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第二章 新たな出会い
家を出てから十日余りが経った。初めは目新しく映った麦畑も次第に飽き始めた頃、ホーン国との国境へ辿りついた。手続きを無事に済ませ、再出発したのは今から二日前。それから延々と広がる緑色の絨毯を眺めながらソフィーたちは馬車を走らせていた。
「ねえ、学園まではあとどのくらいなの?」
きちんと舗装されていないのだろう。ときおり馬車が激しく揺れる。退屈な時間を紛らわせてくれる反面、その代償に身体のあちこちを背もたれや壁にぶつけていた。ソフィーはクリーム色のブラウスの上から鈍く痛む箇所をなでる。
王国が夏だったこともあってかホーン国へ入っても気温はさほど変わっていないように思う。ただ差し込む日の光が自国のそれよりもずいぶんと柔らかく感じた。
(この道はいただけないけど、この気候が一年中続くのだからとても過ごしやすい国よね)
さすがに毎日晴れているのではなく雨や曇りの日もあるだろうが。ソフィーが馬車と並走して流れる白い雲を眺めながらそんなことを考えているとフィンの声が聞こえてくる。
「もう少しで学園が見えるはずです、お嬢様」
声は御者と自由に会話ができるようにと開発された魔道具から発せられたものだった。ソフィーの正面、カミラが座っている背もたれの上にその魔道具は埋め込まれている。
「よかったですね、お嬢さま」
カミラが壁飾りのような楕円形の魔道具を見つめながらホッとしたような表情を浮かべた。薄茶色のブラウス越しに腕をさすっているところを見ると、彼女も馬車の揺れで身体をぶつけたのだろう。
(もう少しの辛抱ね)
ソフィーは侍女に同情しながら窓の向こうに広がる、見慣れてしまった景色を再び眺め始めた。
何事もなく走り続けていると、静かだった車内に再びフィンの声が入ってくる。
「お嬢様、左前方にユグドラシルが見えてきましたよ」
侍従からの知らせに反対側の窓を覗き込む。天を衝くような光の柱が遠くの方で見えた。
「あれが? 木っぽくないのね」
「木なのに葉っぱもないなんて。離れているからそう見えるのでしょうか?」
同じように外を見るカミラが同意してきた。たしかに彼女の言う通りだ。前方に見える柱のようなものには緑色の部分がない。ソフィーが首をかしげていると、フィンがその疑問を解消してくれた。
「離れているということもありますが、隠ぺいのための幻術がかけられているせいでしょう」
「幻術……。気候を変えているだけじゃないのね」
ソフィーが驚嘆の声で呟くと、侍従からの解説がさらに続く。
「気候もそうですが、元々の目的は巨人族からユグドラシルを隠すことにあったようですよ」
「フィンさんって物知りなんですね」
感心するカミラの声を聴きながら、ソフィーは陣の礎になっているはずの塔を探した。
(木が見え始めたんだから、学園も見えるはずよね)
国立学園は六つの塔から成り立っている。塔はそれぞれが専攻科目としての役割もしているらしい。光や空、微生物や細菌などの目には移らない物質の研究をしている光の塔。火を使い、物質を溶かしたり、熱することで変化する物質の研究などをしている火の塔。それとは逆に、物質を凍らせたり冷やしたりなど水を使って物質変化の研究をしている水の塔。そして、ユグドラシルの研究を始めとした植物全般に関する研究をする木の塔。地脈、鉱物に関することを研究している土の塔だ。これらの塔はそれぞれの研究のみならず互いに連携を取り共同で研究もしているらしい。そして最後、これらにあてはまらない分野を研究している塔が、ソフィーが席を置くことになっている闇の塔だ。色々な分野の研究が可能となっているが、主に力を入れているのが呪い・占い・神話・宗教などのようだ。
(改めて考えるとやっぱり不安しか浮かばないわね)
本当にやっていけるのだろうか。ソフィーは無意識に胃の辺りを押さえた。
(わたくしの精神衛生上、学園探しはやめておいた方がいいかもしれないわね)
ソフィーは気分転換に目線を別の方へ移す。
「……? 何かしら?」
茶色の塊のそばで光る何かが動いていた。ソフィーは腹部にあてていた手を外し、指を差す。
「馬と……人ですかね?」
「フィン、近づいてみてちょうだい」
ソフィーは、首をひねるカミラを横目に侍従へ指示を飛ばした。
「かしこまりました」
返事とともに馬車が左へ逸れる。その間もソフィーはその物体から目を離さなかった。
距離が縮まるにつれ、目標物だった塊がハッキリと見えてくる。茶色く見えたモノはやはり馬だった。しかも座っているようだ。その横で女性が馬に背を預けるように座っている。
「白妖精族の方のようですね」
光って見えたのは彼女の肩より短い金色の髪が反射していたからだろう。ソフィーがカミラの問いに無言で頷いていると、カミラから嘆美する声が聞こえてくる。
「種族名の通り、いつ見ても肌が透き通るほど白いですね」
うっとりとした表情で女性を見つめるカミラにソフィーも同意した。
女性は日の光を浴び、輝いているようにも見える。黒い服が彼女の肌の白さをさらに際立たせているのかもしれない。
「フィン、馬車をとめて」
ゆっくりと速度を落とし馬車が停車する。ソフィーは黄色い花が無数に刺繍されているスカートを翻し、馬車から降りた。そして、カミラとともに女性の元へ歩み寄る。
「何かあったのですか?」
女性は自分たちの来訪に驚いているようだった。目尻の赤いアイシャドウがなくなるほど大きく碧色の瞳を見開いている。
「大丈夫ですか?」
返事がないことを心配してだろう。カミラが腰を屈め、女性の顔を覗き込む。先の尖った女性の長めの耳が上へ跳ねた。