18 はなむけのかわりに 1
昨夜の冴え渡る空模様とはうってかわって、夕方頃から低く垂れ込めだした雲からはらはらと雪が舞い落ちる。
こうしてまた少しずつ積もり、冷え込んでいくのかと思う気持ちとは裏腹に、食事の場にルーフェがいることにレティスの心は弾んでいた。
レティスの隣に座るルーフェを見て、セイジはわずかに驚いた顔をしていたがすぐに平然となり、その場にいた使用人へなにやら指示を出していた。
「これはまた、ルーフェ殿がいらっしゃるとは珍しい」
「……騒がしくなるかもしれないけど、同席させてもらうわ」
「なに、全然構わない。賑やかになっていいんじゃないか?」
からからと笑うセイジを見てルーフェは呆れたようにため息をつく。俯いた拍子にこぼれ落ちた髪を耳にかけると、左耳に見慣れた耳飾りがあることに気付いた。
「ルーフェ、それ……」
とんとんと耳を指で示す。
謝罪の場という名目の話し合いが終わってから、セイジは仕事を片付けると早々に部屋を出ていき、アオイもまたそれを手伝うと後を追った。
残されたレティスは部屋に戻ろうかと腰を浮かしたが、ルーフェとハシバの二人がそこにいるかもしれないと頭をよぎる。邪魔をするのではないかとためらわれ、どうしようかと考えた末に屋敷の片付けを手伝うことにした。
ついでにルーフェの失くしたという耳飾りも探せばいい。
リサやエマといった使用人に混ざって離れの瓦礫を片付けたが見つからなかったそれがルーフェの耳にあった。
「あぁ、うん。ハシバが持っててくれたの」
なんでも魔石が全て欠けてしまっていたため、付けっぱなしは危ないだろうと外してくれていたらしい。欠けた魔石を外して、失くさないようにつけることにしたとのこと。
言われてよく見れば銀の中に光る青がない。印象が変わるかと思いきや精緻な銀細工の主張は大きく、魔石がなくともそういうものとしての存在感があった。
レティスの膝の上にいたシズはなにやらじっと耳飾りを見つめていた。ルーフェがシズの視線に気付くと途端に興味を失ったように丸くなる。
「そっか。……で、ミツルさんは?」
一緒にいたはずなのに姿が見えないとレティスは首を傾げる。
「あぁ、なんか用があるとかでどっか行っちゃって……セイジのところに行ったのかと思ってたけど」
「あー……まぁ、来たっちゃあ来たな」
話を振られたセイジは珍しく歯切れが悪い。
なんでもトウマとクラキに会ってもいいかと聞かれ、アオイも同席するのならと許可を出したそうだ。
セイジ自身は自室で仕事を片付けていたためそれ以降は見ておらず、その後のハシバの動きを答えたのは食事を運んできたリサだった。
「ミツル様なら先程見かけましたよ。アオイ様、ミオ様と一緒におられました。もうすぐお食事ですとお伝えしましたので間もなく来られるんじゃないでしょうか」
その言葉通り、外の廊下からなにやら声が聞こえてくる。
襖を開けてまず入ってきたのはアオイで、何故かミオの片腕を掴んでいた。立って並ぶとミオの長身が際立っている。
そんな二人から少し遅れてハシバが続く。目元には眼鏡が戻ってきていた。
「ごめんね遅くなっちゃった。もう始めちゃってる?」
「いや、ちょうどいいくらいだな」
「ちょっとアオイ、離しなさいよ。あの人がいるわけないんだから――……」
アオイに文句を言いながら部屋を見渡したミオの視線がある一点で止まる。
大方の予想通り、ルーフェを視界におさめてミオの表情が一変した。
「……その髪、どうなさったの?」
「見ての通りよ。トウマに切られちゃったから、カレンに揃えてもらったの」
「そう…………」
不自然な沈黙が落ちる。
ミオにしては威勢がなく、視線には迷いすら感じられた。
「ほらミオ、謝るんじゃないの?」
助け舟を出したのはアオイで、とんと片手でミオの背を押す。
手を伸ばせば届く距離のミオに見下ろされながら、ルーフェは首を傾げた。
「? ミオちゃんに謝られるようなことはないと思うけど」
「……あー、ルーフェ殿。ミオは昨日、あの二人が動くことを知ってて止めなかったわけでな」
「そう……や、それでも別に謝られるいわれはないかな。言ったでしょ、互いに至らないところがあっただけだって」
セイジに補足されてもなお、昼間の話をルーフェは繰り返す。
「それより、これからご飯の時もお邪魔することにしたから。目障りかもしれないけどよろしくね」
にこりと微笑むルーフェをミオは苦虫を噛み潰したように見据えた。
「……あたし、あなたのそういうところが気に食わなくてよ」
「私はミオちゃんのそういうところ、嫌いじゃないな」
言外に火花が散ったような気がするも、誰も割って入ることはしない。
気まずさに視線が泳ぐレティスとは対照的に、セイジの隻眼が細まりわずかに口角が上がる。この状況を楽しんですらいるようだ。
かたやハシバとアオイはどうかと視線を移せば、こっそりとアオイがハシバの肩を小突いていた。
「……ミツル殿も大変ねぇ……」
「……」
憐れみすら感じさせる物言いに、ハシバははぁと深いため息を返事とした。
席の並びは奥から順にセイジ、アオイ、ミオと並び、向かいにルーフェ、レティス、ハシバと並んだ。
ルーフェとミオを対角線に置いたのはそれが一番平和そうだからというのがありありと分かる。一触即発とはいかないまでも相性が悪いのは誰の目から見ても明らかで、セイジですら二人同時に話題を振ることはない。
ネネの作る料理は相変わらず絶品で、ルーフェも美味しいと顔をほころばせていた。ルーフェと一緒にご飯が食べられることが嬉しかったレティスはつられて笑顔になる。
使用人を褒められて悪い気はしないらしく、酒が入ったこともあってセイジもいつも以上に機嫌がよかった。
「ルーフェ殿も一杯どうかな?」
グラスを傾けながら聞かれ、ルーフェはちらりと周りを見渡す。
「あ、わたしはいいんです。下戸なので」
お気遣いなく、と返すアオイ。
「……飲まない方がいいと思いますけど」
そうぽつりと漏らすハシバ。視線を集めたことで姿勢を正し、ごほんとひとつ咳払いした。
「いえ、バジェステでそう言われたと以前仰っていたなと」
「んー……まぁね」
ルーフェはなにかを思い巡らす素振りを見せる。
ハシバが飲んだ姿は何度か見たが、ルーフェは見たことがない。どうなるんだろうかと純粋に興味がわいたレティスの期待に応えるようにルーフェはセイジの誘いを受ける。
「でもせっかくだし一杯だけもらおうかな。ハシバも、飲みたいならどうぞ」
使用人からグラスを渡されると、セイジが手ずから酒を注いでくれた。
一連の流れをじっと見ていたレティスに気付いたのか、ルーフェはくすりと笑う。
「レティスはもうしばらく先ね。飲める年になったら一緒に飲も?」
「え、あ、……楽しみにしてる」
そんなに物欲しそうに見ていただろうか。
顔に熱が集まった気がして反対側へ顔を向けると、機嫌を取り戻してハシバにお酌するミオが視界に入った。
「はい、どうぞ、ミツルくん」
「どうも」
ハシバは礼を言うもののどこか心ここにあらずな様子だ。
「あたしはあと二年経てば飲めるようになるから、その時は付き合ってちょうだいね!」
「……いやそれは……」
「ほらミオ、ミツル殿困ってるでしょ。それに、押してばかりもどうかと思うわよ?」
「それ、押しの一手でセイジを陥落させた人が言っても説得力なくてよ」
「……っ、ひ、人には向き不向きがあるでしょ」
ミオを諌めるための言葉が返す刀で戻ってきてアオイは明らかにうろたえた。
くつくつと喉を鳴らしたのはセイジで、空いた片手でアオイの頭をぽんと撫でる。
「アオイ、一本取られたな」
「……他人事みたいに言ってるけど、当事者だからね?」
「分かってるさ。お嬢のまわりの成功例がここくらいしかないから真似されてるんだろう」
「う、嬉しくない……」
がくりと肩を落とすアオイ。その頭を撫でるセイジの手付きは穏やかで優しい。
昼間から薄々勘付いてはいたが、今の言動でセイジとアオイの二人が恋人同士だとはっきりした。ミオはもちろんハシバも知っていたようで特段驚いた様子はなく、ルーフェはどうかと視線を移すレティスの耳にくすくすと笑う声が響く。
声の主はルーフェで、やり取りが面白かったのか笑みをこぼしていた。
レティスが目を奪われたのはその表情だ。いつになく柔らかい上に頬がほんのり朱に染まっている。グラスを見てもさほど量は減っておらず、一口二口飲んだかといったところ。
そんなに強い酒なのだろうかと目をしばたくレティスと同様に、向かいの三人もまた狐につままれたような顔をしていた。
視線が集まったことに驚いたのか、ルーフェはわずかに目を丸くする。
「あ、別にばかにしてるわけじゃなくてね。なんか、和やかでいいなぁって。五家同士、いがみ合ってるばかりじゃないのね」
「まぁ、な。家督を継いでしまえば色々しがらみが出てくるが、それまではあくまで個人同士の付き合いになる」
特にセイジとシノミヤ三兄妹、フタバの二人姉弟は年が近いこともあってそこそこ交流があるそうだ。
「にしても、よ。……ミツル殿が飲まない方がいいって言うの、分かる気がするわ」
「だな」
「……」
頷きあうセイジとアオイの二人は意味ありげな視線をハシバに投げる。
ハシバは無言を返事として、料理を口に運んだ。