8 一夜明けて
暖かいなにかに包まれているような感覚の中、ルーフェは目が覚めた。
いつまでも微睡んでいたいと思う気持ちと、自由にならない身体とのギャップに違和感を覚えて重いまぶたを上げる。
「……っ!」
目の前に誰かがいて一気に頭が覚醒した。
身を起こし、距離を取ってそれがハシバであることに気付いてルーフェは胸を撫でおろした。
「……あ、ハシバか……って」
空気が直接肌を撫でるような感覚に視線を下ろすと服を着ていない。
かろうじて下着を付けているだけだ。
「な、なんで……?」
頭の中が一瞬でパニックになった。
うろたえながらも着る物がないかときょろきょろしていると、視界の端でハシバが身動ぎした。
ふ、と瞼が持ち上がり、何度か瞬きを繰り返す。動かした腕が宙をかいたなと思った瞬間、跳ねるようにハシバが体を起こした。
「――ルーフェっ」
「っ、はいっ」
焦ったような声色で名を呼ばれ、条件反射で返事をするとすぐさま視線が合った。
一瞬で距離を詰められ、掠れた声と共に抱きすくめられる。
「……良かった」
「えっ、なん……」
一体どうしたのかと押し返そうとするもハシバの力は強く、びくともしない。
「…………消えてしまったのかと思った……」
混乱する脳内に震える声が響き、ルーフェの押し返す腕から力が抜けた。よく見ればハシバもルーフェと同じく下着以外は身につけていない状態だ。
触れ合ったところから伝わる、少し高い体温が心地良いなと思っていたら落ち着いた声が降ってくる。
「……すみません、出過ぎた真似をしました」
そっと離され、そのまま後ろを向かれた。
着痩せするのか、程よく筋肉のついた広い背中が目に入る。こうして明るいところで背中を見ることは初めてで、知らない男の人みたいだとなんだか落ち着かない。
ルーフェは定まらない視線で室内を見渡す。
知らない部屋、だった。
畳敷きの床からセイジ宅であろうことは分かるが、離れと違って三方は壁に囲まれ、残る一面には襖ではなく普通の扉がついている。
明り取りの窓から差し込む陽の光はおだやかで、まだ朝早い時間と言えそうだ。
「――体調はどうですか?」
「えっ、あ…………まぁ、ぼちぼち、かな」
冷静な問いかけに一瞬戸惑ってしまったが、すぐに持ち直して意識を身体に集中する。
――大丈夫と言いたいところだが、体の奥から感じる渇きは拭えない。
遅かれ早かれ補給しないと駄目そうな魔力量だった。
「そう、ですか。……ちょっと今日はもう渡せそうにないですが、近いうちに機会を作るようにします」
「あ、うん……」
「で、その、…………昨日のことはどこまで?」
そう問うハシバは平静を装ってはいるものの、わずかに声が上擦っていた。
昨日の、こと。
ルーフェは記憶を反芻する。
どこからか、は問題ではなく、どこまでか。
トウマに押し倒されたあたりから頭にもやがかかったようになってはいるが――……
「……おぼろげなとこはあるけど、大体は。……助けに来てくれたの、覚えてる」
ぽつりと漏らしたルーフェの言葉はハシバの耳にしっかりと届いたようだ。
ハシバの肩がわずかに上下する。
「その後、ですが。消えそうになっていたので補給するために脱がせました。……意識が戻らないので迷いましたが、最後まではしていません」
「それで、こんな格好なのね」
致した感覚がないのに魔力が戻っている理由に納得がいった。
「はい。……許可も取らず、すみませんでした」
「謝らなくていいから。私が消えそうだったからやむを得ず、でしょ」
「……それはそう、なんですが。…………昨日のことは忘れてください」
「え……?」
昨日のこと――助けに来たことのことを言っているのだろうことは分かる。それを忘れた方がいいとはどういう意味なのか。
「……なんで?」
「…………」
返事はなかったが、ため息をついたのは背中越しでも分かった。
どうしてため息をつくのか。覚えていると何か都合が悪いことでもあるのかとルーフェはむっとした。
気を悪くしたことを自覚することなく、ねえ、と背中に声をかける。
「なにか言ってよ」
「……すみません」
「謝らないでってば」
「…………」
やらかしてしまった自覚があるだけに黙り込まれると不安になる。
なによりも謝らなくてはいけないのは自分の方なのにとルーフェは思う。魔力切れが近い状態で我を忘れた結果、暴走するという最悪の形をとってしまった。
魔力が――命が尽きるまで放っておくという手もあったのに、見捨てることなく助けに来てくれたのがハシバだ。
(……嬉しかったのに)
名を呼ばれ、目の前にいるのが誰か分かった時に湧き上がったのは安堵だった。
見限られていないのだと思った瞬間、緊張の糸が切れてみっともなく泣いてしまっていた。そこで記憶は途切れている。
ねえ、と大きな背中に手を伸ばした時、部屋の外から誰かの足音が聞こえた。
顔を入口に向けるのと、ばさ、となにかを被せられたのはほぼ同時だった。
(――毛布?)
さっきまでハシバの近くにあった物だ。
顔だけ出して改めて入口の方へ視線を向ける。扉は開くことなく、声がかかった。
「――ミツル、起きてるか?」
扉越しでもはっきりと分かる、セイジの声だ。
「起きてます。ルーフェ殿も無事です」
「おう、それは良かった。吹っ飛んでた荷物、回収してきたからここに置いておく。中に着替えとか入ってるだろ」
「助かります」
「朝飯は十分後目安で持ってくるから、それまでになんとかしとけよ」
「分かりました。ありがとうございます」
立ち去る足音を確認して、ハシバはそうっと扉を開け、荷物を回収した。
大きなリュックは普段ハシバが背負っている物。小さい方がルーフェの荷物だ。雪と泥で汚れた形跡があるが、表面的には拭われている。
大きい方の荷物の中を確認したハシバは頷き、小さい方をルーフェに渡した。
「どうぞ。中身は大丈夫だと思います。……とりあえず着替えましょうか」
新しい服に袖を通すと少し気分が落ち着いた。
一足早く服を着たハシバは寝具を畳んで部屋の端に寄せていた。それが終わると次は端に寄せられていたテーブルを部屋の中央へ移動し、クッションをテーブルの横へ。
特に普段と変わった様子はないが、どこか違和感を覚えてじっとハシバの姿を見つめる。
「……なんですか? 僕の顔になにかついてます?」
「え、あ……」
ようやく視線が合い、違和感の正体に気付いた。
「眼鏡は? なくて大丈夫?」
「眼鏡、は……昨日、どこかに吹っ飛んでいってしまって。ある程度は見えるので大丈夫です」
「そう……っていうか。手、怪我してるじゃない」
顔を直視出来なくて視線を下ろすと赤く色付く手が目に入った。
ハシバに近寄り、その手を取る。血は止まっているものの、いくつも走った赤い線が痛々しい。
「これ、私がやっちゃったのよね?」
「……いえ、これは……半分は自業自得というか……」
「え……?」
不自然に口ごもったハシバを不審に思い、視線を上げる。
目の下にうっすらと浮かぶくまに気付いてルーフェははっとした。魔力移しの効率を考えるとただ抱き合う形は最低限に近い。ほぼほぼ眠れていないだろうことに胸がつきりと傷んだ。
おまけに口元には血が滲んでいて――真新しい傷跡を凝視していると何故だか喉が鳴った。
身体の奥底から感じる乾き。魔導師の生存本能ともいえるそれをざらりと撫でられた感覚に頭が痺れていく。
無意識に手が伸びる。あともう少しで頬に触れるかという直前で、部屋の外から声がかかった。
「――おーいミツル、食事持ってきたぞ」
セイジの声だと認識するより早く、肩を掴まれ距離を取られた。
「……入って大丈夫です」
我に返ったルーフェは数歩後ずさり、畳の上に座り込んだ。
(――私今、なにを……)
自らの行動を顧みてルーフェは頭を抱える。
けれど時間は待ってくれない。部屋の扉が開き、朗らかにセイジが入ってきた。
「おう、邪魔するぞ」
「お、お邪魔します」
別の声がセイジの後に続いた。
聞き慣れたその声にルーフェはぱっと顔を上げる。
「――レティス!」
「ルーフェ。……良かった、元気そうで」
「うん」
ほっと安堵したような笑顔にルーフェも同じ表情を返す。
純粋に心配してくれたであろうことが伝わってきて、じわりと嬉しさが胸に広がっていった。
「ミツルこれ、お前の分。レティスも一緒に食べるってんで連れて来た。卿も食べるなら持ってくるが」
「私はいい。いらないわ」
「そうか。……あー、で、だ。昨日のことだが、昼から謝罪の場を取らせて欲しい。構わないだろうか」
「えっ……」
謝罪の場?
気まずげに持ち出された話題にルーフェは目をしばたいた。
「こちらの不手際で卿を危険な目に合わせてしまったからな」
「…………えぇ、と」
むしろこっちが謝らなければいけないのでは。
困惑するルーフェにハシバが助け舟を出す。
「ここで魔導師より優先される存在はないということです。聞き入れていただけると助かります」
「……分かった。昼からね」
「助かるよ。それまではゆっくり休んでおいてくれ。レティスが付いていてくれるそうだ」
視線をレティスに移すとしっかりと頷かれた。
「あと飯食い終わったらミツルは俺のところに来い。いいな」
「……承知しました」
有無を言わさぬ指示によそゆきの声音で頷いたハシバを一瞥し、セイジは去っていった。
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金曜は祝日のためお休み、次回更新は来週です。




