14 足りないもの
「これは、また……広い部屋ですね」
ルーフェにあてがわれた宿の部屋へ案内するとハシバは眼鏡の奥の目を丸くしていた。
「ミカサだって素性を明かして、私を特別扱いするから必然的に、ね」
「貴女の素性は?」
「もちろん言ってないし、セイジもそこは詮索するなって釘は刺してくれてる。おかげで腫れ物扱いだけど」
「そう、ですか……」
端的に事情を説明するとハシバは納得したように頷いた。
部屋の中はいつ主が戻ってきてもいいように適温に保たれていて上着を着たままだとじわりと汗をかく。
かけてくれたマフラーを取り、脱いだ上着と合わせてコート掛けに掛ける。ハシバもそうしたらと目線で促すと意図は伝わったようでコート掛けに上着が並んだ。
ルーフェのポンチョ型のコートと比べるとハシバのコートは随分と大きい。一度羽織らせてもらったらぶかぶかすぎて指先すら出なかったことを思い出してルーフェの頬が緩んだ。
わざわざナーシスまで取りに行ってきてもらった荷物はコート掛けの横へ。後で荷物の整理もしないとと思いながらルーフェはゆったりと二人で座れそうなソファに腰掛けた。
「ハシバも、こっち」
ぽんぽんと座面の横を叩くと不承不承という風にハシバもソファへ腰を下ろす。柔らかな座面が二人分の体重で沈み込み、こつんと肩先がぶつかった。
もたれかかる形になったがハシバが離れる気配はなく、そっと顔色をうかがうと手が伸びてきて肩を抱き寄せられた。
頭を撫でる手は大きくてあたたかい。触れたところから流れこんでくる魔力が心地良くてルーフェは目を閉じた。
ハシバは全然怖くない。背丈と目つきの悪さから威圧的で冷たい人だと捉えられがちだがそんなことはない。愛想のなさで損をしているだけで優しいところもあるとルーフェは知っている。
なんせ元は純朴で感情がそのまま顔に出るような子どもだったのだ。変わったところもあるが、変わらないところもある。感傷に浸っていたら落ち着いた声が降ってきた。
「……正直なところ、意外でした。貴女が彼の頼みを断るなんて」
「えっ」
口数が少ないので無茶をするなと非難されるとばかり思っていた。まったく違う話の切り口にルーフェは目を瞬いてハシバを見上げる。
「彼、貴女に話があるみたいでしたから。てっきり同席させるのかと」
「……それもちょっと考えたけど、ハシバの許可を取らずにそれはだめかな、って」
「僕の許可、ですか?」
「うん。だってハシバ、人前で力使うの好きじゃないでしょ?」
巫子の力を目の当たりにしてもらう良い機会には違いないが、魔力移しは巫子ありきのものだ。当の本人の意思を確認してからでないと見世物になりかねない。
「それに、ここんとこずっとばたばたしてたから。こうしてのんびりしたいなぁって……」
「……お気遣いありがとうございます」
素っ気なく言われてふいと顔を背けられてしまった。はぁとため息をつかれてしまったのが気にはなるが詮索したところでどうしようもないので聞き流すことにする。
一定のリズムで頭を撫でられるとなんだか眠くなってきた。
「……相当無茶をしたみたいですね」
「え……」
「身体、だいぶ冷えてます。……雷が見えた時は肝が冷えました」
無事でよかったという言葉は掠れてルーフェの耳には届かなかった。
「それは、だって……そうしなきゃ抑えられなかったから」
「分かってます。あの人が魔石を作ったのもやむを得ないことだと理解しています。本来なら僕がすべきところなのに」
「……私はトウマでよかったと思ってるけど」
「何故ですか?」
「や、だって魔石作ったらしばらく他のことに力使えないじゃない? これで変に絡まれることなくなるからちょうどいいかも、って…………ハシバ?」
頭を撫でる手がぴたりと止まり、どうしたのかとハシバを見上げるとどこか不穏な光を帯びたグレーの瞳とかち合った。
「……その言い方だとまるで絡まれたように聞こえますけど」
「あー、うん。まぁ。でも大丈夫、レティスが助けてくれたし」
「…………何をどうされたのか聞かせてもらっても?」
「え? えー……と」
トウマが部屋に来て押し問答になって腕を掴まれたこと、首を絞められそうになったところをレティスが助けてくれたこと。サヤの最期を聞かれたことについては伏せておいた。
話すたびにハシバの顔から表情が抜け落ちていく。心配してくれていたのだと申し訳なくなり、湖の主を気絶させる前の魔力移しについて告げる際は小声になってしまった。
「あと、私が不甲斐ないからって魔力移しされた。……嫌だったけど、効率良く渡されてびっくりしちゃった」
「効率良く、とは?」
「えーと、口で」
「――はぁ?」
ぎゅっと強く肩を抱き込まれ、ルーフェは痛みに顔をしかめる。
文句を言おうと思うも剣呑な雰囲気を漂わせているのを見て開いた口がそのまま塞がった。
ハシバは空いた手で口元を抑えてなにやらぶつぶつと呟いている。耳を澄ませるも断片的にしか聞こえてこない。
「……いつ、触るなって言ったのに……よりにもよって……とか……」
じっと前を見つめるハシバの周囲の空気が変わった。
吐く息が白くなり、じわじわと室温が下がっていることに気付いてルーフェは慌てて声をかける。
「ちょ、ハシバ落ち着いて。ね、ほら、結果的に助かったとこもあるから」
「だからといっていきなりやっていいことじゃないでしょう」
「……そうだけど、ハシバだっていきなりすることあるじゃない」
「……っ」
図星を指される形になり、何か言いかけるが言葉が出なかったようでハシバは口をつぐんだ。
眼鏡の奥の目線が揺らぎ、くっついていた肩が離れてハシバはおもむろに立ち上がる。離れた熱をもの悲しく思っていたら目の前で頭を下げられた。
「……申し訳ありません。申し開きの余地もないです」
「や、別に謝ってほしいわけじゃなくて。私が無茶するからでしょ? 倒れないようにって気遣ってくれてるのは知ってるから」
ルーフェも立ち上がり、普段は見えない頭頂部に向かってぽつりと付け足す。
「……ハシバにされるのは嫌じゃないし」
トウマに抱くような嫌悪感をハシバにはこれっぽっちも感じないのがルーフェは不思議だった。付き合いの長さからくる親しみやすさもあるのだろうか。
(たまに強引な時もあるけど、あの小さなミツルくんを思うと許せちゃうのよねぇ……)
名を変えて以降、周囲に迷惑をかけないよう無理に背伸びをしていた姿を知っているので少しくらいのいたずらは可愛いものだ。
なによりハシバには十二分にわがままを聞いてもらっている。
「ね、顔上げてよ。謝られるのはやだ」
そっとハシバの硬質な黒髪に触れ、そのまま頭を撫でようとしたらその手を取られた。
上体を戻したハシバが一歩ルーフェに歩み寄る。眼鏡が邪魔でその奥の目が見えず、感情を読み取ることはできない。
「…………まだ、冷たい……もっと、お渡ししても?」
「え、いいけ、」
最後まで言い切る前に顎をすくわれて唇が重なった。目を丸くしている間に口内に熱い舌が割り入ってくる。
(っ、いいとは言ったけど……)
戸惑いのあまり逃げ忘れた舌を絡めとられてしまったらもうだめだった。
ただ触れるだけならばレティスを探している時にもあったが、今回は違う。深く求められるような動きに抗うことなどできず、頭の芯が痺れていく。どこが弱いのかなんてとっくにお見通しだと言わんばかりにただ翻弄されるのみだ。
絡まり合う舌や唾液に乗せて桁違いの魔力が流れこみ、渇きがみるみる満たされていく。
ハシバの服を掴んでいたのは無意識のうちで、それに応えるように頬に添えられていた手が耳をなぞり、いつのまにかうなじを支えられていた。
「……ん、」
口づけの合間にこらえきれなかった吐息が漏れる。
ゆるゆると口内を丁寧に暴かれてルーフェの身体から力が抜けていき、かくんと膝が折れてようやく解放された。
「っ、はぁ……」
「…………大丈夫、ですか?」
床にへたりこむルーフェに気遣わしげな声が降ってくる。
「……」
思うことは色々あったが呼吸が整わないと文句を言うことすらままならない。
濡れた口元を拭い、ハシバを見上げる。朱に染まる頬に潤んだような瞳をした自身が眼鏡に反射して映り、ルーフェはぱっと顔を伏せた。
(……なんて顔してんの)
それはまるでもっととねだるような表情で――あながち間違いではないのが胸につく。
まだ、まだ足りない。一時的に満たされたところで、すぐに喉が渇いてしまうのは火を見るより明らかだった。
「まだ、足りませんよね?」
内心を見透かしたかのようにハシバから声がかかる。
ルーフェは答えず沈黙を守るのみだが、それが何よりの答えになってしまった。
立ち上がろうと膝を立てたルーフェの目の前にすっと手が差し伸べられる。素直に手を取ると優しく引き上げられた。まだ少しふらつく足元。よろけた拍子にハシバに肩を支えられた。
「あ、ありがと」
「いえ。……続きはまたあとで」
「へっ」
声が裏返ってしまった。
今、なんて言ったとハシバを見上げると平静なグレーの目と視線がぶつかった。
「以前、僕が言ったこと覚えてますよね?」
そう言ってハシバはルーフェの手を取り、指先に唇を落とす。ぼうと宿る、穏やかな青い光。
このシチュエーションには覚えがある。そう、確かシセルの街で――……
『無理そうだと判断したら、人がいようと関係ないですから』
「…………」
身体がこわばり俯いてしまったルーフェの頭にあたたかい手が降ってくる。
「ではそういうことで」
ぽんぽんと数度ルーフェの頭を撫で、ハシバは踵を返して部屋を出ていった。
部屋に残されたルーフェはずるずるとソファに沈みこんで両膝に肘を乗せ、手を握り合わせた。
――覚悟を決めろと言われたようなものだった。
「……分かってるわよ……」
ちゃんと補給をしないと焼け石に水だということくらい理解している。
俯いたまま頭を横に振ると下ろしたままの髪がさらりと流れ落ちてくる。視界を制限されるのがわずらわしくて髪を耳にかけた時、あるはずの物がないことに気付いたのだった。
ありがとうございました。
この二人の絡みを延々と書いていたい・・・