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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第五章 ベールの向こう側
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11 仮面の裏側 1

 セイジにとって物事の判断基準はいたって明快で、そこに利があるかどうかだ。

 情になど流されるだけ無駄というもの。

 邪魔者は排除し、見込みのある者を登用する。セイジに対して忠実であるかないかは些細なことで、役に立ちさえすればそれでよかった。

 その考えは幼い頃から変わらない。

 五家の一角、三の家(ミカサ)の嫡男という立場に胡座をかく傲慢な兄、そんな兄ばかり贔屓する母。父は一見平等なように見えるが実際は無関心で、自らによく似た考えを持っていることは幼いながらに感じていた。

 心が休まらない環境で育つ中で、セイジはいつしか仮面を被るようになっていた。

 良く言えば合理的、悪く言えば冷酷無情であることを表に出すのは都合が悪い。そのために人好きのする笑顔を習得し、品行方正に振る舞う。付き合う相手の出自にこだわらなければそれだけで情に厚い者だと勝手に触れ回ってくれた。


 なによりセイジには『力』があった。

 その身に秘める魔力は潤沢で、誰よりも正確に魔法を扱える。同年代、いや、魔法使いとしてセイジの右に出る者はおらず、魔導師であるサヤに匹敵しうるかもしれないとまことしやかに囁かれてもいた。

 そんなサヤが消えたのは学院在学中のことだった。

 卒業して当主である父の元で数年下積みをし、周囲の期待に応えるように魔導師補佐となった。表面上は若輩者だからと遠慮していたが、その実セイジは一刻も早く魔導師になりたかった。

 正確には、魔導師になることで得られる『力』が欲しい。あの頃のセイジが求め、信じられるものは純粋な力のみだった。

 けれど結婚して子をもうけてからだという周囲の声を無下にすることもできない。長年被ってきた品行方正の仮面がここにきて邪魔をする状況に苛立つ中、三日月の東(バジェステ)で行われた首長会談が転機となった。


 ――『力』を得るために、こんなに若くして魔導師になったのかと衝撃を受けたのだ。


 聞けば先代魔導師の娘だという。口数は少なく、あどけなさすら残るルーフェを見る周囲の目は決して気持ちの良いものではなかった。バジェステの首長ですら侮っているように感じられる中、魔導師付きの巫子と副首長がさりげなくフォローにまわることでなんとか場が持っているような雰囲気だった。

 まるでお飾りの人形のようなのに、魔導師の力を持っている。

 その事実はセイジを突き動かし、初心に返らせてくれた。


 ――『力』が欲しい。


 子なんて自分は求めていない。『力』さえあればいいと品行方正の仮面を剥ぎ取り、試練の扉を叩く。


「あれからもう六年、か……」


 自室に戻ったセイジは椅子に深く腰掛け、ため息をついた。

 簡素な板張りの床に、壁一面に並んだ本棚。大きな机の上には書類が山積みにされ、うっかりすると雪崩を起こしてしまいそうだ。

 とうに消化したつもりの記憶が今更蘇ってきたのは再びルーフェに会ったせいだろう。


 試練の扉は開いた。

 開いたが魔導師に成ることは叶わず、片方の目と『力』を失った。

 そこからは面白いように転落していく。まるで波が引くように周囲から人がいなくなり、残ったのは片手で数えられるほど。品行方正の仮面を取り、力を失ったセイジに価値などない。そう告げられた気分だった。

 けれど不思議と気持ちは落ち着いていた。

 あれほどあった『力』への執着は薄れ、憑き物が落ちたように心が軽い。あわよくばセイジを利用しようとする人が減ったことも大きく、気を張り続ける生活から解放されて周囲を顧みる余裕が生まれた。跡目争いからは脱落したがそんなものは元からどうでもよかった。

 立ち位置が変わることで見えるものも変わる。わずかに残ったセイジへ声をかけてくれる者への見方も変わり、心を寄せてくれる者に応えてみたいと思うようになった。


「しかしまぁ、どうしたもんかな……」


 すでに心は決まっているものの、不測の事態を前にしてセイジは手段を迷っていた。

 問題は大きく、解くべき課題は山積みだ。それをどう片付けていくか悩ましいところだった。

 こつこつと指先で机の上を叩くと指先がなにかに当たる。視線を落とせばレンズにひびの入った眼鏡が視界に入った。

 悩みの種でもあり解決の鍵にもなりうるそれを見下ろすセイジの表情は険しい。

 眉間に寄ったしわを指でほぐしていると部屋の扉が数度ノックされた。


「――セイジさん、いますか?」

「おう、入れ」

「失礼します」


 入ってきたのはハシバだった。

 黒髪に濃いグレーの瞳の、背の高い男だ。しばらく見ないうちに線の細さは消えて随分とがっしりした気がする。

 涼やかな目元にはくまが浮かび、疲労の色が濃い。先程見かけたルーフェの血色の良さとは対照的だ。魔力移しとは気力まで搾り取られるものなのかと頭をよぎるが、野暮なことを言うために呼んだのではない。

 頭を切り替え、セイジは視線でその辺に座ることを促す。

 部屋の片隅から椅子を移動してきたハシバの視線が机の上へ固定された。


「それ……」

「ん? ああ、これか? 昨晩の光はなんだって問い合わせだよ」


 セイジは積まれた書類の一番上の紙を手に取った。


「安心しろ、卿の存在は出さない。俺とお嬢で手合わせして、うっかり本気でやり合ったってことにしておく。似たようなことは前にもやったから通るだろ。お嬢にも口裏を合わせておくよう言ってある」

「そう、ですか……」


 露骨にほっとしつつ、”お嬢”の単語に渋い顔をするハシバ。つくづく分かりやすい男だとセイジは内心苦笑した。

 この様子だとミオが朝からいないことにも気付いていないかもしれない。

 罪滅ぼしもあるのだろうがハシバの立場が悪くなるのは嫌だといつも通り学院へ登校し、嘘の事情を広めてくれるミオはなんともいじらしい。

 当初は苦労知らずでわがままなお嬢様だと思っていたミオも長い居候生活の中でそれだけではないことに気付けた。ハシバにも気付いてほしいと思っていたがそれは難しそうだ。


「で、だ。呼んだ理由は色々あるんだが、まずはまさにこの件、昨日のことだな」

「……はい」


 机を挟んだ向かいに座ったハシバの肩がわずかに跳ねる。

 それに気付かない振りをしてセイジは顔に笑みを貼り付けた。


「助かったよ。お前がいなかったらおそらく卿は消えていた。礼を言う」


 仮にルーフェが消えていたら大問題では済まなかった。先代の魔導師の件は痛み分けとなり、交易や交流に影響は出なかったが今回はそうもいかないだろう。

 ただでさえ魔導師が不在で困窮するノルテイスラにとって致命傷になりうる事態が免れたことに関しては、セイジは心から安堵していた。


「いえ、巫子として当然のことをしたまでです」


 答えるハシバの声色は硬い。

 どこまで本気でそう思っているのか、つい問い詰めたい気持ちになった。


「巫子として、か……」

「はい。姫に任されたことでもあるので」

「姫――マナ様か。卿が好き勝手に動くことを許可するなんざ、マナ様もお人が悪い」


 サヤとマナの五家嫌いは暗黙の了解とされている。サヤが消えてもなお相変わらずなのが垣間見えてしまい、セイジはくつくつと喉を鳴らした。

 儚くたおよかな見た目に反して、したたかで苛烈。マナの虫も殺せないような見た目に騙されて痛い目を見てきた五家の人間は多い。

 褒められていないことが言外に伝わったのか、ハシバの表情は不満げだ。けれど諌めてこないあたり同じことを思っているのかもしれないと考えると少し胸がすっとした。




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