15 夢から覚めて 1
誰もが言葉を失い、ルーフェの言葉に聞き入っていた。
事の顛末を話し終えたルーフェはふうと一息つき、あらかじめ用意されていたテーブルの上のカップに手を伸ばした。
お茶はすっかり冷めてしまっている。温かい時はさほど感じなかった苦味がより伝わってくるような気がするのは気分的なものもあるのかもしれない。
「――……この後のことは私が知らない間に処理されたから伝聞になるんだけど」
風に次いで水の魔導師も消えるという異常事態にすぐさま残る二人の魔導師も風神殿を訪れてきた。
状況把握のためにルーフェだけでなく風神殿の者にもヒアリングが行われる。
結果、周囲の巫子たちからサヤがレオに迫っていたこと、レオがそれに応えてから様子がおかしくなったこと、レオの部屋にあった小瓶は確かに北諸島の物だった、などの証言が得られた。
賢者も含めた協議により、風も水も共に魔導師を失っており、痛み分けとする他ないという結論に至る。
互いに互いの責を問うような真似はしないこと。
そして風と水、どちらも早急に新たな魔導師を探すようにと言付けが残された。
「あとはもうご存知の通り。翌年、私が父様の後を継いで魔導師になることでバジェステは落ち着いた。……けど、ノルテイスラはなかなか見つからなかった」
サヤが消えてゆうに十五年以上、魔導師が不在の状況が続いている。
「余計な手出しをすべきじゃないってのは散々言われたし分かってるけど、見て見ぬふりなんてできなかったの。……私のせいでこうなってしまったのに」
吐き捨てるようにルーフェはつぶやく。
誰も、それこそ片翼を失って誰よりも胸を痛めたであろうアリシアやマナもルーフェを責めることはなかった。
自責の念に苛まれるルーフェにとってその優しさは残酷だった。取り返しのつかないことをしてしまったのだと身にしみる。
「……それで、魔導師探しをすることにしたと?」
ようやく話の内容を咀嚼したのか、セイジが口を開く。
責めるような口調ではなく、淡々と事実確認をする問いにルーフェは首を縦に振った。
俯いた拍子に肩口から髪が流れ落ちる。伸びた髪はノルテイスラにいた時間の長さを物語っていた。
「ふむ。……贖罪、か。それならば腑に落ちるな」
「――信じられるかよ、そんなの」
頷くセイジとは真反対の言葉を投げかけたのはトウマだ。
はちみつ色の瞳が揺らぎ、拳に力が入っている。
トウマはサヤが関わると普段の飄々とした雰囲気は鳴りを潜め、人が変わったかのように余裕がなくなる。元はこちらが素なのだろうか。
「信じられないんだったらマナに聞いてみればいいわ。マナは伝聞じゃなくて魔導師から直々に話を聞いてるだろうから、」
「結果云々じゃない。サヤ様が風の魔導師に迫ってたって、どういうことだよ。なんだってサヤ様が魔導師を欲しがるんだよ」
「……それは私が知りたいわよ」
レオ――レオ・ファーファネル。二十代半ばで魔導師となったレオは亜麻色の髪を短く刈り上げ、がっしりとした体躯から魔法使いというより戦士と言う方がしっくりくる風体をしていた。無骨な見た目に反して性格は温和で、怒った顔を見たのは後にも先にもサヤと口論していたあの時だけだ。
対してサヤの側にいた巫子たちは見目麗しい者が多く、どう見てもレオとはタイプが違った。
「なんでなのか今でも分かんない。私だって知りたいけど……知ったところでどうしようもないし……」
マナなら知っているのかも頭をよぎったことはあるが、傷口に塩を塗るような真似になりかねないとずっと聞けずにいる。
「……っ、なんでそこで諦めんだよ!? そもそも、」
「――トウマ、そのあたりにしておけ。これ以上過去についてぐだぐだ言ったところでなにも始まらん」
腰を浮かせたトウマを引き止めたのはセイジだった。
思いきり眉をしかめたトウマは隣にいたクラキになにか一言二言耳打ちされ、盛大に舌打ちをした。
納得いかない。そんな内心がありありと見て取れるまま、トウマは立ち上がって部屋から出て行った。
「すみません、先に失礼します」
あわててクラキがその後に続く。
開け放たれたままの襖を尻目に、セイジがおもむろに口を開いた。
「事情は理解した。整理する時間が欲しいのだが、構わないかな?」
「ええ」
「ではまた後日、こちらの見解を言おう。お嬢、行くぞ」
「えっ、ちょっと!」
呆然としているミオの腕を取り、セイジは席を立った。
ルーフェとハシバを交互に捉えた隻眼にわずかに労るような色が混ざっていることに気付かないルーフェではなく、気を遣われてしまった事実が心苦しくもある。
閉じられた襖の先からもミオの文句のような声は聞こえてきた。
しばらく経って静かさが戻ると途端に部屋の空気が重たくなったような気がする。
ルーフェはおもむろに立ち上がり、テーブルの真反対、先程までセイジが座っていた場所へ腰を下ろした。
こちらの方がレティスとハシバ、二人の顔がよく見える。レティスは平然とまではいかないがそこまで動揺した素振りはなく、ハシバは眼鏡が邪魔でうまく表情が読み取れなかった。
「んーとね、なにか他に聞きたいことはある?」
極力明るい声色で話しかけたのはその方が気負わずにすむと思ったから。
うまく笑えていたかは自信がなかった。
「この際だからなんでも聞いて」
「「……」」
レティスとハシバは互いに顔を見合わせる。
ゆずり合うような仕草をして先に折れたのはレティスだった。
「……そのさ、オレ、やっぱり魔導師候補って言われても全然ぴんとこないんだけど」
ぽつりと漏らしたレティスの声には困惑の色が強い。
「魔力の優劣は関係ないにしたって、なんでオレなんだろって。資格はあるのかもしれないけど、それならミオさんでもいいわけだろ? いや、ミオさんじゃなくたって、ふさわしい人が他にもいるんじゃ……」
「……そうやって、いろんな可能性を考える時点で私はレティスがふさわしいと思うな」
「え……」
ルーフェの言葉にレティスは目をしばたかせる。
「魔導師候補だって言われて驕ることもなく、他の人を侮りもしない。……余計なしがらみがない分、フラットに見れるのかな。肩書とかじゃなく、ちゃんとその人のことを見ているとこ、とってもいいと思う」
「そう、かな? そうでもないと思うけど」
「私やセイジの素性を知っても呼び方が変わらない人が何言ってんの」
「! や、それは……その、」
慌てる様子がなんだかおかしくてくすくすと笑ってしまった。
「そこがいいって言ってるんだからそのままでいて? 急に態度を変えられるのは寂しいから」
それまで単なる小娘だと侮っていたにも関わらず、素性を知るなりくるりと手のひらを返す者は数多くいた。慣れたものといえばその通りなのだが気にならないわけではなく、積み重なるとそれなりに傷付いたりもする。
そういう意味ではミオは貴重だ。会った当初からずっと敵愾心を向けられているものの、素性を知ってからも態度は全く変わらない。
口に出すことはしないが、その一点のみに限ればルーフェはミオのことを気に入ってすらいた。
「ま、それはともかく、今はまだぴんとこなくても仕方ないと思う。あくまでそういう選択肢があるという話で、最終的に試練を受けるかどうかはレティスが決めていいから」
「え!?」
「え、って。そんな驚くとこ?」
「うん」
こくこくとレティスは首を縦に振った。
「大神殿に連れてってくれるってことは、有無を言わさずに試練を受けさせられるんだとばっかり……」
「やだ、そんなことしないってば。そりゃ受けてほしいのは山々だけどね。魔導師になったら得るものも多いし」
魔導師になれば世界ががらりと変わる。もう二度と行き倒れるようなことはなく、むしろ与える側の人間となる。
精霊を治める力を手に入れることで、名実ともにかけがえのない存在になるのだ。
「でもね、何かと縛られることも多いし、それこそ試練を受けるだけでセイジみたいに色々と失っちゃうこともある。……それらを踏まえても叶えたい何かがあるなら、試練を受けてみてほしいな」
魔導師候補として大神殿に連れてはいくものの、無理強いはしないとルーフェは告げる。
得るもの失うもの。
そのどちらに天秤が傾くかはレティスの心構え次第だ。
「選択肢、か。…………うん、考えてみるよ」
「うん。よろしくね」
角度によってグレーにも紺にも見える、複雑な色を宿す瞳がまっすぐルーフェを射抜く。
すぐに答えは求めるのは酷だろう。目指す大神殿まではまだまだ時間がかかるということもあり、ゆっくり考えてくれたらいい。
現時点での感触がそう悪くないことにルーフェは安堵し、自然と口元が緩む。
他にも聞きたいことがあるかと問えばレティスは困ったように眉尻を下げた。
「あるっちゃあるけど、その、母さんのこととか。でも今聞いても頭に入らないからまた今度にするよ」
頭がパンクしそうというのは無理もないだろう。
「そっか。じゃ次は……ハシバだけど」
ルーフェはおもむろに視線を横へ動かした。眼鏡の奥の瞳は戸惑いの色が濃く、言葉を選んでいる風に見てとれる。
口を開こうとしたハシバを制して、これだけは言わせて欲しいとルーフェは頭を下げた。
「今までごめんなさい。サヤさんがいなくなったことで辛い境遇に身を置かせてしまったこともそうだし、ずっと黙っていたこと、申し訳なく思ってる。それに……何も聞かず、二年もわがままに付き合ってくれてありがとう」
マナから何も聞いていない可能性は頭をよぎってはいたが、あえて確認しなかったのはルーフェのエゴに他ならない。
知っていたからとてハシバが巫子としての責務を放棄するとは思えない。けれど態度は確実に変わるだろう。よそよそしい状態に加えて疎まれてはかなわないと黙っていたのだが、距離が縮まるうちにじわじわと心苦しさが増していく。
そうしてレティスに出会い、セイジの誘いに乗った時点でこうなることは予見できていた。
すべてを知ったハシバから距離を置かれる覚悟はまだできていないが、重い肩の荷が下りたのも確かだった。
「…………顔を上げてください」
冷淡な声がかかるかと思いきや、想像よりも落ち着いた声音が耳に響く。
おそるおそる顔を上げると自嘲するような笑みをこぼすハシバがいた。
「貴女を責める気はないです。というより、貴女のせいだなんて思ってません」
「え……」
「ひとつ言わせてもらえるのだとしたら、もっと早くに教えていただきたかったですが……僕に信用がない、ということで理解はできます」
「っ! 違う、そんなことない。そうじゃなくて……」
信用していないなんてことはない。けしてハシバを軽んじているわけではなく、あくまで自分自身の問題なのに。
正直に打ち明けられなかった理由。それは……――
「……、…………嫌われたくなくて……」
言葉を探した末に見つけ出したものは至ってシンプルだった。
蚊の鳴くような声量にも関わらずしっかりと二人の耳には入ったようで、ハシバはぴくりと肩を震わせ、レティスは目をしばたいた。
「…………は? え?」
「あー……うん。なんか分かる気がする」
うろたえるハシバとは対照的にレティスはうんうんと頷く。
「ミツルさん、頼りになるから。ノルテイスラを巡るのだって、いるといないのじゃ大違いだろうし……誰だって、幻滅されたくないって思うよな」
「そう、そうなの」
うまく代弁してくれたレティスが救世主に見えた。
「そんなわけで、黙っていたのは私の見栄というか……保身、というか。ハシバのことを蔑ろにしてるわけじゃないの」
「……そう、ですか。それなら、まぁ……」
理解できなくもないとハシバはふうと息をつく。
テーブルの上のお茶に口をつけ、落ち着いたところで「で、聞きたいことなんですが」と話題を変えた。