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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第四章 交わる記憶
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3 婚約者 1

 神殿の街ピオーニは神殿を中心に広がっている。

 向かうセイジの屋敷は南側の町外れにあるらしい。本家というわけではなく、セイジ個人の屋敷となるためにそこまで広くはないというセイジの声を聞きながらレティスは馬車に揺られていた。

 道は石畳で整備されていて、雪が道の端へちゃんと除雪されている。人の往来が多く、しばしば馬車の足は止まるもそれはわずかの間。少しずつ着実に目的地へ進んでいく。窓から見える町並みは今までノルテイスラで見た中で一番栄えていた。

 こうしてゆっくりと町並みを観察する余裕があるのはノルテイスラに来て初めてのように思う。

 がたがたと揺れる馬車の足が止まったのは大きな塀で囲まれた建物の前だった。


「到着だ」


 セイジに促されるまま馬車を降りる。

 周囲の建物がいくつ入るだろうかと思う程の長い塀、馬車が丸々入って行けそうな大きな門。

 その門の前に一人の人物が佇んでいた。


 ゆるやかに波打つ黒髪が風に揺れている。すらりとした長身の女の人。振り向けば群青色の瞳がきらきらと煌めいていて、象牙のように白い肌がわずかに紅潮している。


「――ミツルくん!」


 声色から喜びが溢れ出ていた。

 名を呼ばれたハシバの方に目をやれば、少女の姿を認識したハシバの口から「げっ」という声が漏れた。


(げっ……?)


 ハシバらしからぬ言葉にレティスは驚く。

 目を丸くしたレティスの前で少女はハシバに駆け寄りその胸に飛び込もうとしたが、ハシバに肩を掴まれて勢いが失速した。


「イチヤ嬢!? どうしてここに……」

「いやだもう水臭い、ミオでいいよ?」


 不満げに唇を尖らせたのは一瞬のことで、ミオと称した少女は見下ろしてくるハシバを愛しげに見上げる。誰しも目を奪われてしまいそうな程整った顔立ちのミオが微笑むだけでその場の空気が変わるようだ。

 ミオは周囲には目もくれずハシバだけを見つめ、嬉しさを堪えきれないとばかりにハシバの腕を掴んだ。


「ミツルくん、会えて嬉しい。疲れてるだろうし、ご飯にします? あ、先にお風呂にします? え? もう仕方ありませんね、一緒に入りましょうか」

「いやその……」


 間髪入れずに畳み掛けられてハシバは居心地悪そうにたじろいでいる。

 ハシバの救いを求めるような視線に応えたのはセイジだった。


「お嬢、それくらいにしておけ。こっちは長旅で疲れてるんだ」

「あらセイジいたの。……やだちょっとあんまり寄らないでちょうだい。何日お風呂に入ってないの? おじさん臭い」

「おいおい、野宿で風呂に入れるわけないだろ? それを言うならミツルだって同じだ」

「ミツルくんはおじさんじゃなくってよ」


 ぎゅうとハシバの腕に抱きつくミオ。

 ハシバの様子をちらりと横目で見るとその表情は無そのもの、感情を押しころしているとしか言えない顔をしていた。


(……ハシバさんが気圧されてる……)


 珍しいものを見てしまってレティスはぱちぱちと目をしばたかせた。

 ミオはものすごい美人という形容がぴったり当てはまるのに、なんとも押しが強い。と同時に、嵐のような人とルーフェが形容していた人物がまさに”ミオ”ではなかったかと思い出した。


「あの、離していただいても?」

「嫌。離すとすぐどこかへ行ってしまうでしょう?」

「それは、まぁ……」

「一年振りくらいに会えたんですから。しばらくここでゆっくりしていったらどう?」

「自分の家みたいに言うけどここは俺んちな。ほらお嬢、いつまでも門の前に溜まってるのは邪魔になる、中に入るぞ」


 いつの間にか門の近くには使用人と思しき人が数名いてこちらの様子をうかがっていた。セイジの目配せで場が一斉に動き出す。

 セイジが門をくぐったのを皮切りに、ずっと空気に徹していたトウマとクラキがその後に続く。


「すみません、先に行きます」


 ミオの腕を振り払ってハシバは門をくぐった。そのハシバの後を追おうとしたミオの背中にくすくすと笑い声が響く。


「相変わらずね、ミオちゃん」


 声の主はルーフェで、口元は笑っていたが目が笑っていなかった。


「……あら、あなたもいたの」


 ハシバへ向けるものとは一転して冷ややかな声でミオは応じる。

 ルーフェとミオ、二人が並び立つとミオの背の高さが際立った。

 おそらく平均的な身長のルーフェに対してミオは拳ひとつ分はゆうに高く、成長途中なレティスよりもまだ高い。

 ルーフェを頭からつま先まで見下ろして、ミオはふんと鼻を鳴らした。


「ほんと、いつまでミツルくんを振り回すつもり? ミツルくんはあたしの婚約者なんだからね」


 高らかに宣言してミオはくるりと踵を返し、小走りで門の中へ入っていった。

 その場に残されたのはレティスとルーフェの二人だけ。ミオの言葉があまりに聞き慣れないものだったのでレティスはぽかんと口を開けてしまった。


「こ、婚約者……?」

「らしいわよ? ミオちゃんが勝手に言ってるだけだってハシバは言うけど、ほんとのとこはどうか分かんない」


 肩をすくめてルーフェは答える。


「それはさておき、私たちも行こ。置いてかれちゃうわ」


 そうルーフェに促されるままにミカサ邸の門をくぐった。




 変わった造りの家だな、というのがミカサ邸に抱いた率直な感想だった。

 木造りの柱や梁、板張りの床自体はノルテイスラではありふれたものだったが、ミカサ邸は土足厳禁、玄関で靴を脱ぐよう指示された。内廊下ではなく外に面するような長い廊下を抜けた先、応接室だと案内された部屋には扉らしい扉が見当たらない。一面同じような形で壁が区切られていて、そこには一つずつ丸いくぼみがあるだけだ。

 どこに扉があるんだろうと首を傾げるレティスの前でセイジは壁の一つの前に立ち、丸いくぼみに手をかけて横に引いた。


(あ、引き戸なんだ……ってことはこれ全部扉?)


「ね、珍しいよね。ノルテイスラでたまに見かけるんだけど、隣国の家ってこんな感じなんだって」


 物珍しさにきょろきょろしてしまうレティスの内心を見透かしたようにルーフェに声をかけられた。

 テレサリスト国内だけでも文化に地方差があるが、更に隣国となれば様子が違うことも頷ける。


「へぇ、そうなんだ。……なんか、変わった匂い? 草のような……」

「あぁ、この床ね。畳って言うんだって。不思議な匂いよね」

「うん。けど、なんか落ち着く気がする」


 応接室は板張りではなく畳敷きの床で、中央に背の低いテーブルとその周りにクッションがいくつも置かれていた。

 奥へどうぞとセイジに促されたルーフェはそれを固辞して入り口近くに腰を下ろす。セイジはわずかに苦笑を浮かべたものの次の瞬間には気を取り直して上座へ座っていた。

 レティスはルーフェの隣、ハシバはその逆へ。ミオがハシバの隣に座る。トウマとクラキは立ったまま様子を伺っていたがセイジの目配せでセイジの隣に席を取った。


「時間も時間だし昼飯、といきたいところだがその前に風呂だな。準備はできているか?」


 入り口で佇むグレイヘアの女性の使用人へセイジが声をかける。


「はい、いつでもご利用できる状況にございます。お食事も入浴後すぐにとっていただけるよう手配しております」

「そうか。じゃああとは休んでもらう部屋だが、」

「――失礼します。セイジ様、少々よろしいでしょうか」


 言葉を遮り室内に入ってきたのは使用人らしき男性だった。年の頃合いはセイジよりいくつか上といったところだろうか。


「キリュウ、どうした」

「取り込み中のところ申し訳ありません」


 謝罪した後、キリュウはセイジに耳打ちした。


「……分かった、すぐ行く。悪い、仕事が入った。部屋は離れを使うといい。トウマとクラキは相部屋として、あとは適当に割り振ってくれ。カレン、あとは任せた」

「かしこまりました」


 手短に告げて席を立ったセイジにカレンと呼ばれた使用人の女性が頭を下げる。

 慌ただしく去っていくセイジとキリュウの背中を見送り、カレンは改めて一同に向き直った。


「申し遅れました、わたくしはカレン。この屋敷の副執事長を務めております。滞在中になにかございましたらなんなりとお申し付けください」


 恭しく礼を取り、ゆっくりと一同を見渡すカレン。


「皆様には離れにご滞在いただきます。お部屋割りですが、トウマ様とクラキ様が相部屋として、残る御三方であと二部屋をご使用いただくことになります」


 普段客間として使用している離れには部屋が三つしかないという。


「…………」


 この展開、前にもあったなという沈黙がレティス、ルーフェ、ハシバの三人に流れる。

 こういう場合の決定権はルーフェにあるため自然と視線がルーフェに集まった。


「そう、ね。……どうしようかな……」


 ううんとルーフェは唸る。

 レティスとハシバを同室にするのが丸いようにも思えるが、それはあまりにも荒療治じゃないか、そんな風に考えていそうな顔だった。


 考え込むルーフェに変わってミオが口を挟む。


「ねえ、母屋にも部屋があるけれどそちらがいいのではなくて? そう、ちょうどあたしの部屋の隣。そこにしましょう」

「え……いえ、そういうわけには」

「どうして? そうすれば一人一部屋ずつになって解決じゃない。まぁファーファネル卿がそこの巫子二人と同室がいいと言うなら止めないけど? でもミツルくんはだめ」


 ……ルーフェをファーファネル卿と呼ぶことからルーフェが何者か分かっているはず、その上でこの台詞が出るとは。


 驚きのあまりレティスはまじまじとミオを見つめてしまった。

 唇を尖らせる姿は愛らしいが言っていることはあまりにもルーフェを軽んじているようにしか思えない。


 それはハシバも同様に受け取ったらしい。眼鏡の奥、眉間にしわが寄っているのが見てとれて、考えるよりも先にレティスの口が動いていた。


「――あの、オレと同室はどうですか?」

「えっ」


 あれからろくに口を聞いていない状況で言うべきではなかったのかもしれないが、いずれ避けては通れぬ道だ。

 やけくそにも思える行動は空気を打開するには充分だったらしい。ハシバのみならずルーフェも虚をつかれたように目をしばたいていた。


「や、もちろんハシバさんがよければ、だけど……」

「だって。どうする? ハシバ」


 いち早く復活したのはルーフェで、隣のハシバに笑いかける。


「……そう、ですね。構いません、お願いします」

「えーっ、ミツルくん!」

「ミオ様。客人が決めたことに異を唱えてはいけませんよ」


 騒ぐミオをカレンがたしなめる。


「皆様のお荷物は各々のお部屋へお運びいたします。それでは皆様、浴場の方へどうぞ」








ミオちゃん、やっと出せました。

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