04
「……お嬢様も十五歳になられたのですから、これを機にそのようなぬいぐるみなどなくして眠れるようになってはいかがでしょう」
フィンに正論を言われ、ソフィーは眉間に皺を寄せた。
たしかに侍従の言うことはもっともだと思う。しかしこの仔狼は普通のぬいぐるみとは違い、思い入れのあるものだ。それは彼も知っている。それにも関わらず苦言を呈してきたということはよほど目についたのだろうか。
(置いていかないと駄目かしら……)
ソフィーは仔狼をじっと見つめた。置いていくの、と黒い瞳が告げているみたいで、ソフィーは仔狼を再び抱きしめる。そこへ、カミラが間に入ってきた。
「よろしいではありませんか。いくつになっても女性は可愛らしいものが好きなのですから」
「ですが」
「それにあのぬいぐるみはお嬢さまがとても大切になさっているのですよ。そうですよね、お嬢さま」
フィンに反論をさせないようにカミラが言葉を被せてくる。そしてその勢いのまま顔をこちらへ向けてきた。このまま押し切ってしまいましょう。濃い水色の瞳がそう語っているみたいだった。ソフィーは侍女のあと押しに満面の笑みを浮かべる。
「ええ。そうなの。前にも話したことがあると思うけど、昔、お父様と一緒に領地の端へ遊びにいったときがあってね」
「お嬢さまがお転婆をなさって、旦那さまとはぐれてしまったんですよね?」
「死に物狂いでお嬢様を捜索なさる旦那様の顔が目に浮かびますね」
肩を竦めるカミラとフィンの反応にソフィーは頬をふくらませた。
「ひどい言いぐさね。ちょっとよそ見をしている間にお父様と離れ離れになってしまっただけよ。でもそのおかげでこの仔のモデルになった仔狼に会えたのよ」
どれだけこのぬいぐるみが大切かを語ればフィンも同行を認めてくれるはずだ。ソフィーは胸に抱いていた仔狼を侍従たちに見せつけるように掲げた。
「私がお屋敷にあがったばかりの頃でしたね。たしかお嬢さまが足に怪我をしていた仔狼を手あてして、お屋敷に連れ帰ったのですよね」
「ええ。ちょうどフィンが持っているスカーフのようなハンカチだったかしら?」
ソフィーはカミラの問いに応じながら、フィンの胸元へ目線を向ける。黒いベストの左胸のポケットに、淡い水色のスカーフが入れてあった。
「これですか?」
フィンが大切そうに胸元をなでる。だがその表情はどこか険しかった。大切なものと一緒くたにされて嫌だったのだろうか。
いつの頃から入れてあるのかはわからないが、気がつけば彼の胸元には毎回あのスカーフがあった。もしかしたら思い出の品なのかもしれない。ソフィーはフィンの顔を窺いながら話を続けた。
「あくまで似たような色だってことよ。でもそうね、もう少し濃かったかもしれないわ。それで、仔狼はとても疲れていたらしくってね、素直にハンカチを巻かせてくれたのよ」
「それからしばらくの間、お屋敷で一緒に暮らしていましたよね」
始めは難色を示していた父や母も、必死の説得に最後は認めてくれた。それからは毎日が仔狼中心の生活だった。昼は一緒に庭を駆け回り、夜はベッドで仔狼を抱いて眠りにつく。そんな楽しい日々を思い出し、ソフィーは満面の笑みでカミラに首肯する。しかしずっと続くと思っていた生活は呆気なく終わりを告げた。
「ある日突然いなくなってしまったの。それがとても悲しくてね。あまりにも落ち込むわたくしを見るに見かねて、お父様とお母様が仔狼に似せたこのぬいぐるみを作ってくださったのよ」
「そのぬいぐるみのおかげでお嬢さまに笑顔が戻り、お屋敷の者たちも安堵いたしました」
カミラが感嘆のため息をついた。そしてじろりとフィンを見据える。
「そんな思い出の詰まったものを、親元から一人離れるお嬢さまに対してフィンさんは置いていけと言うのですか?」
侍女の冷たい眼差しに、侍従がたじろぐ。
「僕は何もそこまで……」
「では、このぬいぐるみを持っていっても構いませんね」
カミラがずいっとフィンの前へ詰め寄った。彼女の圧に侍従が押し黙る。しばし黙考したあと、渋々といった態で頷く。
「……お嬢様のお慰めになるのでしたら」
「なるわ! 当然じゃない」
ソフィーは間髪を入れずに応えた。フィンに意見を変えられる前に鞄の中へ仔狼を入れてしまわなければ。柔らかな毛並みをひとなでしたあと、ソフィーはカミラへ仔狼を渡す。
「これで、あちらへ行ったときにお寂しくなっても安心ですね」
「そうね。でもカミラたちが一緒だから、そこはあまり心配していないわ。それよりもあちらで婚約者を見つけられるかどうかの方が心配ね」
五歳の頃から今まで数えきれないほどの見合いをしてきた。だがどういうわけか、どの人にも別の相手が見つかり、いつも破談で終わる。
(まあ、わたくしが他の女性との仲を取り持ってしまうからいけないのかもしれないけどね)
好きな人がいるのならその人と一緒になって欲しい。家のために自分の気持ちを押し殺してまで結婚をして欲しくはない。そんなのお互いが不幸になるだけだ。
このような考えは、貴族としては間違っているかもしれない。しかし、想い合っている両親を見て育ってきた自分にとって結婚とは、夫婦とはそういうものだと認識している。だからこそ妥協はしたくなかった。口には出さないが、両親もそれは認めてくれているようだった。
だから自分が手伝って上手くいくのなら、とついついおせっかいを焼いてしまうのだ。しかも不思議なことに、相手がいない場合でも幾度かデートをすると、なぜか相手側が運命的な出会いをする。そうなると最後。その人の恋を応援したくなる。結果、お見合いの話はなかったこととなり、ソフィーには今も婚約者がいない。
(そのせいでお父様とお母様にはいつも落胆させてしまっているけれど……)
もちろん見合い相手の仲を取り持ったことを後悔してはいない。だが、暗い表情の両親を見ると申しわけない気持ちになるのもたしかだった。