20 諦めきれない
尻切れトンボにも程があるということで少しだけ追加です。
自室に戻ったミオは勢いそのままベッドに倒れ込んだ。
――悔しい。憎い。腹立たしい。
色んな感情がないまぜとなって襲ってくる。
ミオには全てが備わっていた。恵まれた環境にあぐらをかくことなく研鑽を積み、地位に見合った実力を身につけてきた。
その名声は高く、次の魔導師はミオに間違いないと言われてきたのに。
(……どうして)
今までは全てを手に入れてきた。
なのにどうして、欲しいものは手に入らないのだろう。
心を奪われた人は全くの脈なしではあったが、それならば振り向かせてみせればいい。
――魔導師になって、まるごと手に入れてみせる。
旧態依然として口やかましい五家の面々ですら手中に収めてみせると決意を固めれば、あれほど煩わしかった社交の場は貴重な情報収集の場へと変わった。
そしてセイジの異質さを思い知る。
ミオより前に魔導師候補だと名高かったセイジは、何事においても規格外だった。
魔力量に限れば力を半分失ったセイジよりミオの方が勝っているのに、魔法の勝負で勝てた試しがない。
五家内ではならず者扱いだというのに、下につく者はセイジを高く評価する。
三の家の家長候補から外されたセイジの元には、兄であるカズマから有象無象だと判断された仕事ばかりが回されてくるのだという。セイジはその中から事の大小を見極め、着実にこなしていた。
時折、カズマの手に負えない案件を陰から支えていたのをミオは知っている。カズマに悟られることなく手を回し、功績はカズマの元へ。けれどセイジが動いたことを知っている者はセイジへの信頼を篤くしていった。
ミオもまたその一人で、はりぼてのようなカズマよりもセイジの方が三の家の次期家長にふさわしいのではないかと内心思っている。
五家のあり方に疑問を抱きつつあったミオにとって、ハシバと共にセイジもまた外せない人となっていた。
魔導師となったその時、未来の五家にはセイジがいて欲しい。
――そう、思っていたのに。
裏切られたような気分に苛まれ、ミオは下唇を噛みしめる。
目の前に涙の膜が張っていくことに気付いてぎゅっと目を閉じれば、はたりと寝具に涙が落ちた。
コンコンコン。
扉がノックされる音がする。
「……誰かしら?」
どうせリサかエマか、双子のどちらかがご機嫌伺いに来たのだろう。
そう思っていたミオの耳に低い声色が届く。
「――ミオさん、少し、いいかな」
「……」
予想すらしていなかったレティスの声に涙が引っ込んでいった。
「ミツルさんもいるんだ」
「っ、」
がばりとベッドから起き上がる。
急いで部屋の扉を開ければ、言葉通りレティスとハシバがいた。
「ミツルくん……!」
レティスを押しのけ、ハシバの眼前に立てば困ったように眉を下げられてしまった。
「僕から貴女に話すことはなくてですね。レティスの話を聞いてもらえませんか?」
ハシバはレティスの肩を掴んでミオとの間に割り込ませる。
「なにかしら?」
「や、話っていうか……その、ご飯途中だったから。戻って一緒に食べませんか?」
「…………はぁ?」
言うに事欠いて食事の誘いが来るとは思わなかった。
ハシバも同感だったのか、眼鏡の奥の瞳がわずかに丸くなっている。
ミオはレティスの顔をまじまじと見つめ、はぁとため息をついた。
「話にならなくてよ。どうしてあなたと食事しないといけないの」
「オレとってわけじゃなくて、みんなと食べようよ。……一人は、だめだよ」
ふるふるとレティスは頭を横に振る。
どうやら至極真面目に言っているようだ。
レティスの真意は分からないが、いきなりルーフェが食事の場に現れた理由は分かる気がした。
「そうやって、あの女も誘ったというわけね。なんて馬鹿馬鹿しい」
魔導師が食事を必要としないというのは周知の事実だ。
無駄なことをと切り捨てるミオに、レティスは首を傾げてみせた。
「? ミオさんは、魔導師になったらもう誰とも食事しないのか?」
「――っ! ……そ、れは……」
それはまさに盲点だった。
返事に詰まるミオを見上げ、レティスはたどたどしくも言葉を紡ぐ。
「魔導師だろうとなんだろうと、一人だけのけ者になるのはおかしい。……と、オレは思ってて。やっぱり一人きりと誰かと一緒に食べるのは違うよ。同じ場にいて、同じテーブルを囲むだけでも気分は変わるから」
あまりにもまっすぐに見つめてくるものだから、ミオは顔をそらしてしまった。
「……戻ったところで、あの女に見下されるのがオチじゃないの」
「ルーフェはそんなことしないよ」
「どうだか。それにあなたもよ。どうせあたしのこと、あれだけ大口を叩いているくせに大したことないって思っているんでしょう」
自ら卑屈になることで自尊心を保とうとする、そんなちっぽけな存在がミオは一番嫌いだった。
気軽に弱音を吐いていては、人の上に立つことなんてできない。常に気丈でいなくてはならない――そう思っているのに、最も嫌悪するようなことを口にしてしまった。
自分自身に腹が立ち、肩が震える。拳を握りしめる手は力を込めすぎて痛いくらいだった。
「周囲の期待にちゃんと応えられている時点で、ミオさんはすごいと思うよ」
耳に届くレティスの声は落ち着いていて、嘘を言っている風には感じられない。
「オレはなんにもできなかったから。一族の恥だって、なにもするな、って言われて。……抗うこともせずにただ流されてたオレとミオさんは違うよ。ルーフェだってミオさんの実力は認めてた。ミツルさんも、そう思うよね?」
「え……と。まぁ、そうですね。イチヤ嬢の実力は確かだと思います」
いきなり話を振られて一瞬戸惑いを見せるも、ハシバは首を縦に振った。
直接的にハシバに褒められるのはなかなかないことだ。ハシバにとっては些細な一言に過ぎないのだろうが、気分が簡単に上を向いた。
握っていた拳を解き、視線を戻す。
「ミツルくん」
ミオが一歩歩み寄れば、ハシバは一歩後ずさる。
何度も繰り返されてきた光景を前にしても、ミオはくじけない。
たじろがれても、困らせてしまっても、塩対応でも構わない。誰に対しても媚びへつらうことがない、凛とした姿勢にこそ惹かれたのだ。
魔導師であるルーフェが相手でもそれは変わらない風に感じられて、見る目は間違っていなかったと改めて思った。
「……貴女の様子を見に行きたいと言ったのは、他でもないレティスです」
レティスの肩に手を置いて、ハシバがぽつりとつぶやいた。
「取るに足らないものとせずに、レティス自身を見てあげてくれませんか?」
その言葉に、ミオはハシバの前に立つレティスをまじまじと見下ろす。
三日月の南出身だという少年。褐色の肌はスーティラの民の特徴で、銀髪は珍しいと聞くが、どちらにせよ北諸島ではまず見かけない色合いだ。唯一グレーとも紺ともとれる複雑な色合いの瞳だけがノルテイスラの民の血を感じさせる。
ノルテイスラの民であるが故に、水の魔導師となる資格を持つという。
頭では理解していても、気持ちが追いついてこないというのが正直なところだった。
「……ミツルくんも、セイジと同じ考えなの?」
セイジと同じように、レティスを魔導師に擁立しようと思っているのか。
端的な問いにハシバは淡々と答える。
「五家云々は僕のあずかり知らないところなのでなんとも言えませんが、レティスが魔導師になるというのなら協力します」
「どうして? あたしの時はなにもしてくれなかったのに。間の子にどうしてそこまで肩入れするの?」
「その間の子だから、です。レティスの母親が誰であるか、お聞きになりましたよね」
レティスの母――イズミはハシバの父方の叔母にあたる。
失われた『白』の家の顛末を知らないミオではなかった。
「……あなた、レティスと言ったかしら」
藍色の瞳を細め、視線をレティスに移す。
「あなた自身はどう思っていて? 魔導師になれると思っているのかしら?」
「……なりたい、とは思うよ。試験を受けてみると決めたし。でもなれるかどうかは分からないよ」
「なあに? その曖昧な返事は」
「だって賢者様次第なんだろ? どんな試練が来たって大丈夫だなんて言えないよ。オレはミオさんほど魔法は使えないし……どうせなら教えてもらいたいくらいなのに」
弱音とも取れる意見に反してレティスの背筋はぴんと伸びていて、ミオを見つめ返す瞳に迷いはない。
「自信なんてないけど、オレにやれることがあるならやってみたいんだ。なにもしないままは、もう、嫌だから」
「…………そう」
これまで空気のようだったレティスの意志に触れ、ミオはふうと長息をつく。
色々と思うところはあったが、なによりも先に出たのはこんな言葉だった。
「あなた、敵に塩を送ったり、教えを乞おうとしたり、どうかしていてよ」
レティスが魔導師になるにはミオは正しく邪魔者となるはずだ。そんな相手に対しての言動としてはいささか的外れな気がする。
いぶかしげに眉を寄せるミオに、レティスは首を傾げてみせた。
「? ミオさんは敵じゃないよ?」
「……」
「そもそも敵なんていないというか……五家にしたってゆくゆくは共存していく相手だろうし。できることなら争いたくないよ」
呆気にとられるミオに、レティスはさらに追い打ちをかけてくる。
随分とお花畑な思考だ。
敵じゃない? 争いたくない? 誰かが失脚するのを心待ちにし、後釜を狙う者がごろごろいる。それが五家内の常だというのに?
もやもやと黒い感情がミオの内に広がっていく。同時にそんな環境こそ忌むべきもので、そのありかたを変えなければならないという問題を眼前に突きつけられた気した。
「……あなた、変わった人ね」
「え。そう、かな」
「そうよ」
レティスの頓珍漢にも思える言葉には筋が通っていて、望んだ答えではないのに不思議とすんなりと胸に納まっていく。
今までミオの周りにはいなかったタイプの人間を前に、なんだかすっかり毒気を抜かれてしまった。
「もういいわ。今日のところは戻ってあげる」
「ほんと? ありがとう!」
ぱあと笑顔が咲く。
ここまで素直に喜ばれたら悪い気はしない。
視線をレティスの後ろにいるハシバに移せば、どこかほっとしたように目元が和らいでいる。口の動きだけで『ありがとうございます』と伝えられた気がした。
(ミツルくんが喜んでくれた)
笑顔とまではいかなくとも、ミオに対しておだやかな表情を見せるだなんて。
初めてのことにミオの胸が大きく高鳴った。
「ミオさん。ミツルさんも、ほら、戻ろうよ」
レティスに促されるままに応接間へと歩みを進める。
外廊下へ舞い落ちる雪はひやりと冷たく、風が吹けば肌に突き刺さるようだ。ふるりと身震いしたのはつかの間、ふいに風が当たらなくなった。
横を向けばハシバが隣にいて。こちらを見ることもしなかったが、風よけとなってくれたのは明らかだった。
――欲しいものは絶対に手に入れたい。
挫折という言葉はミオの辞書にはない。諦めずにきたからこそ、今の自分がある。
「……あたし、諦めないから」
ミオは隣を歩くハシバの背にも聞こえないよう、口内でそっとつぶやいた。
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続きとなる六章については鋭意執筆中です。
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