6 光の中へ 1
考えろ。考えろ。
ハシバは座り込んだままぐるぐると思考していた。
ルーフェにこちらの声は届いているように見えた。
その上で拒絶された――現実に胸が詰まるも、落ち込んでいる場合ではない。
巫子といっても強すぎる力を前にして何の役にも立たなかった。結界を割ることすら精一杯なのに、濃い魔の力が満ちる中でどれだけ正気を保っていられるだろうか。
(……時間がないのに)
これほどの魔法を使って、ルーフェが無事でいられる保証なんてどこにもない。
焦りが募り、最悪の事態ばかりが頭の中を巡る。
「シズ、危ないよ」
ふと、レティスの声が耳に入りハシバは顔を上げた。
離れの近くには使用人が集まってきていて不安げに光の柱を見つめていた。遠巻きにする者ばかりの中、近付いてきたのはキリュウと呼ばれていた男性の使用人だ。セイジとなにやら言葉を交わしたかと思うと、集まっていた使用人へこの場から離れるよう促している。
そしてレティスは光の柱のそばにいた。足元には応接室に置いてきたはずのシズがいて、レティスに拾い上げられている。
「――そうだ、シズ……」
雪の降る夜。分かれ道の手前でルーフェがこぼした言葉が脳裏に蘇る。
『シズに魔法は効かないの。正しくは無効化されるというか……』
魔法が効かないという魔獣。
シズならば結界を無効化できるのではないか。
そう思い立った瞬間、ハシバは勢いよく立ち上がっていた。
「レティス!」
「あっ、はい!」
鋭く名を呼ばれ、レティスはぴんと背すじを伸ばす。
「シズ、力を貸してください」
「えっ、えぇ?」
ハシバは戸惑うレティスの肩をつかむ。
レティスの腕の中でシズは光の柱とハシバの顔を交互に見るような素振りをした後、興味ないとばかりにあくびをひとつ。
「ミツルさん? いきなりなにを……」
「……シズには魔法を無効化できる力があると。そう、言っていました」
「えっ」
シズの力はおそらく言うべきではないのだろうが背に腹はかえられない状況だ。
ハシバの言葉に驚いたのはレティスだけでなくセイジやミオもそうで、信じられないといった表情でシズを見つめている。
「シズが……?」
「おいミツル、それはどういうことだ」
「どうもこうも言葉通りです。シズに魔法は効かない。なら、シズがいれば結界の中に入れるはずです」
「待て待て、またそんな突拍子もないことを……」
セイジは呆れ半分、戸惑い半分といったところ。
その気持ちはハシバも理解できる。ルーフェに言われなければハシバだって信じていなかったはずだ。
「では物は試しです。レティス、シズを抱いたまま魔法を使ってみてください」
「う、うん。……んん? 発動しない……」
「本当か?」
「うん。なんか、邪魔されてる感じ……? ――あ、そうか、だからあの時も……」
レティスはまじまじと腕の中のシズを見下ろす。
ハシバと同じようにレティスにもまた心当たりがあるのだろう。
シズを抱えたままレティスは光の柱に歩み寄る。そっと伸ばした手は結界に弾かれることなく、ぬるっと中へ吸い込まれていった。
「……痛くもなんともない」
すごい、とレティスから感嘆の声が漏れる。
引き抜いた褐色の手には傷一つなかった。
「やっぱり。レティス、シズを貸してください」
「え、あ、……わっ」
ハシバが腕の中にいるシズへ手を伸ばすが、シズは身をかわしてレティスの頭の上へ移動する。
常ならば呼ばずとも来るのに、明らかな抵抗を見せられてハシバは眉をひそめた。
ハシバに代わってレティスは頭の上のシズを掴んで抱え下ろす。いやいやと腕の中で暴れるシズにレティスもまた困惑していた。
「シズ、お願いだよ。ルーフェを助けたいんだ」
レティスの言葉もシズにはどこ吹く風のようで、しきりに身をよじって抜け出そうとしている。
「シズ、どうして……」
結界に関する問題が解決できそうなのに、ここにきてどうして拒否するのか。
これがシズの――サヤの意思なのか。
今までずっと懐かれることしかなかった小さな白い魔獣の反抗にハシバは奥歯を噛みしめる。
言い聞かせようにも主従契約を結んでいない魔獣相手にできることはない。
「な、なぁ……」
絶望感が漂う中、口を挟んだのは呆然と成り行きを見守っていたクラキだった。
「そいつが本当にサヤ様だっていうなら、だけど。あいつを……トウマも助けてやってくれないか?」
「えっ……」
「そりゃ元凶はあいつかもしれないけど。でも……全部が全部、悪いやつってわけじゃないんだ」
額が雪につくことも厭わず、クラキは頭を下げる。
……頼まれたところでどうしようもないのでは。
そう思ったのはハシバだけのようで、レティスはなにかにぴんときたように腕の中のシズに声をかけた。
「……そう、だよ。シズ、あのトウマって人を助けるのならどう?」
「!? レティス?」
「ルーフェが言ってたんだ。『シズは巫子しか守らない』って」
職を追われてもトウマは巫子だ。ただ神殿に仕えているか否かだけの違いであって、巫子の力があることは疑いようがない。
ルーフェの言葉が確かである証拠は腕の中のシズが示している。
シズは暴れていたのが嘘のようにぴたりと動きを止めていた。
「――シズ、力を貸してほしい」
じっと黒い瞳がレティスを射抜く。
幾度かのまばたきの後、光を吸い込む闇色の瞳がやがて光をはらんだ。煌めきが生まれた刹那、小さな額からひときわ強く光が放たれる。
眩しさに目がくらむ中、おそるおそる目を開けるとシズの額には濃い青の石が光っていた。一見すると黒にも見える、深い青はまごうことなき魔石だ。その石の光はじわじわと広がり、レティスを中心に半球を形作っていく。
「これは……?」
ハシバが手を伸ばしてもなにも抵抗は感じない。ただそこに在る違和感に戸惑うしかない。
それがなにかに気付いたのはセイジだった。
「おい、光が欠けてるぞ」
指で示された先を目で追うと、ルーフェの光の柱と干渉する部分が綺麗にえぐれていた。
一歩レティスが光の柱に近づくとその分だけ光が消える。
「この中にいたら魔法が効かないってわけですね」
納得したハシバはレティスの横に並ぶ。
「俺も行くぞ。家主としても五家としても見届ける権利があるはずだ」
邪魔するぞとセイジもまた球の中へ入ってきた。
「あ、あたしも行く!」
「お嬢は留守番な。なにかあってからじゃ遅いから」
近づいてきたミオをセイジは制止する。
有無を言わさぬ口調にミオはすんなり引いた。元々そこまで乗り気ではなかったのがありありと感じ取れる。
セイジは苦笑しながらハシバの肩をどんと叩いた。
「で、お前はちょっと落ち着け」
ミオの言葉に嫌そうな顔をしたところをちゃんと見られていたらしい。
かくしてレティスを中心に三人は光の柱の中へ入っていった。




