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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第五章 ベールの向こう側
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2 刷り込み

「少し、いいですか?」


 離れに戻り部屋に入ろうとしたルーフェに声をかける。

 断る理由がなかったのかルーフェはすんなりと部屋に入れてくれた。

 室内の作りはハシバとレティスの二人部屋とまるきり同じで、襖を開けると畳が広がる。部屋の中程に敷かれた寝具は見なかったことにして、音がしないように襖を閉めた。

 室内は薄暗く、明かりがないと顔を見ることも難しい。部屋の作りが同じであればと入口脇にあった魔道具に手をかけるもなにも起こらない。


「……そうか。シズ、すみません」


 肩からシズを下ろし、改めて魔道具に触ると室内に明かりが灯った。


 シズは魔法を無効化する存在だという。

 旅をしている間は賓客ではなく一般人に偽装しており、魔道具からは距離を置いていたこともあってルーフェに言われるまで気付かなかった。道中、何度か魔道具がうまく働かないことがあったが、シズに起因するものもあったのだろう。

 単なる不調で片付けてはいけなかったなと寝具の上で丸くなるシズを見て思う。

 些細なことにも気をかけていれば、もっと早く気付くことができたのかもしれないのに。


「……手を」


 出してください、と片手を差し伸べる。

 ルーフェは急に明るくなったことでまぶしそうに目を細めていたが、ハシバの言動にわずかに目を見張った。


「え、……いいの?」

「いいも悪いもないですよ」


 おずおずと差し出されたルーフェの手を取る。

 白く細い手はほの温かくて急を要しているわけではなさそうだが、次いつまともに補給できるかは不明の状況だ。

 ならば少しでも渡せる時に渡しておきたい。そんなハシバの内心を汲んだかのようにレティスが気を利かせてくれた。


「レティス、気を使ってくれたんですよ。気付きませんでしたか?」

「……分かんなかった」

「でしょうね」


 繋いだ手にぼうと光が灯る。淡い青の光はハシバの魔力の証だ。


「それに僕は貴女の巫子だと。そう言ったでしょう? なにがあったとしてもそれは変わりません」

「……ごめんね」


 謝る必要なんてない。

 そもそもルーフェのせいだと思っていないのだが、言ったところでなしのつぶてだろう。


 ルーフェはずっと自分自身を責めている。

 贖罪がすべての動機なのであれば、それを否定するのはルーフェそのものを否定することになりかねない。


「言いたくなかっただろうに、話してくれてありがとうございます」

「……っ」


 ハシバの声にルーフェの肩がぴくりと震える。

 うつむかれているためつむじしか見えない中、はたり、となにか温かいものが手にこぼれ落ちてきた。

 それが涙だと理解した瞬間、衝動的にルーフェを抱き寄せていた。


「…………っ」


 泣くなと言いたいところをぐっと飲み込んで繋いでいない方の手でルーフェの頭を抱えこむ。

 さらさらの髪をかき分けゆっくりと頭を撫でてようやく、脳が己の行動を認識した。


(…………しまった)


 つい勢いでやってしまった。

 おそるおそる、頭を撫でる手を離してみる。嫌なのであればこれで離れていくはず。

 けれどルーフェは離れていかなかった。

 逆に空いた手でぎゅっと胸元を掴まれる。


「……っ、ぅう……」


 嗚咽に合わせて華奢な肩が揺れるのを見て、ハシバはルーフェの頭の上に手を戻す。

 そうしてルーフェが落ち着くまで、そっと頭を撫で続けた。




 落ち着いたルーフェは気恥ずかしさからか、ハシバから距離を取ってその場にへたりこんだ。

 繋いだ手は離され、両手で顔を覆っている。

 あまり見るのも良くないだろうとハシバは手持ち無沙汰に室内を見渡す。

 寝具の上で丸くなっているシズは眠っているようで小さな身体がわずかに上下していた。部屋の隅に置かれたテーブルの上にコップがあるのを見てとり、ハシバはルーフェに声をかけた。


「水でも飲みますか?」


 ごく平坦な声色になるよう心がける。気遣われるよりもこの方が気が楽だろう。

 ルーフェの頭が上下するのを確認して、魔法でコップに水を入れて手渡す。泣いた分喉が乾いていたのか、あっという間に水は飲み干されてしまった。


「ありがと……にしても、目がごろごろする……」


 言われて見れば目元が赤くなっている。

 これは明日も残るかもしれないと思ったら身体が勝手に動いていた。


「目、閉じてもらえますか?」

「? うん」


 しゃがみこんでルーフェの頬に手をかけ、両方のまぶたへそっと口付けを落とす。

 魔力は生きるための活力でもあるため、魔力移しは治癒の力の側面もあわせ持っていた。


「これでもう大丈夫で、す……」


 言葉尻が途切れたのはルーフェの表情が意外すぎたからだ。

 頬だけでなく耳まで真っ赤に染まっている。

 補給の時でもここまで照れた顔を見ることは珍しくて、ハシバは目をしばたかせた。


「あ、ありがと……」

「いえ……」


 なんだか見てはいけないものを見てしまった気がする。

 先に視線をそらしたのはルーフェの方で、コップを握る両手から力が抜けたのかトン、とコップが畳の上に転がった。

 慌てるルーフェを制してハシバはコップを拾い、テーブルの上へ戻した。

 醜態をさらしたとでも思っているのか、ひたすら縮こまっているルーフェはどこにでもいそうな普通の女の子のようで、とてもではないが威厳ある魔導師には見えなかった。


(……嫌われたくなくて、か……)


 生死を握られている以上、嫌われるのは得策ではないということで一旦は飲み込んだルーフェの言葉が蘇る。


 昔からずっとルーフェは優しかった。ハシバが幼かった頃はまるで姉のように。目線が並び、距離を取るようになってからも見かけるたびに変わらぬ笑顔をくれた。共に旅を始めた当初はよそよそしかったものの、それはハシバが取っていた態度と同じ、まるで鏡のようだった。

 心を開けば、同じだけ返してくれる。

 それに気付いてからは距離感を保つことに細心の注意を払ってきた。踏み込みすぎないように心がけてはいても、歯止めが効かなくなる時だってある。時折垣間見えるいつもと違った姿に自惚れてしまいそうになる時も度々あった。


 けれど巫子として生きる以上、額面通りに受け取るわけにはいかない。

 なによりルーフェが懐いてくれているように見えるのは、刷り込みでしかないという意識が消えないのだ。

 雛鳥が最初に餌をくれたものを親だと思うように、ルーフェの初めての相手がハシバだった。


 最初は、不可抗力だった。

 身体が透けていき、このままだと消えてしまいかねない。それは誇張でも何でもなくて、魔力移しをしなかった故の末路だった。


『大丈夫だから』


 そう言って彼女は笑っていた。けれどもう随分前から触れる手は冷たかった。

 ある日とうとう眠ったまま意識が戻らない状況になってようやく思い知る。


 ――魔導師は巫子からの魔力移しなしには生きられない。


 ルーフェの生死は巫子であるハシバにかかっているのだと、頭では理解していたつもりだったがはっきりと実感を伴ったのはこの時だ。

 しっかりと手綱を握っておかないとルーフェ自身が危うい。

 そこからはもう、これが巫子としての責務なのだからとずっと自らに言い聞かせている。


(それも、もうすぐ終わる。……終わって、しまう)


 大神殿に戻ればルーフェは三日月の東(バジェステ)へ帰っていってしまう。

 巫子としての役目はそこで終わり。

 それは決められた未来であって揺るぎようのないものだ。

 離れてしまえばいずれ刷り込みも消えてしまうだろう。またいつか再び会えたところで、もう二度とルーフェに触れることすらままならなくなる――


(……なら、少しだけ)


 今なら許されるのではないかとよこしまな考えが頭をよぎった。


「次、いつ補給できるのか分からないので……もう少し、お渡ししてもいいですか?」


 横を向くルーフェの頬に手を添え、ゆっくりと撫でるようになぞる。指先が柔らかな唇に触れることで意図は伝わったらしい。


「い、いいけど……や、待って。その……」


 エメラルドグリーンの瞳が泳ぎ、蚊の鳴くような声でルーフェは告げた。


「眼鏡、外してほしい……」

「……はい」


 言われるままに眼鏡を外すと視界が広がる。

 ハシバにとって眼鏡はわずらわしいだけのものでしかない。そもそも度なんて入っていないのに、使うようになったのはルーフェと距離を取るためだ。

 閨でのことを思い出すのか挙動不審になるルーフェを見ていられなくて、物理的に見た目を変えてしまえばと思ったのがきっかけ。

 読みは当たっていたようで落ち着きを取り戻してくれたため、それ以降、ずっと手放せないでいる。


(……嫌いになんて、なるわけない)


 ルーフェの告白を聞いて驚きはしたが、悪感情はこれっぽっちも湧かなかった。


 ――けして深入りするなと忠告するセイジの声が脳内に響くも、もう今更だ。


 胸の奥底に沈めた箱の鍵はとうに開いてしまっている。ぐらつく蓋をわずかな理性で抑えつけつつ、ハシバはそっと顔を寄せた。




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