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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第四章 交わる記憶
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4 婚約者 2

 通された浴場は宿の風呂並、いやそれ以上に立派なものだった。

 床や梁、天井はもちろん、浴槽や洗い場まで木製の浴場は初めて見るものでレティスは圧倒されてしまった。足の裏に伝わる木の感触は柔らかく、深い安らぎを感じさせる香りが何とも心地良い。

 洗い場でかるく身体を洗い、大の男が四人入ってもまだまだ余裕のある浴槽に浸かるとレティスはふうと一息ついた。


 故郷にいた頃は風呂がこんなに気持ちの良いものだとは知らなかった。母の湯浴みを手伝うことはあっても自身は水をかけるだけで済ませることが多く、ゆっくりとお湯に浸かる時間がなかったということもある。


 他愛ないおしゃべりに興じるトウマとクラキを背中において、少し距離があるところにいるハシバにちらりと視線を向けた。風呂だけあって眼鏡は外されており、こうして改めて見るとどことなく母に似ているような気もする。


(従兄、なんだよな)


 ハシバは母の兄の息子、つまりは母方の従兄にあたる。

 母が語る甥っ子はいつまでも小さい頃のままで、そのイメージが強かったのだが考えてみれば月日は相当経っている。幼いままではなく、成長していて当然といえば当然だった。


(……オレもあれくらい背、伸びるかな)


 背だけでなく、身体つきもまるで違う。痩せてひょろりとした自身との違いを目の当たりにして羨望の眼差しでハシバを見つめてしまっていた。


「……なんですか、さっきからじろじろと」

「えっ、あ、……」


 気まずさが残る声で話しかけられてレティスは我に返る。

 どうやら無意識に見過ぎてしまっていたらしい。


「あー……あの、ミオさんって人、ハシバさんの婚約者だって」


 ごまかすためになんとか捻り出した話題はミオのことだった。

 ミオの名が出て一瞬でハシバは鼻白み、勢いよく首を横に振る。


「違います。それはイチヤ嬢が勝手に言っているだけであって、僕もイチヤの家も承諾していません。本気にせずに聞き流しておいてください。……まさかセイジさんのところにいるなんて」


 ハシバははぁと盛大にため息をつく。


「あ、なんかセイジさんが護衛してるとか前に聞いたような」

「護衛? ……あぁ、そうか学生でしたね。なるほど、それで」

「うん。ルーフェも会ったことがあるって言ってた。嵐みたいな人だって」

「嵐みたいな人、ですか……確かに……」


 なかなか的を射ているとばかりにハシバは頷く。その表情は苦笑いとしか言いようがなく、ふとノポリの村でミオの話になったことが脳裏をよぎった。

 そう、ちょうどルーフェも同じような表情をしていて。

 ふ、と空気を震わせて笑ったレティスを見てハシバは首を傾げた。


「あ、いや、……ミオさんの話になった時、ルーフェも同じような顔してたなぁって」


 二人揃ってミオが苦手なのを隠しきれていないのがなんだか珍しくて面白い。

 レティスの言葉にハシバは目を丸くする。手で口元を覆いながらそのまま横を向かれたため、表情から感情を読み取ることはできなかった。


「へえ、あんな美人に言い寄られて悪い気はしないだろうに、もったいねーな」

「おいトウマ、口を挟むなって」

「いやだってよ、婚約者なんて面白い単語聞いたら黙ってられないだろ」


 からかいが多分に含まれた声の主であるトウマはにやにやとハシバを眺めている。


「あの子、あの(・・)イチヤのお嬢様だろ? もしかしたら将来の魔導師の夫になれるかもとか考えねーの? そうでなくとも五家入りすれば将来安泰だ。そりゃ周囲は色々言ってくるだろうけど満更でもない話だと思うぜ」

「そうだとしても、お断りですね」

「へえ、なんで?」

「権力に興味はないですし、彼女のために巫子を辞めていいとは到底思えないもので」


 巫子が結婚するということはすなわち巫子でなくなると同義で、それだけはないときっぱり告げるハシバの言葉に迷いはなかった。


「ふーん? そう言う割には煮え切らない態度とるじゃん。イチヤのお嬢様にはさすがに強く出られねーか?」

「……貴方には関係ないことです。お先に失礼します」


 嘲笑混じりのトウマの問いかけをハシバはばっさり切った。口角を上げたままのトウマを一瞥し、浴槽から出て出入り口へ向かう。


「あ、オレも出ます」


 戻る場所は同じ部屋で、よく知らない場所で置いていかれてはたまらないとあわててレティスもその後を追った。

 用意された離れの部屋へはリサと名乗る年若い使用人が案内してくれた。黒髪に黒眼、無彩色の衣装の中、胸元の赤いリボンが際立っている。

 部屋へと戻る道すがら、渋い顔をしたハシバから「知っておくに越したことはないでしょう」とミオについての説明を受けた。


 曰く、ミオ・イチヤは先代水の魔導師のサヤの再来とも呼ばれている。

 魔法使いの名門、五家の筆頭であるイチヤ家出身という名に恥じない才媛と名高く、サヤに見劣りしない容姿端麗ぶりともなれば周囲の期待の声も大きくなるというもの。


 彼女こそ、次代の水の魔導師にふさわしい。


 そうまことしやかに囁かれる声に応えるようにミオは研鑽を重ねること惜しまない。

 欲しいものはなんだって手に入れてきた。彼女に出来ないことはなく、学院に入学以来、ずっと学年トップを維持し続けている。特に魔法の才は素晴らしく、ゆくゆくは魔導師になるのではというのが彼女を知る大方の者の見立てだった。


 ただひとつ、難点があるとすれば彼女はまだ十八才と若すぎることだ。学院卒業を控えてはいるが当然未婚で、イチヤ本家に子女はミオのみという状況。ミオに期待は寄せつつ、まずは後継ぎを産んでからというのが五家内の空気感だった。

 そしてミオの両親、特に父親であるイチヤ家長は四十路間近になってようやく産まれた一人娘であるミオを溺愛している。それこそ目に入れても痛くないほどで、愛娘のわがままならばなんでも叶えてきた。

 五家に産まれたからには政略結婚が普通で、そこに自由意志など存在しないもの。そんな傾向がいまだに強い中、夢見る乙女でもあるミオは一味違った。


『あたしが魔導師になってあげるから、結婚相手は自分で決める』


 そんなミオの言葉をイチヤの家長は容認していた。愛する娘の目に狂いはないだろうと過信していたとも言える。

 けれどミオが見初めた相手を知るやいなや、くるりと手のひらを返すことになる。

 ミオの口から出た者がハシバ――『白』の家の生き残りだったと知った時のイチヤ家長の衝撃たるや、想像に難くない。

 精霊の怒りを買い、滅びた家の者の血を五家に迎え入れるなど言語道断、愛する娘が選んだ人は五家として受け入れられない者だった。


 出会いは四年前の夏、ハシバが神殿の代表者として五家の会合に顔を出した時のこと。一目惚れだったとミオは語るが当のハシバは惚れられる要素がどこにあったのか不明で、ただただ困惑するしかなかった。

 いきなり結婚、ましてイチヤのお嬢様となぞ到底受け入れられるわけもなく、「自分はその器ではない」と固辞したため話はそこで終わった――はずだった。


『欲しいものは絶対手に入れるの』


 ミオの辞書に挫折という言葉はなかった。

 なんとしてもハシバと結婚したいミオと、それだけは承諾しかねる五家の問答は平行線を辿っている。


「――そんなわけで、幸いにも僕の意向と五家側の思惑が一致しているので現在は彼女のひとり相撲です」


 曖昧な態度はハシバの置かれた立場故だ。

 神殿に所属する巫子として五家との関係を思うと邪険に扱うこともできず、かといって期待を持たせるわけにもいかない。一度礼を尽くしつつきっぱりと断った際には泣かれてしまい、後にイチヤ家長から呼び出され直々にお叱りをくらうという理不尽な目にもあったという。

 触らぬ神に祟りなし――ハシバにとってミオはまさにそんな存在だった。


「じきにほとぼりが冷めるだろうからそれまであまり会わないようにしていたんですけど……」

「冷めたって感じではなかったですね」


 レティスは率直な感想を述べる。


「僭越ながら、ミオ様はミツル様が来るって分かってからは指折り数えて待っておられましたよ。いつもお話されている方に実際にお会いできて光栄です」


 先を行く使用人のリサから無情にもそんな声をかけられた。


「…………はぁ」


 ハシバは深くため息をつく。

 本当に勘弁してほしい、そんな心の声が聞こえてきそうなため息だった。







来週GWはお休みするので今晩もう一話更新します。

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