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誰が為に春を恋う  作者: 香山なつみ
第三章 たゆたう獣
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11 秘すべき力

 ルーフェがふうと息を吐き、魔法陣を解除すると黒雲がみるみるうちに晴れていった。

 低く垂れ込めた雲のうち、一部分だけぽっかりと宙に穴が空いている。太陽の光が天使の梯子のようにルーフェと倒れた湖の主の周囲を照らしていた。


「……殺ったのか?」


 後方にふっ飛ばされていたセイジがいつの間にか戻ってきていた。

 足取りはしっかりしているが雪や泥にまみれ、抑えた片腕は赤く血が滲んでいる。


「人聞き悪いこと言わないで。気絶させただけよ」


 返すルーフェは傷一つないものの、その顔色はどこか青白く優れない。

 水しぶきをまともに浴びたこともあってルーフェ、セイジ、レティスの三人はすっかり濡れ鼠だった。


「さて、それじゃ最後の仕上げね。トウマ、頼むわよ」

「はいはい」


 唯一無事と言っていいトウマが二つ返事で答える。湖の主におもむろに近づいていくトウマにセイジが戸惑ったような声を上げた。


「待て。何をする気だ? いや、それ以前にトウマお前、湖の主に長い尻尾があると知っていた風だが、どういうことだ?」


 セイジの疑問は最もで、それはレティスも知りたいところだった。


「どうもこうも、知ってただけですよ。以前、この村には来たことがあるんで」

「それは……サヤ様とですか?」


 ノポリの村を散策していた際に言っていた『あの方』とはサヤに他ならないのだろう。レティスの問いにトウマからの返事はないが、否定の言葉もなかった。

 無言のままトウマは湖の主に手が届くところまで近寄り、両手をかざした。

 手のひら、次いで湖の主の体が光に包まれる。湖の主の体を覆っていた光は徐々にトウマの手のひらへ集まっていく。

 ひやりと空気が張り詰めていく様にレティスは微動だにせず、じっと目の前の光景を凝視することしかできない。


「……これくらいでいいかな」


 トウマは湖の主から手を離すと、今度はぱんと両手のひらを打ち合わせた。一際青く輝く両の手がゆっくり開かれていくと、光がそこに集まっていく。眩い光の先に目を凝らすとそこには煌めく青い結晶があった。


「よし、完成」


 ふうとトウマが一息つくと張り詰めていた空気が解けていった。

 子どもの握り拳くらいはあろうかという大きさの、つるりと青い石。どことなくルーフェの杖の先についた魔石にも似ている。


「それは魔石か? 魔獣から魔力を吸い出して魔石を作った……?」


 信じられないといった声色でセイジが問いかける。

 対するトウマは顔色ひとつ変えずに頷いた。


「ご明察、さすがセイジさん」

「巫子の魔力の発現方法としてのひとつね。本来は秘すべきものなんだけど背に腹は代えられないわ」

「だな。ルーフェちゃんがいてくれて助かったよ。俺だけじゃどうしようもできねーもん」


 湖の主を既知であることは守秘義務に関わる上、魔石を創り出すことに至っては部外者がいては口にすることも許されないとトウマは肩をすくめた。


「ルーフェ殿。事情を説明してもらいたいのだが、構いませんかな」


 トウマにではなくルーフェに問いかけるあたり、セイジの理解力の高さが伺える。

 トウマに聞いたところで守秘義務が邪魔をしてろくに情報が得られないと悟っているのだろう。


「いいわよ? レティスも気になることがあるなら遠慮なく聞いてね」


 そう言って、事の経緯をかいつまもうとするルーフェの言葉に重なるように森の方から何やら音が聞こえてきた。


 雪道を踏み締めるような、規則正しい音。徐々に近付いてくる音の方へ顔を向けると村へ続く道から一頭の馬が飛び出してきた。


「ハシバさん……?」


 馬を駆るのは紛れもなくハシバだった。きょろきょろと辺りを見渡し、こちらの姿を確認すると馬から降りて駆け寄ってくる。


「ミツル、わざわざ来たのか。村で待っててくれても良かったんだが」

「村長から魔獣化したらしい湖の主の調査に行くと伺ったので。それより、さっきの光ですけど……」


 くるりとハシバの視線が動き、ルーフェに固定される。次の瞬間には距離が詰められており、逃げ遅れた形のルーフェがわずかに身構えたのが見てとれた。


「あれ、貴女の魔法ですよね」

「……そうよ。それ以外ある?」


 雷は風系統の魔法だ。大気を操る上に威力もあるため難易度は高い。

 むくれたように返すルーフェに対してハシバの声はどこか震えていた。


「やっぱり。……あまり無理をしないでください。それになんでまたそんな濡れているんですか」


 ぽた、ぽたりとルーフェの髪からはとめどなく雫がこぼれ落ちている。


「無理なんてしてないってば。やらなきゃいけないことをしただけ」


 ハシバを押し返すように距離を取り、ルーフェはおもむろに片手を振った。途端、穏やかな風が吹き抜けて濡れ鼠だった三人をからりと乾かしていく。


「あ、ありがとう」

「助かるよ、ルーフェ殿」

「これくらいお安い御用よ」


 レティスとセイジのお礼ににこりと答えるルーフェだが、対するハシバの表情は厳しい。


「……また魔法を……」

「風邪引くよりいいでしょ? ……っくしゅん」


 言ったそばからくしゃみをしたルーフェにハシバは恨みがましい視線を投げつつ、巻いていたマフラーを取った。そのままふわりとルーフェの肩にかける。


「……ありがと」

「いえ」


 素っ気なく返したハシバはふいと顔をそむけて視線を湖の主へ向けた。


「その魔獣が湖の主ですか?」

「そうよ。ちょっと暴走していたから気絶させたの。ガス抜きしたからもう大丈夫よ」

「ガス抜き、ですか……」


 ルーフェの言葉に従って改めて湖の主を見やるとその体がひとまわり――いやふたまわりは縮んでいた。

 怪訝な表情を浮かべるハシバに創り出した魔石を手の上でもてあそびながらトウマが口を挟む。


「さっき俺が魔力を吸い出してやったから」

「それ、その魔石……力を使ったんですか? 第三者の前で?」

「ハシバ、トウマを責めないで。許可を出したのは私よ」

「! どうして……」

「どうしてって、そのために来たんだもの。暴走した魔獣を正気に戻すにはこうするしかないでしょ」

「そーいうこと。ちょっと来るのが遅かったな」

「……」


 黙りこむハシバの表情はしかめ面としか言い表せなかった。


(……いまいち話が分からない)


 後から来たハシバは理解できているような風だが、レティスの頭の中は疑問符でいっぱいだった。


 口を挟もうかどうしようか。遠慮なく聞いていいと言われたが何から聞けばいいものか。


 悩むレティスの前でハシバの上着の中からシズが飛び出してきた。

 うさぎのようにぴょんと跳躍し、ルーフェの肩を経由してトウマの肩へ貼りつく。驚いたトウマはシズの首根っこを掴むも服に爪を立てているのか離れようとしなった。


「なんだこいつ。なぁルーフェちゃん、こいつどーすればいいわけ?」

「えっと……受け入れてあげて、かな」

「なんで?」

「なんでも。とりあえず無理に引き離そうとするのはやめて。シズに害意はないし、気が済んだら勝手に離れるから」

「ふーん?」


 そういうもんかとトウマはシズから手を離した。

 シズの黒い丸い目がトウマを見つめたかと思うと頬にすり寄るような仕草を見せる。懐かれる覚えがなくて目を白黒させたのはトウマだけでなくレティスやハシバもそうだ。


「……ほんとにトウマはお気に入りなのね」


 ぽつりと呟かれた言葉の方へ顔を向けるとルーフェがトウマとその肩に乗るシズをじっと見つめていた。

 シズがトウマを気に入る要素がどこにあるのかレティスには考えても分からないが、ルーフェはそうでもないらしい。


 水の巫子姫であるというマナから預かったという魔獣。使い魔でもないのに人へ害意がなく、あんな小さな身体ながら知性を持ち合わせているようにも見える。シズもまた謎が多いなと実感するレティスの前で、シズはトウマから離れて跳ねるように湖の主の元へ近づいていく。


「シズ、危ないよ」


 そうレティスが声をかけるもシズは湖の主の前から動かない。視線の先を追うとどうやら尾に刺さった剣を気にしているようだ。

 抜いていいものかどうかレティスは逡巡する。

 シズはしばし湖の主を見つめていたかと思うと、にわかに白い小さな身体が光を帯びていった。大きな黒の瞳が青く煌めき、生まれた光が湖の主へ伸びる。


「シズ、何を……」


 光輝く手足のような光のもやは湖の主の尾に刺さった剣を抜いた。からんと地面に落ちた剣にはべっとりと体液が付着していて傷の深さを物語っている。

 光のもやはそのまま湖の主の体の方へ伸びたかと思うと無遠慮にぺちぺちとその頭を叩いた。


「シズ、もうちょっとお手柔らかにしてあげてよ」


 唖然とするしかないレティスに代わって声をかけたのはルーフェだ。レティスを安心させるかのようににこりと微笑み、光を帯びたままのシズを抱き上げる。抵抗するかのように身じろぎするシズには「もう、少しくらいいいでしょ」と困り顔だ。

 そんなルーフェの目の前でぴくりと湖の主の身体が動く。

 横たわっていた頭をゆっくりと持ち上げた湖の主。縮んだ身体に比例するかのようにどこか禍々しい雰囲気が薄らいでいた。

 黒く荒々しい印象だった鱗はどこか澄んだ輝きをまとい、吐く息から生臭さが消えている。血走っていた眼は嘘のように白さを取り戻していて、受ける印象がまるで違った。

 落ち着きを取り戻した湖の主はルーフェとその腕の中で暴れるシズを見据えて深く頭を垂れた。


『……ありがとう……』


 頭の中に直接響くような不思議な声だ。


「待たせちゃったみたいでごめんね。また、来るから」


 ルーフェの言葉にもう一度頭を垂れ、湖の主は湖心へ帰っていった。


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