08
「とうとう正体を現したな!」
天井を突き抜けそうなほど大きくなった狼の姿にアルノルドが叫んだ。ソフィーは構える大人たちを尻目に感嘆の声をあげる。
「あなた本当にフェンリルだったのね」
巨狼の三角の耳がピクリと動き、目線を向けてきた。ソフィーは見慣れているはずのフィンのアーモンド形の瞳に既視感を覚える。
「フィン、あなた……」
手を伸ばし、フィンへ近づこうとした。だがその前に、カリーナが踊り出る。ソフィーはそのままカリーナに押しやられ、フィンと引き離されてしまった。
「ちょっと、待って」
「捕まえるわよ!」
カリーナの合図で壁だった木材から蔦が伸び、巨狼となったフィンの身体に巻きつく。しかし、フィンには効いていないようだった。歯を剥き出し、蔦を噛み千切る。フィンを拘束していた蔦は彼が身を振るわせるだけであっさりと床に落ちた。
『ガァルルルゥ』
フィンは鼻先に皺を寄せ、アッシュグレーの毛を逆立たせた。ミシミシという木の軋む音や床板が砕ける音が響く。フィンはさらに身体を大きくさせると、窓を壊し、そのまま出ていってしまった。
「フィン!」
「逃がすな!」
「追いかけるぞ!」
ソフィーが叫ぶと、イーヴァルとアルノルドがフィンのあとを追い窓から外へ出ていった。
「やっぱり蔦じゃ駄目ね。黒妖精族が作った綱と剣を用意しないと」
「すでに用意してあるから安心して。今、妹と連絡を繋げたから」
カリーナの言葉に、フレアがいつの間にか楕円形の水球を手のひらに出現させていた。どうやら水球の向こう側は別の場所とつながっているらしい。フレアの妹なのだろう。見たことのない白妖精族の女性が映っていた。
「フェンリルの場所がわかり次第座標を伝えるから転送をお願い」
言うやフレアは水球を消滅させ、カリーナとともに部屋から出ていく。
「どうなってるんだよ」
あっという間にいなくなったフィンと大人たちに、リキャルドがぼそりとこぼした。
(わたくしもフィンのことを追いかけなきゃ)
そうは思うものの、あまりの出来事に身体が上手く機能してくれない。ソフィーは、フィンが立っていた場所を見つめる。
「フェンリルの姿なんて初めて見るはずなのに……」
なぜか懐かしく、そして愛おしく感じた。本で描かれているフェンリルを見たときの感覚とはまるで違う。しかしそれがなんなのかわからず、もやもやする。
「これって」
足元に、フィンが着ていたお仕着せの残骸が落ちていた。無残に裂かれた黒い布の中に水色の布が埋まっている。ソフィーはしゃがみ込み、その水色の布を引っ張った。
(大切なものなのに落としていったら駄目じゃない)
それはフィンがいつもポケットに入れていたスカーフだった。ソフィーはスカーフを畳もうと指先を滑らす。
「嘘……」
隅に縫ってあった刺繍に目を向け、息を呑む。見覚えのある拙い技巧で、ソフィー・ダールと自身の名前が刺繍されていた。
(これわたくしが刺したやつだわ)
そしてそれは怪我をした仔狼の足に巻きつけたハンカチだった。
「フィンだったの?」
ようやく得心した。フェンリルの姿になったときのフィンを見て抱いた既視感が今、はっきりとわかった。
「行かなきゃ!」
ソフィーはよろめきながら立ちあがる。フィーナが寄り添うように肩を支えてくれた。
「わたくしも行きます」
「そうだな」
「フィーナ様、リキャルド様……」
ソフィーは二人の申し出に頭を下げた。
「ぼくもご一緒させてもらいましょう。一応原因のようですし」
「それじゃ、ぼくは馬車を用意してくるよ」
「オルソン先生。それにトールヴァルド様も……ありがとうございます」
肩を竦め苦笑するオルソンとトールヴァルドの気遣いにソフィーは胸を熱くさせた。
「お嬢さま、一体何が起きたのですか?」
駆け出すトールヴァルドと入れ替わる形でカミラが部屋へ入ってくる。たが、その足はすぐにとまった。局地的な暴風に襲われたかのような室内の惨状を見て驚いているのだろう。ソフィーは入り口で立ち尽くしているカミラの元へ近寄った。
「フィンが、わたくしの仔狼でフェンリルだったの」
「フィンさんが仔狼でフェンリル? フェッ! フェンリルってあの恐ろしいフェンリルですか?」
最初はわかっていないようだったが、自分で口に出すうちに理解できたらしい。カミラが目を丸くし、まくし立てきた。ソフィーはカミラを落ち着かせようと、声を落としゆっくりとした口調で話し始める。
「フェンリルでもあの仔だってわかったら全然恐ろしいとは思えなかったけど、ユグドラシルを燃やして洞窟に封印されていたフェンリルなのはたしかみたい」
「あの仔って誰のことだ?」
「昔、わたくしが飼っていた仔狼なんです。まさか、こんなにそばにいたなんて」
ソフィーは頬に手をあて、リキャルドの問いに応えた。カミラが窺い見てくる。
「お嬢さまはフィンさんのことを怖いとか思わないのですか?」
「怖い? 全然。むしろわたくしは怒っているのよ!」
ソフィーは、蒼ざめた顔でこちらを見てくるカミラに向かって自身の気持ちを吐露した。隣でフィーナが同情するように入ってくる。
「ずっと騙されていたのですからそれは当然だと思いますわ」
「違うんです。フィンは、わたくしがずっと仔狼を捜していたことを知っていたんです。すぐに打ち明けてくれたらずっとあの仔と一緒に暮らせたんですよ。それもあんなに大きくなれるのに!」
鼻息を荒く言い切りスッキリしていると、フィーナが驚いた様子で見つめてきた。




