています。
それが目印になって、方向音痴な斎藤さんでも住所を覚えられました。
でも、最近はジトジト雨降り続きですから、果たして自家発電の役に
立っているものかどうなのか…斎藤さんには正直不明なところです…。
坂の上にある松浦家の門前まで辿り着いたら
自転車が2台も並んでいるではありませんか。
1台は自分にも見覚えがあるタッちゃんの自転車で、もう1台は不明でした。
玄関先で悠ちゃんの御母堂様に取り次いでもらってから、玄関の中に入り
三和土に並べられた3足の靴を見て、ようやく先客たちが誰であるのか
斎藤さんには、まるっとお見通しで分かってしまいました。当然です。
タッちゃん、陽ちゃん、それに加えて、シンちゃん(鯨井信)の三名でした。
二組の生徒が五名も顔を合わせるとは、不思議な偶然を感じてしまいます。
確か陽ちゃんのご自宅は松浦家から近い筈です。徒歩で来たのでしょう。
シンちゃんは、この村にある診療所で寝起きしてる通学生さんなのです。
斎藤さん達みたいに最初から入学が決まっていた生徒ではなく事情が
あって…この件に関しては斎藤さんが話していいのか存じませんけど
シンちゃんが暮らしてたリンゴ畑のある実家で大変な事件が起こり…。
シンちゃん…自分以外のご家族全員…ご両親にご祖母、弟さんと妹さんを
その事件が起きてしまった所為で一遍に亡くされてしまったのだそうです。
シンちゃんは、その日偶々お母様に頼まれて家から少し離れた集落にある
商店までお使いに出かけていたので難を逃れることができたそうなのです。
「思い出す」必要ないです。シンちゃんの心を苦しめたくありませんから
二組のジェントルメンズはシンちゃんの事件について尋ねたりしないよう
なるべく普通に接するよう常日頃から心掛けていますが自分に置き換えて
想像するだけで、こっちの胸が潰れそうなくらい苦しくなってくるんです。
それでも…シンちゃんは本当に偉い…。ただ、感心、尊敬するばかりです。
その冬の悪天候で吹雪の舞う中、白い雪を頭に被って白い道を走り続けて
ようやく村まで辿り着いて近くの民家に入って助けを求めたのだそうです。
村の人たち数名が現場まで様子を確認するため駆けつけたと伺いましたが
それは…凄惨な有様であった…といった噂が斎藤さんの耳にも入ってます。
元々シンちゃんは中枢の都である中央方面の生まれの人だったそうですが
お父様が生まれ故郷である集落に戻って、ご実家のリンゴ農家を引き継ぎ
生計を立てていたご一家だったとのこと。鯨井はお母様の姓だそうですよ。
どこかに身を寄せられるような近い親戚もいらっしゃる気もしますけど
シンちゃんが「ヨソとは何の付き合いもないから知らない」と言うので
学校の寄宿舎も満室状態ですし、村内の人たちで色々と話し合った結果
診療所のマエダ先生の『お弟子さん』となって暮らすことになりました。
そういった訳で一年生の冬期休暇明けから二組に編入されることになり
新たな仲間として、二組のみんなと一緒に勉強する形になったのでした。
鯨井信は、村の学校に於いては『特別枠』といえる生徒になるでしょう。
シンちゃんは中途入学ではあっても大層コミュニケーション能力に長け、
斎藤さんが心底羨ましいと思うほどです。実際そう得意ではないので…。
村内外を往診に出かけるマエダ先生の鞄持ちなんかもしてるようですが
シンちゃんは瞬く間に村での暮らしと人々に溶け込んでいったみたいで
メンバー揃って村内の共同浴場まで向かおうとしていた女の子軍団にも
体調のことなど聞きに話しかけていって、そのまま一緒に女湯入口まで
同行してしまうような愉快な御仁なのです。所謂うっかり屋さんですね。
力強く心に響く声で、いつでも生命力にあふれた瞳を輝かせているのが
学校二組の鯨井シンちゃんです。視覚以外の五感が好印象で伝わる少年。
まるで自分の弟みたいな気持ちを懐かせられるタイプだと感じています。
同級生よりも少し子どもっぽい少年、そんな心証を受けてしまうのです。
そう思っちゃダメなのも承知してますが…容赦なく甘えてこられると…。
この件や数々の幕間劇を経て、次第に鯨井信の渾名めいた呼称が
「男オバサン」となって、村内に浸透していったように思います。
シンちゃんは家事全般得意ですが、趣味はポップコーン作りです。
周囲からは「ノブ」「マコちん」と呼ばれる場合が殆どですけど
斎藤さんは「シンちゃん」というオリジナルの愛称で呼んでます。
彼の見かけは、クラスでも中肉中背、ごく普通の容姿だとは思うのですが
こんなこと言うのは美しくないかもしれませんが、全くと言っていいほど
「お洒落心が皆無ッ!」なところがシンちゃんの玉に瑕だと思ってまーす。
いつも寝癖は当たり前、現在のところは右の前歯も1本欠けたまま放置中。
早急に治療することを勧めたいけれど、街の歯医者さんが苦手なようです。
服装も…。これは経済的事情もありますでしょうから仕方ないことですけど
冬場はちゃんちゃんこ登校で授業を受けたりもしておりますよ。カッワイイ!
どこでどうやって入手したものか全く不明ですが、タヌキの毛皮を背負って
教室に入ってきた朝には、教室にいた斎藤さんも思わず唖然としてしまって
「一体どこの山から下りてきたマタギさん?」
ツッコミを入れてしまいましたとさ。おっしまい!…は、まだまだ先でーす。
松浦さんのお宅は、元々は中央より更に西の方のご出身らしいそうですが
現在では、この村の世話役的な役割を務めているんだそうで御座います。
村でも一番大きなお屋敷は…三組の浅井家になるみたいですけどね…。
もう既に今まで何度かお邪魔していますので案内を乞う必要もなく
平屋のお宅の悠ちゃんの部屋まで、スリッパ履きで移動しました。
襖近くまで近づくと女性ヴォーカルの曲が流れているのが聴こえてきます。
幾度となく聴き慣れた切ない歌声です。一息ついて和室の襖をノックして
「こんにちはー。斎藤さんでーす!」
出来る限り不要な感情を排除し、優しく落ちついた雰囲気で声をかけます。
それから間もなく襖が開いて、悠ちゃんが穏やかな顔を見せてくれました。
斎藤さんは身長では後ろから二番目、悠ちゃんはその前といった順番です。
室内に入った途端、陽ちゃんが斎藤さんと交わす恒例となってしまった
「あ、ごきげんよう。ミスターノーズ!」
清らかな声で挨拶してきました。汚れなき無邪気さから発する言葉です。
正直に白状しちゃいますと、斎藤さんの顔面コンプ大直撃の問題発言でーす!
それでも「なんと、誰がそのような渾名をッ!」顔を歪めて困惑してみせて
「余は、そなたには、そのような呼ばれ方は…されたくなかった…」
落胆した調子で返事してあげなければなりません。そういうお約束ですから。
「サイトーさん、こんちはーッ!」
こっちを向いて瞳を合わせ、シンちゃんが力強く明るい声で言いました。
外は生憎の雨天である筈なのに晴天の下にいるような気分に変わります。
普段から寡黙なタッちゃんは会釈してくれました。そちらにもお返し…。
悠ちゃんの机の上で起動されるPCから流れる歌は学校の二組の中では
有名なゲームのエンディング曲、二人の親友を失った悠ちゃんにとって
『てっちゃんとしいちゃんを偲ぶときの歌』にもなっているものでした。
斎藤さん自身も胸に甚く沁み込むような名曲だとは思っておりますけど。
昼食をご馳走になっていたのか、折り畳み式のリビングテーブルの上には
みんなでソース焼きそばでも食べた後なのかな?と窺える皿が3枚あって
それぞれの皿の上に使用後の割り箸が置かれて並んでいました。
あー、そういえば、斎藤さんが寄宿舎一階の食堂で昼食を摂ったときに
タッちゃんの姿がなかったような気もしてたっけ…と何気なく見てたら
「斎藤さん、お昼まだでしたら持ってきましょうか?」
気を利かせた悠ちゃんが声をかけてきましたけど、当然ながら断りました。
シンちゃんたちは、三人揃って立ち上がって帰る身支度をはじめています。
邪魔をしに来てしまったようで、こっちも気まずい感情が湧いてきました。
「マツーラ君はさァ、最近ゲームにハマっちゃってただけなんだってー!」
欠けた前歯が少々気になる笑顔でシンちゃんが指差して教えてくれました。
「それでもオレはマツーラ君の元気な顔を見れて安心したよぅ!
思い切って訪ねてみて良かった。モリ君とソーマ君もいるんだもん。
オレはさァ、今日は偶々ちょっとヒマだったから顔を見に来たんだよ」
バリバリ音立てる勢いで寝癖頭の後頭部を掻きながら説明してくれました。
このまま寝巻にしてるような空色のジャージ姿が如何にもシンちゃんです。
学習発表会で下手クソで音を外してでもギターを奏でて歌ったりするのが
堪らなく魅力的なところ。衣装なんかに拘りません。自然体のジャージ姿。
コードが覚えきれずに伴奏は殆ど診療所のマエダ先生にお任せしてますが
肝が据わっているとしか思えない。緊張を知らない心臓の強さを感じます。
…アッレェ?…
白いフケが肩に載ってまーす。左の目尻に目ヤニらしき何かも付いてるよ。
シンちゃん、休日だから顔を洗うのサボったんじゃないかしらって思うの。
「僕はタツヤの後に来たんだ。十時前になるかな。単なる悠への顔出し。
約束もしてないのに、これだけ二組のメンバーが揃うなんて意外だった」
今いる五人の中では一番小柄になってしまう陽ちゃんが言い添えました。
「サイトーさんも心配だからお見舞いに来たんだと思うし、二組の君主が
登場しちゃったんだもん。マツーラ君、もうゲームはその辺にしといて
明日から、ちゃんと学校へ来いよなっ! これ、約束ぅ、約束だー!」
シンちゃんは途中で斎藤さんにも眼差しを向けて言葉を結びました。
「そろそろ僕たち今日はもう帰るとするよ。どうも御馳走様でした!」
休日でも相変わらずウォシャレ番長といった格好の陽ちゃんが代表となって
悠ちゃんへご挨拶しました。現在この二人は親友と呼べる間柄となってます。
「あ、忘れちゃいけない」はっと気づいたように左手を自分の首に当てると
「ちゃんと後で悠のお母さまに『美味しかったです』って伝えといてあげて」
しっかり感謝の言伝を残していくつもりです。本当に礼儀正しい人だもんな。
キツネっぽい愛嬌の持ち主で、晃ちゃんリスペクトか髪を明るく染めてます。
自分ならアレしたくなる造作の容貌でも不思議と自信家っぽく映る御仁です。
彼の背後にビシッと立つ、長身のタッちゃんも同意するかの如く頷いてます。
無口な人だ…。昼休みのテニス部は楽しそうにやってて羨ましいんだけど…。
「じゃあ、斎藤さん。また明日、学校で!」
襖を開けた陽ちゃんが先導して三人揃って部屋から出ていこうとしたら
「あー、そうだー、そうだァ。サイトーさーん!」
三番目に部屋から出ようとしたシンちゃんが、くるぅんと向きを変えて
両目を全開状態にして、斎藤さんに飛び付かんばかりに喋り出しました。
「ねえぇ、後で時間があったら、うちの診療所にも寄ってってよォ!」
いつだってシンちゃんは斎藤さんから視線を逸らそうとしないんですよね。
縋り付くような眼差し…救いを求めるような眼差し…そう感受してしまう。
「宿題ちょっとォ、いっぱい分かんないとこあるから、教えてほしいー!
オレ、お鍋でポップコーンいっぱい作って待ってるよぅ! 来てねェっ!」
ポップコーンはシンちゃんの大好物、斎藤さんが好きな訳じゃありませんが
大切な級友からのご依頼ですから「では、また後ほど」と約束いたしました。
約束したからには守ります。宿題を見るため、診療所へ立ち寄るつもりです。
でも、分かんないほどの宿題じゃなかったです。
教室内で済ませられる程度のプリントだったし
暇だから遊びに来てほしいだけと察するところ。
陽ちゃんとタッちゃんが微妙な笑顔を浮かべながら
三人揃って、悠ちゃんの部屋を退去していきました。
本当に二組のジェントルメンズは、礼儀正しくって思いやりにあふれた
心の美しい仲間ばかりなんだなぁってことに、斎藤さんは改めて感動を
覚えたのでした。もう少し、こっちも見習わなきゃダメだと内省します。
悠ちゃんは使用後の皿と箸を重ね合せ、台所まで持って行きました。
いつものテーブル側の位置に斎藤さんも腰を下ろすことにしました。
外の雨音が窓硝子や壁面に打ちつける激しい響きに変わった気がします。
悠ちゃんの部屋の窓は磨り硝子の二重サッシですから、開けてみないと
しっかり確認できませんが天井からも感じ取れる雨音はきっと土砂降り。
戻って来た悠ちゃんは自分の机の椅子に腰かけると軽く頭を下げました。
「斎藤さんまで来させちゃったみたいで、今回は本当ご迷惑かけました」
学校一のふくよか体型といえる悠ちゃんは特にやつれている様子もなく
心を病んでいるかのような素振りも感じないし、こっちも安心しました。
部屋の中はリピート設定にでもしてるのか、まだあの曲が流れています。
雨音に邪魔されて、少しばかり聴き取り辛くなったようにも思えます。
空気に寂寥感。裕福なお宅の明るい間取りの一室なのに不思議ィ…。
先ほど聴いていたのとは違う女性の声で耳に入る歌詞も変わっているので
別バージョンの曲なんだろうと思います。あのゲームの最後では、確か…。
でも、悠ちゃんに…いえ、みんなにとっての現実は…残酷…過ぎました…。
斎藤さんが考えると喉の奥に何かが詰まるような辛い感覚を伴ってしまう、
どうしようもない、言葉を交わすことのできない状態での『再会』でした。
去年の夏、てっちゃんとしいちゃんの合同葬に参列した学校の生徒たちは
たった一人も…二人の遺体の顔を見られた訳じゃありませんでしたから…。
斎藤さんだって何故だか未だに二人の死を現実として受け止められません。
あの悪フザケと悪戯が趣味で生き甲斐の二人が仕出かした壮大なドッキリ。
真実は…そうだったらいいのに…そうであっても怒りません。大喜びです。
みんなで笑って転げまわって、また二組の教室が賑やかになってくれたら
それでいいと思います。生徒全員で校庭に地雷を埋めて遊べたら気分爽快!
低学年の頃、月~金がギャグ漫画みたいな騒動の繰り返しだった学校生活。
あの当時を全開にして覗き込みたいような、そっと閉じておきたいような
言葉にできねぇ…。いつも明るい陽気な声が溢れかえってた二組の教室が
斎藤さんの胸…頭の中に投映される光景として音もなく流れてきました…。
怒りたくもない。注意なんかしたくない。それでも役割として演じてきた
二組級長の姿が…醜い…としか喩えようなくて…消してしまいたくなり…。
こっちは『クラスのリーダー斎藤さん』に徹しなければと思っていたから
『仲良し三人トリオ』の目からから見れば『敵役』に相違ないでしょうが
出来たら、てっちゃんと、しいちゃんとは、違った向きで関わりたかった。
その思いが喉や胸の奥に引っかかるような具合で突き刺さって残ってます。
「これ無理強いじゃないけど、ただでさえもう二組はさぁ…」
あ、斎藤さんとしたことが、なんて愚かな言葉を発してしまったんだろう。
さっきから…胸が…詰まったような…喉が…もっと…苦しくなってきます。
村の学校の二組は、既に二人もクラスから…去ってしまっているのです…。
これ以上、誰も欠けてほしくない。斎藤さんの気持ちは、それだけですが
上手く伝える言葉を選べない自分のことを、ますます否定したくなります。
「心配かけてすみません。もう大丈夫なので…。明日から、また行きます」
悠ちゃんが、こっちへ安心を伝えようとする笑顔を見せてくれましたから
余計な言葉を付け足すのは止めました。室内にずっと流れている劇中曲が
代わりに想いを伝えてくれる筈だろうと…自分勝手な期待を込めながら…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
その後、泣かされました。悠ちゃんの歌は最恐テロリストに相当します。
机のPCをスリープ状態にしたと思ったら呟くように詠唱し始めました。
悠ちゃんのジョブは「吟遊詩人」なのです。歌声で敵を行動不能にする。
アカペラで聴かされた「きみが壊れた」に、こっちの心が壊されました。
乱れて壊れた心象風景。
行方不明となった宇宙船。
安否不明となった乗務員。
いつ誰が壊した? 斎藤和眞の心。
もう燃料は尽きてるのに、彷徨う。
壊した。壊された。棄てた。
信じてる? 愛してる?
問う資格もない残骸。
流れの止まぬ時間。
未だに止まぬ雨心。
誰かが転げて嘆いてる。
違う。自分じゃねぇよ。
人形だ。無貌な空気だ。
斎藤和眞は、木偶人形。
…………………………。
…………………………。
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シンちゃんとの約束を忘れて、寄宿舎に直帰してしまいましたとさ。おしまい。
約束を守るため必要な自制心は儚いもので、ちょっとした刺激で消えてしまう。
ナサケネーナァ…。自室に入って気づいてもキヨには明かせなかった我が心境。
翌日、少々しつこい程度に詰め寄られ、心配され、面倒の重量が増加しました。
シンちゃん手作りのチョコがけポップコーン、無理やり押し付けられるような
形ですけど、斎藤さんに贈りたい気持ちを拒絶できません。頂戴いたしました。
溶かしたチョコを絡めてココアを塗したもの…。女子からのギフトなら兎も角
甘いポップコーンは口に入れる気しないんです。駄目無理。塩味でも苦手だし。
仮病。偏頭痛で誤魔化しました。胸の奥が頭痛になったようなものでしたから。
放課後になったら寄宿舎の娯楽室に放置。アッちゃんとイッチ君が処理してた。
美味しく食べてもらえたなら、目出度し目出度し。アッちゃん、チョコ大好き。
シンちゃんとアッちゃんはクラスでも直に絡まない仲なんですよ。面倒な重錘。
十名に満たない小さな人間関係。それでさえ複雑な相性、見下し、嫌悪、難題。
幾千万の大軍を率いる将軍、一国一城の君主、どうやって管理してたんだろう?
…………………………。
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…………………………。
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悠ちゃんが吟遊詩人なら、アッちゃんは呪殺や攻撃魔法を使う魔道士。
あの前髪から…ごく稀に覗かせる眼力…まともに喰らうと瞬殺される。
寄宿舎での振舞い、彼が近くにいる場合は気遣いの項目数が増加する。
でも、昔に比べて笑顔が増えました。あの二人が登校しなくなって…。
うれしくない。喜んでもいない。けれど、心の負担は軽くなりました。
笑わせるのは善行です。和ませてもらってる。彼は二組の助け舟です。
頭の回転が速くて、淡々とした口調で面白い発言を連鎖させる副級長。
寄宿舎内に於いても彼の立場は一段違う。周囲が控える重篤な持病を
抱えているんです。入学した当初から担任に言い渡されておりました。
針で一突きしたら破裂してしまうゴム風船。谷地敦彦はそういう存在。
昨日の夕食、ちょっとした煩わしい出来事が起こりました。
詳細は省略したい話。斎藤さんとキヨがマカロニサラダに
チョコソースをかけて食べなきゃならなくなっただけです。
食卓の向こうでニヤニヤと笑みを浮かべる二匹の生き物。
そのとき食堂に四人しか居なかったから発生した一悶着。
正直、何と申しますか…。ヤっちゃいてぇ裏心もあった。
いい加減、外道連中に確固たる現実を示して差し上げる
機会があって宜しいのではないかと考えていたところに
いい具合の火種。普段はいる寮母さんもいない。ヤれる!
そういった状況へ突撃してきた強者がアッちゃんでした。
食堂の引き戸は音もなく開け閉め可能。彼は見ていたんだ。
離れた位置に立ち、一部始終を観察してたんだと思います。
四人の食卓へ割り込むよう近づいてきて、チョコソースが
大量にかけられたマカロニサラダ入りの硝子器を手にして
四人の前で、口に入れて「あまじょっぱくて美味しい」と
もう一つの硝子器にも手を伸ばし、食べ尽くしたのでした。
「マーマレードも混ぜたら、もっと美味しかったと思う」
四人に非難を込めた上目使いの微笑みを向け、空の食器を
二枚重ねると、静かに調理場の流し台へ運んで行きました。
ヘタに誰かが口を開いたら、呪殺のスペルを詠唱されそう。
そういった空気、その場の全員が肌で感じてしまいました。
夕食の戯事は終了。争いの火種が雲散霧消。爆発させたかったのにィ!
いや、二人の窮地を闇の衣を纏う魔道士様に助けて頂いたのでしょう。
ジェントルメンズは…ファンタジーの世界でも暮らせる。信じてる…。
陽ちゃんは手先が器用。フィールドに立つ必要はないスペシャリスト。
生産技能が高いんですもの。理髪もできて、裁縫など手芸も得意です。
悠ちゃんは時折ふらりと酒場に登場、心揺さぶる歌を聴かせてほしい。
太っちょですが道端で健気に咲く小さき花のような佇まいの吟遊詩人。
シンちゃんは治癒魔法を使えそうだけど、まだまだ色々修行中かもね。
いっそ、映画館のフードコートにでも務めたらいいんじゃないかしら。
間違いなく、彼の男オバサンな能力を最大限に発揮できる職場でーす。
そう思えてなりません。あ、でも、清潔感に欠ける。飲食業は鬼門か。
共同浴場に通うのが帰宅後の日課らしいのに何と無く…スミマセン…。
あの人、彼とアレについて、あまり思考を向けたくありません。泣所。
三名を責めるんじゃありません。自分がイヤな人間だってだけの問題。
長老様、譫言探偵にアレも本当は何一つ悪いところはないと承知の上。
斎藤さんは無職。ジョブなし。まだ探してる途中です。所謂すっぴん。
悠ちゃんみたいに必殺技を会得したスペシャリティー吟遊詩人は無理。
自分、ギターを弾けたような…。夢の出来事みたいな…。
そんなワケねぇんです。コード進行とか全く知らないし。
でも、リュート弾きに憧れる。リュートさんになりたい。
親のすねかじりから卒業を目指す、お気楽な主人公さん。
楽器の演奏を趣味の一つにしようかな。弾き語りしたい。
あー、来週の音楽で歌唱の課題があったんだ。今は現実から逃避逃走。
歌いたくねぇ。全員そうだと思う。度胸試しの訓練と言い聞かせます。
もっちーから依頼された仕事、寄宿舎の屋上に干したりゅーりょーの
オネショ布団を取り込みに来たのですが、黙って雲を見上げています。
寄宿舎生活に於いては贅沢といえる、一人きりで過ごせる希少な時間。
ファンタジーの世界。永遠に夏が続く異世界で天涯孤独に生きていく。
武器としては、小突剣と弓矢を装備したい。乗馬時は長槍を振り回す。
槍は馬に括り付けておこう。剣は二刀流しながら、遠距離攻撃で射る。
仲間とは仕事次第で組んで別れて、しっかり結びつかず適度な距離で。
名無しで結構。必要ない。無暗に名乗りたくない。「こいつ何者…?」
そう思われる程度の存在でいい。ゲームで喩えたら顔なしモブキャラ。
ちょっと気になる。それくらい空気。木偶人形には相応しい立ち位置。
それでいて強いって印象を持たせる存在で、それなりに使えるキャラ。
ぼんやり胸の奥に引っ掛かる。顔も名も記憶に残らないけど…いる…。
な~んて、空想の中みたいな運命を辿らないことは百も承知の夢物語。
夢想じゃ乱舞しまくる剣闘士になりたくても妄想には逃げ込めません。
どうしても…いつか引き返さなければいけない…無意味な時間…です。
現実では実家の稼業を継ぐ。そんな予定で作られ、生まれてきました。
無職というより懲役囚が相応しいかも。模範囚にもなれない木偶人形。
最大限、服のポケットに仕舞い込みます。
タネやシカケ、火薬も大量に隠してやる。
そして、正体不明な空気を身に纏いたい。
学校生活、棄てたい。
心的外傷多数な日常。
誰にも咎はない鬱積。
黙殺され続ける日常。
続けるの疲れてきた。
癒し。報い。ご褒美。欲しがりません。勝てないのは決定稿。
勝敗が引っ繰り返るのは、歴史シミュレーションゲームだけ。
脳内単騎決戦、アレに向かって百花繚乱!…勝利の陶酔感…。
…………………………。
…………………………。
…………………………。
さてと、宵闇が近づく前に布団を取り込まないとダメですね。
本当さぁ、同い年なのが不思議だよ。学校の本物王子ちゃま。
余計な思考は脳の活動燃料を無駄に消費する愚行とはいえ…。
人形の皇帝にも心はあった。木偶人形にも「思い」が生じる。
必死になって自制させてる。心の中は戦場。苦闘の真っ最中。
自分は壊れてる。このままじゃ失う。荒寥な地に転がる氷塊。
信じてもらえない。愛されることなんて絶対に無理だと思う。
過敏なんです。どうも余計な情報を肌で感じ取る体質らしい。
りゅーりょーの敷布団を物干し台から引っ張り下ろしました。
尿臭。人間なんだし、自分も寮母さんに迷惑かけた経験有り。
敷布団を肩に担ぎ、望月漲と劉遼の部屋に運んだら任務完了。
報酬なんて要りません。もっちーの役に立ちたい。それだけ。
大変だと思います。きっとストレスも多いに決まっています。
手のかかる幼児同様の同級生の世話係、よく逃げ出さないで
毎日頑張ってる。尊敬する。出来る限り協力するつもりです。
敷布団を持ってった斎藤さんへ向けてくれた望月漲の微笑み。
それで心の重荷が軽くなる。癒される。逆に感謝したくなる。
肉体労働。黙々と体を動かす作業。実家の稼業なら頑張れる。
木偶人形でも出来る親孝行があると信じてる。愛したいから。
自制心を持って、残りの懲役を必死に必至で務めきってやる!
我想う故に…。自分を失うのが怖い。好きでもない自分に取り憑かれ
本日も辛うじて木偶人形を演じる。人生って、こんなものでしょうか?
◆作文「村内マラソン大会の思い出」 松浦悠一郎
五年生の田んぼの稲刈りが終わった頃のことです。
村に学校ができてから始まった僕が嫌で嫌で大嫌いで堪らない
「村内マラソン大会」が行われました。雨が降ったらいいと思って
部屋の窓の外に五個くらい逆さまにしたテルテル坊主を吊るしたのに
風が気持ちいいような一組の小林先生が「マラソン日和のお天気」と
言うくらい太陽が眩しい快晴の日曜でした。
良い天気の所為で僕は朝から泣いてしまいたい気持ちでいました。
だって、僕が一番のビリになるのが分かってるからです。
お母さんにお腹が痛いと言っても「悠ちゃん、嘘ついちゃダメでしょ。
がんばりなさい。お昼に唐揚げやおいしい玉子焼きに焼きそば、
筋子のおむすびを作ってあげるからね」と、励まされました。
お母さんの作る焼きそばは僕の大好物です。それでも走ったら苦しくなるし
次の日は筋肉痛になるし、遅いと恥ずかしくて悔しくなるのでイヤです。
けれど、誰かが必ずビリにならなきゃいけないので僕はガマンして
学校で一番のビリになることを決めました。
虎鉄君や紫峻君が学校に来なくなって、僕の一番仲がいい友達は
杜陽春君になりました。家もすぐ近いので一緒に遊びに行ったり
行き来もしやすいのです。僕の家より小さいけど、お母さんの話だと
「小洒落た作りの風流な家」に、和服をよく着てる美人なお母さんと
僕は最初お祖母さまだと思ってましたが、お手伝いさんの三人で住んでいます。
そのお手伝いさんの作る肉じゃがとかのおかずは、何でもみんなおいしいので
僕は陽春君の家へ遊びに行くのが、いつもすごく楽しみです。
この間も大きなハンバーグがおいしくて、僕はお代わりをしました。
村内マラソン大会は、大人も子ども達も参加したい人がみんなで走ります。
学校の生徒はケガや病気でもない限り、全員が出なければいけません。
谷地君は胸に持病があるので、いつも体育や武術の授業は見学となります。
走りたいけど走れない人もいるのですが、走るのが嫌な人はマラソン大会に
出なくていいようにすればいいと思います。僕の予想だと、学校の部では
三組の人たちに足の速い人が多いから、背の高い小山内君か夏目の宙君か翼君
もしかしたら森魚脩君が1等賞かもしれないなと思いました。
一組の竜崎君は足の速い人ですが、いつも途中でやる気なしになってしまい
途中でスキップ踏んだり、女の子走りしたりして遊ぶのです。その所為で
一度も1等賞にはなったことがありません。わざわざ僕のところまで戻って
しばらく「負けるな、ガンバレ~!」と叫んで、一緒になって走ってくれます。
でも、飽きてしまうのか、また別れて先へ行ってしまうのです。
二組では、相馬君が背も高くて足も長いので走るのも大得意です。
次は級長の斎藤さんも速いと思います。短距離では西谷君が一番速いです。
飛び出し注意君だと思います。西谷君はぶつかっても謝ってくれません。
注意しても無視されてしまうから、いつも僕たちが気を付けています。
「パンッ!」と、スターターが鳴りました。僕の大嫌いな音です。
僕は小さい方ではないのに、どう頑張っても足が遅いのです。
すぐ心臓がバクバクしてきて、体が重くなって苦しくなります。
仲良しの陽春君にも、すぐ追い越されてしまいます。泣きたくなります。
鯨井君も「がんばろう!」と、僕に声をかけてくれてから先に行きました。
学校で一番小さい一組の遼君も追い越して行ってしまいました。
涙が少しこぼれてガマンしながら走りました。小さな子どもだったら
僕より遅い子もいるけど、やっぱり今年も学校では一番ビリみたいでした。
その前は三組の級長さんです。長い下り坂の途中で、三組の双子のお兄ちゃんが
転んで倒れていました。ビリじゃなくなるかもしれないとうれしくなったのに
起き上がって僕を追い抜きました。だから、今年も僕は学校で一番ビリでした。
最後の一人になった僕がゴールして、マラソン大会は終了しました。
学校の1位は、二組のリーダーで我らが君主の斎藤さんです。ビリの僕には
足の速い人たちのことは分からないけど、斎藤さんは「スタート前に一組の
望月君が斎藤さんが1位になるって言ったんだけど、本当になったんだよ。
びっくりしたなぁ」と言っていました。僕はすごく頑張ったからだと思います。
自分じゃなくても同じ二組の人なので、とてもうれしい気持ちになりました。
喉や胸が苦しかったけど、ほめてあげました。心も体もいっぱいガマンしたので
お昼の唐揚げと筋子の入ったおむすびがとてもおいしかったです。
寄宿舎で勉強してる人たちは、大きな鍋の豚汁とか色々なご馳走を食べていて
通学生の僕たちも一緒にごちそうになりました。
寄宿舎の寮母をしてる陽春君のママが作る食事は、どれも最高においしいです。
白い組立式テントの片隅に一組の望月君がいて、シクシク泣いていました。
一番のビリは僕なのに何でか不思議だなぁと思いました。望月君はマラソン大会で
走っていません。校長先生の許可をもらっての不参加だから羨ましいです。
診療所のマエダ先生が望月君に優しい言葉をかけてあげていました。
泣きじゃくる望月君の頭を撫でてあげていました。
◆本翡翠の鼬の深層心理的独白.
『宝石の人』となっても
病人は病人、盲人は盲人
舌を引き抜かれた宦官は
舌を引き抜かれた宦官…。
あの時の…いや、あの少女の名前は口にはしない。
絶望を胸いっぱいに湛えた表情、冷めきった瞳は
相当な年月を経た今も、忘れられないで…いる…。
綴る文字だけが思いを伝える。こんな僕が教師なんて勤まる筈もなかった。
言葉を発することができないのだから何の愛情も示せない。応えられない。
だから、そのことに不満を募らせたあの娘は
狂って歪んだ形の愛情を僕に向けて、伝えた。
この歪んで拗けた世界では、おそらく
病人は平癒し、盲人は光を取り戻し
そして…舌を抜かれた宦官は…。
他にも元の仲間はいると心得ているが
僕は独り、この姓名、この心、この身体で
思うままに生きようと、彼の奥底で考えている。
◆愛する妻のために服役中です. 小林喜一
「服役」といった形容は間違っているのかもしれません。
この世界には「刑務所」という施設は存在しませんから。
しかし、現在は誰の目から見ても「老婆」のようにしか見えぬ
私の妻にかけられた目晦ましの魔法のような「何か」が解けて
元通りの姿に戻るのは、学校の生徒たちが十年間の学校生活を
終えた後となるらしいのです。学校側との約束になっています。
私がこの村に新設された学校へ教師として赴任するよう依頼された
手紙が届いた、その夜更け、真夜中一時半のことでした。
妻の姿が私の目の前で…変わり果てました…。
仕度金や卒業後にも多額を用意すると、その手紙に綴られておりました。
複雑な心境ではありますが受け取りました。生活に必要なものですから。
信じていいのか分かりませんが医者や祈祷師に頼る案件とも思えません。
窮状を訴えようにも、学校長の姿を滅多に見かけることもないのです。
給金だけは毎月きちんと多少の贅沢が出来るくらいに頂戴しております。
でも、このような姿でいなければならない私の妻のことを考えると…。
時には泣いて耐えて、二人で堪えて、村では「母と息子」として誤魔化し
そうやって教師の職に就いてる者も「いる」ことを…分かってください…。
◆のっぺらぼう. 森魚慶
私の夢の中ではよく見かける存在、怖いと思いません。
私が先日見た夢では外食店舗の店員となっていました。
エプロンを着けて客からの注文の品を作っている最中。
若い男性の姿をした名無しの彼は、のっぺらぼうさん。
私の知る彼は鼻の隆起は確認できます。目と口がないだけです。
視線を誰に向けることもせず、余計な口を挟まずにいてくれる
彼が持つ心の優しさを表す、のっぺらぼうなのだと思われます。
夢の中を彷徨う私は一人で街を歩いて喫茶店のような店に入り
空腹感もありませんが真っ白で何も書かれてないメニューから
本日のランチを選んで注文したみたい。のっぺらぼうの店員が
手際よく調理を進めていく様子を無言で眺めていたと思います。
色鮮やかなランチプレートに盛りつけられた私が注文した品を
食べることもせずに見つめていたと思います。食事ができない。
口の中に舌と歯があると確認できても…口が開けられません…。
急いで代金を支払わなくちゃと、ポケットから財布を出したら
全て真っ白な紙幣…。それをカウンターの上にばら撒きました。
呼吸するための鼻しかない名無し店員さんが受け取ってくれて
私は店から逃げ出した気がします。私の夢に会話はありません。
それなのに喧騒のざわめきを感じ取って、うるさいと思います。
歩き続けて疲れても休む場所を見つけられず目を覚ますのです。
毎日疲れて嫌になって眠っても夢の世界にも私の安らぐ場所を
見つけられません。彷徨うだけです。間違いなく、私は名無し。
また夢を見たと思います。待ち合わせ。友達が現れた気がして
テーブルの向かいに友達が来たと思うのですが笑顔は作れない。
目を向けられない、言葉が交わせない、目と口のないバケモノ。
視えない空気、友達の彼女が…いる…のに心だけの透明な空気。
鏡の向こう…のっぺらぼうと呼ばれるバケモノ…私に違いない。
呼吸を許されるだけ、無駄口と視線を許されない私はバケモノ。
逃げ出したいだけ…休める場所を求めて彷徨っても…名無し…。