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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第五章 ベールの向こう側
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1 痛みのあと

更新再開します。




 応接室を出ると低い雲の合間から橙色の光がおだやかに降り注いでいた。

 薄い襖を一枚隔てただけなのに感じる空気の温度がまるで違う。吐く息は白く、頬を撫でる冷たい風にレティスは思わず身震いした。


「冷えてきたし、一旦部屋に戻ろっか」


 ルーフェの声に促されるまま外廊下を歩いているとどこからかカン、カランと小気味良い音が聞こえてきた。

 規則正しく何度も鳴る音には聞き覚えがある。音は段々と近づいてくるようで、廊下の角を曲がった先に音の正体があった。


「……ふう、これで半分、と」


 広い庭で薪割りをしている使用人がいた。こちらには気付いていないようでううんと伸びをして上体をひねるように左右に振っている。


「あ」


 無彩色の服の胸元のリボンが見えると同時に視線が合った。

 赤い色から姉であるリサと思しき使用人は立ち止まったレティスに向き直って声をかけてきた。


「ルーフェ様に、ミツル様、レティス様。お話終わられたんですね」

「ええ」

「お部屋にお戻りですか? また食事の時間になったら呼びに参ります」

「ありがとう。あ、でも、私はいらないから」


 控えめながらきっぱりと告げるルーフェの言葉にリサは「かしこまりました」と礼を取る。


「ルーフェ、いいのか?」

「うん。いない方が気兼ねなくできていいでしょ」

「そんなことないけど……」

「レティスがそう言ってくれるのは嬉しいけど、そうじゃない人もいるから。無用な争いは避けた方がいい」


 力なくルーフェは頭を横に振った。

 それはそうかもしれないが、ルーフェばかりが排除されるのはおかしいとレティスは思う。

 いくら魔導師が食事を必要としないとしても、一人だけ爪弾きにされるいわれはないはずだ。


(……一人は、つらいよ)


 母が亡くなって最もつらかったのは、共に食事を取ってくれる人がいなくなったことだった。自分のために調理して、自分一人で食べる。一人きりの食事は味気なくて、少しずつ食事量が減っていった。

 折を見て助けてくれる従姉達はちゃんと食べてと声をかけてくれた。けれどレティスを冷遇する叔父の目を盗んでまで一緒に食事を取ることはできない。


 あの時は仕方ないのだと諦めていた。諦めて、一人ぼっちの現実を受け入れるしかないのだと。

 けれど実際のところはどうか。

 日に日にやつれていく中、父からのいわれのない叱責が決定打となって故郷から逃げだしたのは諦めきれなかったからだ。


 北諸島(ノルテイスラ)への道中で人の温かさに触れた。痩せっぽちなレティスを不憫に思い、手を差し伸べてくれた三日月の西(リコオステ)の人々。誰かと寝食を共にすることで人恋しさに飢えていたのだと実感する。

 身体が健康になると心まで持ち直すのか、母の故郷であったノルテイスラへの思慕は日に日に募っていく。母の縁者を探そうと腹を決め、ノルテイスラに足を踏み入れてよそ者に厳しい現実を知った。

 ここにも自分の居場所はないと一旦は全てを諦めかけたけれど、すんでのところで命を救われ、こうしてここにいる。


 ――諦めなくて良かった。


 そう思わせてくれたのは他でもないルーフェなのに。

 自分勝手にも程があるのは分かっているが、諸々を諦めているような姿に何とも釈然としない思いがした。

 助けを求めてハシバへ視線を移すとふるふると頭を横に振られた。

 どうしようもできないと、これまた仕方ないと諦めている。


「……オレは、諦めたくない」


 ぼそりとつぶやいた言葉にルーフェは首を傾げた。


「? レティス?」

「ううん、こっちの話。じゃあさ、明日の朝、ルーフェと一緒にご飯食べてもいい?」

「ええ? 私は食べないけど、それでもいいの?」

「うん。……色々教えてほしいんだ。ルーフェのことも、他のことも」

「わ、わかった」


 戸惑いながらもルーフェは頷く。

 勢いで押し切るような形になったがひとまずはこれでいい。少しずつ、ルーフェを通して魔導師になるということを知っていきたいとレティスは思った。


「でさ、オレ、リサさんの薪割り手伝っていくから、先に部屋戻っててよ」

「え」

「いえそんな、お客様の手をわずらわせるわけには……」

「こう見えて薪割り得意なんだよ。お世話になってるだけじゃ申し訳ないから」


 驚くルーフェとリサにこの通り、と両手を合わせる。

 頭を下げた拍子にシズが転がり落ちたのも気にせず、次にレティスはハシバに目配せした。


「いっぱい話して疲れただろうし、ルーフェはゆっくり休んでてよ」


 ハシバは訝しげに眉を寄せていたがその言葉になにやらぴんときたらしい。

 ごほんとひとつ咳払いして、おもむろに口を開いた。


「ここはレティスに任せておきましょう。すみませんリサさん、でしたか。貴女の責任になるようなことはないので、レティスを置いていってもいいですか?」

「ちょ、ハシバまで……」

「頭ばかり働かせていると身体も動かしたくなるものです。無心で身体を動かすと存外頭の中が整理されたりもしますし」


 そうハシバに諭されて旗色が変わる。

 ルーフェはレティスとハシバを交互に見やり、ふうと息をついた。


「……わかった、好きにすれば? リサさん、レティスをよろしく」

「か、かしこまりました」


 頭を下げたリサと共に二人とハシバの肩にくっついたシズを見送った。




 ミカサ邸では宿や店でよく見かける暖炉のようなものは一切見かけないが、室内は不思議な暖かさを保っていた。魔道具によるものなのかはたまた魔法でなんとかしているのかは判断つかなかったが、薪割りをしているということは物理的な暖房器具がどこかにあるのだろうか。

 カン、カランと薪割りの音を聞きながらレティスはぼんやりとそんなことを考えていた。


「ほんとにお上手ですね」


 レティスが割った薪を拾い、新しい原木を薪割り台にセットするリサが感心したように声をかけてきた。

 危ないですからと恐縮していたリサから半ば奪い取るような形で斧を受け取り、いくつか薪割りをしてみせる。その堂に入った様子から口だけじゃないと信じてもらえたようで、いつの間にか役割分担ができていた。


「うん、まぁ。ノルテイスラに来るまで、リコオステにいてさ。そこで薪割りのコツを教わったんだ」

「そうなんですね。ほんと助かります、薪なんていくつあってもいいので」


 炊事やお風呂、はては暖房と用途はいくらでもあるとリサは指折り数える。


「魔道具もここ数年どんどん値段が上がっていて、使用は必要最低限に、なんて言われてるんです。といっても普通のお家に比べたらじゃんじゃん使ってる方ですけど」

「そうなんだ」

「セイジ様は無駄使いを嫌いますから。あぁでもケチってわけじゃないですよ。締めるところは締めるってだけで、私たち使用人にも良くしてくださいますし」

「……それは、なんか分かる気がする」


 セイジは良くも悪くも合理的だ。

 隻眼に額の傷と一見冷たく見られそうなものだが、そこはあの人好きのする笑顔でうまく中和されていた。

 五家の一角、三の家(ミカサ)出身ともなれば下々の声など取るに足らないだろうに、きちんと聞く耳も持っている。


「ですよね? 嬉しいな、セイジ様の良さを分かってくれる方が他にもいて」


 破顔するリサは思いのほか幼く見えた。

 レティスよりは上だろうが、成人しているかは怪しいといったところ。口振りから働き始めたのは最近でないことくらいは分かる。そんな若いうちから働いているんだとノルテイスラの現状が透けて見えるようだった。


「リサ、手空いたから手伝う――……って、あれ?」

「エマ。もう、遅いよー。ほとんど終わっちゃったよ」


 小走りで現れた双子の妹にリサはひらひらと手を振る。

 青いリボンを胸元につけたエマはレティスの姿を認めて目をしばたいていた。


「やだリサ、お客様に手伝わせたの?」

「あぁいや違います、オレが一方的に手伝わせてもらっただけで」

「そうそう、無理強いなんてしてないから。あぁでも助かりました、ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 二人揃って同じ顔にぺこりと頭を下げられた。


「や、そんな、こちらこそ手伝わせてくれてありがとうというか……お客様扱いはなんか違うというか……」


 ルーフェやハシバと違い、レティスには何の肩書もない。

 どちらかといえばリサやエマ側の人間だとレティスは思う。誰かの上に立つだなんてこれまで想像したことすらなかった。

 お礼を言われ慣れておらず、謙遜するレティスを見てリサはぱちぱちと目をしばたいた。


「あのー……レティス様って使用人希望なんですか?」

「え?」

「ちょっとリサ!」

「だってエマも気にならない? あの話」

「そりゃ気になるけど」

「???」


 あの話とは何のことなのか。使用人希望というのも話が飛びすぎている気がする。

 レティスはわけが分からず首を傾げるしかない。


「それなら直に聞けばよくない? はっきりするしさ」


 二人話し合った結果、リサに軍配が上がったらしい。

 エマより半歩前に出て、リサは「昨日のことなんですけど」と口を開いた。


「えっとですね、セイジ様がカレン様と話されていたんです。『ひとり人が増えてもいいか』って。それ、レティス様のことかなって」

「えぇ? ……や、そういえば働かないかって誘われたような気はする」


 考えておいてくれと言われたものの、すっかり忘れていた。


「ほら、やっぱりね。私たちの時みたいに急に連れて帰ってきたらしこたま怒られるから事前に話してたんだよ」

「そっかぁ……やっぱりセイジ様は優しいな。働き口としてここ以上のとこなんて早々ないもんね」

「ねー」


 リサとエマは顔を見合わせて頷き合う。

 納得されたところでレティス自身は納得していない。

 なんせルーフェから魔導師になる試練を受けてみないかという勧誘を受けている状況だ。いずれ身の振り方は決めなければならないものの、ここで結論を出すのは早計すぎる。


「待った待った、雇ってもらうかはまだ分からないけど……ん? っていうか、『私たちの時みたいに』……?」


 リサの言葉がひっかかって復唱するレティス。

 急に連れ帰ってくるという点も聞き捨てならず、なんともおだやかではない。

 首を傾げるレティスにリサとエマは顔を見合わせ、何ともない風に口を開いた。


「あ、そうなんですよ。私たち、口減らしとして親に売られちゃって。助けてくれたのがセイジ様なんです」


 女や子どもをさらい、裏ルートで売りさばいているという組織の摘発に立ち会っていたのがセイジだという。

 他の被害者達はさらわれた者ばかりで帰る家があったが、二人は直に親に売られたこともあって話は別。このまま帰すにも問題があるということでセイジが引き取ってくれたらしい。


「使用人として働いてもらうなんて言ってたのに、昼間は学校に行かせてくれたんです。働くっていうのも最初はほんとお手伝いレベルで」

「ね。家でも家事はしてたけど、求められるレベルが違うっていうかむしろ邪魔してない? って感じだったね」

「何の後ろだてもない私たちが生きていくには使用人くらいしかないってのをセイジ様は分かってたんだよね。最低限の学と手に職を持つことでどこでも雇ってもらえるようにってわざわざ育ててくれたんです」

「学校を卒業して、働きたいところがあるならどこでも口利きくらいはしてやるって言われたんで、それならこのままここで働かせてくださいってお願いしたんです」


 親に捨てられたも同然の境遇にも関わらず二人の語り口は軽い。

 おそらく、リサやエマのような人達はノルテイスラにたくさんいるのだろう。

 年若いながら二人が使用人として雇われている背景を知り、レティスは改めてノルテイスラが苦境に立たされていることを実感した。




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