4 暴走 1
※一部暴力表現があります。苦手な方はご注意ください。
光の柱は先が見えないほどに天高くそびえ立っていた。
場所はミカサ邸の離れがあった場所。庭や周囲のそこかしこに離れを構成していたであろう物が散乱している。
はやる気持ちのままにレティスはハシバと共に光の元へ急ぐ。離れは完全に光に飲み込まれているようで、本宅に繋がる渡り廊下がかろうじて原型を残している程度だ。
近づけば渡り廊下からほど近い中庭にしゃがみこんでいる人物が見えた。
「クラキ!」
ハシバが鋭く声をかけるとクラキの身体がびくっと震える。
振り返ったクラキはハシバを視界におさめると信じられないといった表情をした。
「ルーフェ殿はどこですか?」
「あ、あっち……」
クラキが指差したのは光の方だ。
レティスは眩しさに目を細めつつ光の柱を見つめるが中の様子は一切分からない。
おそるおそる光に触れると明らかな抵抗を感じた。まるで壁だ。すべてを拒絶するような威圧感にレティスはごくりとつばを飲む。
「結界……?」
ルーフェの魔法。
そうとしか考えられないが一体なにがどうなっているのか。
困惑しているのはハシバもそうで、レティスと同じように結界の具合を確かめたかと思うと視線は光の柱へ向けたまま、クラキへ問いかける。
「一体なにがあったんですか?」
「……っ、いや、その……」
「――なにをしたのかと聞いた方がいいか?」
有無を言わさぬ口調にクラキの肩が震える。
怒りを隠そうともしないハシバに恐れをなしたのか、クラキは歯の根が合わない状態でとつとつと口を開いた。
***
ルーフェが一人で部屋に残っているであろうことは予想がついていた。
予告なしの訪問にも関わらず、ルーフェはトウマとクラキを部屋へ招き入れてくれた。渋々といった態度は隠しきれていなかったが、おそらく、こんなこともあるのではないかと予想はしていたのだろう。
「サヤさんのことを聞きたいんだろうけど、さっき話した以上のことはないわよ」
苦笑混じりの言葉にクラキとしては落胆するしかなかった。
トウマは食い下がるも昼間の問答の繰り返しで、ルーフェから新しい情報はなにも出てこない。
「そもそも元の姿に戻そうとしないのはなんでだよ。魔導師なんだろ、そんくらいできるんじゃねーのかよ」
苛立ったトウマに責めたてられ、ルーフェは毅然と言い返す。
「できるものならしているわ。魔導師だからってなんでもできるわけじゃないこと、あなたなら分かっているんじゃないの?」
「……ちっ」
役立たずめとトウマは舌打ち混じりに吐き捨てる。
あまりにも横暴な言い草だったがルーフェはわずかに眉を下げたのみで無礼を咎めてくることはなかった。
「……巫子が減ったな、とは思っていたけど。望んで辞めたわけではなかったのよね」
ぽつりとつぶやかれた言葉にトウマは訝しげに眉根を寄せた。
「あなた、まだ巫子に……ううん、サヤさんに未練があるんでしょ?」
「…………んなもんねーよ」
苛立たしげに返す言葉が本心でないことはクラキにも分かる。
トウマはサヤ付きの巫子の中でも郡を抜いていた。
巫子としての力も、サヤへの忠誠心も。そしてサヤもまたトウマを特段気にかけていたように思う。
なによりサヤが消えてからのトウマは抜け殻のようだった。
表面上は変わらずに振る舞っていても、ふとした瞬間に失望が顔をのぞかせる。サヤ付きだった巫子は全員巫子の任を解かれるという話になった際、真っ先に首を縦に振ったのもトウマだ。
トウマと実家との折り合いの悪さは有名だったので、巫子を辞めたからといって帰る家はないのではと思っていた。なので五家の四の家に身を寄せると言われた時は驚いたと同時に腑にも落ちた。
辞めた巫子には当面の間、五家の監視が付くと告げられたためだ。特にサヤに近しかった巫子の場合、監視の期間は未定とのことだったので、それならばと自ら五家の監視下に身を置くことにしたらしい。
クラキ自身も身の振り方には困っていた。実家はすでに兄弟が跡を継いでおり、元巫子として生きようにも肝心の巫子の力が弱い上に見た目も並以下なクラキに縁談なんて来るわけもなく。一から新しく生活するにしても、五家の監視付きだという訳ありの人間を雇ってくれるところもない。
そこに救いの手を差し伸べてくれたのは意外なことにトウマだった。
『一人も二人も変わんねーだろ。なんだったら使用人として使えばいい』
サヤ付きの巫子の中でも首長会議に同行するほどだったトウマの言葉を無下にはできないらしく、クラキもまたシノミヤの家に厄介になることになった。
シノミヤでの暮らしは対照的だった。
世話になる以上は働かねばと使用人に混ざって居場所を築いていったクラキと異なり、トウマはなにもせず、ただ日がな一日ぼうっとしていることが多かった。その外見から敬遠されているということを差し引いても、無気力で、生きることすらどうでもいい。そんな風に見えた。
腐っても元サヤ付きの巫子、しかも生家はそこそこ名の知れた家。トウマに勝手に死なれては困るとシノミヤに頼まれたこともあり、クラキは気付けばトウマの世話係になっていた。
神殿にいた頃にあった上下関係は曖昧となり、時に軽口を叩きあうこともあったが、トウマはずっと心ここにあらずな状態だった。
いつ死んでも構わないといった雰囲気が晴れたのは三の家を名乗る隻眼の男が訪れてきてから。
『風の魔導師がノルテイスラにいるんだが、探すのに協力してくれないか』
クラキは耳を疑った。
風の魔導師とはサヤが晩年水神殿に連れてきていた、あの娘じゃなかったか。
サヤはバジェステに行ったきり戻ってこなかった。そのバジェステの魔導師がノルテイスラにいるだなんてどういうことなのか。
『……その話、詳しく聞きてーんだけど』
困惑するクラキの隣で座っていたトウマが身を乗り出した。
そのはちみつ色の瞳に光が灯るのを見たのは幾年ぶりだろうか。
(トウマはずっと、サヤ様を慕っている)
長年共に過ごしていれば嫌でも分かる。
サヤが消えて十数年、クラキと違ってトウマの元には縁談の話がいくつも来ていた。その端正な見た目と巫子の力の強さから間の子であっても構わないという者が少なからずいたのだ。因縁を知らずにトウマの家との繋がりを期待する者は論外としても、悪くない条件の話もあったが、そのどれにもトウマは興味を示さなかった。
「……好き勝手言ってんじゃねえよ」
ルーフェはサヤを奪った張本人に他ならない。
巫子にその感情は不要であることを知った上で、よりにもよってお前がそれを指摘するのか。
ぎり、とクラキは奥歯を噛みしめる。心の中で言ったつもりの言葉は外に漏れていたらしく、ルーフェとトウマの両名に驚いたような顔で視線を向けられた。
「――そうね、ごめん。軽率だったわ」
「……」
素直に頭を下げるルーフェを見てもなにを今更、という感情しかわいてこなかった。
「サヤさんのことは私も本当になにも分からないの。なんであんなことをしたのかもそうだし……マナならなにか知っているのかもしれないけど。マナに話は聞いたの?」
「マナ様が俺らになにか話してくれるわけねーだろ。『サヤは消えた』――その一言だけだったよ」
「そう……」
エメラルドグリーンの瞳に憐れみの色が混ざる。
それは神殿を去った後に数えきれないほど向けられた視線だ。
神殿の秩序を乱すものとして排斥された記憶が蘇り、胸がざらりとする。
じわりと室内の空気が冷え込んでいくような気がする中、トウマがおもむろに立ち上がった。
「なあ、ルーフェちゃん」
気安ささえ感じられる口調でルーフェに近づいていく。
「俺を憐れに思うんなら、巫子として働かせてくれよ」
「え……」
わけが分からないと眉根を寄せるルーフェの手を取り、そっと口元へ寄せる。
ぼうと青い光が指先に宿ったかと思うとルーフェはその手を振り払った。
「それ、いらない」
「んなこと言わずに。足りてねーんだろ? 遠慮すんなよ」
「お、おいトウマ」
後ずさるルーフェの腕を掴むトウマに咄嗟に声をかけていた。
「お前は黙ってろ。見るのも嫌なら出ていけばいい」
「っ、離して」
「おあつらえ向きに寝るとこまであるし、ちょうどいいな」
ルーフェの声などまるで無視して、トウマは寝具の上にルーフェを引きずり押し倒す。
「やめて、離して! でないと遠慮しないわよ」
エメラルドグリーンの瞳に光が宿る。掴まれた腕の先に緑の光が集まったかと思うと、それはまたたく間に霧散した。
「無駄使いはやめとけって。巫子に魔法は通じない。安心しろ、吸収した分は返してやるから」
「……っ」
魔力の授受が巫子の力だ。――与えるだけでなく、奪う力。
魔法使いにとって巫子が天敵とされる由来はそこにあり、魔導師とて例外ではない。
それを理解していないはずがないのに、ルーフェはなおも抵抗を続ける。
「っ、離しなさい!」
「……だから、おとなしくしろって」
どす、となにかが刺さる音が響いた。
おそるおそる音がした方へ視線を向けるとルーフェの顔の横、肩の上あたりに小さなナイフが見えた。
それはトウマが普段から懐に忍ばせているナイフで、ルーフェの髪ごと寝具を貫き、畳へ突き刺さっていた。
「傷がついても治してやれるけど、痛いのは嫌だろ?」
「――……っ」
声にならない声が鼓膜を震わせる。
止めた方がいいという冷静な声が頭に響く一方、ここまでトウマを壊した相手にかける情けなどいらないという悪魔のような囁きに心が揺らぐ。
クラキは選べなかった。
ただ見ていられなくて背を向けたその時、いきなり押し寄せてきた圧にクラキは吹き飛ばされていた。
***
「そ、それで……気付いたらこんなことに……」
サヤ様の最期を知りたい。
それがトウマの願いであることは分かっていた。
だから皆がいては守秘義務で身動きが取りづらいだろうと後でルーフェと話すことを提案したのは他ならぬクラキ自身だ。
ただ、こんなことになるなんて思わなかったんだとクラキはがくりと肩を落とした。