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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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16 ためらいの先

 ベッドの上で両膝を抱いて俯くルーフェはまるで小さな子どもみたいだ。

 下ろされた髪で表情はうかがえず、すべてを拒絶するように丸くなっていた。


「覚悟は決まりましたか?」

「…………」


 ハシバの声にふるふると頭が左右に動く。こちらを見もしようともしない態度にため息が漏れた。

 部屋に招き入れてくれたまではいいものの、先程からずっとこの調子。予想できたことではあったが実際に目の当たりにすると少しの時間が永遠のようにも感じられた。


 ――正直なところ、面倒くさい人だなと思う。

 人目をはばかることがなかったというサヤを見習えとまでは言わないが、それにしたってルーフェは人目を気にしすぎるきらいがある。

 魔力を糧として生きる魔導師である故に、巫子からの魔力移しは切っても切れない関係で、付き従う巫子とそういう仲であるのは分かりきったことだ。それをあえて口にするのは野暮というもの。元巫子であるトウマやクラキはもちろん、セイジもまた気にもとめていないだろう。魔導師とはそういう生き物なのだからと。

 ……ネックになるのはやはりレティスなのかと思うと胸中がざらりとした。

 広いベッドに腰を掛けると柔らかく身体が沈み込む。ベッドの真ん中にいるルーフェと距離を取ったまま、ルーフェに声をかけた。


「だから同行者を作るのは反対だったんです」


 二人であればこんなことにはならなかった。

 ルーフェがこれほどまで頑ななのは環境によるものも大きいだろう。隣室にセイジ、階下に他の三人と知り合いが周囲を固めている状況はハシバにも不本意でしかない。声が漏れたらという懸念はあるも、それでも補給を――魔力移しをしなければ遅かれ早かれルーフェは倒れてしまう。


「……それは、違うわ」


 ルーフェはぽつりと呟いて顔を上げた。


「レティスは何も悪くない。どうしてそんなにレティスを邪険に扱うの?」

「そんなつもりは……」

「ある。やっぱりよそ者は信用できない?」

「……よそ者とかそういう問題ではなく。知り合ったばかりで、どうしてそこまで肩を持てるんですか」

「ハシバだって、セイジの肩を持ってるじゃない」

「セイジさんと一緒にしないでください。……あの人は、僕がハシバになってからも態度が変わらなかった数少ない人です」


 生まれ育った家を失い、生きるためにとマナから与えられたハシバという姓は所詮は仮初めのもの。

 神殿にたった一人の男子として残され、窮屈な思いをしていないかと折に触れて外へ連れ出してくれるセイジは心の拠り所だった。

 神殿の外の世界の常識や暮らし方をはじめ、魔獣から身を護る方法として護身術を授けてくれたのは他でもないセイジだ。額の傷を見るたびに野宿中に魔獣に襲われてパニックになった幼いハシバを守ってくれたことを思い出す。


『セイジさんが魔導師になってくれたらいいのに』


 そんなことを何度かセイジに言ったことはある。幼かった故に五家の跡継ぎであるという重要性を理解できず、『結婚して子をもうけるまでは難しいな』という返事ははぐらかされていると思っていた。

 そんなセイジが心変わりしたのは首長の護衛として三日月の東(バジェステ)へ行ってから。一体バジェステで何があったのかはあずかり知るところではないが、帰郷して早々に『試練を受ける』と言ってきたのだ。その頃にはもう置かれた立場を理解できるようになっていたため、未婚で魔導師になる決意をしたセイジに度肝を抜かれてしまった。

 周囲の反発を押し切って試練を受けた結果は振るわなかったが、生きて戻ってきてくれただけで御の字というもの。五家内での力関係が変わってごたごたもあっただろうにそれをおくびにも出さず、セイジは変わらずハシバを気にかけてくれている。


「セイジさんのおかげで今の僕があるといっても過言じゃない。兄のような存在、とまでいうとおこがましいですが……」

「……それを言うなら、レティスはハシバの……」

「……? 僕の、なんですか?」

「…………っ」


 自分の名が出る理由が思い至らず、怪訝な顔になったハシバを見てルーフェはぐっと言葉に詰まり、顔を伏せた。


(まただんまり、か)


 おそらく、これもまたレティスがいれば話すのだろうと思うと腹の底に仄暗いものが溜まっていくようだ。

 問い詰めたい気持ちもあるが、今じゃない。

 ハシバはため息をつき、ルーフェの頭を撫でる。


「……すみません、貴女とこんな話をしたいわけじゃないんです」

「……そんなの、私だってそうよ」

「数日はここに滞在するそうですが、何がどうなるかは分かりません。魔力、持ちますか?」

「…………だ、」

「大丈夫だと言うなら、拒絶してください」


 ルーフェの耳にかかる髪を撫で上げて顔を寄せる。


「嫌なら嫌だと。無理強いはしたくない」

「……やじゃない、けど……」

「なら、顔上げてください」

「…………」

「――ルーフェ」


 耳元で名前を呼ぶとルーフェの肩がぴくりと震えた。

 おそるおそる、といった風にルーフェは顔を上げる。エメラルドグリーンの瞳には薄く涙の膜がかかっていた。


「名前呼ぶの、ずるい……」


 瞬きでこらえきれなかった涙が溢れる。


「……泣く方がずるいですよ」


 腕をとって引き寄せ、ルーフェをぎゅっと抱きしめた。

 細い肩に触れ、柔らかな髪に顔を埋める形になる。ルーフェを落ち着かせるように背中をさすると遠慮がちに服を掴まれ、次第にこわばっていた肩の力が抜けていく。

 しなやかな身体はひやりと冷たくてまるで体温を感じない。芳しくない状況だと分かってはいるのだが、このまま事に及んでしまうのもためらわれる。

 それよりもこのままずっとこうしていたい――鼻の奥に抜ける甘い香りにしばし浸っていたらあることにひらめいた。


「そうです、これです」

「……え、な、なに?」


 いきなり明るい声を出されて腕の中のルーフェは戸惑ったような声をあげた。


「時間はかかりますがこれしかない。上だけ脱いで、横になりましょう。貴女は寝ていてもらって大丈夫なので。そこそこ魔力を渡せるはずです」


 そうと決まればとハシバはルーフェから離れる。今ひとつ状況が飲み込めていない様子のルーフェに両手を挙げた。


「魔力を渡すだけです。誓ってなにもしません」

「……それ、本気で言ってる?」

「冗談の方がいいですか?」

「そ、れは……」

「じゃ決まりですね」


 ルーフェの返答を待たずにハシバは部屋の明かりを消してまわる。

 明かりとなるのは入り口脇の小さな非常灯と暖炉の火のみ。貴賓室なだけあって暖炉には魔道具がついており一定の温度が保たれるようになっていた。

 揺らめく炎を頼りに薄暗闇の中ベッドまで戻ってくると微動だにせずにルーフェがハシバを見上げている。その瞳には戸惑いの色がありありと浮かんでいてハシバは内心苦笑してしまった。


「あれだけ一緒に寝たいと言っていたのに、気が乗りませんか?」

「や、だって……ハシバ、嫌なんじゃないの? 落ち着かないって言ってたじゃない」

「そうやって人のことを気にかけてられる場合ですか?」

「でも、」

「それ以上言われたら気が変わってしまうかもしれません。物は試しかと思ったんですが……」


 ルーフェの言葉を遮り、ベッドに腰掛ける。ひやりと冷たい頬を指先でなぞると分かりやすくルーフェの肩が跳ねた。


「っ、…………分かった。分かったわよ。いいわ、物は試しね」


 ぶっきらぼうに吐き捨ててルーフェはハシバの手をぴしゃりとはたき落とす。


「……何もしないからね」


 気丈に振る舞うルーフェの姿にハシバはほっと胸を撫で下ろした。

 一度決めたら揺るがないのがルーフェだ。あとはハシバの心持ち次第で、生殺しの状態をいかに耐えるか理性が試されることになる。

 そこまでしなくてもいいのにと頭の中で響く声を振り払うようにハシバは眼鏡を取ってふうと短い息を吐いた。視界を制限されるわずらわしいものがなくなると思考が幾分クリアになるようだ。


 ……つくづく、手のかかる人だと思う。

 性的なことを忌避してよく生きてこられたものだと呆れ半分驚き半分。慣れていないだけかと思えばそうではなく、ただそういう性分なのだと共にいるうちに悟ってしまった。


(でも、だからこそ……)


 どれだけ面倒で手がかかろうとも、そのままでいてほしい。

 そう思うくらい絆されていることを否定するのはもうできなかった。




ありがとうございました。

後々ハシバ視点で幕間書くので今回はここまで。

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