14 刹那に散りゆく
ルーフェとサヤの距離が縮まるのと反比例するかのように、レオとアリシアの間に流れる空気がおだやかでなくなっていったことに気付いたのは随分と後になってからのことだった。
レオとアリシアは魔導師と筆頭巫子である前からの知り合いだったらしい。気心が知れているのかそれは仲睦まじく、二人が寄り添って歩く姿は折に触れて目撃されていた。口数は少ないものの流れる空気は親密そのもの。誰も割って入る隙などない状況にも関わらず幼い頃は喜び勇んで間に挟まりにいったものだったが、年を取るにつれておじゃま虫じゃないかと遠慮するようになった。
二人から離れると見える世界も違ってくる。
レオの子として神殿に置かれてはいるものの、ルーフェの立場は微妙だった。魔法の素質はあるものの学院に通うわけでもなく、かといって巫子でもないので仕事を手伝えるわけもなく。
まるで鳥かごの中の鳥。
神殿という檻の中にいるようだと息苦しさを感じてしまい、行き場のないもやもやをレオやアリシアにぶつけてしまう。二人を慕う気持ちは変わらずあるのに、素直になれずに憎まれ口を叩いてしまうこともあった。
「それくらいの年頃の子にはよくあることよ。レオもきっと分かってくれているわ」
つい愚痴をもらしてしまうルーフェをサヤは優しく受け入れてくれた。
サヤの言葉は甘い蜜のようで、じわじわと少しずつルーフェの中に溶けていった。
***
それはルーフェが十七才になって間もなくだった。
いつものように風神殿を訪れていたサヤと、レオが珍しく口論をしていた。話している内容は聞こえないまでも、おだやかでない雰囲気なのは遠目からでも見てわかる。
この頃のレオは元来の溌剌さが影をひそめ、なにか悩みがあるのか眉間にしわを寄せていることが増えた。アリシアと共にいることもめっきり減って、見るからに憔悴していた。
対するサヤは変わらない。優美な笑みを浮かべたままレオの言葉に耳を傾け、一言二言相槌を打っている。紅い唇が動く様はなんとも艶かしくて男女問わず目を奪われてしまいそうなのに、レオの表情がみるみるうちに絶望へ変わっていった。
凍りついたかのように動かないレオをその場に残し、踵を返したサヤはルーフェを視界におさめるとにこりと微笑んだ。
「ルーフェ。ちょうどよかった。これ、受け取ってもらえるかしら」
「え、……小瓶?」
手のひらに収まるサイズの小瓶に透明な液体が入っている。
光の加減でわずかに色が変わったように見えることからなにかしらの魔力が宿っていそうな雰囲気だった。
「っていうか、今、父様となにを話していたんですか?」
「ん? うーん、ちょっとね。ほら、最近レオ、元気がないでしょう? わたくしになにかできることはないかって聞いたのだけど……これ以上余計なことはするなって怒られてしまって」
しゅんと肩を落とす姿はいじらしく、庇護欲をくすぐられる。
「余計なことだなんて……父様ひどい。サヤさんにはものすごくお世話になっているのに」
「ふふ。ルーフェは優しいのね。でね、小瓶にはお薬が入っているの。これを飲めば、気が晴れるかも……」
藍色の瞳が妖しく煌めいたことにルーフェは気付かなかった。
水の魔導師から直々に渡された、特別な水――これがあれば、レオも元気を取り戻すかもしれない。
サヤが帰った翌日、ルーフェは久しぶりにレオと一対一で会った。
ルーフェが成長した今、レオは父というより兄といった方がしっくりとくる。けれどルーフェを見つめるレオの視線は相変わらず小さな子を見るようで、少し歯がゆくもあった。
「父様、これ……」
こんな状況でも素直になれない自分がもどかしい。
言葉足らずに差し出された小瓶をレオは嫌な顔ひとつせずに受け取ってくれた。
「ありがとう。これは、飲めばいいのかな?」
「うん。お薬だって」
「そうか」
他でもないルーフェからの贈り物が嬉しくて、レオは躊躇うことなく飲み干した。
――異変はすぐに訪れる。
翌朝、レオは起きてくることはなかった。そしてそのまま目覚めることなく、数日後には帰らぬ人となった。
「レオくん! レオくん、どうして……目を覚ましてよ。お願いだから……っ!」
苦しんだ様子はなく、まるで眠っているような安らかな表情で横たわるレオにすがりつくアリシアの声が頭に響く。
ルーフェはわけが分からなかった。変わったことがあったとすれば、サヤから渡された特別な水を飲んだことくらいで。
だってあれは、お薬で……
泣き崩れるアリシアを前にして、ルーフェは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
***
急逝の知らせは瞬く間に広がり、風神殿に再び多くの人が出入りするようになった。
相変わらずルーフェは部屋から出ることを許されなかったが、誰にも合わせる顔がなくて昔のようにこっそり部屋を抜け出す気にはなれなかった。
部屋にこもるようになってどれくらい経ったかは分からない。
その日は風が凪いでいた。風精霊の恩恵を受け、風が吹いている状態が常のバジェステではまずありえないことで、それだけで異常事態を告げている。
彼女が――サヤが訪れたという知らせを受けてルーフェは部屋から飛び出していた。
サヤは巫子の止める声も聞かず、神殿の最深部でもあるあの中庭まで来ていた。息せき切って現れたルーフェを見て巫子は驚くも、空気を読んでその場から離れていく。
「久しぶり……でもないのに、少し痩せたかしら?」
サヤは気遣わしげな表情でルーフェを見つめてくる。
それはいつものサヤの姿だ。迷いがちなルーフェを導いてくれる、理解ある優しい人――そう、ずっと思っていた。
「……サヤさん、私、聞きたいことがあって」
「なあに?」
想像以上に硬い声が出るも、対するサヤは笑みを崩さない。
「サヤさんからもらったあの小瓶の中身。あれは……何だったの?」
「お薬よ。そう言ったでしょう?」
「言ってたけど。でも……父様は、あれを飲んで……」
「あぁ。やっぱり、そうなのね」
くすりとサヤの赤い唇が弓なりにしなる。
「わたくしにはあれだけ用心深いのに、あなたには甘いのね。さすが血を分けた親子なだけあるわ。……愛しい娘に引導を渡されて、レオも本望でしょうね」
「……っ」
さあと一瞬で頭に血が昇った。
ぎゅっと握った両手のひらに爪が痛いくらいに食い込むがそんなことはどうでもいい。
「父様に何を飲ませたの!?」
声を荒げ、サヤに詰め寄る。
ルーフェの怒号にもサヤは怯むことなく、まるで小さな子に語りかけるようにおもむろに口を開いた。
「嫌だわ、飲ませたのはわたくしじゃなくてよ。でもそうね。ひとつ、いいことを教えてあげる。――薬も過ぎれば毒となるって、言うでしょう?」
「…………っ」
頭の中が真っ白になった。
呼吸が上手く出来ない。背中だけでなく全身から嫌な汗が吹き出てくる。
「……なんで、どうして……っ」
言葉尻が震えているのが自分でも分かった。
対峙するのは誰もが振り向く美貌に流れるような黒髪の、落ち着いた雰囲気の女性。
ルーフェが憧れ、短いながらも手本にしてきた人はそれは美しく微笑んだ。
「どうしてって、奪いたかったからよ。……でも手に入ったら、どうでもよくなっちゃった」
ルーフェはぎゅっと目をつぶった。カタカタと膝が震える。
その場に立っていられなくて、それ以上なにも聞きたくなくて。
感情の赴くまま、力を解放していた。
淡い緑の光が中庭いっぱいに広がっていく。草木も、池も、なにもかもが飲み込まれ、やがてなにも感じなくなった。
最初に戻ってきたのは音だった。
草木のざわめく音が鼓膜を震わせる。頭を左右に何度か振り、まばたきを繰り返すとやがてぼんやりと視界に色が戻ってきた。
耳をすませば遠くから人の声も聞こえる。
(……私、なにを……痛っ)
手に走る痛みに眉をしかめる。手のひらを顔の前に上げるとそこには爪が食い込んだような傷跡が残っていた。
――その、視界の先。
まるでスローモーションのようにサヤの身体が地面へ倒れていった。
「……これで、終われるわ……」
そんなつぶやきに合わせて、サヤが笑ったように見えたのは気のせいだろうか。
横たわる身体から光のもやが立ち昇り、あたり一面が再び光に包まれていく。
二度目の光が収まった時、見知った人の姿はなく、そこにいたのは小さな白い魔獣だった。
必要最低限(にも程がある)回想編でした。
ルーフェが開示するとしたらここまでかな、というラインを探りながら書いたので中途半端だったり消化不良だったりするところもあるかとは思います。
いずれ明らかになる予定なのでここは何卒。
次回から本編に戻ります。