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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第五章 ベールの向こう側

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7 光の中へ 2

 光の柱の中は不思議な空間だった。

 風が渦巻き、ぐにゃりと空間が歪んで見える。シズの力のおかげで息苦しいこともなく、魔の力の干渉は感じられなかったが物理的なものまでは防げないらしい。風に乗って飛んでくる物全てが鋭利な刃物のようだ。

 距離感すら狂ったようで、前後左右がどこか曖昧に感じられる。そこにルーフェの姿が見えるのになかなか辿り着けないでいた。

 目印は明滅する光。ルーフェがいる方向から発せられる光を頼りに少しずつ進んでいく。


「ルーフェ!」


 時折レティスが呼びかけるも、ルーフェから反応はない。

 いや、声が届かないのだろう。風は全てルーフェから発せられていた。


(これが、魔導師の力……)


 弱っているとはいえ、これ程の力があるとはハシバは思いもよらなかった。

 こんなに力を使ってしまって大丈夫なのか。消えてしまわないかと焦る気持ちとは裏腹に足取りは重い。飛来するものから身を守りつつ、風の生まれる方へ一歩ずつ歩みを進める。近寄るにつれて風の勢いは強まり、足がすくわれそうだ。

 途中、なにかが飛んできて眼鏡に当たった。レンズにひびが入ったので邪魔だと投げ捨てる。


 異変に気付いたのはルーフェのほど近くまで来た時。

 仄暗い空間の先が明るくなっている。光の中心にうずくまるルーフェと、その足元には横たわるトウマがいた。


「っ、シズ!」


 レティスの腕の中にいたシズがぴょんと跳躍した。力の範囲から出ないようにあわてて後を追う。

 シズは勢いそのまま明るい場所へ踏み込むのかと思いきや、ぴたりと動きを止めた。

 ひくひくと鼻を動かすシズの視線の先はトウマだ。そこにいるのに、見えるのに、どうして中へ入らないのだろうか――


「シズ? どうしたんだ?」


 シズを抱え上げたレティスはそのまま明るい場所へ足を踏み入れようとする。


「ちょっと待ってくださ、」

「……っ!」


 ばちっ!!!


 鈍い嫌な音と共にレティスの身体が膝から崩れ落ちる。


「レティス!」

「おい、どうしたんだ!?」

「……な、んで……」


 抱き起こしたレティスは苦渋に満ちた表情をしていて、手足が痺れるのか身体の震えが止まらない様子だった。


「おいミツル、こいつは魔法を無効化するんじゃないのか?」

「そのはずです」

「ならなんでこうなった?」

「それは……」


 何故なのか、それはハシバも知りたかった。

 足を止めたシズならばなにか知っているのかもしれないが、喋らないシズから情報は得られない。


(シズの力が効かない? どうして……)


 ルーフェの言葉が間違っているということなのだろうか。


 魔法を無効化するという、シズの力。


 現に今も結界を無効化してみせている。

 明滅する光に照らされながらハシバは思考の海に沈んでいく。


(――いや、待てよ)


 シズに触れられているだけで魔法は使えなくなったが、魔力移しは問題なくできたじゃないか。

 シズが無効化するのは魔法であって、純粋な魔力そのものには意味をなさない。

 であるならば、この明滅する光の空間は――


「魔力そのもの……?」


 そう思い立った瞬間、いてもたってもいられなくなった。

 レティスの身体をセイジに預け、光の空間の前に歩み寄る。


「ルーフェ! もうやめてください!」


 この距離ならば声は聞こえているはずだ。

 なのにルーフェはぴくりとも動かない。


「聞こえているんでしょう!?」

「お、おいミツル?」


 人が変わったように声を荒げるハシバを前にしてセイジは呆気にとられていた。


「この光は、ルーフェの魔力そのものです。これが消えたら……」


 こうしている今も明滅を繰り返している。少しずつ、だが確実に光は弱くなってきていた。

 ハシバは意を決して光に手を伸ばす。指先が触れた途端、痺れるような刺激が全身を走った。


「……っ、は……!」


 痛みに顔をしかめる。

 ある程度予期していた上に魔の力に対して耐性がある巫子だからこそ耐えられたが、なんの心づもりもなく受ければ倒れもするだろう。


「ルー、フェ……」


 掠れた声で名を呼ぶも反応はない。

 どうにかしてもっと近付けないものか。後ろからセイジがなにか声をかけてくるがハシバの耳には入らない。


(消えるなんてだめだ)


 明滅する光はルーフェの生命の輝きだ。消しちゃいけない、なによりも大切なものに対してすることはひとつ。

 ハシバはぐっと手のひらに力を込める。

 ぼうと青い光が宿ったのを見て疑いが確信に変わる。


「僕の魔力を全部あげるから。だから、消えないで……」


 願いを込めて魔力を渡した途端、引きずり込まれる感覚に襲われた。




 明滅する光の中は不思議となんの痛みも感じなかった。

 暖かいなにかに包まれているような、そんな不思議な感覚。

 すぐそこにいるはずのレティスとセイジはベールを隔てた先にいるようでその表情は薄ぼんやりとしか見ることができなかった。


「――誰?」


 聞き慣れた声が鼓膜に響き、ハシバの肩が跳ねる。振り向けば両膝を抱いてうずくまるルーフェがすぐそこにいた。

 小さく丸まる姿からは威厳のかけらも感じられないというのに、その身にどれだけのものを抱えているのか。

 全てを拒絶する小さな身体。自らを顧みることなく、他人のことばかり考えるところは危なっかしくて仕方がない。散々手を焼かされたにも関わらず根気よく付き従っていたのは自身が巫子だからと。他に誰もいないのだから仕方ないのだと。


 ――そう、自分に言い聞かせ続けてきた。


 ハシバはルーフェの横にしゃがみこむ。細い肩に手を伸ばそうとしたが直前で止めた。

 怖がらせてしまってはだめだと、極力平静を装って口を開く。


「ルーフェ。……僕です、分かりますか?」


 ぴくりとルーフェの肩が揺れた。

 おそるおそる、俯いていた顔が上がっていく。


「……は、しば?」

「そうです。……貴女を迎えに来ました」

「どこ……?」


 ルーフェは目の焦点が合わないのか、あたりをきょろきょろ見渡す素振りを見せる。


「ここです」


 そっと頬を両手で包んで視点を固定させると、虚な光を宿していたエメラルドグリーンの瞳がじわりと滲んだ。


「ほんとに、本物……?」

「もちろんです」


「…………こ、怖かった……」


 つぶやく声は震えていて、一筋涙がこぼれ落ちたかと思うと次から次へとあふれてくる。


「怖かったぁ……もう、来るの遅いぃ〜」

「遅くなってすみません。……立てますか?」


 手を取り立ち上がると、勢いそのままルーフェがしがみついてきた。

 まるで子どものように泣くルーフェをそのまま抱きしめる。


「もう大丈夫です」


 安心させるように頭を優しく撫でる。

 触れた肌は随分と冷たかった。けれどこうしてルーフェはここに在る。最悪の事態は免れたと安心したのもつかの間、腕の中のルーフェから力が抜けた。


(……眠ったのか)


 意識を失ったといった方が正しいかもしれないが、息はあった。

 そして周囲に満ちていた魔の力がみるみるうちに霧散していく。

 天に消えゆく光の柱。そんな風に外側からは見えていただろう。

 ルーフェを抱き上げると手首のあたりに強く握られたような痕が見えた。そこでようやく倒れていたトウマの存在を思い出す。見下ろせば意識はないようだが、息はしているようだ。トウマの横にはシズがいて、しきりに頬に身を擦り寄せていた。


「ミツルさん、ルーフェは」


 おぼつかない足取りながらも動けるようになったのか、レティスがすぐそばまで来ていた。

 もうろうとしたような表情が腕の中にいるルーフェを見てこわばっていく。


「透けて、る……?」


 レティスが驚くのも無理はなかった。

 肩が上下することから息はあることは分かるが、顔や腕といった露出した肌が白を通り越して透き通りつつある。


「大丈夫です。……絶対、なんとかしますから」


 レティスを安心させるためにも、そして自らを奮い立たせるためにも、あえてハシバは強い言葉を使った。

 頷いてみせるとレティスもまた頷き返す。緊張の糸が解けたのかレティスはそのまま横に倒れそうになるが、すんでのところをセイジが支えた。


「っと。無茶すんな。魔の力にあてられたんだ、今日はもうゆっくり休め」

「う、ん……すみませ……」


 そのままレティスも眠りに落ちていった。

 レティスを抱え上げたセイジはハシバに向き直る。腕の中にいるルーフェを一瞥し、ふうとひときわ大きなため息をついた。


「あまり状況は良くない、か」

「話が早くて助かります。……二人にしてもらえますか」


 セイジは頷き、本宅の端の部屋が空いていると教えてくれた。今晩は誰も近づけさせないとも。

 踵を返したところでミオに声をかけられた。


「あの、ミツルくん、あたし、」

「――今、貴女と話したい気分じゃない。失礼します」


 ミオを見ることなく吐き出された声音は低く、冷淡だった。

 二の句が告げないミオに背を向けたまま、ハシバはその場を後にした。




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