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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第四章 交わる記憶
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9 のこされたもの

 ルーフェが去っていく足音を聞きながらハシバは長息を吐いた。

 身体から力が抜けて丸めた膝に額がぶつかる。ルーフェに拒絶されたのは初めてではないが、そう何度も味わいたいことではなかった。

 視界を制限する眼鏡がわずらわしくなり、乱暴に外して握り込む。

 以前、酔い潰れた時のこと――ルーフェに無体を働いた記憶はしっかりと残っている。あれから話題にのぼることすらなかったが、やはり根に持っているのだと思い知らされてしまった。


(自業自得、か……)


 覚えていないなどと見え透いた嘘をついたツケがまわってきたのだろう。酔いが一気に覚めてしまった。


「だ、大丈夫ですか? 気持ち悪いとか」


 背中を丸めてうなだれるハシバに労りの声がかけられる。

 すこぶる気分は悪いがレティスにぶつけるのは八つ当たりにしかならないだろう。


「……大丈夫、です」


 重い頭をわずかに上げ、ハシバは薄く横目でレティスを盗み見る。


 ……整った顔立ちをしている、と思う。


 はっきりとした目鼻立ちはまだ幼さが抜けきれていないが、じきに誰もが目を見張るようになるだろう。陽に透ける銀髪はノルテイスラでは見かけない色彩で、珍しさも相まって一度目にしたら忘れられない。

 レティスには光、特に太陽が似合う。

 出会った時はとぼしかった表情も幾分かやわらぎ、ルーフェと笑い合う様は目にも眩しかった。


(……彼女も、陽の当たる場所にいるべき人だ)


 こそこそと逃げ隠れるのではなく、大勢の前に堂々と立つ――そんなルーフェの姿を思い描くのは容易だった。

 けれどその隣にハシバ自身が立つ姿は想像できない。

 自分はあくまで影でしかなく、付き人という立ち位置ももうじき終わってしまう。そのあとのことを考えたことはなかった。――いや、考えたくはなかった。


「…………やっぱり、似てる」


 ぽつりと紡がれた言葉によってハシバは意識を現実に引き戻された。と同時に、盗み見ていたつもりがいつの間にかしっかりとレティスを凝視していたことに気付く。


「……?」

「あ、いや、……ハシバさん、母さんに似てるなぁって」


 ためらいながらも嬉しそうに告げるレティスを見てなんだか拍子抜けしてしまった。

 あれだけ冷たくあしらっていたにも関わらず、一貫して態度を変えないレティスに対して自らはどうか。

 意地を張っている自分が馬鹿らしく思えてきて、ハシバはおもむろに丸めた背中を元に戻した。


「……正直なところ、ちょっとまだ信じられなくて。イズミさんが……いえ、彼女の態度から嘘ではないと思うんですが……」


 頭では分かっていても気持ちが追いついてこないというのが偽らざる本音だった。


「名前や立場を騙っている、ということはないんですよね?」

「っ、それはないよ。母さん自身も、父さんもちゃんとイズミって呼んでた。巫子っていうのも嘘じゃない。だって母さん、魔力移しだってできたし、巫子の痣もあったし……」

「――は?」


 聞き捨てならない言葉にハシバの目がレティスを捉える。


「今、なんて言いました?」

「え……、母さんには巫子の痣があったよ、ってところ?」

「それもそうなんですけど、その前です。魔力移しができた、……そう聞こえましたが」

「え、うん。こう、手を握ってもらって……そしたら、母さんの魔力が流れ込んでくるんだ。その時に左胸から首筋に向かって痣が浮かび上がるから、あれは魔力移しだと思う」


 全貌は見えるわけではないが、鎖骨あたりに伸びた花弁がちらりと見えることがあったとレティスは語る。


「そこは確かにイズミさんの痣の場所だけど……いや、そんな…………もしそうなら、巫子であるまま子を産んだ……?」


 魔力は精霊から分け与えられた力であり、その力の大部分は血――遺伝によって決まる。異なる系譜の者の間の子は混ざった状態で生まれ落ちるが、その本質は生まれた地の系譜に依存するもの。

 それがこの世の理なのは間違いないが、唯一、巫子が巫子であるまま子を産んだ場合は話が異なってくる。


「……そうか、だから……」


 声が掠れる。胸の動悸が高まるままに肩を震わせるとレティスが心配そうに顔を覗き込んできた。


「誕生日。いつですか?」


 うろたえるレティスに質問を投げかける。


「え」

「君の誕生日です。十五になったばかりとは聞きましたが、何月生まれなのかと」

「え、と……八月、だけど……」

「…………そう、ですか」

「???」


 何か変なことでも言っただろうか。そう思っていることが如実に表情に表れていた。


「――四月です」


 疑問符を浮かべたままのレティスにハシバが冷静に告げる。


「イズミさんがいなくなったのは、四月の中頃です。あの時にはもう、君がいたんですね。君を守るため、姿を消した……」

「オレを守るため……?」

「……あの頃、イズミさんには見合いの話がいくつか来ていたらしくて。けれどサヤ様がいなくなったばかりの状況で、姫の側近でもある自分が巫子でなくなるのは得策でないと断っていたそうです。そんな状況で子を産むとなると……おそらく、ですが」


 視線の先はレティスではなくどこか遠くを見つめているようで。

 ひとつひとつ、自分に言い聞かせるようにハシバは言葉を紡ぐ。


「巫子が巫子であるまま産むのであれば、その子は精霊に喰われることになる。治める魔導師がいない状況で精霊の嫉妬を一身に受けるんです、まず無事ではいられない。だから、そうならないよう……水精霊の力が弱まる他地方へ身を隠した」

「そんな……」

「そう考えるくらいしか説明がつかないんです。……イズミさんは、逃げるような人じゃない、から……」


 誰よりも凛としたイズミはハシバの理想とする巫子像そのもので、悪しざまに語られるような人ではけしてなかった。シラハの血族が消えた一因であることは間違いないとしても、イズミ一人だけが裏切り者扱いされることがハシバにはずっと不満で。


 そこに至るまでのなにかがあるはず。


 それが何なのか、幼いながらに聞いてまわったことはあるが示し合わせたように口を閉ざされ、何も得ることはできなかった。見合いの話は後年、五家に出入りした際に耳にすることができたもので、真偽の程は定かではない。

 時を経て次第に巫子は入れ替わり、今はもう当時を知る人はマナをはじめ数人が残るのみだ。


「……っ、そ、っか……」

「……?」


 はたり、と水滴が落ちる。

 我に返ったハシバが焦点をレティスに合わせるとその瞳からいくつも涙の粒が溢れてきていた。


「ど、どうしました?」

「…………う、嬉しくて……」


 ぽつりと呟かれた言葉と裏腹に涙は止まらない。


「母さんのことが聞けて。悪く言わない人に、やっと会えた……」

「…………」


 どう声をかけていいのか、かけるべき言葉が見つからなかった。

 嬉しいと泣くレティスに幼い頃の自分がふいに重なる。


 ――ああそうか。この子も、遺された子なんだ。

 姿形は全く違うのに、こういう風に自分も見えていたのだろうか。


 そっと手を伸ばし、銀色の髪に触れる。励ますように何度か撫でると力強く青い光が灯った。

 弾かれたように顔を上げるレティスに問題ないと目を細めてみせる。


「……これが君との血縁の証、ですね」


 撫でたところから少し、ほんの少しだけ魔力移しをしただけ。にも関わらず、一瞬にして驚く程の魔力が移った。

 魔力は血に依存する故に、血縁者同士での魔力移しはそうでない者と比較にならない程に効率が良く、親和性が高い。それこそ意図せずに吸い込まれることすらあるのだという。

 それを知る由もないレティスはぱちぱちと目をしばたかせた。


「え、と……?」

「君は僕の従弟だということです。もう疑えません」

「っ! ハシバさん……!」

「……ミツル、でいいです。あと敬語もいりません」

「――っ、うん!」


 ぱっと太陽に向かって咲く花のようにレティスは顔をほころばせる。

 その笑顔にわずかにイズミの面影を感じられた気がした。




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