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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第四章 交わる記憶
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13 花に誘われ、

 サヤとの出会いはルーフェが十才の時。風神殿で、先々代の風の魔導師であるハリーが逝去してしばらく経った頃だった。

 先代の代替わりは異例とも言える程おだやかに行われ、ハリーは存命のまま席をルーフェの父であるレオに譲った。ハリーの就任期間はサヤ程長くはないものの人の寿命よりも長く、ハリーは魔導師の力を失ってみるみるうちに弱っていく。神殿で短いながらも静かな余生を過ごし、ハリーは眠るようにあの世へ旅立っていった。

 代わる代わる弔問のために人の出入りが繰り返される。

 来客がある時は部屋から出てはいけない――それが幼い頃からルーフェに課せられたルールだった。

 律儀に守っていたがここのところ来客が続き、部屋にこもりがちな日々が増えると辟易もしてくるというもの。少しだけならと部屋を出て中庭に向かっていた。


「ここなら誰もこないでしょ」


 魔導師であるレオと筆頭巫子であるアリシアの居住区でもあるそこは神殿の奥まったところにあることもあり、普段から限られた者しか足を踏み入れることはない。

 念のため周囲に誰もいないことを確認してから、ルーフェはふうとひとつ深呼吸をした。


「――風よ」


 風に舞う木の葉を捕まえる。揺らめく淡い緑の光に包まれた木の葉は風に逆らい、ゆっくりと池の水面へ近づいていく。

 極力波紋を広げないよう、そっと水面へ着地させるべく意識を集中させる。あと少し。そう、このまま――


「あっ」


 ぱしゃり。


 あとわずかというところでルーフェの身体が揺らぐ。動揺はすぐさま伝わり、光もまた揺らぎ、膨らんで大きな波紋が水面に広がっていった。

 足元に目をやると小さなうさぎがいた。いつの間にか中庭に住み着いていたうさぎはルーフェの足元で跳ねるようにたわむれている。


「……まただめかぁ……」


 ため息をひとつついてルーフェはその場にうずくまった。

 今回はうさぎに邪魔をされたけれど、これくらいで動揺していては論外だろう。


 力の制御がうまくできない。それが目下の悩みだった。


 魔力が足りないわけではなく、むしろその身に抱える魔力量が多すぎる故に起こっているらしいのだが、うまく扱えない時点で宝の持ち腐れにしか過ぎなくて。

 日頃の恩に報いるためにも甘えたことは言っていられない。

 弱気は損気、これくらいでくじけてどうすると立ち上がろうとしたその時、がさ、と誰かの足音が耳に入ってきた。誰が来たんだろうと腰を上げ、音の方へ顔を向けるとその人がいた。


 恐ろしいくらい綺麗な人、というのがサヤの第一印象だった。


 絹糸のような黒髪に縁取られた透き通る象牙の肌、まばゆいほどに整った目鼻立ち。豊満な胸元が強調された衣服を纏うも下品さはかけらもなく、所作はどこまでも洗練されていて美しい。長い睫毛に縁取られた夜空よりも深い藍色の瞳に見つめられ、ルーフェは射抜かれたように動けなくなってしまった。


「はじめまして、お嬢さん。お名前うかがってもいいかしら?」


 紅い唇が弓なりに動き、落ち着いたアルトの声色が見惚れていたルーフェの意識を現実に引き戻してくれた。


「あっ……はじめまして。私は、ルーフェといいます。えぇと……あなたは?」

「わたくしはサヤ。水の魔導師をしているのだけど、ご存知ない?」


 サヤ――その名を知らぬ者はいない。

 突如表れた水の魔導師に驚いてルーフェは慌ててぺこりと頭を下げる。


「サヤ……さま!? その、父がお世話になっています」

「父?」

「はい。レオ・ファーファネルは私の父です」


 おそるおそる顔を上げるとサヤの顔が至近距離にあった。


「……ふうん。そう。子がいたの」

「…………あの、」


 近いしおまけになんか良い匂いがする。

 男女関係なく目を奪われてしまうとうまく呼吸ができなくなるものだとこの時初めて知った。


「――ルーフェ、勝手に出歩いてはいけません」

「! 巫子さま!」


 聞き慣れた声が響き、ルーフェは弾かれたように姿勢を正す。

 声がした方へ振り向くとアリシアが側近の巫子に手を引かれてこちらへ近づいてきていた。

 大きく手を振ると側近の巫子がなにかに気付いたかのようにアリシアへ耳打ちする。アリシアの顔には薄いベールがかかっていて表情は読み取れないものの、わずかに肩が跳ね上がったように見えた。

 肩上で切り揃えられたアプリコットベージュの髪が風に揺れる。ルーフェがアリシアの手を取ると側近の巫子は空気を読んだかのように離れていった。

 アリシアは口を開く前に深く頭を垂れる。


「サヤ様すみません。この子は――」

「レオの子、でしょ。さっき聞いたわ」

「……はい。何か失礼をしていましたら申し訳ありません」

「巫子さま、私失礼なことなんてしてないよ」


 ぷうと頬を膨らませてアリシアの顔を見上げるが、ベールに遮られて口元以外はよく見えなかった。


 アリシアは盲目だ。筆頭巫子になる際に片方の瞳を精霊に捧げ、その後、もう片方の瞳も捧げたために視力を失ったのだという。見えないのであればわざわざ露出する必要もないとベールを被るようになったのはレオが魔導師に就任して間もなくだったように思う。

 幼い頃に見たアリシアのエメラルドグリーンの瞳。角度によってわずかに色が変わるそれと視線が合うことはなかったが、優しく微笑まれるたびに似たような色をした自分の瞳を誇らしく思ったものだった。


 ざあ、とひときわ強く吹いた風がベールを揺らす。

 草木がざわめき、水面にいくつも波紋が広がっていく中、サヤの口角がにわかに上がったような気がした。


「――……そういう、こと」

「……?」


 ぽつりと独り言のようにつぶやかれた言葉の意味が分からず、首をかしげるルーフェにサヤの手が伸びる。

 ルーフェの頭の上についた葉っぱを取り、サヤはゆっくりとアリシアに向き直った。


「それにしても、こんな可愛らしい子がいるなら事前に紹介してほしかったわ」

「……申し訳ありません」

「やだそんな、責めてるわけじゃないの。大丈夫。色々あるわよね」


 ……笑っているのに、なんだか怖い。


 それでも妖艶なまでに美しい笑みを浮かべたサヤから目を離すことはできなかった。


「またね。愛し子のお嬢さん」




 その言葉通り、サヤはしばしば風神殿を訪れるようになった。

 系譜の異なる魔導師が神殿にいる姿は異様な光景でしかなかったが表立って意見を言える者はいない。何度かレオとサヤが話し合う姿が目撃されたものの、歴の違う魔導師に強く言えないのか次第にサヤの存在は黙認されるようになっていった。

 サヤが来るたびに男の巫子たちがにわかに色めき立ち、女の巫子たちはそれを冷めた目で見据える。様々な視線を送られながらもサヤは一向に気にする素振りはなく、振る舞いは堂々としたものだった。


 そんな中、不思議とサヤはルーフェによく絡んできた。

 当初は戸惑っていたが、他愛もない話から力の制御方法までいろんなことを話して教わったその時間は実りあるものだった。ルーフェを否定することなく、嫌な顔ひとつせずに聞いてくれるサヤに心を開くようになっていったのは無理もないように思う。


 サヤは外の世界も教えてくれた。

 神殿から出たことがないと言うと大層驚き、ノルテイスラに来てみないかと誘われるがままに行った先には満開の桜が広がっていた。冬にある大祭で凍てつくような空気の中、無数の光の元で舞うマナの姿を見た時の高揚感は忘れられない。所変われば品変わり、本の中でしか知らなかったものが目の前にある。

 ルーフェの心を躍らせるのにそれは充分すぎるほどで、いつの間にかサヤとの逢瀬を心待ちにするようになっていた。





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