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短編物語

声なき魔法使い:無詠唱魔法の心得

作者: 0



 ――妖精さん妖精さん。ぼくに力を貸してください。



 手を組んで真摯に祈る少年――ルピスの周囲が光り出す。


 世にも珍しい雪のような白髪がふわりと舞う。

 大地は謡い、風が舞う。彼を照らす陽の光はその輝きを増す。


 赤色と黄色のオッドアイをもつ、長身の赤髪の美女――アセビがそれを見て笑う。


 心底笑うアセビを前に、世界が輝きだす。

「これが出来損ない……? ハハハ、魔法貴族も落ちたものだ」


 女性と見まがうほどの長さをもつルピスの長い髪が淡く発光しだす。


 世界が震えていた。


 魔法使いの歴史が変わる。


 ◆ ◇ ◇ ◇ ◇


 陶器の割れる音が屋敷の居間で響いた。


「――もう我慢ならんッ! この役立たずの出来損ないがッ!」

 

 音の発信源はファトス家の当主――ルピスの父親。

 机の上に飾ってあった陶器の花瓶を手で薙ぎ払ったのだ。


 顔を赤く染め上げ、

「由緒ある魔法貴族であるファトス家の嫡男ともあろうものが、いつまで経っても、言葉一つだせないなぞ嘆かわしいッ! それでどうやって魔法を紡ぐというのかッ!」


 ――ぼくにも魔法がつかえたらな。

 

 物心がついて以来、ルピスがそう思わない日はなかった。


 魔法を生業として国家に貢献する魔法貴族の嫡男として、ルピスは望まれて誕生した。


 優しい眼をして父親が、

『次のこの子の誕生日には家族で星を見に行こう』

 ――うん!

『見て、笑ったわ。この子はもう言葉がわかるのかしら』


 これが最古の記憶。まだ誰も何も知らずに家族が幸せだったころの記憶。


 これまでの人生でルピスが星空を見ることはなかった。


 その年に、ルピスが医師により正式に失声症と診断され、ラピスの屋敷での軟禁生活が始まった。

 万が一を恐れて、窓一つない世界でこれまでルピスは育てられきた。


 今やルピスの存在は忌み嫌われていた。


「そもそもその髪と瞳の色はなんだッ! 気色が悪い!」

 

 ルピスは生まれたときから声が出せず、さらにその髪と瞳は雪のような白色。

 それは両親にも、祖父母を遡っても見られない色であった。


「それは本当に私の子かッ!?」

「なんてことをッ! 私の不貞を疑われるなんてッ! これは実家に帰って正式に抗議させて頂きます!」


 ルピスの母親はさっと顔を赤らめると、ルピスを置いて部屋を立ち去っていく。

 その腕の中に小さな妹を抱きかかえて。


 部屋には父親とルピス。それと父親を補佐する執事長だけが残った。


 母親の足音が聞こえなくなったとき、父親は嘆息して告げる。

「もうよい――お前はこの家に生まれなかったものとする」


 ルピスが七歳の誕生日を迎える七日前。

 ルピス・ファトスは、ただのルピスになった。

 

 ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


 なんの生活の知恵も持たぬ箱入り息子がのうのうと生きていけるほど、世界が優しくはなかった。

 ファトス家を勘当されたその翌日には、ルピスは奴隷商人の下にいた。


 皇国では奴隷商とは立派な職業の一つ。

 彼らは仕事がない者たちを奴隷として迎え入れ、関係各所に労働力として分配する役割があった。

 奴隷たちには食事や給金も支給され、多くはないが休日も存在する。


 この国では奴隷も一つの職業だった。


 食うに困って倒れ込んでいたルピスのそばを、たまたま奴隷商人が通ったという話だった。


 五日間にわたり、技能、礼儀作法の確認を終えると、ルピスはその肌艶の良さから、早くも奴隷として市場に売られることとなった。


 奴隷商は奴隷の仕入れ、奴隷の教育、各奴隷に見合った派遣先の調整が仕事。

 その収入源は、奴隷の販売と奴隷を必要とする各所からの仲介手数料。


 そしてもう一つ、奴隷が奴隷となる隷属の儀の徴収料というものがあった。


 青空の下で堂々とした体躯の男の声が、

『それではこれから新たな奴隷の門出を祝って、隷属の儀を行っていきたいと思います!』

 魔法で拡散されると、詰めかけた群衆が湧く。


 彼らただの町民。

 隷属の儀は彼らにとって一番の身近な娯楽だった。

 そのため、お金を払ってでも詰めかける。

 

 堂々とした体躯の男――奴隷商人は簡易的に組み上げられた舞台の上で、今回奴隷となる者たちを順番に紹介していく。


 総勢十名ほど。中には女性もいるが総じて、若くて逞しい青少年がほとんど。

 奴隷商人が紹介する度に、群衆は歓声や指笛を慣らして盛り上がる。


『――そして最後に紹介するのは、ルピス』


 最後に、奴隷商人の助手に押される形でルピスが壇上へと上がると、興奮はどよめきに変わった。


 それは一人だけ他の奴隷たちと毛並みが違ったからだ。


 シミ一つない白い肌、雪のような長く白い髪に、そこからのぞく白い瞳。

 物語の妖精で語られてきた妖精のような出で立ち。

 

『このルピス。聞くも涙、語るも涙――なんと過去のトラウマからこの小さな少年は声が出せません!』


 そこから始まったのはルピスが聞いたこともない自身(ルピス)の身の上話だった。


 他でもないルピスも、奴隷商人から語られる起伏豊かな物語へ夢中になった。


 語り終える頃には奴隷商人の声は涙ぐんでいた。

 手拭いで目尻を拭く素振りを見せると、群衆もルピスの憐憫の情からすすり泣く者もいた。


「――今日というこの日は、この恵まれない小さな少年の、新しい幸せな日々への門出となることでしょう。しかも、明日は彼にとって記念すべき七歳の誕生日。今日という日ほど彼の角出に相応しい日はないでしょう!」


 奴隷商人の作り話とも知らず、群衆からは拍手喝采があがった。

 既に紹介を終えていた他の奴隷からも万雷の拍手である。

 女性の奴隷たちにいたっては号泣していた。


 手拭いの下でほくそ笑む奴隷商人。


 奴隷商人の商売は既に始まっていた。


 奴隷の紹介が終わると、奴隷紋の刻印を行う。

 これが儀式の中で最も盛り上がる催しであった。

 

『さぁさぁ、張った張った!』


 刻印では奴隷商人主催のもとで賭け事が行われていた。

 その内容は、誰が一番声を我慢できるか、というものである。


 なにせ奴隷紋の刻印は灼熱の魔力印を素肌に刻むのだ。

 痛くないわけがない。それは大の大人であっても泣き叫ぶ痛さ。

 

 それを音の大きさを測定する魔法具で計測し、最も針の振れ幅が小さい者の優勝である。

 奴隷たちは奴隷たちで、優勝すると売り上げに準じた褒賞金が貰えるため、声を我慢する。


 しかし、それでも、

「ぎぃやぁぁあああッ!!」

「ふ、ふぐぅぅううう!!」


 押し殺すということは並大抵ではない。

 熟練の戦士でも、経産婦でもその痛みは堪え切れない。


 肉の焼ける不快な音が響くたびに絶叫やうめき声や青空の下に木霊した。


 奴隷たちが本気で声を押し殺そうとしても漏れ出す声。苦悶の表情。

 それに賭け事の要素も相まって、奴隷商人のいる都市では隷属の儀は人気を博していた。


 最後はルピスの出番であった。

 誰もルピスに賭けるものはおらず、痛みで暴れないようにルピスが器具に固定されていく。


 それまでとは打って変わって、喪に服したような静けさであった。


 奴隷商人は声を潜めると、

「奴隷紋の場所はどこがいい? 俺としては腕か背中がおすすめだ。腹はなかなか痛いらしいからな」


 恐怖に震えるルピスができることは、ただ涙目になって、わけもわからずにその首を横に振ることだけだった。


 奴隷商人はルピスの左腕をさすると、他の奴隷同様にこれから刻印する場所を群衆へと周知する。

 それによりシミ一つない華奢な腕に群衆の視線が注がれた。


「坊主。これさえあれば今後の働き口にはこまらないぞ。痛いのは最初だけだ。よかったら布を噛むか?」


 布を噛むなど声を押し殺す道具の使用は、賭博の不成立を意味する。

 しかし、奴隷商人もルピスにこの賭け事としての価値は一切期待していない。

 事実、穴狙いの者でさえも誰もルピスに賭けている者はいなかった。


 ルピスはただただ涙を流して震えていた。

 奴隷商人は、小さくため息をつくと手に持った刻印の棒をルピスへと近づける。


 ――い、いやだ。痛いのは! いやだッ!


 言葉の出せないルピスは、ぎゅっと目を瞑るとただ強く願った。


 ――だれかッ、たすけて……!

 

 群衆は固唾を呑んで儀式を見守っている。


 奴隷商人の刻印がルピスの小さな腕にあたった。


 ペタリ。


 肉の焼ける音はしなかった。

 むしろ、ひんやりとした感触がルピスにおとずれる。


 奴隷商人の手にした奴隷紋がいつの間にか熱を失っていた。


「おや? どうしたんだ? 不具合か?」


 奴隷商人は刻印を確認すると、再び魔力を流し込む。

 再び奴隷紋を刻む刻印が熱を帯び始めた。


「よしよし……。最初は痛いかもしれないか我慢だ。いくぞ」


 ペタリ。


 やはり魔力刻印がルピスの体を焼くことはない。


 それどころか――

「熱ッ!? あっちっちっちッ!」

 手にした魔力刻印の棒を取り落とす。


 群衆はそれを見てドッと笑い出した。

「いいぞー!」

「奴隷商人にも人の心はあったんだなー!」


 奴隷商人の行動を演技だと受け取ったようだ。


 魔力刻印の棒を持っていた手は奴隷商人の赤く腫れあがっていた。

 奴隷商人は素早く笑顔を作ると、赤くなり震える手を隠すように頭を掻いた。


 盛り上がる群衆の中、舞台の脇から奴隷商人の助手が歩み寄る。

「どうかされましたか?」

「……困った。新調した魔法具が暴走しちまった。こんちくしょうが」

「熱印ができないとなると、昔ながらの方法で、魔力刻印の刻まれた短剣を肌に刺しますか? 必要であれば、すぐにでも道具をお持ちしますが」

「ばか、この空気でこの坊主に短剣を刺してみろ。絶対に反感を買うぞ……」


 ――剣? 刺す? いやだ……やめて……。


「では、どうされますか?」

「どう、って言われてもな……。奴隷紋がないと商売にならんしな。次に回すか」


 ここでも要らない子扱いされたと感じたルピスは絶望した。

 ――どれいもん? みんなと同じ、あの印があればいいの? ほしい。ほしい……!


「あれ……? 彼のこの腕にあるのは、奴隷紋じゃないですか? ちょっと薄いですが」

「なに? 変だな……でも、確かにそうだな」


 ルピスの腕に集まった二人に、

「どうした奴隷商人! いじめの相談かーッ!」

 野次が飛ぶと再び群衆が沸いた。


『失礼しました。しかし、信じられません! なんと奇跡が起こりました!

 見てくださいこれをッ! 肌を焼くこともせずに奴隷紋が刻印されたではありませんかッ!』


 奴隷商人は手拭いで浮かび上がった刻印をゴシゴシと擦り、それが偽物でないことを証明する。


 それを見ていた群衆にどよめきが生まれた。

 事前にその肌へ刻印がされていないことは、刻印式の前に群衆もしっかり見ていた。


「ふざけるな! 不正行為だッ!」


 賭博に参加していたのだろう。

 賭博の引換券を握りしめた男が、顔を唾を飛ばして怒鳴りつけた。


 今度は静かなざわめきが群衆に生まれた。


 しかし、奴隷商人は落ち着いていた。

『――では、何でしょう? 声も出せないこの子が不正を働いたと? それとも、この子の泣き叫ぶ姿が見たいのでしょうか?』


 ここでルピスの幼い容姿と、奴隷商人のでっち上げた話が幸いした。

 群衆の冷たい視線が刃となって、野次を飛ばした男に注がれた。


 それに追い打ちをかけるように、

『お望みとあれば、死なない程度に鞭で叩いていただいても構いません。お気が済むのなら引っ叩いていただいても結構です』


 ルピスが奴隷商人の発言に涙を零す。

 怖い思いをした器具からせっかく解放されたばかりだというのに。


 その瞬間に男へ注がれていた意識が敵意へと変わった。

 これまで一緒に隷属の儀を楽しんでいた群衆から男は弾き出された。


 野次を飛ばした男を味方するものは誰もいなかった。


「いや、大丈夫、です……」


 少なからず同様の気持ちを抱え込んでいた者の意見も封じ込められた。


 奴隷紋商人はにっこりと笑みを浮かべると、

『ご理解ありがとうございます。私どもといたしましても初めてのことで驚いている次第です。

 ――さて、奴隷紹介と魔力刻印も終わり、いよいよ入札です。それではみなさま、振るってご参加ください!』


 ここで競り落とされた奴隷は、専属奴隷として落札者の奴隷となる。

 落札されなかった奴隷は、公共奴隷として奴隷商人の手によりその力を必要とする場所へと斡旋される。

 

 専属奴隷は割高に設定されており、入札されないことも珍しくない。

 奴隷の廃棄は重罪であり、専属奴隷の落札者には奴隷の面倒を見る義務が発生するのだ。


 一番体格の立派な壮年の男と、華奢だが読み書きができるという青年が、それぞれ銀貨三枚、七枚という価格で落札された。他の八名には入札はなかった。


 最後にルピスの番を迎えた。


 奴隷商人の掛け声と共に入札は開かれる。

『銀貨一枚から!』

「二!」「四!」「七!」「大銀貨」


 他の入札者と違い粛々と金額を述べた老紳士だが、その声は不思議とよく聞こえた。

 老紳士の声で、あっと言う間にこの日の最高額は更新された。


 入札に参加していない群衆から拍手が上がる。


 奴隷商人が声を張り上げる。

『大銀貨入りました! 大銀貨入りました!』

「二!」「三!」「四!」「六」

『大銀貨六! 大銀貨六! 他にはいませんか!』


 身なりの良い老紳士と、この町の大商人の一角を占める中年男の一騎打ちだった。

 毎月のように開かれる奴隷市であっても、大銀貨を越える入札は、なかなかお目にかかることはできない。


「七!」「八!」「九!」「金貨」

『金貨入りました! 金貨入りました!』

「二!」「五」「くそッこれ以上は無理だ!」


 先に根を上げたのは大商人だった。


 金貨の値段の奴隷など、それこそ亡国の騎士や特権階級の値段である。

 間違っても一般の競売(せり)で見られる額ではない。

 最高潮の賑わいを見せる群衆。


『金貨五! 金貨五! 他になけれ金貨五枚で落札です!』


「白金貨十」


 それは群衆の中ほど、フードを深く被った人物から発せられた。


『……へ?』

「聞こえなかったのか? 白金貨十と言ったんだ。不服か?」


 そう言って小袋を奴隷商人へと投げて寄越す。


 この日で一番のどよめきの中、奴隷商人は小袋の口を開いてその中を覗き込むと、ゴクリと唾を鳴らした。


 それに続く入札の声はあがらなかった。


『は、白金貨十枚で落札です』

 一般人より高額貨幣にも見慣れている奴隷商人の声が震えていた。


 白金貨。

 それは大陸に流通する貨幣の中でも最高貨幣。

 貴族でもなければそれを生涯目にすることはない代物。

 白金貨の値がつく奴隷は、亡国の姫君や王侯貴族といったやんごとなき存在。


 そのあまりの現実した額に奴隷商人ならず、群衆も戸惑いを隠せない。

 中には頬をつねって夢ではないことを確認する者まで現れ始めた。


 固まる群衆を割って、落札者が舞台へと上がる。

 本来は儀式が終わった後で、個別に奴隷を引き渡す段取り。


 本来は注意すべき行為だが、奴隷商人もその助手も落札額の衝撃で固まっていた。


 フードを取って現れたのは、根元が赤とで毛先にいくにつれて黄色のグラデーションのある髪をもつ女性。

 彼女の赤と黄のオッドアイがルピスをまっすぐに捉えた。


「私はアセビ。お前は私が買った。今日からお前は私のものだ」


 尖った犬歯をもつ彼女はそう言ってニッと笑った。


 ◆ ◆ ◆ ◇ ◇


 アセビは奴隷の購入手続きを済ませると、ねぐらとする宿へルピスを連れて帰っていた。


 空は日没を迎えようとしていた。

 窓から注ぎ込む夕日がアセビの整った顔立ちを照らし出していた。


 個室の寝室で椅子に座るアセビと、ベッドに腰かけるルピス。


「――にしても、ほっんとーーうに声が出ないんだな」


 アセビの問い掛けにルピスはコクリと頷いた。


「読み書きは?」


 再びコクリと頷いた。


「よし。なんか書いてみろ」


 紙と筆を渡されたルピスは、少し考える素振りを見せた後で筆を走らせた。

 布団の上に置いて文字を書いたので、文字はガタガタに歪んでいた。


 アセビは紙を挟む形でルピスの隣に腰かけた。

 

「えーとなになに――”かってくれてありがとう。ルピスです。よろしくおねがいします”――かわいいなぁ、お前……」


 その頬が緩む。

 可愛いというより美人な顔立ちのアセビだが、その顔がへにゃっとなった。


「お前、貴族だろ?」


 少し悩む素振りを見せた後でフルフルと横に首を振る。


「あぁ、聞き方が悪かったな。元、貴族だろ?」


 今度はコクコクとその首を縦に動かした。


「どこの家だ?」

 

 ルピスは紙の続きに家名を綴る。


「”ファトス”って、なるほどな。あの魔法貴族の大家か。魔法詠唱できなくて魔法が使えないとなると、魔法貴族の面目丸つぶれだもんなぁ。それでお家を追放と。まぁないこたぁない話だな」


 ルピスは再び筆を動かし、

 ”ちちうえが ぼくは できそこない だって”


「なんで?」


 ”ぼくが まほうを つかえないから”


「お前は魔法を使いたいのか?」


 アセビの質問にルピスは固まる。

 使いたい。使ってみたい。

 でも、ろくに声も出せない自分がそんなことを言ったら迷惑に思われないか。


 そんなことばかり頭をよぎる。


「ん? どうした? 使いたいか、使えなくてもいいか。どっちだ?」


 おそるおそるアセビの表情を伺うルピス。


 しかし、見上げた先に侮蔑の色はなかった。

 ただ綺麗な赤と黄色のオッドアイが真っ直ぐにルピスを見つめていた。


 ルピスを小さな字で、でも確かな力強さで、

 

 ”つかいたい”


 それを見たアセビはどこか満足そうに頷いた。


「それにしても出来損ない、ねぇ……。

 見えるものばかり見てきたせいで、見るべきものが見えなくなっているんだろうな、きっと」


 アセビの発言にキョトンと首を傾げるルピスに、

「それでおまえには――何が視えている(・・・・・・・)?」


 そう言いながら(わら)ったアセビの顔は凶悪に歪んでいた。

 見開いた目。上がり切った口角に、剝き出しになった犬歯。


 様変わりしたアセビの表情にびくりと反応したルピスは、目をぱちくりとさせた。


 アセビは歪んだ顔に手を翳すと、

「――おっと、いけねぇいけねぇ」

 その手が通り過ぎたときにはそれまでのアセビの顔に戻っていた。


 元のキリっとした顔に戻ったアセビが視線を落とすと、

 

 ”ひかり”


 いつの間にか紙にはそう文字が書かれていた。


「光? ちなみにそれは今も視えているのか?」


 ルピスは不思議そうな顔を浮かべた後、コクリと頷いた。


 その反応に、

「……ちょっと確かめたいことがある。今から出かけるぞ」


 真剣なアセビの表情に、ルピスは一抹の不安を覚えた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


 二人が街外れまで歩いてきたときには、空はすっかり暗闇に染まっていた。


 ――この先に何が待っているのかな。


 ルピスの足取りは重かった。


 先を歩いていたアセビが立ち止まる。


「よしッ。このあたりでいいだろう」


 ルピスには何が何だかよくわからなかった。


「お前が視えているのは恐らく妖精だ」


 ルピスは再び首を傾けた。

 ――妖精?


 ファトス家の屋敷で読んだ絵本に、容姿が美しい妖精族や長耳族、笹耳族と呼ばれる一族が存在することは知っていた。


 しかし、ルピスの考えを読んだかのようにその考えは否定される。

「妖精って言っても妖精族じゃないぞ? 正真正銘の妖精だ。世界の一部。現世(うつしよ)の欠片。まぁ、なんだ。世界にいっぱいいる目には見えない働き者たちだ!」


 アセビの妖精の説明にルピスは曖昧に頷いた。

 ――世界にはそういうものがいるんだな。

 そういうぐらいの認識だった。


妖精(それ)は私にも視えない。だが、どういうわけかお前にはそれが視えている。おもしろい!」


 ――おもしろい、のかなぁ?

 ルピスは再び首を傾けた。


「私は旅人でな。とある探し物の最中なんだ。だからこれはほんのちょっとした寄り道だ」


 アセビは静かに歩き出し、ルピスと距離を取り始める。

 ルピスもそれに付いて行こうとするが、アセビが手を出して制止した。


「白金貨十枚。さすがの私でも手痛い出費だ。だから、お前にそれだけの価値があるか試させてもらう」


 その物言いに不安げな様子でその場に佇むルピス。


 ある程度の距離でアセビは振り返ったかと思うと、

「今から私はお前を殺す!」


 ――え?

 ルピスは驚きに目を丸くした。


「死にたくなかったら私を止めて見せろ! そうすれば私の旅に連れて行ってやる!

 そうでなかったらこの場で――死ネ」


 瞬く間に、見たこともない大きさの火球がアセビの手に生み出される。


 見上げるほどの大きな火球。

 まだ父親がルピスを我が子として扱ってくれたころ、その父親がかつて見せてくれた火球よりも数段大きな火球(それ)


「力はそれを認識できて初めて力になる」


 アセビは(わら)っていた。


「強く祈れ――生きたいと。

 強く願え――殺したいと」


 その瞳は冷めきっていた。


「さもなくばお前はここで――オワリダ」


 ――死にたくないッ! やめてッ!


 アセビが火球を放つ直前に、

「なん、だと……!」

 その身の丈を大きく超えるほどの火球は、突如霧散して消えた。


 驚きのあまりアセビが自身の手を見つめながら、

魔力抵抗(レジスト)? いや、ちがう。なんだ今のは……?」

 その口に浮かぶ笑みを抑えることができないでいた。


 呆然とするアセビにルピスは、

 ――やめてッ!

 心で叫んではみるものの、アセビは止まらない。


 その顔には凶悪な笑みが浮かんでいた。


「モットダッ! モットミセロッ!!」


 今度は両手を左右に広げると、左右の手には火球が生まれる。


 ――消えてッ!


 しかし、またしてもその両手の魔法は放たれる前に霧散した。


 荒い息のルピスを前にして、アセビはしげしげと自身の両手を見つめた。


 そして、ため息を吐くと、

「これはあんまり使いたくなかったんだがな。

 仕方ない――<真相顕現(リリース)>」


 メキメキと音を立てて、アセビの左腕が異形の形へと変貌を遂げる。

 禍々しい赤の鱗をもった腕へと、それはまるで圧縮された竜の腕。


 変貌を遂げた左手を再び翳すと、今度は青い火球が翳した掌で生み出される。


 ――消えてッ! 消えてッ!


 その火はこれまでと違い、どれだけルピスが願っても消えることはなかった。


「無駄だ。この火は消せない」

 

 首元を通り過ぎて駆け抜けた。

 ルピスの長い髪に穴を開け、遙か遠くの山にぶつかると激しい轟音をもたらした。


 遅れてルピスの首元をひりつく熱の痛みが襲った。


「次は外さない」


 縦に開いた彼女の瞳孔は本気だった。


 ルピスは混乱の中にいた。

 アセビは祈れという、願えという。


 でも誰に? 家族さえも見捨てた自分の声を誰が聞いてくれるのか?


 ふとアセビの言葉が甦った。

『見えるものばかり見てきたせいで、見るべきものが見えなくなっているんだろうな』


 ――ぼくが見るべきものはなんだろう。


 アセビは言った。ルピスには妖精が視えていると。

 思い返すといつだって妖精は助けてくれていたのかもしれない。


 隷属の儀だって、今このときだって。


 ルピスは目を瞑ると、

 

 ――妖精さん妖精さん。ぼくに力を貸してください。

 

 手を組んで真摯に祈り始める。


 すると、世にも珍しい雪のような彼の白髪がふわりと舞う。

 大地は謡い、風が舞う。彼を照らす陽の光はその輝きを増す。


 心底笑うアセビを前に、世界が輝きだす。

「これが出来損ない……? ハハハ、魔法貴族も落ちたものだ」


 女性と見まがうほどの長さをもつルピスの長い髪が淡く発光しだす。


 世界が震えていた。

 

 興奮したアセビが足を進めようとするが、大地がそれを捉えて離さない。

 アセビの足元だけぬかるんだように沈み始める。

 草木がその体へと絡みつくように纏わりつく。

 馬鹿げた膂力で無理やり足を進めると、今度は風が立ち塞がるようにその行く手を阻む。


「はは、ハハハハ……!」


 一心不乱に祈り続けるルピス。

 アセビを縛り付ける力はますます強くなる。


「なんだこれはッ! 想像以上だ……!」

 

 ルピスの前に来る頃には、アセビの下半身は大地に囚われ、上半身は草木に覆われていた。

 僅かにその隙間から顔と鮮やかな髪が見えるくらいだった。


「参った! 参った参った!

 ルピス? おーいルピス!

 私が悪かった! 私が悪かったからーーッ!」

 

 アセビの悲鳴が夜の草原に木霊した。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 その後、アセビの悲鳴に気がついたルピスが祈りをやめることで、アセビはなんとか地中から脱出することができた。


 アセビはコホンと咳払いすると、

「――なんだ。ルピス。合格だ」

 何事もなかったかのようにそう切り出した。


 風もないのにざわざわと草木が揺れ始める。

 アセビの周りだけ急に気温が下がる。


 アセビの頬に珠の汗がつたった。


「……今のなし。えー、なんだ、その。ごめん。一緒に旅をしないか?」


 草木の揺れが止まった。

 下がった気温が元に戻る。


 アセビは、ふー、と額の汗を拭った。


「あ、そうだ。ルピス。これだけは先に言っておかないとな。お前は、お前だけの魔法を使えるよ」


 唐突に切り出されたアセビの言葉に、ルピスは目を丸くする。


「無詠唱魔法って言ってな。使い手を選ぶから今じゃ廃れた技だけどな。私が教えてやるよ」


 魔法使いになれる、それはルピスが心の底から欲してやまなかった言葉。


 ほろりと瞳の奥にこみ上げてきた熱がこぼれた。



「お前には――魔法使いの素質がある」



 それはこれまでに流してきたものとは違う。優しさの雫。


 ――笑わなくちゃ。でも、なんでだろう。涙がとまらない。


 ポロポロと泣きじゃくるルピスを前に、アセビは顔を逸らしてポリポリと頬をかくと、


「ん」


 黙ってルピスを抱きしめた。

 長身のアセビ。小柄なルピス。

 二人の身長差でルピスは豊かな胸の下に顔が隠れる。


 しばらく抱き合う二人。

 二人の抱擁はルピスの嗚咽が止まるまで続いた。


「……泣き止んだか? じゃあ帰ろう」


 そう言ってアセビはルピスの手を引いて歩き出した。


「にしても、今夜はやけに空が綺麗だな。こんな綺麗な夜空は一年ぶりか?」


 そう言えば毎年この季節は一日だけ今日みたいな綺麗な夜空が見られるんだよな、と言葉を続けた。


「よかったな。私たちの出会いに乾杯だ」


 二人の上には雲一つない空が続いていた。

 星が燦燦と輝いている。それはまるで空に輝く宝石の海。


 動転しっぱなしで空を見上げる余裕がなかったが、ルピスにとってこれが初めて見る夜空だった。


《おたんじょうびおめでとう》


 聞こえないはずの声が聞こえた気がした。


 ――え?


 ルピスは足を止めて振り返るように夜空を見上げた。


 夜空はただ無言で二人を優しく照らしていた。


 ルピスはただ少し、アセビの手を握る右手に力を込めた。


 二人は再び歩き出した。


 ――この先に何が待っているのかな。


 その足取りは軽かった。

 

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[良い点] 二人の前途に幸いあれ、と祈ります。 [気になる点] アセビさん、友人いないでしょう。まともな人間関係、培ってきてないでしょう。 妖精さん「やりすぎーーー!」 [一言] 奴隷商の所の描写が細…
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