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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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番外編 お酒にまつわるエトセトラ 前編

時系列は本編開始約一年前、ルーフェとハシバの二人で旅をしている頃です。



 きっかけはルーフェの些細な一言だった。

 大祭の時期が近づき、大神殿へ戻ろうかとノルテイスラの北島を南下している頃。

 立ち寄ったのが果物が名産の村で、それらを加工したジュースや酒が至るところで売られている。

 本日の食事処と決めた酒場でもそうで、店内にはおすすめの果実酒が所狭しと並べられていた。


「そういえば、ハシバってお酒飲むの?」


 テーブルに並べられた二人分の食事を黙々と口に運ぶハシバを見ながら、ふとルーフェが問いかけた。


「……飲める年ではありますけど」


 咀嚼する間がやや開き、知ってるでしょう、とハシバは首を傾げる。


「いや、そうじゃなくて。お酒飲むの好きなのかってこと」

「好きか嫌いかって言われたら好きな方です」

「えっ、そうなの?」

「なんで驚くんですか」

「だって飲んでるとこ見たことないもの」

「……そりゃまぁ、飲まないようにしてますから」

「え、なんで」

「なんで、って……」


 何のためにハシバがルーフェと共にいるのか考えたらおいそれと飲むわけにはいかない。

 万が一にも酔っ払って不測の事態に陥ったともなれば巫子失格、もう二度と顔を合わせることはできないだろう。


「いろいろあるんです」

「ふうん? ……あ、もしかして弱いとか?」


 ふふんとルーフェが笑う。

 いたずらな笑みを宿す目はきらりと輝いていて、弱点を見つけたとでも言わんばかりだ。

 挑発にのってはだめだとハシバは冷静に返す。


「そうでもないと思いますよ」

「そうなの? じゃ飲んだらいいじゃない。名産なんだって」

「……それ、本気で言ってます?」

「うん。私といるからって遠慮されるのはヤだ」


 ……遠慮しているのはばれていた。


 ルーフェはいつもそうだ。過剰に敬われたり特別扱いされたりすることをどういうわけか嫌っていて、常に対等を望む傾向にある。ルーフェと対等な人物など各地の魔導師と巫子しかいないのにまた無茶なことだと思うと同時に、そう望むことこそ選ばれた者の思想だとも思う。

 一介の巫子でしかないハシバからすると、誰しも対等だなんて口が裂けても言えなかった。


「そういう貴女はどうなんですか?」

「私? んー……甘いお酒は好きかな。あんまり酔いはしないんだけどね、飲むとすぐ赤くなっちゃうみたいで。人前で飲むなって言われるんだけどあんまりだと思わない?」

「……いえ、正しい判断だと思いますけど」


 酔って赤くなるルーフェを見てみたい気持ちはあったが表に出すべきではないので伏せておく。


「ハシバまでそう言うの? もう、別に普通なのになぁ。……あ、飲めば証明できるか」


 よしと意気込んで店員を呼び止めようとしたルーフェをハシバは制止する。


「待ってください。別に証明する必要はないです」

「えー、だってなんか誤解されたままなのは嫌だし。たまには息抜きしたっていいじゃない。あ、もちろんハシバも飲んでよ?」

「息抜きは構いませんけど、他の方法でお願いしたく」

「やだ。もう決めたの」


 駄々をこねる子供のような口調だが言っていることは全然可愛くなかった。

 そしてこうなったルーフェが頑として譲らないのは理解している。


「…………分かりました。付き合いますから、せめて宿に戻ってからにしてください」


 残された選択肢のうち、まだマシであろうものを選んだつもりだったが、人目という抑止力を失ったことに気付いたのは宿に戻ってからだった。




 酒場で勧められるままに果実酒を何本か購入し、ついでに酒の肴も少し。

 酔うと眠くなりやすい上に酔った状態で風呂に入るのはよろしくないと先にシャワーを済ませてルーフェの部屋へ集合した。

 今回は一人部屋を二つ取っていたので室内は狭く、テーブルはあったものの椅子はひとつしかない。ベッドに座るから椅子はあげると促されるままにハシバは椅子に座った。


「りんごのお酒だって。……うん、確かにりんごね。良い香り〜」


 グラスに注がれた透明な酒の匂いを嗅ぎ、ルーフェは目を細める。

 匂いを感じているということは味がするということにも繋がるわけで、補給が必要そうではないことにハシバは安堵ともつかないため息を吐いた。


「バジェステはぶどう酒が名産でね。白いのと赤いのがあるけど、飲んだことある?」

「赤いのはありますけど、白はないですね」

「そうなんだ。白の方が飲みやすいって言う人もいるし、また飲んでみてよ」

「はい。機会があれば是非。……これはこれで甘くて飲みやすいですね」


 しゅわしゅわと炭酸が弾けるとともに、りんごの爽やかな甘さと香りが口の中に広がる。

 度数はそこまで高くないとあるが口当たりが軽くてついつい飲みすぎてしまいそうだ。

 久しぶりの酒は身体に染み入り、なんとも言えない解放感を与えてくれるような気がする。


「それで、なんでまたお酒を飲みたいなんて言い出したんですか?」

「え」

「なにかしら言いたいことがあるんじゃないんですか? 話があるならいくらでも聞きますよ」

「……話があるってわけじゃないけど」


 グラスを両手で持ちながらルーフェは伏し目がちにぽつぽつと口を開いた。


「結局何の成果もないまま、ハシバを振り回しちゃったなぁって。もうすぐ大祭だし、大神殿に戻ったら戻ったで色々大変だろうし、その前にちょっと休憩、みたいな? 息抜きにでもなれば、と……」

「……労っていただけるのはありがたいですけど、そこで飲酒に繋がるのはどうかと……」

「え? 一日の終わりとか、仕事の息抜きだーって飲むものじゃないの?」


 きょとんと返してくるルーフェの表情に他意はなく、心からそう信じているようだった。


「そういう方がいるのは否定しませんが、皆が皆お酒を飲めるわけでもないでしょう」

「それくらい分かってる。でもさ、ハシバは好きなんでしょ? お酒」

「まぁ、はい」

「なら息抜きできる?」

「……まぁ、わりと」


 それこそ一日の終わり、寝る前に飲めたらいいなと思う程度には。

 ただそれは憂うことがない場合に限るためルーフェに同行している今は当てはまらないのだが、労ってくれようとする気持ちが嬉しくて小さな嘘をついた。


「そっか。なら良かった」


 ふふ、と微笑むルーフェの頬は早くも朱に染まりだしている。

 一口二口でこれだと思うと人前で飲まない方がいいというのはまったくもってその通りで、忠告をした見知らぬ人に内心で親指を立てた。

 と、同時にどういう人がルーフェのこの姿を知っているのだろうかと要らぬ好奇心が顔を覗かせた。


「バジェステでも、こうして飲んで一息ついたりしていたんですか?」

「んー……周りの巫子たちが息抜きだーって飲んでるのを見てるだけが多いかな。付き合いで飲むことはあっても一人じゃ飲まないし」

「そうなんですね。その、人前で飲まない方がいいと言ったのは筆頭巫子の方が?」

「ううん。巫子さまじゃなくて、ギルに……えぇと、私付きの巫子に言われたの。お酒好きな人でね、一緒に飲むことが多いからそれで。人前で飲むなってのもそうだし、喋るとボロが出やすいから黙っとけ、とかも言われたなぁ」

「貴女付きの巫子、ですか」


 ハシバはグラスを傾けながら言われた言葉を反芻する。

 魔導師と対の存在として筆頭巫子が挙げられるが、筆頭巫子は基本的に神殿の外へ出ることはない。その代わりとして対外的に付き従う存在がいるのはノルテイスラでもそうで、先代のサヤには幾人もサヤ付きの巫子がいたらしい。魔導師であるサヤを魔力移しという形に留まらず、陰日向に支えていたという存在。

 系譜は違えど魔導師であるルーフェにもそんな人がいるというのは当たり前と言えば当たり前なのだが、改めて口に出されるとなんだか面白くなかった。


「……随分と仲が良い、というか、気の置けない方なんですね」

「んー、まぁね。幼馴染だし」

「幼馴染?」

「うん。ギル……ギルバートと、もう一人オリビアって子がいてね。双子の兄妹なんだけど、父さまが身寄りを亡くした二人を拾ったら巫子の素質があるって分かって、それならちょうどいいと神殿で一緒に育ったの」


 先代の風の魔導師が連れてきた、ルーフェより三つ年上だという双子の兄妹。

 それまで神殿という大人ばかりの環境に身を置いていたルーフェにとって、同年代の子どもという二人の存在は大きかったという。

 二人に出会ってから世界が広がったのだと目を細めながらルーフェはグラスを揺らしている。


「良き理解者でもあるしね。他の子はどうしたって私には遠慮しちゃうから、気軽に話せるのはその二人くらいかな。……って、私の話はいいのよ」


 はたと我に返ったようにルーフェはグラスをテーブルに置いた。


「これはハシバに息抜きしてもらう場なんだから、ハシバの話を聞かないと」

「僕の話、ですか?」

「うん。いつも私の話ばっか聞いてもらってるし、吐き出したら楽になるって言うじゃない? この際だし日頃の不満でもなんでもどうぞ」

「どうぞと言われても……」


 不満と言われたところで頭をよぎるのは意地をはらずにもう少しまめに補給をした方がいいのではということ。ただそれを言ったところで受け入れてもらえるとは到底考えにくく、余計に意地をはられかねないとハシバは三分の一ほど残っていたグラスの酒をあおった。

 喉を通り過ぎる際にもしゅわしゅわと弾ける炭酸を味わい、鼻の奥に抜ける香りにほうと息をつく。

 空いたグラスに酒を注ぎつつ、他になにかあるかと考えるも無難な話題は特に浮かばなかった。


「……特にないです。むしろ聞きたいことがあるならどうぞ」

「そうなの? ……うーん、そうね……あ、ちょっと立ってみて」

「? はい」


 いきなりの指示に驚きつつもハシバは素直に椅子から立ち上がる。

 ルーフェもまたベッドから腰を上げてそんなハシバの隣に並んだ。


「やっぱり大きい。背、だいぶ伸びたけどいくつあるの?」

「最後に測った時は百八十センチは超えてましたね」

「そんなに? 大きくなったのねぇ。ついこないだまで目線同じくらいだったのに」

「……何年前の話ですか、それ」


 呆れ口調でため息をつくハシバを見てくすくすとルーフェは笑う。

 見た目はハシバの方が上に見えるが、実際のところはルーフェの方がだいぶ年上だ。小さい頃を知られているだけあって、こうして時折子ども扱いされるのが癪にさわった。


「昔の話はやめましょう。分が悪すぎます」


 椅子に座り、ハシバはばつが悪そうに言う。


「えー、そう? 可愛いかったのに、小さい頃のミツルくん」


 ぽんぽんとハシバの頭を撫でるルーフェ。

 見下ろされながら昔の呼び名を呼ばれて、一瞬あの頃に戻ったかのような錯覚に陥ってしまった。

 頭を振ってルーフェの手を振り払う。ずれた眼鏡を直しつつ、つとめて冷静に口を開いた。


「……子ども扱いはやめてください」

「ごめんごめん。別に今も子どもだって思ってるわけじゃないのよ。ただね、ちょっと懐かしくなっちゃって。……小さい頃は懐いてくれてさ、よく話しかけてくれたじゃない? なのに大きくなるにつれて無愛想になってってさ。無理もないだろうけどちょっと寂しかったの」


 とつとつと話しながらルーフェもまた椅子代わりのベッドに座る。

 こうして座らないと目線の高さが合わないことに時の流れを感じてしまった。


「でもまたこうやって話すことができて、なんか、不思議な感じ。嬉しいなって思う」


 言葉通りに目を細めて微笑むルーフェの姿はあの頃とほとんど変わらぬまま。

 変わってしまったのはハシバ自身の心持ちで、ルーフェと過ごすうちに憧れはじわじわとその形を変えていった。


「……それは、僕もそうです」

「ほんとに?」

「ほんとです。まぁ、昔と印象が変わったのはお互い様じゃないですか」

「え、私はそんなに変わってないと思うけど」

「僕から見た印象はだいぶ変わりましたよ」

「そうなの? それ、聞きたい。どんな風に変わった?」

「どんな、って……昔は、何でもできる人なんだと思ってました。世話にもなりましたし、色々教えてくれましたしね。最近は……その、」


 食い気味に聞かれて答えようとしたものの、ハシバは口ごもってしまった。

 純粋に憧れていただけの昔はさておき、今はまずい。うっかり好意なぞ口にして巫子の力を失ってしまいましたとなったら目も当てられない。

 この話題だけは避けねばならないとグラスにゆっくりと口をつけて頭をフル回転させるが良い答えは見つからなかった。


「…………まぁ、いろいろです」


 うまくはぐらかせずに曖昧に濁した答えは不満だったようで、ルーフェは唇を尖らせる。


「なにそれ。頼りないとか世間知らずとでも思ってるの? 悪口だっていいし、怒らないから言ってよ」

「いえ、そういう問題ではなく……」

「じゃなんなの?」

「……なんだっていいじゃないですか。お気になさらず。それより、全然減ってませんが飲まないんですか?」


 無理やり話題を変えてルーフェのグラスを指で示す。


「人に遠慮するなと言っておいてご自分はどうなんですか。人に飲ませてばかりはどうかと思いますけど。あ、やっぱりお酒よりジュースの方がよかったとか……」


 あえて挑発するように物言いをつければ丸い目が一瞬見開かれた後、ゆっくりと視線がグラスに落ちた。

 わざとらしい挑発にルーフェがのってくるかは五分五分といったところだろうか。

 気分を害した可能性もあるがそれならそれでこの場はおひらきにして部屋に戻ろうとハシバはグラスに残った酒に口をつける。

 爽やかな甘さの中に混じるほろ苦さ。舌を刺す程の刺激もなく、しゅわしゅわと踊る炭酸。どれも子どもの頃には美味しいと思わなかったものなのに、今はただ甘いだけ、優しいだけでは物足りなくなってしまった。


(……まるで貴女みたいだ)


 そんなことをぼんやりと考える時点で酔いがまわっているのかもしれない。

 自嘲するように口元が緩んだハシバの耳に、ふふ、と吐息で笑うような音が聞こえた。


「いいわよ? 付き合ってあげる」


 ぱっと顔を上げたルーフェはグラスを手に持ち、残りの酒をぐいとあおった。

 唖然とするハシバの手から空になったグラスを取ったかと思うと二つのグラスにお酒を注いでいく。


「うん、その調子でよろしく。気なんて使わなくていいからさ、はい、乾杯」

「どうも、……って、えぇと」

「なによ、もうおしまい? ハシバこそジュースの方がよかった?」


 鼻を鳴らして笑う様は先程のお返しだと言わんばかりだ。

 けれどそこに馬鹿にするような声色はなく、おどけたような様子からわざと挑発にのってくれたのだとすとんと理解できてしまった。


「そうやってさ、言いたいこと言ってもらえるのがいいの。ずっと気を張ってたら疲れるでしょ」

「……別に、これが普通なので」


 遠慮ない物言いこそ嬉しいのだと口元を緩ませるルーフェにハシバは素っ気なく返すことしかできない。

 こうしてあえて無愛想に振る舞っていることすら見透かしているのか、ルーフェはどこか上機嫌だった。


「えー……あ、それじゃまず呼び方から変えてみよっか。ね、敬称なしで呼んでみてよ。ルーフェって」

「今の話の流れでなんでそうなるんですか」

「いや、今なら押せばいけるかな、と」

「……無茶なこと言わないでください。もし誰かに聞かれたりしたら問題になりかねない」

「そう?」

「そうです」


 筆頭巫子でもない、一介の巫子の立場で軽々しく呼べるものではない。


「じゃ、二人の時ならいいんじゃない?」

「…………よくないです」


 というか二人の時とは何だ。うっかり補給時のシチュエーションを想像してしまい、一瞬でわいた頭を冷やすべくグラスをあおった。

 喉を炭酸が通り抜ける刺激で少しだけ平静に戻れた気がする。


「呼び捨ての許可をいただけたのはありがたく受け取っておきます」

「許可とか……そうじゃなくて」

「分かってます。命令ではなくお願い、でしょう? ……僕からするとどちらも大差ないです。断るなんてそれこそありえないんですけど、ただ従順な操り人形は求められてはいないかと」


 ここで頷くのは簡単なことで、ルーフェの望む振る舞いをすることもできる。

 けれどそれが本当にルーフェの望む存在なのかと考えるとそうではないだろう。

 傀儡にならず、かといって自我を出しすぎるわけでもなく、ちょうどいい塩梅を探ることがハシバにできる精一杯だった。

 呼び方ひとつ、取るに足らないことだと言われてしまえばそうだろうが一事が万事ということもある。今回は譲ってはいけないところだとハシバは判断した。


「…………それは、そうね。うん。無理言ってごめんね。ハシバの好きにしてくれていいから」


 断ったにも関わらずルーフェはどこか嬉しそうで、選んだ答えは間違っていなかったようだ。

 視線が合うとふわりと笑いかけられる。酒のせいか朱がさした頬にわずかに潤んだ瞳が目に毒で、ハシバはずれてもいない眼鏡を直す振りをした。








後編は今晩22時頃に更新します。

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