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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第四章 交わる記憶
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番外編 『白』が消えた日

ハシバ過去編です。




 皮肉にも精霊の存在を感じられたのはあの日が初めてだった。


 誰かの声が聴こえたような気がして、ミツルはいつもより早く目が覚めた。ちかちかとまぶたに当たっていた光は雷のようで、薄暗い部屋が一瞬明るくなってまもなく、地響きのような音が響く。

 いつものように隣の部屋へイズミを起こしに行くがその姿はなく、寝具に触れてみてもぬくもりは感じられなかった。

 年が明けてからこちら、イズミは体調不良で寝込む日が増えていた。青白い顔をして食事すらままならない状況が続き、改善の兆しを見せたのは四月に入ってから。

 それでもまだ万全の体調じゃないだろうに、どこへ行ったのだろうか。


「イズミさんー?」


 寝巻きのまま部屋を出て、ミツルは心当たりを探すべく神殿内をうろうろすることにした。

 窓の外からのぞく空には見たことのないようなどす黒い雲が低く垂れ込めていた。ひっきりなしに雷が鳴っていて、あちらこちらから悲鳴にも似た巫子の声が聞こえてくる。

 そのどれとも異なる、耳鳴りのような幾重にも響く声なき声に誘われて歩みを進めると神殿の入り口まで来ていた。

 こんな天気で外に出るわけがないと思いつつも、歩む足は止まらない。

 まるでなにかに誘われるようで――


「――ミツル、行ってはいけません」


 背後から呼び止められてようやく、呪縛が解けたかのように足が止まった。

 振り返ると息せききったマナがこちらに手を伸ばしている。


「姫様。どうしたの?」

「こちらへ。――そう、振り向かず、ゆっくりでいいから」

「?」


 変な姫様だとミツルは首を傾げる。

 けれどマナの言うことは絶対で、不思議に思いながらも神殿の方へ一歩足を踏み出した。


『――こっち。こっちだよ』


 くすくすと笑うような声が後ろから響く。


「? 誰かいるの?」


 この雷雨の中、外に誰かいる――誰がいる?

 一度疑問に思ってしまうと歩む足が止まってしまった。

 風が吹き、どこかに跳ねた雨粒が首筋にかかる。


「――っ!」


 焼けるような痛みに驚いてミツルは振り返ってしまった。


「……あ、え……」


 そこにあったのは青白く光るもやとしか言い表せない何かだった。

 まるで意思を持っているかのように揺らぎ、蠢き、ミツルに手を伸ばすように形を変える何か。


『こっちにおいで』


 もやから発せられる音は先程からずっと頭の中に響いていた声に他ならない。

 まるで歌うような声色は優しく、聞いていると頭の芯からじわりと痺れていくような感覚に襲われる。

 これに呼ばれていたのだと理解した瞬間、後ろから強く手を引かれていた。


「ミツル、目を閉じなさい」


 鼓膜にマナの声が響き、その言葉のままに目を閉じる。


「いいですか。そのまま、そう、こちらです。ついてきてください」


 マナに手を握られている間は不思議と脳内に響く声を感じなかった。

 目を閉じた状態で歩くのは正直なところ怖かった。まぶたの裏に感じる雷の光。こつこつと響くマナの足音。繋がれた手だけが頼りの綱で、時折つんのめってマナにぶつかることもあった。ぶつかったマナの身体は細く頼りなくて、神殿にいる大人の巫子の誰よりも華奢であることを実感する。

 繋がれた手がわずかに震えていることに気付いた時、脳裏に浮かんだのはイズミと交わした言葉だった。


『マナ様を支えてくれる?』


 イズミとの約束は守らねばとミツルはぎゅっと手を強く握り返す。

 どこへ向かっているのかは分からないがとにかく階段をひたすら上がったことだけは確かで、着いた場所は今まで足を踏み入れたことのないところだった。


「もう目を開けて大丈夫ですよ」

「姫様? ここは?」


 何の変哲もない扉の他にはがらんどうとした空間が広がっている。

 きょろきょろとあたりを見渡すと、ある一面の壁だけ何か様子が違うことに気が付いた。――否、それは壁ではなく、よく見れば扉のように見える。

 よく分からない文字のような模様が刻まれた、天井まで届きそうな扉だ。その部屋にはそれの他には何もなかった。

 こつこつと二人の足音だけがいやに耳に響く。


「いいですか。わたくしがいいと言うまでここから出ることはなりません」

「えっ」


 驚くミツルをよそにマナはくるりと踵を返した。


「待って姫様、イズミさんがいないんだ」

「知っています」

「僕、イズミさんを探してて、それで、」

「ここから出ないように。分かりましたね?」


 ミツルの言葉を遮ってマナは扉を閉めた。


「姫様待ってよ、なんで……っ」


 非情にも閉ざされた扉は押しても引いてもびくとも動かなかった。ひとしきり扉を叩き、声を張り上げても返ってくる言葉はない。

 理由も分からず置いていかれた――その事実だけで胸が張り裂けそうなのに、不安を煽る材料は他にもあった。

 扉を閉めると何の音も聞こえなくなったのだ。

 あれだけ鳴り響いていた雷の音も、脳内に響く不思議な声も、何もかも――。


「出してよう……」


 ぽたりと目から雫が落ちる。

 一度うずくまってしまうともう立ち上がる気力は残されていなかった。





 どれくらい時間が経っただろうか。

 実際はそんなに経っていないのかもしれない。けれどミツルにとっては永遠とも思える間を開けて、マナは戻ってきた。

 びくともしなかった扉が動く音にミツルは顔を上げる。

 開かれた扉の先に立つマナは今まで見たことのない固い面持ちをしていて、丸まっていた背筋が無意識に伸びていた。

 立ち上がったミツルにマナは告げる。


 ――名を精霊に捧げなさい、と。


 そうしてその日、シラハの家の者は皆いなくなった。



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