表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

村の寄宿舎付学校の生徒たちのこと

◆村の寄宿舎付学校の生徒たちのこと. 三上操


あくまでも、もしかしたらの話なんですけど…。


世界は存在する全ての生命の数だけあるのではないかと、小さい頃から

自分では思っていました。あくまでも「思っている」というだけなので

空想の域を出ない話となります。世界は無限、命や星の数と同じだけ…。


明確な…数学の証明みたいな記述で鮮やかに言い表すことはできませんが

私、三上操という一人の平凡な人間が見たこと、聞いたこと、感じたこと

出来る限り素直になって私の中に生じた想いを綴ってみたいと思ったから

上手い表現が難しいですが傷ついた箇所から溢れて流れ落ちる血のように

汚らわしく受け取られるかもしれないのを覚悟して、心を晒し台に載せて

この歪んで拗けた『私の存在する世界』について書き綴りたいと思います。


北の方にある山あいの小さな集落に寄宿生も受け入れてくれる学校が

その春ようやく完成したということで、当時ちょうど五歳だった私は

自分のお祖父ちゃんと思っていた年配の男性に連れられて来たのです。


おそらく、きちんとした謂れのある地名があるのに違いないでしょうが

みんなが『村』と呼んでいましたので、私もそう表記しようと思います。


暦では四月の下旬。この村では、ようやく桜の花が開花し始める頃です。

この年は開花が早かったのか入学の日は既にほぼ満開で咲いていました。


生まれて初めて、長い時間かけて自動車に乗せられてやってきた所為か

降りた途端に今まで我慢していた吐き気がぶり返し、朝に食べたものを

地面にぶち撒けてしまいました。そのときの気持ち悪さと恥ずかしさは

現在でも結構はっきりと思い出せます。不快なニオイまで再現させて…。


私は、ちょっとゆったりしたデザインの濃紺のセーラー服を着せられて

膝が隠れる丈の同色のズボンを穿かされてます。その裾から微かに覗く

ワンポイント付きの白い靴下を穿かされていました。制服に合ったもの。

お店で選んだりした覚えがないので、誰かが用意したものだと思います。

黒と白で組み合わせた配色のウィングチップの靴を履かされていました。

胸には濃いめの青いスカーフを結んでいました。後で群青色と知った色。


入学当日の朝、枕元に置かれていた私が初めて身に着ける物ばかりでした。

似合うか似合わないか関係なく、うれしかった気持ちは確かにありました。


手には内履き用の白い運動靴を入れた猫柄の生成り色した巾着袋一つだけ。

念のためにでしょう。誰かが中に筆箱と自由帳を入れてくれてます。

ズボンのポケット左右にはハンカチとポケットティッシュ。

私は寄宿舎生になるので通学鞄は不要となります。


今になって考えてみるとランドセルみたいな鞄を背負ってみたかったけど

その他の荷物は既に寄宿舎へ届けられてたので自室へ行けばいいだけです。


学校の前庭には、もう何人かの私と同じ制服を着て同じような背格好した

子ども達、そのご両親や祖父母かと窺える保護者の方々が立っていました。


その中に紅いスカーフを結んで頭に白い包帯を巻いていた子がいました。

制帽はなかったので、どうしても頭の白が印象に残ってしまったのです。

包帯頭君の左手をしっかり強く握ってた彼のお父さんかと思われる方が

なんとなく申し訳なさそうな感じの目をしてらしたような気がしました。


見てて少し経ったら包帯の子は「あー、見つけた!」と大きな声を上げて

驚いた表情の父親から手を振り解くと、性別や何歳なのか見た目だけでは

判断できない姿の人物に連れてこられた彼より大柄で同じ紅いスカーフの

男の子へ向かって一足で飛び付くような凄い勢いで駆け寄って行きました。


私がしてたのとは違う色だったから変だと思って、改めて周りを見回すと

他にも違う緑色のスカーフを結んだ子がいたし、私と同じ色の子もいて…。

どうせだったら赤の方が良かったなぁ。なんで私は青い色なんだろう?と

黙って考えてました。そのとき泣き声が聞こえたので、そちらを向いたら

母親らしき女性の手をしっかり握って空でも見るように少しだけ顔を傾け

立ったままで大声を上げて涙を流している目立つ作りの銀縁眼鏡をかけた

紅いスカーフの子を見つけました。色白の肌で、ほっそりとした容貌の…。


殆どの入学生は、お人形さんみたいな印象を受ける類の子ばかりでしたが

その子は中でも一番透明な感じでした。色素が薄いという印象でしょうか。

母親らしき女性は彼の眼鏡を外し、ハンカチで涙を押さえてあげてました。

眼鏡をかけてる子どもは彼だけでしたので、それでよく憶えているのです。


その後、集まった三十人くらいの子どもがスカーフの色別に分かれました。


青いスカーフを着けた子ども達は三組です。一組は赤、二組は緑になります。


私を遠く離れた村の学校まで連れてきてくれた年配の男性。お祖父ちゃん…。

正確には私を産んだ女性の父親にあたる人物は既に姿を消してしまっていて

青いスカーフの子ども達の中で「あれ?もしかしたら、この中で女の子って

私だけなのかな?」ということに気づいてしまいました。女の子は、私だけ?


集められた子ども達はそのとき全部で二十九名、一組と三組は計十名。

当初二組は生徒数が九名でしたが一年生の冬期休暇明けに鯨井信君が

中途編入という形で加わったので、全校生徒が計三十名になりました。


当時の私はこれからどうなるか先の視えない激しい不安感に苛まされて

今日初めて出逢う人たちばかりの中、たった一人でいなければならない

気分が悪くなる緊張感しか憶えてません。実際、吐き気がしていました。


そのとき私の他にも似た気持ちでいた生徒が存在したというのを知るには

この日この瞬間から、二十年以上も…長い年月を経てのことでしたから…。


特に私と同じ寄宿生となる子ども達は、殆どそんな心境でいたそうです。


まだ真新しい木の匂いがする建物に入りました。二階建て木造校舎です。

昇降口で、平仮名で書かれた自分の名前を見つけて靴を履き替えてから

誰だったか思い出せませんが、大人の女性から階段を上るよう促されて

このとき初めて子ども達だけで横に五列並べられた席が前後に二つある

全部で十席の小さな教室に入りました。三十人なら一つの教室に集めて

授業していいような気もします。三つに分ける必要あったのでしょうか?


教室前の廊下には事務的な灰色の個人用ロッカーも備え付けられています。

体操着等の手荷物や寄宿舎生には郵便受け代わりの役割も果たすものです。


机の上には、真新しい教科書が積み重ねられていました。

手に取って広げてみたい、読みたい気持ちは当然あったけど

新築のニオイが受け付けず、ますます気分が悪くなってきました。


私は未だに車酔いの続きを味わっているようでした。…気持ち悪い…。


保護者の皆様方は子ども達と別れて、講堂で色々と長いお話を聞くことに

なっていたらしいです。私の元保護者はその説明等を聞かずに帰りました。


この日は『入学式』という、お目出度い祝賀の日なんかじゃありません。

ある意味では、静かな淡々とした『懲役十年』という生徒たち

いいえ、受刑者たちが『学校』という偽られた名称の

『刑務所』へ入所する日だったのでした。


机の上には名前などの目印が何もなかったので、みんな迷っていましたが

以前からの知り合い同士みたいな生徒たちから少しずつ席を埋めていって

どこの席に着いていいのか迷っていた私の肩に手を置いて前列中央の席に

促してくれたのは…このクラスの中で一番体が大きいと思った子でした…。


空いてた私の右隣りの席には、その子が座るとばかり思っていたのですが

気づいたら、当然かのように私と同じくらいの背丈の子が座っていました。

大人の人…担任の先生が教室を訪れるまでの数分間、前からの友達同士か

地元の友達なのか何人かお喋りしている子もいましたが、隣りの席の子は

私の方に顔を向けることなどなく、後ろの廊下側から並んだ二席の二人と

更に前列右端の席に着いた教室の中で比較した中では少しぽっちゃりした

身体つきの子と四人グループみたいな雰囲気で親しげに会話していました。

会話の内容から察するところで、この四人が近しい身内のような関係だと

私にも判断つきました。誰も話しかけてくれないし、何だか窓を見たくて

窓際に顔を向けたら左側の二席に座っていた二人がお互い席をくっ付けて

とても仲良さそうに他愛ないお喋りをしてました。お父さん、お母さん…。

家族の話をしてるようでした。仲良さそう、楽しそうな空気を感じました。


前列では、真ん中の席に座った私だけ…ぽつん…となった状態でした。

その後の人生も似たようなものでしたから鍛えられて良かったのかも。


窓際後部の席では、さっき私に席を指して親切にしてくれた子が

「こくご」の教科書を広げ、おとなしく見入っている様子でした。


私もすぐ黒板の方へ向き直して状況が変わるのを待つことにしましたが

ずっと気持ちが悪くて仕方なくって、全部の教科書を机の中に仕舞って

私の机に上半身を伏せて休んでいました。懸命に吐き気を堪えてました。


そしたら、突然ちょっと変な声で童謡を歌い出した子がいて

教室にいた他の子たちも思わず注目して顔を向けたと思います。

顔を伏せて休んでた私も顔を上げて、そちらを見てしまいました。

大声で歌ってるのは前列、私の左側の一番窓際に座ってた子でした。


彼の名前は、この三組で一番の問題児的存在となる森魚脩。

私の左隣りの席で引き攣った表情で懸命に制止してるのは

彼の双子の兄、森魚慶です。無言で弟の歌を止めています。


双子と説明しましたが、そのときの私は友達か何かだと思っていました。

それくらい二人の顔立ちや髪の毛の色合いは明らかに違っていたのです。

後に親しい間柄みたくなってしまった兄の慶から聞いて知ったのですが

この二人は二卵性双生児だそうで、二人の血液型も違うとのことでした。

止めても歌い続ける弟と周りから向けられる視線に怯えたのでしょうか。

慶は下を向いて…右の人差し指の真ん中辺りを噛んでいました。強く…。



「五月蠅い、黙れ。下手な歌、聴かすな! 次歌ったら、その口塞ぐ!」



今思い返してみると親しそうに話し合っていた私の右側にいた四人組の

誰か一人が言い放ったような気がしたんですけど、誰の発言でしょうか?

はっきり言って、その四人の誰が喋ったって違和感がない台詞なのです。


浅井壱琉、浅井彰太、夏目翼、夏目宙。この村や隣り街では名の知られた

たった一言で伝えれば…とても裕福である…浅井一族の四人の生徒たち…。


しかし、その発言の後すぐに私たち三組の担任教師となる

まだ二十代前半くらいの見た目の若い男性が入って来たので

結局、私の疑問は…そのときは有耶無耶になってしまいました。


『これから、この糞ガキどもの世話しなきゃなんねえのか。メンドクセー』


小さな私が見ても心の中の台詞が読み取れる不平不満を露わにした表情は

この先十年間、見飽きるほど見慣れることになります。本当にイヤだった。

とはいえ、入学初日なのですから緊張感でいっぱいの子ども達に配慮した

少しは優しい声をかけるのが大人として当然ではないかと思っていたので

本当に驚きました。いえ、正確には言葉に出してはいませんけど。でも…。



「え~!」「うっそだ~!」「おんなのひとでしょ~?」



隣りの教室、二組の方から生徒たちのどよめく声が聞こえてきました。

みんなも思わず二組からの声に気を取られたら不機嫌顔の担任教師が

「みんな前を向いて。まずはイチルから挨拶」

「はい」

私の右隣りの席の子が機敏に立ち上がりました。

いきなり…生徒の名前を呼び捨てした…ということは

この子は担任教師とは元から知り合いか何かなのでしょうか?

何の戸惑いも感じさせず、教壇に立ったかと思うと白いチョークで



浅井 壱琉



黒板の中央下側にカツカツ音を立てて書きながら

「僕の名前は、あさい、いちる、です。

本日から卒業まで三組級長を務めます。

皆さん、どうぞ宜しくお願い致します」

黒板から振り向いて私たち同級生に一礼しました。


平仮名、片仮名、数字などをまだきちんと覚えきれてなかった私には

全く読めない文字ばかりで、何が「あさい」で何が「いちる」なのか

黒板を見つめたまま悩んでいました。壱琉もみんなと同じ歳の筈でも

しっかりした挨拶ができて…大人びているというか…なんというか…。

今になって思い返してみると不思議だし、奇妙な気がしてなりません。

村の学校に入学する前から自宅で難しい勉強をしていたのでしょうか?


「よろしく、チルチル~!」


両手を振り上げながら、そう言ったのは前列窓際の席の森魚脩です。

さっき歌声を聴いたばかりでも彼の少し鼻にかかった個性的な声は

いちいち窓側を見直さなくても三組の全員は覚えてしまった筈です。

しかし、それまで無表情だった壱琉が「チルチル」と耳にした瞬間

静かな怒気を含んだものへと変化を遂げました。脩を睨んでいます。


「初めてだから今だけは許してあげますが、次に僕のことを

チルチル呼ばわりしたヤツは、誰であろうとぶっころします。

皆さん、よーく覚えておいてください。コレ、最重要です!」


誰かが小さい驚きの声をあげましたが、私がチラッと後ろを見たとき

壱琉と一緒に会話していた全員揃って、それが当然であるという顔で

澄ましていたことを私は忘れられません。それが浅井一族の表情です。


「あっちょんぶりけつぅ~~!」


返事のつもりか意味不明で五月蠅い鼻声が左から聞こえてきました。

どうやら脩の方は気にしてない様子であるのが私にも分かりました。

だけど、私はすごく…物凄く…今すぐにでも今まで暮らしてた家に

帰りたい。そう思いました。帰りたいけれど、すぐ思い直しました。


だって、私はもう二度とその家には帰ることができないのですから。


「もうこれっきりだ。縁切りだ。やっと厄介払い出来た」と

学校へ向かう途中の車の中で、くどくど言われていたのです。

だから、私は生まれて初めての車窓の景色を愉しむことなど

出来なくなってしまい、ずっと黙って俯いて座っていたので

おそらく、その所為で車酔いしたんじゃないかと思うのです。

ついでに元から「私の家」だと思い込んで暮らしてた建物は

決して居心地のいい場所ではなかったことも思い出しました。


学校へ着いたときにお腹の中のものは全部出してしまっていた。

そう思っていたのに何だか再び胸が気持ち悪くなってしまって

折角の真新しい私の机なのに、お腹の中から出てきた吐瀉物で

汚してしまったのです。そのまま椅子から転げ落ちてしまった

私は気を失ったみたいです…。目を覚ましたのは寄宿舎の自室

といっても私だけの部屋じゃなく、三組で一番初めに挨拶した

浅井壱琉という三組級長の生徒と同室なのだと聞かされました。


そういったことを教えてくれたのは私を運んで休ませてくれた

寮母さんです。二組にいる生徒のお母さんだと話していました。

二組は緑色のスカーフなので、一組は紅いスカーフになります。

朝に見かけた頭に包帯を巻いてた子は一組の生徒となる訳です。


寝込んだ私は制服とか勝手に脱がされたようで家からまとめて

送られてきた寝間着に着替えさせられていました。検温したら

私に熱があったので、念のため同室の壱琉への感染を予防して

壱琉は親戚である村の浅井家の屋敷に泊まらせるのだそうです。


ついでに書いておくと村の浅井の分家は三組の浅井彰太と

卒業まで三組の担任を務めた浅井草太の実家でもあります。

名前の響きが似ていて紛らわしい上に生徒の彰太が叔父で

教師の草太が歳上の甥だと後に知りました。複雑な大家族。


寮母さんに食事を運んでもらったりした後、その晩は生まれて初めて

自室で一人きり眠ることになりました。寝支度しに洗面所へ行ったら

級長の浅井壱琉と話していた親戚だという他の二人がいてイヤでした。

一人は夏目翼、もう一人は夏目宙。聞き慣れない標準語で話す二人は

従兄弟なんだそうです。翼の母親が浅井家の生まれという理由だけで

都会でも威張ってるみたい。生徒から「女帝」と陰口されていました。

二人共長身で昔の雑誌で見るアイドルと呼ばれた人みたいに容姿だけ

格好良いとは思います。けれども、こいつらのことは私の御終いまで

大嫌いだったので、なるべく頭の中にも思い浮かべたい気がしません。

このときも顔を見るなり「ゲロ吐き~」とか大声で言われましたから。


私が個室を利用したので耳に痛いことも言われました。大体にして

学校の虐めは「夏目の二匹」が暗躍してる所為だとしか思えません。


クラスの殆ど、というか身内の筈の浅井彰太に草太だって席を外すと

ボロカスに言われていました。確かに担任の草太先生は悪口言われて

当然だったけど、副級長にさせられた彰太君は可哀想な気がしました。

三組級長の浅井壱琉は浅井本家の次期当主みたいな特別な存在だから

少しは気を遣ってはいるんだろうなといった雰囲気は感じ取れたけど

本当のところはどうだったのか…私はべつに知りたくもありません…。


この学校だけではなく、村自体も暗闇に隠された不可解なところだらけ。

もしかしたら、あらゆる点で駄目だったんじゃないかと評価したい気分。


三組もそうです。まず一番目に担任の先生である筈の草太が授業を

教えてくれることが滅多にありません…。大体にして身内ばかりが

固まっていて依怙贔屓が罷り通っているのです。街の浅井家が一番。

村の浅井家は二番になるみたいです。それでも常に特別な立ち位置。

四月と十月に催される学習発表会で高評価を得なければいけません。


私は後になって二組の副級長さんから話を聞いて知ったのですが

他のクラスの級長は、級長や副級長になりたい生徒が立候補して

クラス内で投票するといった手順を踏んで決まったのだそうです。

いつ頃からだったのか詳しくは思い出せませんが、級長の壱琉が

壱君(いっくん)センセとなって、始業時間から教壇に立って三組のみんなに

勉強を教えてくれました。それだけは本当に偉かったと思います。

私も三組の生徒の一人として、三組級長に心から感謝しています。


そういえば、クラスのみんなのきちんとした自己紹介がなかったですね。


入学の日、途中で倒れたから私は最後まで生徒たちの前で

きちんとした「自己紹介」をしたことはありませんでした。

それと私は途中まで、たった一人だけ『女子』だったので

三組では卒業するまで誰とも特に親しくしてませんでした。

このことだけは嘘じゃありません。どうか信じてください。


とりあえず改めて三組の生徒の名前とか紹介可能な特徴など

(三上操からの視点なのでお役に立てないかもしれませんが)

簡単に記しておこうと思います。遠く離れて振り返ってみた

九名の同級生です。学校時代とは多少異なる印象となります。








◆村の学校 三組教師と生徒の紹介


担任教師:浅井草太(あさい そうた)

私たちが当時五~六歳くらいで入学した当時は二十一歳だったみたいです。

みんなが七年生になった秋、二組の六年生のときに山中で遺体が見つかった

二名の生徒の一人、高橋虎鉄(たかはし こてつ)君のお姉さんと結婚しました。

この村や徒歩だと約二時間くらいのところにある街でも「浅井家」という

一族は現在の世の中では大金持ちの家だからお仕事とか色々な面でお世話に

なっている人が多いらしいので多少周囲に不遜な態度をとってしまっても

構わないと考えている人が多いのではないかという気がします。

私たちの卒業後に奥さんと村を出て、どこか遠く離れた街に引っ越して

ひっそりと仲良く暮らしているらしいです。…あくまでも伝聞ですが…。


級長:浅井壱琉(あさい いちる)

三組の級長、壱君センセです。担任で親戚の浅井草太が余りにも

いい加減な教師だったので、六年生の頃から三組の殆どの授業は

彼が受け持っていました。そんな馬鹿な…と思われるような話が

通用するのも今の世の中が変わってしまったからです。法律とか警察とか

いうものを成立させられる世界がもう失われたのですから仕方ありません。

昔は義務教育といったシステムがあったのでしょうが、今の世界では学歴は

単なる自己探求心を満たすための自己満足的なものになってしまっているため

街やもっと遠い中央の方に暮らす子ども達も大半は親から読み書き計算など

習う程度みたいです。つまり、私たちが十年間頑張って勉強したところで

結局は「何の意味もない」と言っていいような感じなのです。

実際に私がこの学校を卒業後どういう状況に陥ったか御存知になりましたら

多少ご理解頂けるかと…。ごめんなさい。ちょっと話が逸れてしまいました。

壱琉はクラスの平均身長が高いため決して背が低いわけではないのに

最終的には三組で一番背の低い人になってしまいます。私は六年生のとき

彼の身長を追い越したのですが、彼に悪い気がしたのでずっと最後まで

同じ身長ということにしていました。この学校では身体測定とかいう

面倒くさいこともありませんでしたから。寄宿舎の同室の人で八年生の夏まで

私が女性だという事実を全く知らなかったみたいです。それだけ彼は私という

存在に興味関心が薄かったのです。寄宿舎の自室ではいつも明日の授業の

準備に追われていた努力家でもありました。

この学校では半年に一度、春と秋に来賓と呼ばれる方々やご父兄の皆様が

いらっしゃるので私たちは歌やダンス、演劇、演芸…みたいなことを

披露しなければなりません。『学習発表会』と呼ばれる行事です。

壱琉は劇の演技の舞台監督みたいなことや脚本だって書いていたから

本当に大変で、よく投げ出さないで頑張ってたと思います。そこは偉いです。

太宰治の作品を何度か舞台にしました。七年生の秋に壱琉が一人舞台に立って

「斜陽」という作品内の「直治の遺書」の部分の暗誦をしたときはすごいなぁ

と思いました。講堂のステージの上、仄暗いオレンジ色の照明の下で今にも

泣き出しそうでいて淡々と突き放しているような調子で語りかける姿は

私が壱琉を思い浮かべるとき、いつも最初に出てくるものとなりました。

一度どうして三組では太宰作品を多くやるのか訊いてみたら、この村が

元は青森県と呼ばれた地域にあるから来賓の方々に少しでも好印象を

与えるためだと話していましたが、きっと純粋に大好きなんだと思います。

八年生の秋に森魚慶が主役の魚容を演じた「竹青」という小説の演劇では

私が呉王様にお仕えする神女の竹青の役をやりました。

自分でいうのも何なのですが、来賓の皆様方の評価が高い作品になった

とても良い思い出です。

ただ、その代わりというか…運動神経が…ちょっとアレな人なんです。

はっきり言っちゃえば物凄く足が遅くて、マット運動の後転さえまともに

出来ない人なのにはただただ吃驚しました。でも、学校では誰も彼をバカにする

生徒はいません…。それから家は大金持ちの筈なのに一時期すごくボロボロに

なった靴を買い換えずに履き続けていたことがあります。正直言って箸使いも

変です。ばってん使いになっています。だから、おむすびや菓子パンみたいな

お箸の要らない食事を好んで食べるタイプでした。忙しくて色々な余裕が

なかっただけかもしれませんが…。寄宿舎の中では二組の谷地敦彦(やち あつひこ)君という

男子と特に仲が良かったように思います。イッチとヤッチとお互い呼び合って

娯楽室で囲碁とかして向き合っていました。盤面で競うゲームが好きみたいです。


副級長:浅井彰太(あさい しょうた)

浅井壱琉の親戚で担任の草太の歳下の叔父にあたる人。私は決して

彼が太っているとは思わないけど、三組の人は兎に角みんな基本的に

痩せ型ばかりなので、彰太君くらいでもデブ呼ばわりする人がいて

嫌になります。ごめんなさい。つい私も言い返しで彼にデブと

言ってしまったことがありました。顔がちょっと丸い感じなので

損するんだと思います。口を開くと大きめの門歯が目立つ容貌ですが

何だか寄宿舎の娯楽室に並んである漫画のパタリロ殿下に似ています。

表立って言われませんが、彼の渾名は「パタ」です。それでも基本的に

みんなから「彰太君」と呼ばれています。彼は腹話術のできる人みたいです。

学習発表会で一度だけですが、大きな灰色のうさぎのぬいぐるみを

使って披露したのを覚えています。書道の文字も達筆です。

いつの頃からか腰に縄をつけて歩くようになっていて「捕縛」が

特技の一つに加わっていました。教室は二階にあるのですが

窓からスルスル~っと縄を伝って下りるのが得意になってました。

そのときばかりはちょっと格好良かったです。

一人ワンダーフォーゲル部だとか言われていました。

可哀想だと思うのは幼い頃の彰太君の過失で失明してしまった

美琴(みこと)さんという妹がいること。いつも心の何処かで自分のことを

ひどく責めているように感じてなりませんでした。卒業後は街へ出て

自活していたらしいので成人後再び村で暮らすようになった私とは殆ど

接点はなくなってしまったのですが、もしかしたら腹話術は妹さんのために

習得したのではないかと思っています。

森魚脩が他のクラスにまで出張ってイジメやケンカ騒ぎなどの

いざこざを引き起こすので、七年生になったとき級長の壱琉が彰太君に

見張りとして、いつも脩の側にいるよう「特別任務」を与えたのだそうです。

多少のいざこざはあったものの、それから卒業まで彰太君と脩の二人は

割と仲が良かったように見えました。放課後には街まで出かけて遊んだり

甘いものを食べたりしてるみたいでした。私もそういったことのできる

普通の女の子の友達がほしかったから、彼を心の底から羨ましく思います。


夏目翼(なつめ つばさ)

翼と宙は遠く離れた中央から、わざわざ村まで勉強しに来た人です。

容姿は悪くないです。学校の図書室や寄宿舎の娯楽室に置かれている

昔の雑誌に出てくる芸能人みたいな感じだと思ってくださって結構です。

武術の授業では組一番の実力者といえるかもしれません。それだけに

三組の他の男子たちは面倒な思いをしていました。彼の母親である半年に

一度くらいの間隔で学校を訪れる来賓の一人である「女帝」も見た目は

お洒落で美人な女優さんみたいですし、彼女にだって多少のいいところは

あるのかもしれませんが、一度たりとも私の耳には女帝が誰かを心から

本気で褒めているのを聞いたことがありません。基本的に幾らか褒めても

すぐ次の言葉はダメ出しです。この人が来なければ学習発表会も少しは気が

楽になるのですが…。同い年の従弟の宙と常に行動を共にしていました。

そういえば、確か五年生の頃から二組の生徒、高橋虎鉄のお姉さんのことが

好きなんだと周囲に知れわたることになります。結局そのお姉さんは

親戚でもある担任教師に奪われてしまいましたが。

校内での彼の渾名は「翼キュン」「ツバ」です。

私がそう呼ぶことは一度たりともありませんでしたけど。

学習発表会では演武の型を披露することが多かった記憶がありますが

女帝を喜ばせるためかニューミュージックやフォークソング、演歌にも

挑戦していました。十年生の夏を過ぎてから剃髪した頭になって

威張り散らすこともイジメも一切やめて、地味で控えめな生徒に

生まれ変わってしまいました。それでも、うちのクラスでは…たぶん宙以外

みんな彼に対して苦手意識を持っていたか、嫌っていたのではないかと

思います。本当にごめんなさい。私も嫌っていたから…。


夏目宙(なつめ そら)

軟体生物タコ宙姐(ちゅーねえ)さんと呼ばれている優れた身体の柔軟性が

寄宿舎生に知れ渡っている人。浅井壱琉曰く「タコ宙、きっしょきもい」

とのことです。長身なのでアレかもですが女性だと主張しても騙せそうな

容貌の人なのは誰の目から見ても明らかなのではないでしょうか。

髪を肩位まで伸ばして大抵の場合ハーフアップにしてた人。美形なのに

寄宿舎のゴミ箱のそばに立って鼻をほじって乾いたものを捨てているので

最初の頃は吃驚しました。そのうちゴミ箱が置かれた壁に

「鼻くそのパラパラ禁止!!」と張り紙されましたが完全無視です。

誰の前でも平気でほじっているので、もう…そういう人なんだと思います。

何年か学校生活を共にして何となく分かったことですが、彼は翼の母親である

「女帝」が物凄く大嫌いなのではないかという気がしました。

付け加えておくと、彼も書道が得意な人です。三組生徒の嗜みとして

当然なのかもしれません。三組には悪筆な生徒はいません。

入学時から三組全員で練習してきましたから。

この人の一番嫌な性質は壱琉や翼に色々と教唆して、クラス内を

イジメの方向へ向かわせようと考えていたところです。誰かが

悪いことをしているのを安全な場所から眺めて愉しもうという魂胆があって

学校の生徒で唯一の喫煙者である一組の村元黎君を禁煙させるどころか喜んで

喫煙を勧めていました。ちなみに村元君の家は葉煙草農家なのだそうです。

村元君はヘビースモーカーというのではないようですけど

「うちが生産した商品を試してみて何が悪い」と五年生くらいから

さすがに校内では喫いませんが、一人して外などで喫っているみたいです。

性格自体はちっとも意地悪な人ではなかったので、あまり周囲から非難ばかり

されるのも気の毒な感じもしますけれど、やっぱり自分の身体のことは

気遣ってほしいと思います。

それから寄宿舎内では二組の林原晃司(はやしばら こうじ)君を顔のことなどで

入学時から執拗に虐めていました。あるとき林原君がずぶ濡れになって

歩いていたので、さすがにどうしたのか気になって訊いたらトイレの個室に

居たときバケツで水をかけられたと言ってましたので犯人は宙に決まってます。

そんな彼も同じく十年生の夏季休暇後、従兄の翼と一緒にクラス内では

おとなしい感じの生徒となりました。

悪い性根を持つ人間が悪いことをしようと思えばもう幾らでも

出来てしまうのかもしれない歪んで捻じれて壊れてしまって

その挙句に沢山の尊いものたちが失われてしまった今のこの世の中で

自分の心にある善意や正義感とか倫理観とかいうようなものだけが

本当の神様のいらっしゃる神殿なのではないかと思います。

寄宿舎生の間においては面白くて笑わせてくれる人であるため

一組の竜崎順(りゅうざき じゅん)君、学校に入学した日からしばらく頭に包帯を

巻いていた生徒なのですが、彼からは相当気に入られているというか

お互いの部屋を自由に行き来している「心の友」であるみたいでした。

宙と竜崎君は非常に容姿は良いのに言動がお馬鹿さんで時には命懸けで

ウケ狙いに走ってしまうところがお互い魅かれあう理由なのだと思います。

竜崎君は「ギャラクティカマグナムでお蝶夫人みたいな名前で、この世界に

君臨できる僕ってと~ってもシ・ア・ワ・セ」と宣わく人です。昼休みには

一組や二組の一部生徒たちを集めて「熱血テニス部ごっこ・全員揃いも

揃って王子様だコンチクショー!」という軟式庭球同好会を楽しんでいました。

彼はネッケツ王子担当です。確かに何だか周囲の気温が上がるような

雰囲気の人であることは間違いありません。


小山内嵩(おさない たかし)

入学した日に私の肩に優しく手を置いて前の席に促してくれた

三組で一番高い身長の通学生が「(すう)ちゃん師匠(ししょう)」です。

同い年なのにいつの間にかクラス全員のお父さん的存在になっていました。

私の名前は三国志の曹操と同じ操で、嵩ちゃんはその曹操の父と同じ

名前らしいので、こんな普通で優しい心の持ち主の人が私の本当の

お父さんだったらいいのにと思っていました。

ただ、彼の容姿は…入学時の頃に比べると随分と違う感じへ

変貌してしまいました。何でも頭の中に腫瘍ができてしまったのです。

様々な伝手を頼って嵩ちゃんのご両親が医師に診せたところ、

成長ホルモン産生腺腫(※この記述は正確ではないかもしれません)の

疑いがあるのだそうです。けれども今の世の中で脳外科手術ができる

医師を捜すのもまた相当な金銭や縁というか幸運みたいなものが

必要だったみたいでした。今の世の中ではきちんとした

教育施設なんてないので医師という存在が本当に希少な人材と

なってしまいました。私だってたくさん勉強して医師の免許を

取ることができて脳神経外科医としての技術に磨きをかけた状態なら

嵩ちゃんのことを手術するなりなんなりして治してあげたかったです。

何年かしたら糖尿病という病気も併発してしまったのだそうです。

ご家族はインスリンという注射の薬剤を入手するのに

とても苦労していたみたいです。卒業後十七歳で亡くなってしまったと

後に三上仁たちから聞いて一緒にお墓参りをしました。

ちょっと許せないのは学校の中に嵩ちゃんを「大魔王閣下」とか

単に「魔王」だとか悪意を含んでコソコソ呼ぶ人たちがいたことです。

長身でがっしりしたように見えて(三組のみんなは嵩ちゃん自身の口から

自分の身体はハリボテだとよく聞かされていました)唇や頬骨やおでこが

若干目立つ容貌だったから…。嵩ちゃんは七年生くらいから学校へ

登校してくる日が目立って少なくなっていきました。ゆっくりと杖を

ついて教室に入ってきた日も体調が悪くて学校に長くいられないのか

昼食を摂ることもなく早退してしまいます。嵩ちゃんみたいにいつも

穏やかで心の優しい人が病気になって苦しむ理不尽が嫌で嫌で堪りません。

クラスの中でも森魚慶と三上仁に猫間智翔は嵩ちゃん教の信者と言っても

いいほどの崇拝者で特別なくらいの仲良しグループでした。

よく校舎隅の木陰の腰かけられそうな大きさの石がごろごろしている場所に

集まって話をしたりしていたみたいです。

一度近くを通りかかったときは嵩ちゃんの傍で三人が幼い子のような表情で

すやすや眠ってしまっていました。正直な気持ちを白状してしまえば

ちょっと気持ち悪いな…とも思いましたが。後に知ることですが

三人(慶と脩は双子なので正確には四人)とも複雑な家庭環境の人だから

(これは私も同じになります)相談したり甘えられる人が必要で

嵩ちゃんはそれに応えようと頑張っていたのだと私は信じています。

嵩ちゃんが彼らに声をかけずバラバラで孤立するような感じになったら

確実に酷いイジメの標的にされそうな感じだったので団結したのだと思います。

他には同じく長身だったからか二組の相馬達哉君という

寄宿舎生の人とも結構親しくしていたみたいです。

嵩ちゃんの隠れた趣味で特技はタロットカードというのを使った占いと

こちらはオリジナルみたいですけど、黒赤白の三つのサイコロを使った

運試しみたいな占いです。でも、私はあまり興味がなかったので占いを

お願いすることはありませんでした。一度占ってもらったとき何とかの

(すみません、忘れました)意味を示すカードの位置に悪魔のカードが出て

そのときに悪魔のカードの絵柄の意味など色々聞かせてもらったのですが

そのときの私は体調がよくなくて殆ど頭に残りませんでした。それでも

悪魔が人間を繋ぐ首輪がゆるゆるで人間がその気にさえなれば

すぐに抜け出せそうな感じの絵だったのは間違いなく覚えています。


長くなってしまったので、以下省略


…しちゃダメでしょうか。…ダメですよね。頑張って残りも書きます。

簡潔にまとめられればいいのに余計なことまで書いてしまう私の文章力の

なさからくるものであるのは十分に承知しているところですが、やっぱり

十年や或いはそれ以上関わってしまった人たちのことを説明しようとすると

他にも色々な思い出や事柄が思い浮かんできて頭の中が疲れてしまいます。

一人の人物の生涯を限られた行数で見事なほど完璧に説明することが

得意だという人なんているのでしょうか?


三上仁(みかみ じん)

親戚とかではなくて偶然に私と同じ苗字の人です。ついでに書くと

他にも一組に三上灯(みかみ ともる)という同姓の人がいますが

私はそちらとも関係ありません。(更に付け加えると三上灯君は

三年生の夏期休暇中、事故に遭ったのか詳しくは知らないけど全く耳が

聞こえず喋れなくなってしまったそうで手話や筆談でコミュニケーションを

とる必要のある人です。一組の担任教師や生徒は簡単な手話ができます)

三上仁は浅井壱琉の同い年の異母兄にあたる人です。

彼の口から聞いたのではありません。浅井壱琉、彰太、草太、夏目翼に宙も

繋がりのある人たちはみんな小さな頃から、その事実を知っていたみたいです。

私や他の人もごく自然にそういう情報を得ていた感じがします。

私にはあまり関係のない話ではないかと思うので誰かに分かるようには

説明しづらいです。

仁はお母さんと二人で暮らしていて、お母さんは他の家の洗濯や掃除、

農作業などの手伝いをして収入を得ています。

私たちが低学年だった頃の寄宿舎生の衣類の洗濯は仁のお母さんが

請け負ってくれていました。朝から二台の洗濯機を動かし、放課後には

取り込んで畳んだ衣類を寄宿舎生の部屋まで届けてくれたのです。

高学年になってからは各自、寄宿舎一階の洗濯室で洗濯しましたけど

私たちが五年生になるまで仁のお母さんにはお世話になりました。

仁は割と自由に寄宿舎内を歩いていて、洗濯物の引き取りやお届けを

手伝っていました。非常に無口で基本的に無表情で気配を消して歩くのが

何だかちょっと得意すぎる人なんじゃないかと思います。

卒業して数年後、村で暮らす選択をした私は仁の家にご厄介になったので

例えれば義理の母ともいえる存在となります。年齢は知りませんが

本当にとてもきれいな女の人なのに、顔に火傷の跡があります。

しっかり化粧すれば消える程度だと思いますが、仁のお母さんは化粧せず

いつも火傷痕のある素顔で出歩いていました。強い人だと思います。

仁は何を考えているのか最後の最後まで全く分からない人でした。

ただ、学習発表会で落語を披露するときだけはよく通る声で

レコーダーを再生させたようにスラスラと古典落語を話していました。

学校を休んでいた私のために上手な字で丁寧にまとめられたノートを

貸してくれたことがあります。

そんな彼も嵩ちゃん師匠の特に大切な友人のひとりです。

寄宿舎内での渾名は「エムジェイ」そのまんまイニシャルですが

「アウトレイジなアニキ」とも呼ばれることがありました。

私は渾名の意味を訊ねたことはありません。


森魚慶(もりお けい)

最初は教えてもらうまで読めない苗字の人でした。双子はこの村で

生まれたとのことでしたが、ご両親はここからはずっと遠く離れた地方から

旅してきた人だと聞きました。村の空き家に住み着いてしまった感じだそうです。

卒業後から数年経ってからのことですが、ご両親からのお招きで一度だけ

自宅を訪ねたことがあります。家の周りにはきれいな花やハーブだかが

植えられていたのを思い出せます。双子の制服はお母さんの手で

お直しされているのか他の生徒たちより質のいいもののように見えました。

制服にはいつも黒白ボーダーの靴下に黒いローファーを合わせていたので

よっぽどお気に入りだったんだろうなと思って見ていました。

この学校には制帽はないのにぴったり馴染んで見える感じの帽子を被っていて

それもお母さんのお手製だというので羨ましかったです。

ちなみに脩も最初の頃はお揃いのものを被っていましたが、いつの間にか

慶だけになっていたので落とすか何かやらかしたのだと思います。

この村の外れの方に淵があるのですが、慶はそこが物凄く怖くて怖くて

絶対にどうしても近づけないというウイークポイントがあるため

夏になるとよく揶揄いというか…イジメっぽい感じの光景が

繰り広げられていたそうです。腕を掴まれ引き摺られ

大袈裟なくらい泣き叫んでまで嫌がるから…それで他の連中に

面白がられてしまうのです。浅瀬の川での水遊びや村の共同浴場には

普通に行っていたそうなので水恐怖症とかいうのではなくて

純粋にそこの場所が駄目なのでしょう。祠のようなものもあるし

実際に淵で遺体の上がった人もいるので、私だって滅多なことでは

近づきたくない場所だと思います。

弟に比べたら比較にならないくらい性格の良い人だと思います。

たとえ自分が地獄の底で藻掻いていたとしても他の誰かのために

親切にしようとするのではないかという気がして怖いくらいです。

けれどもビビりというか色々な感情を素直に表しすぎるから

舐められたりして結果的に損をしてしまうのではないでしょうか。

どちらも寄宿舎生ですけど、一組の竜崎順君からは

「ふわっふらの妖精さん」と気に入られている様子でした。

二組の林原晃司君とは「スマートさん(慶)」と「ジーさん(林原)」と

呼び合う仲みたいです。

そういえば、一人称がその時々で「僕」「俺」「私」など不安定です。

そういったところが「ふわっふらの妖精さん」なのかもしれません。

学習発表会では三上仁と猫間智翔とトリオでダンスしていたのを思い出します。

三人が並ぶと向かって左側のポジション。中央が三上仁、右が猫間智翔です。

振付を考えたり衣装を用意しているのは慶だったみたいです。

彼らのダンスは反重力って感じがして見ているうちに

人間という気がしなくなってきます。ただし、歌となると…彼の歌を

聴いた人からは「鳳凰星座の一輝の精神攻撃を受けたとき以来の衝撃だった」とか

「ファンタジー世界の吟遊詩人が歌う『呪歌』というのが何と無く

分かったような気がする」といった感想ばかり出てきます。

なんていうか聴いていると…心がざわついた気持ちになってしまうのです…。

でも、寄宿舎の娯楽室でカートゥーンアニメをよく見ている壱琉からは

「ポーキー」と見下されていました。緊張したり感情が昂ったとき

吃音が出るのもこの渾名の理由でしょう。弟の脩は「ダフィー」だそうです。


森魚脩(もりお しゅう)

入学の日からマイペース過ぎる言動を繰り返してきて、浅井一族の神経を

疲労摩耗させてきた無茶苦茶な「あっちょんぶりけつ」です。

この人が学校時代にやらかした事件は十年もあれば余りにも多すぎて

何をどう書いたらいいのか分からなくなってきてしまいます。

自分より弱いと思う部分を持っていそうな人を煽ったり甚振るのが面白くて

仕方ない性分の人なのだと思います。私が偶々目撃して覚えているのは

一組の村元黎君、二組の西谷晴一(にしや せいいち)君に絡んでいたところです。

村元君は(ハシム)という漢字からは読みづらい名前が揶揄われる原因に

なっていたみたいなのですが、周りから「ナイス!」とニヤニヤ顔で

称賛されるような方法で(書きたくない内容になるので省略します)

鮮やかに撃退したヒーローです。

「ねえ、ニシヤ~ン。よかったら僕とちょっと殺し合いしましょ~よ!」

西谷君は脩に何を言われても席を立たず徹底的に無視を決め込んでいました。

見かねた二組の級長の斎藤和眞君が「ケンカ売る相手を少しは考えた方がいいよ、

森魚の弟君(おとうとぎみ)。この作家先生、うちのクラスでは『サムライ』

『西谷無双』という別名があるくらい正直言って強い人なんだ。

世が世なら確実に『ノーベル殺人賞』を受賞可能な人だから」と口を挟んだら

ノーベル殺人賞がウケたのと間もなくして昼休み終了の鐘が鳴ったので

結局は有耶無耶に終わった感じです。

西谷君は苗字とかは変えてはいないけれど、この学校の校長先生(入学のとき

見かけたかもしれないけど全く印象に残っていません)の養子なのだそうです。

他人に絶対心を開かないと誓って生まれてきたんじゃないかと

勘繰りたくなるような人で学校でも寄宿舎でも誰とも打ち解けようとしないので

特に二組の生徒たちは大変だったみたいです。

私も決して社交的な方ではないけど、西谷君よりはマシだと思っていました。

そんなこんなで七年生になった春、級長の壱琉が脩の御目付役として彰太君を

任命したわけですが、そうなったら今度は放課後になるとしょっちゅう街の方まで

出かけて彰太君のお財布で買い食いしたりして遊んでいたみたいです。

移動はスクーターを使っていたようです。今の世の中では教習所もありませんから

免許を取得する必要もないのです。ガソリンなどといった燃料が貴重だから

基本は徒歩や自転車の人が多いですけど、森魚の家は我が子のためなら家計が

多少苦しくなっても注ぎ込むお金を惜しまないようでした。断定できませんが

しばらく一緒に行動しているうちに彰太君の弱味を握ってしまったのではないか

という雰囲気は脩の言動から見て取れました。彰太君は脩に強請られていたのでは

ないかと思います。それが原因なのでしょうか少しの間、彰太君が学校に

来なくなったこともありました。それでも脩は一人で街に出かけていたようです。

何をしていたのやら…。

あ、少しくらいは良い部分も記しておいた方がいいですね。

彼は字が結構きれいで上手でした。他にも当然達筆な人たちはいますが

学習発表会では問題なく無難に済ませたい壱琉がいつも彼に書道の作品を

提出するよう頼んでいました。それでも脩の方はピアノを演奏して

歌いたがるのです。演奏も歌も…兄と違って下手だとは思いません。

脩が好きで歌いたい曲があまり壱琉の好みじゃないから却下されるのです。

たぶん自分よりピアノが上手な脩に対するイジメだと思います。


猫間智翔(ねこま ちしょう)

村ではお父さんの方が有名人だったかもしれません。村の噂では殺し屋とか

モノ探しのプロだとか色々と無茶苦茶なキャラクター設定がされている人で

本当は何をして収入を得ているのか分からない人です。風変わりな格好で

金色に染めた長髪を靡かせ、一度目にするだけで印象に残る人でしたが

私にはごく普通の子どもに優しい父親のように思えました。一度街まで

用足しに出かける私が自転車を漕いでいたとき途中で顔を合わせたことが

あります。その際、優しい言葉をかけてもらったことを憶えています。

何故か当時五年生だった私が男子ではないことを知っていたみたいで…。

そのときは何とか頼み込んで学校の人たちには言い触らさないよう

約束してもらいました。猫間のお父さんもこの辺りよりずっと遠いところから

やって来た人らしいです。色々な出来事を経た私が一人で村に戻って来た頃には

既にお亡くなりになっていらっしゃったようで…石が置かれた簡素なお墓に

手を合わせ…ご挨拶をしました。

私には猫間智翔は「水色の目をした白猫」といった感じのする人です。

色白でたぶん学校の生徒で一番肌のきれいな人。字もきれいです。

三組の殆ど、中でも特に夏目翼と宙のことが大大大嫌いだったそうです。

頭の中では何千何万回殺したか分からないと後に聞いたことがあるので

個人的に相当な恨みがあったのだとしか思えません。ただ、九年生の秋の

運動会の練習をしていたときに、確か何故だか首謀者が彰太君でしたけど

三組の通学組の五人たち(彰太、脩、猫間、仁、慶)が反乱を起こしたみたいな

事件があって、私は訳の分からないまま右腕を慶に引っ張られて寄宿舎にいた

二組の谷地君のところへ連れて行かれたので詳しいことは何にも分かりませんが

なんでも猫間はそのとき宙と一対一での対決みたいになって鼻を潰してやったとか

笑って話していたのを覚えています。鼻血が喉に流れ込んで窒息しそうになった

宙が堪らずギブアップしたんだそうです。その思い出を語っていたときの猫間は

滅多に見ない活き活きとした表情でした。それと仲間割れなのか何なのか慶が

三上仁に蹴りを入れられて痛みが引かないので医師に診てもらったら、ろっ骨に

ヒビが入っていたそうです。元々ケンカの話や人間関係にもあまり興味がないので

適当な相槌しか打てませんでしたけど。

苗字に猫が付いている所為なのかどうだか、よく分かりませんが

嵩ちゃんの家で生まれたというキジトラ長毛鍵尻尾の雌猫を

とても大事に可愛がって引き取る時の約束だったという天寿を全うさせました。

三上仁とは母親同士が従姉妹だそうで、はとこという関係になるみたいです。

「あいつとはあくまでも身内として関わっているだけだから友達ではない」

猫間は『嵩ちゃん師匠』の名付け親だし、おそらく一番の信者みたいだから

もしかすると、嵩ちゃんだけが友達といえるのかもしれません。学習発表会で

一緒に息を合わせてダンスをする間柄の慶はどんな風に考えていたのでしょうか?


※最後は私こと三上操について記述すべきでしょうが省略させて頂きます。

 きっと、お目に通してくださった方が感じたままの姿をしている筈ですから。









◆緊急検証「インビジブルは何者なのか?」 三上操


七年生五月中旬平日放課後

一組の教室で起こった出来事を三上操の視点から綴ってみようと思います。


この頃、校内で起こった事件で印象に残ってるのは探偵ゲームをしていた

犯人役だった一組の竜崎順君が地面に着地して逃走しようと思ったらしく

寄宿舎二階廊下の突き当たりにある掃き出し窓を開け、そのまま飛び降り

右足を怪我してしまったこと。村でも学校で事件が起こったと噂された筈。


運良く落ちた地面が花壇で土が軟らかったから捻挫で済んだみたいです。

少々お馬鹿な自爆事故だと思いますが、本当に大変な事態にならなくて

良かったと内心では安堵してました。この一件から私は竜崎君のことを

「飛び降り自爆さん」と認識するようになりました。ちょっと笑えます。


村の診療所に担ぎ込まれたそうですが、彼の骨などにも大きな損傷はなく

当分の間、体育の授業は休んで安静にして過ごせば完治するとのことです。

彼が主催している昼休みのテニス同好会も会長の復帰まで休みらしいです。

同好会の会員さんである他の王子たちは、どう思っていることでしょうね。


逃走しようと足掻いた犯人役が思わず招き寄せた

自ら刑を下したような形で執行された犯罪の処罰。


今の世の中に於いては、どれだけ凄い推理力を持つ優れた探偵がいたって

捕まえた犯人を収容したり、その罪状に相応しい裁きを下す司法機関が

存在しないのです。そうなってから、もうだいぶ経つみたいですし。


いつになったら神様は歪んで拗けた世界を直してくれるというのでしょう?


本日の三組の授業が終わって、空一面に白い雲が広がってる午後の校内を

私は一人きりで、たいした意味もなく彷徨っていました。亡霊みたいに…。

当時の私は学校と寄宿舎のどこにも自分の居場所がないので適当に歩いて

一階食堂での夕食まで、ただ退屈な時間を持て余す場合が多かったのです。


少し前、一階食堂の調理場で夕食の下拵え中だった寮母の高橋さんに

「何か私に手伝うことはありませんか?」と声をかけてみたのですが

「夕食までゆっくり休んでいなさい」と優しく断られてしまいました。

私は「表向き男子生徒」なので、あまり調理場での作業に携わるのも

おかしいかもしれないといった判断も含まれているのだと思いました。


寄宿舎の娯楽室は対戦ゲームなどに夢中になっている一組と二組の常連が

居座っているようですし、自室も同室者の壱琉が忙しそうに過ごしてます。

月曜から金曜まで放課後から夕食までの時間、我らが三組の壱君センセは

明日の授業の予習したり下拵え等の準備に余念なく励んでる最中なのです。


邪魔したと思われる遺恨も買いたくないし、作業の手伝いを依頼されるのも

物凄く面倒だって思うから…僅かな専用空間がある自室にも戻りづらくて…。


三組の担任で壱琉の親戚にも相当する浅井草太が所謂「やる気なし男」で

六年生の頃から三組の殆どの授業を壱琉が受け持っていました。奇妙です。

記述を目で追い知った誰もが「そんな馬鹿な?」と思う話が通用するのも

今の世の中が歪んで拗けて奇妙な変化を遂げてしまった結果だと思います。


立法、行政、司法という三権を

成立、遂行、執行させる世界が

失われた…歪んで拗けた世界…。


その恐ろしい世界の現実を諦めて受け入れるより仕方ないのだと思います。

世界が変化を遂げる以前は義務教育と称される形態があったのでしょうが

今の世の中に於いて、学歴は探求心を満たす自己満足的な価値でしかなく

隣り街をはじめとする村から離れた集落に暮らす子ども達の大半は親族や

書物から読み書き計算といった生存するための知恵と情報を習う程度です。


要するに私たちが村の寄宿舎付学校で十年間懸命になって勉学に励んでも

何の意味もないと断言してしまって構わないような異様な構造の世界です。

結局のところ、卒業した後の私が惨めな状況に陥ってしまった訳ですから。


少し前、さり気なく娯楽室扉の窓を覗いてみたら

そこに谷地君の姿は見当たりませんでした。

彼の自室で宿題でもしているのかな?


三組の教室に居残っている者は、誰一人として居ませんでした。


まだ校外に出てない生徒は数名いるかもしれませんが、もしいるとしたら

おそらく校庭の隅の辺りにでも揃って屯しているんじゃないかと思います。


クラスの父親的存在であり、心優しい笑顔の持ち主である嵩ちゃん以外は

特に興味や関心ないので考えたくありません。私には受け入れ難いのです。


正直に言うと他のクラスに迷惑をかける連中で不浄な奴等でしかありません。


三組自体が不条理の塊。本当は女子であることを隠す私もそれに含まれます。

級長の壱琉をはじめとして、罵詈雑言、意地悪、暴力的、愚劣な人間ばかり。

学校の三組で私が心を開いて素直に会話できそうな級友は…嵩ちゃんだけ…。


私の名前は「三上操」です。物凄く気に入らなくっても私自身が名乗る字面は

自分で付けられる訳じゃないですし、ミサオなんて名前は棄てたいと思うけど

生まれてきてから十三年近く使用しているので今更改名するのも何だか面倒…。

曹操。三国志では必ず目にしなければならない主要登場人物の名前と同じです。

嵩ちゃんは、その曹操の父と同じ名前らしいので、こんな優しい心の持ち主が

本当のお父さんだったらいいのに…と思ったりもしてます。心に秘めた想い…。

学校入学の日、初めて入った三組の教室で戸惑う私を座席に導いてくれた生徒。

あの落ち着いた優しさが忘れられないでいるから心の中でだけ嵩ちゃんという

愛称で呼んでるのです。現実では、普通に「小山内君」と苗字で呼んでいます。

普段からそれほど親密でもないのです。私は三組の中では孤立無援状態なので

班活動みたいなものを作らなければならない授業は…苦痛でしかありません…。

そういった場合、いつも優しく私に声かけて誘ってくれる生徒が嵩ちゃんです。


少しの間だけ、手を差し伸べてくれ、私を孤立から護ってくれる…私だけの…。

常々感謝の気持ちを持ってはいても勇気のない私は伝えられそうにありません。


言葉、贈り物、方法はあるのかもしれません。でも、まだ何も出来ません。

嵩ちゃんには、感謝よりも先に謝罪の言葉を伝える必要があります。

自分から声をかけて会話してみたい。その気持ちだけが空回り。

本日も変わりなく孤立無援の一日。重圧。苦痛。心の嗚咽。

男子たちの仲間には加われません。そんなの無理です。

神様。天使。私が心の中だけで祈る対象、嵩ちゃん。

彼がいてくれる御蔭で三組の教室にいられます。


だけど、私には優しい嵩ちゃんも他の生徒たちの側に立てば、傲慢なルシ…。

嵩ちゃんの大きく美しい手で次々と展開されていく、タロットカード。

世界。月。悪魔。死神。吊るされた男…。節制。塔。太陽…。

彰太君を占ったとき、眼にしたカード。その意味は?


『慈愛』真心ある善良な人でも、何故か不思議と…。

『複雑』常に心の空模様が雲一面に覆われているような…。

『脅威』修行僧。何を考えているのか疑問しか持てない人です。

『悲痛』初めて姿を見たときから。心優しい人だとは思うけれども。

『拒絶』あらゆる素行が許せない!…凄まじく容姿と言動が剥離してる。

『困惑』心に残ってしまう表情です。人形たちに囲まれて不安気な表情…?


三組の級友を六名思い浮べてみると、そんな感情が湧いてきてしまいます。

私のクラスの中では割と近い間柄かもしれない。一番背の高い小山内嵩君。

嵩ちゃんは七年生の春頃から徐々に体調を崩しがちになってしまいました。

学校まで姿を見せることがなくなってしまったのです…。少し気懸りでも

ご自宅に訪ねるほど親密な間柄じゃないですし、自宅の場所も知りません。


二組には、いつも居残ってる西谷君が原稿用紙に何かをずっと書き続けて

隣りの席には、緋美佳さんが図書室から持ち出したと思われる昔の雑誌を

あまりしっかり内容を読み込もうとしてない、如何にも退屈そうな調子で

適当にパラパラとめくっている様子が出入口の引き戸の窓から見えました。

会話もなく静かに過ごしています。緋美佳さんは正式な生徒ではないため

制服は着ていない普段着の人です。三年生の夏期休暇中に行方不明となり

六年生になった夏、『山』で無惨な状態の二人の遺体が発見されたという

二組の亡き二名の一人、新山紫峻君の双子の妹となる女子なのだそうです。


二卵性双生児なら三組にもいますが、こちらは慶と脩よりも、ずっと容貌や

雰囲気がよく似ている感じがします。新山さんのお宅は紫峻君のお葬式より

ずっと前から問題があったみたいです。私は寄宿舎内で軽く雑談を交わせる

二組の谷地敦彦君から聞いて知りましたが、新山家のお父さんは何年も前に

家を出てしまっていたそうですし、お母さんも心を深く病んでしまっていて

紫峻君のお葬式の後、しばらく経ってから村の淵に遺体が上がったそうです。

その後、ごく少人数の身内だけで…慎ましく御弔いをされたみたいでした…。

緋美佳さんの下にも碧依ちゃんというとても可愛らしいお嬢さんがいたのに

現在、碧依ちゃんは街で暮らす親類のお宅に引き取られているのだそうです。

緋美佳さんは寮母さんのお手伝いをしながら生活の面倒を見てもらってます。

といっても殆どの二組の授業は紫峻君の席に着いて参加しているみたいです。

緋美佳さんは、村の『女の子軍団』のリーダーみたいな存在だったのですが

その中の一人の子が行方不明になってしまい、もう二か月ほど経過しました。

原因は『緋美佳さんにあるのではないか』といった疑いの目を向けられて…。

彼女は孤立した立場にいました。街にある親類のお宅にも馴染めないらしく

私と同じ自分の居場所のない女の子だと思うので、気になる存在なのですが

どのようにして彼女と親しくなっていいものか、私には皆目見当つきません。

見てのとおり、どうしてなのか何なのか私には理由が分からないんですけど

緋美佳さんは西谷晴一という二組の生徒だけに執着してる(?)様子なのです。

西谷君は、こんな緋美佳さんの所為で周りの人たちから冷やかされることが

多くなってしまいましたが、何一つ言い返そうとせず、誰にも心を開かずに

常日頃から「ボクハキミノカレシジャナイ!」とばかりに、緋美佳さんとも

殆ど会話らしい会話もせず、徹底してマイペースを貫いてるように窺えます。


色々と書き綴って長くなってしまいましたが

実際の私は二組の前で足を止めることもなく

そのまま黙って廊下を通り過ぎて行きました。



私が一組の教室に近づいた途端、ガラッと引き戸が開かれました。



「操氏、暇を持て余しているのなら私たちに少し付き合っていくといい。

キミは学校の敷地内をうろつく『インビジブル』の存在を知ってるか?」


目の前に現れたかと思えば、戸惑ってしまう発言をするのが

分厚い銀縁眼鏡がトレードマークの望月漲君の通常スタイル。


校舎外から滅多に出ない所為か、やや色白でニキビ一つ見当たらない

誰でも彼の姿を見たなら分かる…凄く透明感のある…痩身の男子生徒。

通称もっちー。入学時からずっと望月君は私を「操氏(そうし)」と呼ぶのです。


インビジブル。たぶん『透明人間』ではないかと…。

その…インビジブル…が学校の敷地内を彷徨うって?



「おっ、ミカミソー! いいとこにいた。入りなよ」



望月君の後ろに立って声をかけてきたのは、二組級長の斎藤和眞君でした。

黒い細フレームの眼鏡をかけています。軽い乱視らしいです。長身の男子。

彼は自分のことを「斎藤さん」と呼ぶ他、人の名を独特な響きに変えたり

たぶん親しみを込めるといった理由で、二組の全員を「ちゃん付け」して

呼ぶのがこだわりみたいです。私のことを「ミカミソー」と呼んでました。

のんびりマイペースな印象を持つ生徒でも運動神経が良く足も速いみたい。

安心できるというか頼もしいような雰囲気でも彼の瞳の奥は笑ってません。

どことなく…不安と不信…を感じ取る表情を隠せずにいる人でもあります。

竜崎君が足に怪我をした探偵ゲームの探偵役は、斎藤さんだったそうです。


「斎藤さんもさっき偶然目撃したんだけど…本当に『いる』みたいでさ…」


斎藤さんに後頭部を押されるような形で一組の教室へ入るよう促されました。


馴れ馴れしくされるのは不快ですが、強く断る理由もないし従って入ったら

中には他にも葉煙草農家の次男である村元君と村の交通の生命線である

給油所と自動車整備工場の経営をしている家の八木橋君がいました。

二人は通学生なのに、まだ今日は帰宅していないみたいでした。


一番窓側で前の席には白無地の自由帳が開かれていて



『さわやか王子 やさぐれ玉子』



そう鉛筆で書かれた文字が並んで書かれてありますが…?


「やさぐれ玉子、そっちの玉の点がさっき起こった現象の証拠になるんだ」

指差した斎藤さんの発言に続けて、さわやか王子こと八木橋君が言います。

「俺とハシムともっちー、途中で入ってきた斎藤さんの四人が見てる前で

本当に鉛筆が立ち上がって動いて、その王に点がついたんだよ。吃驚した」


「確かに『超常現象』なのかもしれねーけどさ、考えてみりゃ二組の担任とか

リアルの化け物なんだし。これくらいで、いちいち驚く気になれねぇっつーか

あたくし、この程度の刺激じゃ、もう物足りなくなっちゃったみたいなのォ!」

やさぐれ王子からやさぐれ玉子になった村元君が、そう言葉を吐き捨てました。


陽気で活発、そういった印象を懐いてしまう生徒が村元君だと思いますが

ご実家が葉煙草農家というだけあってなのか喫煙癖があるのが玉に瑕です。

学校で唯一の喫煙男子。普通なら大きな問題なのに歪んで拗けた世界では

不思議と学校でも問題にならず、黙認されている状態なのです。それでも

肩身が狭いと自身で感じてるのか校外で一人隠れて喫煙してるらしいです。

その件を三組の森魚脩が一組教室まで行き、しつこく絡んで揶揄するから

村元君は禁じ手で見事に撃退したのだそうです。格好良いけど…笑える…。


いつも他の生徒と面倒事を起こしてばかりの脩の所為で

犠牲になってしまった人物が三組の副級長を務めている

通学生で壱琉の親族である…浅井彰太君…だったのです。


それは兎も角として

二組の担任教師の池田直己。

先生は私の実の父なのだそうです。


「我々の今回の検証項目は『インビジブル』でーす。操氏もいるんだし

二組の謎である池田センセの件に関してはそっとしといてあげようよ!」

紙を置いてある席に着いて手を組んでみせた望月君が、やや上目遣いで

気取ったような口調で話し出しました。いつも自分を作って演じてる人。


「この春から我々は放課後『緊急検証部』という活動を始めたのである!

そして、私こと望月漲が検証部の部長を務めさせてもらうことに決まった。

あ、そうだ。操氏も退屈なら部員になっていいよ。うん、ぜひ加入して!」

俗にいうツンデレ属性の女の子みたいに体をくねらせた村元君が続けます。

「いや、そのー、俺たちは、反則もっちーの荒唐無稽ってか適当な論説に

『な、なんだってぇー!!』とか絶叫して、驚愕する演技して差し上げて

生温かく見守ってやるだけのポジション。緊急検証部員の役割はそれだけ」


「斎藤さんは、その部活とは全くの無関係だよ。さっき通りかかったとき

三人で机の上に紙を広げて何かしてるみたいだったから、コックリさんを

やってるんじゃないかと思って入ったんだ。キヨ、一組の級長さんだって

見かけたら止めると思うから。それで…代わりに入らせてもらっただけ…」


斎藤さんは何だか少し気まずそうな表情をしていました。

キヨというのは一組の級長をしている花田聖史君のことです。

斎藤さんと花田君はクラスは違っても同じ級長という立場ですし

寄宿舎でも同室なので二人は親友と呼んで構わない仲だと思います。

いつも放課後は二人で一緒にいるのに花田君はどうしたのでしょうか?


「はっきり言ったら部長のもっちーが、りゅーりょーのお世話を休むときの

息抜きみたいなお遊びだと考えてくれればいいよ。なんだかんだ言ったって

この人だって普通の人間なんだし色々ストレス溜まることもあるだろうから。

緊急検証とかいう怪談より、単にカードゲームとかで遊んでるだけなんだよ」

さり気ない調子で八木橋君が部長の望月君をフォローするように続けました。


八木橋君は不思議と人間であるというより、自然の精霊みたいな印象です。

ニキビも顔に点々とあるのに、爽やかな涼しい風と表現したくなる男子。

近づくと微かにオイルのような匂いが感じ取れます。不快じゃなくて

ご自宅である給油所兼自動車整備場の雰囲気を纏っているだけです。


そういえば、確かに普段から常に行動を共にして望月君の傍にべったりな筈の

私と同じ寄宿舎生である「りゅーりょー」こと劉遼君の姿がありませんでした。


校長先生のお孫さんなので、この学校で一番特別かもしれない生徒といえます。


劉遼君を失礼のないよう伝えるには表現が難しいのですが、他の生徒たちより

成長が遅いとしか伝えられない見た目がまだ六~七歳くらいの小さな男子です。


いつも望月君と一緒に居る劉遼君はどうしたんですか?…と訊ねてみたら

「りゅーりょーは何人かが格闘ゲームに夢中になってる娯楽室でオヤツを

愉しんでる最中だ。あんな地球外生命体なんか少しくらい忘れさせてくれ」

いつも芝居がかった話し方をする望月君が素に戻って目を伏せました。

顔も傾けたので、重たそうな分厚いレンズの眼鏡がずり落ちました。

極度の近眼であるという望月君のために劉遼君のお父さんが自ら

誂えてくれた眼鏡らしいです。それは兎も角、校長先生のお孫さんの

劉遼君を地球外生命体呼ばわりするのは、ちょっと酷いと思いましたけど。


「ねぇ、操氏も部員になって。楽しいと思うよ。いい暇潰しになると思う」

そんな勧誘、正直お断りなので聞こえなかったよう振舞うことにしました。


「本日はケン坊が家庭の都合で休んでるから、もっちーが不機嫌っぽくてさ。

愛人扱い、おかしいんじゃねーのって寄っ掛かりようなのは知ってるだろ?

その御蔭で今日は妙な展開になってんだけど…。まあ、一組じゃ日常茶飯事」

村元君が望月君から気を逸らすのを手伝う感じで間に口を挟んでくれました。

「ホントさァ、もっちーって言動が色々とアレレだから気にすんな!

ま、寄宿舎仲間のお二人さんなら当然ご了承済みの件だし説明不要か。

だからまぁ、ヘンなこと言ってても無視しとくのが無難だってハナシ」


ケン坊というのは飛島賢介君のことです。彼も部員の一人なのでしょう。

一組では小柄な方の男子ですが、女の子と見紛うような容姿の持ち主で

耳が半分隠れるくらいの長さで六四分けしたヘアスタイルが特徴の生徒。

それで…望月君にヘンな気に入られ方…をされているのかもしれません。


ちょっとの間、望月君の机を囲んだ全員が揃って沈黙していたけれど

緊急検証部の部長さんは何事もなかったかのように演技し始めました。


「現れ出してから日が浅いようだが、先ほど斎藤さん自身も目撃したよう

透明な存在『インビジブル』は、この村の学校に間違いなく存在するッ!」

眼鏡の位置を整えた望月君は通常運転中の芝居くさい上擦った喋り方です。

「おそらく…だけどね、今もまだ一組の教室内にいる筈だ。

チアキ、ハシム、斎藤、操氏、ちょっと机から離れてくれ」

八木橋君は本来カズアキという呼び方なのにチアキと呼ぶ人が多いのです。

何と無く斎藤さんの名前が「カズマ」であることに配慮しているような…。

その他にもオヤギ、ヤギちゃんといった愛称でも呼ばれているみたいです。

望月君の呼びかけに無言で部員の二人と斎藤さんと私が机から離れました。


「ちょっと! 居るんなら、この紙に何でもいいから、一筆お願いします」



しばらくすると、本当に鉛筆が浮き上がり

斜めに傾くと、すーっと動きだして

一本の線が薄く引かれました。



「筆談できませんか? 透明なキミが誰であるか問うつもりはありません」


鉛筆は何か書こうとしたのか、ほんの僅か文字に点を打つくらい動いたら

その直後、パタンと倒れました。声は出ませんでしたがビックリしました。


望月君は手品でも披露しているかのように得意げな表情を浮かべています。


「あー、そうですか。はい、これで我々に筆跡がバレると

ひと目で気付かれてしまう人物であることが判明しました。

望月漲と対峙した時点でキミの完敗なのは確定事項でーす」


ペンを持った望月君は机の中から原稿用紙を一枚取り出したかと思ったら

本当のコックリさんのようにハイとイイエや五十音、数字といった文字を

大きめで見やすい筆跡で書き並べていきます。意外と字の上手な人でした。


「これなら如何でしょう? お話してみませんか? 短時間で構いません」



すると、また鉛筆が動いて『ハイ』を○で囲みました。



望月君の他に誰も喋らないから黙って見守るしかありませんでした。

「じゃあ、透明なアナタは何が目的でうろちょろしてるかだけでも

お答えしてもらえませんかね? あー、なるべく鉛筆はゆっくりと

動かしてくださーい。読み取る方だって手間暇かかるんですから…」


動く鉛筆の跡を追うのは面倒で目が疲れる確認作業になったけれども

望月君は追加で取り出した原稿用紙に一文字ずつペンを走らせました。



『しあわせだつたころをもういちどいろいろながめてみたくなつたからです』



そう読み取れるように鉛筆は動きました。

「あっ!」

村元君が何か気付いたような表情に変わっていました。

「あ…アンタ、てっちゃん?…それとも、しいちゃん?」

村元君は、私たちが六年生の夏に山中で遺体が見つかった

学校の二組に所属していた『てっちゃん』こと高橋虎鉄君と

『しいちゃん』こと新山紫峻君の二人とは同じ村で生まれ育った

幼馴染でしょうから、通学生同士親しかった間柄なのは当然のこと。

コックリさんといえば、やっぱり普通は死者との交信方法でしょうし

そういった発想になったとしても仕方ないのではないかと思うのです。

私も言葉にはしませんが…そうなのかもしれない…という気持ちでした。

その二人とは折り合いが良いとはいえない仲だった二組級長の斎藤さんは

何一つ口を挟まずに自分の黒縁眼鏡を両手で押さえ、目を伏せていました。



しかし、立ち上がってる鉛筆は『イイエ』の側に動いて、○で囲みました。



「この学校に関係ある人ですか?」

淡々と望月君は質問を続けます。即座に鉛筆で『ハイ』が囲まれました。


自分が書き綴った文章の列から目を離さないまま頬杖をついた望月君は

少し考えるような仕草をしてから、少し目を大きく見開いたかと思うと

「あー、そうか。やっぱり既に『カクセイ』済み。そうなんでしょう?」

そう発言したかと思うと、また五人で動く鉛筆を目で追っていきました。


望月君が目で追っていく文字をペンで拾い、原稿用紙に綴っていきます。



『いまいきているじぶんはなにもしらないけどいまここにいるじぶんは』



それからしばらく鉛筆が止まりましたが、こう綴られていきました。



『ころされてしんだひところしたひとはわるくない』



それなら、やっぱり幽霊ということになるんだと思うのですけど。


「じゃあ、もう一つ、非常に食い込んだ質問かもしれないが

今、この学校で勉強しているキミは、現在どこにいますか?」



『たしかきようはまち』



「あ、答えたのか。アンタ素直すぎ。ハナっから心根がねぇ…。

その御陰で散らばっていた点と点が見事に繋がっちゃいました」


望月君は、もう『インビジブル』の正体が何者なのか気付いたようでした。

ぶつぶつ何か小声で呟いていましたが、よく聞き取れなくて分かりません。


「テメーは『ペリドットの蛇』かぁ? なんか相当アレになってんな」


また『ハイ』が囲まれました。望月君だけ一人で気持ち悪い薄ら笑いを浮かべ

「いや、もう…。心根が真っ直ぐすぎ…。こっちはエンタメ愉しんでんだって。

そっちも空気を読んで期待に応えろ。もっと狡猾な遣り取りを望んでたんだよ。

スッゲェつまんねー。もうちょっと楽しませる工夫や趣向を凝らせろ。クズが」

心の底から退屈そうに自分の右眉の辺りを掻いて、重そうな眼鏡を直しました。

「しかしまぁ使えることは使えそうになったんじゃねーのか?

アレに引っ付くしか能のねぇクソヤローかと思っていたんだが」

こちらは望月君の言葉遣い等が、普段と全く違ってることに驚いていました。

「いずれ、利用させてもらう。この指先が呼んだときは、すぐ来いよ」

目付きも他人を見下したような冷たい…。完全に別人としか喩えられません。


少し乱暴な言葉遣い、ぼそぼそした低い声。こちらが本当の望月君の話し方で

いつもの芝居がかった上擦った声、丁寧な言葉遣いが偽物だったのでしょうか?


「きっと、キミが見直したかったのは昼休みのことだったんでしょう?

あまりにも安直で、つまらなすぎたんで、私は飽きました。興味なーし」

言葉遣いと声の調子は元に戻りましたが、周りを置き去りに独り言を続けました。

「ご苦労様でした。これにて、キミとは交信終了とします。いずれまた」

ペンを胸ポケットに挿し、鉛筆と自由帳を机に片付け、三枚の原稿用紙を破ると

望月君は立ち上がって、隅のゴミ箱へ丸めた紙を三枚まとめて放り捨てました。

『ペリドットの蛇』なんて奇妙な呼び名の人、私に心当たりはありません…。

他の三人も事の次第も分からないまま、その場に呆然と立っていたのです。


望月君が『カクセイ』と言っていたのは『覚醒』のことでしょうか?


「みんな、なにしてるのー?」


無邪気な質問に振り返ったら、教室の出入口に劉遼君が立っていました。

背中の真ん中くらいまで長く伸ばした髪の毛には、工夫が施されていて

頭を振ると短い毛束がピンピンと飛び跳ねる、独特のヘアスタイルです。

彼が同い年の男子…?…とは思えないほど、とっても可愛らしい王子様。

「オヤツ、愉しんできた?」

優しそうに目を細めている望月君の問いかけに

席まで近付いてきた劉遼君は、ピョンピョン跳ねながら

「うん!メラメラいっぱい、りゅーりょーのおなかに入ってきた。

でもー、まだー足りなーい。もっともーっとほしーい。メラメラー!」

最近の劉遼君は二言目には『メラメラ』という言葉を使うようになりました。


「メラメラ足りない。もっとメラメラしてー!」

時々そう私にも懇願してくるのですが一体どんな感じで答えたら

劉遼君は喜んでくれるのか見当つかず、いつも困ってしまいます。

一度手振りでメラメラしてみせたら、がっかりした表情になって

即座に私の側から離れて行ってしまったのでした。ごめんなさい。


「そうだねー。いつか、りゅーりょーのためにいっぱい火薬を用意して

『ドッカーーーン!!』としてあげるから、それまで楽しみに待ってて!」

小さな劉遼君の目に合わせるよう屈んで斎藤さんが話してあげてました。

「ゆわぁ、ありがとー。待ってる! メラメラッドカーン待ってるね!」

微笑んでみせた劉遼君を目の当たりにして、とりあえず彼に期待させる

話をしてあげたら正解というか喜んでくれるのかも…と考えていました。


「反則もっちーのエンタメに付き合ってても、疲れるだけ。

ミカミソーも一緒に寄宿舎生のおうちへ帰ることにしようよ。

じゃあ、もっちー、りゅーりょーは預かっていく。また後でぇ」


再び斎藤さんに肩を押され、促されるような形で、一組の教室を退出して

残った三人して緊急検証部とかいう活動を続けてる望月君たちを置いて

劉遼君を入れた三人での帰宅…。寄宿舎まで戻ることになりました。


緊急検証部は八木橋君が話したとおり、カードゲームが主な活動内容でした。


寄宿舎へ戻る途中、私は覚醒とかって何なんですか?

そういったことを並んで歩く斎藤さんに訊ねました。


「あー、あの人はアレだね。少年漫画の読み過ぎか娯楽室のテレビで観た

緊急検証シリーズって番組に感化されすぎなんじゃないかしらって思うの」

『かしらって思うの』は、斎藤さんの口癖になっている言葉だと思います。

他にも『美しい』『ジェントルメン』など独自の世界を持っている人です。


「斎藤さんの意見としては、もっちーの手品だと思ったな。怪しすぎ…。

仕掛けがあるんだよ。つまり四人をお客さんにした見世物ってのが真相」


斎藤さんは自分自身の意見に肯定するかのように何度か頷きながら続けます。


「確かにおかしなことは起こったと思うけど、頭を悩ませるのは時間の無駄。

対峙した相手は一組の望月反則氏だもん。アレコレ考えたって時間の無駄さ。

反則氏は本気で奇妙なことヤらかしちゃう人だよ。体験者の一人として語る」


私の知らない不思議な体験してるらしい斎藤さんから、そう言われても

望月君の『ペリドットの蛇』という言葉が私の耳から離れませんでした。


昼休みの図書室で何気なく目に留まり、手に取った本から得た知識ですが

ペリドットという美しい黄緑色をした宝石は『八月の誕生石』だそうです。

輝石についての薀蓄本には『太陽の石』であることも記述されていました。


「あのさ、寄宿舎で一緒に暮らす仲間として二人だけの内緒だけど

もっちーとは、あんまし深く関わらない方がいいのかもしれないね。

反則氏が悪い人じゃないのは確実。だけど、ちょっと分かるよな?」


私は無言で少し顔を上げ、斎藤さんと互いの眼を合わせる形で頷きました。


「ほら、どうしてもさ…人間は様々な面を持ち合わせてる…と思うんだよ。

通常は表面に出てこない部分とかってあるよな。斎藤さんだってそうだし。

同室者とだって表だっては言いたくない些細な問題だって結構あると思う。

ミカミソーもそれは同じことでしょ? メンドクサイ。投げ出したくなる。

大人になって割り切るべき部分が…。あ、ごめんな。偉そうなこと言った」


望月君の口調が急に変化したことに関して言ってるのだと思います。

斎藤さんの眼鏡は、スカーフの色と同じく緑色に反射して映ります。

何となく落ち着く色だから青信号も同じ色なのだろうと思いました。


「ミナギ、名前がいいよな。月で餅つくウサギっぽくて

真面目な顔には似合ってないけど、得する名前だと思う。

初めて会った人と雑談ネタにできるし。それに引き換え

斎藤さんは、この辺でも全く有り触れた苗字だもんなぁ。

名前といい、受け継いだ姿形、ゲームみたいに選べない

自分では変えられない運命みたいなものって本当に困る。

生まれる前に決められていたなら、生きやすくなる筈だ」


それは兎も角として、まるで本物のコックリさんみたいに

誰かが鉛筆を握っていた訳でもないのに目の前で鉛筆が動いて

何者かとコンタクトが取れたのですから、やっぱりどう考えたって

不思議ですし、望月君の言動を思い返したら湧いてくるのは疑問ばかり。


「考えてみると嫌だよな。多感な美少年たちの巣窟を覗かれるなんてのは

堪ったもんじゃない。もうこれからは自室で着替えとかドキドキしちゃう」


淡々と冷めた眼をしているのに冗談めかして演じるように笑ってみせて

笑顔でいることを自身に厳命しているのが、斎藤さんなのだと思います。

「あ、この件も他の寄宿舎生一同様には黙ってよう。斎藤さんとの約束。

だってさ、説明とか色々と面倒くさいんですもの。なぁ、ミカミソー!」

明らかに単なる『茶番劇』として済ませたいような態度を見せますから

これ以上、この件について誰かと語り合うのは控えることにしましたが

学校内をうろつくという『ペリドットの蛇』が教室の中に現れたのなら

一階の渡り廊下で繋がってる寄宿舎内にだって難無く入れる筈なのです。


七年生になった現在…。学校内では、寮母の高橋さんをはじめとして数人のみ

私が女子であるという事実を知りつつ黙ってくれる『私の味方』はいました。

みんな優しく見守ってくれるというか、逆に色々と気遣ってもらっていて

結局のところは心苦しくて仕方ない気分になっていたのが現状でした。


『ペリドットの蛇』は私にとって味方となってくれる存在でしょうか?


壱琉と私の自室は、一年生の頃から私の意思で本棚だのを利用するといった形で

完全に二部屋の様な形に仕切ってしまって、左の方にある私の専用空間には

裾に鈴を幾つも縫い付けた長い暖簾から出入りするようにしていました。


扉の先は壱琉の専用空間となるので、開ける際は必ずノックをします。


待っても返事がないので開けてみると自室に壱琉の姿はありませんでした。

夏目翼と宙の自室も二人が在室しているような気配がなかった様子ですし

三人揃って自転車を漕いで、街へ買い物にでも出かけたのかもしれません。


自室を出て、それとなく娯楽室を覗いてみると右足に包帯をした竜崎君と

谷地君がパズルゲームの対戦中でした。テーブルに向かい合っている

相馬君と林原君は、それぞれ好きな漫画を読んでいるようです。

みんな部屋着に着替えていました。中でも竜崎君の部屋着は…以下自粛…。


そこに加わった斎藤さんと劉遼君はチャコールグレーのソファに座って

誰とも会話を交わすこともせず、竜崎君たちのゲーム対戦を眺めてます。

二人とも自室で着替えを済ませることもなく、制服姿のままでいました。

劉遼君は…同室者の望月君か誰かの手伝いが必要だから…だと思います。



『幸せだった頃を、もう一度色々眺めてみたくなったからです』



インビジブルがそんな風に鉛筆を動かした理由が気になってしまいます。

いつか幸せではなくなってしまう人だとでもいうつもりなのでしょうか?


「着替えとかドキドキしちゃう」という斎藤さんの発言を思い出して

ちょっと勇気を必要としましたが部屋着に着替えたり夕食を済ませて

普段と何等変わらない流れで就寝しないとならない時間になりました。


寝る前に洗面所で顔を合わせた望月君は、隣りに並んだ私の方も見ずに

さっさと洗顔を済ませ、ゴシゴシが終わった劉遼君からタオルを奪うと

耳の後ろや首周辺など忘れてる所を優しく丁寧に拭いてあげていました。


放課後の『インビジブル』緊急検証の件なんて

とっくの昔に忘れているような感じに見えます。


気持ち悪そうな声をゲーゲー出しながら、涙目になって歯磨き中の竜崎君。

その隣りで竜崎君のことを呆れたような表情で見ながら同じく歯ブラシを

口に入れて動かす桜庭君たちに倣って、私も黙って歯を磨きはじめました。

「ねー、もっちー。メラメラして何か叫んでー!」

やっと喋れるといった勢いで劉遼君が跳ねながら、望月君へお願いしました。

無邪気で可愛らしい劉遼君、私たちと同い年なのが学校の不思議の一つかも。

「お断りです。もう寝る前だし、やめときなさい」

望月君は冷たそうな口調でも柔和な表情を浮かべて答えていました。

「ああ、そうだ。りゅーりょー、反則氏、また明日。おやすみー!」

桜庭君がバイバイしてあげて、二人は奥の自室へ帰って行きました。


桜庭君は一組の副級長さんです。この人で思い出すのは私たちの入学の日の朝

頭に包帯を巻いた竜崎君が「あー、見つけた!」と駆け寄った相手だったこと。


その言葉の理由は解りませんが、間違いなく彼は竜崎君の一番お気に入り。

二人は親友なのだと思います。そんな存在がいることを羨ましく思います。

竜崎君自身、他人に意地悪したりするような性格の生徒ではありませんが

「なんかもう愛しちゃってるんじゃない?」といった態度で接しています。

桜庭君は時々イヤそうにしている場合もありますが仲良さそうに窺えます。


私の独断と偏見ですが、学校で一番容姿の良い人は誰もが認めるレベルで

一組の竜崎順君なのではないかなと思っています。それは事実でしょうが

彼は少しばかり普段の言動がアレレなので、若干中和されてる気がします。


桜庭君は、やや強面ともいえる顔立ちで豪快な印象を受ける大柄な副級長。


彼の最大の特徴は学校一と言えるくらいの歌唱力を持っていることです。

春の学習発表会で、彼が「花・太陽・雨」という名曲を歌ったのですが

森魚慶の心を打ったらしく、終いには涙まで流してファンになったほど。

桜庭君は村内に平屋建ての自宅がありますが村の配送局の仕事をしてる

お父さんの職務上の都合で月の殆ど寄宿舎に寝泊まりしている生徒です。


事の詳細は打ち明けづらいですが、この桜庭君も「私の味方」の一人です。

他には、学校の生徒では…二組に三名…います。みんな口が堅い人ばかり。


一組の謎は「順」「潤」「純」と漢字は違っても同じ「じゅん」という

呼び名の生徒が三名いることです。もう一人の「純」である比内純君は

先祖代々「山の案内人」として暮らしているというレタス農家の通学生。

学習発表会では「たま」の曲を歌うことの多い、小さくても真っ直ぐな

瞳が胸の中に残る温かな印象の生徒です。娯楽室の書棚にも並んでいる

有名漫画の主人公に似てる顔立ち。自身の機械化を最終的に拒否した…。


余談でしょうが、本日放課後に絡んだ斎藤さんは何の事情も知らない人で

だからこそ私の肩や背中、髪にまで触れてくるのですから我慢してます。

目に余る人には…こちらも相対する言葉と態度で接するだけですし…。


これは私感に過ぎませんが、書き残します。

二組君主の斎藤さんは、ほんのり冷血漢な印象。

いつも笑顔を見せてるのに何と無く突き放している、

周りと距離を置いてる部分が垣間見えてしまうのです。

なのに孤立しないよう必死に取り繕っている感じだから

そこのところが心に引っ掛かってしまう人ではありました。


我儘なのかもしれませんが、当時の寄宿舎生活に於いては、誰一人として

心を許したり、本当に親しく接することのできる人物などいませんでした。

街への買い出しも一人きり。なるべく全ての用を一人で済ませてきました。


私の雑談友達と呼べる間柄は、二組の谷地君が…いた…のかもしれませんが

心臓に持病を抱えた人ですので一緒に出かけるなどの無理はさせられません。

谷地君と一緒に歩いたり、買い物したら…楽しい…。それは間違いなかった。

容貌は真面目そのものな二組の軍師さんでも周囲を笑わす爆弾面白発言テロ

首謀者であり自分自身が笑うのも好きなのが、やや重たい前髪が印象に残る

谷地敦彦君なのです。愛称はヤッチ。私は一度も愛称で呼びませんでしたが。


他の生徒たちが三上操に対して、どんなに心を砕いてきたか知るまでには

卒業後から相当の歳月を必要としたのです。みんな、本当にごめんなさい。


寄宿舎には汚らわしく醜い心を持った者は一人として存在しませんでした。

そこを強く主張すべきと思いましたので、ここに記述を残すことにします。


自分の居住空間に戻った私は、夕食のとき思いついたアイデアを

実行に移すことにしました。消灯時刻まで、残りわずかなので

急いで専用空間の机の前に座り、落書き用の自由帳を開いて


『 * ペリドットの蛇さんへ *

 よろしければ、あなたのお名前の意味を教えてください。

 あなたにとって、この学校は幸せな場所だったのですか?』


そう綴った自由帳を広げたまま鉛筆と消しゴムなどの筆記具を置いて

自分の布団に潜り込みました。今の世の中ではどこでも殆どの家屋が

風力やソーラーその他といった自家発電装置が利用されているのです。

村の学校もそういう自家発電機を組み合わせて電気を作っていますが

やはり無駄遣いは出来ないものですから何か特別な事情でもない限り

消灯後ほぼ『停電』といって差し支えない状態になってしまうのです。


夜間のトイレ使用時は自室の出入口の扉脇に設置されてる懐中電灯を

使用しなければなりません。同室の壱琉はとっくに布団に入っていて

微かに寝息を立ててました。しばらくして天井の明かりが消えました。

真っ暗は苦手なので、私の寝床付近は小さな電池式のランプの灯りで

暗闇の心細さを気休め程度に紛らわせていました。仄かなオレンジ色。

女子として当然ですが、侵入者撃退用バットも傍に立てかけています。


寄宿舎の自室の扉は、どこも施錠できないドアノブになってますので

出入りしようと思えば誰であろうが容易に開けられて、そこが怖いと

常々思っているのですが、本日この目であんな透明な存在が居るのを

認識してしまうと、すごく怖いというか何と言えばいいのでしょうか?

寄宿舎の出入口と屋上へ出る扉には内鍵、各部屋の窓はクレセント錠。

寄宿舎玄関も夜は施錠されますし、侵入するのは難しいと思いますが。


私の世界が消滅するに等しい出来事でも起こってくれたら…幸せかも…。

入学してから、ずっと心の中に潜んでる「消滅願望」があるのですから

こんな愚かな私にとって、希望を与えてくれる存在にも思えていました。



そして、次の日の朝…。


机の自由帳には、カクカクさせた変な癖のある文字の羅列がありました。

それは、全部で三頁に渡って綴られていました。変な落書き付きで…。

インビジブル「ペリドットの蛇」は、私の専用空間に現れたのです。



一.『 石ジタイに たいしたイミはナイ

   ツクラレルとき ヒツヨウなだけ

   ドウブツ ハ ヨリシロ デ

   ヨビナくらいしか イミないヨ

   シタイと クミアワセテ デキル』


二.『ガッコウ ハ イマニナッテミルト

   ケッコー タノシカッタ オモイデ ガ

   オオカッタカモシレナイ 今ナツカシク

   フリカエッテルとこ ジャマシナイヨ

   ノゾキモ シナイカラ アンシンして!』


三.『 アクニン ワルイコト ヤリタイホーダイ

   フツーノヤツ デモ ヒットゴーロシー!

   ミサチャン イジケテナイデ ガンバレ!

   カゲナガラ オウエン シテアゲルヨー!』



机の上にあった定規を利用して書いたのではないかと推察できました。

やはり本来の文字を見られたくない人だということなのでしょうか?

落描きに関しては本当にアレレな類の絵で説明するのも憚られます。

そういう落描きをする人に全く心当たりない訳じゃありませんが

その…竜崎君は既に寄宿舎や学校内で好きなだけ描いてます。

わざわざ他人の自室でイタズラする必要など有り得ません。


思いきり熟睡してしまったらしく、暖簾をくぐる際に必ず鳴る鈴の音さえ

聞こえなかったと思いますし、それとなく周りの様子を窺ってみましたが

同室の壱琉も夜中に変なことがあったとかいう話はしていないようでした。



『ミサちゃん』



七年生の当時、私をミサという愛称で呼ぶ人物はいましたが

ちゃん付けで呼ぶ生徒は、一人もいなかったと断言できます。


学校の誰か、私を陰ながら応援してくれている生徒がいるのでしょうか?


自由帳の中までは見せませんでしたが、谷地君との雑談で尋ねてみたけど

谷地君の性格なら、私に話すべきことは包み隠さず表現する人だと思うし

他の「私の味方」たちも女子の寝所に忍び込んで何かする人などいません。


それから数日ほど、自由帳に質問を書いてみたり、白紙を置いてみたりと

コンタクトを試みましたが、透明な存在との交信は…それを限りで…終了。


覚めない夢の中を漂い続ける日々がまだ続くようです。

全ての人が揃って同じ夢を見ているだけなのでしょう。









◆水曜の水難. 森魚慶


今になって思い返してみても何だか不思議な気持ちになってしまう。

ここの余白に僕の記憶を残しておくことにしました。ごめんなさい。


僕らが三年生の夏休みの話です。父の仕事が休みだったから

たぶん、その日は…水曜…だったんじゃないかと思うのです。

そんなに暑くはない感じの一日中ずっと曇り空の水曜でした。


窓から首を出して見上げると、空一面が暗くてイヤな灰色でした。

部屋の窓を全開にしても風が入らず、ジメジメ重い空気の朝です。


約束してたドライブ、うちの父が運転して行くことになってました。

でも、母は父へ体調が良くないなどと話して留守番すると言いました。

居間から、ケンカみたいな…聞いてると彼方此方が痛くなる遣り取りが

二階にまで聞こえてきて弟が泣きそうな…見たら本当に泣いていたのです。


弟のことを慰めたり、色々してあげたいと思っても、そうしたら

お腹にグーでパンチや抓られたり、何かされるの分かってるから

何もしません。言えないから、気づくと指を噛んでしまうのです。


小さい頃も指しゃぶりの癖があったみたいです。いつか近所の小母さんに

「慶ちゃんの指は砂糖が付いてて甘いの?」と話しかけられたことがあり

その言葉にどういった意味が隠されてるのか全く気づかずにいましたので

口の中に指を入れたままでした。僕へ「指しゃぶりを止めなさい」とでも

はっきりと注意してくれたのなら、言われたとおり止めたと思うのですが

僕は他人が発言した裏に隠された真意まで、しっかりと汲み取れないから

そこがダメなのかもしれません。自分のこと考えるだけで精一杯なのです。


両目の周りを真っ赤に腫らした母が僕らの部屋へ上がってきました。

彰太君が遊びに来たと言います。でも、弟はベッドに俯せになって

ご機嫌が直るまでは何を言っても無理なんじゃないかと思いました。

彰太君は僕より弟と遊びたいのは分かっていますが仕方ありません。

僕はお兄ちゃんですから弟の代わりに部屋を出て階段を下りました。


彰太君は、玄関の壁に備え付けられてる八角形した鏡を少し背伸びして

覗き込んでいました。右目を手でゴシゴシしていたので、何か付いてて

それを取っていたんじゃないかと思います。僕の足音も聞こえないほど

一生懸命になって、髪形や顔の汚れとか確認していたのかもしれません。

彰太君のお母さんはそんなのに物凄く厳しい人だと僕は聞いていました。


「おはよう…。彰太君」


朝だから、そう声をかけました。彰太君とは何を話したらいいのか難しい。

弟や一組の桜庭君とかなら、相撲みたく取っ組み合いの相手をしてあげて

お互い楽しく時間を過ごせるんだろうと思うけれど、僕は苦手でダメです。

彰太君は…桜庭君と…いつものケンカでもしたんじゃないかと思いました。

そうだから、わざわざ僕らの家まで来たんだとしか考えられませんでした。

彰太君は、ぶつかり合いしたいのが目的で現れた。そうに違いありません。

「あー、慶かァ。脩は?」

こっちを向いてウサギみたいな口を開けてみせた彰太君は、やっぱり弟に

会いたくて、うちまで訪ねてきたみたいでした。脩を相手にしたいんです。

「今ちょっと、お腹の調子が悪くて…。さっき薬を飲んだから

もうじき治ると思うけど、部屋に上がる? 横になってるけど」

僕の方を見るときの彰太君は、いつも微かに寄り目っぽい感じになります。


そのとき、いつも透明な灰色の毛並みをしたウサギの縫い包みさん。

そんなのが彰太君の後ろ、肩の向こうに浮かんで視えているのです。


彰太君の後ろに視える縫い包みさんは、いつも困った表情をしています。

嘘つきになりたくありません。本当に透明なウサギさんが視えるのです。

不安…?…困惑…?…僕は、彰太君の心情を表す何かと推測しています。


「あいつ、よく腹下すもんな。んーじゃあ、いいや。帰る」


開け放した玄関扉の向こうにはグレーの自転車が停められていました。

帰ろうと回れ右した彰太君に居間から顔を出した父が声をかけました。


「よかったら、一緒にドライブ付き合わないか? 海まで行くけど」

父は母の代わりに彰太君を同行させようと考えたのかもしれません。

「お昼、あの有名なマグロ丼の店にでも行って、みんなで食べよう」


マグロという言葉の釣り針に即座に食いついてしまった

元気いっぱい食欲旺盛な大きなオサカナの彰太君でした。

 

僕たちの家から二時間近くかけ、自動車を走らせることになりました。


元々お腹なんか痛くも何ともなかったのですから、後部座席に並んだ

二人で楽しそうに色々お喋りしたり、途中で買ったソフトクリームを

わざと口の周りを汚して食べたり、二人して仲良く楽しんでいました。

僕が買ってもらったのは苺の生シェイク。冷たくて美味しかったです。


でも、おかしいと思ってました。彰太君にとって、僕らは代替品と同じ。

彰太君が本当に遊びたいのは大好きなサックン、一組の桜庭君なのです。

弟のことも、僕のことも、陰では物凄くバカにしてることを知ってます。

二人は、無理やり燥いで楽しくしてるみたい。見てて、気持ち良くない。


だって、彰太君の後ろに視えるウサギさんが涙をこぼして泣いてるのです。

弟と楽しそうに笑ってる彰太君だけど、嘘をついてるんだって分かります。

僕には、確かに泣くウサギさんが視えるのですから、気分が悪くなります。

透明なウサギさんは、どうして涙を流してるんだろう? 泣いてる理由は?

尋ねてみたくなるけど、たぶん弟にも他の誰にも視えてない幻影なのです。


二年生のとき不思議なものが視えたことがあって、他の友達に訊いても

『不思議なことは不思議なままにしておいた方がいい』と言われました。

だから、僕は透明な灰色毛並みのウサギさんのことを話したりしません。



ただ、彰太君が嘘つきだって分かってしまう…僕がイヤで…仕方ない…。



僕は助手席に座って、窓の外を眺めてました。もう見飽きた景色でした。

後ろだと車酔いするので、母が一緒でも助手席は変わらなかったのです。

いつも同じ海、一度だけ冒険だと言って、もっと北西の方まで行こうと

父が頑張ってみたけど、後部座席の僕が車に酔って嘔吐してしまって…。

車の中を汚してしまったのが原因で、両親がケンカみたいになりました。

思い出すと気持ち悪くなって、また彼方此方が痛くなるので書けません。


母が行かないと話したとき「僕も行きたくありません」と言うべきでした。

それでも、父のご機嫌が悪くなって物を壊したり、イヤなことになるから

イヤな父を見るくらいなら、僕一人だけがイヤな気分でいれば大丈夫です。

嘘つきな後ろの二人を見るのイヤだけど父は子どもにサービスしてあげて

愉快そうにしてる感じが伝わったから、父親孝行なのだとガマンしました。


トンネルを通り抜けたら、道路の左側に青い海が広がりました。

彰太君と弟は僕の後ろの窓に張り付くようにして喜んでいます。

「もっと天気が良かったら、海水浴させられたのに残念だなぁ」

母が風邪を引いたらダメだから二人を水浴びさせないであげて。

父に泣いて頼むよう言っていました。僕と弟は両親の迷惑です。


お昼に近い時間です。少し早くても食堂が混む前に食べようと父が言って

マグロ丼で有名な食堂の駐車場に車を停めました。僕は車に酔った感じで

何も食べたくないと思いました。トイレに行って戻したい気分だったけど

ガマンしました。お食事の迷惑になります。気がついたら指を噛んでいて

隣りの椅子に着いた父に注意されました。向かいに座る二人は楽しそう…。


運ばれてきたマグロ丼は食べ切れないほど大盛りだったと憶えています。

僕は残してしまったんじゃないかと思うのですが、よく憶えていません。

きっと学校の食堂でも好き嫌いなく何でも美味しく食べられる彰太君が

汚くしてない残した部分を代わりに食べてくれたような気がしています。

父は彰太君みたいな丈夫で明るい子どもがほしかったんだと思うのです。


お昼を過ぎても、ずっと曇り空の一日でした。

空一面が大きく広がる灰色の布で覆われてて

前に村の墓地で視たモノを思い出してしまい

怖くなったので、ガマンして下を向きました。

お腹いっぱいで苦しくってもガマンしました。


僕たち四人は駐車場から歩いて海岸まで下りていきました。

海は青に銀色が混じった色だと思いました。絵の具があったら

作ってみたい色で、青に黒や白など細かく混ぜたら出来る色です。

砂浜は明るくない湿った色です。透明な空気や水は混ぜ合わせると

暗くしたり明るくしたり忙しいんだと思いました。透明は働き者の色。


彰太君と弟は元気よく追い駆けっこを始めました。彰太君が鬼の役です。


弟は足が速いので、タッチされる直前に上手く手を避けて逃げるのです。

捕まえられそうで捕まえられない弟を彰太君は夢中で追い駆けてました。

二人の笑い声が薄暗い砂浜に響きます。弟は彰太君のため一生懸命です。

家に帰ったら熱を出して寝込むかもしれません。心配だけど言えません。


ずっと僕は二人を目で追いかけるだけでした。しゃがんだ父は砂浜を見て

貝殻を探してました。留守番する母のご機嫌を取りたいから一生懸命です。


弟は防波堤がある方向まで逃げて行きました。僕なら怖くて上がれない

波消しブロックがごろごろ目立っている場所です。足を滑らせて転べば

手や足を擦り剥いたり痛い思いをしそうだなと思いました。湾内だから

大きな波は来ないと聞いたことがあります。それなのに行き場所のない

波消しブロックを集めて保護してるみたいでした。海岸に浸かるお仕事。



「うわっ!」



ぼーっとしてたら悲鳴が聞こえたので、目を向けると彰太君の声でした。

頭から水を被って、びしょ濡れ状態です。弟は指差して大笑いしてます。

慌てて父が駆けて行って声をかけてました。村の浅井家の王子様なので

彰太君に何かあれば村から追い出される。偉い人だと思って接しなさい。

学校へ入る前から僕と弟は両親に言いつけられてます。彰太君は偉い人。


防波堤を走りまわっていたら、突然白い波が高く上がって

彰太君だけが濡れてしまったみたい。自然のイタズラです。


風邪を引かせたら大変なので、父は近くの店からタオルや着替えの

Tシャツを間に合わせで買いました。出来る限りのお世話しないと

後が怖いのだと思います。どこでも生きていくのは大変みたいです。

大人になって歳を取れば面倒なことが増えるばかりだと聞きました。


彰太君は大丈夫だと笑って、ずっとご機嫌そうだったけど

後ろの透明な灰色の毛並みをしたウサギの縫い包みさんは

泣いてました。僕には視えています。誰にも言えなくても。

笑ってる彰太君の後ろで泣いてるウサギさん、不思議です。

帰りの車内で走って疲れた彰太君と弟は一緒に眠りました。


お土産に胡桃の入った餅菓子を買って帰りました。母が喜んでいました。


夏休みが終わって学校が始まると、彰太君は一組の桜庭君と仲直りして

弟と僕のことなど相手にしなくなりました。教室でも居ない人扱いです。

弟も一組に仲良しの二人がいるし、僕も二組に友達がいるので元通りに

戻っただけです。学校は嫌いで行きたくありません。お仕事だと思って

頑張りなさいと言われて行く場所です。みんな同じだそうです。不思議。


二組の虎鉄君と紫峻君が学校に来なくなりました。遊びに出かけたまま

帰ってこないのだそうで、大人たちが懸命に探していたと聞きましたが

未だに学校には姿をみせません。仲良しじゃないし、イジメてくるので

本当の気持ちを言えば、あまり好きじゃなかったです。二組のお荷物が

お掃除された感じで静かになって、良かったんじゃないかと思ってます。


今日は雨降り。秋の雨です。校庭の隅には出られない寂しいお天気です。

学校の廊下から靄が白く浮かぶ山を眺めて、退屈な昼休みを過ごします。


一組にいる校長先生の孫が「あめふりくまのこ」を大声で歌い出しました。


最近すっかり歌わなくなった弟の好きな童謡です。兄の僕も好きな歌です。









◆投げ童. 新山紫峻の独白


このふざげだ舞台がら降りるべし、てっちゃん 

俺だちは、いつまでもわらしのままでいるべし


警察ねぇ世の中だんだはんで何年も前に俺んどとば後ろがら落どしたヤヅを

捕めでけるヤヅだっていねし。まあ、俺もたぶんあれ…ねごっコの一匹…

四女猫だど思っちゅーばって、そいのどごさ化げで出でも

まだ生き返えれるわげでもねぇし…。俺だぢさ一番上さなるねご、

何もかんも手ェ出さぃねーんだもの。もういいばな。

そぃにもうこの山がら下りられねぐなってまったみてぇだや俺だぢ。

元がら俺だぢゃこの山さいだんだはんで元さ戻っただげだんだばってな…。

少なくともあれんどの心の中では俺だちは永遠に三年生のわらしの姿で

いられる筈だっきゃ。そぃでいいって俺は思うよ。

大丈夫だって、たぶんさ、しばらぐすれば何人がしてわらしの姿さ戻って、

ふらっとこの山まで遊びさ来てくれることもあるよ。そいを楽しみに待ってよう。

俺だってずんぶ待っでだんだ。待づのは慣れっコ。

わざわざ面倒かげでおめのこと迎えさ行ったどぎだって、おめだっきゃすっかど

すっとぼけ爺犬さ成り下がってまってで大変だったもん。

元がらの自分の姿が何だったのかさえ耄碌して忘いでまってらったんだもんなー。

あの頃は内心じゃホント苦労してた。

まぁそいだけ別いでから時間が経っちゃってたんだはんで仕方ねーとはいえ…。

でも、こごなら秋も深まれば一番良い景色コ楽しめるよ。

あー、あのさぁ…。おめーが泣いでだら、こぢだって泣ぎたぐなるんだって!

楽しかったもんなー学校。おめが一番大好きだった場所だったはんでなー。

俺はそんでもなかったけど。ヨソがら来たわらはんどがそもそも気に喰わねーし。

ヨソのじゃいごくせぐねーやづらがいい気がっちゅーのもかちゃくちゃねがった。

マンガだのテレビのゲームだのカードゲームだずのも性さ合わねがった。

テニスやっちゅーやづらは少しはんかくせーばって、やっぱり俺だぢも外さ出で

なんかやってらった方が面白ぇがったもんな。

だばって白文鳥が白文鳥さなってまる前だけんたイイ感じに戻ってだってのは、

今さしてみりゃ悪ぐねぇど思ってらけどさ。そいに本当にあのねごが

元の四つさ別いで見だ感じだば、おどなしくなってまってらんた感じだがら、

たぶん俺んどの目的は達成してまったんだね。

たった一匹さ俺んどヤらいだけど、何もけーねー。

これホントのことだばって、みんなとっくにゴールしてらんだ。

ゲームのエンディング画面が続いでらようなもんなんだ。

あれんどはエンディング済んだ後のおまけのご褒美っコ目当てに黙って

流ぃる音楽だの聴いだりしてガマンしてらだけなんだって。

俺がらのプレゼント、桜文鳥もらってければいいばって。どんだべがなぁ。

とにかぐさぁ、俺はあれこれ点数つけらいで知らねー大人だぢさ

勝手に評価さいるのってたげ馬鹿くせこどだど思ってだ。

おめだって断トツの最優秀馬鹿生徒だったんだはんで、こいがらもっともっと

難しぐなる勉強からイチ抜けできてラッキーだったんだって!


挿絵(By みてみん)


さっ、いい加減にして気持ぢコ切り替いるべし!

こごだば、今の俺だぢならもう時間コ気にしねェんで

誰ぃさも怒られねんで、好きだだげ遊べるじゃな。


一緒に遊んでよぅ、てっちゃーん!


あ、元の名前で呼んだ方がいいが? べづにてっちゃんでもいいよな。

俺は新しぐつけらいだ紫峻て名前、意外と気にいっちゅーんず。

いいはんでさ、昔みたいに…本当のこごさ昔いだ俺だぢさ帰るべし。

俺はねごだのねずみだぢだの、なんだかんださ関わりたぐねーんだいな。

こぢはすっかど「なげわらし」さなってまったんだはんで、

なんどの勝手にやれさって感じだ。…あ、やっと泣ぎやんだ?

おめ、まだこの山の全域知らねってが完全に思い出してねェみてだはんで

こいがら、もうちょっと探検しにあさいてみるべし!


俺だぢ山がら下りで村さ行ぐこたぁねーよ。なんがもぅ面倒くせぇもの。

俺んどは宝石の人の犬と龍さなる。どぢがどぢだがの大サービス問題だ!


回答欄さ真面目に記入する気あれば、そごさ埋めでな。やねへもいいよ。










◆作文「格好良い悪役キツネ」 村元黎


 三年生春の学習発表会の演劇で、一組は級長の花田君が先生に提案した

宮沢賢治の「貝の火」をやることに決まりました。

僕も読んだことのあるお話です。きれいな眺めるだけでワクワクする石なら

僕もほしいと思いました。でも、主人公のホモイは数日でダメにしてしまいます。

最初は勇気のあるいい子でも調子に乗って悪い子になってしまうお話です。

最後は天罰を喰らってしまう良くない主人公だと思いました。

主人公のホモイは竜崎君です。すごく張り切って、僕がやりたい!僕がやる!

うるさく騒いだので、みんなでゆずることにしました。とっても喜んでます。

中央にある実家から家族が揃って学習発表会を見に来るのだそうです。

だから、とてもうれしそうでした。ピョンピョン跳ねてウサギの練習してます。

ホモイのお母さん役は背が前から二番目の飛島君に決定しました。

飛島君は宝石に詳しい博士です。お母さんの方がもっと詳しい人みたいで

石でアクセサリーを作って売っているのだそうです。

飛島君は出られて良かったと言ってました。貝の火はオパールという宝石だと

詳しく教えてもらいましたが、僕は長くて殆ど忘れてしまいました。

ホモイに助けてもらうひばりの子を一番小さなりゅうりょう君、

ひばりのお父さん役は比内君、お母さん役を三上君がやることになりました。

ホモイのお父さん役を誰にするか少し時間がかかりました。立候補したのは

級長の花田君、副級長の桜庭君、寄宿舎生の望月君の三人です。

お話を知ってる僕はホモイのお父さんが一番格好良い役だと思いました。

息子のホモイのため、一緒に悪どいキツネに立ち向かってくれる

男らしくて勇気のあるお父さんウサギだと思います。

だけど、ピーターラビットのお父さんにはなりたくありません。

おいしいウサギのミートパイになって食べられたくありませんから。

 本当は僕もホモイのお父さん役がやりたかったです。

でも、よく考えた僕は悪いキツネの役になろうと思って先生に言いました。

キツネは悪党役でもセリフが多くて目立つと思ったからです。

それで僕がやることに決まりました。望月君はやっぱりやめると言って

むぐらもちの役になりました。少し泣いていました。

望月君も本当はお父さんになりたかったのだと思いました。

投票すれば、お父さん役になれたかもしれないのに頑張らないのはダメです。

花田君と桜庭君のどちらがなるか投票したら、桜庭君になりました。

僕も予想では桜庭君でした。予想が当たってうれしかったです。

なぜなら桜庭君は体格も一組で一番だから一番お父さん役が似合っています。

級長の花田君は物語の説明役にツリガネソウや他の小鳥の役を掛け持ちします。

少し大変だと思いますが、級長で優等生の花田君なら、きっと大丈夫です。

学校に行く前から僕とずっと仲良しの八木橋君はフクロウを演じます。

 僕は格好良い悪党役を演じて、思いきり目立ってやろうと思いました。

悪党役でも本当の僕が良い人なのは分かるのだから平気です。

しっかりセリフを覚えて頑張るぞー!










◆邪魔な雲を独りで吹き飛ばす無双参上. 西谷晴一


俺が伴性劣性遺伝の病の持ち主であることは、絶対の機密事項である!


三国志、蜀の趙雲。誰だって、普通…知ってるよな?…俺の憧れの人。

厚い雲を吹き飛ばすような強い(おとこ)だ。羨望すべき誉れ高き武将の一人。

晴れ渡る空。澄み切った蒼天。本当の心の中くらい、そう妄想したい。


彼の逸話の一つにあるよな。奥方様が彼の指だっけ…?…針で刺したら

そこから出た血が止まらなくなって…そのままシぬ…っての。怖い話だ。


洒落になんねえ。俺も、たぶん、その逸話の中の、趙雲と…同じ…だから。


誰にも言うもんか。捩じ伏せてやるだけだ。自分の命が助かるなら殺すよ!

ヘタこいたら白血病とかって悪い冗談やめてくれ。嘘だよ。それ、絶対に!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


この世は不思議。どれだけ凶悪な犯罪ヤらかしても、逮捕されないんだよ?


罪を犯した者こそ、勝利者なんだ。笑える。誰だよ? 考えたの絶対アレ!


立法、行政、司法、三権が見事消失した狂気の世の中は素晴らしいの一言。


そう、ここは理想郷だ。薔薇色の世界。間違いなく俺は選ばれた、神の…。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


あいつからの言葉、何より欲しいのに。もう絶対に嫌われてるんだ。無視。

無視されるから、こっちも仕返しだ。教室の連中、基本無視。やり過ごす。

拗れに拗れた。抉らせたのは俺の人見知りが原因。結果孤立。修復不可能。


二組は不細工連中の塊。悲惨極まりねぇ。その中で突出してるのは俺一人。

自慢げ?…ムカつく?…嫌悪や憎しみ向けられるの得意だもん。無視する。


お母さん代わりの寮母さんしか意志疎通しませーん。クソヤローどもめッ!

高橋美紗子、杜陽春の実母。似てない。何すれば、あの狐面が生まれんの?

ま、どーでもいい。もう俺のお母さん。俺の言うこと、よく聞いてくれる。


今夜のメニューは、ポークソテーを注文したよ。寄宿舎の総員を巻き込んで

美味しい心地にさせてやる!夕食テロの実行犯は、ほぼ俺が真犯人様なんだ。


挿絵(By みてみん)


善良な犯罪だよな。カッワイイー!自分で自分を崇め、褒め称えてみせるよ。

そうでもしなきゃ神経…。負けるもんか。少なくとも学校最強は、俺だーッ!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


放課後とか脇にいるオンナ。シんでほしい。…試してみるか?…こいつも無視。

ニイヤマ、タカハシ、シんでくれて、さっぱりィ。なのに、新山の妹が現れた。


見張られてる感が強くて、すっげぇ困る。

手紙、あいつ宛の…。物語、あいつへの。

ずっと日記を書く。いつか読んでくれる。

あいつが、手に取って、目にしてくれる。

その瞬間だけ待ち続けてる。虚しくない!


書くことで、周りへの、暴威の激情を、必死こいて、堪えてみせる。偉い!

マエダとかって、村の辛気くさい診療所には、シんでも行かない。決意は堅い。

因子補充療法なんて「人糞でも召し上がれ!」って「お断り申し上げます」だよ!


一騎打ち。単騎決戦。上等! 負ける気しません。何故か余裕で勝っちゃうし!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


テレパシーください。神様が願い事を叶えてくれるなら、それだけで充分。

あなただけへ向けた想い。だから、全てを感じて。俺が伝えていることを。


この俺は校長先生の養子なんだ。学校の第二王子!

誰が見ても容姿端麗、経済的不自由だって皆無だ。


武道、腕に覚え有りだよ。素晴らしく格好良すぎ!


その気にさえなりゃ楽勝で全員ぶっ潰せちゃう現実。

本当に起こり得るかもな恐怖の物語、主演は俺だな。

殺害実行犯希望が実行不能な妄想に近い無双の真相。


気遣い無用で充分なのに。たぶん、もう、何人か…。

伴性劣性遺伝の病の持ち主であること、知っている?


しかし、二組の西谷晴一は本気で強いってのが実態。

モブキャラの相手、飽き厭き。総軍、将軍で来いよ!


…………………………。


…………………………。


…………………………。


けれども、想いは募る。溜まり続ける。伝えたいのに、無理無駄無理無駄。

迷惑かけてる。緋美佳…ごめん。見張り役…ご苦労さま。俺は不快な空気。

心、想い、言葉で伝えるのが下手で、こんな無言。テレパシー使えたなら。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


俺の上空に漂う厚い雲を吹き飛ばしたい!

サムライ西谷無双が勇気出しゃ出来るッ。

捜していた自分に出逢うため必要なんだ。


分厚い雲を蹴散らした瞬間、ゼッタイ!

西谷の晴ちゃん、憧れの趙雲に大変身!










◆或る生徒の独白.


言霊は、大切にすべきもの。常々から思うこと。


自分の放つ言葉が真実になってしまう恐ろしさは

もう十二分なほど身に沁みついているというのに

それなのに、どうしても、ヤッメラーレナーイッ!


悪戯心に踊らされ、不用意な言葉を放つと

いつか言葉は必ず誰かの持ち物となる事実。


それが、私こと、時空の旅人『カルサイトの羊』なのです。


ご用心、ご用心…。レーッツ!ポジティブ・シンキーング!


そう心掛けても生来の気紛れな性分には困ってしまいます。



…この『絶望の牢獄』と、呼称すべき新たな世界…



あまりに製作者は出てきやがれ!と詰め寄りたくなるファッキンな世界。

頭を抱えたくなる罪状の数々。…涙…。顔を見れない者が多すぎて困る。



立ち直れっ!立ち上がれっ!既に変身完了だ!

私はもう今までとは違う!優しい兄ちゃんを頑張る!

生まれ変わって、流された。洗い流されている筈だ。絶対!



…………………………。


…………………………。


…………………………。


愛しています。心から。永遠に。今でも。二人だけ。特別。まこ。かしこ。


…………………………。


…………………………。


…………………………。


私は一人ではなく…今放り込まれている世界に…もう一人存在していました。

それは一番最初の再び本来の日常生活を取り返せるという祈望を抱き締めて

胸ポケットに忍ばせた妻子の写真を…何より大切にして眺めていた私です…。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ