16 落とし前 3
セイジの言葉を解散の合図と捉えたのか、ルーフェは誰も顧みることなく部屋を出ていった。後を追うか迷う間もなくハシバがその後に続く。
様子がおかしいのは明らかだが追うべきかは悩ましい。
逡巡するレティスを止めたのはセイジで、「ほっとけほっとけ」とからからと笑った。
「なだめすかすくらいあいつにはお手の物だろ」
「で、でも……」
「なんだ、馬に蹴られたいってんなら止めやしないぞ?」
「……っ」
「もう、セイジ、八つ当たりはそのへんにしておいたら?」
一瞬で剣呑な雰囲気となったレティスとセイジの間に割り込んだのはアオイだった。
「ごめんなさいね。この人、可愛がってた弟分を取られて拗ねてるのよ」
「え?」
「アオイ」
低くたしなめるようにセイジに名を呼ばれてもアオイは怯まない。
「なによホントのことでしょう? 姿が見えないミツル殿がルーフェ殿といるって分かって、表立って探しに行くためにミオに口添えを頼んだこと、知ってるんだからね」
「……ゴジョウのやり方じゃいつまでたっても見つからないと、そう言ったまでだ」
「なるほど。そんなこと言われたらプライドの高いイチヤのことだもの、『じゃあお前がやれ』ってなるわね」
くすりと笑うアオイ。
図星をつかれたのかセイジは苦い顔をしていた。
レティスは目を丸くしたまま、いつかのセイジの言葉を思い出す。
「……そう、なんですか? セイジさんからは厄介払いというか、無理やり押し付けられた風に聞いてたけど」
「そうなの? もう、素直じゃないんだから」
ぺし、とアオイは力なくセイジの腕を叩いた。
「まぁね、割って入りたくなる気持ちは分かるわ。もしゴジョウが先に見つけ出してたらミツル殿はただじゃ済まないだろうから……」
風の魔導師と共謀してノルテイスラを混乱に陥れようとしたということになり、良くて免職、順当にいけば追放、最悪の場合は処刑もありうるとアオイは告げる。
平然と並べられた内容にレティスは身震いした。
「で、でも、そんなことルーフェが許さないんじゃ」
「残念ながら不可侵条約がある以上、ノルテイスラで決めたことにルーフェ殿が口を挟む権利はないのよ」
「そんな……」
「ただそれは、ルーフェ殿の人となりが分からなかった時の話だ。昨日の言い分であればミツルに何かしらの罰を与えることは難しいだろう。マナ様が虎の子のミツルを手放すような真似をするのがどうしても解せなかったんだが、ルーフェ殿がすべてを被ることを見越していたんだな」
「巫子は魔導師に従うものっていう原則を逆手に取った形ね。マナ様らしいっちゃらしいわ」
「まったくだな」
頷きあうセイジとアオイに悲壮感はなく、どこかほっとした感じすらあった。
「それじゃ、セイジさんはミツルさんを助けるために……?」
「そういうことね。シノミヤで預かってる元巫子を借りたいって言われた時は何事かと思ったけど」
「他地方の魔導師なんて公にできる話じゃないからな。決して口外せず、事情に明るい者という点であいつらはうってつけだろ」
そしてセイジの読み通り、ルーフェとハシバは見つかった。
唯一想定外だったのは同行者であるレティスの存在で、そこから事態は大きく変わっていったのだとセイジは隻眼を細める。
「まさか魔導師候補を見つけだしていたとはな」
「ホントよ、話を聞いた時はびっくりしちゃった。そう、びっくりしたと言えばさっきのやつもよ。あの二人ってそういう関係なの?」
「え、えぇ……?」
あの二人とは他ならぬルーフェとハシバのことだろう。
ずばり直球で尋ねられるとは思ってもよらず、レティスはまごついてしまった。
「……気心が知れてるとは思うけど……」
「結構前からの知り合いらしい。ルーフェ殿は以前から水神殿に足を運んでいたそうだぞ」
「えっ、何それ、わたし聞いてない。そんな報告受けたことないわ」
「やっぱりお前も知らなかったか。守秘義務の名の下、隠蔽されていたってことだな」
「えぇ……」
愕然とするアオイに容赦なくセイジは追い打ちをかける。
「まぁ魔導師と巫子だからな、さもありなんってところだろう。ミツルはともかくルーフェ殿が、というのは驚いたがどうも潔癖な方のようだからな。肌を許すには心も、といったところか」
「わたしはミツル殿の方がびっくりしたけど。いつも取り澄ましてるのに、あんな年相応の顔するなんて。どおりでミオがまったく相手にされないわけね」
感心したようにアオイは肩をすくめ、テーブルの上に置かれていたお茶を手に取った。ぐいと一息で飲み干してふうと息をつく。
「ともかく事情は分かった。セイジはルーフェ殿たちと大神殿へ向かうんでしょ? わたしはここに残って、五家の様子をうかがっておくわ」
「あとはミオのことも頼む。家のことは――戻ってきたばかりで悪いが、キリュウ、また留守は任せた」
セイジは斜め後ろに控えていたキリュウに話を振った。
今までずっと黙っていたキリュウは頷き、にこりと口元だけに笑みを浮かべる。
「かしこまりました。が、セイジ様しか見れない書類が溜まっていますので出発前に片付けておいてください。部屋の机の上に積んであるので」
「……分かった」
「あとひとつ、確認したいことが」
「なんだ?」
「牢にいるあの二人の処遇はいかほど?」
「あー……そう、だな。ルーフェ殿もああ言っていたことだし、体調が戻り次第シノミヤに戻す。アオイ、いいよな」
「構わないわ。……少し、監視を強めさせてもらうことにはなるけど」
しでかしたことを鑑みると従来通りというわけにはいかないとアオイは渋い声だ。
「それくらいはあいつらも折り込み済みだろう」
「それもそうね。うん。受け入れる準備はしておくから、いつでも連絡をちょうだい」
「かしこまりました。では私はこれで」
ぺこりと頭を下げてキリュウは部屋を出ていった。
後ろ姿を見送って、ふと、素朴な疑問がレティスの頭をよぎる。
――当然のようにこの場にいたが、使用人と思しきキリュウが聞いていい話だったのだろうか。
「セイジさん。あの、キリュウって人には事情を話してたけどいいんですか?」
「ん? あぁ、キリュウはいいんだ。キリュウは俺の側近で――っと、そうだな。この際だから俺の手の内を明かしておくか。少しでもレティスの信頼を得たいからな」
悪びれたところは微塵も感じさせない、人好きのする笑顔でセイジはさらりと言ってのける。
つい耳を傾けたくなってしまうが、すんでのところでレティスは首を横に振った。
「それ、ルーフェがいる時でもいいですか?」
「ほう。何故かな?」
「……共有しておいた方がなにかと助かるかな、って……」
セイジから目をそらし、膝の上で丸くなるシズを撫でながらレティスは言葉を選ぶ。
口ではそう言ったものの、本音は一方的な意見だけを聞くのはなんか違うという漠然としたもの。
セイジの協力を受け入れるのと、話を鵜呑みにするのはまた別だ。セイジのことを信じていないわけではないのだが、なるべく色んな方向から話を聞いてみたかった。
「……いいだろう。では道すがら話していこう」
「ありがとうございます」
「いやいい。それくらい警戒心がないとこの先渡っていけないからな」
隻眼を細め、からからと笑うセイジ。
「それじゃこれから先は俺の独り言だ。……ルーフェ殿の話は信じるに足りるが、どうしても納得がいかない点があってな」
そう前置きして、セイジはテーブルに肘をついた。ぐっと声を潜め、どこかレティスの腹のあたりを見据えるように口を開く。
「あの光の柱――あれは努力云々じゃない、明らかに人でない者の力だ」
生まれつき備わっている人の限界なんてとうに超えた、圧倒的な力。いくらノルテイスラでも有数の魔法使いと讃えられようが、魔導師の前では取るに足らない。
それはレティスも認めるところで、到底太刀打ちできそうにないのは嫌なほど実感した。
「そしてサヤ様もまた、その力を持っていた。人であったルーフェ殿がいくら魔力の才に溢れていたとしても、魔導師に危害を加えることができるとは考えられん。となると……サヤ様は自ら望んで姿を変えたんじゃないか、って。俺はそう思うわけだよ」
「……」
返す言葉が見つからず、レティスはただ、膝の上のシズを見下ろすことしかできない。
鳴かない・喋らないシズ。今もセイジの言葉は聞こえているのだろうが、どこ吹く風といった体でくあ、とひとつあくびをした。




