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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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17 空白

 物心ついた時には神殿にいたルーフェにとって、夜は一人で眠るものだった。

 昼間は必ず誰かそばにいてくれるのに、夜になると風の筆頭巫子であるアリシアの隣の間で一人きり、広いベッドに横になる。

 天井に描かれた天体図は毎夜少しずつ変わっていくのが不思議で、空の動きと連動していることに気付いたのは神殿の外へ出られるようになってからだった。

 壁いっぱいの本棚に絵本も並んでいたが盲目のアリシアがそれを読んでくれるはずもなく。アリシアの世話係の巫子が時折読み聞かせてくれる時以外は絵を見て楽しんでいた。ページをめくるたびに知らない世界が広がる。神殿の外へ出られないルーフェにとって外の世界を知る術はそこにしかなかった。

 夜になれば山のようにあるおもちゃの中から犬のぬいぐるみを抱きしめてシーツの上に丸まる。幼いルーフェと同じくらいの大きさのぬいぐるみは産まれた時からあったものらしく、これがないと不安で眠れなかった。

 夢見が悪くて夜中にふと目が覚めることもある。泣いていると隣の間で寝ていたはずのアリシアが起きてきて、再び眠りにつくまでそばにいてくれた。頭を撫でる優しい手。まぶたを下ろす瞬間まではその手を掴んでいたはずなのに、目覚めた時にはいつもひとりぼっちだった。

 ……ずっと、夜は嫌いだった。

 ひとりぼっちは寂しくて――皆が皆、得も言われぬ孤独を抱えて眠るものなのだと、ずっと思っていた。



***



 先に目覚めたのはルーフェの方だった。カーテンの隙間から漏れる光がちらちらとまぶたに当たっている。

 寝返りを打とうとしてあたたかいなにかにぶつかり、ぱっと意識が覚醒した。何度かまばたきをしてあたりを確認する。


「……あ、そっか……」


 昨夜のやりとりを思い出し、ハシバの腕の中に包まれている状況に納得がいった。

 顔をのぞきこむとハシバはまだ眠っているようだ。いつもハシバの方が起きるのが早いので寝顔を見るのは初めてかもしれない。

 そっと胸元に手を寄せると規則正しい心音が伝わってくる。ルーフェに体温が戻ってもなお、ハシバは触れるとあたたかい。元々の体温が高いのだろうなとまどろんでいたらううんとハシバが寝返りを打った。起こしてしまったかと焦るもすぐにまた定期的な寝息が聞こえてきた。

 上体を起こしてルーフェはおもむろにハシバの前髪に触れる。硬質な髪の感触を感じながらかき分け、額にそっと口付けた。


「……ありがと」


 寝てるから聞こえていないだろうけど、面と向かって言うのは気恥ずかしい。


(いや、これはこれで恥ずかしいわ)


 なんだか顔が熱くなってきた。

 手で顔をあおいだところでようやく上の服を着ていないことに思い至った。


「あっ……服服」


 枕元に畳んでおいた下着と服をそそくさと身に着ける。

 ハシバを起こすか迷ったがもう少し寝かせてあげようとそのままにして、ルーフェはベッドからおりて窓へ向かった。カーテンの隙間から空を見上げると天気は薄曇り。足元に目を向けると真新しい白が広がっていたので夜の間に少し雪が降ったらしい。

 振り仰いだ先の壁の時計は短い針が下を過ぎたところで朝食にはまだ時間がありそうだ。

 もう少し眠ろうかどうしようか。朝食の席にルーフェがいないことを咎める人はいなくとも、ハシバがいないとなると話は別だ。

 背丈の大きさに比例するのかハシバは大食漢で、本人は隠しているつもりだろうがご飯を食べ損ねると明らかに気落ちしている。魔力移し後はそれが顕著に表れるので朝食までには起こさないといけない。

 それならば一緒に寝てしまうのはまずいなとルーフェは荷物の整理をすることにした。増えた服の分、減らす服を脇によけていく。もう数日滞在するのであれば洗濯もお願いしようとガサゴソしていると「おはようございます」と背中に声がかかった。


「あ、おはよ」


 振り向けば半分まぶたが落ちているハシバがあくびを噛みころしている。

 ベッドまで戻ると均整の取れた体つきが間近にあってなんだか落ち着かない。見慣れているはずなのに、暗闇の中と日の下で見るのとではまた印象が違う。寝ぼけているのか、どこか気怠げに見つめ返されてルーフェはとっさに視線をそらしてしまった。


「……魔力、どれくらい戻りました?」


 寝起き独特のわずかにかすれた声音の後、衣擦れの音が続く。


「え、あ、……二割ってとこかな。ちゃんと補給したくらいはあるかも。物は試しって言うけどほんとに試してみるものね」


 あくまで一時しのぎにしかならないだろうとそこまで期待していなかったが、思いのほか魔力が補充されている。満タンには程遠いがしばらく動く分には必要充分な量の魔力がその身にあるだけで身体が軽く、気分も上々だった。


「そう、ですか」


 服を着たハシバは逆に浮かない顔をしている。うっすら目元に疲れが見えて、ふと、いつまで起きていたのだろうと気になった。

 魔力移しは巫子から働きかけるもの。粘膜接触もなくただ抱き合うだけという効率の悪い形での魔力移しでこれだけ魔力が戻ったということは相当な時間がかかったはずだ。


「ね、あんまり眠れていないんじゃないの? まだ早いしもう少し寝ていったら?」

「……いえ、部屋に戻ります」

「そっか。戻ったらちゃんと休んで。ご飯の時間になったら呼びに行くから」


 ね、と微笑みかけるとハシバは唇をぎゅっと引き結んだ。


「……あの、……」

「うん?」

「…………さっきの……あ、いや……」

「?」


 さっきのとはなんのことなのか。ハシバが起きてからとなると特になにもしていないはず。

 歯切れが悪く要領をえないハシバにルーフェは首を傾げた。

 グレーの瞳が不安げに揺れる様は久しく見ていなかったものだ。幼き日のハシバがふいに重なり、問う声音はどこまでも優しくなった。


「なに、どしたの?」

「…………いえ、なんでもないです。すみません、忘れてください」

「???」


 疑問符を浮かべるルーフェをよそにハシバはふうと短い息を吐く。

 眼鏡をかけてベッドからおりた時にはすっかりいつものハシバに戻っていた。


「呼びに来なくても大丈夫です。貴女こそゆっくり休んでください」

「そう? ……無理してない?」

「それ、貴女には言われたくないですね」


 呆れたような口調ながらぽんぽんと頭を撫でる手は優しくて、意図せずに頬が緩んでいた。


「うん。またあとでね」

「はい。……失礼します」


 一礼して踵を返したハシバの背中を見送る。

 静かに扉が閉められたのを見てとるとなんだか脱力してしまってベッドに腰掛けた。ほのかに熱が残るリネンに横になりそっと目を閉じる。


(……あったかかったな……)


 誰かの熱がすぐそばにある。

 それがあんなに安心するものだと故郷にいた頃は思いもよらなかった。


(でも、なんか……なんだろ……)


 魔力は補充されたというのに、なんだか胸の奥が満たされない。

 なにかが足りない――そんな感覚は初めてで、戸惑いのままルーフェはぎゅっとシーツを握りしめた。


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